第十八話…「失われた瞳と残り続ける瞳」


 もう会えないと思っていた人に会えた…。

 一番会いたいと思っていた人に会えた…。

 それは最後の…、全てが闇の中に落ちて行く寸前まで目にしていた人。

 最愛の人、愛しい人。

 あんな別れ方はしたくなかった。

 あんな醜い姿を、あの人に見られたくなかった。

 最後に見るあの人の顔は、笑顔でありたかった。

 そんな望みたちは、身勝手な望みだろうか。


 自分で言うのもなんだけど、そんなに自分勝手な望みかな?


 あの人は、今この国にいる…この街にいる。


 会いたい…会いたい…会いたい…。


---[01]---


 その手を取りたい…。

 その声で、名前を呼んで欲しい…。

 その手で、頭を撫でてほしい…。


 さんさんと照り付ける太陽、山の斜面に作られた街だから、必然的に存在するこの斜面は、歩いているだけで体力を奪い、太陽の光は身体の動きを鈍らせる。

 フードを深々と被り、マントで全身を覆って、直射日光を避けてはいるけど、それでも…違うか…だからこそ余計に暑く感じるのか…。

「・・・」

 その瞬間、マントの内側から、ふわっと風が巻き上がり、直射日光を防ぐ盾が、僅かにひらひらと揺れ動く。

 これで幾分かマシになった。


---[02]---


 さっきまでマント内に籠っていた熱は抜け去り、体は涼しい風を抱く。

 体は自分のモノと思えない程に軽い、だからこそこの斜面が続く街を進む事ができるけど、そもそもこの体には体力が無さ過ぎる。

 元々体力に自信があった訳じゃないけど、それ以上の体力の無さだ。

 不意に立ち止まり、道の隅に避けてから、自身の手に視線を落とす。

 真っ白な手…。

 指は細く、腕も…。

 お肉の付き方が悪い、申し訳程度にあるように感じるけど、実際の所、関節部分とかにはハッキリと骨の形が浮き出てて、それが一層この体の健康状態の悪さを実感させる。

 健康状態の悪さ…と言っても、体力が無い…以外に、体を襲う不良は感じられない。

 体が軽い…というのには、気持ち的な意味もあるけど、その実、物理的に体の軽さを感じるという意味の方が大きい…。


---[03]---


 この体は、間違いなく自分の体なのに…。

 手を動かそうと思えば動くし、足を動かそうとすればこちらにちゃんと動く、ここまで歩みを進めていた足は、決して飾りではなく、自分をしっかりと生者の世界に立たせる足として、自分のモノとして、しっかりとここに存在している。

 そう考えているし、そう思ってるし…、でもやっぱり、違うモノは違う…か。

「・・・ッ!?」

 違う…それは拒絶であり、失ったモノとして、その拒絶はこの場にいる存在として最低な行為だ。

 この体を否定してはいけない。

 突如として襲う吐き気、全身を襲う寒気、思わず口を覆い、人々の往来が絶えない道から目を背け、背中を見せる。

 自分が恵まれている存在だという事はわかってる。


---[04]---


 こんな事、望んだからと言って、普通は叶う訳が無い。

 でも自分はここにいる、それを望むモノたちを抱えながら、自分はここに居続けている。

 だからこそ、否定してはいけないのだ。

 ここに居続けたいというのなら、この世界に足を付けていたいというのなら、絶対に否定してはならない。

 否定した瞬間に穴が空く。

 穴が空けば、そこから望むモノたちが手を伸ばしてくる。

 自分を掴み、そこを変われと、怒号を飛ばす。

「うぅ…」

 気持ち悪い…、痛い…イタイ…いたい…。

 胸が…心臓が…、脈が打たれる度に、全身を鞭で打たれたかのように激痛が走る…。


---[05]---


 心臓はそれ以上に痛みで叫び上がった。

 自分を掴み引き釣り下ろそうとする手を、1本1本引き剥がして、ようやく全身を襲う痛みが無くなっていく。

「はぁ…はぁ…」

『大丈夫かい、君?』

「…ッ!?」

 はたから見れば、今の自分は心配されて当然な姿でいただろう。

 口を押え、胸を押さえ…、前屈みになりながら、今にも倒れそうに小刻みに震えてた。

 たまたま通りかかった赤の他人は、とてもイイ人だ。

 普通ならお礼の1つでも言ってしかるべき…、だけど、頭の中で響く言葉は、逃げろ…この場から去れ…と、自分が思うモノとは正反対の行動をさせようとしてくる。


---[06]---


 本当だったら、そんなモノは無視をして、自分のしようと思う事をやるだけ…、でも、必要以上に人との関わりを作りたくない。

 少しだけ癪に感じる部分はあるけど、こちらの事を心配してくれた赤の他人、誰かも知らぬ見ず知らずな人へ背を向けて走り出す。

 勢いよく坂を下って…下って…下って…、一気に下まで降りていった。

 また振り出しか。

 怪しまれないようにしたいけど、結果として、怪しまれて当然な結果だけが、そこには残ってる。

…不器用だな…

 うるさい。

…昔からそうだな…

 うるさい。


---[07]---


…あの子はしばらくこの国にいる、会う機会なんていくらでもあるわ?…

 わかってるよ…。

 頭に響く声達…、そこに並ぶ言葉達…、わかってる事を復習させるかのように並べられて、苛立ちばかりが積もっていく。

 やっぱりだめだ。

 気ばかりが急って、今の自分を見れていない。

 ついこの間までは、そんな事全然なかったのに…。

…やはり、あの時、そこら辺の憂いを全て絶たせておけばよかったのだ…

…一度無体になったモノ、どこかしら壊れているものよのぅ…

…何故こんな感情の制御も出来ん童が選ばれた?…

…知るものか。ここにその答えを知るモノなんぞ、存在しないのだから…

…不要なモノを絶たねば、いつかこのモノだけでなく、全てが再びアレに呑まれるぞ?…


---[08]---


 うるさい…うるさい…うるさい…、頭の中で騒がないで…、うるさい…うるさい…。

…落ち着いて。あなたは悪くないわ。呼吸を整えて。息を吸って…

「う…、すぅ~…はぁ~…すぅ~…はぁ~…」

 もちろん体力の問題は常に付きまとう体だけど、今の不調はそこが原因じゃない。

 深呼吸は、息を整えるものではなく、心を落ち着かせるもの…。

 道の隅でしゃがみながら、人が何回も通り過ぎているのを、その目に捉えながら、少しでもこの渦の中へと身を溶かしていく。

 この場に、自分に害を成すモノはない…いない…。

 一番自分の体を縛る声も、しばらく聞いていない。

 だからこそ、この自由を少しでも謳歌するためにも、自分は無害な人間を演じなければ。


---[09]---


 でも、自分はこれだけの人混みを知らない。

 一度視線の高さが下がれば、そこにあるのは人でできた肉壁、その先の道なんて全く見えず、動かずに視線を前に向けているだけでは、ただの人間観察になってしまう。

 国が国だけに、道を行き来する人たちは、そのほとんどが大きい体をして、作業着を着ている…。

 自分の知る世界は狭かった…と実感させられる光景だ。

 場所が変われば、こうも人は変わるモノなのか。

 身の回りに細身の人間しかいなかったからこそ、その体の大きさに圧される…、あの人も、周りと比べて頭がいくつも飛び出るぐらい、体付きは良かったけど、ここの人間は格が違い過ぎる。

 気持ちが落ち着いてきた。


---[10]---


 頭に響く鬱陶しい声も、胸の奥底に押し込んで…押し込んで…、今は全く聞こえない。

 それは、気持ちがいつも通りの平常状態まで戻った事を意味し、自分はその事実にホッと胸を撫で下ろす。

…自分を忘れてはいけません。自分が誰なのか、常に頭に置いておかないと…

 うん。

…ごめんね。私ではあなたを支え続ける事ができないから…

 大丈夫だよ。

…でも…

 大丈夫、少しだけ力を貸してくれれば、後は自分で制御できるから。

…わかったわ…


「ありがとう…、お母さん」


---[11]---




 最近ドタバタしていたからか、それとも常に気を張っていたからか、一晩ぐっすりと眠っても、体の怠さが抜ける事がない。

『いやはや、遅い起床だな、ご主人』

 体の怠さに眠気、目を覚まし、身体を起こしてもなお、頭はまだ寝ていろと催促するように、覚醒しきれない俺をまた眠りへと落とそうとしていた。

 その声は、まるでソレを見越していたかのように、体を起こして起きようか寝ようかを考えている俺の耳へと届けられる。

「まだお昼には遠い時間とはいえ、朝食には随分と遅れた時間だ。起きるにはだいぶ遅い時間だぞ?」

「それは悪かった」

 そこまで言うのなら起こしてくればいいだろうに…。


---[12]---


 声の主であるティカに、俺は恨めしそうな視線を向ける…が、彼女はそんな事お構いなしというかのように、水の入った桶と手ぬぐいを持ってくる。

「これで顔を拭くのだ、ご主人。まだまだ寝たいとは思うが、規則正しい生活をするのも、大事な健康への第一歩だぞ?」

「ああ、そうだな」

 まだまだ寝ぼけた頭では、なんて返したらいいのか思いつかない。

 空返事気味に反応しつつ、差し出された水で濡らした手ぬぐいで顔を拭く。

「向こうで戦いがあったとは聞いたが、ご主人、大丈夫か? こっちに戻ってきて今日で三日目だが、全然顔から疲れが取れていないぞ?」

「そうだな…」

 鉱山で戦って、もう少しで1週間…といった所か…。

 歳だから…とは思いたくないが、確かに少し心配になるような疲労の抜けなさだ。


---[13]---


 でも、あの戦闘ではそれなりの魔力を消費した。

 それこそ、村でのドラゴンとの戦闘、あれには及ばなくても、訓練を含めて、ここ最近の戦闘ではダントツで1番の魔力消費だっただろう。

 おまけにそのほとんどが血制魔法での使用だ。

 俺は自分の左の手の平を見る。

 傷は塞がり、残るのは傷痕のみだが、荒っぽい事をすれば、傷が開く事は必至な状態。

 血制魔法での戦闘、その酷使は、俺が思っているほどに体への影響が多いのか?

 あれは魔法の特性上、連続使用や乱発は本来しないモノ、経験という意味で情報が少ないから、確かな事は言えないが、可能性はある。


---[14]---


 血に、ふんだんに含まれた魔力、生物が生きるために全身を巡る血は、全身に魔力を行き渡らせるのにこれほど役立つものは無く、それを使う魔法だからこそ、魔力や思考の酷使以外にも、血の影響で体への負荷が予想以上に高いのかもしれない。

「まぁ、疲れから来るような怠さこそあるけど、それ以外の体調の悪さは感じない。しばらく様子を見るさ」

「そうか? でも、頑張り過ぎで栄養が不足してるかもしれないし、しばらくは栄養豊富で食べやすいご飯にするのがいいかもしれないな」

「ああ、可能なら、それもアリかもしれない」

 最近は移動が多かったからな。

 栄養不足からくる体調不良…というのは、あながち間違いじゃないのかもしれない。

 もちろん確証はないから、自分の体調にはしばらく気を付けないと。


---[15]---


「そういや、ジョーゼが見えないが、どこかに行ってるのか?」

 ティカの話では、最近では友達になったから…と、この国の王と遊んだりしていたらしいし、また遊びにでも行ったのか?

 正直、アレは心臓に悪い報告だった…。

 ド田舎暮らしの人間だから、何が失礼に当たるのかとか、全部を把握している訳じゃない。

 そう言った連中と関わる時は、出来る限り善処しようと振舞ってはいるが、それも完ぺきとは言えないだろう。

 俺でも大変なのに…とか、自分とジョーゼを比べるつもりはないが、アイツにその辺の事を考慮した行動ができるか?

 不安でしょうがない。


---[16]---


「ジョーゼちゃんは、ご主人のために、厨房を借りてご飯を作ってる所だぞ? もう少しでできると思うが、どうなのだろうなぁ?」

 良し悪しの話なら、こっちが聞きたいぐらいだ。

 だがしかし、王関係の事にはなってないようで、その辺は一安心だ。

「ティカはジョーゼについていなくて大丈夫なのか? あんたのおかげで、だいぶその辺の腕前も上がっただろうが、それでも、まだまだ不慣れだろ? 正直心配になるんだが…」

「あっはっはっ…。ご主人もなかなかに心配性というか過保護なのだなぁ。まぁ大丈夫だろう。一応この宿の女将さんが見ていてくれてるし」

「ソレなら大丈夫…か」

「というか、もう少しとは言え、まだご飯ができていなかった訳だし、ある意味、ご主人の寝坊助具合も、今回は丁度良かったのかもしれないな。・・・ご主人はどうかわからないが、私はお腹が減り過ぎて辛いんだが」


---[17]---


「俺の事なんて気にせず食えばいいものを」

「むむッ、それはダメだぞ。仕える相手よりも、先に自分が食事を取るなんてあり得ない」

「そうか…」

 普段、こちらの意思とは裏腹にグイグイと世話をさせろと迫って来るくせに、細かい所で律義だな。

 そんな時、トントンと部屋の扉が叩かれ、控えめに開かれた扉から、ひょっこりとジョーゼが顔を覗かせる。

「おぉッ! できたのだなジョーゼちゃん!?」

コクコクッ…。

「では、運ぶのを手伝おう。ご主人、ちょっと待っていて欲しい。今、出来立てご飯を持ってくるから~」


---[18]---


「はいはい」

 朝から騒々しい…が、朝というには確かに遅い時間か。

 窓から外を見てみると、確かに朝にしては、太陽はだいぶ昇っている。

 視線を部屋に戻せば、今度はジョーゼと目が合う、俺がおはようと返すと、ジョーゼは笑顔で頷くのだった。


 テーブルに並ぶのは、パンに、焼いた卵、野菜が多く入ったスープだ。

 少し前まで、料理の「り」の字も知らなかったようなやつが、こうして短期間の間にできるようになっていくのを見るのは、なかなかに面白い。

 そしてそれは、自分の知る人間で、身近な存在だからこそ、誇らしくもある。

 丁寧に料理をする…という意味では、俺を越しているだろう。


---[19]---


 ちゃんと中まで火の通った野菜たち、にも関わらず、シャキシャキとした野菜の食感を失っていない、ジャガイモに至っては味が染み込みつつ、ほくほくと形がしっかり残りつつ柔らかい。

 味だけでなく、食材の食感も楽しめる料理とは恐れ入る。

 なんだかんだと味を調えて、少しでも美味しくしようと心掛けはするけど、大雑把な面が少なからずあるせいで、食感とかは、火を通し過ぎている事が多いのが俺の料理だ。

 ジョーゼの料理の腕が上がるのは、確かに嬉しい事ではあるが、自身も料理を少なからずする身、その回数こそ減ってきてはいるけど、負けた気分に襲われるのは面白くない。

 ジョーゼに対してライバル意識を持ってもしょうがないとは思うが、その競争心には楽しさすら感じた。


---[20]---


「これは…、負けてられないな」

 俺の言葉に、隣で一緒に料理を食べているジョーゼは、ニッと自慢げに笑った。



 向かいの建物の屋根から、その部屋を覗く。

 どうして自分はその輪の中に居られないのだろうか、なんで…。

 あの人は変わらず元気そうだ。

 あの時も思ったけど、その右手に巻かれた包帯を見た時、その包帯を付け直す為に取られた時、胸が締め付けられた。

 見えない。

 あの右手からは、あの人の、あの優しい温もりを放つ魔力を感じない…。

 そんなあの人の横を、ついて回る子…、離れない子、その姿を見れて嬉しかった…、同時に、揺れ動く髪の合間から見え隠れする火傷の痕に、自身の力の無さを呪った。


---[21]---


 ほんと、ちっぽけな存在だ。


…元気でよかった…

 うん。

…今は…

 わかってる。

 それは奇跡でもなんでもない。

 愚かな道化の気まぐれ。

 だから、自分は頑張る…、その悲運をはねのけるために。

「ばいばい…。・・・おにぃ」


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