第4話 嘘つきは異変の始まり

「全くもう……何日間休んでいたと思っているんだい?」

「はい、本当にご迷惑をお掛けしました」

 翌日朝五時半、あの男の姿は彼の勤めるコンビニの従業員室にあった。

「頭痛もだいぶ退きましたし、休んだ分の仕事はこれから返しますので」

「……本当にもう大丈夫なのかい?」

 店長が不安そうに男の仮病を案じる。あの仮病を本気で信じてるんだな、と笑いそうになるのを堪えながら、男は腕を回して見せた。

「ええ、一日中寝た甲斐あってほら、もうすっきりですよ」

「そうか……よし!」

 そう言って店長は満面の笑みを浮かべた。

「じゃ、今日からみっちり働いて貰うからね! もうヘマはするなよ!」

「はい、ありがとうございます」

 そう言った男の顔が――文字通りの意味で――揺らいだように見えたが、店長は気にしなかった。

「うっし、じゃあまずは……」

「在庫点検でもしましょうか?」

 店長が思い付く前に、男はそう言って遮った。

「あ、うん、じゃあお願いね」

 特に疑問を感じるでもなく、店長はそう言って去っていった。




「……こりゃ、楽しそうだな」

 コンビニの裏口の外・で、男はそう笑った。




*     *     *




「……はぁ」

 翌朝、尋は普段通り登校しながら溜め息をついていた。

 ……昨日の自分の発言を悔やみながら。

(唐澤さんの言う通り、一晩じっくり考えりゃ良かった……)

 非公式とはいえ、未成年ながら就職を果たしてしまったのである。

 それも公務員。しかも警察に。

(非公開組織だからバイトの届け出は出さなくていいって話だったけど……良かったのか? 本当に)

 そもそも、本当に警察なのだろうか。

 非公開組織だと言ったり急に尋の学校に転校してきたり、とてもじゃないがまともな組織とは思えない。

「……まあでも、信じるしかないよな」

 そう呟くと、尋はごそごそとポケットをまさぐり、それ・・を引っ張りだした。

「……こんなんまで貰ったし」

 その手に握られていたのは、刑事ドラマなどでよく目にするものだった。

 警察手帳。本物の。

 名前や所属部署は勿論の事、その場で撮った証明写真まで貼り付けられている。

 当然、尋はこんなものをこれまで直に見た事はおろか、触れた事すらない。まさかそれを自分の物にする日が来るとは思ってもみなかったが。

 そう、疑いようもなく、尋は警察に所属する事となったのだ。





「この手帳は一応、まだ仮のものだ」

 この手帳が渡された時、唐澤はそう言った。

「もし君が今の選択に後悔する事があれば、これを我々に返却して構わない。君の覚悟の程は分かったが、まぁ、念のため、といった所だ」

 ただし……と言って唐澤は尋の顔の前で人差し指を立てた。

「返却出来る期限は一週間。それ以後、君は正式に『A・I・C』の一員となる。それまで君は研修生という扱いだ。それで構わないね?」

「……はい」

 うなずく他無かった。





「返してもいいのよ、それ」

「うわっひゃあ!?」

 突然背中から声をかけられ、尋は思わずその手帳を取り落としそうになった。

「わっ、と、と……驚かすなよ」

 振り向けば、翔子が無愛想な顔を尋に向けていた。

「道のど真ん中で立ち止まってるあんたが悪い」

「あーへいへい……」

「あれだけ大見得切って今更後悔? 所詮口だけね」

 尋を追い越しながら翔子はそうつっけんどんに言う。

「んなっ……突然勧誘したのはそっちだろ!」

「こっちにはそうする理由があるの。今は一人でも多くの能力者が必要なのよ。あんたみたいに毎日のほほんと生活してる訳じゃないわ」

「……んだと?」

 翔子のあまりに一方的な発言に尋はカチンと来た。

 毎日のほほんと生活しているだと?

「何? 何か不満?」

「当たり前だ」

 尋は翔子の行く手を阻むように立ちはだかった。

「勝手に他人を自分の物差しに当て嵌めるな。お前は俺の何を知ってる」

「……二〇〇七年の隕石事件」

 翔子は事も無げに言った。

「前道尋、あんたはその事件の生き残り。違う?」

「な……」

 何故それを。

「……少なくとも」

 尋の前を通り過ぎながら、翔子は続けた。

「あの事件の事なら、私達はあんた以上に知ってる」

「なっ……」

 その言葉に尋は驚いて振り向いたが、そこには既に誰もいなかった。

「……どういう意味だよ……」

 誰もいなくなった道で、尋はそう呟いた。





「それで? 翔子さんはどんな所に住んでたの?」

 尋が学校に着いた時、翔子は既に多数の同級生に囲まれていた。転校生ならではの質問責めを受けているのだろう。翔子はその質問に笑顔で答える。

「えっと、前は名古屋の学校に通ってたの。でも、お父さんがこっちに転勤する事になったから、こっちに転校したのよ」

「へぇー」

「名古屋かぁ……」

「じゃあ、翔子さんの趣味とか教えて!」

「そうね……」

 尋に対する無愛想な態度とは打って変わり、翔子は笑顔ですらすらと受け答えしている。

(あれ……素か? いや、いつものが素なのか?)

 そう思いながら尋は、『皆さんと頑張って、仲良くしていきたい』と言った翔子の言葉を思い出した。

 あれならすぐに友達も出来るだろう。そう思っていたが、

「そういえば、昨日はなんで尋君と一緒だったの?」

 誰かのその一言が全てをぶち壊した。和気藹々とした空気が一気に冷え込み、教室内の全員が一斉に尋の方を見る。無理もない。突然転校してきた美少女と誰よりも先に一緒に帰るなど、嫉妬してくれと言わんばかりの行動だ。

「えっと……」

 少し困ったような笑みを浮かべながら、翔子は尋の方を見遣った。何とか言いなさいよ、とその目が語っている。

 確かに、このまま黙っているのはあまり得策ではない、というか寧ろあらぬ疑いをかけられかねない。かと言って、本当の事は話せない。

 誤魔化すしかないか。尋は腹を括った。

「いやまあ、実は翔子さんとは転校前日に会ってたんだよ」

 そう切り出すと、翔子の目が大きく見開かれるのが見えた。あの事――煉司の事件の事を話すのではと警戒しているのだろう。予想通りの反応だと思うと鼻を明かしてやったようで少し小気味いい。

 だが、当然全部をありのまま話すなんて馬鹿な事をするつもりはない。構わず尋は続ける。

「一昨日の帰り、翔子さんが道に迷ってたみたいだったから色々教えてたんだよ。この町に越してきたばかりだって言ってたしさ」

 まさかこの学校に来るとは思わなかったけど、と尋は付け加えた。

「じゃあ、昨日は?」

「昨日は……」

 少し考えてから、尋は再度口を開いた。

「昨日は町の案内をしてたんだよ。まだよく分かんない場所とかあるし、また道に迷うかもしれないから教えてくれ、って頼まれて」

 尋がそう言うと、皆成程、と納得したようだった。

「そっか……」

「そういえば翔子さん、部活とか入らないの?」

「そうねー、色んな部活があるし、どうしようかなぁ……」

 話も元に収まったらしい。やれやれ、と尋は机の整理に取り掛かった。





 その日の放課後。尋は学校近くのコンビニのパン売り場にいた。

(今夜は何にすっかな……)

 一人暮らしをしている尋の朝晩の御飯は、いつもパンかレトルトだ。時々愛が作り置きをしたりしてくれるが、基本的にそんな健康的な食事を進んで摂る事は無い。

「今夜と明日の朝は……これにするか」

 そう言って尋が手に取ったのは、食パンとレトルトのカレールー。

 昨日の白ご飯はまだ残っているから、これだけで今日の所は足りるだろう。

 レジへ会計に向かおうと尋が立ち上がり振り向いた時、尋は後ろに店員がいることに初めて気が付いた。

「えっ?」

 人の気配はしなかったのに――そう思う間もなく、驚きのあまりバランスを崩してしまった。思い切りつんのめって、前のめりに倒れてしまう。品出しをしているらしいその店員の背中が目の前に迫る。

 ぶつかる――そう思って尋は目を瞑ったが、尋の頭は人の体の柔らかさを感じる事無く、硬い床に叩き付けられた。

「がっ、あっ痛つっ!」

 予想以上の痛みに尋は思わず呻いた。

「って……す、すいませ……ん?」

 近くにいた店員に謝ろうと顔を上げた尋だったが、そこには――。

 いる筈の店員が、いなかった。

「あ、ありゃ?」

 たった今までそこに――目の前にいた筈だ。

 倒れ伏したまま周りを見回すが、尋の周りには誰もいなかった。

 ……否。

「あんた、何寝てるの? こんな所で」

 何故か翔子が尋の目の前に立っていた。

「いや……今そこに……」

 立ち上がりながら尋は辺りを見回すが、先程の店員はどこにもいない。

(まあ……いいか……)

 多分気のせいだろう。尋はそう思う事にした。

「……つか、何でお前がここにいるんだよ」

「悪い? あんたには関係無いでしょ?」

 髪をさっと後ろに撫でつけながら、翔子はまた不愛想な言葉を尋にぶつけた。

「お前さぁ……って、やっぱそれが素か」

「何が?」

「……いや、別に」

 追及した所で軽くあしらわれるだけだ。

「……まあ、あんたには言っときたい事もあったし」

 そう言って翔子は尋から少しばかり目を逸らした。

「今朝は、その……助かったわ。ありがと」

「……何だ、その事か」

 あんな不愛想な少女がそんな事を気にしていたのが、尋には少し驚きだった。

「気にすんなよ。ただ自分の身を守っただけだ」

 転校当日から注目の的になっている女子と誰よりも先に一緒に帰宅した事に対して嫉妬の目を向けられるのは、当然の帰結と言えよう。だから、あの弁解は翔子の為だけでなく自衛の為でもあった。

「……と、言いたいとこだけど」

 不意に翔子は尋に向き直り、胸ぐらを掴み上げんばかりに詰め寄ってきた。キ、と尋を睨み付ける。

「何であたしと一昨日会った事をわざわざ言ったわけ?」

 そんな事を根に持っていたのか。

 謝ってもよかったが、尋はふう、と溜め息を吐くと、あえて何も言わずに回れ右をしてレジへと向かった。

「ちょっと! 何か言う事無いわけ!?」

「言っても分かんないだろーしな」

 振り返りもせずにスタスタと歩いて行く。

「どういう意味よ!」

 今朝の意趣返し・・・・・・・だよ。

 猶も怒鳴って来る翔子を無視して、尋は足早にレジへと向かう。だが、翔子の言葉が尋を足止めした。

「ちょっと待って。唐澤さんから連絡が……」

「えっ?」

 尋が振り向くと、翔子はスマホで唐澤と話し始めていた。

「はい、三原です……え? はい、一緒ですが……えっ、今からですか?」

 そう言って翔子は尋の方をチラリと見る。

「……分かりました。今から向かいます」

 そこまで言って翔子は電話を切った。

「何だって?」

「……唐澤さんが、今すぐ来いって。あんたも一緒に」

「俺も? って事は……」

 『A・I・C』正式メンバーである翔子のみならず尋も呼ぶ理由は唯一つ。

「能力者よ」

翔子の答えはシンプルなものだったが、その発言が何を意味するか、尋は瞬時に理解した。

 事件が起きたというなら、尋の心構えがまだだとか、そんな事はどうでもいい。尋がすべき事は唯一つ。

 その能力者が罪を犯したというなら、その罪を引き継ぐ。

 それが、尋の選んだ道だから。

「……分かった」

 その言葉を聞いて、翔子はすぐにコンビニを出た。尋もレジに商品を預ける。食料なんて気にしてる場合じゃない。

「すいません、戻しといてください」

「えっ?」

 尋が買うものとばかり思っていた店員はきょとんとしているが、気にせずコンビニを後にする。

 その頃には尋はもう、先程の不可解な現象の事など忘れていた。




*     *     *




 危ない所だった。

 男はコンビニ裏で荒い息をしながらしゃがみこんでいた。

 店長に自分が働く姿を『見せて』いたために、近くにいた一般客にも自分の姿を『見せる』必要があった。だが、あそこまで驚かれるとは想定していなかった。

 幸いにも店長が目を逸らしたタイミングだったので、自分の姿を『消して』何とかやり過ごせた。その一般客も知り合いとの話で先程起きた奇妙な出来事など忘れてしまったようだ。

 『嘘を吐く』というのはいつもこんなものだ。いつだってばれる危険性と隣り合わせ。如何にごまかし通せるかが肝心だ。

 男はフッ、と笑って立ち上がった。

 嘘を吐くのは仕方のない事だ。嘘を吐かずに生きていける人間なんて、いない。

「『嘘も方便』……ってな」

 そう呟いてニヤリ、と笑う。

 嘘も方便。幼い頃から男を突き動かしてきた言葉だ。その言葉を教えてくれた人は、もういないけれど。

 そこまで考えて、男は不意に強烈な吐き気に襲われた。口元を押さえ、逃げるようにその場を離れた。過去の記憶を、忌まわしいあの事件・・・・を思い出しそうになったから。

 でももう、恐れる事は無い。男は走りながら自分に言い聞かせた。

 自分にはもう、嘘がばれる事を恐れる必要はないのだ。

 なぜなら、男は力を、嘘を現実にする・・・・・・・力を手にしたのだから。

 この力がどんなものかは分からない。だが、ただ一つ確かなのは、この力を手に入れた自分には、何かしらの役目があるに違いないという事だ。

 即ち、『嘘を吐き続ける』という役割が。

だから、愚かな奴等――嘘を吐く事が罪だなどとほざく奴等に教えねばならない。

人は生まれながらにして、嘘無しでは生きていけないのだと。

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