第7話 嘘も方便

「おはよーございまーす」

 翌朝八時。予定より早く着いた尋を待っていたのは、既に到着していた翔子と唐澤だった。二人して何か荷物の整理をしている。

「やあ、早かったね」

「唐澤さん達こそ、こんな朝早くからどうしたんです?」

「決まってるだろう?」

 そう言って唐澤は手に持っていた筒状の物体を見せ、ニヤリと笑った。

「来を討つ為の準備さ」

 ……それは、筒と言うにはあまりにも複雑過ぎた。

 複雑な機械で、大きく、重く、そして具体的過ぎた。


 それは正に、スナイパーライフルだった。


「……って、なんて物持ってるんですかっ!?」

 どっかのダークファンタジー漫画みたいな感想が一瞬頭を過ぎるが、思わず突っ込んでしまった。

 来を討つ・・と言うよりは、撃つ・・為の準備の間違いではないか。

「ん? ああ、これはウィンチェスターM70というアメリカ製のモデルを弾に合わせて改良したものでね、元は狩猟用にモデリングされたんだが、対人用にも使われるようになって、ベトナム戦争でもよく使用されていたんだよ」

「成る程……ってそうじゃなくてですね」

 何故こんな物騒な物が普通に部屋に置いてあるのか。

「銃刀法違反、なんて事言わないでくれよ。何度も言うが我々は警察だ。超法規的措置で使用が許可されている」

「それは、そうかもしれませんが……」

 しかし、こんな物を持ち出してどうするつもりなのだろうか。

「無論、策はある。これはその為の物さ」

 そう言って唐澤は片目を瞑って見せた。

「じゃあ、作戦会議といこうか」





「まずは、昨日尋君が帰宅した後分かった事について話そうか」

 会議室で、唐澤は尋と翔子に数枚の資料の紙束を渡した。その一枚目には来の顔写真の他、性別や年齢などが記載されている。身上記録だろうか。

「新島来、二五歳。母親はかつて空き巣に遭遇して殺害され、父親もその数か月後に自殺。兄弟も親戚もいない」

「……独り身、ですか」

 尋の言葉に翔子が肩をぴくん、と震わせる。尋と同じく、思う所があったのだろう。

「前歴も無く、補導歴も無い……が、一つ、気になる事があってね」

「気になる、事?」

「来の母親が殺害された件だが……当時小学生だった来は、犯人に脅されて母親に『噓』を吐いて油断させてしまい、その隙に母親は殺されたという記録が残っている」

「『嘘』で、母親が……」

 来の経歴に出てきた『嘘』という言葉に、尋は敏感に反応した。

 昨日の時点で発覚している来の『罪ちから』の性質は『嘘』だ。ひょっとするとその事件が切っ掛けで能力に目覚めたのだろうか。

「その時の来の心情は分からん。だが、彼の身に起こった出来事で目立ったのはそれ位だったし、来の能力はそれが原因と見てまず間違いないだろう」

「そうですか……」

 見ようによっては、来も被害者と言えるのだろうか。

 そう言えば、来はその能力で誰にも危害を加えていないではないか。来の能力は利己的な目的の為に使われてはいるものの、それは決して周囲にダメージを与えておらず、暴走している訳でもない。

 果たして、彼を倒す事は正しいのだろうか。

(……いや)

 彼は、来は今『罪』を『罪』と知りながら、なおその『罪』を重ねようとしている。それは、許すべき事ではない。

 尋の『罪ちから』は、その為にある。

 昨夜の決意を思い出し、静かに拳を握りこむ。

「……では、作戦について説明しよう」

 そんな事を考える尋をよそに、唐澤は説明を続けた。

「尋と翔子には、来の注意を引いて貰いたい。その隙に……」

 そう言って唐澤は手にしていたスナイパーライフルを持ち上げた。

「私がこれで来を撃つ」

「……撃ち殺すんですか?」

 尋の疑問に唐澤はまさか、とおどけて見せる。

「撃つのは銃弾ではなく麻酔弾だ。他人に対する殺傷能力を持たず、そういう意思も無い来には銃殺許可は下りていない。目的はあくまで来の『無力化』及び『捕獲』だ」

「……でも、その作戦って来を先にこっちが見つけなきゃ意味ありませんよね?」

 翔子が割って入って来る。

「来は姿を誤認させてきますし……どうやって見つけるんですか?」

「だから昨日言ったろう? 『来の姿はカメラには映る』」

「……あっ」

「そう」

 唐澤は得意げに語る。

「来の姿は街中の監視カメラにしっかり映っていたよ。追跡も出来ている。場所はみなとみらいの……」

 唐澤の言葉は、突然鳴り出した電話のベルに遮られた。

「はい、こちら『A・I・C』……はい……えっ?」

 電話を受けた唐澤の顔が驚愕で歪む。

「はい……分かりました、すぐに……はい、では」

 そう言って受話器を静かに置いた唐澤は苦々しい表情を浮かべていた。

「……何があったんですか?」

「すぐに出発だ」

 言葉尻に悔しさを滲ませながら、唐澤は銃を担いでドアへと踵を返した。

「来に先を越された……急ごう、被害が広がる前に」




*     *     *




「うわあああああああああああっ!」

「だっ、誰かああああ!」

 あちこちで悲鳴を上げる愚か者達を見据えながら、来は愉悦で口角を釣り上げた。

 今来は、目に映る人という人に対して『嘘』を吐き続けていた。

 君や君の周りの人達は皆ゾンビのように顔中から血を噴き出している。

 君の隣にいる女性は今君に嚙みついて、首から血が迸っている。

 君の周囲にある建物は君に向かって倒れ込んで、君は押し潰される……。

 ありとあらゆる『嘘』を目の前の人全てに刷り込む。

 本当に愚かなものだと、心の底から思う。

 自分の吐く嘘に気付かないから、嘘を嘘とも見抜けない。

 だが、別にそれは目的ではない。あくまでこれは過程だ。自分の能力を、自分だけの物にする為の、過程。

 来の力を知り、自分を追う者達。

 これだけ大きな騒ぎえさに、飛び付かない筈がないだろう。

「……さあ、来いよ」

 そう言って来は両腕を広げ、青く澄んだ空を見上げた。

 視線が外れて能力が解除されるが、来の『嘘』に毒され過ぎた彼らはすぐには動けない。目の前の恐怖の『嘘』から目を逸らし、揃いも揃ってうずくまっている。最も、そこまで追い込んだのは来本人なのだが。

 だが不思議と良心は痛まない。それどころか、高揚感と共に達成感を感じる。

 気付いたのだ。これが自分の生まれてきた意味だと。『使命』なのだと。

「……教えてやろう」

 平和ボケした愚か者達に。

 『嘘』を。

 来のそんな密かな決意は、突如聞こえてきた足音に搔き消された。




*     *     *




「……目標、捕捉。唐澤さん、どうしますか」

 山下公園の隣にあるパイロットビルの影から公園内を覗き込みながら、翔子は口元のインカムに呼びかけた。

『うん。こっちも配置に着いた。恐らくまだ気付かれてはいない。予定通り、奴を引き付けてくれ』

「了解」

 通信を終え、翔子は尋について来るよう目で促した。

 警察に『山下公園で人が沢山苦しんでいる』と通報が入ったのは今から一五分程前だ。

 山下公園は『来が潜んでいる』と唐澤が推測した場所からそれ程離れていない。それに気付いた捜査員が監視カメラで調べた所、予想通りカメラには来の姿が映っていた。

 周囲で人が倒れている事から、来が能力で周囲に被害を出していると判断され『A・I・C』に通報が入ったのが一〇分程前。それから尋達がすぐさま現場に急行し、現在に至る。

『じゃあ行くぞ……突撃まで三、二、一……ゴー!』

 通信越しの唐澤の合図と共に、翔子が公園内へと走り出した。尋も遅れまいとその背中を追う。

 来はまだこちらに背を向けているが、気付かれるのは時間の問題だ。その前に先制するしかない。

 翔子が右手を掲げると同時に、その掌が赤く光り輝く。その掌から、尋にも見覚えのある赤い剣――血の剣が伸びた。

 翔子が振りかぶり、その剣が来の背中を捉え――

『おいっ、二人とも! どこに向かっている!』

「えっ?」

 ――なかった。

 来の姿は翔子に切られると同時に揺らぎ……搔き消えた。

「幻影……っ!」

 既に来には気付かれていたのだ。ひょっとすると、この騒ぎを起こしたのも……。

『お察しの通りだよ』

 どこからか、男の声が聞こえてくる。コンビニでも聞いた、あの男の……来の声だ。

『この騒ぎも、お前達をこの場に呼び出す為の餌だ。喰い付いてくれなきゃ困る』

「くそっ、どこから……唐澤さん!」

『すまん、見失った! 木々に隠れているかもしれない。注意しろ!』

 周囲を見渡すが、当然来の姿は見えない。声の聞こえてくる方向を探る為、尋は目を閉じ、耳に意識を集中させた。

『俺のこの力を知っているのはお前達だけ』

 なおも聞こえてくる声の向きを探るが、どこから聞こえてくるのか分からない。右でも左でもなければ、前でも後ろでもない。

(どこだ、どこから……)

『お前達をここに呼び出して始末すれば、俺は晴れて自由の身だ』

 違う。

 この声はどこかから聞こえてくるものじゃない。これは……。

(……頭の、中)

 この声は、頭に直接響いている。俗にいう念話のようなものだろうか。

 その時、尋は思い出した。

 コンビニで来が逃げ出した時、自動ドアの音がしなかった。そのせいで、来の逃走にすぐには気付けなかった。

 あれも来の能力の影響だとしたら。

 『嘘を吐く』能力。つまりそれは、相手の脳に干渉して、あらゆる・・・・事実を誤認させる能力。それは、決して視覚情報だけに留まらない。聴覚もだ。

「まずい、あいつの力は……」

 そう言いながら、尋ははたと気付いた。来の能力が聴力にも作用するなら、今の尋の声も聞こえないのではないか。

 そんな尋の不安は、尋の声に振り向いた翔子を見て払拭された――翔子のその目を見るまでは。

 その目に尋は見覚えがあった。何度も見たその鋭い視線の意味を、尋は既に知っていた。

 ――殺意。

「――見つけた」

 その言葉と共に、翔子は右手の血の剣を尋に向けて・・・・・振り抜いた。

「なっ……」

 気付いた時、尋はすぐに『闇』を発動させた。その『闇』を左腕に纏わせ、その血を弾く。

『翔子! 何をしている、翔子! おい尋君、何があった!』

 耳元に唐澤の声が響く。来の能力の対象となっていない唐澤には、何が起きているのか分かっていないのだ。

「……来の能力です。恐らく三原さんは俺を来と『誤認』してます」

 翔子の斬撃を弾きながら尋は続ける。

「来の『嘘を吐く』能力は、視覚に作用するだけではありません。聴覚にも、いえ……恐らく全ての感覚・・・・・に『嘘』を吐けます」

『何……?』

 通信の間も、尋と翔子の攻防は続く。

 翔子の斬撃には全く隙が無い。上段切りを腕の『闇』で弾いて剣を折っても、すぐに剣を再生して刺突に切り替えてくる。上体を捻って避ければ、回し蹴りを浴びせてくる。尋を来だと認識しきっているせいか、攻撃に一切の容赦がない。

「ぐっ……」

 辛うじて耐え切るが、体は後方へと僅かに吹き飛ばされる。その隙に翔子は大振りの横薙ぎで尋に迫った。尋はその一撃を、全身の『闇』を集中させて防ぐ。

「唐澤さん! まだですか!」

 必死になって通信機に呼びかける。いくら尋の『闇』があらゆる能力を無効化し、翔子の剣を防げるとは言っても、翔子はこと能力者との戦闘においては百戦錬磨のベテランだ。一方の尋は戦闘経験はからっきしで、自身の能力に頼りきっている。ある程度は凌げても、尋の能力使用には時間制限がある以上、長くはもたない。

『もう少し待て! すぐに来を捕捉する! もう少しだけ耐えろっ!』

 唐澤の必死さがイヤホン越しに伝わってくるが、一時も油断は出来ない。

 既に尋は全身土埃と擦り傷でボロボロになっていた。対して翔子は完全な無傷。当然だ。尋が翔子に一切の攻撃を加えていないのだから。

「……つか、なんで俺には三原さんが認識できるのかね」

『決まってるだろう?』

 尋の呟いた疑問に、再び頭に響く来の声が答えた。

『君と彼女じゃあ、彼女の方が腕が立つのは明らかだ。なら、どっちを操れば効果的に敵を減らせるかは一目瞭然だろう?』

「成る程……質悪いな、あんた」

 言いながら尋は翔子の連続攻撃に耐え続ける。

『それで、君が死んだ後は事実を見せて彼女を動揺させ、その隙に背中からブスリ、とね。我ながら、中々いい作戦だろう?』

「反吐が出るな……っ!」

 翔子が左上から尋に向けて切り下ろそうと迫る。尋は咄嗟に両腕に『闇』を纏わせて防ぐが、その腕には何の手応え・・・・・も感じなかった・・・・・・・。

「……え?」

 視線を上げると、高く掲げられていた筈の翔子の腕がゆらりと揺れ――掻き消えた。

 何度も見てきたその情景に、尋は気付かない筈も無い。

(……『嘘』……)

 気付いた時には既に遅く。

 両腕を上げて大きな隙を作った尋の腹に、翔子の凶刃が迫った。

「……っ!」

 しかし、その刃が尋に届くよりも前に。

「ぐっ、うおっ!?」

 突如として聞こえてきたのは、来の呻き声。その声が先程までの頭に響く声ではなく肉声だと気付くのに、そう時間はかからなかった。

 同時に、翔子を襲っていた刃が尋から約一センチ位の位置で止まる。顔を上げると、翔子の目が驚愕で見開かれていた。

「え? 来じゃ……わ、私……」

「心配すんな。来の術中だっただけだ」

「あ、そっか……あんたを来と……ごめん……あ、来、は……?」

「心配要らねえよ……多分、な」

 そう言って来の声が聞こえた方に振り向く。

「ですよね、唐澤さん?」

『ああ、作戦は成功だ』

 イヤホン越しに、唐澤の返事が聞こえた。

『来には麻酔を打ち込んだ。来の能力はもう解除されているだろう? もう……』

 そこまで言って、唐澤の言葉は途絶えた。代わりに、唐澤が息を飲むのが聞こえる。

『嘘……だろう……?』

「あ、あの、唐澤さん、一体何が……」

 尋の言葉は、最後まで続かなかった。

 目の前――来の声が聞こえた方から、何かが近づく気配がする。草木を踏み分け、尋達の方へと向かってくる。その方向にいる人間など、一人しかいない。

「まさか……」

「そのまさか、さ」

 愕然とする尋達の前に現れたのは……紛れもなく来だった。

 コンビニの制服に目立った汚れは無いが、その背中には確かに、唐澤が打ち込んだ注射器のようなもの――麻酔弾が刺さっていた。なのに、何故……。

「なんで、意識を……?」

「決まって……いるだろう?」

 ゼエゼエと肩で息をしながら、来はニヤリと薄気味悪く笑った。

「俺は、『嘘を吐く』。自分に嘘を吐く・・・・・・・位、造作もないさ」

 つまり、来は自分の意識に干渉して、麻酔で失われそうな意識を覚醒させたという事か。

「……チートかよ」

「……とはいえ」

 来はそう言って、尋達に憎しみの目を向けた。

「こうまでコケにされたんだ……仕返しぐらいさせて貰うぞ」

 その言葉と共に……尋の視界は音も無く闇に堕ちた。





 ……何も、見えない。

 何も、聞こえない。

 ここは、どこだ?

 来は、翔子はどこだ?

(……あー)

 試しに声を出すが、その声は尋の耳には届かない。

 これはまるで……。

(同じ、じゃないか)

 『死』の恐怖を味わった、『例の事件』の時と。

 何も無く、見えず、聞こえない。

 これは来の『嘘』が見せる幻覚なのだろうか。

 もしそうだとするなら、この闇は。

 ああ、ほんとに――。




*    *     *




 ……やった。

 来はニンマリと満面の笑みを浮かべ、目の前に転がる二人を見下ろした。

 少年の方は尻餅をついたような状態で放心しており、少女の方は頭を抱えて涙を流しながら口をだらりとだらしなく開けている――まるで狂人のように。

 来は二人の全ての感覚に『嘘』を吐き、遮断させたのだ。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、ついでに味覚も、全ての機能を失わせた。

 今頃二人共、何も感じない暗闇で恐怖に怯えている事だろう。

 そうほくそ笑む来の背中に、再び注射針が刺さる。

 一瞬意識が飛びそうになるが、辛うじて消えそうな意識を引き戻し、自身に対し能力を発動する。そのまま意識を集中させると、すぐに麻酔の効果は薄れてきた。

 やれやれ、と来は溜め息を吐いた。先程もだったが、何者かが来を麻酔銃で狙っているらしい。コンビニで見た面子から考えると、店長と一緒にいた男か。

 来に近づかずに麻酔銃で無力化しようとしてくる辺り、相手は無能力者だろうか。だとすれば、それほど脅威にはならないだろう。

 狙撃手を始末する前に、まずはこいつらを始末するか……。

 そう決めて懐からナイフを取り出し、目の前の少女に狙いを定めた来の動きは、

「……待てよ」

 突如聞こえた男の声に止められた。




*     *     *




「……待てよ」

 そう言って立ち上がったのは、尋だった。

「正直、お前は詰めが甘かった」

「……な?」

「本当に俺を恐怖に陥れたいなら、『感覚が無いと感じる感覚』と『暗闇を認識する意識』も無くせば良かったのにな。ほんと、詰めが甘いよ、お前」

 言いながら、尋は一歩一歩距離を詰める。

「なあ、お前、『死』って知ってるか?」

「……え?」

「『死』だよ。その恐怖がどんなもんか、お前は知ってるか?」

「……そ……そんなの、知ってる訳無いだろっ! ていうか、何で平気なんだよっ!」

 来は喚いて手に握ったナイフを振り回すが、尋は全く意に介さずに来へと詰め寄る。

「それも知らないで、あんな程度の『闇』で俺を戦闘不能にしようとしたんなら……お前が見せた『嘘』、あれは――」

 尋はニヤリと不敵に笑った。

「ほんと、愚かな判断だな」

「なっ……!」

「俺はお前が見せた恐怖以上の恐怖を知ってる。そんな俺に『嘘』で恐怖させようなんて言う方が、無理な話だ」

「う、うるせえっ! ていうか、お前……」

「ん?」

「お前、その姿は何だ・・・・・・?」

 そう来が指差した先にいたのは……黒いローブ、否、『闇』を頭から羽織った尋だった。頭の『闇』は、まるで中世の騎士のような、黒い兜のような形状で、その淵で『闇』の残滓が炎のように揺らめいている。そんな尋の姿は、『暗黒騎士』とでも形容出来そうな見た目だった。

「ああ、お前の能力は相手の脳、つまり頭に作用するからな。能力を弾くこの『闇』で頭部を覆っちまえば、お前の能力は弾ける、って話だ」

 言い切ると、尋は助走をつけて来に迫る。

「……止めろ、来るな、来るなああああああああっ!」

 耐えかねた来は手にしたナイフで尋に飛び掛か……る幻影をぶつけた。が、

「だから、見えねぇんだって、そんな『嘘』」

 今やあらゆる能力を受け付けない尋には意味のない行動だった。

 その隙に、尋は右手に意識を集中させる。

「じゃあ……お返しだ」

 助走をつけたまま飛び上がり、右手を振りかざす。その手に宿るのは、本物の恐怖──『死』を告げる闇。

「……教えろ」

 右手に無感情な黄色い目が宿る。

「お前の『罪』は、何だあああああああっ!」



 ……瞬間。



 来と尋を、巨大な『闇』が包み込んだ。




*     *     *




 お母さんが目の前にいた。

 これは、いつの事だろう。目の前のお母さんは僕に優しく語りかけている。

 そうだ、これはあの事件よりもずっと昔……小学校入りたての時の事だ。

 当時、『息子にはちゃんとした教育を受けさせて、将来困らないようにしたい』というお母さんの要望で小学一年生から塾に入っていた来は、塾の為に学校を一日休まねばならなくなった事があった。

 電話で担任に『塾だから休む』と電話しなければならなかった……いや、お母さんがそう言うものと思っていた。だが……。

「あ、もしもしー? 新島の母ですけれどもー……あ、はいー、実は今日、来が風邪を引いてしまって……」

 お母さんは電話でそんな事を言った。電話を終えたお母さんに、来は

「ねえ、なんであんなうそついたの? うそって、いけないんでしょ?」

 こんな風に言った。そんな来の頭を優しく撫でながら、お母さんは来に語り掛けた。

「あのね、今のは『嘘も方便』って言うの」

「うそも……ほうべん?」

「そう」

 お母さんはニッコリと笑った。

「嘘は、確かにいけない事。でも、もし本当の事を言って、怒られちゃうのは来じゃない。『学校より塾を優先するのか』って、怒られちゃうでしょ?」

 だからね、とお母さんは続ける。

「嘘も、それが自分にとっていい結果を生むなら、少しなら許されるの。それが『嘘も方便』って事よ」




『それが、お前の母さんの言葉か?』

 頭に響いた声に、来は我に返った。

「……ああ」

『成る程ね……それでお前は『嘘』に執着する訳か』

「執着……? ああ、そうだ。そうだよ。その何が悪い!」

 誰にともなく、どこへともなく叫ぶ。

「『嘘』は許されるんだ、『嘘』を吐くのが人間だからだ! だって……」

『『母さんがそう言ったから』か?』

 来の心を見透かしたように声は続ける。

『確かに、それは間違っちゃいないさ。人間が嘘を吐く生き物だってのには同意だし、お前の母さんもそれを許すだろうよ。けど……』

 一拍置き、声は続く。

『お前は、自分の嘘・・・・を許せるか?』

「……え?」

『お前の『嘘』は、お前の母さんを死なせたんだ。それを……お前自身は許せるのか?』

「な、何を……」

 そう言った来は、不意に背後から迫る恐怖に思わず身震いした。

 何かは分からない。だが、その恐怖の正体を確かめようと振り返ると、目の前には暗闇が迫っていた。

 全てを飲み込む、恐怖の闇。

 これは何だ。

 この暗闇は何だ。

『お前が母親に与えたものが何なのか……それを味わえ』




*     *     *




「あ……ひ……」

 静かな公園に、嗚咽にも似た苦悶の声が響く。

 尋が来の、生暖かい頭から手をどけると、来の目は焦点が合わず、虚ろになっていた。

「……ふう」

「……っ、終わった、の……?」

 後ろから翔子の声が聞こえる。来の能力が解けたのだろう。

「……ああ、これで、終わりだ」

 来は今、尋の見せた恐怖に怯えている。それだけでなく、自分が母親にその恐怖を与えた事に悔恨を抱いているだろう。何にせよ、来はもう戦意を喪失している。

「大丈夫か? どっか怪我とか……」

「ないわ。お陰様で」

 弱々しく返事をしながらも、翔子は何とか自力で立ち上がった。さすがはベテラン、と言うべきか。

「……ていうか、あんたは大丈夫だったの?」

「何が?」

「何がって、さっきの、来が見せた、その……」

 先程の来が見せた『嘘』だろうか。見れば、翔子は目立った外傷は無いが、目は充血し、目の下には酷い隈が出来ている。来の見せた幻影の影響か。

「まあ……俺は平気だったよ。だからその隙に俺の『闇』を使って来の『嘘』を防いだ。もう、大丈夫だ」

「あんた……」

 翔子が目を丸くして尋を見る。

「何だ?」

「……いえ、あんたやっぱり規格外よ」

「……何だそりゃ」

 結構しんどかったから報われてしかるべきなのに、褒められてる気が全くしない。

「う……ご、め……」

「……?」

 来が何か呟いたように聞こえ、尋は振り返ってその顔を見つめた。その表情には先程までの残忍さや憎しみなどは微塵も浮かんでおらず、その目から一筋の涙が零れている。

「ご、め……か……さ……」

「……今更かよ」

 溜め息を一つ吐くと、尋は公園の外へと歩き出した。唐澤が慌てた様子で走って来るのが見える。

「せめてこれからは……嘘偽りのない人生・・・・・・・・を送れよ」

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