第三十三話…「助けを求める者と救う者」


 背中にジョーゼちゃんを乗せて、ティカは裏路地の坂を全力で駆け登る。

 周りに困っている人がいないか、2人で視線を泳がせながら…。

 そこに広がるのは、いつも通りの日常…とは言い難いだろう光景ばかりだ。

 死屍累々…とまではいかないけど、所々に血溜まりができ、道の端には怪我を負った人たちが、不慣れな手つきで手当てをしていた。

 トントン…、そんな光景を目にした時、ティカの肩がジョーゼちゃんに叩かれる。

「わかった」

 彼女の意思を汲み、その治療をしている人たちの中でも、よりたくさんの人が集まった場所へ足を延ばす。

 そこは、小さな薬屋だった。

 軽傷者を後回しに、そこへと何とかたどり着いた重傷な大柄な男の治療をしている。


---[01]---


 その重傷者は、どうしたらそんな事になるのか、まるで水を搾った雑巾のように、腕が捻じれ、血肉と共に骨が顔を覗かせていた。

 ヒドイ…、その怪我…なんて言葉が可愛く聞こえるような状態のモノを前に、口からこぼれそうになった言葉を寸での所で飲み込む。

『なんだあんた? そのガキが転びでもしたか? 悪いが他所に行ってくれ』

 重傷者の横で薬を作っている男が、こっちを一瞥して、不満げに、その口に携えた髭を揺らしながら言葉を漏らす。

「見りゃあわかんだろ、こっちは暇じゃねぇんだよ!」

 こっちが返事をする間も惜しんで、男はティカ達を目障りな連中と決めつける。

 当然だ。

 この怪我人を前にして、他の人間なんて構っていられない。

「大丈夫だッ。ティカたちはこれでも多芸でな、ここに来たのは手伝うためだ」


---[02]---


 薬師の男は、またこっちを一瞥した後、シッシッと、まるで野良猫を追い払うみたいに手を振った。

「むむむ…」

 文字通り猫の手だって借りたいはずなのに。そういう方針でもあるのか?

 いや、冷静になれティカよ、状況が状況だ…、いくら猫の手が借りたくても、人の命を預かる身として、どこの馬の骨ともわからない奴に手を出されたくない…、そう思うのは普通の事だ。

「およ?」

 薬師の男の行動に、納得した頃、ジョーゼちゃんがティカの背中から無理矢理降りて、重傷者の横にしゃがみ込む。

「おいッ!」

 その行動に不快感を覚えてか、薬師の男がジョーゼちゃんに怒鳴りつける。


---[03]---


 しかし、この子はそんな事に動じる事無く、懐にしまっていた杖を取り出して、重傷者に向けた。

 腕が捻じれてグチャグチャ…なんて事、普通の生活の中で起こりうる訳が無いし、ましてや体験なんてした事ある訳なくて、そこに生まれる苦しみは、ティカの想像なんて、軽く飛び越えてるに違いない。

 その重傷者の顔にあるのは「苦」の一文字…、それ以外の感情なんて存在していなかった。

 ジョーゼちゃんは、そんな重傷者に対して杖魔法を使う…。

 あの子が宿を出てまでやりたかった事、苦しんでいる人を助けたい。

 誰でも思った事がある、そんな些細な理由で、ジョーゼちゃんはここにいる。

 あのご主人の弟子のセスと会ったのも、下の方が困ってる人が多いんじゃないか…て話から行く事になった…、あのデカい魔物?が移動していくのを見計らって、音のした方へ行ったら、セスがいた…て具合だ。


---[04]---


 それだけ、今のジョーゼちゃんには使命感めいたモノがある。

 だから…。

 薬師の男がジョーゼちゃんを止めようとして伸ばした手を、ティカはすかさず掴み止める。

「あなたは薬を準備して。早くッ!」

 男の気持ちはわかるけど、少しは黙っていて。

 ティカはジョーゼちゃんを信じる。

 その少女の手は、不安や恐怖で震えていた。

 この場に来たからじゃない…、この男にやめろ…と怒鳴られたからでもない…、もっと前から…、外で何かが起き始めた時から、この子は恐怖を感じ取っている…、そしてティカは、このジョーゼちゃんの…この震えを知ってる。

 入団試験でヴィーツィオが、世界に対して宣戦布告をした日と、同じ震え方だ。


---[05]---


 そんなジョーゼちゃんが纏う負の匂いも…、また同じ…。

 だからティカは、この国で今起きている事に察しがついていて、あの巨大な魔物?を見た時に確信へと変わった。

 ティカでもわかるのだから、恐怖を抱いている本人であるジョーゼちゃんが、今の状況に気付いていない訳がない…。

 入団試験の時は、動けなくなったほど…、そんな子が誰かのために…と、動く事を決めた…、いやだからこそだ…、だからこそ、危ない状態だとわかっているからこそ、動く事を決めた。

 そんな子の行動に、水を差させない。

 薬師の男が心配するのはごもっともだけど、その心配は不要だ。

 男と手を握る手に力が入る。

 最初こそ振り払おうとした男は、その意思を汲んでくれたのか、抵抗の手を止めた。


---[06]---


 改めて、重傷者の方へと視線を戻す。

 ジョーゼちゃんが杖の先を近づけているのは、状態が一番ひどい手だ。

 そこに魔法を当てられて、苦痛に顔が歪み切っていた重傷者の顔が、少しだけ緩んだようなそんな気がする。

「その魔法、どの程度の事ができる」

 重傷者の表情に気付いた男は、ティカの方へと目を向けて聞いてきた。

「痛みを和らげてるだけだな。ちょっとした切り傷ならいちころで何も感じなくなるけど、ここまでヒドイとバッサリ無くすことはできない」

 下の方で、セスに対して使った杖は、軽い傷に使う杖…、その重傷者の腕に効果があるかどうかは疑問だし、下手に治癒をさせたら、さらに悪化する可能性だってある。

 だからジョーゼちゃんが今使ってる杖は、痛みを和らげる効果しかない杖。


---[07]---


 致死までは無くても、治療に痛みを伴う時によく使われる杖だけど、杖である以上、そこには限界がある…、ましてやこの重傷具合だ。

 効果は微々たるもの…、薬師の男もそれを考えているのか、僅かな間だけ、重傷者の顔色を伺い…、言葉を漏らした。

「そうか」

 クイッと掴まれた腕を動かす男、その時の表情には、反抗的な感情はなくなり、ティカは手を離した。

 すると、ジョーゼちゃんに向けられていた敵意もまた鳴りを潜め、薬の調合へと意識が集中される。

「お前は何ができる? そこのチビ助と同じ魔法使いか?」

「チビ…」

 誰がチビだ…誰が?


---[08]---


 確かにジョーゼちゃんは愛くるしい小ささがあるけど、それでもそんな呼び方をされるのは納得がいかない…。

 だがしかし…、いけない…いけないわティカ、冷静であれティカ、今はジョーゼちゃんの可愛らしさをこの薬師に説く時間じゃない。

「んんッ!」

 精神統一も兼ねて、自分の頭の中を切り替えるように、強く咳ばらいを入れる。

「ティカは、その子の世話役であるッ。今のティカに魔法を使う事なんてできない。でも、簡単な治療はできるから、手が回らない怪我人の手当てはティカに任されよッ!」

 ポンッとティカが自分の胸を叩く姿を見て、男はただ一言…好きにしろ…と言って、それ以上何も言わなくなった。

 じゃあ、お言葉に甘えて、好きにさせてもらおうじゃないかッ!


 騎士団式治療法を一通り熟せるティカです。


---[09]---


 ご主人様の暇な時間をコツコツ使わせてもらった賜物たるその治療法、わかりやすく言えば簡易応急処置のスゴイ版だ。

 止血から包帯の巻き方から色々諸々、戦場でできる手当てを余す事無くできるのだが…、悲しきかな…、それにも限度はある。

 その限度を超えるのは、あの重傷者を含めて男に任せるとして、ティカは怪我人の手当てをしている人の方へと駆けた。

「手伝おう」

『あ、ありがとう』

 服を怪我人から飛んだ血で汚しながら、その手当てをする女性、疲れた様子ながら、近くに膝を付いたティカに対して、笑顔を浮かべる。

 ここへ来た時、薬屋の中から道具を持って出てきたのが見えたし、あの薬師の同僚…いや歳が近いように見えるから奥さんか。


---[10]---


 ティカは、その傍らに置かれた道具を一瞥し、その中から布切れを取っていく。

「傷薬として調合したモノがあります。それを塗ってから布を巻いてあげてください」

「合点承知だとも」

 近くで自分の手当てを待っていた人を手招きする。

 寄って来た怪我人の男性、その手には深々と抉れた歯形があり、皮は切れ、肉は切れ、そこから溢れる血が、その肉々しさを増していた。

 それ以外にも、その頬には爪で引っかかれた痕に、噛みつかれる時に捕まれたであろう痕は、青白く手形と共に残っている。

 人同士の争いでできる傷ではあるけど、そこには理性的なモノは一切無く、荒々しい野生の…、まさに魔物に襲われてできたような、そんな傷痕のように見えた。

「ちょっと染みるぞッ!」


---[11]---


 バシャッと、その傷口に水を掛ける。

 長く水をかけ続けても痛いだけだから、出来るだけ早く、かといってそこに痛みを助長する強さはない。

『んぐぁッ』

 その男性は、痛みに顔を歪めながらも、必死に歯を食いしばって、それ以上の声を上げなかった。

 その後ろで、彼の治療の様子を見ている女性と男の子がいるのを見るに、妻と子…、周りは苦しみからうめき声ばかりがチラホラと聞こえてくる場所で、男性の治療を見守る男の子の目には、涙すら溜まっている。

 男の子の年齢は、多分ジョーゼちゃんよりも下だ。

 あの子だって、まだまだ甘えたい盛り、その気持ちが出たからこそ、ご主人を追い、結果としてこの国にいる。


---[12]---


 余程出来過ぎた子供じゃないと、男の子もその甘えたい盛りはジョーゼちゃん以上に強いはず…、お父さん子であろうと、お母さん子であろうと、その信頼し…甘えたい相手が、苦しみもがく姿を見ては、当事者よりも早く心が病んでしまう。

 状況を理解できなくても、周りの空気を感じ取ってしまうのが子供というモノだ。

 ティカは…、そんな子供にはなれなかったけど…。

 とにかく、それを知ってか知らずか、この男性は子供に、怖い思いをさせまいと、必死に痛みを堪えている…、ならティカにできる事は、さっさと手当てを終わらせてあげる事。

 汚れを水で洗い流し、そして傷口に薬を塗っていく。

 正直、すごく痛むだろうな…、わかる、わかるよ。。

 鼻を近づけなくてもわかる…、その効果…、止血に効く薬草の臭い、感染症を防ぐ奴も混じってるし、それらを幅広く効かせるために他にも色々と混じってる…、正直混ざり過ぎて臭いの強いヤツぐらいしか判断付かないな。


---[13]---


 でも、本来、体にはないモノをくっつけるんだから、痛いに決まってるんだな~これが。

 ティカは手際よく、薬を塗り終えてから布を巻いていった。

 手当てを終えた男性は、何回も何回も、深々と頭を下げて、その場を離れていく。

『おいッ! 世話係ッ!』

 そんな彼らに手を振りながら、次の人を呼ぼうとした時、後ろで薬を調合していた薬師の男の大声と、叫び声が響き渡る。

「はいはいは~いッ!」

 何事かと、男の方に向かうと、男はティカに血の付いた短剣を渡してくる。

「マジか~」

 それ一つで何となく、呼ばれた理由を察しちゃうティカ。

 ご飯の為に獣を解体するとか、その他諸々、慣れてるつもりのティカだけど、さすがに急な頼みがコレだと驚くなぁ。


---[14]---


「いくら魔法や薬を使ったって、スパッといくモノなんざここにはねぇ。鍛冶屋じゃねぇからな」

「そうは言うけど、鍛冶屋武器屋の類はそこらにいっぱいあるじゃないか」

「この短剣だって、一番近くの鍛冶屋から持ってきたもんだ。周りに襲ってくる連中がさっきまでわんさかいたんだ…、戦える輩が良い得物を持ってっちまったっての」

「まじかぁ~…」

 重傷者のソレは…、あっちらこっちら探し回っていられる余裕はなさそうだけど…。

「いいからやれ。コイツ、結構強く暴れるもんでな、男手は押さえておくだけで精一杯だ。あんたがやってくれ」

「お、お~…」


---[15]---


 よく見たら、重傷者は甲人種か…。

 そりゃあ体が大きい訳だ…、おまけにその力も折り紙付きと来る…、そりゃあ押さえつけるのに男手が必要だよね…。

 仕方ないか。

 薬師の男に離れろ…とでも言われたのか…、それともさっきの叫び声に驚いたか…、ジョーゼちゃんは立ち上がって、数歩後ろへ離れた場所にいる。

 そして、不安げに、何をするのか理解していなさそうな顔で、ティカの方を見ていた。

 直接見せる訳にはいかないか。

「ジョーゼちゃん、後ろで手当てをしてる女の人の手伝いしてて、こっちはこのティカが、乗り切って見せるからッ!」

 薬師の男から、短剣を受け取って、ジョーゼちゃんに親指を上に立てた拳を向ける。


---[16]---


 コクッと少女は頷き、女の人の方へと走っていくのを見送って、ティカは深呼吸をした。

 こんな腕の状態じゃ、今できる事と言えば、さっさと切って止血…、もしご主人がいて、魔法で治癒をできたとしても、コレを今まで通り動かせる腕にできるかどうか…。

 答えは否。

 魔法は万能じゃない…、昔からそうだ…、昔も今も、そこは変わらない。

 それに、もしティカが知らないだけで、ソレが万能だったら…。

 ティカは、後ろで手伝いを始めたジョーゼちゃんを見る。

 万能だったなら、とっくにご主人があの子の火傷の痕を消しているはずだ…、何より、そのティカが聞いた事のない、声を取り戻しているはずだ。

「では、やらせてもらいまするぞッ!」

 だから、この重傷者には悪いけど、まずは命大事で。


 一思いに…。


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