第四話…「小さき密航者と焚火の光」【1】


「この辺は道が荒れてるな。ちょっと揺れるから、気を引き締めてろよ?」

 隊長先生の私を気遣う声が聞こえる。

 いつも優しい隊長先生だけど、今日の優しさはその何倍も心に染みる優しさだ。

「は~い…」

 私は振り絞る様に返事をする。

 馬車の荷台、積んであった荷物を横に詰めて、人ひとりが縮こまりながら寝れる空間を作り、隊長先生が貸してくれたマントを布団代わりに敷いて横になる。

 大丈夫だろう…と高を括っていたものの、実際に乗ってみると、その限界は予想以上に早く訪れた。

「うっぷ…」

 朝食に食べた野菜のスープとパン、お腹の中で私に反旗を翻し、今にも私という名の溶解牢獄から抜け出さんと暴れまわる。


---[01]---


 私の状況、状態は至極単純、酔った…、酔ってしまった…。

 この馬車の揺れに抗う事ができなかった。

 不甲斐なし。

 たかだか小刻みに揺れている分際で、私の体調を最高から最低に叩き落しおってからに。

 許すまじ…、許すマジだよ、車酔いめぇ…。

 隊長先生が言っていたように、道の荒さが馬車の揺れを大きくし、安静に寝ている…なんて夢のまた夢…みたいな状態が起き始める。

「おっ…おっ…おッ…!」

 体を横にしているからこそ、その揺れが道の荒さと相まって、とてつもなく寝心地を悪くしている。


---[02]---


「こ…、こ…、こんなんで安静にできるかあーッ! うぷッ…」

 体調の悪さ、寝心地の悪さ、道の悪さ、それら全てに不満を吐き出す。

 同時に胃の中のものまで吐き出しそうになるものだから、慌てて自分の口元をお面越しに手で覆うが、このやり方は当然というかなんというか、効果は薄い。

 その瞬間、私の体は胃の中の暴動に屈した。

 まずい…、頭の中にその文字がデカデカと浮き上がり、それと共に鐘の音を打ち鳴らす。

 私はただただ必死に、荷台の後ろへと、出来るだけ急いで移動する。

 足の踏み場なんてほとんどなく、狭いの一言な荷台の中をつま先立ちで何とか進み出て、馬車の後ろで私を苦しめるモノの仲間を抵抗空しく吐き出す。

 連中は、その解放感から勢いよく地面に跳び下りて、後ろを走っていた馬車や馬たちは私に同情の眼差しを向けつつ、その脱走犯たちから離れるように、道を空けるのだった。


---[03]---


 しんどい…しんどいけど…、ちょっと気分が良くなった感じ…。

 出て行きたがる連中が全員出て行った後の、その余韻、限界まで来ていた苦しみからの僅かな解放、そんな小さな余裕が何よりも心地よくて、なかなかにその場から動き出す事ができない。

『おい、フォー? 大丈夫か?』

「だ…、大丈夫~…」

『その仮面を取れば、少しはマシになると思うんだが、取る気は無いのか?』

「な~い…」

 お面をずらして事を終えた後、口の中や唇付近が、独特な味やら感触に支配されている中、その不快感に近いモノをお面に着けまいと、それを少し上げる。

 その間口元に直に当たる風は心地よく、不快感を少しだけやわらげくれた。


---[04]---


 しかし、そんな状態をいつまでも続けている訳にもいかず、自分の手ぬぐいがどこだったかを探す。

「あ、あれ?」

 いつも持ち歩いているソレが、今は手元にない。

 そして思い出す、横になる時にそこに置いた事を。

「はぁ…」

 思い出したからこそ感じる面倒くささ。

 それでも、今自分に必要なモノであるから、渋々ながら、取りに行こうと荷台の縁に預けていた体重、体を起こす。

 そんな時だ。

 スッ…と視界に白い手ぬぐいが差し出される。


---[05]---


「あ~…ありがとう、シオ」

 隊長先生は馬車で手一杯、その場を離れる訳にはいかず、この馬車の中を移動できるのは、私以外に1人。

 その1人にお礼を言いつつ、差し出されたモノを受け取って、私は口元を綺麗に拭き、持ち上げていたお面を定位置に戻す。

「シオっち、手ぬぐいは今度洗って返すね」

 汚してしまった事に責任を…、私は渡された手ぬぐいを自分の懐にしまいつつ、シオにその旨を伝える。

「フォー、僕がどうかしたか?」

 しかし、そんなシオからの返答は、私が想定していたモノから、少々外れ気味なモノだった。


---[06]---


「あれ?」

 シオの声は、明らかに後ろの方、詳しく言うなら隊長先生の方から聞こえた。

 少なくとも、私の近く、手ぬぐいを渡せる距離からの声ではない。

 その瞬間、その一瞬、私の頭の中が、疑問やら恐怖に支配される。

 幸いなことは、その時だけ気分の悪さを忘れられた事ぐらいだ。

 ガタガタと、私自身の震えか、ただの馬車の揺れか、視界が揺れる。

 恐る恐る手ぬぐいが差し出された方向へと視界を動かす。

 しかし、そこに人の姿らしきものは無い。

 馬車の先頭に隊長先生とシオっちがいるのを確認するが、それ以外にはホント人の姿は見えなかった。

 ここは馬が引きながら走る馬車の上、馬車以外の場所から、コレを手渡す事など、普通は出来るはずもない。


---[07]---


 背中を冷たい汗が流れ、悪寒と共に全身に鳥肌が立つ。

 そんな事は無い、そんな事、あるはずがない。

 私はそう自分に言い聞かせて、改めて馬車の中を確認し始める。

 魔物魔人の類の嫌がらせなんてあるはずがないのだ。

 こんな人の目がたくさんある中で、それを掻い潜り、人に手ぬぐいを渡す魔物魔人なんて、聞いた事は無いし、今まで見てきた多数の図鑑にも、そんな事をする奴の情報は載っていなかった。

 馬車の中をくまなく探す。

 心の臓がバクバクと普段よりも高い音を鳴らし始めた時、荷台の端っこ、丁度私の真横に当たる角に違和感が生まれた。

 布に覆われた丸っこい何か。


---[08]---


 シオっちが荷台の中を確認していったが、私だって荷台の中を見なかった訳じゃない。

 そんな丸っこいモノ、私が荷台を見た時にはなかった。

 後から積まれたのなら知らないのも頷けるけど、そんな様子は無かったはず。

 馬車の横にずっといたのだ。

 私はそうであると言い切れる。

 心の臓がさらに早くなりつつも、問題である違和感に手を伸ばした。

 勢いよくその布をバサッと…は出来ないけど、だけども、中を見るぐらいは私にもできる。

 布の端をつまみ、ゆっくり…とにかくゆっくりと…、それが包む何かを見んとする。


---[09]---


 布をつまみ上げると共に、体が前屈みになり、頭が下に下がった。

 摘まみ上げる動作を最小限に抑えるための知的行動だ。

 その隙間から差し込む光、うっすらと中にあるモノを照らし出す。

「・・・」

 私は見た、知った。

 その布が包み、隠さんとするモノを。

「フォー? 本当に大丈夫? 僕に何かしてほしい事でもあるの?」

「えっ!? ううんッ! ないないっ! 大丈夫ッ!」

 もはや反射に近い。

 こちらに視線を向けて、私の事を心配してくれるシオっちに、とにかく大丈夫だと返してしまう。


---[10]---


 シオっちは、自分の問いかけに反応のない私を気遣ってくれただけ、そんな子に思わずこちらに来させまいと出た言葉がそれだった。

 あまりに不自然だと、あまりに不器用だと思う次第だ。

「そう? 無理はダメだからね」

「え? あ~、うん」

 でも、シオっちは特に不振がるような素振りを見せる事なく、こちらに来ようとしていた姿勢を、また正して進行方向へと視線を戻す。

 終わり?

 普通だったら、おかしいぞ…とか、変だよ?…とか、気遣われてしかるべき返答だったと思うけど、そう言うの無し?

 なんか傷つきそうになる結果だ。


---[11]---


 でも今は、その事について心を痛めている暇はない。

 自分の返答がおかしいかどうかは置いといて、そうしてしまった事に関しては正解か不正解か、それは正直判断に困る。

 いつもなら、自分の興味に一直線だけど、今は体調不良も相まってか、逆に今の私はちょいと真面目ちゃん。

 とにかく…とにかくだ

 今はこの状況を把握する事が先決だと思うのよね、うん。

 布とソレが包んでいるモノ、それは積み荷の影になって、隊長先生とかシオっちからは見えない場所…のはず。

 その中身は怖いモノではない。

 今度は冷静かつ沈着に、布を大きく広げた。


---[12]---


 もちろん、私達の馬車の後ろに見えない様にという配慮もしてあげたとも。

 布に包まれていたモノ、いや、少女は、突然布を剥がされ、自分の目が光を取り込み切れずに、手で光を遮る。

 やはり見間違いではなかったか~。

 僅かな光が当たる事で見えたその赤髪、深く詮索するような事はしてこなかったけど、顔に残る火傷の痕を少しでも隠さんとするため、伸ばされた前髪が見えた事で、その瞬間に彼女だとわかった。

 今は布を剥がした事で、なおの事その赤髪がはっきりと見て取れるし、そもそも髪が…とか言わなくても、その顔を見ればすぐわかる。

「おやおやおやおや…おや…、幼き魔法使いさん、密航は良くない。良くないよ、ほんと」


---[13]---


 私は他の誰にも聞こえないぐらいの小さな声で、その少女へと話しかける。

 馬車の荷台の隅、そこに布にくるまって隠れていたモノ、子は、幼き魔法使い、隊長先生が大事にしている女の子、ジョーゼっちだった。

 本来ここにいるはずのない子。

 そんな子がここにいる…、それは衝撃的な問題な出来事だが、そこで大騒ぎして隊長先生に報告しては、私は確実にジョーゼっちにとって、ただの悪者になり下がる。

 そんなの嫌じゃけぇ。

 隠す事が正解かどうかは、どちらの側に立つかで変わる。

 それなら、私は幼き魔法使い側に立つ事にしよう。

 ジョーゼっちだって、隠れていた以上、自分の行動が怒られる行為だってわかっているはずだし、私が怒ったら怒られる回数が増えちゃう。


---[14]---


 それは可哀そうだ。

 私が思うに、隠しきれる気がしない訳で、それなら今は優しく接するが吉。

 なにより、普段邪魔が入る幼き魔法使いとの親睦を深める絶好の好機、これを逃す理由がどこにあるというのか。

 いやないね、ある訳がない。

「このまま行くと、チェントローノに行くまでに隊長先生に見つかってしまうぞ?」

 でも、一応、一応ね、彼女には自分のやっている事がいかに無謀か、それを教えておかないと。

「何日もそんな体勢でいるのも無理があるし、私が言うのも何だけど、体調を崩すのも時間の問題だ」

 よりにもよってこの馬車は食料を積んだ車、しかもチェントローノで売る商品ではなく、道中で団員たちが食べるための食力、目的地まで手つかずにする…なんてできるはずもない。


---[15]---


 ジョーゼっちの顔には、いつも隊長先生に向ける笑顔はなく、振り絞ろうとしても全く答えの出ない今後の予定に、不貞腐れる子供の表情だけが現れていた。

 可愛い。

 いつまでもその表情を見ていたいけど、ジョーゼっち側に立つ事にした訳だし、少しぐらい今後の対応について、考えてあげないと…と思う。

「まぁなんとかなるよ、たぶん。3人寄れば文殊の知恵って言葉があってだね。1人じゃ無理でも、複数人集まれば良い答えが導き出せる。私とジョーゼっち、きっと良い案が出るさ」

 すぐに解決策が思いつかなかった…とは口が裂けても言えない。


 まぁなんとかなるよね。


 そう思っている時が…、私にはあった。

 時は流れ、長い旅の何回目かの休憩の時。


---[16]---


 私は幼き魔法使いを守ろうと、体調不良を理由にその場から離れず、布にくるまった少女のソレに、誰かの目が少しでも行かない様にと奮闘した、したのだけど、それは長くは続かなかった。

 それ以上の良い策など思いつく事もなく、今、地面に座る私の前には普段は何でも許してくれる…と思う隊長先生が、眉間に深々とシワを刻んで立っている。

 正直、すっごい怖い。

 それこそ、別の意味でお面が外せなくなるほどに…。

 隊長先生からは、そのお面取れよ…て痛い視線が飛んでくるけど、それだけは譲れないと死守した。

 その代わり、お説教が強い気がする。

 ただの馬を休ませる休憩だけなら、何とかごまかせたけど、さすがにその日の移動を終える野営準備ともなれば話は変わり、食事の準備も始まるもんだから…バレるよね…バレたよね…、ごまかしきれる訳がないよね。


---[17]---


 休憩中の時とは段違いに、私達が乗ってた馬車に人が集まるんだから、当然隠せない。

「フォーはいつから気付いていた?」

「え…え~と~…、私が胃の中の暴動を防ぎきれずに溢れさせた時…かな?」

「つまり。車酔いで吐いた時から気付いていたと…。なるほど。だいぶ前から気付いていて黙っていたか…」

 隊長先生は大きな溜め息をつく。

「来ちまったもんはしょうがない。子供一人で帰れる距離は、とうの昔に過ぎているし、どうしようもないな」

「お? ではではジョーゼっちへのお叱り無し!? よかったよかった。ねぇ、ジョーゼっち?」


---[18]---


 私は、自分の横に同じく座らせていた幼い魔法使い、その頭をわしゃわしゃと雑に撫でまわす。

 ジョーゼっちに気付いてから、ずっと胃の痛くなる原因になっていた問題が、1つ解決して私も嬉しい。

 でも、ジョーゼっちの表情が明るくなる事は無く、不貞腐れながら、隊長先生と視線を合わせる事をせず、延々とその足元、地面を睨み続けるだけだった。

「勘違いだな。それはそれ、これはこれだ。俺が言ったのはこの後の処遇の話だけ。やった事へと叱りは、また別問題だ」

「え~っ!?」

「それに、喜んでいる所悪いが、フォーは何の情状酌量の余地無しだ。罰は与える。夕飯は予定の半分、今夜の見張り役に回ってもらう」


---[19]---


「そ、そんな…、そんなご無体なっ!」

「異論は認めないぞ。野営の準備もちゃんとやる様に」

 そう言って、隊長先生はアレンを呼びよせ、ジョーゼっちにできる範囲で手伝いをさせるようにと命じ、こっちの言いたい事は以上だからさっさと動け…俺は今から屋敷の方と連絡を付けないといけない、と言い残して、その場から離れていった。

 ジョーゼっちはアレンの言う事を聞いて、どこかへ行ってしまい、その場には私だけが残される。

 周りの野営の準備で聞こえてくる音が、すごく孤独感を与えてきた。



 太陽が地の果てに沈み、満点の星空が地面を照らす。

 月が満月とは程遠い姿であるが故、さほど明るくはない野営地を照らすのは、隊ごとに焚かれた焚火の光。


---[20]---


 明日の大移動に備え、早めに就寝に入ったからか、人が多くいるとはいえ野営地はとても静かだ。

 大陸全土の商売の集結地とも言えるチェントローノだ、皆そこで各国のお酒を楽しみに我慢しているのだろう。

 王が同じ野営地にいるのだから、万が一にも酔っ払った姿も見せたり、やるべき事をちゃんとできなかったり、そんな姿を見せない様に酒を呑まずに明日に備えます、という心意気でいてくれと、私自身は思っているけど。

 さすがにそれは望み過ぎか。

 私は、周辺警戒をしつつ、巡回を続ける。

 部下を信じると同時に、部下の安全を確保するのも、隊長である私の役目だ。

 そんな時、野営地の外に視線を向けて座り続けるクリョシタと、その横で同じように野営地の外を立ちながら見ているサグエの姿を見つける。


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