第八話…「騎士の不安と魔法使いの緊張」【1】


『…様…。お…様…』

 馬を操る手綱を握り、馬車に揺られながら、ただ前を見続ける。

 そんな私の肩を揺さぶる小さめの手、そしてその主は何度も私を呼んでいた。

「お姫様!」

「え!? は、ハイッ!」

 完全に意識外からの接触に、私の体はビクッと小さく跳ねる程、その呼び声に驚く。

「な、何ですか、ドルチェ?」

 私は、少しだけ焦った表情を見せつつ、隣に座るドルチェを見た。

「ぼ~ッと心ここにあらずで馬を操っては、今か後か、大きな過ちを犯しますわよ?」

「え、あ、ごめん。そんなに私ぼ~っとしてた?」


---[01]---


「それはもう。あたしがお姫様を何度呼んだか、わかっていますか?」

「う、ううん」

 ドルチェの質問に、私は首を横に振る。

「はぁ…。10回、10回ですわ、お姫様」

「あ、あはは…、ごめん」

 遠くから自分を呼んでいるのなら、気づかなかったで済むかもしれないけど、真横でそれだけの回数、自分の名前を呼ばれていた事に驚く。

 それだけ集中力を欠いていた事に、反省せざるを得ない。

「はぁ…、その様子だと、あたしの話は全く聞いてなさそうですわね」

「あ…、うん、ごめんなさい」

「いいですわ。気にしません。でも、今は大切なお仕事中、こう変わり映えのしない道を延々と進むだけの内容で、退屈で仕方ないのはわかりますが、もう少し集中し、やるべき事に専念しないと」


---[02]---


「返す言葉もない…とは、まさにこの事ですね」

「何か気になる事でも?」

「気になる…というかなんというか、サグエさん達にアイセタの討伐を任せても大丈夫だったのかなと…。サグエさんは確かに戦闘慣れをしているとは思う。でも、一緒に行く事を許可したアパッシさんとか、クリョシタさんなどは戦闘慣れしていないと思いますし、この大事な任務中に怪我でもしたら…」

「それはさすがにお姫様の考え過ぎじゃ…。確かにアパッシさんは実戦経験が無く、心配になるのもわかりますわ。でも、あの男の部下にはプディスタもいますし、何より、あたし達の隊の人間も同行しているのだから、余程の不運でもない限り、大事になる事はありませんわ」

「そう…ですかね?」

「はい。一応指揮をする隊長もいるんだから。まぁその隊長が形だけの未熟者かもしれませんが、その地位にいる、それを信じる事ですわ」


---[03]---


「ですね。でも未熟かもしれないとか、滅多な事を言うものではないですよ?」

「お姫様は甘いのです。あの歳で隊長とか、正直な話、真っ当な方法でその地位についたとは到底思えませんわ」

「こらこら…」

「お姫様が努力して地盤を固め、功績を積んで隊長になったのも、つい数年前です。その時ですら、若くして隊長になった人物として、一部で噂になったというのに、あの隊長ときたら、そんなお姫様よりも何歳も若くして隊長とか、ほんと胡散臭さの塊ですわ。その手の話が全然流れてこないというのも、何かしらの意図があるとしか思えません」

「きっと彼もすごい努力をしたと思いますよ」

「そうかしら? お姫様も心配だから、あの討伐隊に加える隊員を多めに入れたのではなくて?」


---[04]---


「え、そ、そうかな」

「そうですわ。巣を攻めると言っても、相手はアイセタ。それに夜の一件で相当数のアイセタは駆除済み。巣にはさほど多くのアイセタはいないでしょう。それこそ特別な異変でも起きない限り、数人の隊員を追加すればいいだけの事。あの男の班にはプディスタもいるのですから。それなのに、10人も合流させるなんて、戦力過多ですわ、絶対。お姫様も、口ではそう言ってらっしゃいますが、内心その辺の未熟者たる失敗に対して、不安がおありなのでは?」

「ん~…、そんなつもりは…」

「はっきりしませんわね。確かに、アパッシさんやクリョシタさんの事を考えれば、安全に尚且つ経験を積ませるという事で、人員を多めに隊に入れるのは、間違いではありませんが…。他に何か理由がおありなのでは?」

「え!? 何の事…ですかね…」


---[05]---


 ドルチェの言葉に思わずそっぽを向いてしまう私。

「お姫様?」

 いつも優しいドルチェの声が低い、冷たい。

 普段はこれでもかと甘やかしてくるが、大切な事はそれ相応の対応をしてくれる、それは彼女の良さの1つでもある。

 そしてこの場合も、彼女が言っている事は間違いじゃなく、正しい事。

「はぁ…。人を多く入れたとは確かに思います。ドルチェの言っている事は間違っていません。ポルコレ総隊長が、ティーレ隊長が指揮をとる、と言った時、正直とても心配になりました。それに加えてサグエさん達の参加、保険を掛けるに越した事はないと思って。それにサグエさんが行くという事はつまり、ジョーゼさんがついて行くという事で…、それだとティカも…。もはや保険を掛けるに越した事は無いというより、保険をかけておかないといけない状態だと、そう思った次第です」


---[06]---


「はぁ…。いくら何でも過保護過ぎでは?」

「う…」

「あたしが言うのもなんですが、あの男とジョーゼさん、2人の成り立ちを考えれば、目を掛けるのもわかりますけど、過度なお節介は相手の自立心を阻害してしまいますわよ?」

「本当にドルチェが言うのもなんな話ですね」

「ええ、そうですとも…。あたしの場合は、ちょっと背中を押す程度、でもお姫様の場合はもはや護衛を付けているのと同じ、というかそのものです」

「う…」

「そもそもそういった護衛という意味では、ティカさんだけで十分なのでは…」

「それは…」

「まぁそれはいいとして、あの男に対して、何か特別な思いがおありなのかしら?」


---[07]---


「え? 特別な思いって…、例えば?」

「ん~…。これだという明確なモノはわかりませんが、少なくとも他の隊員よりも、意識的かそれとも無意識か、どこが優遇しているようなそんな感じがしますわ。まさかとは思いますが、お姫様、あの男に恋心ないしはそれに近い何かを、感じたりしているのかしら?」

「こ、恋心!? まさかそんな。ないですよ」

 思いもしない方向へと話が行ってしまって、驚いてしまったけれど、ドルチェの言葉は何の迷いもなく否定する。

 それでも不審げにしているのが、私を戸惑わせた。

「本当かしら?」

「本当ですって。なんでそこまで信用してもらえないの?」

「お姫様とあの男の接し方は、部下との接し方はもちろん、知人との接し方にしても、少々距離が近いような気がしたので」


---[08]---


「あの男ではなくサグエさんです」

「男の名前など、知った所で意味はないです。それで、どういう事なのかしら?」

「きっぱり言いますね…」

 ドルチェがいつにも増して真剣だ。

「サグエさんとは、文字通り死線を共に超えましたし、彼が大切なモノを失う瞬間を目にしました。そういう点で、他の人達よりも心中を察したり気にかけたり、寄り添って接してあげた方が良いと思ったからです。少なくとも、あなたのいう恋心とかそれに近い感情は、認識していません。何に近いかと言えば、多分弟を気遣う姉のような気分でしょうか?」

「はたから見ていると、姉というより、弄られる妹のソレに見えましたが…」

「うぅ…、そうですか? もう少し威厳と言うモノを、前に出さないといけないかもしれませんね…」


---[09]---


「お姫様が悪いというより、あの男が馴れ馴れしいのよ。なんなのあの態度…。平静を保つのに精一杯で、節度ある接し方ができないとでも? それはそれ、これはこれですわ」

「ドルチェはサグエさんの事が嫌いみたいね」

「好きか嫌いかの話なら、嫌いに分類されますわね。何より、あたしはあの男を認めていませんから。お姫様へのあの馴れ馴れしさはもとより…というか、あの馴れ馴れしさが一番の原因ですが、性格やら器やら、まだあの男を計りきれない。お姫様に相応しい人間なのか、それが分からない内は拒絶します。そうでないと、そもそもあたしは男と言うモノを受け入れられない。上司と部下という関係に相応しい接し方なら文句の1つも言うつもりはありませんが、何度も言いますがあそこまで馴れ馴れしくするのならば、それ相応の力量を見せてもらわないと」


---[10]---


「うわぁ~、厳しいですね」

「当然」

「今の話で行くと、レッツォとは付き合いが長いですけど、ドルチェの御眼鏡には敵ってないみたいですね」

「レッツォは下手をすればあの男よりも評価点が低いですわ。能力は認めますが、それ以外が駄目駄目です。だらしない生活、だらしない食生活、だらしない飲酒にそれに伴うお金遣い。能力だけではダメという典型です」

「でもレッツォはちゃんとレッツォって、名前で呼ぶね」

「それはアレです」

「アレ?」

「もう留年どころか、資格を失っているとか、そういう話です」

「・・・、さすがにそれは…」


---[11]---


「まぁあくまであたしの個人的な評価ですわ。客観的な意見の一つに過ぎないモノ」

「逆に、ドルチェはどうなの? 私の事ばかり気にかけてくれるじゃないですか? その事については、まぁ有難く思いますが、自分の事、ちゃんと考えています?」

「あたし? ええ、考えていますとも、自分の夫に迎える殿方なのですから、理想は高く、希望は小さく、ですわ。時には妥協も必要ですし」

「例えばどんな人ならいいの?」

「あたし自身が魔法を使える身というのもあるので、条件として魔法の腕があたし以上の人かしら。家族思いである事も欠かせません。家事等そつなく熟せるとは言わないまでも、それなりにできる自立した殿方、それがあたしの理想です」

 確かに理想が高い。

「思っていた以上に考えているのですね」


---[12]---


「むしろそういう事、将来の相手の事とか、考える歳だと思いますわよ? あたしも、お姫様も。まぁあたしの事なんかより、お姫様の相手を探す事の方が大事ですが。おじ様やおば様は、その辺の事を聞いてきたりしません? 孫の顔が見たいとかそう言う話はしませんか?」

「そうですね、お父様もお母様も、そう言った話をしてくる事はありません。二人とも、私のやりたい事をまず優先してやりなさいと言ってくれています」

「相変わらず優しい両親ですね」

「ほんと、良くしてもらってばかり。だからこそ、私は二人の優しさに報いるためにも、もっと頑張らないと」

「・・・、そう…かもしれませんわね」

「あ、そう言えば、ドルチェの理想の条件全てに合格した人、知っていますよ?」

「誰ですの?」


---[13]---


「サグエさん。魔法使いの腕はもちろん、家族思いで、料理も美味しいです」

「・・・・・・、ちゃんと前を見て馬を御さないと、危ないですわよ」

「え~…」

 ドルチェのその態度は、まさに聞く耳をもたん、興味ない、の意思表示だった。



 外は天気の良い晴れ模様、当然のように太陽の日差しが、さんさんと照り付ける中、目の前の洞穴にはその光が中にまで届かない。

 その中を知るため、放った光の魔法が、その穴の中を照らす。

 アイセタの群れの総数が何匹だったのか、それを知らない事と洞穴の入口の狭さから、勝手に、中も相応に狭いだろうと思っていたが、全くもってそんな事は無かった。

 しかし、その中はがら空きに近い。


---[14]---


 放たれた光が作る影は1つ、その空間を持て余しているとしか思えない程の小柄な何かだ。

 そこに居る全員が、目を凝らす。

ギャウッ!

 突然の光に驚いたのか、中から聞こえる獣の悲鳴。

 そして、影の主は動いた。

 中に入れた光の逆光で、その全容を見る事は出来ないが、2つの眼光と目が合う。

 その狭い洞穴から飛び出す影、それはまっすぐと俺に向かって襲い掛かり、体を横へと捻りながら避けるが、小さい体に不相応な爪が俺の首を撫でた。

 グルルゥ…と威嚇してくるそいつは、赤黒い毛をしたアイセタ、夜に襲ってきたアイセタ達よりも体は小さく、どちらかと言えば子供…、または若いアイセタといっても違和感はない。

「アイセタの毛は赤黒い色にはならないんじゃなかったか、アルキーさん」

 出てきたアイセタの姿に違和感を覚えつつ、俺は自分の腰から剣を抜く。


---[15]---


 相手はアイセタ一匹、若い獣ながら未熟だからこその大胆な動きをしてくるかも…なんて、不測の事態を頭の隅に置き、体に強化の発声魔法をかける。

 俺自身、自分が思っている以上に臆病者なのか何なのか、万全を期するも額から頬、顎へと汗が流れ出る。

 外の気温とかも汗をかくには十分な気温だが、それ以上に汗の量は多かった。

「さっき言ったようにアイセタの毛は茶色とか灰色、生まれたての子で黒。突然変異でその色から外れる子はいるけど、この子は違う」

「違うって…何…が…」

 俺達の前にいたのは、確かにアイセタだった。

 そいつが地面をその前足で一回二回と叩いた時、俺はその変化に目を疑う。

 体の大きさが二倍三倍とみるみる内に膨れ上がり、気づけば人なら巨漢に分類される大きさに。


---[16]---


 脚だと思っていた前足はその形を腕へと変え、腕は伸び、足は伸び、首から下の毛を纏った皮が破けて、赤い筋肉が露になっていく。

「予想以上に大きくなるな~。若いけど、その割に大きい~」

 アルキーは目の上で、日差しを遮るために手を屋根を作り、興味津々にそのアイセタだったモノを仰いだ。

 呑気なモノだな。

 俺は無意識に感じていたであろう緊張、それの意味を理解したような、そんな気がした。

 アイセタだったモノ、見た目は獣というより人に近いが、二足歩行、二足直立が苦手なのか、体が大きく成りきった後、体を前に倒して手を地面に付く。

 足よりも手が長く、手の平が普通の人間よりも倍以上はあるだろう。

 人に近い姿をしているという事は、魔物ではなく魔人、そして、魔物であろうと魔人であろうと、俺の見た事の無い存在だ。


---[17]---


 俺は剣を握る手が、かすかにふるえていると感じる。

「ちなみにこの子の名前は「ミクリィ」、魔物だよ~」

ギャアッ!

 アルキーにミクリィと呼ばれた魔物は、大口を開けて短く吠える。

 それは事の初めを知らせる合図。

 こちらに向かってくるミクリィは、大きく振り上げた両手を俺目掛けて振り下ろしてきた。

 咄嗟に後ろへと飛び退く。

 自分が今までいた場所に小さな窪みができているのが、その威力を物語る。

『サグエさん、この窪地は少々狭い、上へ上がりましょう!』

 譲さんの部下が声を上げる。

 確かに、ここまで接近した状態での、対魔物、対魔人の戦闘は俺よりも彼らの方が長けているだろう。


---[18]---


「ああっ!」

 その提案に乗るため、簡単な返事をした時、チラッと視界にジョーゼとティカが写り、ティカに対しては、ジョーゼを頼む、そんな意味を込めて小さく頷く。

 ティカはこちらの意図を汲んでか、頷き返すとジョーゼの手を引いて、こちらから離れるように来た道を戻っていった。

 相手の体の大きさを考えて、窪地から駆け上がっては遅い、なら少し無茶だとしても…。

 魔法で既に強化をされているとはいえ、万全以上の効果を発揮させてこそ…。

 ミクリィと再び目が合う。

 足が強化が成されている事を実感しつつ、さらにその足へと魔力を集中させて、相手が攻撃しようとしてくる頃、そんな足で窪地の外へ出るため、地面を強く蹴って跳び上がる。

 まったく調整していない魔力の上乗せによる直接の魔法の強化、足の甲やらふくらはぎやら、筋肉痛になったかのような痛みが一瞬だが襲ってきた。


---[19]---


 予想以上の跳び上がってしまった体、地面を探すように足をバタバタと振ってしまいつつも、何とか着地するが、ミクリィは俺を標的と捉えて、一瞬で窪地から上がってくると、その腕で薙いでくる。

 少しでも薙がれてくる腕から逃げようと、体を横へと倒し、その勢いを使って転がると、俺が今までいた場所と転がっている俺の上を、ミクリィの腕が通過していった。

 力や勢いがあるのか、薙がれた腕が発生させた小さな風が、俺の頬を撫でる。

 止まる気の無い相手は続けて、体勢を立て直せていない俺に対して、手を振り下ろしてくるが、それは譲さんの部下が横から割り込み、その腕を盾で弾く。

 俺は、攻撃を受けるのを覚悟して力が入っていた剣を握る手を落ち着かせ、距離を取る事に専念。

「今だッ!」

 部下の声に、他の部下やアレンも加わって、ミクリィを挟み込み、その体へと剣を通す。


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