第五話…「炎と故郷」【3】


---[52]---


 大きな音と共に強風が吹いて砂が舞い上がる。

 そして、何か重いモノが地面を叩くような音が聞こえた時、私は閉じていた目を開いた。

 ぼやけて見えにくかったけど、その存在を見て、私の口から霞んで力のない声が漏れ出る


「お…にぃ…。」



 それなりに大きくて、角度のある斜面も多い山、当然、普通使うであろう道はそんな山を少しでも楽に登るために作った道だ。


---[53]---


 蛇行を繰り返して杭のある場所まで進んでいく。

 それをせずに、点から点を最短時間で一直線に進むのは、普通ならなかなかに骨がいる行動だ。

 俺は魔法で、自身の体を軽くしたり、脚力を上げたり、無理やり移動力を上げて、その斜面を突き進む。

 駆け登ると言うより、跳び登ると言った方が、絵面的にはしっくりくる状態だ。

 うろ覚えながら道じゃない場所に設置された罠を避けながら進む。

 もともと杭の方で何かがあった際、そこから村の方へと来るであろう魔物魔人に対しての防御策として用意された…逆もまた叱りのものだ。

 時折普通の動物も引っ掛かるため、食料調達の手段の1つとしても重宝されていたが、今となっては急ぎたいという気持ちの反面で、罠に引っ掛からないようにと願うばかり、正直言って邪魔としか言いようがない。


---[54]---


 そして杭の方へと突き進む中で違和感を覚えるのは、所々で罠が起動してしまっているにも関わらずその餌食になった存在がいない事だ。

 地震で罠が外れたか?

 だから魔物に容易く村がやられたのか?

 止めるための罠が機能していなかったって言うのならその可能性もあるが、それにしたって村の状態は引きが良すぎる。

 それなりに村にいた時間も長かったはずだが、その間に何も襲ってこなかったのは数のある魔物魔人の群れに襲われていないという事だろう。

 それかそれ以上に強力な何かがいるか…だ。


ドガアアアァァァーーーーンッ!


 その時、先ほどよりも大きく、そして耳が痛くなる程はっきりとした爆発音が空気を震わせて響いてくる。


---[55]---


 爆発音だけを聞いていて、それがそこらの魔物魔人が成せるモノとは思えなかった。

 誰か、村の誰かがそれほどの魔法を使っていたとしても、使用者に全く影響がないとも思えない。

 その爆発の正体が何であれ、普通の状態でない事だけは想像に難くなかった。

 逆にその爆発があった事で、まだ生存者がいるという可能性が大きくなり、歩みを進める足に力が入る。

 村では聞こえなかった他の魔法による音も聞こえるようになっていたが、次第にその数を減らしていた。

 急げ急げと、頭の中で自分に言い聞かせ、そしてやっとの思いで森を抜ける。

 封印の杭があるはずの場所へとたどり着くが、そこは、過去…自分が最後に来た時とはまるで別の場所かのように変り果て、あるべきモノ、無くてはならないモノが無くなっていた。


---[56]---


 そして、その代わりと言わんばかりに、その大きな黒い物体は、自分の存在を主張してくる。

 この大きく開けた空間で一番に目に付くそれ、翼竜、ドラゴンであるそれは、ただただ俺に混乱を招いた。

 でも、それでも、そんな状態の中、ドラゴンが移動している先の存在に目が止まる。

 距離があって細かい所までは見えなかったが、それが人であるという事だけは、この場からでも確認できる。

 そして考える間も与えず、俺を動かす決定的なモノを、その巨体は口から吐き出した。

 それは明らかに、その辺の木の枝とかそういった類のモノではない。


 赤く染まった布切れを纏った…それは人の手だった。


 それを見た瞬間、目の前のアレが敵だと確信した…いや、身体が…、頭が…、アレは敵だと認識した。

 何をするかを考えるまでもなく、俺はその巨体に向かって走り出す。


---[57]---


 腰の直剣を抜き、その刃で自分の右手の平を切る。

 どんな魔法でとか、そんな事を考えてる時間さえ惜しい…、自分が今何をしたいか、あの巨体に何を喰らわせてやりたいか、俺はすぐに思い浮かんだ事をそのまま形にした。

 血で真っ赤になる手で拳を作る。

 感情的に力が入り、切った傷に指が食い込んで悪化するのもお構いなしに、俺は人でも殴るかのようにその拳を振り抜いた。


ガアアァァンッ!


 さっきまでの爆発音とは違う…、大岩でも殴ったかのような鈍い音が響く。

 俺の血を吸って、魔法を発動させた魔力は、あの巨体に見合う巨大な腕を作り、それはなんの迷いもなく、ドラゴンの顔面を殴り飛ばした。


---[58]---


 音の相応しい重量があるんだろう、殴り飛ばされた巨体が地面に叩きつけられた時、ドンッという崖から落ちて来た大木のような音が俺の耳に届いた。

 がむしゃらだった…、力加減なんて無しに、ただ全力で血制魔法を…魔法を…相手にぶつけていた。

 普通なら、あれだけの巨体を飛ばす程の威力を出す場合、それ相応の魔力が必要だ。

 でなければ魔法は不発か…、形になっても普通に使う魔法よりも劣ったモノとなる。

 そうならずに済んだのは、この場所の魔力濃度が村よりもはるかに高い状態になっているからだろう。

 そして、動くモノのいなくなったこの場所で、僅かな静寂が訪れた時、俺の耳に弱々しい声が届いた。

『お…にぃ…』

「…ッ!?」

 最初は聞き間違いだと思った…、聞き間違いであってほしかった…。


---[59]---


 か細く、生気なんて何にも感じない声。

 この状況で、その声を…、それに近い声を…、そんなに弱った声を…、聴きたくはなかった。

 俺は目の前で、ドラゴンが立ち上がる事なんて気に止めず、声のした方へ視線を送る。

 身に着けた衣類はボロボロで、所々元の色がわからない程に濃い赤色に染め上げられた…左右非対称の体の少女は、力なくうつろな目で俺を見ていた。

 現実を受け入れようとする感情と…、それを否定しようとする感情が入り乱れ、感情が表情に出る事すらなく、俺は無表情のまま少女へと近寄り、しゃがんでその頬に優しく触れる。

「あと少し…、あと少しやる事があるから、それが終わったら、帰ろう」


---[60]---


 少女…、ヴィーゼの状態を直視できなかった…、何を言えばいいのか、その場にふさわしい言葉が全く出てこなかった。

 ヴィーゼは自分の頬に触れている俺の手を、残った左手で触れ、苦しみに耐える色が抜けない顔で、精一杯の笑顔を浮かべる。

 俺はそんな少女に対して、少しでも苦しみから解放されるようにと、その体へ血制魔法で治癒を施す。

 血だけでも止まれと、頭の中で傷が塞がるイメージを強く念じた。

「みん…なは…?」

 自分の状態を理解してか、ヴィーゼは自分の心配よりも他人の心配をしだす。

「皆? 村の事か? 大丈夫だ。ジョーゼも姉さんも無事だ。生きてる」

 親子揃って他人の心配…、それで少しでも安心できるならと、俺は答えた。


---[61]---


 そして…。


グガアアァァーーッ!


 後ろでは、あのドラゴンが立ち上がる音が聞こえて…、その巨体から発せられる咆哮が、治療の時間…その終わりと戦いの始まる合図となった。

 戦う以外に何か選択肢は無いかと考えたが、不用意に逃げれば捕まる、しかもヴィーゼを抱えて逃げ切れる未来が見えない。

 相手は空を駆けるドラゴン、しかも空を飛ぶ事に関しては右に出るモノはいない翼竜だ。

 その容姿で、体よりも大きな2つの翼が飾りである訳がないだろう。


---[62]---


 空も飛べず、地上を移動する速さが人間の子供並みであれば話は別だが、それじゃあこの場と村の説明がつかないし筋が通らない。

 この場と村の惨状、その原因があのドラゴンにあると見て間違いないはずだ。

 そんな俺の考えを裏付けるように、地形の変わった広い空間には見覚えのある草花が所々に芽を出していた。

 俺という存在が1人しかいない事が憎い。

 ヴィーゼは悟った顔を見せ、俺から手を離す。

 俺は立ち上がってドラゴンの方を見ると、相手の口からは火が噴き出て、こちらにその大口を開くと、大の大人程の大きさの火球が放たれた。

 俺はすかさず右手を前に突き出す。

 ドラゴンの攻撃がどれ程の威力か、そんなモノは分からなかったが、それでも防ぐ…防げるという自信を持って、魔法を発動した。


---[63]---


ドオオォォーーンッ!

 思い浮かべたのは大きな盾、全速力で突っ込んでくるチャリオットの突進にも耐える盾だ。

 火球が瞬く間に飛んできて、作り出した盾にぶつかる。

 その速さは予想以上で、盾が完成する前に当たったため、不完全な盾はまるで石を投げられたガラスのように砕けた。

 衝撃はそのほとんどを吸収できたが、火球の持つ熱は容赦なく俺を焼く。

 突き出していた手の平は、まるで火を直接触れたかのように熱き、衣類も燃えはしないものの、何か焦げた臭いが鼻を霞める。

 それらを振り払うかのように右手を大きく振ってから、その場から離れるため、俺はドラゴンを中心に円を描くように走り出す。


---[64]---


「…ヒノ…カムイノミ…シュターク…コシネ…セ…」

 頭の中で長槍を想像して、それを血制魔法で作り出し、それと同時に発声魔法で自身に魔法をかける。

「…ヒノ…カムイノミ…ミ…シュターク…マグシクラフト…セ…」

 左手を自分の足に当てて発声魔法を唱えつつ、槍を投げるように全力で手を振る。

 すると、作られた赤みを帯びた槍は、勢いよくドラゴンに向かって放たれていった。

 発声魔法で、体を軽くし、脚力の上げる事で、軽く地面を蹴るだけで、全力で走るよりも速く移動する事ができる。

 ヴィーゼから十分な距離を取って、今度はドラゴンに向かって進み、また同じ槍を作って放つ。

 血制魔法で作られた槍は外れる事なくその巨体に当たるも、その相手の硬さから刺さる事はなく、槍自体が耐えきれずに砕けて魔力に戻り、相手はよろめかせるだけで終わる。


---[65]---


 1本2本と連続で槍を放つも結果は変わらず、ドラゴンは何事も無かったかのように火球を連続で放った。

 1発目を横に跳んで避け、2発目を下に滑り込むように潜って避ける。

 だが思っていた以上に地面が柔らかく、踏ん張りが効かずに転ぶような形で体勢を崩し、3発目を避けられないと悟ると、作ってあった槍を盾に作り変えて防ぐ。

 しかし、さっきよりも中途半端な出来となった盾は容易に砕け、服を焼き、皮膚を焼き、衝撃も殺しきれずに俺は吹き飛ばされた。

 仰向けに倒れ、頭が体の異変に気付き痛みを感じ始めるのを無視して、手を相手に向け血制魔法を発動する。

 ドラゴンにぶつけて魔力に帰り、その周りを飛散する自分の血が混ざった魔力、それをいくつかの球体に変え、俺に向かって火球を放とうとする相手に一斉にぶつけた。


---[66]---


 魔力の球は立て続けにぶつかると同時に、火球には到底及ばない威力だが、それを爆発させる事で、ドラゴンはよろめくだけでなく、その衝撃に耐えきれずに倒れた。

「…ヒノ…カムイノミ…グロー…ザメレン…マグシクラフト…カラ…」

 俺は立ち上がりながら何度も同じ呪文を唱え、その度に周囲の空気が淀み、圧迫感や息苦しさが俺を襲う。

「…ヒノ…カムイノミ…グロー…ザメレン…マグシクラフト…カラ…」

 呪文の効果は、魔力よ多く集まれ、と単純なモノだ。

 しかし、元々の魔力濃度が高いこの場では、集めれば集めるだけ影響が強くなっていく。

 まるで水の中に立っているような感覚を覚え、吐き気はするし、頭痛も…、それらが呪文を唱える度に酷くなっていた。


---[67]---


 だが、目の前の相手の事を考えれば、そんなものは小さな話だ。

 さっきの槍の攻撃、当然手加減した訳じゃないし、様子見のための攻撃でもない。

 相手が魔物魔人、普通の獣だったら、その体を貫通させられると確信も自信も、とにかくあの大きな体に穴を開けるモノだった。

 でも効かなかった。

 それが答え、全てだ。

 興奮状態であり、混乱もしている今の状態では、他に良い案があっても思いつかない。

 今の自分にできる事は、10が駄目なら100で、100が駄目なら1000で、さらに上の力を相手にぶつける事だけ。

 そのためにも、少しでも多く魔力が必要だった。


---[68]---


 魔力で作った刃が、その鱗…甲殻を貫けないなら、もっと単純に物理的な攻撃をすればいい。

 気付けば鼻血が垂れ、それ左手で拭いながら、その手に持った直剣を見る。

 ドラゴンが立ち上がるが、十分な魔力が集まったかは分からない。

 だがやれる事をやるだけだ…と頭の中で自分に言い聞かせ、何本も長槍を魔力で作り出す。

 ドラゴンと俺、お互いの視線が交差し、自分の獲物を見極め、出方を伺い、一瞬の静けさの後、最初に動いたのはドラゴンだった。

 その大きな体を支える足と翼、その両方で瞬く間に高く飛び上がり、大岩が落ちてくるが如く俺に襲い掛かってくる。


---[69]---


 すかさずそれを横に跳んで避けると、後ろからドスンッという音と共に砂ぼこりが体を包み込む。

 視界を奪わせるも、そこにまだあいつはいるという確信を持って、作り出した槍を飛ばす。

 槍の通った部分の砂ぼこりが消え、そこから攻撃がドラゴンに当たるのが見えた。

 相手はよろめいて1歩後ろにズレ、俺はモノを地面に叩きつけるように、そして身動きが取れないよう押さえつけるように、右手を振り下ろす。

 すると、ドラゴンの周囲が赤みを帯びた光りに包まれ、その直後、背中を何かに押さえつけられるように空気が歪み、何かに耐えるような鳴き声が漏らしながら。その巨体が膝を付いた。


---[70]---


 それを好機と見て、俺はドラゴンに近づくと、左手に持った直剣を投げる。

 右手でその剣を取るような動きを見せると、俺ではなく最初にあのドラゴンを殴り飛ばした魔力の腕が作られて、それが直剣を掴む。

 そして、俺は地面をしっかりと踏み締め、ドラゴンの首元に向かって全力で投げつける。

 ガアアァァンッと、まるで大岩をハンマーで殴ったかのような音が響く。

 いまだ砂ぼこりが舞う中で、投げられた直剣が相手の胸、心臓を…とは言えないまでも、それに近い場所を貫いているのが見えた。

 手応えはあった。

 あの硬い鱗を、俺の剣は貫いた。

 相手がなんであれ、それがドラゴンであったとしても、胸に剣が突き刺さってまともに動けるはずがない…ないはずなんだが…。


---[71]---


 ドラゴンは文字通り元気満タン、ピンピンとしたその姿に、一瞬とはいえ気がとられた。

 自分にかけていた魔法が切れた事にも気づかず、その瞬間、俺はただ立ち尽くしていた。


グガアアァァーーッ!


 発する咆哮は空気を震わし、それだけで相手を吹き飛ばさんとするほど力のあるモノで、それが気付けの効果を与えて俺は我に返る。

 自分の状況に気付いて対処しようとしたが、当然間に合う訳もなく、お情け程度の肉体強化を血制魔法でかけたが、そんなもの意味はないと言わんばかりに、鞭のようにしなりをあげながら横に振り回された丸太のような太い尻尾が、俺の体をとらえていた。


『集中しなさいっ!』


 だが、俺に襲い掛かってきたのは、体を破壊する衝撃ではなく、鼓膜を破壊しかねない怒声と倒れる程度の衝撃。


---[72]---


 一瞬、何かが視界に入ったかと思えば、邪魔だと言わんばかりに押し倒され、その直後に俺の上を何かが霞めるように飛んでいく。

『死にたいのなら構わないけど…』

 そしてその飛んでいった何かがすぐに近寄ってきて、俺の腕を掴むと、大の男を持っているとは思えない力で、ドラゴンとの距離を取る。

 直後、俺がいた場所にドラゴンの尻尾が叩きつけられ、重症もしくは死を覚悟しなければいけない流れを2回も回避する結果になった。

『あなたに託した人の為にも、危険の真っただ中にいる時は意識を集中させ続けて』

 俺を助けた人間、声の主は乱暴に俺を投げる。

 一方的にやられたものだから体勢を整える事も出来ずにその場に倒れ込み、体を起こして見上げた先にいたのは譲さん、アリエス・カヴリエーレだった。


---[73]---


「学習できてなくてわりぃな…」

 半ば自分に対しての愚痴の意味を込める。

「まだ戦えますか?」

「ああ」

 自分に襲い掛かった最悪な状況は避けられ、半ば反射的に譲さんの問いに首を縦に振った。

「ではあれを仕留めます。力を貸してください」

「その前にほんの少しだけ時間を稼いでくれ」

「何か算段でも?」

「やらなきゃいけない事がある。あと、攻撃の準備にも少し時間が掛かる。それで相手を倒せれば有難い。駄目なら俺があいつを倒せる見込みが無くなる」


---[74]---


「分かりました。できる限り善処します」

「悪い」

 ドラゴンは1人増えた事で、警戒を強めて攻める事をせずに、こちらの様子をうかがっていた。

 俺は譲さんが腰の直剣を抜き臨戦態勢に入った事を確認して、そこを離れると、真っ先に行ったのはヴィーゼのもとだ。

 死を覚悟する戦いの最中なのに何をしている…と言われれば、言い返す事も出来ないが、それでも気がかりでしょうがない。

 俺は倒れたヴィーゼを抱えて、その場から少しでも安全な位置まで運ぶ。

 無くなった右腕、幸いといえばいいか血は止まっていた。

「…お…にぃ…?」


---[75]---


「俺は大丈夫だ。王都へ行くまでも、村に帰ってくるまでも、怪我なんてしないで帰ってきた。ドラゴンが相手だって俺はまだ元気だぞ? お前達がくれたお守りのおかげだ。」

 そう言って、俺は自分の左手に着けられた少々不格好な手首飾りを見せ、少女は弱々しくはあったが嬉しそうな表情を浮かべて自分の左手に着けられた同じ飾りを見せてくる。

「…よかった…。」

「お前たちのお守りの効果は本物だ。」

「私…戦ったよ…。魔物も魔人も倒した…。」

「そうか。すげぇな。」

「私…大人に…なれた…かな?…」


---[76]---


「当然だろう。お前も立派な大人だ。その怪我が治ったら祝わなきゃな」

「じゃ…あ…、わたし…おにぃ…頼みたい…ことが…」

「何でも聞いてやる。聞いてやるさ…」

 聞こえていたはずの譲さんとドラゴンとの戦闘音が耳に入ってこなくなる。

 何もかも…、体が拒絶しているようなそんな感じで。

 こいつが何かを頼みに来る時はいつも真剣だ。

 些細な事で俺に手間を取らせられないからって一丁前な事を言って、来る時はいつも決死の覚悟で頼み事をしてくる。

 だからなのか、こんな時に、こんな状態のこいつの頼みを聞いてしまうと全て終わってしまう、そんな気がした。

「わた…し…」


---[77]---


「今じゃなくていいだろ。こんな状態じゃまるで最後の頼みみたいで、縁起がわりぃ…」

「…おにぃ…の…」

 俺が言葉を止めようとしても止まる事はなく、弱々しく伸ばされた少女の手は俺の頬をなぞる。

「およ…め……さん……に……」

「…っ!?」

 そして、俺が言い返すよりも先に、その細腕は力を失って落ちて行った。

 とっさにその手を取る。

 力を失い、その目が閉じるその一瞬、少女の願いに頷く事しかできなかった。

 こんな状態でも、生きていてくれたからと、少しでも希望を持っていたせいか、襲い掛かってくる喪失感はとても大きい…。


---[78]---


 そして、俺は一気に現実に引き戻される。

 自分の置かれた場所、自分の力の無さに打ちのめされている時間はなく、その聞こえてくる音は自身のやるべき事、今すべき事を示していた。

 少女の顔についた血を自分の服の袖で綺麗に拭き取り、その苦しみから解放された顔と意味を持った表情に幾ばくかの救いを見出して、俺はやるべき事を果たすために立ち上がった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る