第二話…「魔法使いの弟子と騎士の弟子」【1】


 宮廷に行ってから数日。

 向こうから、新たに何か言ってくるという事は無い。

 だから言われた事を考えるという時間を得る事ができた。

 まぁ考えると言っても、大きな責任を背負う事になるという事以外には、理解できている部分はさほどない。

 俺は騎士でもないし、国に仕えている魔法使いでもないのだから。

 俺はただの魔法使いだ。

 杭の守護者だった事は普通ではないと思うけど、それでも譲さんのように国を守らなければ…なんて感情は大きくはなく、あっても人並み程度。

 そんな俺が、国…ないしは大陸の一大事に対して動く国の代表になれ…と言われても、どうすればいいのか…どうしていいのかわからない。


---[01]---


 それに問題はそれだけじゃないようだった。

 最近の日課となっていた薪割りを一通りやり終え、俺は薪割り用の台に腰を下ろして、宮廷での話を思い返しつつ、ふと自分の右腕へと意識を向ける。

 腕に巻かれた包帯、それを新しい物に取り換える以外の理由で初めて外す。

 赤く焼けただれ、所々包帯が引っ掛かり痛みを覚える。

 風が当たれば異常に寒さを感じ、太陽の日差しが当たれば痛いとすら思える熱さを感じる腕。

 普通の火傷とは違う印象を受けるそれは、これでも幾分かマシになっているし、もう少し治れば日常生活にも問題ないだろう。

 それは良い知らせかもしれないが、それでも俺の顔は暗いままだ。

 自由に動かせる腕、治る腕、そう言ってしまえば聞こえはいいが、完璧じゃない。


---[02]---


 その腕からは、魔力を…自分の魔力を感じる事ができなくなっていた。

 傷を治癒する魔法が存在するのに、右腕の回復、その終わりが見えないのもそれが原因だ。

 あの魔法は、あくまで魔力で体の血管のように張り巡らされている魔力を扱う部分に干渉し、その力を使って負傷者本人の治癒力を高める事で回復させる。

 しかし、俺の右腕にはもうその魔力を扱える部分が無いそうだ。

 正確には重度の火傷が原因なのか、それが全く機能していないらしい。

 だから、内側からも、外側からも、とにかく魔力を操る事の出来なくなった右腕は魔法による治癒を受け付けず、自然な治癒を待つ事しかできなくなっていた。

 まったくもって酷い話だ。

 魔法使いが部分的にとはいえ魔法を使えなくなるなんて…。


---[03]---


 そんな事、今まで考えた事も無かった。

 おそらく、今、俺の頭を支配している不安の半分はこの事だろう。

 宮廷に行った時、補佐をやれと言われたのとは別に、騎士団の魔法使い達に魔法を教えてやってほしいとも言われた。

 補佐はともかく、魔法を教えるぐらいならとやる気を見せたのも束の間、今まで安静にしていた右腕の経過を見るのも兼ねて、魔法を発動しようとした時に、今の右腕の状態に気づいたが、以外にもそこにはさほど驚きはなかった…そこに自分は驚いた。

 包帯越しに、負傷中で感覚が鈍くなっているだけだと思い込もうとしていただけで、何となく薄々気付いていた事だったのかもしれない。

 ただ使えなくなっているという確証を得ただけ。

 この傷を診てくれていた医者は回復に専念してほしいからと、あえて教えずにいたのかもしれないけど、俺も魔法使い、医者に言われるよりも前にその答えに行き着いた。


---[04]---


 腕の状態は残念だし、悲しいし、不安でたまらないが、正直、今は治ってほしいとか、無くなってほしいという感情は薄い。

 これは証。

 村を失った事の証、背負っているモノがあるという証明だ。

 そんな事を思いながら、俺は右腕に包帯を巻いている時、後ろから強くもなく、かといって弱くもない衝撃に襲われる。

「うおっと…」

 危うく座っていた台から前に倒れそうになるのを堪えつつ、自分の背中へとできる限り視線を向けた。

 そこにいたのはジョーゼで、村にいた時と変わらない無邪気な笑みを浮かべている。


---[05]---


「どうした? ティカとの仕事が終わったのか?」

コクッ!

「そうか、お疲れさん」

 メイドとしてティカの手伝いをやっている時は大人しいものだが、こうやって仕事を終えればいつも通りの姿に戻る。

 服がメイド服のままだから、こちらとしては調子が狂うけど、それでも元気な姿を見せてくれるのがありがたい。

 むしろ元気過ぎて心配だ。

「どうした?」

 しかし唐突にその笑顔が真剣なモノへと変わる。

 ジョーゼの視線が俺の右腕に向けられている事に気付く。


---[06]---


 その表情には、どこか不満げで怒っているような印象も受けるけど、その中に時折悲しそうな色をチラつかせた。

「大丈夫だよ。だんだん良くなってる」

 正直、理由も無く他人にこれを見せるには、いささか醜すぎるように思う。

 だから途中だった包帯を巻く作業を再開した時、包帯を巻く左手からジョーゼは包帯を取り、俺の代わりに巻き始めた。

 そんな事しなくていい…そう言おうとしたけど、ジョーゼの顔を見たらそれを言う気も無くなる。

「ありがと。自分で解いておいてなんだが、やっぱり片手で包帯を巻くのは大変で」

コクッ。


---[07]---


 その瞬間、俺にお礼を言われた時のジョーゼの顔は、安堵の色に包まれていた。

 メイドとして何かをしている時はそれで頭がいっぱいだからいいのかもしれないが、それが終われば使用人から1人の少女に戻る。

 右腕の状態を見た時、最初はその怪我の醜さを見ていたと思ったけど、もしかしたらそうじゃないのかもしれない。

 小さな女の子には重すぎるモノを背負わせている事は分かっている。

 そしてそれは俺が思っている以上に些細な事で倒れる結果にもなるかもしれないと、そう思った。

 時間が経てばその重くのしかかっているモノは軽くなっていくだろう。

 軽くなるまで、1人でも歩けるように、前に進んで行けるように、俺が手を引っ張ってやらないとな。


---[08]---


 まずは、こいつにとって役に立つ事を教えていかないと。

「ジョーゼ、お前は、まだ魔法に興味はあるか?」

 身の回りの仕事とかは、ティカから教えてもらえるし、手伝いをしていれば自然と覚えていけるだろう。

 だから俺は、俺にしか教えてやれない事を教えるだけだ。

 きょとんとした顔のジョーゼに対して、俺は言葉を続ける。

「これはお前次第だが、もし、お前がまだ魔法を身に着けたいと望むなら、俺はそれを止めないし、できる限り教えてやるつもりだ。もちろん、お前がやめたいって思ったらやらなくてもいいし、今やらなくて、時間が経って魔法を覚えたいと思ったらその時に教えてやる」

 俺に教えられる事と言ったらこの程度だ。


---[09]---


 そんな事をせずに、ただ一緒に居てやるだけでもいいのかもしれないが、ジョーゼも魔法使いの端くれ、この事をうやむやにして進もうとすれば遺恨が残る。

 仮にでも決めさせた方がいい、今決断できなくても、そういう選択肢があるという事を教えておきたい。

 ここでやらないと言っても、完全に魔法を捨てるという事にはならないって教えてやる意味も、そこにはあった。

 今の俺は、魔法という単語を出す事で、未だ癒えぬ傷の痛みを呼び覚ます結果にならないかと、そんな心配が頭を過って大変な所だ。

 魔法なんてもういらん…なんて言われるのも、相当な痛みを俺に与えるけど、それはまた別の話。

 そして、今後魔法という存在をどうするのか、その質問をされた当の本人、ジョーゼは、最初はポカーンと理解できていないような表情だったが、その後すぐに驚きにも似た表情へと変わる。


---[10]---


 そして、嬉しそうに目を輝かせて力強く頷くのだった。

 そんな反応に、良かったと安堵する反面、そんなにも嬉しそうにしている様子に驚く。

「よかった」

 質問した俺の方がちょっとした混乱状態になってしまっているが、これで問題解消だ。

 ジョーゼにとっても1歩前進できたと思う。

『・・・』

 肩の荷が1つ降りた所で、建物の中に入ろうと腰を上げた時、これから向かう先、建物の影からこちらを覗く眼光に気付く。

 その2つの眼光は、こちらが隙を見せるのを今か今かと待つ狩猟本能全開の獣の如く、こちらに視線を向けていた。


---[11]---


 驚きを通り超して怖いとすら感じるその狩猟犬は何をしているのやら。

「俺が薪割りを終えるまで、あんたはずっとそこで覗いてたのか?」

「そんな訳ないじゃ~ん、ティカそんな暇じゃないよ。何処かその辺の変態と勘違いしてないか、ご主人?」

 比べる程の変態と知り合ってるわけないだろうに。

「ティカが覗き始めたのはジョーゼちゃんがそっちに行った時からだって」

「どちらにしても同じ事だろ。長いか短いかの違いしかない」

「あっはっはっ。ご主人の汗の光る筋肉が織り成す凹凸の影を観察するんだったら、それこそ1日中張り付いた時ぐらいしか見ていられないよ~」

「身の危険を感じるような言葉をサラッと吐くな」

「はっ!? そんな事より、ご主人、もう薪割りはおわりけ? おわりけ?」


---[12]---


 俺の心配を払い飛ばすティカは、薪割り場の片付けられた様子に垂れた犬の耳を一瞬だけピンッと立たせ、待ってましたと言わんばかりに俺との距離を詰める。

 そして何かをねだる、期待したような目をこちらに向けて、何度も終わりかどうかを聞いてきた。

 いつもは何だかんだと回避できていたが、今日は完全に逃げ遅れたらしい。

「そんな目で見るな。終わった、終わった。好きなようにしてくれ」

「その言葉を待ってたよ、ご主人! あ、ジョーゼちゃん、奥様がお茶をしましょうって呼んでいたぞ。ご主人も用が済んだら行くから、お茶が冷めぬうちに向かうのだ」

コクッ。

 ティカの言葉に頷き、小走りでジョーゼは建物の中に入っていく。


---[13]---


 村にいた頃だったら全速力で走っていただろうに、そういう点は変わったモノだ。

 未だ本調子ではないのか、それとも村とは違うこの場の空気に当てられたのか、はたまたティカの教え方が良いのか…。

「さあご主人、ティカ達も行くぞ~」

 彼女の見た目相応のいくらでも抗える力で引っ張られながら、俺達も建物に入っていく。

 この様子では、ジョーゼの変化は後者ではなさそうだ。

 まぁ元から在って無いような可能性だったが…。

 そうして向かった先は風呂場だ。

 薪割りをするようになって、その度にやらせろやらせろと言っていた事、宮廷に行った日にも言っていたが、その日を含め数日、ようやく願い叶ったりといった感じだろうか。


---[14]---


 彼女の世話のしたがりはここまで来ると、ある意味で恐ろしく、それと同時に彼女を突き動かすモノに興味が出る。

「あっは~。ご主人は本当に魔法使いとは思えない体つきをしているな~。だからと言って、その辺の体自慢みたいなガチガチ体形じゃない。ほんといつ見ても惚れ惚れするぞ」

 自分の体を褒められるというのは嫌な気分はしないが、彼女に褒められるのは素直に喜んでいいのか怪しい所だ。

 風呂に入る時、高確率で彼女がいる事が多いし、その度に裸を見られて今みたいな事を言われるモノだから、喜ぶかどうかの部分もわからなくなっているし、何より、女性に見られているというのに対して、恥じらう感情も無くなった。

 それは別に悪い事ではないにしろ、何か損をしているような気がする。


---[15]---


「うふふ~」

 あくまで慣れたのは見られる事で、洗われる事に関しては未だに慣れていないが、とりあえず、この状況になったら無心になって身を委ねるのみだ。

 しかし、いつもなら終わるまで楽し気に体を洗い続けるティカが珍しく口を開いた。

「ご主人、さっきはジョーゼちゃんと何の話をしていたんだ? ティカもびっくりなぐらい可愛らしい笑顔を見せていたけど」

「魔法の事でちょっとな」

「ほ~、魔法とな。そういえば、ジョーゼちゃんも魔法を使えたんだったか?」

「俺の知っている限り、基本は発声魔法だ。だから今のあいつには難しい」

「なるほどなるほど、それで?」


---[16]---


「魔法にまだ興味があるなら、教えてやるって言った」

「だからか。あの笑顔にも納得がいったぞ」

「まさかあそこまで喜んでくれるとは思っていなかったからな。こっちとしては魔法なんていらないって思われている事を覚悟していたし、あいつが魔法への興味を失っていなくて一安心て所だ」

「むむ、その辺はご主人よりもティカの方がジョーゼちゃんの事をわかっている感じで誇らしいぞ」

「ん? それはどういう意味だ?」

「むふふ~。ご主人は、ティカなんかよりもジョーゼちゃんとの付き合いがずっとずっと長いんだから、それを他人に聞いちゃいけんぞよ」

「ほぅ?」


---[17]---


 会話で洗う速さが鈍っていた彼女の手が再びいつも通りの手際の良さに戻る。

 無言の質問禁止の意を示したモノだろう。

 それを証明するかのように、いつも以上に真剣な手際の良さを見せていた。

 しかし、何をわかっていないのだろうか。

 魔法を教えてもらえる事を嬉しく思ってくれたからこその反応、俺の思った事とは別のモノをティカは感じたのだろうか。

 ここにきて一か月そこそこだろうに、それが本当なら驚くべき事実だ。

 しかし、彼女は他人、特に自分が世話をする相手を見る目は少々特殊…というか、怖くなる程に力の入りようを見せるし、あながち冗談ではないのかもしれない。

 俺は、ティカの言葉に惑わされつつ、体を洗われ続けるのだった。

 その後、招かれるがまま、譲さんの母であるマドレの御茶会に足を運ぶ。


---[18]---


 目的自体は単純、お茶会と言うだけあって、焼き菓子やお茶を嗜みつつ話をするモノだ。

 村でも、小腹の空き始める昼下がりに何かしら腹に入れる事はあったが、こんな風にその行為自体を楽しみつつ話をするような状況は稀で、最初はとても新鮮だった。

 そして今は、その話の部分で俺やジョーゼのために役に立つ話を知れくれる簡易的な勉強会のようになっている。

 まぁそればかりではなく、昔こういう事があったとか、譲さんは昔こういう子供だったんだとか、役に立つのとは違う話もあったが…。

 ジョーゼにとっては聞く事のほとんどは知らない事ばかり、昔話を聞く子供の用に楽しむ時間となっていて、マドレにとっても、話し相手ができたという意味で、この時間は有意義な時間なようだ。


---[19]---


 もともと体が弱いらしいマドレにとっては、このお茶会の場は数少ない娯楽の1つ。

 俺達が来るまでは、そのほとんどを自分と使用人とでテーブルを囲んでいたらしいが、使用人である以上堅苦しさ等が抜けずに結局1人でお茶を楽しむ事が多かったそうだ。

 彼女の夫であり、譲さんの父は兵学院で指導をしている事から、夕食や朝食は一緒に取れてもそれ以外となると厳しく、譲さんに至っては騎士団員としての仕事から王都を離れる事も少なくなく、そもそもこの屋敷で生活をしている訳ではないから、お茶会の席に出席する事がほとんどない。

 その2人とも、時間が取れれば率先してお茶会の席に着くようにしてはいるらしいけど、それでも限界があった。


---[20]---


 だからなのか、俺とジョーゼの存在は彼女に良い影響をもたらしたのだとか。

 いつも以上に明るくなって元気な日が増えたと、譲さんは言っていた。

 俺達がここに来る理由に至っては不幸な事なのかもしれないが、その後の事、結果は悪い事だけじゃなかったというのは良い事だと思う。

 そこで1つの考えが浮かび上がって来た。

「ジョーゼ、さっき言った魔法の事、今ここで始めようか」

 そして俺は、話の一応の区切りが見えた所でそう切り出した。

 マドレにも、事情を説明すると、彼女自身魔法に興味があったのか、快くこの場を借りる事を承諾してくれる。

「正直、教えるって言ったはいいが、何を教えればいいか迷った。ここじゃ、狩りをする訳でもないし。だからまずはジョーゼにとって為になる事、特にこのお茶会の場で役に立つ事を教えようと思う」


---[21]---


 ジョーゼができる主な魔法は発声魔法だが、声が出せない以上それを用いた魔法を教えた所で意味がない。

 魔法の基礎の1つである発声魔法が使えない以上、何をするにも習得レベルは上がってしまうだろうが、それでも問題ない基礎中の基礎、その応用でできるモノを教える事にした。

 そして、いちいち教えるのも面倒だからと、実際にやって見せる。

 左手の人差し指に意識を集中させて、一気にその指を走らせた。

 指がなぞられた空には、乾いた地面を濡らす水の線のように指が通った場所を途切れる事なく赤い線が結んでいき、最終的に結ばれた線を2人に見やすくするため、クルっと回転させると…。

…これをできるようになってもらう…

 と1つの文章が空中に出来上がり、2人が十分に読み取れるだけの時間が経過した所で霞のように消えていった。


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