~魔法使いと中央国~
~魔法使いと中央国~プロローグ
晴天の昼下がり、娘は街が見渡せる小高い丘の一番高い場所にある巨木の下に座って、分厚い本を膝の上に置き、昼食として持ってきたパンや果物をかじっていた。
…お父さま、隣の家に住んでいたお兄さんの所で、子供が生まれたわ。夜泣きが酷くて苦労しているみたいって、お母さまが言ってた…
そんな娘は、昼食を一時止め、膝の上に置いた本を読み始める事もなく、自分の目の前にたたずむ墓石に語り掛ける。
…街もすっかり元通り。みんなに笑顔も戻ってきた。私は…、私は~、感情に任せて巫女様の所に弟子入りした事を毎日後悔してばかり…
5年前、夜中に獣の群れが街を襲った。
人が襲われ、建物が壊され、何人もの人が命を奪われた。
娘の父親もその一人。
---[01]---
松明を片手に、夜闇へとその身を…。
騎士としての本懐を果たした…、周りの人間はそう言って、父親を称え、その命が守ったモノを見られるようにと、この丘の上に墓地を立てた。
娘にとっては、周りの人間が言っている言葉なんてどうでもよくて、父親を見送る事しかできなかった自分を嫌った。
父親の事だけじゃなく、昨日まで一緒に勉強をしていた、女の子が、男の子が、今日はもうモノを言わぬ人形に変わっている、そんな光景が、悲しくて、辛くて、悔しくて…。
娘は、目元を泣き腫らし、「星詠みの巫女」がいる灯台の門を叩いた。
感情に任せた行動、しかしやってしまったという思いはあれど、そこに後悔はない。
---[02]---
…来る度に言ってる気がするけど、ここに来るのは結構大変。それなりに高いし急こう配だし、でもまぁ、昔と比べたら息を上げずに上がって来られるようになってきたし、私の成長具合もなかなかかな。これも巫女様の辛い訓練のおかげ…
娘が父親に語り掛ける話は、近況報告や愚痴。
何気ないこの時間が、娘にとってかけがえのない、気晴らしの時間となっていた。
…この前ね。巫女様に、また新しい本を貰ったよ。これで何冊目なのか正直覚えていないけど。最近じゃ、魔法の本だったり、剣術の本だったり、退屈な本ばかり読まされていたから、今日はここに「物語の続き」の本を持ってきちゃった…
墓石に見せつけるように、娘は膝の上に置いていた本を持ち上げる。
…今までもらってきた数ある本の中で、お父さまと一緒に読んでいた本の続き。お父さまにだけ見せないなんて、意地悪な事はしたくないから、今日はここで読む事にしたの…
---[03]---
嬉しそうな表情、笑顔を浮かべて、娘は本を開く。
…一応言っておくけど、巫女様の訓練が嫌で逃げてここに来た訳じゃないからね。それだけは本当…
誰かが疑いの目を向けてきている訳でもなく、自分の行動を肯定するために言葉を漏らす。
自分は悪くないからと言い聞かせるように出した言葉だ。
…魔法の勉強の時間だというのに、部屋に来ず、全く別の場所にいる人間の言葉とは思えませんね…
いざ本を読もう、そう思った時、どこからともなく聞こえてくる声に、娘の体がビクッと跳ねる。
そして、目の前、自分と墓石との間に人影が浮かび上がった。
---[04]---
それはまさに影。
本来地面に浮かび、モノの真似をするだけの影が、立体に浮かび上がったかのように、そこに立つ。
でも決して、その見た目や姿に娘が驚いた訳じゃない。
驚いた理由はその中身だ。
…み、巫女様、ど、どうしてここが……
その影を操るのが、娘の師である星詠みの巫女、だからこそ彼女は驚いた。
行き先を伝えず、人知れずこの場所に来たというのに、巫女は、ここに娘がいる事を知っていたかのように姿を現す、その事に驚いたのだ。
…何回も勉強を抜け出されているのですから、行き先は普通気になると思いますけどね…
---[05]---
…うぅ…
…今までは、あなたにも息抜きは必要と思い、深く言う事はありませんでした。でも、そろそろ理由の1つでも聞いておかなくてはと思い、こうして現れた次第です…
…それはまた、お手数かけます…
…72回…
…はい?…
…あなたがこの一年で勉強を抜け出す回数です…
…ん…、んぅ~…、そんなにでしたっけ?…
…ええ、だからこそ、今回ばかりは理由を聞かせてもらいますよ…
…そ、それは……
---[06]---
…今すぐでなくても結構。ちゃんとした理由を考え、後日これだと思える理由を教えてください…
娘の背中を冷たい汗が流れ落ちる。
口調は、別に怒っている訳ではない、勉強を受けてもらえず悲しんでいる訳でもない。
淡々と巫女は娘へ、要件を述べ、そして返答を待たずにその影は、靄のように消えていった。
…はぁ……
思わぬ人物の登場に、娘は思わずため息をつく。
人の型だけを切り抜いて立てたかのような見た目なのに、本人がそこにいて、隅から隅まで見尽くされているかのような、見透かされているような感覚が娘を襲い、巫女が消えていった後も、その圧迫感は消えなかった。
---[07]---
あれが苦手だ…、娘は墓石の前にいるかもしれない父親にも聞こえないくらいの声で、そうつぶやく。
巫女自身はここに来ていない。
今、自分はそこにいて、あなたに話しかけているんだと、わかりやすくしていった結果だ。
元々は、声が聞こえてくるだけ。
今なら何も感じる事は無いけど、弟子になった当初の娘は、怖くて怖くて泣きじゃくる事ばかりだった。
多分それもあって、苦手だった巫女に対して、その感情に拍車がかかり、今では苦手意識ばかりが先行する毎日だ。
そんなこんなで、あの影の何かは、怖がる娘に対して巫女が配慮をした結果。
---[08]---
だから娘自身は、苦手意識はあっても、巫女を嫌いになる事は無い。
むしろ、その優しさが好きだ。
確かに苦手意識が、勉強から抜け出す理由の1つになってはいるのだけど、抜け出す大元の理由はそこではなかった。
…みっともない所を見せちゃったな。まぁ自分のせいなのだけど…
開いた本を閉じる。
…最近、獣が凶暴化して暴れる事件が多くなっているんだって。どの獣、動物も、知った動物のはずなのに、どこかしら違った特徴があって、完全に一致する方が珍しくなっているって…
娘は誰に言われた訳でもなく、観念したように口を開く。
…お父さまが、最後に私へ笑顔を向けてくれた日と一緒。村か、街か、旅人か、行商か、はたまた野営中の騎士か…、相手は関係なくて、昼夜も関係なく人を襲う。大雑把に見れば、本に記された動物と一緒なのに、どこかしら違う特徴を持つ動物。まるでこの本に出てくる魔物達みたい…
---[09]---
娘は沈み続ける気持ち、感情を少しでも外へ吐き出す為に、溜め息と共に全部吐き出して、一度強く自分の頬を叩く。
…さっきも言ったけど、巫女様の訓練とか勉強とか、それが嫌になってここに来てる訳じゃないから。人を襲う動物の事件を聞いてから、自分が魔法を…力を必要とする理由を思い出すようになっちゃって、それが勉強をする度に頭に浮かび上がってきて、それが怖くてさ。でも、なんでかここに来ると怖くなくなる。ここに来ると…、自分が魔法を勉強しようとした理由を思い出せる。ほんと不便極まる状況よね。勉強の時は嫌な方の理由を思い出して、ここに来ると良い方の理由を思い出す。どちらも一緒、1つのはずなのに、別々に思い出すなんて…
巨木に背中を預け、半ば寝るような体勢になりながら、少しばかり混乱した頭を整理する。
---[10]---
…きっとあれね。巫女様は好きだけど、その力に対する苦手意識が、悪い方の記憶を思い出させるとか、そんな感じ。だから巫女様は悪くなくて、全部私の問題。全く、不便な体よ、もう…
この場所が娘にとって、落ち着く場所、愚痴をこぼせる場所、自分をさらけ出せる場所、そんな特別な場所だからこその、気持ちの切り替わりが原因だと、娘はこぼす。
…はぁ、今後の課題かな…
自分の事を思い返し、より一層のため息が零れた。
…それにしても、巫女様の魔法、すごかったな。お父さまもそう思わない? 全てを見通すとされる星詠みの巫女様。その力が本物なんじゃないかと思える程、隠し事ができないし、さっきの事も含めて…
---[11]---
付け足すように、今回のは私の単純な失敗だけど、とぼやく。
…それでいて魔法まですごいとか…
さっきの一連の出来事も、自分の言葉を相手に飛ばす魔法、特定の場所に何かしらの幻を作り出す魔法、娘からしてみれば、その片方だってできないのに、それを同時に使うのはただただすごいの一言。
苦手苦手と言っても、その力は娘にとって、この人の弟子になってよかったと思えるモノの1つだ。
…私もいつかあんなすごい魔法を使えるようになりたい。巫女様は私にもできるようになるって言ってくれはするけど、全然。はぁ、巫女様の言ってくれる事を実現するためにも、勉強をちゃんと受けないとな…
愚痴は自虐一色、反省の言葉ばかりが口から洩れた。
---[12]---
…はいッ! 反省終了…
そして娘は、丘にパンッ!と響く程、自分の両頬を強く叩く。
一種の切り替え、思考を巫女がここに現れる前に戻す。
…本の主人公のガレスも、きっと今の私と同じ気持ちなんだろうなって思う。原因があって、それが引き金になって新しい事をする、でもそれをする度に原因になった出来事を思い出す。その身に起きた事は違うけど、やろうとする事は、辛い記憶で自分を蝕む事になる。あと、その物事に対しての向き合い方は、ガレスの方が良いな。今の私は逃げてばかり、でもガレスはその問題の解決に突き進む。私もガレスみたいに強くありたい…
何気なく娘は本のカバーを撫でた。
その行動に何かしらの効果がある訳じゃない。
何となく、娘は、それで少しでもガレスのように足を前に向けられたらなと…そう思った。
そして、一呼吸おいて本を開く。
最初の目的である父親に話を聞かせるため、その物語を優しい声で読み始めた。
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