第二十二話…「不気味な相手と悪い予感」
青い空が…、歪む…、光が闇へと呑まれ、闇の底へ…。
「ブバッ…」
口を開けば、容赦なく水が口を越え、喉を越えていく…。
…苦しい…。
体に纏わりつく水は、まるで意思を持っているかのように、俺の体を掴んで離さない。
ただの水じゃない…な。
封印の杭…相手の狙いがソレなら、近くに居た俺は狙われて当然と言える…。
何かが、俺を湖の中…水の中へと引きずり込んだ…、しかし、その張本人の姿は、今は見る事ができない。
そんな事よりも、まずはこの状況だ。
---[01]---
引きずり込まれた事自体が致命的であり、地上で生きる人間に水中生活は無理…だ、長居すれば命を摘む事になる。
着ていた服は、容赦なく水をガブ飲みし、より一層俺の体の自由を奪う。
自力で水面に上がるのは無理だ…、長くはもたない中で、どうするか…。
声を出せない状況である以上、発声魔法は使えない…、魔力を直に使って無理矢理発動させるのも安定性に欠く、血制魔法も水中の中では外的魔力の使用は見込めない。
…仕方ない…か…。
俺は下唇を咥え込むように口の中へと入れ、口の中に入ってしまった水を何とか飲み込んで、上下の歯で唇を思い切り噛み込んだ。
ズキッと全身を駆け巡る痛みに体を震わせる。
---[02]---
普段とは違う場所の自傷なせいか、いつもより何割も増して痛みを覚え、時間が無いっていうのに体を動かせなかった。
だがしかし、それでもこちらの意思とは関係なく、口へと溜まっていく血、口いっぱいに鉄の風味を感じながら、準備ができた…と俺は上を見る。
口の中の鉄分が余韻を残して消えていき、徐々に体が水面に向かって上がっていく。
想像を巡らせるのは、体が上へと進むモノだけだ…、余計な事なんてできない。
血制魔法だけじゃなく、純粋に魔力をただ操るだけの魔法も使って、ただただ上に上がる事だけを想像する。
体が健康そのモノなのに、魔法のジリ貧な使用なんて、記憶している限りで初めてだ。
---[03]---
使える魔力は自身のモノのみ…、血制魔法は、本来自身の血とソレに含まれる魔力を、外的魔力に混ぜて起爆剤として使うが、今回はその外的魔力が無い…、純粋な自身の魔力だけの魔法だ。
血制魔法としての安定性はあっても、外的魔力が無いせいで、その効力はとにかく寂しくなっている。
苦しい…。
息止めだって、我慢するにも限界がある…、我慢し過ぎて目玉が飛び出そうな程に、体は力んで酸素を求めた。
その時、ガシッと俺の足を何かが掴む。
俺を水中に引きずり込んだんだから、その労を無駄にしないためにも、水上へ上がるのを阻止するだろう…というのは、当然想像に難くない。
---[04]---
足に加わった外的なモノを、俺は睨みつける。
淡青藍色でブクブクと膨れ上がった顔…いや顔だけじゃなく体全体が膨れ上がって、醜く、人ではない何かへと変り果てた何か…。
まるで何かの魔人だ。
水中で人を襲う魔人…、その生態に特化した魔人はいると聞くが、その容姿は聞いてきた話とはまるで違う…。
衝撃的な容姿はしばらく俺の頭から離れる事はないだろう…、水中に引きずり込んだヤツはこいつだ。
そんな、来るかもしれない…という予感はあったが、来てほしくないと思っていたものでもあり、酸欠に追い打ちをかける。
頭の中が混乱の色を見せた…。
---[05]---
むしろ、さっきまで冷静過ぎたとも言えるが、そんな事はどうでもイイ。
このままじゃ、本当にあの世行きになる。
俺は、腰へと手を回し、そこにあった杖魔法用の杖を引き抜く。
それを、自分の足を掴む相手へ向けた瞬間…、杖の先が赤い光を放ち、水をかき分けながら、魔力弾を打ち付ける。
血制魔法による体を上へと上がらせる効果が継続するものの、それ以外での力は失われ、水面が遠く感じられたせいもあり、焦りから何回も魔力弾を放つ。
相手も、何度も体をのけぞらせ、俺の足を放しても、食い下がって、また俺の足を掴む。
…くそ…。
その姿はまさに、死んででも相手を道連れにせんとする姿そのものだ。
---[06]---
何度も魔力弾を撃っても相手は離れずに、足を掴まれる度に、水面…目的地が遠ざかる。
俺もそろそろ限界で、杖自体の強度を無視して、瞬間に使える魔力のありったけを、その杖を通して相手へとぶつけだ。
杖が持ち手から切っ先へと、ヒビを幾重にも生じさせながら放った魔力弾は、水中を震わせ、羽虫を手で思い切り叩いた時のような、相手の体を大きく超える大きさの魔力弾を作りあげ、ソレは杖を粉々に壊しながら、相手を水中深くへと叩き落していった。
しかし、倒せたかどうかなんてどうでもいい、限界を超え、意識が薄れる中、振り絞るように惜しむ事なく魔力を使って水上へと、俺は飛び出す。
水の柱を高々に伸ばし、俺の体は、気づけは建物の屋根を越える程に跳び上がっていた。
---[07]---
「ブハッ!?」
高く上がった体は、封印の杭に当たり、そしてその周辺の足場に落ちる。
打ち付けた体の節々が激痛を呼び、続けてその痛みを忘れるかのように、何度も咳き込みながら、水を吐き散らし、過剰に息を吸っては吐いてを繰り返す。
加えて、瞬間的な自身の魔力使用で、一時的な魔力不足による脱力状態が襲い、体に力が入らずに立ち上がる事すらままならず、おまけに吐き気もあって、まさに最悪な気分だ。
死なずに済んだ…と安堵すべき状況ではあるが、地獄の状態が最悪な状態に和らいだだけで、根本的な解決になっていない…。
息のしづらい状態が続く中、手に持っていた杖だった木片を投げ捨てて、手を再び腰へと伸ばす。
---[08]---
そこにある小物を入れるための小さい鞄…、その中をまさぐって、1本の長細い瓶を取り出して、蓋を取ると同時に、中身を一気呷った。
それを飲むは年単位で久しぶり…というか、そもそも薬自体飲むのが久しぶりなんだが、今のは、言うなれば魔力促進剤、体の中で魔力を作るのを促進させる…、万が一…なんて時にしか使わない薬だ。
魔法使いにとって、魔力は生命線…、それを手助けするモノなら、願ったり叶ったりな代物だが、いかんせん、肉体の魔力に対しての耐性を下げる作用もある。
味は極度な苦みと酸味…、おまけに口の中に残る血の味が、見事に不協和音を響かせた。
体が作れる魔力量は、その肉体が耐えうる限界の魔力を作り続ける…、それを越えて魔力を作ってもらうならどうするか…、単純な話、限界を超えさせればいいだけだ。
---[09]---
体に、魔力に対する限界値にはまだ到達していない…だからもっと魔力が作れるぞ…と、体に錯覚させる…、おかげで、限界を超えて魔力を作らせるから、副作用で魔力酔いを起こす…。
二日酔いなんて目じゃない気持ち悪さの襲撃が起こるんだ…、酷い場合、しばらくの間動けなくなる事だってある…、できる事なら使いたくは無かったが、こんな状況じゃ仕方ない。
悠長に休んでいられる状態じゃなさそうなのだ。
耳に届く…助けてくれ…という声に、動かざるを得ない。
完全に力の入らない足に鞭打って、よろめきながらも杭を支えに何とか立ち上がり、声のした方へと歩いて行く。
ここへと繋がる唯一の橋で、数人の人間が群がって、尻餅をついて泣きじゃくる役人に迫っていた。
---[10]---
どういう状態だ…、口に出そうになるツッコミを飲み込む。
水の中で血制魔法を使うために、血が出る程度に噛み切ったせいで、少ししゃべるだけで痛い、つか今のように普通の息をしているだけでも痛い。
さっきも水を吐き、激しく息を吸う度に激痛が走るのだ…、きっと喋ろうモノなら、しばらく話をする度に頭をチラつく程の痛みが襲う事だろう。
役人の横には、腹から血を流す兵士の姿…、まだ息はあるみたいだが、その傷もあって、動く事は出来なさそうだ。
恐らく敵…、役人に襲い掛かろうとしている連中は、ボロボロのマントに身を包む数人の人…、その姿にどこまでもヴィーツィオの影がちらつく。
アイツをさらに連想させるその白い肌は、俺に嫌悪感すら与えた。
その手に持つ血に濡れた直剣が、連中を敵…ないしはそれに近い何か…と決定づける。
---[11]---
役人に伸ばされた手を掴み、情けなくもそいつを突き飛ばす形で放す。
「ま、魔法使い殿、無事だったのですか…!?」
役人の言葉に、俺は頷く事で返す。
「ど、どうかお助けください。この者達…、どこの者かも知れず、封印の杭に近づこうと…、兵が止めようとしたのですが…、こちらの話を聞かずにあの剣で…」
「・・・」
きっとこの役人からしてみれば、俺は救世主のように見えてるのだろう…、実際は全く持ってそんな事は無いんだが…。
こっちは魔力的に、今はできる限り戦いたくない状態だ。
それでも、やらなきゃいけないからやるけど、そんな…救いはここにアリ…みたいな目をされるのは、本当にやめてもらいない。
---[12]---
この橋は渡りきれば、その先には王都がある…、つまりは今自分がいる位置、その視線の先…方向には王都がある訳だが…、向こうは向こうで黒煙が上がっているように見えるし、これはもうただでは済まない問題が起きている…と言っていいんだろう。
さすがにその異変は、この国の兵達…その上の人間にも届いている問題のはず…、そうでなきゃ団としておかしいからな…、なら、少しすればこっちにも兵が割かれるはずだ。
そうであってほしい。
未だ体は魔力不足に萎え気味だが、それでも水の中よりかはマシだ。
助けは来る…そう信じ、何とかやってみよう…と思うが、多分大丈夫だろう…、希望的観測はするべきじゃないけど、なんせ、バテバテな俺に押し倒されるぐらいの敵だ…。
---[13]---
やれる…、やれるさ。
血が止まりきっていない唇…、その血が蒸発していき、それと同時に体は軽くなる。
ただでさえ魔力のために魔力で体が侵されてる状態だ…、そんな状態で魔力による肉体強化なんてした日には…、魔力酔いが加速する事だろう。
救いがあるとすれば、まだその予兆が見えていない…とかか。
婆ちゃんごめん…、水で重くなったローブを脱ぎ、少しでも体を軽くする。
唇への治癒も魔法で掛けながら、俺は相手に向かって手を振るった。
同時に手の軌道が線を引くように光ると、突如として発生した突風に、相手は吹き飛ばされる。
極端なまでに大雑把だ。
---[14]---
僅かな血と魔力で、周囲の魔力を大量に…、配分として圧倒的に勝る自分の魔力ではない魔力は、魔法としての形をはっきりと作る事は無く、本当にただの風だけを作り出して、相手を吹き飛ばした。
だがそれでイイ。
やりたい事がはっきりとしない…とにかくこうなってくれ…と願うだけの魔法なら…、これぐらいの大雑把加減でいいんだ。
こっちはただ相手の体勢を崩したいだけなんだから。
肉体強化によって、普通に動けるだけの状態になった俺は、横で倒れている兵士の槍を取り、目の前で尻餅をついた相手の胸に突き刺す。
そいつが命を狩られるべき真っ当な理由を持っていたかはわからん…、だが、こいつらは杭に近づかせちゃいけない…と感じた。
さっきまで何ともなかったのに、手の届きそうな距離まで来て、何故だか右手に痛みを覚え始めたんだ。
---[15]---
右手がこんなになってから、この痛みが襲ってくる時の印象は正直最悪で、悪いモノしかない。
「…ッ!?」
槍の刃が、確かに胸を貫いている…にもかかわらず、そいつは立ち上がろうと体に力を入れ、その度に槍はさらに深く刺さった。
死んでいてもおかしくない位置に刺している…、死ななくても、普通なら痛みで動く事なんてできないはずだ…だが、目の前の相手は動く…、体に痛覚なんて存在しないかのように、その刃に対してただの邪魔なモノ…程度の認識で、こちらに向かって動こうとする。
不気味だ…、普通の人間とは思えなかった。
魔法による痛覚麻痺の何かか、それとも何かの薬か…、考え始めたら可能性なんていくつも出てくる訳だが…、なんにしても痛みを無くした所で、迫りくる死を無しにはできない。
---[16]---
死を受け入れているのか…、それとも死ぬという事を知らない赤子なのか…、なんにしても異常だ。
槍を刺した奴とは別の連中が体勢を立て直し、こちらに向かってくる頃には、槍を刺された奴は動かなくなる。
そこまでに、そいつは一度も言葉を発する事は無かった。
俺は槍を引き抜き、一歩二歩と後退して、迫ってくる連中と少しでも距離を取ろうとするが、連中はこちらの事など関係なく、その剣を振りかぶって突っ込んでくる。
譲さんの隊で戦闘訓練をしてきた身、その襲い方…攻め方に技術が無い事は一目でわかった。
戦闘技術は無い…という事は、組織的は行動ではないのか?
この国に対して恨みのある何かだったら…、とばっちりにも程があるな。
---[17]---
迫って来た相手、1人目は槍を横に振って湖に叩き落し、2人目には槍を突き刺して、槍から手を離し、すぐに自身の剣を引き抜くと、3人目が振り下ろす剣を何とか防ぐ。
その力を耐え切れず、後ろに倒れて背中を打ち付けたが、相手の剣が俺に致命的な傷を負わせなかっただけマシだ。
相手も一緒に倒れたおかげで、向こうも体勢を崩し、もたついてる間に、立ち上がり様、倒れた相手を思い切り蹴る。
4人目、こちらが立ち上がるより前に最接近して、その剣を振り下ろす…、まるで斧で薪でも割るかのように、剣の使い方なんて度返しにした攻撃…、捻りの有る攻撃じゃないからこそ、俺は横へと転がって、容易に回避する事ができた。
殺意…と呼べるモノがあるようには思えなかった…、でも人の命を奪う行為は、その技術は置いておくとしても平気でやってくる。
---[18]---
俺は立ち上がって、振るわれた剣を弾き返し、相手を殴り倒す…、蹴った相手が立ち上がろうとしているのを、再び顔を蹴り飛ばして地に伏させた。
槍を刺した相手が、その槍の石突きがガラガラと地面を擦っているにも関わらす迫ってくる姿を見て、こいつらは人の姿はしていても、人ではない事を俺は悟る。
それはまるで人形だ。
人の肉、人の皮、人の骨で作られた操り人形…、そこに感情は無く、操り主の思うまま、やらせたいままに動く人形…。
その姿も含めて、その操り主は…。
胸騒ぎがする…悪寒がする…。
可能性として考えていた事だ…、そのはずなのに、頭を過った予感が…予測が、俺の気分を最悪のどん底へと再び叩き落した。
相手から槍を引き抜き、大きく振るって相手を叩き飛ばす。
不気味な相手…、それでも決して強いと言える相手じゃないのに…、なんで、警備の兵はやられたのか…。
橋の向こう…、幾人もの兵士がこちらに向かってくるのを見ながら、俺は、これから何が起こるのか、問題が起こる事が確実…というか、既に発生しているに違いない問題に、胸騒ぎを禁じ得なかった。
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