~鉱山都市と白き獣~

~鉱山都市と白き獣~プロローグ


 怒号が満ち満ちている。

 闇が支配していた空を月明かりと朝日が白く変え、燃え上がる炎が地上を照らす。

 何かが燃え、焦げる匂い…。

…はぁはぁはぁ……

 息苦しく、体の節々は悲鳴を上げた。

 手は震え、極度の緊張、恐怖、それらに襲われた彼女の視線は、右へ左へ泳ぎ続ける。

 そして、その視線はある一点に止まった。

 獣…。

 犬か、それとも狼か?

 もはや、元が何なのかわからない。


---[01]---


 元…原形…それらが崩れた何か。

 前足が人の手のように変化し、後ろ脚も本来のソレとは異なる獣が、ジッとその真っ黒な瞳で彼女を捉え続ける。

…くッ!…

 彼女は手に持つ剣を構える。

 入ってはならない、行ってはならない。

 この道を教えてくれた村人は言った、怪物がいると。

 自分が従う隊長は、何を言っているとその言葉を信じる事無く、怪物など…そんなものいるはずがないと笑った。

 隊長は、警戒すべきではという彼女の言葉も聞かず、隊を進める。

 隊の任務は、樹海の奥に見慣れる動物が増えた事による調査、研究者たちの護衛だったが、もうその護衛対象にも息をしていない人間が出てきていた。


---[02]---


 副隊長指示を…、副隊長…副隊長…副隊長…。

 現状、隊の位が一番高い将は、自分。

 分隊の半分を切った部下達に、彼女は叫んだ。

…てっ・・・撤退ッ! 研究者たちを守りつつ、全力で逃げてッ!…

 そして一人…また一人と…、逃げる人間の数は減っていく。

 馬車を走らせ、逃げて逃げて…逃げ続ける。

 樹海から出るため、何とか馬車の通れる道を、来た道を引き返す。

 襲い掛かる獣…、いや、もはや怪物と言っていい存在に対して、少しでも逃げられるように、自分達を追えなくなるように…。

 森を抜け草原に出ても、怪物たちの何頭かは彼女達を追いかける。

…アリエス副隊長ッ!…


---[03]---


 最後の部下が声を荒げる中、彼女は馬車から飛び降りた。

…かの炎、水の中でも消える事無く、森の中にあっても害無きモノに燃え広がる事はない。その奇異な存在が求めるのはただ一つ、主の命のみ…

 被っていた兜を脱ぎ捨てて、セミロングの金髪をなびかす。

 緊張が…恐怖が…、良い方向に転ぶような感情など一切沸いて来ず、彼女の中に沸き立つのは負の感情のみ。

 それでも、これ以上は…。

 守る事を望んだ。

 守る力を願った。

 その力、今使わずしてどこで使うというのか。

…ならば命じよう。炎ならざる炎よ。全てのモノに立ちふさがる壁となれ……


---[04]---


 彼女は手に持った剣を振るった。

 迫りくる怪物たちへではなく、自身の後ろに。

 剣は空を斬り、そしてその野に一線の炎を地面に残す。

 そこから燃え出でるは炎壁。

 彼女を狙う怪物とは別に、馬車を追おうとしていた怪物たちは、その炎壁に行く手を阻まれる。

…行かせない…

 左手には盾、右手に剣を持ち、彼女は…怪物たちを睨みつけた。

 迫りくる怪物たち。

 飛び掛かってくるソレを盾で防ぎ、払う様にその力を受け流して、その大人の人間と大差ない大きさの体が横を通過する。


---[05]---


 1つに対処すれば、目前にはその次が。

 横へと転がる様に避けて次に迫る怪物に斬りかかる。

 剣の切っ先は、怪物の顔、その上あごの皮を斬り、肉を斬り、そして骨を砕く。

 後ろから何かが迫る感覚に、彼女は足に力を込めた。

 まるで血管が鎧越しに浮かび上がっているかのように、その足に無数の光る線が浮かび上がる。

 それはまさに常識から逸脱したモノ。

 彼女が普通に跳びあがる要領で地面を蹴れば、その体は上へ、投げられた石のように軽々と宙を舞う。

 落ちて行く体は、怪物をその目に捉え、落ちる勢いを上乗せした剣を、その切っ先を深々と怪物の体を貫き、地面にまで突き刺さった。


---[06]---


 ガッチリと地面に突き刺さったソレを抜く手間すら惜しくて、躊躇なく手放す。

 怪物は彼女を当然待たない。

 仲間が倒されていく事に何の感傷も無いのか、相も変わらず襲い掛かった。

 左手の盾をもう1つの武器として、怪物を殴りつける。

 腕から外れない様にと取り付けられた持ち手が歪み、皮の紐を止めていた留め具が壊れた。

 バキバキと何かが砕ける音が腕越しに伝わってくる。

 剣を失い、盾を失った中、視界に映る怪物の1体が、体勢を立て直しきれなかった彼女に襲い掛かった。

 ただ襲い掛かられるだけなら、剣が無くても、盾が無くても、どうにでもなっただろうが、怪物の変化した前足…、もはや腕のそれが彼女の身動きを封じるように肩を掴んで、そのまま押し倒す。


---[07]---


…くっ……

 怪物の大きな口が、彼女の顔を…頭を喰ってやろうと大きく開かれ、並んだ牙が姿を現し、だらだらとその血肉を貪るのを待つかのようによだれを垂れ流す。

 肩を押さえつけられる中、何とか相手の首まで届かせた手で、その迫る凶器から自分を守ろうとするが、徐々にそれは迫りくる。

…臭いッ!…

 体勢の問題で全く踏ん張りの効かない中、何とか相手と自分の間に足をねじ込んだ彼女は、怪物の体を蹴り飛ばした。

 頬を伝う怪物のよだれを拭いながら立ち上がる。

 自身の命の危機…、そのおかげで研ぎ澄まされた感覚から、振り返ればそこには別の怪物が。


---[08]---


 がむしゃらに…、しかし相手を止める…倒すという確固たる意思を持って、振るわれた彼女の脚技。

 跳んだ時のように光る脚は、相手の頭の下、首付近に直撃し、水車のように怪物の体を空中で回転させ、そこに追い打ちをかけんと彼女は突き出すように蹴り込んだ。

 ボゴォという音と共に怪物の体は飛び、地面を転がるソレは炎壁へと向かって、そこを通過した所でその体は燃えていった。

…はぁはぁはぁ…。ちょっとツラい……

 高い集中力を維持して、それでいて多を相手にする事で、彼女の疲労は溜まっていく。

 小さく肩が揺れ、息が荒れた。

 視界に映る怪物は1体…2体…3体…。


---[09]---


 まだ倒せていない怪物の数に、表に出さないまでも気が滅入る。

 盾は壊れた、それでも一瞬でも時間が作れれば、剣を手元に戻せる。

 自分の位置、剣の位置、出来る限り怪物の姿を視界から外さない様に目を泳がせていると、樹海の方から獣の遠吠えのようなモノが響いてきた。

…・・・ッ!…

 何かの合図…、怪物たちに狼としての特徴が僅かに残っているのなら、その遠吠えにも何かしらの意味があるはず。

 彼女は身構える。

 剣を探すのを止め、残りの怪物たちの動きを注視した。

 しかし、その時は訪れる事無く、お互いに怪物たちは顔を見合わせて、樹海の方へと走っていく。


---[10]---


 その姿が見えなくなっても、彼女は動く事ができず、その怪物たちが姿を消した樹海の入口を見続けていた。

…疲れた……

 何かの止めが外れるかのように、しばらく経った後、彼女の体は岩でも括りつけたかのように重くなり、その場に膝を付いた。

 終わり…。

 その単語を絞り出し、頭がそれを理解するまでには、幾分かの時間を有し、太陽から放たれた光が地面を照らす。

 彼女の体はようやく、暗闇から抜ける事を許された事を理解した。


 近くの集落…近くの村…、そこに辿り着くまでに、どれだけ歩いたのか、彼女はもう覚えていない。


---[11]---


 樹海での不可思議な現象の連続は、人を遠ざけ、その規模を増していく。

…副隊長、よくご無事で…

 体の節々に治療の痕を残す部下が、彼女を出迎える。

 成人を迎え数回の年越えを迎えた彼女よりも若い、騎士団に入りたての少年。

 その顔は喜びに安堵…といった感情を伺わせた。

…どうなってる?…

…村の人達は、一晩は居ていいと。ですが明日の夜明けにはここを発ってほしいそうです。副隊長と自分を除いて、他の隊員の生存者はいません。研究員は5人いましたが、残ったのは2人だけです…

…・・・そう…

 部下の顔が曇る。


---[12]---


 彼女の表情の変化に気付き、部下も同じように顔を曇らせた。

 任務は失敗した…それは顔を曇らせるには十二分な理由だろう。

…私達はやれる事を全力でやった。あなたには何の罪もない。さっ。こんな所で暗い顔してたら、疲れた体が余計に疲れる。まだ日は高いけど、今日は休もう…

 彼女は、部下の肩をぽんっと叩いて、ボロボロになった馬車へと向かっていった。


 馬車の横に腰を下ろし、膝の上に一冊の本を乗せる彼女。

 その本の表紙を撫でながら、あの時、自分に何ができたのか考えを巡らせる。

 でも、そこに答えはない。

 自分の行動は正しかったと、自分に言い聞かす事しかできないのだ。

…大丈夫ですか、副隊長?…


---[13]---


 そこにコップを持った部下が姿を見せる。

…大丈夫。私の心配をするより、自分の心配をした方がいいよ。慣れない環境にも疲れたでしょ…

…それは…まぁ…

 部下は苦笑いを見せる。

 ぎこちなくも、さっきのような暗さはその表情にはなかった。

…あ、副隊長、これ。村の人が飲んでくれって…、羊の乳を温めたものだそうです。温まりますよ…

…そうね。日が暮れれば気温も下がるし…、ありがとう…

…あ、はいッ!…


---[14]---


 受け取ったコップから立つ湯気が、その中身の温かさ…熱さを感じさせる。

…それは何の本ですか…

 コップの中身を口に含み、その温かさに幾ばくかの安堵感を感じていると、部下の視線が彼女の膝の上に置かれた本へと向けられる。

…国を出発した時にも休憩の時に持っていましたよね…

…よく見てるね、あなた…

…あ、いえ。他の人達はそういったモノに縁遠かったというか、皆装備の点検をしていたのに、副隊長だけその本を持っていたので、目立っていたというか…

…そんなに目立ってた?…

…はい…

…そっか~。そんなものなのね。本を読む事自体は、地味なものだから、目立ってたのは知らなかった…


---[15]---


…副隊長は、本が好きなのですか?…

…好き…とはちょっと違うかも。まぁこの本が特別なんだよ…

…特別…。珍しい本なのですか?…

…特別と言えば確かに特別ね。私のために用意された本だから…

…へ~…

…さっきの質問だけど、内容は魔法使いが守るモノのために戦う話…のような…冒険もの?ん~説明が難しいんだよね…

…そう…何ですか…

…読んでもらうのが早いんだけど…、それもできない…

…できない? それは何でですか? そういう決まりでも?…


---[16]---


…違う違う。文字通り読めないんだよ…

 彼女は、手に持ったコップを横に置き、本を開いて適当なページを部下に見せる。

 しかし、部下の目に映るのは白紙のページだけだ。

…・・・?…

 部下は首を傾げる。

…何か見えた?…

…いえ、なにも…

…うん、だろうね…

 開かれた本に、視線を向ければ、彼女の目にはしっかりと物語を紡ぐ文字の列がページを彩る。

…俗にいう魔法の本とでも言えばいいかしら。この本を書いた人とか、両親とか、私の特別な関係者にしか見えない様に魔法がかけられているんだよ…


---[17]---


…それは、すごい本なんじゃ……

…ん~、どういう意味で凄いというか次第だね。与えられる価値は他人がどれだけ与えてくれるか次第でもあるじゃない? 私にとっていくら大事な本でも、周りの人からしたら、ただの白紙の本、そこに価値なんて見出してもらえない…

…そういうものですかね~。特別な本という意味では、十分すごいと思いますけど…

…そう? ふふ、身近な人以外からそんな事を言われたのは初めてだ…

…あ、すいません。出過ぎた真似を…

…いい、いい。疲れてるのに、会話の中でまで畏まったら余計に疲れるじゃない。砕けた話をしていた方が、気が楽よ。上下関係なんて、私は気にしないし、それを咎める周りの目なんて、もうここにはないんだから…

…それは・・・…


---[18]---


…・・・ごめん、過ぎた言い方だった。今は1人にさせてもらえる?…

…あ、は…はい…

 自分から離れていく部下の背中を追いながら、彼女は自分の失言に苛立ちを覚えた。

…冗談にしても酷い…

 新人ながらに、自分を気遣って話をしてくれたのに何をやっているんだ…、彼女はただただ自分の言動に失望し、自身の余裕の無さを思い知らされた。

 空が夕焼けに染まり始める。

 その赤色に視界を染めながら、体の疲労は限界を迎えそうなのに眠気は何もない…、それどころか熟睡した後に運動で頭をスッキリとさせた後のような…そんなはっきりとした意識である事に彼女は悲しさを覚えた。

 一番安易で、楽な現実の否定。

 現実とは切り離された場所、夢に逃げる事すら…させてもらえないようだ。

 彼女は…そんな辛さののしかかる状態から解放されたくて、灯りを付けたランタンを傍に置き、手に持った本に視線を落とすのだった。


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