第二十一話…「狂人と凶刃」


 人の往来が少なくない場所に現れた凶刃。

 その短剣は、既に他人の血で赤く染められ、新たな餌を求めて振るわれる…、そして、その新たな餌が私だ。

 その刃は、的確に私の急所を狙ってくる。

 首か…胸か…、それともまた別の…。

 キンッキンッと剣同士がぶつかり合う。

 目を狙った突きを避け、今度はこちらが柄頭をその腹部へめり込ます。

 短剣を手から落とし、膝を付く相手、周りにいた男の人たちも加わって、その相手へと乗りかかった…が…。

 状況が把握できていない中で、必要以上の殺生をする訳にもいかず、殺さない手段を取ったけど、その意図を狂人が汲む訳も無く、こちらの攻撃でひとしきり嘔吐した後、身動きを取れない様にしようとするも、常人とは思えない力で、押さえつけていた手を払いのける。


---[01]---


 一瞬、相手の落とした剣を手が届かない場所へと蹴り飛ばした隙だった…、男の人の1人は投げ飛ばされ…、1人は無造作に振るわれた拳を受けて動きを止める…、それでもなお狂人を止めようと最後の1人がその首を強く締めた。

 何か様子がおかしい…、そう感じた時にはもう遅く、狂人は、自身の首を絞める自分の腕の倍以上ある太さの腕を掴み…、その時に様子をおかしくしたのは、狂人ではなく、首を絞めていた男性。

 狂人が掴んだ腕は、みるみる内に変色、その細い指を肉に食い込んでいき、ドンドンと青黒く変わっていく…、その異変に気付き、止めようとした時には、腕があらぬ方向へとねじ曲がり、男性が投げ飛ばされた時には、その腕はねじれ切れていた。

 道がその血で赤く染め上げられる。


---[02]---


 狂人はお世辞にも良い体付きとは言えない…、貧相と言っていいその体で、大の大人…しかも鍛冶職人などが多く集まるガタイの良い…一回りも二回りも体の大きな男を軽々と投げ飛ばし、そしてその腕をねじり切る…、そんな芸当が常人にできる訳が無い…。

 ただの通り魔じゃない…ただの狂人じゃない…、それがわかった瞬間に、私は体を魔力で強化する。

 ただの狂人であったなら、そんな事をする必要も無いけれど、その目の前の相手を、人として見る事ができなかった。

 時間が無かったとはいえ、こんな事なら、鎧を全部着こんでくればよかったとすら思う。

 街中を歩いて回る事を優先した軽装、装備に転用された杖魔法に依存する肉体強化は、完全装備ではない今では、その力も5割減…半減…、おまけに、盾も無い…とくれば、私本来の戦い方も出来ず、総合能力で見れば、半減以上に減って激減状態だ。


---[03]---


 今対峙している相手も、さっきの地響きも、何か作為的に起こされていたとしたら、私はその手の上で、まんまと転がされている…と言えるだろう。

 緊急事態であるがため、見事に奇襲の効果を、身を持って体験している状態だ。

 狂人の手に…その右手に、いつの間にか再び短剣が握られている。

「え?」

 さっきとは違う種類の短剣だ…、さっきまで使っていたのが両刃の短剣なら、今度は片刃…。

「どこか…ッ!?」

 狂人を見るに、装備を隠し持つような余裕は何処にもない。

 突如として現れた凶器に、私は一瞬の隙を見せる。

 それを突くかのように、狂人は動いた。

 飛び掛かってくる相手を避けるも、今度は避けられざまに左手に握られた短剣が、こちらを襲う。


---[04]---


「くッ!?」

 すぐに迫る凶刃を剣で弾くが、何故か私の腕には鮮血が垂れ落ちる。

 カツンッカツンッ…と、聞き慣れない音が耳へと届く。

 狂人は不自然に、片足立ちをしながら、地面につけていない足で地面を突くように動かした。

 音は…、そこから聞こえてくる。

「あなたは曲芸師かなにか?」

 聞き慣れない音の発生源、それは狂人の足の先、投げナイフのような小さな刃物をその指で器用に掴んでいた…、武器を出すような場所が無いように見えるのは最初から…、もしあったとしても、それを取り出す仕草は、全くもって見る事ができなかった。

 多彩な技で人々を笑わせる曲芸師…、そんな存在さながらに、相手の得物の出所が手品過ぎる。


---[05]---


 相手の魔物並みに意味の分からない技に、驚くという気は失せた。


 狂人は、足で扱った刃を、自身の口元まで持ってくると、そこについた血を舐めとり、不気味に笑う。

 気持ち悪い程の行為、不快感極まるソレに、その体の柔らかさが、見た目も相まって更なる不気味さを醸し出す。

 再び迫ってくる狂人、今度は大きく振りかぶり、その左手が横に振るわれる。

 普通に考えれば、大振りで、短剣であるからこそ、その得物の短さから攻撃の対処は容易だ…、容易なはずなのに、体が、一瞬、緊張のあまり強張った時のように、動きを鈍らせた。

「…ッ!?」

 しかし、その鈍りもすぐに消え失せて、普通に動けるようになる…、でもその鈍りは、相手を近づけさせるのに十分な時間を与え、目の前まで、凶刃が迫る。


---[06]---


 なんとか剣で防ぐけど、その勢いを消し去る事ができずに、体は叩き飛ばされた。

 大の大人の腕をねじりきっただけの事はあり、ものすごい力だ。

 転がった体をすぐに起こして、すぐに相手の方を向くと、今度は投げナイフのようなモノが、飛んでくる。

 視界に映る凶刃の腕はその2本の短剣で塞がっている…、であるなら、それを私に投げつけたのは足…、だが、飛んできたソレはいくつもあった。

 直撃すると思ったモノを剣で叩き落す中、その中の1本だけが、私の頬をかすめる。

「…ッ!?」

 その瞬間、再び体を異変が襲う。

 体が重く…いや違う…、体に施していた魔力による強化が消えた…。

「何が…?」


---[07]---


 そんな現象は初めてだった。

 自身の魔力切れで強化が切れる事があっても、魔力もまだ潤沢にある状態で、自分の意思とは関係なく、強化が切れるなんて…、今までに無い現象だ。

「・・・」

 しかし、それもほんの僅かな間で、徐々に、体は魔力による強化の効果を得ていく。

 その時、ドカーンッと大きな音がこだまする。

「今度は何ッ!?」

 遠く…、それは街の真横を流れる川…生活の要、そこで離れた位置からでもわかるほど、天高く黒煙を舞い上げていた。

「…ッ!?」

 視線が黒煙に奪われそうになり、一瞬だけ凶刃から外れ、それを見計らったかのように、こちらに飛び掛かってくる。


---[08]---


 命のやり取りに、卑怯も何も無い…とは思うけど、今の爆発が起きる事をわかっていたかのような動きの早さだ。

 こちらも遅れながら相手に立ち向かう…、真っ先に迫る凶刃を弾き、二振り目をしゃがんで避け、前に進もうとする勢いを利用しつつ、その懐へ強烈な肘打ちを喰らわせる。

 さっきの柄頭での突きとは違う、今度は魔力で強化された肉体での攻撃、下手な武器での攻撃よりも、その威力は大きいモノのはずだ。

 狂人の体は後ろへと打ち飛ばされ、私は相手に体勢を整える間を与える事無く、距離を詰める…、こちらの動きを見てか、いつの間にか足が再びナイフを掴んでおり、それが振り上げられるけど、クルっと体を回転させながら横にずれつつ避けて、その足の膝裏目掛けて剣を振り上げる。

 刃を伝って感じる硬い感触を、半ば強引に斬り飛ばす。


---[09]---


 足は文字通り切り離された…にも関わらず、狂人は笑っていた…。

 その口に僅かな発光が見える。

 次の瞬間、ブッ…と、口から何かを吹き飛ばすと同時に、私の目に迫ったのは、狂人がさっきまで使っていた投げナイフ…。

「イタッ!」

 咄嗟に手を前に出し、寸での所で、そのナイフを止める。

 口に現れる狂気としか思えない笑みに、飛ばされるナイフ、狂人の戦意は未だ衰える事を知らないようだ。

 それでこそ狂人…と言える所だけど、何をしでかすかわからない相手…という恐怖とは別に、その行動の一つ一つに不気味ささえも感じさせる。

「くッ…」

 そして再び体を襲う強化の解除…、体の強化が無くなり、普通の体の状態に戻っているだけ…だけど、その一瞬の弱体化がすごく恐ろしい。


---[10]---


 転がるように倒れた狂人、飛ばされたナイフもあって突っ込むのをやめた私に、相手はなおも飛び掛かる。

 そんな状況で、私が目を疑ったのは、その足だ。

 ナイフを持っていた足は切った…、当然だが、人の足は2本…1本斬ってしまえば、片足になり、戦う所か動く事すら問題を生じさせる状態になっているはず、なのに、相手はまだ攻めてくる…、それどころか、斬ったはずの足は…無くなったはずの膝から下に、黒く影のようにまるで黒い靄か…と思えるようなモノが集まって、それを足の形に変えた。

 黒い靄…それは魔力だ…、気付いた時には、ソレは足として機能し、漏れ出ていた血を止めると同時に、こちらへと攻める力へと加わる…。

「マズ…」

 体の強化がまだ戻らず、避ける事も出来ないから、振るわれた攻撃を防いだが、その力の強さに剣は手から離れ、私は叩き飛ばされた。


---[11]---


「これは…」

 体に起きる不調…、ソレがどこから来るのか…、それを何となくだけど、察しを付ける…といっても、大して考える必要もなく、連続して起きたソレがどういう時に起きたのか考えれば、すぐに出てくるモノだ。

 1回や2回なら、不幸にもそれが続いただけと言えるけど、3回も起きて、それが全部傷を負った後に起きていれば…、もう確定だろう…、問題が残っているとすれば、それが本当に可能なのか…だ。

 起きている事実は変わらないけど…、それは恐らく何らかの魔法…、相手の強化…つまりは魔法を打ち消す魔法…そんな事が可能なのだろうか…。

 サグエが居れば、疑問を解消するために聞く事も出来るけど、それができないのが何とももどかしい。

 ドカンッドカンッと、遠くから爆発音が連続して聞こえてくる…。


---[12]---


 そっちも、いよいよ偶然が重なっただけ…なんて、言い訳を付けなさそうな状態になって来た。

 手に剣は無く、迫る凶刃を避ける…避ける…避ける…。

 傷を負わずにできる事が思い浮かばない…、怪我を負う…それか凶刃で受けた怪我を起因として、体に施す魔力による効果が消されるのなら、闇雲に動いては自身をさらに窮地へと陥れる原因になってしまう。

 そもそも、迫りくる凶刃は3本…いやそれ以上…、腕に2本、足に1本、飛んでくるモノもいちいち数えていられない。

 斬り落とした左足も、魔力でできた足で代用された…、そんな事が可能なら、武器を奪った所で、次の武器が出てくるだけで終わりはない…、それはもう証明されているようなモノだ。

 実物にしか見えないそれらは、恐らく魔法により作られた紛い物、本物ではない…ないが、切れ味は本物…。


---[13]---


 迫る刃が多すぎる。

 相手はこちらを蹴るような動きを見せ…、その普通の足とは違う魔力でできた足を振りかぶった。

 魔力が足の形になるのなら、それ以外の形も可能性がある…、斬られたらダメだ…そんな考えから、私は何とか攻めの一手を模索していた距離から、一段と相手との距離を開ける。

 しかし、それをも見越したかのように、その口に浮かんでいた笑みが、さらに不気味に歪んだ。

 もはや間合いに私がいないにも関わらず振るわれる蹴り、絶対に届かないだろうと思えるソレが、うねうねと蠢き、一気にその長さを伸ばして見せた。

「…ッ!?」

 それは足ではなく手の形に代わり、伸びに伸びた足は、倍以上の長さになって、私の足を掴み、自分の方へと引きずり込む。


---[14]---


 不意に加わる力の影響で、体勢を崩した私は尻餅をつき、ズルズルと地面をすべる。

 足を掴んだ腕、本来の人体の仕組みとは全くの別物になっているせいか、狂人が操っているようで、全く別の生物とさえ思えてくる…、いや、もしかしたら、実際に別の生き物なのかもしれない。

 狂人の方へと引き寄せられる体…、その先に待つモノは人の命を奪う凶刃だ。

 自身の手が届く範囲に、この状況を打開するモノはなく、どうにかして逃げようともがいてみるけど、足を掴む手は、手の形こそしているけど、まるで鉄の足枷でも付けられているかのように硬かった。

 いよいよその凶刃の攻撃範囲に入った時、1つの血しぶきが飛ぶ。

 私の体からではなく、相手の方から…。

 肩の次は腕から血が飛び出す。

 横からの攻撃、それを理解した瞬間に、その攻撃が飛んできた方向を見る…、そこには、自身の開発武器…魔筒を2丁持ったレッツォの姿があった。


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