第7話 エッフェル塔のストラップ

(これからは・・・彼女とまっすぐに向き合おう)

鎌倉駅のホームに佇み、僕はそう決心して、自然と左拳を強く握りしめた。

しばらくして電車がホームに入ってくる、まだ春の日差しに包まれている鎌倉の街を後にする。

品川駅に着いてホームから改札へ向かう途中、また携帯に連絡が入る。

「部長、あと どのくらいで着きますか?」

天谷の緊張した声が聴こえる。

「今、駅に着いたあと5分くらいで・・・」

「わかりました、コーヒー買ってありますから 」

「あぁ、ありがとう」

(天谷がコーヒーを買って待ってるということは・・・ただ事じゃないな)

デスクに戻って天谷の報告を聴く、スウェーデンの委託工場との契約トラブルと製品仕様についても問題が発生していた。

(これは、まずいな・・・)僕は直感的にそう思った。

内線ですぐに役員室へ来るようにとの連絡が入る、天谷から報告書を受け取りエレベーターへ急ぐ。

( 今頃 彼女、どうしているだろう? )

「堤です、失礼します・・・」

役員室へ入って、説明を受けて事態が切迫していることを認識する。

「じゃあ、悪いが・・・堤くん、日曜日にとんでくれんか 」

「はい、承知しました」

僕は急遽委託しているスウェーデン国内の工場の原因追求と、先方との交渉役の出張を命じられた。

デスクに戻って天谷に航空券の手配を頼む。

「日曜の便ですか?」

「あぁ、出来るだけ早い便で頼むよ・・・」

「なぜ部長が行かなきゃならないんですか?部長が悪い訳じゃないのに」

「仕方ないさ、誰かが行かないとな」

自分自身にもそう言い聞かせるように、天谷に答える。

天谷の悔しそうな顔を横目にパソコンを開きストックホルムへ連絡する、今回の出張はタフで、長期になりそうだ。

妻の携帯にも一応 長期出張になったことをメールする。

(たぶん 返信はないだろう・・・ )

「4月17日の便 予約取れました、フランクフルト経由になりますが」

「ありがとう、それで行くよ 」

それよりも僕は彼女のことが気掛かりだった、鶴岡八幡宮 二の鳥居の下で手を振っている彼女の姿が頭の中から離れない。

その夜 彼女にメッセージを送る。

<鎌倉、誘ってくれてありがとう とても楽しかった。途中で会社に戻ってしまって、申し訳ない急な出張で明日からストックホルムに行くことになった、たぶん長期になる帰ったら、また鎌倉 行ってもいいかな?>

出張はたぶん1週間以上になる覚悟を決める。

(今年の誕生日はストックホルムか・・・)

クローゼットから一番大きいスーツケースを出して出張の準備をする、妻と子供たちはリビングでテレビを観ているのか? 笑い声が聴こえてくる。

日曜の朝、予約していたタクシーが家に来た、誰の見送りもなくトランクにスーツケースを入れて、タクシーは駅へと向かう。

そこから電車を乗り継ぎ成田空港へ到着する。

チェックインを終えてラウンジでフェイスブックを開いて見ると返信があった。

<私の方こそ 楽しかったです ('-'*)♪いろいろ ありがとうございました 。また鎌倉来てください☆ 待っています♪ ストックホルムですか、遠いんですね。お身体お気をつけて いってらっしゃい ヾ(*'-'*) >

「待ってます・・・か」

僕はまた彼女のいる鎌倉へ再び訪れることだけを願って、成田空港を後にする、その時彼女が大変なことになっていることなど知らずに。

機内で数時間ぼんやり過ごす、(彼女は今 幸せ なのだろうか?)車窓に広がる空を見ながら唐突にそんなことを考える。

(今の僕は、彼女のためにいったい何が出来るのだろう?)

しばらくすると、機内の窓は沈みゆく夕日でオレンジ色に染まっていった。

フランクフルトを経由して目的地 アーランダ空港へ降り立つ、ビジネスクラスとはいえ、長時間のフライとは身体に堪える。

空港では現地スタッフが迎えに来てくれていた、休んでいる時間はない、車でストックホルム市内へ向かう中で今回の問題点を整理する、今回の交渉は厳しそうだった。

「堤部長、ストックホルムに転勤って本当ですか?」

若い現地スタッフが訊いてきた。

「いや、そんな話あるのか?」

僕は冷静な口調で逆にそう質問を返した。

「いえ、あくまでも噂ですから、すみません・・・余計なことでした」

ストックホルム市内のホテルにチェックインして明日に備える、夕食はホテル内のレストランで軽く済ませた、部屋に入りいつものようにバスタブにお湯を張る、バスタブにあったバスソルトを入れるとミントと甘い香りが浴槽に広がった。

さすがに疲れていたのか、風呂から上がるとすぐにベッドに入り深い眠りにつく。

次の日の朝 早起きして市内を少し散策する。

(ストックホルムは10年ぶりか・・・)

10年前とほとんど、変らず水の都ストックホルムは美しかった、こうしてのんびり出来るのもあと数時間だ。

ストックホルムでのタフな交渉が始まった、案の定 先方との交渉は難航し時間だけが空しく過ぎていく、交渉の糸口すら見えぬまま3日間が過ぎていった。

ホテルに戻りメールを開く、天谷の心配している顔が目に浮かぶメールが毎日届いていた。 

フェイスブックを見ても特に書き込みはなかった、夕方気分転換にひとり街に出る、ストックホルムの夕暮れの空を見上げる。

(彼女は今頃なにをしてるんだろう?)

明日からはまたいつ終わるともわからない交渉が待っている、彼女に逢いたいと想えば 想うほど寂しさが私を包んでいった。

交渉も5日目、絡み合った糸を1本また1本と解いていく、そんな根気のいる交渉は僕のような辛抱強い東北人が向いている、そうやって幾度となくこういった交渉を重ね信頼を得てきた。

夕方になり やっとお互いの歩み寄るタイミングが一致して 夕食の席を一緒にしながら最終合意に至った。握手をして、ワインで乾杯する嬉しくて少し酔っ払って深夜ホテルに戻りいつもの様にバスタブにお湯を張る。

「長かった・・・今回は本当にしんどかった」

ホテルでフェイスブックを開くと彼女からのメッセージがあった。

<堤部長 お誕生日おめでとうございますCongratulations!!★(*^-゜)⌒☆Wink! ストックホルムはいかがですか? ちゃんと食事取れていますか?野菜もちゃんと食べないと!無理しないでくださいね♪>

いつものように質問と僕の身体のことを気遣ってくれるそんな彼女の存在が僕の生きる力になっていた。

(そうか誕生日、か)

ここ数年祝ってもらうこともなく、自分の誕生日を忘れることさえあった。

<ありがとう(∩。∩;)ゞ ストックホルムは10年ぶりです。何度来ても本当に美しい街です。今朝散歩して撮った写真送りますね。仕事は何とかなりそうですが、今月いっぱいはスウェーデンに滞在することになりそうです> 

<帰ったら・・・>

(やめておこう)

帰ったらまた鎌倉へ・・・書かずにそのまま返信する。

交渉を終えた後 スウェーデン 国内の工場を回るようにとメールで連絡があった。

(いよいよ、俺もこっちへ転勤か・・・)

ストックホルムへ戻ったのは5月2日だった。

その夜、役員からは5月9日に出社して詳細を報告するようにとメールが入っていた。

帰国前に彼女へのお土産を探しにストックホルムの街へ出る、ガムラスタンの街を歩き回り古い画廊の前で1枚の小さな絵が目に止まる。

まるで 魔女の宅急便にでも 出てきそうなガムラスタンの美しい街を描いた1枚の絵これにしよう

この美しい街並みを描いた絵を彼女のために買い求める。 

翌日はストックホルムから車で5時間ほどかけて、クリスタルブランド KOSTA BODA のガラス工場の見学に連れていってもらった。

そこで ひときわ目立つキャンドルスタンド SNOW BALL を2個注文する、1つは自分にそしてもう1つは彼女へのお土産だった。

こうして1日しかないスウェーデンでの休暇は、彼女へのお土産探しに費やされた、それは僕にはとても幸せな時間だった。

明日はやっと日本に帰れる、ホテルのレストランでひとり食事を取ることにする、思えばストックホルムに来てまともな 食事をしていなかった。

10年ぶりに食べるスウェーデン料理はどこか懐かしかった。

(今夜 彼女に連絡してみよう)逢えない時間が逢いたい気持ちを強くしていった、そして僕は彼女の存在の重さに改めて気づく。

<こちらでの交渉がやっと終わり明日帰国します、もう5月なんですねw|;゜ロ゜|w 日本はゴールデンウィークですね、ストックホルムでお土産買いました。今度 逢ったら渡します。9日には出社します ストックホルムも春らしくなってきました> 

今日ホテルの近くの公園で撮った写真を一緒に送る。

一刻も早く日本に、そして彼女に逢わなければ、僕の心はそう叫んでいた。

ストックホルムからフランクフルト経由で成田に着く、東京はすっかり春から初夏へと季節が移り変わっていた。

そしてまたいつもの日常が戻る、会社からは9日月曜日の出社でいいと言われていたが、彼女のことが気がかりで6日金曜日 会社へ向かう。

「あっ堤さん、会社辞めちゃったのかと思いましたよ~」

「そんな訳ないだろ、長期出張でね」 

「BLTとホット グランデを、ここで食べてくから、あとこれお土産ね 」

「ありがとうございます、また飲みに行きましょうね出張の話聞かせてください」

「あぁ、その内に 」

彼女へのお土産が思いの外 嵩張る。

スタバで少し気持ちを落ち着かせ、エレベーターでデスクへ向かう。

「堤部長~お帰りなさい!」

僕を見つけた天谷がすぐにやってくる。

「これ、お土産、大したもんじゃないが、みんなで 」

そう言ってストックホルムで買ったクッキーの詰め合わせを天谷に手渡す。

「ありがとうございます、月曜 出社って聞いていたので」

「あぁ、いろいろあって」   

10メートル先にいるはずの彼女の方へ視線を向ける、彼女の姿はそこにはなかった。(いない?)

「ストックホルムどうでした?交渉上手くいってよかったですね~さすが、堤部長です」

彼女を探す・・・(休みか?)例えようのない不安が僕の心を曇らせる。

「誰か?探してるんですか?」

「えっ?いっいや 」

天谷の機関銃のような質問攻めからやっと開放されて、役員へ上がる、今回の出張報告をするためだ。

「堤くん、お帰りなさい」

人事部の深田さんとフロアーですれ違い様に声をかけられる。

「深田さん、ご無沙汰しています、ただいま戻りました」

「ストックホルムの件、聞いてるわよさすが堤くんね~」

「そんな、いつも通りです」

「堤くん、何か変わった?よね、柔らかくなったっていうか・・・」

「そうですか?」

「うん、変わった、今度飲みに行きましょうよ、私の新しい飲み友達紹介するわ」

「はい、喜んで、じゃあ」

役員室で一通り報告した後、ストックホルムへの転勤の話は白紙に戻したことを告げられた。

「そうですか、わかりました」

交渉が軌道に乗ったことで僕の役目は終わったようだった。

デスクに戻る、やはり彼女は出社していないようだった、彼女へのお土産を一先ずロッカーへ入れておく。

20日ぶりに戻ったデスク、パソコンを開き オフィスを眺める、ストックホルムの出張などなかったかのような風景、何も変わってはいなかった。

ただ街は桜が散って新緑に包まれて、ひとつ季節が変わったことを告げていた。

フェイスブックを開く、彼女からの返信は着ていなかった、僕は彼女にメッセージを送る。

<20日ぶりに出社しました(*゜▽゜)ノ 今日はお休みですか? 出張前に会社から転勤の話があって、でも今回の長期出張の結果で白紙に戻ったみたいです、鎌倉も新緑が美しいですか? 月曜日 お土産渡しますv(*'-^*)-☆ >

月曜日、早速ミーティングの予定が入る、出張の残務整理でデスクに戻れたのは19時近くになっていた、今日も彼女の姿を見ることが出来なかった。

「さて、そろそろ帰るか」

ゴールデンウィークでインターシティの中も閑散としている、外に出て空を見上げる、月が濁って見える 東京の夜、帰って来たことを実感する。

品川駅に歩き出すが、どうしてもすぐに帰る気にはならなかった。

「ビールでも飲んでくか」

いつものイングリッシュパブへと駅と反対方向へと歩き出す、店内は思ったより客が少なく奥のテーブル席に案内された。

「バスペールエールとコブサラダを」ビールでひとり乾杯する。

「くぅ~ 旨い」

(そういえば、3月にここで天谷とばったり・・・ )

そう思った時、「部長~堤部長~」

左奥のテーブルから天谷の声が聴こえる。

「まさか?また?うそだろ」

天谷が何杯目かわからない、ビールを飲み干すところだった。

「天谷、今夜もひとりか? 」

「ひとりじゃ悪いですか?」

「いっいや、問題ないが 」

「そっち、行っていいですか? 」

「あっあぁ」こうして また天谷と飲むことになった。

5杯目のビールを注文して天谷が真剣な目をして私に詰め寄ってくる。

「私のどこが?どこがいけなんでしょう?」

「いけないところなんて、ないさ 」

「だったら、部長が私のこと、もらってくださいよぉ 」

(まずい、完全に 酔っ払っている)

「部長、好きな人いるでしょ?」

「えっ? 」

「知ってますよぉ 私」

「ぁ天谷、そろそろ帰ろうか 」

「やだ、いやです 」そう言って5杯目のビールを一気に飲み干した。

「送っていくから・・・」

天谷がこんなに酒癖が悪かったとは思わなかった。

「グレンファークラス、ロックで」僕の話など全く聴いていない。

(グレン?って)

スコッチウィスキー46度もある、今日はとことん付き合う羽目になりそうだ、そう覚悟を決める。

「堤部長はずるいですよ、自分だけ」

(ずるい?自分だけ?って、さっぱりわからん)

「ストックホルム、行っちゃうんでしょ 」

「あぁ そのことか」

「私、どうしたらいいんですか? 」

(どうしたらって・・・)

「私、ついていってもいいですか?ストックホルム」

「え?なに言ってんだか・・・」

そんな天谷の話を聴きながら、僕たちは閉店時間の深夜12時まで飲み続け、天谷を横浜の自宅までタクシーで送ることになった。

「大丈夫か?天谷もう少しだからな」

「・・・」

天谷はタクシーの中で、気持ちよさそうに眠っていた。

「ふぅ~」

天谷の自宅には数回立ち寄ったことがあった。

(確か?このあたり、母親と二人暮らしのはずだったよな )

「運転手さん この辺で停めてください、ちょっと待っていて貰えますか」

天谷を起こして タクシーを降りる。

「おい、天谷、大丈夫か? 」

「ん?どこですか?ここ」

2軒先に天谷と書かれた表札を見つける。

「あった、ここか」

人影も見えない深夜1時、インターフォンを押すと天谷のお母さんが慌てた様子で出てくる。

「あらぁ 堤さん、すみません、もう由佳たら、こんなに」

お母さんとふたりで玄関まで天谷を連れて行く。

「堤さん、本当にすみません、あとは大丈夫ですから、ありがとうございました」

「いや、じゃあ僕はこれで失礼します」

待たせていたタクシーに乗り横浜を後にする、家に帰ったのは深夜3時近くになっていた。

週末はゴールデンウィークに長期出張だった罪滅ぼし?なのか銀座に買い物につきあわされた後、夕食は鮨屋に行く、そこで 些細なことで妻と言い争いになった。

いつもはそこで僕が黙り込み、我慢するのだが、今夜は珍しく僕も反論し静まり返った店内に妻の声が響き渡る。

そして、妻が凍った表情で、僕の目を見て言った。

「だったら、私たち別れた方がいいじゃない?今だって・・・」

妻はそれ以上話さなかった。

「そうだな・・・」

僕は一言そう言って僕は黙って下を向いた、会計を済ませお互い無言のまま家に帰る。

シャワーを浴びベッドに入る、リビングでは妻と子供たちの話し声が聴こえた。

翌朝、寝覚めが悪くいつもより早起きして駅へ向かう。

駅まで続く新緑の桜並木、昨夜の妻の「別れた方がいいじゃない」の一言が思い出される。

(もう引き返せない・・・)いつものようにコーヒーとBLTをもってデスクに着く。

フェイスブックを開くが、彼女からの返信はない、9時近くになってもオフィスに彼女の姿は見えなかった。

朝のミーティングへ向かう(今日も?休みか・・・)

10時からはスウェーデン出張の報告を兼ねたミーティングが昼まで入っていた(何かあったのか?)

「昼食、一緒にどうですか?」

天谷が申し訳なさそうに言ってくる。

「今日は、私がご馳走しますから」

どうやら先週のことを気にしているようだった。

「じゃあ、つばめKITCHENでも行くか?」

そう言ってふたりで品川駅の方へ歩き始める。

「堤部長、先週は本当に、申し訳ありませんでした、私・・・」

「気にするな、大丈夫 問題ないさ」

「私、途中からぜんぜん記憶なくて、なに言っちゃったんだか」

店に着いて ハンブルグステーキセットを注文する。

「そういえば、部長、ストックホルムへの転勤なくなったって、本当ですか?」

「ん?」

トマトサラダを頬張る。

(トマトは少し苦手だがここのサラダは旨い)

「あぁ、白紙に戻った」

「そうですか、よかった」

「ストックホルムも悪くなかったけどな」

「部長が出張中大変だったんですよ~」

「そうか?」

「そうなんですよ~せっかくチームとして機能してきたっていうのに、コンプラの、柴咲さんも急に辞めちゃうし」

(辞めたって?うそ?)

ベイクドポテトがフォークから抜け落ちる。

「・・・やめた」

一瞬言葉を失う。

「彼女がんばっていたのに、やっぱTEMPってわかんないですよねぇ、結局責任感薄いっていうか」

そう言って天谷はロールキャベツを平らげた、その後の天谷の声が全く耳に入ってこない、行き場のない想いが私の胸を締め付けていた。

「堤部長 聴いてます?」

「あぁ・・・」

(辞めた?僕の出張中に、なんで?どうして?)

気のない返事を繰り返し、ハンブルグステーキを残しデスクに戻る、誰もいない彼女の席に目をやる。

(どうして?なにがあったんだ)

どうしてを繰り返して、居ても立っても居られずに、パソコンを持って2Fのスタバへ向かう。

「こんにちは、堤さん」

「チャイティーラテ、グランデを」

「グランデ チャイラテ~」

待っている間、店長が話しかけてくる 今の僕には何も聴き入れられない。

「あっ そういえば・・・堤さんに渡してって預かっていたものあるんですよ」

「・・・」

「これ・・・なんですけど」

店長が差し出したきれいな青い包み、黄色いリボン、まるでスウェーデンの国旗のようだった。

(なんだ?これって・・・)

「以前 堤さんのドリンクの好み訊いてきた女性がいたでしょ、確か柴咲さんって、彼女に堤さんがご出張から帰ってきたらどうしても渡して欲しいって、自分で渡した方がって言ったんですけどね、本当はこういうこと しちゃいけないんですけど、どうしてもって頼まれて・・・」

(彼女が、僕に)

「ぁありがと」席に戻って包みを開けてみる。

「手紙?」

そこには封筒に入った手紙らしきものと、エッフェル塔のストラップが入っていた。

(あっエッフェル塔のストラップ)

添えてあった手紙を読む。

< 堤さん お誕生日おめでとうございます。 スウェーデンでのお仕事は順調ですか?そちらでもいつもの調子で「問題ない!」って言っているのかなぁ フェイスブックにしようとも思いましたが、最後はお手紙にしました。プレゼント何にしようかなって、ずっと考えてたんですが、今度 買うよって話していたスマートフォンに付けて欲しくてこのストラップにしました。

(私とお揃いですよ)直接お渡ししたかったど・・・私にはもう出来そうにありません、ごめんなさい。堤さんと肩を並べて歩いた鎌倉の段葛の桜並木、私の手を強く握り返してくれたこと、「 ひとりじゃないよって 」言ってくれたこと、あの日のこと私ずっとずっと忘れません。お仕事あまり無理しないで、お身体お大事に さようなら 柴咲亜美 >

きれいな字で書かれた一枚の便箋を何度も 何度も読み返す。

「堤さん、大丈夫ですか?」

店長が見かねて声をかける。

「あぁ」エッフェル塔のストラップを手に取って答える。

「彼女とお揃い・・・の」

チャイティ‐ラテを持ってデスクに戻る。

「天谷、今日は、早退するから」

「えっ?部長、まだミーティングが」

「すまん、進めておいてくれ」

そう告げて会社を後にする。

品川駅へ向かって早足で歩く初夏のような陽気に汗ばんでくる、改札を抜けて横須賀線 15番線ホームへ駆け降りる、やってきた久里浜行きの電車に飛び乗った。

「どうして?どうして?」

を呪文のように 繰り返す。

車窓から流れる見慣れた風景もモノクロに映し出される、橋を渡って住宅街と倉庫街の入り混じった川崎の街を過ぎ、電車は横浜の街へ入って行く。

大船を過ぎてから鎌倉の山並みが見えてくると彼女がいなくなってしまう、その怖さと寂しさに追い詰められていくようだった。

鎌倉駅のホームに立つ、彼女と桜を見たあの日以来、改札を抜けて駅正面に出ると初夏の日差しが照るつける真っ青な青空が広がっていた。

(あっ、そうだ自転車)

スタバの前の駐輪場に向かって、自転車を探すが見つからない。

(あれから1ヶ月だもんな、何をしに、鎌倉まで来たのだろう?)

「あの時 なぜ彼女の手を離してしまったのだろう、自分に少しの勇気さえあれば、こんなことには・・・」

そう自分を責める、僕にとってもう彼女はかけがえのない存在になっていた、気づくと彼女と歩いた段葛をひとり意味なく歩いていた、鶴岡八幡宮の朱色の鳥居が見えてくる。

こんなに近くにいるのに、逢いたくても 逢えない、すれ違う気持ちふたりの距離が遠ざかっていくようだった。

新緑の段葛をひとり歩き、駅に引き返す。

( 帰ろう・・・))

18時過ぎ、こんな時間に家に帰るのは何年ぶりだろう?鍵を開けて玄関に入る。

「ただいま」

(だれも、いないのか)

スーツを脱ぎソファーでテレビを付けると、原発事故関連の暗いニュースが流れていた、しばらくすると玄関のドアが開く音が聞こえる。

「あっ、帰っていたの、これ」

そう言って 妻は無表情で封筒を差し出す、封筒には離婚届けが入っていて、妻の印鑑はすでに押してあった。

子供たちは無言で2階の部屋に上がっていく、どうやら妻と子供たちで実家に帰っていたようだった。

僕の方から話を切り出す間もなくもう もう結論は出ているようだった。

「親権は私が、あと この家の処分頼んだわよ」

「あぁ、わかった」

これが 17年間 連れ添った夫婦のあっけない幕引きだった、深夜 彼女のウォールに書き込みをする。

<元気ですか?今日 会社辞めたこと聞きました 驚きました..大丈夫ですか?心配しています。僕は転勤もなくなりまた来週から札幌へ出張です。誕生日プレゼント ありがとう♪ すごくうれしいです。ストラップ 今度買うスマートフォンに必ずつけます ♪(#^ー゜)v できたら、一緒に選んで欲しい☆話たいこと、いっぱいあります >

次の日も また次の日も彼女からの返信はこなかった。

そんな中、家の売却も決まり、住宅ローンの決済など離婚に向けての手続きであっという間に1週間が過ぎていった、彼女からの返信はない。

僕は構わず彼女にメッセージを送る。

<ストックホルムのお土産もデスクの下にあります、北海道のグリーンアスパラも、 僕は相変わらず出張続きです もうすぐ七夕ですね>

その後も彼女からの書き込みはなかった。

逢いたい想いのまま逢えない時間だけが過ぎてゆく、もう叶わないものならば、いっそ忘れてしまおうと何度も思う。

出張のスケジュールを無理にタイトにする、7月20日 家の引渡しの日、ガランとしたリビングを見渡す。

(こんな広かったんだ・・・)

約10年住んだ家、17年の結婚生活、明日から始まる新しい生活、彼女は「ひとり なんかじゃありませんよ」って言ってくれたけど、この世界でひとり取り残されたような、抱えきれない寂しさに包まれる。

玄関の鍵をかけ 品川のホテルに向かう、そうして僕は新たな道を歩み始める。

「しばらくはホテル 暮らしか・・・」

「堤さん 」

スタバでコーヒーを飲んでいると 突然彼女が僕の左肩を叩く、振り返ると 桜を観に行った時と同じ白いワンピース、そして、こぼれそうな笑顔の彼女が、僕は彼女を強く抱きしめる・・・

(夢?か・・・)

彼女を本当に強く抱きしめたような、そんな感覚だけが両腕に残っていた。ホテルのバスタブにお湯を張る、明日は久しぶりに休暇を取って鎌倉へ行こうと思っていた。

品川のホテル暮らしもいつまでも続けることは出来ず、新しい住居を探すことにする。

そして僕は鎌倉に住むことにした。

彼女が生まれ育った街 鎌倉に、いつか 彼女に逢えるかも?そんな未練がましい想いもあったのは確かだったが、僕は本当に鎌倉という街に心底 恋をしていた。

真夏の日差しが眩しい、今年も猛暑になりそうだ、汗だくになりながら検索した物件を見て回る。

8件目に見た 長谷寺近く3階建ての角部屋のマンションに決める、日当たりも良く、由比ヶ浜まで徒歩5分契約を済ませ 引越しの準備をするため、夏休みを利用して鶴岡の実家に帰ることにした。

離婚をすることは、電話で両親に伝えていた、田舎者の両親は自分自身で決めたことなら、と言ってはいたが電話の向こうで相当ショックを受けていたに違いない。

生まれ育った鶴岡の街は僕を優しく迎えてくれた。

(鶴岡、一度行ってみたかったな)彼女の言った一言を思い出す。

数年ぶりに見る 庄内平野に広がった 夏の田園は 僕の死んでしまった心を蘇らせてくれる。

(今年もきっと豊作だな)

あっという間に休暇は過ぎて東京に戻る日、玄関で見送る両親に、「今度 鎌倉 案内するよ」そう告げて 故郷を後にする。

(8月も もうすぐ終わりか)緑の田園風景を1枚写真に収める。

彼女はきっとどこかでこの写真を観てくれている、そう信じてフェイスブックに写真をアップする。

「鎌倉に引っ越すこと、まだ言ってなかったな、離婚のことも」

庄内空港のロビーで書き込む<鶴岡に来ています、元気ですか? いろいろあって引越しをしました♪ 鶴岡じゃないですよ・・・庄内平野の稲穂はこんなに元気に育っています、今年も豊作です!>

「結局 鎌倉に引っ越すことは言えなかった、もう自分の気持ちを彼女にさらけ出してもいいはずなのに」

鎌倉に越してきたこと、離婚したことは、どうしても彼女に逢って直接伝えたい、そう思っていた。

こうして僕の短い夏休みは終わった、週末 山形から荷物が届く、ダンボールの中には故郷の野菜が山のように入っていた。

(どうすんだ?こんなに)母親の気遣いが嬉しかった。

練馬からの荷物は、ベッドとダンボール箱3個だけだった。

こうして僕の鎌倉での新しい生活が始まった。

「ひとり暮らしをするのは、16年ぶりか? 」今まで住んだことなどない街、彼女が住む、大好きな街 鎌倉、僕の心は20代の頃のようにドキドキしていた。

コンビニから買ってきたビールを開け 一人きりの祝杯?をあげる、窓から気持ちいい 海風が入ってくる、スーツケースから明日着ていくスーツとワイシャツを取り出す。

「あっそうだ、クリーニング屋も探さないとな・・・」

クローゼットにスーツをかけて、バスタブにお湯を張る、まるで出張先のホテルに宿泊しているようだった。

窓を開けて夜空を見上げる、今まで家の窓から星など見たことがなかった、部屋から見る星は優しい光を放っていた。

「この星空を彼女も見ているのかな?」

朝早く目が覚める、まだ5時・・・周りを見渡すと一瞬自分がどこにいるのか、わからなくなる。

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