龍馬が生き延びた多世界とは

@hujito

龍馬が生き延びた多世界とは


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狸狐庵山荘は人里離れた山のなかにある。山頂の松林に囲まれ、南側は広く太平洋を見渡せる。

この夏、堀川という一組の熟年夫婦がこの山荘に移り住んで来た。

山荘は長い間空き家になっていたが、山荘の周りのそこここに自生するヤマツツジが満開に咲く頃、突然リホームの工事が始まり、山荘はあっという間にピカピカに生まれ変わった。そして山荘のすぐ側に狸狐庵窯とかいう怪しい名前の陶芸の窯小屋までつくってしまった。

『狸狐庵』という名の由来について、少し前に堀川夫婦はこんな会話をしていた。

「『狐狸庵舞多』ってのは、どう?ここには狐も狸もいっぱいいるし、それから朝鮮唐津の伝来は韓国『コリアン』から、それをもじって『こりゃあまいった』ってのは?どう?」

と主人が苦しい言い訳のようなことを言う。ここの主人は図体がでかく、どことなくのほほんとした感じで、時間がゆっくりと過ぎているかのようだ。

「そうねえ、わたしが、名前が『梨子(りこ)』だから、『狸狐庵(りこあん)』ていうのは、どう?」

奥さんは、どちらかと言えば小柄で、気のきいた感じで、センスも良さそうだし、やはり陶芸向きなのかも知れない。

「それ、いいかも!さすが陶芸やってる人は何をやるにも考えるにも、センスが違うねえ」主人としてはただ、人をおだてるしか道は無さそうである。

「お隣の小野さん、お隣って云うても200メートルは離れてるけど、この前会うたときに話してたんやけど、ここら辺、狸はしょっちゅう見るんだけど、やっぱり狐も居るそうで、他にイノシシとかイタチ、鹿、それにリスなんかもいるんやって」

「えー?鹿とリスは凄いねえ。見てみたいねえ」

「そうよ。そのうちいっぱい見るだろうって」

「楽しみやねえ、そりゃあ。やっぱりここは、自然の中なんや」


「当たり前だろう。

ここは押しも押されぬ『やまのなか』。

云わばあんたたちが『自然のなかに借り暮らし』なんだよ。少しはその立場もわきまえてもらわなきゃ。

それにしてもここら辺じゃ一番多く棲息する、我々山雀(ヤマガラ)の名前が何処にも出てこないのは、一寸癪にさわるけど、そのうち我々の存在の大きさは、いやが応でも思い知ることになるだろうけどね」


これは山荘のデッキの側にある樫の木に止まって、その人間たちのいとなみの一部始終を見届けている一羽のヤマガラの独り言だった。彼は未だうら若き雄のヤマガラで、名前は未だない。つまり彼こそがこの物語の語り部なのである。


堀川夫婦が越してきて間もなくして奥さんの、りこさんは、早速に新しくつくった狸狐庵窯の工房で陶芸を始め、主人の新さんはひまつぶしなのか趣味なのか、日曜大工のようなことをひねもすダラダラとこなしている。そして彼は暇に任せて、狸狐庵窯の工房の裏の松林に、二本の松の木の間の彼の背丈くらいの高さのところに分厚い板を挟むようにして、我々野性動物の餌場らしきものをつくった。

「ねえ、見て見て、こんなものつくった」新さんは、工房の透明なサッシの裏窓をスライドさせて、熱心にロクロを廻しているりこさんに声を掛ける。

「おー、いいんじゃな~い。ところで、何の餌場?」

「一応ターゲットはリス。この高さなら、イノシシは来れんやろ。鹿もないし」

「で、餌は何を置くの?」

りこさんは、ロクロの電源をわざわざ止めて、律儀に新さんの由無し言に付き合っている。 工房のなかは、形の出来上がったコーヒーカップや捏ねた土、それに半分くらい形の整えられた中途半端な姿の皿など、色んなものが雑然と並べられているが、木立のなかの透明な空気の中で、それぞれが更に鮮明な輪郭を落としていた。

「んー、そうやね、殻付ピーナッツを半分くらい割って置いといたらえいとか、ネットの情報やけど」

そう言う新さんの周辺だけは時空が歪んでいて、更にそれが垂れ下がっているように見えた。

その翌日、新さんの言うように、餌場に殻付のピーナッツが並べられた。しかし、リスでなきゃ食べたら駄目、とかいう手前勝手な理屈はここの山奥近辺では通用しない。つまり、気の付いた者からいち早く頂くのが自然の摂理というものだ。我々ヤマガラは昨日からの情報として、そこには殻付のピーナッツが並べられるということは知っていた。だから、おいらはいつもよりずーっと早起きして、その秘密の餌場に駆けつけたのである。勿論仲間や兄弟たちにも見付からないようそっと忍び足で巣を抜け出した、積もりだったのだが、『月に叢雲、花に風』の喩えの通り、巣の皆んなの知るところとなり、おいらのあとに総勢10羽程の殻付ピーナッツ試食ツアーが出来上がってしまった。

「あれ?ピーナッツなくなっちゅうよ。殻ごと無いから、ひょっとして、リス?」背の高い瓜実顔の新さんが、松林にある餌場を覗き込みながら言う。そして背後にある工房の中で、せっせと作陶に励むりこさんに、話し掛けるともなく振り返る。

それでもりこさんは、またいつものように、律儀に忙しい手を止めて新さんの由無し言に付き合っている。

「いや、どうやら違うよ。リスではないみたい。わたし、ここから何度か見たんやけど、雀くらいの綺麗な色した鳥が、ピーナッツ殻ごと持ってってねえ、近くの枝で、殻をツンツンやって中身取り出してた」

りこさんは、何時も老眼鏡掛けて作陶してるくせに、中々詳しく周辺を観察しているようだ。彼らには未だ、我々ヤマガラという鳥が識別されていないようで、ただ、『綺麗な色した鳥』というのは、極めて的確な表現だった。

その後新さんは、それがリスではなかったことに落胆はしつつも、ピーナッツ以外の色んなものを餌場に持ってきて、仰々しく並べたりした。それは生米だったりヒマワリの種だったり、或いはアンコの入った饅頭を半分に割ったりしたものまで置いて、まるで残飯処理場のようだ。

「甘いものとか、米は食べんのやねえ。どうやらその鳥、ヤマガラみたいよ。こんな鳥じゃなかった?」

新さんは工房にタブレットを持ち込んで、ネットの写真をりこさんに見せている。

「そうそう、これこれ、この鳥だった。シッー、今、そこに来てる」

りこさんが、工房の窓越しにおいらの方を指差す。

「あっ、ほんとや。やっぱヤマガラやねえ、あれは。パッチワークみたいな模様や。あの鳥は凄く人懐っこい鳥でねえ、あの、ひも引っ張っておみくじ引くやつがあるやんか。あの鳥がヤマガラらしいよ」

「へー、そうなんや。本当、パッチワークみたいやね、模様が。綺麗な鳥だー」

そこまで褒められてもやりにくいが、この人間達の残飯の中で、我々の食べれるものはヒマワリの種だけで、これなら一応我々の好物の中に仕分けられるもののひとつであった。



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ここにきて、堀川夫婦も漸く、我々ヤマガラの好物のひとつがヒマワリの種であることに気付いてきたみたいで、例の松林の餌場だけでなく、山荘のデッキの上に置いたりもしだした。しかし、それでも尚新さんは、

「あくまでも、僕の餌付けのターゲットはリスか野うさぎやからねえ、いや鹿でもえいけど。でも鹿は今、ハンターの駆除の対象になっちゅうからねえ。餌付けしてると、怒られるやろうか」などと能天気なことを言う。

「でもヤマガラは、結構人懐っこいみたいやから、ひょっとして手の上に載って餌を啄んだりするかもよ」

どうやら、りこさんは我々の支持者らしい。「いやー、どっちにしろ僕は、鳥じゃねえ、誰でもやってて、どこででも見掛ける景色やからねえ」と新さんはあくまでも格好つけてるようだが、それでもヒマワリの種を買ってきて餌場やデッキに置くのは、やはり彼の方であって、「ヤマガラは空から飛んで来るき、木の上に置こうが何処に置こうが、一番先に見付けて食べてしまうから、他の動物が来る前に無くなるき、質が悪い。どうしたもんかねえ」と愚痴ばかり言いながらも置く場所を少しずつ変えて、毎日のように我々にご奉仕してくれる。


ある日デッキの上にヒマワリの種が置いてあって、隣の巣の雌の一羽が巡回中にそれを見付け、仲間に知らせようと松林の方に帰ってきた。いち早くそれに気付いたおいらは、彼女を促してその餌場に案内してもらう振りをする。

「ヒマワリの種が、いっぱい置いてあります。だから、みんなに」

彼女はここら近辺では可愛いことで有名な若い雌のヤマガラで、おいらはとっくの昔から彼女に目をつけていたわけで、木の葉の陰からハヤブサと彼女の行動には入念なチェックを入れていた。ハヤブサへの監視は勿論自分と仲間たちの身を守るためのものだが、彼らの急降下は目にも留まらぬ早業で、これで仲間がたまに命を落とすことだってある。夜は夜でまたフクロウ達がウロウロしているし、まさに自然のなかは油断もすきもあったものではない。くわばら、くわばら、である。

一方の彼女の方は、もう言わずと知れたこと、おいらの伴侶にしたい一心であった。

「よし、おいらが先に行って、危険がないか確かめとかなきゃね」

「そうですね。すごい!さすがー!」

まあ、乗せ上手、このアマ、などと呟きながらも、おいらのテンションは上がっりっ放しで、最早夢見心地である。

取り敢えずふたり揃ってデッキの方に行ってみた。我々鳥類は、確実に人間たちの3倍以上は目がいいし、その上紫外線なんかも見えるわけで、人間たちとはまた違った景色が見えていて、言い換えれば、ちょっと違った別の世界に住んでるみたいなものだった。例えば、我々にとってヒマワリの種などの木の実や果実は蛍光色に光っていて、ずっと遠くからでも小さな種でも簡単に探し出すことが出来る。因みに雄と雌も発してる光の種類が違うから、雄の仲間を雌のヤマガラと見間違えることは決してないわけで、人間世界のオカマ達がいくら化粧して着飾っていても、それが女に見えたりすることは100パーセントないのである。

ところで、我々ヤマガラの世界には名前というものがない。識別するのに不便だから、おいらの彼女のことを仮にここで、P子としておこう。そしておいらはQ太郎、少し響きが悪いが、まあ仮の話だからいいとしよう。

そんなわけでP子に付いて行き、山荘の側にある樫の木の枝に 止まってデッキを見下ろしていた。

なるほどデッキの上に、宝石のように輝くヒマワリの種が結構いっぱいばら蒔いてあった。しかしよく見ると、そのヒマワリの種からそれほど遠くないデッキの上に、新さんが安っぽい折り畳み式の椅子に座って本を読んでいる。つまり、我々がヒマワリの種をゲットするためには、どうしても彼の近くまで近寄らなきゃいけないということになる。これは新さんの何かの陰謀に違いなかった。実に性格が悪い。

「わたしは、とてもじゃない、あんなところにヒマワリの種取りになんて行けないわ。あなた、行ける?あなたでも、無理でしょ?わたしお腹空いてるから食べるものは欲しいんだけど、出来たら行ってきて欲しいなあー」P子にこんなことを言われ、おいらとしても黙って引き下がるわけにはいかない。全くこの娘は、色仕掛けで何処まで雄を操りゃ気が済むんだよ、などと呟きつつも、やはり彼女をゲットするためには行くしかない。ほれた雄の弱味とでもいうのか、雌の魅力はタダ者ではない。

恐る恐るではあるが、あくまでも平気を装って近付いてみると、意外と何てことはなかった。新さんも故意なのかたまたまなのか、ヤマガラが自分の近くまで飛んで来たことをそれ程気に掛ける様子もない。それを見てP子も行く決心がついたようだ。彼女は、最初はもう大変なびくつきようで、デッキの上をカエルのようにピョンピョン跳ねながら、漸くのことヒマワリの種のところまでたどり着き、そこからは凄いスピードで種をくわえるや否や、同時に飛び立っていた。見てても気の毒なくらいの慌てようである。

でも大丈夫。そんなことも最初の二三回だけで、ふたり共すぐに馴れると、デッキの上のヒマワリの種をあっという間に平らげてしまった。       


         

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 おいらたちヤマガラファミリーと堀川夫妻がこの狸狐庵山荘に住みだして、未だほんの数ヵ月しか経たないが、この山荘の建物がこの場所に建ってからは、もう20年以上の歳月が流れているらしい。となれば堀川夫妻以前に、どんな人がここに住んでいたのかちょっと気になるところであるが、勿論おいらが生まれる前の話なので、知る由も無いことである。

ところが、実はおいら、他の誰にも内緒にしていることがあって、いやP子にはトップシークレットとして一応話しはしたが、以前この山荘にどんな住人がいたのか確める方法を知っているのである。

 狸狐庵山荘の窯小屋の裏の松林を100メートル程登った山の上に、双子岩という大きな岩山がふたつ並んで立っているところがある。そのふたつの岩は、ほとんどくっつくくらいのところもあって、その間隔はさほど広くはなかった。

ある日おいらは、餌となる小さくてすばしっこい虫を追い掛けているうちに、その挟まれたような空間に入り込んでしまった。すると体が捻られ更にフラフラと揺れるようになり、そして周りの岩に翼がぶつかりそうになりながらも、辛うじてそのままの勢いでそこを通り抜けていった。その時、おいらはひどい目眩のようなものに襲われ、近くの枝で暫く休んでいたのだが、こんな時はさっさと巣に帰って寝てしまうに限ると思い、狸狐庵山荘に近い我が巣に帰ろうとすると、あれっ?、なんか様子がおかしいぞ、となった。

松林の松の木は、形も違うしその大きさも少しずつ違うような気がする。それに、小さな木々に至っては、その様子がまるっきり違うのである。驚いたことに、向こうの方に山荘はあるが、その手前にあるべき窯小屋の影も形も見えないし、肝心のおいらの巣さえ見当たらない。おいらは再び酷い胸騒ぎとくらくら感に襲われて、そこら辺の松の枝でバタバタしていると、一羽の若い雄のヤマガラが近付いて来た。

「どうしたんだい?見掛けない顔だけど、隣村から来たの?こんなところでウロウロしてて、うちの兄貴に見付かると、ひどい目に遇うよ。兄貴は縄張り意識が強いから」

おいらたちヤマガラには、ファミリーで形成されるテリトリーというものがあって、その範囲は数百メートルに及ぶ。そして、そのなかも更に各ヤマガラが支配する空間に分けられるが、この区分はあくまでも曖昧であって、互いにかぶってたりしてしょっちゅう変わる。

特に餌場などでは、例え親子兄弟同士でも関係なしに、常に凌ぎを削っている。

「えっー?ここはおいらたちのテリトリーの筈だよ」おいらは平然と言った。

「じゃあ、君の巣はどこ?」

そう言いながらその若いヤマガラは、キョロキョロと周りを窺うふりをした。

えっー?同じだー!、思わずおいらは心のなかで叫んだ。おいらたちヤマガラは、頭は全体に黒いが、逆モヒカンのように白い線が描かれてある。そしてその線は、太かったり細かったり或いは地図みたいにギザギザになっていたり、なかには白い部分が殆ど無くて黒い頭に白い点々がある程度の奴もいる。つまりこれは、人間に云わせれば、指紋代わりとなるらしくて、しかもその模様は遺伝によって、殆どが両親のどちらかの模様とほぼ同じなのである。

その若いヤマガラがキョロキョロしている間、おいらは漠然と彼の頭の天辺付近を見ていた。彼の頭の上には白いモヒカン部分が殆どない。黒いなかに、点々とした白いものが飛び石のように並んでいた。正にこれはおいらたちファミリーの証し、なかでも兄弟8羽のうち6羽はこのマーク、云わばわが家のトレードマークだった。

「おいらたちの巣は、・・・えーと、どこだっけ」

おいらたちの巣はどこにも見当たらなかった。窯小屋もないし、ひょっとしておいら、場所を間違えているのではと辺りをウロウロしてみたが、山荘を含めその他は大体、いや、ほぼ同じだった。

ところが、山荘の南側デッキに、つまり山荘の主人が我々のためにいつもヒマワリの種を置いているところに回ってみると、そこには新さんでもりこさんでもない、白髪の老人二人が、見慣れぬ背もたれのある木の椅子に腰掛けて、四方山話に花を咲かせていた。四方山話だかどうだか、長い時間聞いてるわけでもないが、白髪の老人が二人並んで、亜米利加までもが見渡せそうな広大な太平洋を眺めながら何かを語り合う姿は、賢者が二人、天下国家を論じているかのようで、木々の紅葉のなか絵になる光景であった。

「好さん、今度の龍馬の生誕祭は何回目になりますか?」

髪の毛も髭も白くて多目な、どことなく仙人を彷彿させる方の老人が云う。

「今年2010年が、生誕175周年、ですね。ところで大さん、今年はあなたも行ってみますか。知事と市長も来るように言うてましたよ」

「わたしはいい。でも、なんですなあ、あなたが提唱して、桂浜に龍馬像が建ってから、もう82年の歳月が経つんですねえ」

好さんと呼ばれる老爺は、白髪だが額が広く、頭の天辺には殆ど髪の毛は残っていない。

「そんなに?そうか、そうなりますか。あれは僕が大学2年のときで、今年僕が107歳になるということは、そうなりますよねえ」

えーっ?107歳?、そりゃあ凄い、おいらたちヤマガラは、精々生きて10年から12年、そんなに生きてたら、背中に苔が生えちゃうぞー。

「我々が大学の同窓会で赤坂プリンスで再会してから、もう40年近くになるのか。あの頃は日本も景気がよくって、うちの会社なんかも一晩の接待額が何百万にもなったらしいからねえ」

「ほんとじゃねえ。我々、人類の歴史の中で一番えい国の、しかも一番えい時代に生きちょったのかも知れませんねえ。勿論太平洋戦争も体験したけど」

そう言いながら好さんは、デッキのうえの丸テーブルに置いてある、先程大さんの奥さんが運んできた冷や茶のようなものをごくりと飲んだ。

この山荘には、どうやら大さんという仙人みたいな老爺と先程彼に康子と呼ばれていた奥さんが暮らしているようだ。

おいらは今、デッキの横にある樫の木に止まってその一部始終を見ている。

実はこの樫の木、堀川夫妻が暮らす山荘のデッキの横にあるものと殆ど同じ大きさ、同じ枝振りをしていて、云わばここはおいらの定位置というべき場所で、おいらにとっては、どこがどうなってるのか目を瞑っていてもわかるわけで、誰がどう言おうと、これは全く同じ樫の木であることに間違いはなかった。

それに、山荘についても堀川夫妻のものと同一のものと思われるし、ここから見える景色も、多分同じものだろう。でも、住んでる人は明らかに堀川夫妻ではなく、大さんと康子さんという老夫婦のようだ。

これは一体、どういうことだ?

全くもって困ったことになったもんだ。その上、周りにヤマガラはいっぱいいるようだが、P子やおいらの兄弟たちの姿が見えないし、おまけにおいらの巣も見当たらない。このままだと、今晩おいらは野宿ということになりそうだ。

このときおいらは、これはきっと何処かで迷ったに違いないと思い始めた。そして、朝から今までのおいら自身の行動の一部始終を逐一、ひとつひとつ思い起こしてみた。

「あれだ!」そう気付くのに長い時間はかからなかった。「双子岩だ!」おいらがそう叫ぶと、好さんがおいらの方を振り向きながら、「おお、あそこにヤマガラが居るねえ。彼らは、実に人懐っこい。ピーナッツとかヒマワリの種、手に載せてると、手に止まって食べ出すのよ。若い頃、よくやったねえ、大さん」と云うと、山荘の中でそれを耳にした康子さんがわざわざデッキに出てきて、「そうなんですか。今度やってみようかなあ」と言う。おいらのお陰で、話は盛り上がってきたようだが、おいらとしてはそんなことに付き合ってる暇はなかった。双子岩で何が起こったのかを究明しなければ、おいらは永遠にうちに帰れないことになる。

あのときおいらは、虫を追いかけて双子岩の、岩と岩の間にできた狭い隙間を一気に駆け抜けた。その時おいらは、フワフワとした気分になって具合が悪くなり、木の枝で暫く休んでいた。それは、道に迷ったというより、何だかよく判らないが、空気と空気の段差を潜り抜けたような気がした。岩の間の空気がどこか曲がっていて、何かに引っ張られて息苦しくなるような或いは狭い空間を潜り抜けていくような、兎に角、何もかもが歪んでいたのである。

おいらは、その時とは逆方向にそこを通り抜けたら、きっと元通りに戻れるような気がして、早速にやってみた。でも、全く何も起こらない。極普通の感覚である。また同じようなことを繰り返しやってみるが、やはり駄目だった。今度は通り抜けるスピードを少し上げてみると、あれ?、ちょっと手応えがあったような、これにはちょっとしたこつがあるのかも知れないと思った。あのとき、おいらは必死で虫を追いかけていて、結構スピードが出ていたのを思い出した。そしてどんどんスピードを上げていく。更に助走をつけて全力で駆け抜けたとき、あの、体全体が絞られるような強烈な感覚が甦って来て、おいらの体は渦を巻くようにして草むらに投げ出された。おいらは、襲ってくるめまいと吐き気を蹴散らすかのようにして松林を通り抜け、山荘へと急いだ。

「あったー!」おいらは堀川の奥さんの窯小屋を見付けたとき、そう叫びながら、気が付くと、涙ぐんでいた。


「どうしたの?!」P子がいち早く駆けつけてくれた。その事も嬉しかった。余計に涙が溢れて来た。

「何があったの?そんなに泣いて」

P子の目もなんだかうるうるしていた。

「いや、ちょっと。一言じゃ言えないから、後でゆっくり話すけど、それより、今は何年?」

「今は2013年よ」

「どうしてそんなこと知ってるの?」

「だって、窯小屋の壁に、りこさんが今度の陶芸展のポスターを貼ってあるもの。それに2013年って書いてあるよ」

おいらが窯小屋の窓から覗き込んでみると、P子が言う通り『開催期間、2013年11月15日から11月22日まで』と書いてある。りこさんはその日を目標にコーヒーカップをいっぱい作っていたのだ。

やはり、今は2013年で間違いなさそうだ。

ではどういうこと?先程までおいらは、2010年のこの山荘に居たということか?、ということは双子岩の岩の隙間は過去へ通じるトンネルということになる。

今度はデッキの方に行ってみた。平和な顔をした新さんが、いつものように折り畳みの、ニトロで買ってきた安物の椅子に座って本を読んでいる。リホームの所為なのかどうか、デッキの板の方向が変わっていたり、山荘の色合いも言われてみれば少し違うような気もしたが、デッキの側の樫の木の位置や枝振りからして、同じ場所であることは間違い無さそうである。

おいらとP子は、樫の木のお決まりの枝に並んで止まり、やっと落ち着きを取り戻したおいらは、今朝からおいらの身に起こった奇想天外な出来事を事細かに話し始めた。P子は、ビーズのように真っ黒であどけない目をクリクリさせながら、そして時々「えーっ?すごーい!」などと間のいい相づちを打ちながら、熱心に聞いていた。

「もし、戻って来れることが確実なら、私も行ってみたいわ。過去へ行けるなんて、凄いわ」

実を言うとP子は、臆病なくせに好奇心だけはおいらよりもずっとずっと旺盛で、彼女が何かに興味を示したら、大抵はおいらが胆試しみたいにして先に行かされ、安全なことが確認されれば漸く自分が行くというのが、いつものパターンであった。

「絶対帰れるという保証は何処にもないね。でもね、あっちでずっと暮らすことになったとしても、それはそれでいいんじゃないの、特に我々二羽が一緒に行けるとしたらね。好さんも大さんも、そして大さんの奥さんの康子さんも、年はとってるけど凄くインテリっぽい雰囲気で、とても悪い人とは思えない。それに、おいら達の巣のところに、おいらのおやじかおじいちゃんらしきヤマガラがいた。我が家のトレードマークの黒い頭して、しかもそのヤマガラが、おいらよりちょっと若かった」

「えー?凄ーい!おじいちゃんがあなたより若いなんて。でも、それにしても二度とここに戻れないなんて、それもそれでちょっと怖くない?」

「そこに行けば、それなりに直ぐに慣れるよ、きっと。今、ここの山荘を離れて隣の山に移住するより、変化は少ないかもよ。それに我々、長く生きたとしても精々10年そこそこでしょう。そうだ、その好さんと大さんていうふたりね、二人共100歳を過ぎてたみたいよ」

「えーっ?すごーい!人間の寿命は、大体80歳くらいって聞いたんだけど」

「なかにはそんな人も居るってことでしょう、多分ね。おいらの思うには、人間と我々ヤマガラでは、時間の進む速度が違うってことでしょう。つまり我々の10年と彼らの80年は、長さは違っても中身は同じってことだよ、きっと」

「へー、そんなことがあるんだ」

おいらたちが夢中になって樫の木の枝に止まって話していると、いい加減その鳴き声が気になるのか、デッキのうえで本を読んでいた新さんが、先程からこちらの方をチラチラ見ながら気にしていて、いきなり椅子から立ち上がったと思ったら、彼にしては意外ときびきびとした態度で山荘の中に入って行った。

暫くして、やはりおいらの予想通り、新さんは右手いっぱいヒマワリの種を握るようにして持って、再びデッキに出てきた。そして、この前よりも更に自分の足元近くのデッキのうえにヒマワリの種をばら蒔くように置くのだった。


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 デッキの上に置いたヒマワリの種は、ニトロで買った安物の椅子に座る新さんの裸足の足の間近に迫っていた。それを我々ヤマガラたちが、恐る恐るにでも取れるようになると、とうとう彼はそれを自らの足の甲の上に置いたのである。

それを最初に取りに行くのも、矢張このおいらの役目である。P子はそれを遠くの木の枝に止まり、固唾を飲んで見守っている。ここはおいらとしても、尻込みなんぞしている場合ではない。取り敢えずは新さんの足の近くのデッキまで飛んで行き様子を窺う。新さんはじっとして動かず、顔もそむけて、いわゆる知らん振りの構えだ。いくらおいらでも人間の足に、しかも素肌剥き出しの足の上に止まるのは流石にきつい。勇気を振り絞っても、おいらの足と体は硬直したように真上にしかジャンプしない。しかしそれでも、少しずつは新さんの足の方に近付いていって、最後においらはピョンとその足の上に乗った。そしてやっぱり、その人間の素肌の、ぶよっとした感触に驚いて飛び退いた。びっくりはしたが、それほど悪い感触ではない。思い直して再び足の上に飛び乗ったおいらは、素早い動作でヒマワリの種をくわえ一気に飛び立った。成功である。そんなことが何度か繰り返され、ヒマワリの種はとうとうデッキに座っている新さんの手の平の上に置かれた。しかし、不思議とそれに今までのような違和感はなかった。おいらとP子は、意外とすんなりと新さんの手の平に止まり、大して緊張することもなくヒマワリの種をくわえて飛び立つ。そしてそれは、いつの間にやら病み付きとなり、デッキの上にばら蒔かれているものよりも、我々は新さんかりこさんの手の平の上に置かれているものを欲するようになった。

慣れとは一体なんなんだろうと、改めて不思議に思った。

「ねえ、このヤマガラたちの頭の上の白い線ねえ、濃さとか形が全然違うわねえ」

ある時、勘の鋭いりこさんが突然言い出した。

「ああ、そう言われたら、違うかも知れんね」

新さんはその体の通りに、いつものっそりとした雰囲気だ。

「いつも先に手に止まりに来る方は白い線が殆ど無いのよ。二番目に来る方は、白い線がくっきりしていて、白い部分の幅も広いの。それって、あなた、気が付いてない?」

「へー、そこまでは知んかったなあ。さすがにA型人間は、何でもかんでも細かく観察しよるんやねえ」

そう言って新さんは、自分の気付かなかったことを血液型の所為にするのだった。

「てことは、頭の上の白いモヒカンはヤマガラたちにとっては、指紋代りってことになるねえ」

新さんもたまにはいいことを言ったみたいだ。

「そうよねえ。それで見分けが出来るってことよねえ」

「じゃあ、最初に来る、白い線が殆ど無くって全体が黒っぽい奴の名前は、ブラッキーとしよう」

段々と新さんのペースになってきた。

「じゃあ、後から来るのは?」

「当然、ホワイティーでしょう。あの二羽の名前は、ブラッキーとホワイティーね。ブラック&ホワイトで夫婦仲良く!なんちゃって」

ここにきて漸くおいらたちの名前が決まったようだ。

おいらはQ太郎ではなくヤマガラの『ブラッキー』、そしてP子が『ホワイティー』である。

名付け親は勿論新さん。あんまり自慢にもならないだろうが、まあ有り難く頂戴しておくことにする。

その後も我々がデッキ近くに姿をみせると、「あっ、ブラッキーが来た」とか、「ブラッキーとホワイティーが来たよ!」などと、山荘の方から堀川夫婦の声が聞こえてくる。当然悪い気はしないものである。 

こうしておいらたちは手乗りヤマガラとして、それぞれが名前まで貰って大切に扱ってもらったが、矢張ご多分に漏れず世の中、いわゆるライバルというものが現れて来るものである。

他のヤマガラたちもそのうち、おいらたちの真似をして人間の手の平に止まり、ヒマワリの種を平気でくわえていくようになる。

そして新さんから、『歌舞伎』とか『U字溝』或いは『スレンダー』といった特異な名前を貰う者もあった。特に『U字溝』はコンビとして二羽で形成されていて、彼らは臆病なために人間の手の近くまでは飛んで行ってヒマワリの種を取ろうとするのだが、直前で人間たちと目が合ったりすると、「やっぱり無理ー!」などと言いながらUターンしてきて、そんなことを繰り返してるうちに、新さんがお笑いグループ『U字溝』の名前をそのまま貰ってきて、そんなふざけた名前がついてしまったそうである。


 そんなわけで、おいらたちヤマガラはこの山荘を中心に餌場を作り、ライバルとの凌ぎ合いはあるにしろ割合に平凡な日々を送っていた。特においらはホワイティーとの仲も上々で、大した悩み事すらなかったのであるが、この前の双子岩の一件は呪縛のようにおいらの心身を捉え続けていた。

あれは絶対に夢とか幻でないことは確かだ。そしておいらはこの山荘の3年過去に行っていた。但しこれは多分の話で、余りに奇想天外な出来事のため、何事も確信はなかった。というのも好さんと大さん、それに山荘までもが時空を越えて同一のものであるという確証は何処にもない。ひょっとして、似てるが全くの別物である可能性も十分ある。

最近おいらは、これを確めるべくもう一度過去に、今度はホワイティーと共に行こうと考えていた。


狸狐庵山荘は、標高が300メートル程の山のうえにある『星が丘 vil . 』という別荘群のなかにあり、その別荘群の中央付近に 『星が丘コンベンションハウス』という大きな建物がある。

この前おいらがそのコンベンションにふらりと立ち寄った際、そこのおねえさんがお客に面白いことを話しているのを耳にした。

「この建物は、あの有名な建築家山口玻月さんの設計なんですよ」

「へー、道理でセンスいいと思った。で?誰が、何のためにこんな山奥に建てたんですか?」

そのお客というのはリタイア組らしく、暇に任せて何にでも興味を持ちそうな雰囲気で、そして何処にでもいて決して一度では覚えられない風貌の熟年夫婦だった。

「ここは、別荘の人たちの利便施設であると同時に、研修施設も兼ねているんです。建てたのはですね、学生時代にあの桂浜の龍馬像建立を提唱した、入間好澄さんです。ここの施設にも彼の書とか本が展示されてますよ」

「そうですか。だから龍馬の写真なんかが方々貼ってあるんですね。そこの書なんて文面を見てみると、入間さんが93歳の時に、あの『龍馬がゆく』の原作者司馬遼太郎からもらった手紙を屏風にしたものなんですねえ。入間さんは一体何歳まで存命でいらっしゃったんです?」

このお客は結構話が長そうだ。大体、中高年の人間というのは面白くもない話を長々と話すのが特徴らしい。

この前、そう、今から3年前に107歳で存命だったから、ひょっとして、今でも110歳で元気なのかも知れない、それに桂浜に龍馬像を建てたというところまで一致している、などと考えていると

「その屏風を作った翌年には亡くなられたそうですので、94歳で亡くなられたってことですかねえ」

えーっ?それはどういうことだろうか 。

おいらのおつむは混迷を極めた。

あのときの老爺も確か『好さん』と言ってた筈で、しかし矢張それは別人なのかとも思ったが、その書の隣には、入間好澄さんなる人物の写真がちゃんと貼ってあって、おいらはハウスの中にまで進入してその写真をシゲと観察したのであるが、それは正に、あの3年過去の狸狐庵山荘のデッキで大さんと語り合っていた好さんその人だったのである。勿論その写真の方が多少若いのは当たり前の話なのだが、もうその年になると、言うほどの大した違いはなく、それが同一の人物であることは一目瞭然であった。星が丘コンベンションから帰ったおいらは、早速ホワイティーにその一部始終を話してみた。夫婦というのは、こうして色んなことを話し合えるところにいいところがあるわけで、そうすることによって不安は半分になり喜びは倍増するものである。

「どういうことかなあ。おかしいと思わない?3年前の好さんは107歳以上生きてて、ここにいた好さんは94歳で亡くなったってこと?」

狐に摘ままれたようだとおいらは言った。「じゃあ、ここに居た好さんと、3年前にデッキに居た好さんは別人だということですか?」

ホワイティーは人一倍好奇心が強いところがあった。

「てことかなあ。今の世界に居た好さんは、十数年前に94歳でなくなっているんだから、3年前には居ないってことだよねえ」

「だよねえ」

「おいらが行ってた3年前の世界に居た107歳の好さんは、好さんだけど別の好さんということになるのか」

「訳解らんけど、そうとしか考えられないわよねえ。顔がそっくりの双子とか、名前も同じ『好』が付くことは考えられるけど、龍馬像を建てた好さんは多分一人だろうから、いやちょっと待ってよー、ふたりとも龍馬像は建ててるってことよねえ。じゃあ同一人物ってことになるわよねえ。あーっ!また、訳解んなくなっちゃった。もういや」

さすがのホワイティーも、ギブアップした。

おいらは、もうとっくにギブアップしている。

でも、決して諦めたわけではない。考えても解らないときは、実行あるのみ。試行錯誤を繰り返すうちに自ずと道は開ける。強固な鉄の扉もいつかは開かれる時が来る。おいらには、今度はホワイティーと一緒にあの双子岩の間をくぐり抜けることしか頭になかったのである。


                    5


人間たちは、おいらたちヤマガラが彼らの手のひらに乗ってヒマワリの種をくわえて持っていくのがよっぽど嬉しいとみえて、毎日数回、『ビーッビーッビーッ!』と我々の泣き真似らしき声を出しながら手を差し出して餌をくれる。そして山荘の新さんとりこさんは、来訪者達全員にお手本を示しながらその技を伝授しようとするが、おいらたちにとってそれは唯のパフォーマンスでしかなく、少々緊張してしまう。例えば、いくら向こう見ずな性格のおいらでも人間の方に飛んで行ったり或いは彼らが差し出す手のひらに乗る直前には、相手をみたりその状況を確認したりするもので、誰の手にでも乗るというわけではない。というのも彼らの中には、我々を突然捕まえたりして観賞用に飼ったりする輩もいると聞く。そうしておもちゃの鈴を引っ張らせたりおみくじを引かせたりして喜んでいるらしい。そうなると、一生狭い籠の中に閉じ込められ、餌はたんまり貰えれるとはいえ、それは死ぬより辛いことであろう。いっそのこと隼なんかの猛禽類に襲われて、一瞬の内に決着をつけてもらった方がおいらの性格には合ってると云うもんだ。

手に止まった瞬間、お互い目が合うわけで、そのときにそれが新さんだったりりこさんだったりするとどことなく安心も出来るが、時として見慣れない子供や変なおばさんだと、「来た!来た!」などと大声出したり、或いはまたいつ血迷ってつかんだりしないとも限らないし、落ち着いて餌なんぞ啄んでいる場合でもなかった。


「ねえ、ブラッキーって雄だよねえ。ホワイティーが雌で」

「ほぼそれに間違いないでしょう」

「ふたりは夫婦よねえ」

りこさんは山荘の食卓に座り、パソコンの画面に目をやりながら話している。

彼女は最近フェイスブックとやらを始めたそうで、デッキのテーブルの上に自分の作ったコーヒーカップを置いて、その上においらたちを止まらせて写真を撮ったり、日々の出来事を記事にして投稿しているみたいで、一日のうち長い時間をそれに費やしていた。

だから今もおいらたちヤマガラのこと、ことによってはおいらとホワイティーのことを記事にしているようで、夫婦であれやこれやと詮索しながら記事をつくっている様子だった。

「ヤマガラは、基本は、一夫一婦制らしいね」

「えーっ?そうなの?最近ブラッキーってもう一羽の雌らしきヤマガラを連れてきてたよ」

「何?それー」

「最近ホワイティーは、下半身がぶるぶる震えてるのね。どうしたんやろ、卵を産む前なのかなあ、それともどっか体の調子が悪いのかなあ、なんて思ってたのね」

りこさんは女だけあって、同じ雌同志のホワイティーの異変にいち早く気付いてたようだ。一方の新さんは、

「ホワイティーは何やっても鈍臭いねえ。この前なんか、山荘の中に餌置いてたら、取りに来たのはいいんやけど、出口がわからんなってねえ、硝子戸にぶち当たってパニクってたよ」

などと暇さえあれば他人の悪口を言う。ホワイティーが聞いたらきっと怒るに違いない。

「あっ、そう。可哀想に。もっと取り易いところに餌置いてやらにゃあ。具合が悪いみたいやから」

りこさんはあくまでも優しかった。

そして、りこさんの話は続く。

その頃から、ブラッキーが山荘の餌場に来てもホワイティーの方は姿を見せなくなり、矢張病気だったのか或いは卵を産んだのか、などと心配していた。そんなある日のこと、わーっ、ホワイティーが一番先に餌取りに来たと、思わず声を上げた。ホワイティーは相変わらず餌のところでは逃げ腰で、そのあと直ぐにブラッキーもやって来た。ところがブラッキーはもう一羽の見慣れない新入りヤマガラを伴っていて、なんと来るなりホワイティーを追っ払らおうとした。二羽はいつも一緒で、丁度我々みたいに、とても仲のいい夫婦ヤマガラだと思っていたのに、到底信じられない光景だった。因みに新入りヤマガラのモヒカンは極普通の幅と色であった。ホワイティーを追っ払ったあと、ブラッキーと新入りヤマガラは窓際に蒔かれた餌を仲良く啄んでいたが、そこに再びホワイティーが現れ、今度は新入りヤマガラとホワイティーが連れだって何処かに行ってしまった。二羽で妻の座をかけて、差しで話し合いに行ったんじゃないかしらねえ、そんな感じだったわ。ヤマガラの世界も、人間と同じなんだね。暫くしてホワイティーと新しい彼女が帰ってきて、今度は三羽仲良く窓際のヒマワリの種を、代わる代わるに啄みだした。一夫一婦制の多い鳥類なのに、まさかブラッキーは二羽の雌を妻の座に据える積もりじゃないかしらねえ、とりこさんは厳しそうな口調で新さんに訴えるが、詰まるところ、どうやらおいらに対しては酷しい評価を下してるようだった。


りこさんが色んな憶測をしているようだが、ここからはおいらがその真相をお話ししよう。

りこさんの言うこと、実はこれが全く総てその通りなわけで、おいらこうみえて女の子には絶大な人気を誇っていて、ここら近辺じゃあイケメンヤマガラとして結構有名なのだ。ある日狸狐庵山荘の屋根の上に付いているTVアンテナの天辺に止まって、自慢ののどを披露していたところ、一羽の雌ヤマガラが飛んできた。彼女は一寸した長距離を移動中で、丁度手頃なTVアンテナの上で羽休めをするつもりだったようだが、可愛い女の子と見れば黙って見過ごせないのがおいらの性分で、「どこに行ってるの?」とか「年はいくつ?彼氏はいるの?」などと矢継ぎ早に質問しているうちに、いつの間にやらカップルが出来上がっているから不思議なものだ。

特に自分の妻が妊娠中ともなれば、それはもういとも簡単に退廃的となるのである。かといってホワイティーをほったらかしにするわけにもいかない。彼女は変わらず、いや妊娠中の彼女は今迄にも増しておいらを頼って付いて来ていた。

そんな顛末で、りこさんが言ったこの前みたいな結末になったのであった。

つまりおいらにはふたりの妻がいるということ、これはまぎれもない事実なのである。

そして二人目の相方は、新さんによって『2号』と名付けられていた。ネーニングが余りに短絡的過ぎはしないかとも思ったが、一羽が幾つも名前を持つのも面倒だから、今後おいらも新しい彼女をそう呼ぶことにした。


    6


おいらとホワイティーそれに2号は双子岩の南側の、松食が入って枯れた赤松の木の枝に並んで止まっていた。

「今からおいらがあの岩の間を抜けるから、君たちは同じ場所を、いいかい?ここは大事なところだよ、同じ高さの同じ場所を、おいらと全く同じようにして、一気に飛び抜けてくれる?一気にだよ。ビクビクして途中でスピードを落としちゃ駄目。おいらと全く同じ場所を全速力で飛び抜ける。これが絶対条件だよ。いいかい?ふたり共」

二羽の雌ヤマガラは、夫であるブラッキーの言うことを、一語一語飲み込むようにして聞いていた。特にホワイティーは傍目にも気の毒な程緊張している様子だった。

そして、多大なリスクを背負いながらも計画は敢行された。

先ずはおいらが、地上から3メールくらいの、多分この前とほぼ同じくらいと思われる高さの双子岩のすき間を通り抜けた。勿論全速力である。するとおいらはやはり、激しい目眩のようなものに襲われて、渦巻きにまきこまれるようにして狭い空間をすり抜け、そして岩の北側に何かに弾き飛ばされる感じで投げ出された。

おいらは暫くその場に佇んでいたが、直ぐその後から2号が近くの草むらの上に投げ出されて来た。2号も暫くは立ち上がれないのか、草むらの上にそのまま寝転がったままだった。それから、ホワイティーが投げ出されて来るのをふたりで待った。しかし、いくら待ってもホワイティーはそこには現れなかった。尻込みして実行出来なかったのか、実行したがスピード不足で失敗した或いは通り抜ける場所を間違えて他の時空にタイムスリップしてしまった、その何れかであろうと2号とおいらは想像した。

可なりの時間待ったが、やはりホワイティーは現れず、もう諦めざるを得なかった。

仕方なくおいらたちは狸狐庵窯の工房の方に移動した。やはり工房はその場所にはなかった。今度は山荘の方に行ってみたが、なんとそこには山荘もない。2号は勿論、おいらも背筋に冷たいものが走り面食らう。しかしおいらはすかさず悟った。おいらたちはこの前よりも更に過去にタイムスリップしたのではないかと。あれよりもどれくらい過去なのか、これは是非知る必要があった。そこでおいらと2号は、更に星が丘コンベンションハウスに向かった。

コンベンションハウスはいつもの場所にあった。しかも何処と無く真新しい感じがした。コンベンションハウスは可なり大きな建物でしかも天井が高い。その上昼間は窓を開けっ放しにしてあって、おいらたち小鳥も出入り自由といったところで、ツバメたちもここのなかに巣を作る積もりなのか、時々進入しては大きく旋回しながらあちこちと吟味する。

早速おいらたちも裏側の小さな窓から潜入し、中の様子を窺ってみた。

「大さん、別荘が建ったらずっと此方に住むつもりかえ」

あれっ?!これは好さんだ!

彼はコンベンションハウスのホールの北角にゆったりと置いてあるソファーに腰を掛け、向かいに座っている大さんらしき人物に話し掛けているのだが、ふたり共この前見たときよりも見違える程若い。

大さんはまだごま塩混じりの髭と長めの髪の毛で、仙人を彷彿させることに変わりはないが、この前の彼とは親子以上の差があるように見える。一方の好さんも髪の毛フサフサのまるで別人のような風貌だ。

ふたりとも若々しくってかっこよかった。

「そうもいかないけど、でも一年のうち半分は此方に居たいですね。若い頃の我々は、あっちこっち飛び回って命懸けで戦ってきた、らしいから、この年になると一寸は落ち着きたいものですねえ」

「我々って幾つぐらいで活躍してたんだっけ?」

整合性のない変な話のようだが、ふたりの話を整理したり推測したりすると、次のようになる。

先ずは、今は年代で云えば1980年だという。好さんも大さんも77才で、ふたりは大学の同窓生だが、2,3年前に大学の同窓会で再会を果たし、大手企業を定年退職して東京で年金暮らしをしていた大さんが好さんの計画を聞き、何かに導かれるようにして別荘を求め星が丘vl.にやって来た。

その好さんの計画というのは、星が丘vl.のメイン施設としてコンベンションハウスを建て、更にその周辺の山一帯に4,50戸の会員制の別荘を建てて別荘群とするというもので、そのコンベンションハウスが今年落成し、これから建つ別荘のうちの一戸に、今現在は東京在住の大さん夫妻が入居する予定であった。

ところが彼らはここに来た当初、とんでもない体験をしたのだった。

なんとヤマガラであるおいらたちの記憶と情報が瞬時に彼らの脳に伝達されたというのだ。

おいらたちは、時空を越えて活躍しており、好さんと大さんが若かりし頃、多分二十歳くらいの頃の情報を彼らにもたらしていた。

おいらが彼らに語り掛けたとか、何かを伝える動作をしたわけではない。

これは、量子もつれとか量子エンタングルメントとか呼ばれる現象で、遠く離れた物質の間で情報が瞬時に伝達されるというのだ。これはその二つの物質の間を何かが移動するわけではないから、二つの物質がどれだけ離れていても、たとえ一方がお月さまの上に居たとしても、情報は瞬時に伝達されるらしいからこれは凄過ぎる。我々が飛んで知らせるよりももっと早い、ハヤブサの急降下よりももっともっと速いということになる。

このことは新さんがいつも寝言のように言っているから、意味が解らないなりにも、こうやっておいらにもご託宣のように並べることくらいは出来るようになったわけだ。

こうして好さんと大さんは、ヤマガラ、多分これはいつかの時空でのおいらのことだと思うのだが、おいらとのいわゆる量子テレポテーションに成功したようだった。

その、おいらから好さんと大さんに瞬時に伝達されたという情報の内容を詳しく話してみようと思う。

この話はおいらが実際にその場に居合わせた部分とそうでない場面が入り交じっている。つまり好さんと大さんが康子さんとかコンベンションハウスを訪れた人々を相手に想い出話として話していた内容、それとおいらが実際に人間観察をして知り得た事実、それらを繋ぎ合わせておいて編集し、出来るだけ忠実に現実を再現したものだ。

勿論堀川夫婦の間延びした会話からも、多くの現実を知り得たこともあった。

舞台となる時空は多岐に亘っており、結果壮大なドラマに仕上がった、つもりだ。そしてそれらの大部分が、量子テレポテーションによっておいらから好さんと大さんに瞬時に伝達された情報ということになる。

え?ヤマガラの輩にそんなことが出来るかって?ヤマガラのなかでもおいらは特別、生まれたときから何故か自然にそんな特殊な能力が備わっていた。俗に言う突然変異ってやつだな。山で、寡黙で凛々しいヤマガラに出会ったら、「ブラッキー!」って声を掛けてみてくれ。尻尾くらい振って「ビーッビーッビーッ!」って返してやるよ。

閑話休題。

長い話になりそうだが、全ては実際にこの宇宙で起きた出来事だから(念のためその大部分はとしておこう)、じっくりと御拝聴あれ。


先ずは、好さんと大さんが若かりし頃からこの不思議な話は始まる。

ふたりは大学生の頃からの大の親友で、大さんは好さんの故郷、高知によく遊びに来ていたのだが、地元の資産家だった好さんの実家は方々に土地を持っていて、そのなかに星が丘vl.一帯の山が含まれていた。

当時そこは、嶺伝いの林道を囲む奥深い山林で、人の滅多に通わないようなところであったが、唯そのなかに不思議なエリアがあって、あるポイントを通り抜けると時空を越えて過去や未来に自由に移動できるというのである。

大さんは大学一年の時の夏休み、帰省する好さんに付いて高知に来ていた。

ふたりは土佐の自然を満喫しようと、アップダウンの厳しい林道を自転車をこいで、入間家の所有する山林へと入った。

途中、街中では考えられないような野性動物に出会った。狸、猪、栗鼠、それに木の枝のように立派な角を付けた鹿まで、東京生まれ東京育ちの大さんは勿論、土佐っ子の好さんにとっても夢のような世界が広がっていたのである。勿論マムシのような人間にとっても危険な生き物も生息していて、自転車を降りて山道を登っている途中好さんは、木の茂った道のど真ん中でトグロを巻くマムシを危うく踏みそうになるが、数センチ単位の咄嗟の回避でその難を逃れたこともあった。

そしてふたりは、そこら辺では一番高い城山という標高400メートルくらいの山の頂上に立ち、暫くはそこから壮大な太平洋を眺めていた。東の方には室戸岬が見えていて、それからずーっと水平線を辿りながら、首を右の方に90度くらい旋回させていくと、遥か向こうの方に小さな小島のようなものが見える。それが足摺岬の半島にある小山ふたつで、平地や岬の部分は地球の丸っこさの向こうに水没していて、ここからは山の部分しか見えないのである。

その雄大な海が、今から100年以上も昔に坂本龍馬が見た海と同じだと思うと好さんは感無量だった。

山頂を少し北側に越えた平場に今回問題となる双子岩があるのであるが、ふたりは取り合えず城山の山頂近くで弁当を広げた。

先ずは水筒に入れてきた冷たい水を一気に半分ほど飲んだ。国道から自転車でここまで来るのは大変な道程である。麦わら帽子は被っていても、南国の日差しは容赦なくふたりの体から水分を奪う。

ふたりが、見晴らしのいい木陰で、好さんのお袋さんが作ってくれたおむすびの弁当をほぼ食べ終わった頃、耳のあまり長くない一匹の野うさぎがふたりの前に姿を現した。イエウサギが真っ白いのとは対照的にふたりにしては見慣れない薄茶色の、ピーターラビットを彷彿させるような野生のうさぎだった。野うさぎは草を食みながらそこら辺をうろうろしていたが、静かに弁当を食べてるふたりに気付くと咄嗟に逃げる体勢をとった。するとふたりは残りわずかな弁当を放り出してその野うさぎの後を追った。別段彼を捕まえてどうこうするつもりはなかったが、逃げられると本能的に追っかけてしまうものかも知れない。つまりこれも動物の本能であろう。

不思議なことにその野うさぎは山頂北側にある双子岩の方に駆け出し、そしてその周りをぐるぐると何度も回りだした。ふたりもそれに釣られて双子岩の周りをぐるぐると回わるうち、三周くらいしたときに異変は起こった。前を走っていた野うさぎが突如として消えてしまい、それと同時にふたりは激しい頭痛を伴った目眩に襲われ、体が宙に浮いてよじれたかと思うと、急に周囲が暗くなり、いきなりどこかの草むらの上に投げ出されたのだった。


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城山山頂付近の双子岩の側には、もうすっかり元気を取り戻したのか野うさぎが、キョトンとした顔をして大さん、好さんのふたりの様子を窺っていた。

ふたりは山を降りた。置いた筈の自転車が二つ共、そこにはなかった。カギは勿論かけていた。

ふたりが登ってきた林道は、更に険しい山道になっていて、これでは自転車では到底登れない。ふたりが並んで下ることさえ出来ない獣道である。更に高知から室戸方面に通ずるメインの道路も2メートル足らずの狭い道になっていた。

地形のよく似た別の場所に来たのか、或いは時代を遡って同じ場所の過去に来てしまったのか、どちらかだと好さんも大さんも思った。


慶応3年11月15日(1867年12月10日)、

今の暦でいう師走の京都は底冷えがして可なり寒々しい。

おまけにその日はどんよりと鉛色に曇っていて、時雨のような冷たい雨が頻繁に通り抜けていく。夜には雪が舞うのかも知れない。

龍馬は、新撰組や京都見廻組などの幕府の手下や、或いは薩摩藩士や土佐藩士に至るまで、複雑に入り乱れた主義主張の中で繰り出されるあらゆる刺客たち、彼らのどの凶刃に倒れても不思議ではなかった。


その日龍馬は、三条河原町にある醤油問屋近江屋に静かに潜伏していた。近江屋の主人は龍馬の身を案じ、土蔵を改築して匿った。いざという時のため逃げ道まで準備していたのだが、当の龍馬としては直ぐにそこが手狭となり、母屋の二階に出てきて1日に何度となく来訪者を迎え入れては飲食を共にしたり、或いは自分から度々出掛けたりとその行動は徐々に大胆になっていった。伏見の寺田屋で、お竜の活躍で九死に一生を得たことなど遠い昔の記憶である。

その日の夕方、朋友の中岡慎太郎が近江屋の龍馬を訪ねて来た。

その日龍馬は少々風邪気味だったが、15代将軍慶喜による大政奉還も無事敢行され、後は新政府による施政が如何に行われるか、龍馬はさまざまな人と会って会談を繰り返し、新しい政府の仕組みや人選の構想を練り続けていて、慎太郎もその一人だった。

「峯吉、腹が減ったきに、軍鶏を買うてきてくれんかよ」

峯吉は早速使いに出たが生憎軍鶏は売り切れていて、店の者がそれを工面してくる間峯吉は暫く待たされる。

そして丁度その時刻、午後8時頃から10時頃までの間に、近江屋に居た龍馬と慎太郎は何者かによって襲われるわけだが、新撰組か京都見廻組か或いは例えそれが薩摩藩士によるものであろうが、この場合大した問題にはならないのである。

多世界のうちこの選ばれし世界に於いて、好さんと大さんの黄金コンビが、龍馬と慎太郎を現実に助け出そうという奇想天外な試みが着々と進行中だった。 多世界とは、世の中の可能性の数だけ複数に分岐した世界のことである。つまりこの宇宙は唯一無二のものではないということだ。


好さんと大さんは、城山の頂上付近にある双子岩の回りで野うさぎを追いかけていて投げ出され、自転車を盗まれてから仕方なしに家まで歩いて帰ることになったわけだが、途中ふたりは回りの異変が尋常でないことに気付く。

道についても、高知の市街地に続くべき街道らしきものの痕跡もないが、一応田道のようなもので繋がっていて、あちこちに集落はあるが、家の殆どが藁葺きで小さく、髷頭の百姓さんや小袖姿の女性の姿をちらほらと見掛ける。

しかし遠くに見える山々、それに物部川の景色はいつも見る通りだった。

好さんと大さんは、自分達がタイムスリップしたことを確信していたが、何はともあれ好さんの自宅に帰ってその様子を確認したかったのである。

好さんの実家ははりまや橋の南側にある昔からの商家で今は、と言っても今がいつを指すのかさえ判らないような状態なのだが、二人が大学一年に城山に行った時点、つまり 1925年当時ということになるが、その頃には結構大きな店舗を構えて建築業を営んでいた。そしてそれはあの山内一豊が掛川から土佐に入国した折、一豊に随行した大工頭たちが移り住んだ掛川町にあって、多分好さんの先祖もその一人だったと思われる。そして江戸末期には好さんの祖祖父にあたる人がその地で数人の大工を抱えた棟梁を務めていたことをいつか祖父か或いは父から聴いたことがある。

「大君、これはひょっとして江戸時代じゃねえか?大変なことになったよ、こりゃあ」

「ひょっとしたらもっと昔かも知れないよ、好君」

「室町とか?そりゃあないやろうー」

「いや、おんなじ江戸でも、江戸時代の始め頃とかね」

「僕の先祖は山内の殿様に掛川から付いて来て、江戸時代の始め頃からあそこに住んじょったらしい。行ってみたら今がいつだか、大体判るかも知れんよ」

「そうか、じゃあ行ってみよう。それはそうと、さっきから僕たちの回りを小鳥が二羽くらい、うろちょろしてない?結構色の綺麗な鳥だったよ」

「そうながよ。僕も大分前から気になってたんやけど、可なり前から居るであいつら」

「だよねえ。なんだろうあいつら、なんか気持ち悪いなあ」

ふたりは、彼らに付き纏うおいらたち二羽のことを気にしながらも、好さんの実家があるであろう方向に、あくまでも曖昧な勘に頼るしかないのだが、歩いて行く。歩くうちに彼らは、遠くの方に高知城、そして改修前のはりまや橋があることに気付いた。

言うまでもなく、彼らふたりの格好はすこぶる目立っていて、しかも二人とも175センチ近い身長があった。幕末の日本にあって、それはまるで異人さんを見るような 奇抜さで、道を歩くと好奇心たっぷりな視線があちこちからふたりに注がれていた。

その時のふたりの服装は、ニッカボッカーにカッターシャツという現在としても、いや1925年頃の日本にしても可なりユニークでお洒落な格好だった。ニッカボッカーは自転車に乗るには最適なズボンである。例えば江戸時代の人がその服装を見たらおそらく、変なかたちの小袖に変なかたちの野袴と、やはりそれも変わったかたちのザンギリ頭だと思ったに違いない。

時間はまだ午前中、太陽の高さからいって午前9時か10時頃だと思われる。堀川と呼ばれる魚河岸近くは、水揚げされた魚を求める人々で賑わっていた。そして明治3年頃から魚河岸近くにあったとされる料亭、あるいは後に妓楼としてその名を馳せた得月楼(元の陽暉楼)もそこには未だなかった。やはり今は、少なくとも明治維新以前ということになるようだ。

ふたりははりまや橋から高知城方向にぶらぶらと歩いていた。今でも町名に紺屋町とか帯屋町、それに細工町といった昔ながらの名前が残っているところだ。好さんはそれらしき場所を歩いて、その歴史的事実を確認したかったのである。今と比べて道も狭く、家並みも粗末な建物が多い。道行く人々は、芝居や映画で見る時代劇の世界のような絢爛な色彩はないが、漲ぎるような生活のエネルギーだけはヒシヒシと伝わってくる。

「大君、凄いねこれは。えらいことになったね。夢を見ゆうとしか思えんわ」

「全く、恐れ入り屋の鬼子母神。ところで、今がいつなのか、正確な情報が欲しいねえ」

「そうやねえ。そこら辺の人に訊いてみようか。何か食い物でも買うついでに訊いたらえいんやけど、この金じゃ使えんろうしねえ」

そう言いながら好さんは和気清麻呂の画かれた拾圓紙幣をニッカボッカーのポケットから取り出し、ヒラヒラとさせる。向こうの世界だとふたりが旅館で2,3泊出来るような金額であるが、こちらじゃそれは唯の紙切れ、つまり今のふたりは全くの文無しであった。

そんなことを言ってると思っていたら、境町(今の堺町)という通りで、いきなり大さんが呉服問屋に飛び込んだ。

そして「ものを尋ねます。今日は、何年の何月何日でしょうか」彼は店のなかに入ると、いらっしゃいませと駆け寄るお女中風情には目もくれず、奥の方に居た、年格好からして番頭さんとおぼしき男性に声を掛ける。どうせ訊くならちゃんとした人に訊かなきゃ正しい答えは帰って来ないと判断したようだが、当の番頭さんも、変わった風貌の男がいかにもぶしつけで変なことを訊いてくると思ったのか、少々戸惑った様子だったが、「今日ですか、今日は3年の5月5日、端午の節句よね。それがどうかしたかね。あんたらあ、どこから来たぞね、そんな格好して冷ようないかね」

「3年?何3年です?」

「何3年て、慶応3年よね。困ったねえ、この人らあ」

慶応3年5月5日、ということは、幕末だ。来年は明治維新である。幕末の日本史に詳しい好さんの脳裏には、土佐藩絡みの歴史上の様々な出来事が去来した。そんななか好さんは慶応3年を1867年という西暦に直してみて、そしてあっと声をあげる。1867年11月15日、それは坂本龍馬が京都三条の醤油問屋近江屋で暗殺された日である。

彼は子供の頃からの龍馬ファンで、龍馬に関する文献を数多く読み漁ってきた。

「大君、龍馬が京都で暗殺されるまでに未だ半年以上あることになるよ」

境町の呉服問屋から掛川町の好さんの実家までは歩いてすぐだった、いやその筈なのだが、いくら探してもそれらしき『入間屋』という屋号の建築屋が見つからないのだ。屋号はおそらく変わってはないし、そこには未だ赤ん坊の好さんの父親と若い働き盛りの祖父が居る筈だった。では何故、入間屋の跡形も無いのか?ここは過去の高知であることには間違いなさそうだが、唯、入間家が存在しない場合の過去ということになるのか、訳判らないがこれもひとつの現実として受け入れるしかないのだろうかと、好さんと大さんはお互いに頷き合うのだった。

「好君、龍馬が京都で暗殺された、いや、される予定になってるのは、本当に今年の、えーっと約半年後の11月15日、いや待てよ、この11月15日というのは旧暦なのか、新暦か?どっち?」

「確か、新暦が明治6年の1月1日からやから・・・」

「明治6年1月1日というのは?新暦でってこと?」

「そう。その日が、旧暦の明治5年の12月3日になるがよ。そやから、龍馬が暗殺された時は、まだ旧暦やったということ」

「じゃあ、今日が5月5日ってことだから、そのままの暦で11月15日になれば、坂本龍馬は暗殺されるってことか」

「そのとおりよ。ただ、この世界、つまりうちの入間屋が存在せん世界に果たして龍馬が存在したかどうか、そこんとこがよう解らんがよねえ」

「それを確認する方法は?」

大さんが、分厚い眼鏡の奥から好さんのあったら白いぼんぼん顔を覗き込んだ。

「方法か・・・、京都に行って龍馬を訪ねるしかないがやろうか」

さすがの好さんも行き詰まってしまったのか、困惑顔だ。

ふたりは黙ったまま、またお城方面を目指して歩いていた。武家屋敷の建ち並ぶ通りまで来ると立派な駕篭とも擦れ違う。見るもの全てが夢の中かあるいは時代劇の映画のなかのようであった。

「そうだ、好君!いいこと思い付いた」

「何?」好さんは回りの景色に感動しっ放しで、大さんの話にも気もそぞろである。「あのね、坂本龍馬がこの世界に存在するかどうか、ここで確認する方法があるよ」

「ほーっ、どうやって?」

漸く好さんの注意をこっちに向けることが出来たようだ。

「龍馬の実家、才谷屋?どっかそこら辺にある筈だよねえ」

「アッ、そうか!才谷屋があれば、この世界に坂本龍馬は存在するってことよねえ」

「いや、そうとも云えないけどね。才谷屋が在っても坂本龍馬は生まれない世界もあるかも知れないし。でも取り敢えずは才谷屋があれば龍馬がこの世に存在する確率は断然高くなるし、それに実家に行って龍馬のことを訊いてみるのが手っ取り早いよね。才谷屋の場所って判る?」

大さんの性格は大雑把だが、完全に話の筋は通すタイプだった。

ふたりの目が更に輝きだした。


                    

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「判ると思う、多分。でもその前に、文無しじゃあ何にも出来んし、この金は使えないし、何とかして今使える金を手に入れたいねえ」そう言いながら好さんは、和気清麻呂の拾圓紙幣をまた振って見せた。

彼らは既にお城の直ぐ側にまで来ていた。「魚河岸で働くとか、何か荷物でも運ぶみたいな、肉体労働でもやるか?」と大さん。

「未来の知識を利用できるようなことはないかねえ。医者でもやってたら養生所みたいなところに就職出来るんやけど、ふたりとも法学部じゃあ何の役にも立たんねえ」

「この際、住み込みの肉体労働ということで、働き口探しておいてから、龍馬の実家か才谷屋をじっくり探すとするかね」

大さんはあくまで肉体労働にこだわる。

お城の前の追手筋には日曜市がかかっていて、大勢の人々で賑わっていた。

ここは今も昔も変わりない様子だったが、ここの一画にこれもまた好さんの見慣れた景色があった。野天の将棋道場である。将棋好きの大さんは大学の将棋部に所属しアマ将棋の大会にも出て好成績を残すなど仲間内でも抜きん出た実力者で、なかでも彼の勲章になってるのが、当時浪速の天才棋士として全国にその名を馳せた坂田三吉が上京した折、学生将棋連盟が招へいして模擬試合が行われることとなり、その代表者に大さんが選ばれたのであった。

試合は坂田三吉の角落ち戦での対局で、両者一歩も譲らぬ戦いを演じ互角で渡り合ったが、結果は3勝2敗で惜敗に終った。負けたとは言えこの大さんの健闘は、その名を学生の将棋界に知らしめるのには十分なものであった。

そんな大さんも、江戸時代には特にくすぶりと呼ばれ、野天道場でのかけ将棋で生計を立てる裏の世界のプロが多数居たことは話で聞いていた。

「ねえ好君、あれ、あの人だかり、ひょっとして将棋道場じゃない?」

「そうやけど、・・・あっ、そうか、大君、将棋強かったんや!将棋やったら、今も昔も、いや今も未来も、んー、ややこしいねえ。どっちでもえいけど、変わらんってことでねえ」

「かけ将棋は賭博だから、我々法を修める身としては、そんな犯罪に手を染めるわけにはいかないけど、この際だから仕方がない。くすぶりに身を転じて、ちょっくら稼いでくるか」

「やってみる?でも万一負けたら、どうする積もり?」

「何事も絶対は無いからね、龍馬を救って歴史を変えるため、一か八かやるしか無い。負けたら負けたで、何とかなるでしょ。磔(ハリツケ)獄門にでも何でも、甘んじて受けましょ、ね」

取り敢えずふたりは人だかりの後ろの方から様子を見ていた。殆どが二十歳から50歳くらいまでの男たちだが、身分も様々なようで、武士もいれば商人や百姓も居るといった具合に、ここでは士農工商といった江戸時代の身分制度はまるっきり関係ないようであった。なかにはそこを仕切っているらしい初老の棋士もいたりして、この時代のかけ将棋は、まだ公然とした地位を持っていた様子で、結構大っぴらに金銭のやり取りがなされているようだった。


「ここの貨幣価値からいくと、京都まで行くには最低10両は欲しいねえ、好君」

「そうやねえ。どうやら向こうの価値から言うたら、向こうの1円がこっちの1両に相当するって感じかねえ」

ここで好さんの言う『向こう』というのは彼らが大学1年生の時を意味し、西暦で云えば1925年頃の貨幣価値である。

「そうそう、丁度そんなところだ。だから船にも乗らなきゃいけないから、10両は要るでしょう。ほら、向こうの商家の若旦さんみたいな人と若いお侍さんね、どうやら5両くらいの金を掛けてるみたいだよ」

「行ってくるわ」

そう言うと大さんは、つかつかと若旦さんのところに歩み寄る。

条件は、平手で三局の対局で二局先取で勝ちとなり、負けた方が5両払う。

大さんは若旦さんとの対局となる。

一局目、大さんにとってはどうやっても勝てるような気がしたが、取り敢えずは様子を見ながら負けることとした。

二局目、辛勝と見せかけて心のなかでは余裕で勝つ。

三局目、当初はさっさと片付ける積もりだったが、もう一試合やる必要があることを思い出し、これも辛勝と見せかけた。

予想通り、今度は若いお侍さんが向こうから声を掛けて来る。

彼も若旦さんとはそれほどのレベルの差はなく一局目は大さんが簡単に勝ったのだが、波乱は二局目に起こった。そのお侍さんはこのままだと勝ち目がないと悟ったのか、いきなり飛車を振って向かい飛車という奇襲戦法に出た。これには大さん大いに動揺した。というのも大さんが東京の大学の将棋部の連中を集めて早稲田の大隈講堂で坂田三吉と模擬対局をやった折、そのときの三局のうちの一局で坂田流向かい飛車を体験したのだ。そのときの坂田名人の怒濤のような攻めで、大さんは何の成す術もなく一気に潰されてしまった。それ以来大さんにとって、向かい飛車はある種のトラウマになっていて、このときもお侍さんの攻めを持ち堪えることが出来ず、脆くも惨敗を喫したのだった。いよいよ後が無くなった三局目、矢張お侍さんは飛車を振ってきた。固唾を飲んで見守る好さんを他所に、大さんは意外と落ち着いていて今度は逆に相手の意表をつく相振り飛車で応戦し相手をねじ伏せてから、何とかここでも5両を手にした。先程の5両と計10両を、楽々ではないにしろたったの2時間余りでなんとか手に入れたのだった。


計略通りの勝利にふたりの意気は揚々とした。

「龍馬の実家の場所は判るの?」

「判っちゅう積もりやったんやけど、これほど様子が変わってたら、どうも自信がないね。実家より才谷屋の方が探しやすいかもね。店の前に看板もある筈だから」

ふたりはお城の前に開かれている日曜市辺りから、好さんの記憶と勘に頼りながらお城の南西方面と思われる才谷屋を目指す。当時の土佐の豪商才谷屋を尋ねるのはそれ程難しいことではなかった。

そしてふたりは、大胆にも才谷屋の暖簾を潜る。今までと違って、懐に金子が10両もあると思うと何処と無く安心感があるもので、大胆な行動にも余裕が窺われる。

「坂本龍馬先生はご在宅ですか」

好さんが店にいた店員らしき若い娘にいきなり声を掛ける。

好さんとしては、慶応3年5月5日の時点で龍馬が土佐に居ないことは先刻承知の上だったが、才谷屋を訪ねたその目的は龍馬がこの世界に存在するかどうかを確めることにあった。

店員は一瞬固まったような表情になって、少しお待ちくださいと言い残すと奥の方に一旦下がる。暫くして八平衛という当主が出てきて

「お役人様でございますか。わたしは才谷屋当主坂本八平衛にございます。龍馬は坂本家の分家の者でございまして、最近はこちらの才谷屋には出入りしておりません。わたくしどもも、ここしばらくは、とんと龍馬の顔は見ておりませんし、行き先もさっぱり判りませんが。はい」

と如何にも丁重な言葉遣いだが、この頃の龍馬が日本中色んな人や組織から命を狙われていて、そしてそのとばっちりが自らにも降り掛からないようにと、言葉の端々にまで用心に用心を重ねている様子が節々に窺われた。

当主の八平衛は50前くらいか、どちらにしても高知城下きっての豪商才谷屋の当主とはとても思えないようなやつれ方で、店の様子と相まってその斜陽ぶりは、衆目の一致するところであった。

「左様でござるか。それは失礼いたした。しからばごめん」

こんな格好が武士に見えるのは不思議であったが、この際知る限りの武士言葉で通してみた。


いずれにしろこの世界に坂本龍馬が存在すること、それに今年が1867年で、あと半年余りで龍馬が京都で暗殺されるであろうことには間違いなさそうだ。

「好さん、本当に京都に行って歴史を変えるつもりかね」

「さあ、行こう、京都へ!」

好さんは、大さんの言うことさえもう耳に入ってない様子だった。

「ちょっと待ってよ。僕たちはあの岩の周りをくるくる回った、あのタイミングで同じようなことをやれば自由に時空を移動できるってことだよねえ」

「だから、何?」

「ひょっとして、タイミングさえつかめば京都に瞬間移動出来るかも知れない、じゃない?」

「いかんいかん!ひょっとしてじゃあ、いかんぜよ!この1867年5月に確実に戻ることが、しかも龍馬が存在する世界に戻って来ることが確実に出来る確証がない限り、絶対瞬間移動したらいかんで」

金主は大さんだが、今からの行動予定は熱烈な龍馬ファンである好さんが完全に掌握していた。しかも好さんは、既に自分が龍馬にでもなったような言葉つきになってきた。「そうか。それもそうだね。そんな実験は余裕が出来てからでいいか。で、京都までは徒歩で、もちろん丸亀辺りから船に乗るとして何日掛かるの?」

「土佐藩の参勤交代で江戸までが約一ヶ月、江戸と京都間、いわゆる東海道53次が確か14,5日くらいかかったと聞いたから、差し引き14,5日くらいってところやろか。

でも参勤交代よりは大分速く歩けると思うから、余裕目に見て10日ってとこかなあ。我々素人やから」

龍馬を中心とする郷土史にも精通する好さんはまるで生き字引のようだった。


好さんと大さんのこれら一連の行動を高知城追手門の前の松の木の上から見守る者があった。ヤマガラのブラッキーと2号である。ホワイティーは依然行方不明のままのようだ。

「おいらたちも京都までお伴をして、好さんと大さんの黄金コンビが歴史を変えるという、歴史的瞬間を見届けておこうよ」

勿論これはおいらの2号への囁きである 。人間たちには今も昔も、単に「ビーッビーッ!」としか聞こえない筈だった。


「取り敢えずは、龍馬のいる京都に行こう。高知に居ても仕方がないよねえ」

大さんが好さんのご機嫌を窺うように言う。

「ちょっと待ってよ。1867年ていうたらいろは丸事件があった年でねえ。その年龍馬は長崎とか土佐とか、船で飛び回りゆ筈ぞね」

「へー、そうなの。じゃあ、まだ京都には居ないってこと?」

「かも知れんねえ。京都に最終的に行ったのは、確か暗殺される1ヶ月ちょっと前じゃったと思う」

「じゃあ今、5月5日はどこに居るのかねえ」

「まだ、いろは丸事件の損害賠償問題について紀州藩と話し合いゆ筈やから、鞆の浦か長崎辺りやろ、多分」

「土佐にはいつ来るの?」

「あれは確か京都に入る直前やから、9月の末ごろやろか」

「じゃあここで9月まで待ってたら龍馬に会えるってことだよねえ」

「いかんいかん、京都で殺されるんやから、それを阻止するには、どうしても京都に居らないかんで。土佐で会うことが出来ても、彼を引き留めることが出来んかも知れんきねえ。チャンスは一度だけやから」

「そうだね。それじゃあ早速京都に行くか」

ふたりは高知城の追手門の前の松の木の下で、ガッチリとシェークハンドを交わし、そしてそれをおいらと2号が松の木の枝から見下ろしていた。

さあ、さすればおいらたちも京都まで、ひとっ飛びと参りますかな。

ビーッビーッビーッ!


    9


「ごめん!拙者土佐藩士、谷謙次郎と申すもの。先程は失礼いたし申した。こちら友人で米屋を営む楠木祐助でござる。ところで大変失礼とは存じますが、おふたりは何処で何をされてるお方でしょうか。その格好も奇抜ですし、それにしても将棋がやたらと強い。実を申しますと我らふたり、他の者に将棋で負けたことがござらん。それ故ふたりで勝ったり負けたりしながら5両をやり取りするだけで、他に相手がおらず少々退屈致しておったところです。そこにきてあの強さは、誠に驚き申した。どちらで将棋道を修められたか」

高知城の追手門の前で、今から京都に立つのか、しかし太陽の位置からしてもう2時か3時頃のようにも見えるから今夜はお城下の木賃宿にでも泊まって、明日朝早くに出立しようかなどとふたりで相談していた、そんな矢先、先程かけ将棋で10両という大枚を巻き上げた相手の若旦那とお侍さんが話し掛けてきた。

「我ら事情があって変な格好をしてござるが、怪しい者ではござらん。わたくしは小池大助、そしてこちらが入間好澄と申します。先程は失礼いたしました。仕事はまだ致しておりませぬ。学生、と言ってもわからぬでしょうが、つまり、学問を修めておる身にござります。将棋に関してもあるところで修行いたしたが、事情があって一言では説明出来申さん。ところで、今宵の宿を探しておりますが、何処か安くして泊まれるところをご存じありますまいか」

大さんは、もうすっかり武士の風情で、そのあまりの順応ぶりに、好さんは隣に突っ立ったまま唖然としている。

お侍さんは、後にたってる若旦さんと一言二言言葉を交わしてから、

「よかったらこの、祐助の家に泊まっていきませんか。拙者も夕食時にはお邪魔致しますき。あなた方は我らとは違う風情で、色んなことで興味が湧き申す。拙者の家にお泊まり頂いてもよろしゅうござりますが、なにしろ今、藩が上を下への大騒ぎで、いつ何事が起こるか分かりませぬ故」


その頃土佐では明治維新に向け大きく舵が取られていて、吉田東洋の暗殺から始まって武市瑞山の切腹など生臭い事件も後を断たず、そして今、今年のこの時期には土佐藩の実権を持つ隠居の山内容堂、あるいは坂本龍馬、それに龍馬の意見をそのままに容堂を通じて将軍慶喜に大政奉還を建白した後藤象二郎らが、土佐と京都の間を頻繁に往き来している筈であった。まさに 土佐藩士谷謙次郎、いやここからは謙ちゃんと呼ぼう、謙ちゃんの言う通り、土佐藩のみならず日本の国がひっくり返る大騒動の真っ只中にあったのである。


「我らもあなた方にお話ししたいことや、お尋ねしたいことが山ほどござる。もし宜しければ、是非泊めて頂きたい」

やっとのこと好さんが言う機会を得た。

追手門の前からずっと東に延びる、追手筋と呼ばれる通りに立っていた日曜市もそろそろ店じまいの時刻らしく、あちこちで人々が後片づけに追われている。先程まで謙ちゃんや祐ちゃんがいた野天の将棋道場にも、もう人影はない。既に日脚の伸びた5月にしてはやけに皆店じまいが早いと思っていたら、

「いやねえ、辺りが暗ろうなると、物取りや辻斬りが横行して結構物騒ながです。我らもさっさと祐助の家に引き揚げて、貴殿らは風呂でも頂いて下さい」


祐ちゃんの家は帯屋町のど真ん中で、井筒屋という大きな米問屋を営んでいて、周辺は武家屋敷が多く、割合きりりとした佇まいの立派な店構えであった。

裕ちゃんには姉と妹がいて、妹の摩耶さんを紹介されたが、裕ちゃんに似て目が大きく端正な顔の別嬪さんである。

「これは兄の着物ですが、よろしかったらお召しになってください。その格好ではまだ朝晩は肌寒うございます」

ふたりは風呂を頂き、その上に摩耶さんがそれぞれに立派な着物まで準備をしてくれた。

夕食は情緒ある中庭に面した客間に通され、山海の珍味に酒まで振る舞われて、縁もゆかりもない、いやその上将棋で大枚まで巻き上げられた見ず知らずのふたりに、何でここまでやってくれるのか、全く合点のいかないことではあった。


「おふたりが怪しいお方でないことは一目見たら判り申す。されど、あの異様な格好と将棋の強さは、どうしても興味を引かずにはおきませぬ。大方のことはお聞きしましたが、宜しければもう少し詳しくお話し頂けないでしょうか」

谷謙次郎は淀みなく喋る男だった。謙次郎は好さんと大さんの風情をいたく気に入った様子で、今宵もわざわざと祐助の家に来てふたりの歓迎の宴に同伴していた。

「おふたりに嘘で繕うようなことを言っても通じますまい。全て真実のまま、いや我らが体験したままを申し上げる。とても信じられないとは思いますが、そのままに信じて頂くしか他に手立てはござらん」

好さんと大さんは代わる代わるに、昨日からふたりの身に起こった不思議な出来事を話していった。

「ですから我々は、今から50年程先のことまでは、我々が歴史で学んだことと、或いは実際に体験して記憶に残ることは大体判ることになります。ただ、幾通りかの未来が用意されてるようでして、必ずしも我々の予言通りなるとも限らないようです。その証拠にわたくしどもの実家は掛川町で江戸の末期から大工の頭領を営んでいるのですが、今日掛川町の、いや50年先にはあそこら辺りも堺町と言いますけども、何処を探してもわたくしの実家入間建設は、その芽生さえ見付からない。つまりこの世界には存在していないということのようです」

「そんなことがあるんですか?」

これは裕ちゃんの妹の摩耶さんが、彼らの給仕をやっていて、ちらちらと聞こえてくるその話の内容が、彼女にとっても余りに興味深い内容であったのか、いつの間にか兄の側に座り込んで、誰よりも一層熱心に一同の話に聞き入っていた。

「はっきりしたことが判らないもんで、何とも云えないんやけど、どうやらそのようですねえ」

「それで日本は、今後どうなるんですか?幕府は倒れて、外国に支配されるのでしょうか」

「取り敢えず幕府はこの秋に倒れます。えーと、確か今年の10月14日、大政奉還されて、朝廷に政権が返されることになります。但し外国に支配されることはありません。明治維新を迎え、天皇陛下が日本を治めることになります」

「やっぱりそうですか。江戸幕府は倒れるのか。それで拙者ら、武士はどうなり申すか」

謙ちゃんにとっては一番の切実な問題である。

「武士は士族として暫くは残りますが、禄はなくなりますので商売を始めるものも多くなり、直ぐに平民となってみんな平等になります」

「そうですか。そりゃあいい」

「そしてみんなちょんまげを落として、わたし共のような髪型になります。これを散切り頭と言います」

「へー、わたくし共女も髪を切るのですか?」

「いや、女性は直ぐに切るようなことはありません。最初は少し西洋化する程度で、でも可なり短く切ったりする人も中にはいたようですね。僕たちの時代、つまり、今から50年後には、みんな可なり短くなりますよ」

好さんは先ほどから摩耶さんの方をちらちらと盛んに、明らかに熱い視線を投げ掛けていて、話し掛けるのも全くそこら辺は勢いが違うと言うか、横に居てもオーラが波の様に拡がるのが見える気がした。

「次の時代はなんと言う時代ですか?米問屋は生き残れるがですか?」

裕ちゃんとすれば当然そうなるわけで、こんな激動の時代は自分の明日を保障するものは何もない。

「今が1867年ですから、来年の、つまり慶応4年9月8日から明治という時代になります。米問屋は形は変わるにしろ、きっと残るでしょう。我々50年先にも米は相変わらず、いっぱい食べてますから絶対大丈夫ですよ」

好さんは鰹のたたきに大きなニンニクスライスを載せて、それを美味しそうに頬張りながら記憶の中の歴史年表を紐解いている。そして摩耶さんを横目でちらりと見ながら更に続けた。

「今土佐藩はどんな状況ですか。50年先の歴史本に拠ると、吉田東洋が暗殺され、左幕派による粛清によって土佐勤王党の首領武市瑞山が切腹させられて、土佐勤王党は壊滅に追いやられる。その後坂本龍馬、中岡慎太郎ら土佐藩の脱藩志士たちの仲介で薩長同盟が成立し日本は大きく明治維新へと前進する、これが去年1866年までの動きです。まあ、そんなところでしょうか」

これには三人、特に謙ちゃんはある程度の様子が判ってるだけに驚いている。

「拙者もところどころは判り申すが、知らないことが殆どでござる。取り合えず我が藩の殿は、いや御隠居はここ暫くはずっと京の方に居られ城にはご不在でござる。我が藩は基本的には公武合体路線を採りながらも、御隠居は幕府に深い恩義を感じられているお方ですから、藩の方針も常に揺れ動いてるようにございます」

「そのようですねえ。幕末を巧く乗り切ろうとした容堂公の態度を志士たちは『酔えば勤皇、覚めれば左幕』と揶揄したと残っています。ただ、容堂公はこの時点では藩主、つまり殿ではないのですけれど、実際に権勢をふるっていたのは御隠居である容堂公だと伺っています」

「成る程ねえ。志士たちも上手く言ったもんですねえ。拙者たちは立場上、とても口に出来る言葉ではありませんが。で貴殿たちはこれからどうなされるおつもりか。50年未来に帰られるのか。未来に行くにはどうやればよろしいのですか。我らがもし一緒に未来に行こうとすれば、行けるのでしょうか」

「私も行ってみたい。ねえ好澄様、帰られるときは是非わたくしも未来に連れてって下さい」

こんなこと言われて好さんの気分がハイにならないわけがない。

「そうですね、でも我らも未来に帰れるかどうかも、実は判らないのですよ。それにもし一緒に行けたとしても、今度は摩耶さんがこっちに帰って来られるかどうか、それも判らないんです」

「でも、こっちに来たときと同じことをすれば帰って来られるということですよねえ。そうもいかないんでしょうか?」

兎に角精神的に絶好調にある好さんは酒を呷り続け、それでも中々飲み潰れない様子だった。彼が折ある毎に言うには、僕は綺麗所、と言っても素人の女性と一緒に酒を飲んでいて、その中のお目当ての女性から自分がモテたと感じるや否や、やたらと酒がすすんでザルのようにザーザーと酒が体を素通りしてしまい、心地いい不死身の五体へと変身していくそうである。彼も真面目そうな顔をして、全くもって現金な男である。

「それがですねえ、摩耶さん、我々は50年先の昭和という時代に、あの明治の次に大正という年号の時が14年間あって、その次が昭和なんですけど、その昭和のはじめに、手結山の上に双子岩という大きな岩がふたつ並んであるがですが、大さんとふたりでそこで野うさぎを追っかけてたんですよ。ところがそのうさぎが双子岩の周りをぐるぐる回りだして、我々もその後を追って岩を回っているうちに、急に空間が曲がったようになって草むらに投げ出されたんです。その野うさぎと一緒に、時空を越えてしもうたみたいです。だから、それと同じことをやれば同じことが起こるかも知れんけんど、でも、いつの時代の何処に行ってしまうのか、全く判らんがです」

その日の好さんは、特別によく喋った。

その理由はまた、言わずもがなであった。

江戸末期の高知城下で、好さんと大さんは思わぬ幸せな時間を過ごしたのだった。



                   10


その翌日、つまり慶応3年5月6日に好さんと大さん、それにおいらとやまがら2号は京都に旅立った。

その当時土佐から京都に行くには一般に、最も難所と言われる四国山脈を横断して川之江に出る、いわゆる北山超えを経て、丸亀港から兵庫県龍野市の室津港に渡るルートが一般的に利用されていたようで、そんなことにも詳しい好さんの判断で、ふたりもこのルートを選択した。当然のこと途中には幾つかの関所もあるが、江戸も末期になると武士を除く農工商の身分の人々には検問はそれほど厳しいものではなく、謙ちゃんの準備してくれた通行手形で幾つかは難なく通り抜けることが出来た。それほど急ぐ旅でもないから本山で一泊することにする。途中布師田というところを通る。参勤交代ではここを一泊目とするらしいがふたりの足ではまだ昼前であった。布師田では一膳飯屋でたらふく飯を掻き込んで、早々に本山の宿を目指す。

天気は五月晴れ、と言っても旧暦の5月6日は太陽暦では6月の初めとなる。強い日射しの中少し根を詰めて速足で歩いていると、昨夜摩耶さんが出してくれた裕ちゃんが旅する時の着物では少々暑く、汗がじっとりと滲んで来る。彼らが元々着ていたシャツとズボンが丁度いいのだが、これでは目立ちすぎて何が起こるか知れたものではない。領石というところを過ぎると山道がほとんどとなって、慣れないふたりにとっては早速の試練であった。そして本山の宿に入る手前で国見峠という山を超えるが、ここの峠の茶屋で漸く一服できた。好さんも大さんもこんな風景にあこがれていた。丁度山の頂上の少し拓けたところに小さな茅葺きの小屋があって、じいさんとばあさん、それに器量好しの孫娘が三人で峠の茶屋をやっている。

店先の縁台に座って、名物の峠の団子ときし豆入り番茶を頂く。映画の銀幕の中だけだと思っていたそんな風景が現実のものとなって、ふたりの疲れはあっという間に吹き飛んでしまう。

目の前には四国山脈がそびえ、側の山桜の小さな枝にはパッチワークのように美しい鳥が、多分つがいだろうか、仲良く止まって好さんたちの様子を窺っている。

言わずと知れたこれはおいらと2号なんだが、何を思ったのか大さんが何処からか取り出した何かの種を数粒手のひらに載せて、おいらたちの鳴き真似の積もりなのか、下手な口笛を吹きながら高々と手を差し出した。そんなことされてこのおいらが反応しないわけにもいかず、ちょっとびくつきながらも、おいらは一気に大さんの手のひらに止まると直ぐにその白っぽい種のような実をくわえて、2号の居る山桜の枝にとって返す。

「へー、来たよあの鳥。ねえ、おじいさん、これは何の実なの?」

「ああ、それね、何の実やったかねえ。ばあさーん!」

「なんや、知らんがかね。自分がさっき、やってみい言うてくれたがやいか」

大さんは、にこやかな独り言を言いながら、奥に居るおばあさんを呼びに行くおじいさんを優しそうに見やっている。おじいさんと云ってもまだまだ野良仕事でも山師でも何でも出来そうな元気者である。

「それ、麻の実ですねえ。小鳥が来るろうがね。いくらでもありますよ麻の実なら、ほら」

国見峠の茶屋のじいさんとばあさん、それに彼らの孫で早苗と呼ばれる娘は大さんの隣に立って、彼と同じように麻の実を手の平に載せておいらたちの餌付けに夢中である。「好さん、あのヤマガラ足にリングを着けてない?」大さんが少し興奮気味に言った。

「リングって?何?」

「リングって、足環だよ。分かる?」

「え?足環?ああっ、足環ね、うんリングか、え?本当?この時代にもそんなものあったのかねえ」

「それが、それだけじゃないのよ。よく見ると、その赤いリングに白い字で、どうやら2013年、DAISUKE・Kって書いてない?なんかそんな気がする。今度来たら、よーく見ててよ」

好さんは、みんなの手に止まるおいらの足を穴が開くほど熱心に見詰めていた。そう言われればおいらの足には、まだ幼い頃変なものが取り付けられていた。物心付いてから取り除こうと必死でくちばしで突っついてみたが、とてもじゃない外れる気配がなく、そのままである。


「どう?見えた?」

「いやー、判らんなあ」

動体視力に自信のない好さんは、長身をくねらせながら頭を掻いた。

その瞬間、ビーッビーッ!とおいらのけたたましい鳴き声が山間に響きわたった。じいさんがおいらを掴んだ。つまり、おいらが捕まったのだ。餌を啄もうとするその瞬間、じいさんの大きな手がおいらの体全体に覆い被さってきて、あっという間だった。でも小鳥を扱いなれてるのかじいさんの手は優しかった。ふわっとした感覚でおいらを包み込み、足環が見えるようにして好さんの方に差し出した。

「本当や。2013年、DAISUKE・K と、ちゃんと書いちゅうわ。大君、君は書いた覚えはあるが?って訊いてもあるわけないか、2013年つうと僕たち100歳とっくに越えちゅうもんね」

足環の文字が確認出来たと知ると、じいさんは直ぐにおいらを開放してくれた。

一連の動作は手慣れたもので、全ては淀みなく流れるように行われる。おいらにしてもビックリはしたが痛くも痒くもなかった。山のことは山師に任せろといったところか、実に鮮やかであった。

「大君、どうやら君は110歳以上は長生きするってことみたいやね。あのヤマガラたち88年未来から、いや、そうじゃないか今からやと146年も未来からタイムスリップしてきたということになるのか。凄いことやね、こりゃあ」

「いや、ちょっと待ってよ好君。我々が2013年の未来にタイムスリップしたとも考えられるんじゃない?その時にあの鳥に足環をしたとも」


ふたりは峠の茶屋からなだらかな坂を軽快な足取りで降りていた。口には先程の茶屋の早苗ちゃんから買った大きな飴玉が含まれている。だから好さんの呂律が思うようには回らない。

「どっちにしても、あのヤマガラたちには時間の移動が自由に出来るみたいやねえ」

「そんな感じだよ。いかにも自由自在って・・、感じ」

大さんも同じく飴玉の所為で呂律が回っていない。

「奴らと接触を繰り返してたら、僕たちも正確なタイムスリップの方法が判るかも知れないねえ。やっぱり奴らも例の双子岩だろうか?」

好さんは眉毛の濃い凛々しい顔で辺りの木々をキョロキョロしながらしゃべり続ける。

「ほら、やっぱりあのヤマガラたち、僕たちの後を付いて来ゆみたいや。さっきから周りをチョロチョロしよるで。何かの理由があって、時代を超えて僕たちの後を追っ掛けゆがで、多分」


本山の宿は、山間のなかでも盆地のように割合拓けた場所にあった。田んぼのなかに宿場が島のように浮いた景色は、何処と無く幻想的であった。

ふたりは古典文学書として読んだ十返舎一九の「東海道中膝栗毛」の弥次さんと喜多さんにでもなったつもりで、まつわり付く旅籠の客引きを剽軽にあしらいながら、なかには「おにいさん、遊んでいかんかね。えい娘(こ)居るよ」などという赤線まがいの宿もあったが、どんな誘惑が待ち受けようが、ふたりにはかけ将棋で謙ちゃんと裕ちゃんから巻き上げた10両ぽっきりしか持ち合わせがないわけで、その夜は正に文字通りの木賃宿で、昨夜とは随分と違う粗末な夕飯を掻き込むようにして食べ、そして煎餅蒲団にくるまれ、今日昼間にあったことなんかを振り返って話しているうちに、あっという間にふたり共深い眠りに就いたのであった。


                   11


慶応3年5月7日早朝、好さんと大さんは大豊宿の木賃宿で、粟ごはんと沢庵それに田舎豆腐のみの入った味噌汁だけの朝食を済ませ、その日の夜の宿泊予定地である馬立の宿を目指して早々に出発した。

距離的にはその日のうちに四国山脈を全て越え、瀬戸内側の川之江か更には船の出る丸亀まで行けないこともなかったが、何せふたりにとっては馴れない旅だし、おまけに昨日国見峠の茶屋で新調した藁草履は、茶屋のばあさんが編んだものだと言っていたが、中々すぐには馴染まずに足に食い込んで、痛くてふたり共足を引こずっていた。

その途中に立川(たじかわ)の番所がある。この番所は伊予の国(現在の愛媛県)との国境にあるため四国の交通の要所であり、出入国の取り調べは他の番所に比べ格段に厳しいと聞いている。ところでふたりの通行手形は伊勢神宮参詣のもので、商人のそれは一番取り調べが緩いと謙ちゃんが言っていた。

ところが、

「小池大助及び入間好澄の両名、あるものの密告により、その方ら脱藩の志士との嫌疑がかけられておる。奉行所の沙汰があるまで城下の牢屋に投獄する」

好さんと大さんが立川番所での持ち物の取り調べに入ろうした際、いきなり番所の役人がそんなことを言い出し、その場で捕えられてしまった。そして手に縄を掛けられたまま高知城下の山田町にある牢屋まで連行されてしまう。つまりUターン、逆戻りである。

「好君、えらいことになったねえ。ひょっとして僕たち死刑?磔(はりつけ)とか、武市瑞山のように切腹?」

大さんは、隣の牢で疲れ果てたのか、ぼんやりと宙を見詰めたままの好さんに話し掛ける。

「まさか、我々は重要人物やないし。けんど、取り調べで話がこじれるとそうなるかも知れんねえ。げに、大丈夫よね、多分。龍馬も脱藩の罪は許されちゅうし」

ふたりは不安と恐怖からか、暫くの間の沈黙が続いた。牢は他にも並びに幾つかはあったが、入っているのはふたりだけで、牢屋番の姿もここからは見えない。

不気味なほど静かである。

「いったい誰が密告したのかねえ」

静寂を破ったのはやはり大さんだった。

「我々が接触した者とすれば、考えとうはないけんど、謙ちゃんか裕ちゃんか或いはその家族、それに国見峠の茶屋の3人のうちの誰か、ってことになるねえ。大豊の木賃宿ではそれらしき女中もおらんかったし」

好さんの方はその話す様子からして何処と無く冷静沈着に見える。

「謙ちゃんと裕ちゃんの家族とは考えたくないねえ。でも落とし穴ってそんなところにあるんだよねえ」

「龍馬暗殺の日までにはまだ十分日があるきえいとして、万一こんなとこで死刑にでもなったら元も子もないきねえ。取り敢えずはここから出る算段をせんといかんねえ」

うん、そうかね、お困りのようならここはひとつ、牢屋の中でも出入り自由なおいらがなんとかしなけりゃいかんでしょう。おいらとしても、この若者たちの、歴史を変えるという一世一代の大勝負を陰ながら応援しているのだから。

「えっ、あれ見て、あのヤマガラが、また現れた」

好さんがシーッっと口に指を当てながら、もう一方の手で牢の隅っこの方を指差す。そこには茶碗のような器に水が3分の2くらい入れてあり、その茶碗の縁においらが止まって水を飲んでいた。そしてもう一羽、やまがら2号が茶碗の横の床の上で順番待ちをしている。

そしておいらは、茶碗の中に入ってジャバジャバと小刻みに体全体を器用に震わせて水浴びを始めた。水は茶碗の周りに飛び散り、どんどんとその水嵩が減っていく。一方2号の方は茶碗の横で、健気にじっと順番を待ち続けていた。これは鳥の世界ではそれほど珍しい光景ではないのだが、実はここからが肝心で、おいらはこの小刻みな波長の波を利用して小さなワームホールに滑り込むタイミングを会得していたのだ。

予定通りおいらは茶碗の中の水しぶきの中に、掻き消されるようにしてその姿を消した。

このとき好さんと大さんの目には、茶碗の中で水浴びしていたおいらの振動する体が余りに速い動きの所為か、その映像が段々とぼやけてきて、更に霞んだようになって、終には茶碗の中の飛沫の中にその姿が消えてしまう、そんな風に見えた筈だった。そして今度は、茶碗の横で順番待ちしていた2号もおいらの所作をなぞり、繰り返す。そして同じように茶碗の中に消えてしまう。2度に亘るタイムスリップの模範演技完了である。

その一部始終を隣同士の牢屋の中で食い入るように見ていた好さんと大さんは、ふたりとも同じように何度も何度も自分の目を擦り、目の錯覚でないことを確認し合った。

「好さん、見た?今の」

「見た見た!タイムスリップの瞬間やねえ!我々のタイムワープに役に立つよ、今のヤマガラたちの動きは」

「でも、あんな動き、我々には出来っこないしねえ、そうだ!あれは何かの波の・・、波の・・、そう、波長だ。動きは違っても波長さえ合えばいいんだよきっと。例えばこんな感じ」

大さんは、そう言いながら舌をブルブルと小刻みに振動させた。

「そうか、我々の体全体の、或いは心も含めての話、波長を何らかの方法で変えて時空のゆがみの中に肉体と精神を同化させていく。それが多分過去や未来への通り路となる。しかも、波長は全く同じでなくてもその倍数であればいい、多分」

大さんは大学は文系だったが、元々は理数系の頭脳で、特に物理は得意だった。一方の好さんは根っからの文系であって、大さんみたいな法則や数式を絡ませたり積み上げたりの作業はからっきし苦手であった。


「やってみるか!」大さんが度のきつい眼鏡の奥で小さな目を輝かせた。

「おーっ、けんど、時空のゆがみはどこにあるがやろうか」

「そこの、今ヤマガラたちが消えたところ、そこら辺が何となく空気が歪んでる気がする。そっち、好君の牢屋のこっち隅」

それは好さんの側の牢の、大さんの牢に近いところの隅だった。

ふたりは、牢の格子を隔てながらもその隅っこに寄り集まり色んな動作をしてみた。頭を忙(せわ)しく振ったり、舌をブルブル鳴らせたり、全身をヤマガラの水浴びのように小刻みに震わせもし、或いはジャンプもしてみた。

しかしどれをやっても何も起きない。

そのうち牢屋番が晩飯だといって握り飯を一個ずつ持ってきた。そしてそのついでのようにして「明日、奉行所でお取り調べがある」と言い残してまた何処かに行ってしまう。ということは今日中になんとかここを脱出したい、が取り敢えずは握り飯を食べて腹ごしらえをし、そして大さんは先程ヤマガラたちが水浴びをして汚した茶碗に新しい水を貰って茶碗の中を覗き込み、水面(みずも)をユラユラさせていた。好さんもそれを真似て茶碗の水をユラユラさせる。するとふたりは共に目眩がしてきて、ふらふらとなってくる。これはあの城山の双子岩の周りで野うさぎを追っかけていた時の気分と殆ど同じであった。更にそのあとふたりの体はよじれたようになり、何処か狭い空間のようなところを通り抜ける。これも双子岩の時と全く同じだ。そして今度は草むらと違い何か堅い床の上に投げ出された。ふたりはその衝撃で体のあちこちを床にぶつけて、痛くて暫く起き上がることが出来ずその場にじっと横になっていた。波がちゃぷちゃぷする音が聞こえて、床全体が大きく揺れている。どうやらそこは大きな船の上のようである。

「おまえら、何処から来た?さっきまでこの船には居なかったようだが、空から降ってきたのか?」

正にその通りなのだが、

「いや、さっきまで下の船倉にいて、船酔いで、ここで休んでたんです」

「そうか、今日は波が高いから無理もない。少しそこで休んでなさい」

船員たちも割合親切そうだから安心した。それでもじっとして居られない好さんと大さんは、ふたりにとっては珍しい当時の瀬戸内の主力となる弁才船の船内を探索していた。ふたりが船内のあちこちで色んな人に話し掛けたりしているうちに、なんと私は福沢諭吉だという人物に遭遇した。

「君たちには、日本の未来が予言できると言うのかね」

「はい。大体50年先、いや一寸待って下さいよ、今は何年何月でしたかねえ」

日本史に詳しい好さんの出番である。

何しろ彼らは、歴史上の偉人とも言うべき人物、福沢諭吉と生で話しているのだ。

「今日は慶応3年8月23日、それが何か?」

「いや、50年先までは、僕が覚えている限りのことは判ります」

好さんは明治維新の頃の歴史は、年数ばかりでなく月や日にちまで可なりこと詳細に覚えていた。慶応3年8月23日と言えば龍馬は、イカロス事件絡みで7月から9月まで長崎にいたことになっている、とそんな具合だ。

「これから日本はどうなる?」

「今年、今が8月ですから、あと2ヶ月足らずで大政奉還がなされ、天皇親政体制の明治政府となって様々な改革がなされます」好さんは自分の頭の中にある明治維新に関する記憶の幾つかを立て続けに並べた。「いやはや、これは驚いた。それで?50年先にはどうなるのかね」

「年号は大正、昭和と続き50年先は昭和2年となります。一応天皇制をとりますが、デモクラシー、つまり民主主義、自由主義は結構熟成します」

「私は、江戸築地で蘭学塾を開いています。君たちのような優れた人材を、是非そこで学ばせたい、いや教壇にも立って今後の日本を論じて頂きたい」

「蘭学塾については存じています。福沢先生は来年、慶応4年の年号にちなんでその蘭学塾を慶応義塾と名付けます。後にそれは慶応義塾大学として日本でも指折りの私学に成長します」

「あなたたちはどちらの塾で学んでいるのですか」

「まだこの世には存在しませんが、福沢先生は大隈重信という人物をご存知ですか」

「大隈重信?ええ、判ります判ります」

「先生にはどんな人物にうつってます?」

「佐賀藩の校英学塾の人で、尊皇派としても活躍していると聞いてます。私自身の感想とすれば、彼は少々生意気かなって感じですけど、でも、まだ会ったこともないんだし、それはなんとも言えませんね。会ってみて話せば、逆に好きになることもありますしね」

「そうですか。やはりエピソード通りなんですね。福沢先生と大隈先生は、明治6年、つまり今から6年後にお会いします。そしてお互い意気投合されて朋友となられ、明治15年に東京郊外、いや江戸は来年から東京と呼ばれることになるんですけど、東京郊外の早稲田という地に早稲田大学を創設します。その時に福沢先生は慶応義塾の優秀な人材を多く早稲田に送り込み、政変で開校式に出席出来なかった大隈先生に代わり福沢先生が出席されて、祝辞を述べられたと聞いています」

「・・・・」

福沢諭吉は本来寡黙な人物のようだが、唯唖然とした表情になり、好さんと大さんの顔を代わる代わるに見比べるようにしていた。

「福沢諭吉先生は、啓蒙思想家として、そして日本の偉人としてその名を大きく歴史に刻み、残すことになりますよ」

「すごい!何と言うこと!・・・どう応えていいのか判りません。それで?」

「『学問のすすめ』という本を出版されて、空前のベストセラー、いえ、まあ、本が爆発的に売れたということです」


福沢諭吉とは、竜野の室津港で別れた。

彼はこの年の1月に幕府の使節団として渡米していたが、6月27日に帰国してきたばかりで『西洋旅案内』を著している最中だった。

この時期、福沢諭吉や大隈重信、それに坂本龍馬といった幕末から明治にかけて日本の歴史を動かした英雄や偉人たちが、瀬戸内を船で頻繁に往き来していたようだった。

そんなわけで好さんと大さんは、『時空』のうちの『時』は同じ年(1867年)の5月7日から8月23日に、ほんの少しだけ未来にタイムスリップし、そして『空』については高知城下の山田町にある牢屋から瀬戸内に浮かぶ弁才船の上に、これもほんの少し移動したのだった。

しかも今回の体験で最も収穫があったのは、全くの偶然ではなく意図的にタイムスリップする方法がなんとなくみえかけたということである。

しかしそれは、おいらたちヤマガラが意図的に彼らに伝授したものであることを当の本人たちは露知らず、故に我々に対する感謝の気持ちなんぞ、粟の味一粒たりともあろう筈がない。それが返す返すも残念である。

  

                           

                  12


竜野から京都までの道程は、好さんと大さんの足で4日程かかった。結局参勤交代に所要する日程の半分の日数で移動出来ることが判った。

京都の夏は暑い。太陽暦で9月の中旬ということになるが、いわゆる残暑が厳しかった。好さんと大さんは、この暑さなら鴨川の河原で野宿も出来るのではという大さんの提案で、五条の大橋の下で一夜を過ごすことにした。

ところが、夜の京都は昼間からは想像出来ないくらいに寒かった。清涼感溢れる鴨川の水のせせらぎも、夜更けと共にふたりの体に突き刺さるように感じた。男同士抱き合うことはさすがにしなかったが、互いの背中を残る隈無く押し当ててなんとか朝まで凌いだのだった。朝早く鴨川の川縁で顔を洗っている二人のすぐ近くの水溜まりで、おいらと2号が悠々と水を飲んだり水浴びをしたりしている。おいらの足にはやはり赤い足環がしてある。それを目敏い大さんが見つけ、

「好さん、見て、あのヤマガラ達だ!ほれ、赤い足環がしてある!」

「あれーっ?どうなっちゅうがやろうねえ、あのヤマガラ。時空を超えて、ずーっと我々に付き回りゆみたいやけど」

長身の好さんが、大文字山をバックにおいらたちがホバーリングしているのを眺めながら云う。ホバーリングはおいらたちが餌を要求していることを意味する。好さんと大さんは言い合わせたように自分のずた袋の底を探っている。そして国見峠の茶屋でもらった麻の実を取り出し、手の平に載せる。先ずはおいらが先に麻の実を啄みに行く。その後直ぐに2号も啄んだ。

「これで我々の仲間がふたり、いや二羽できたぞ。さあこれからどうする、好君」

「もうこんな河原で野宿するのは真っ平やねえ。取り敢えず今夜の宿を捜そうか」

いつも用心深く慎重なのは好さんの方だ。「宿かー、もうすぐ資金が底を突くしなあ。ここは京都だから、宿坊って手はないかねえ」

「宿坊かー、普通の旅館よりは安いかも知れんねえ。でも、只ってわけやないき、いっそのこと僧侶見習いとして何処かの大きいお寺にでも住み込もうか」

さすがに好さんは隙のない性格だ。

「坊さんになる修行か、きつそうだけど、3ヶ月くらいならなんとかなるかなあ。いい経験にもなるし。でも、引き受けてくれるお寺があると思う?」

「頼みこむしかないやろ。京都やからお寺はいっぱいあるし、何処か引き受けてくれるろうやいか」

と好さんは云ったが、それが思った程簡単ではなかった。一人ならなんとかというお寺はいくつかあったが、ふたり一緒でとなると、これが中々頭を縦に振るところがない。あっちこっち訪ね歩いて、漸くのこと祇園にある八坂神社の近くの、京都のお寺のなかでもメジャー中のメジャー知恩院が引き受けてくれた。

「知恩院なら文句ないね。河原町通りの近江屋までも、走れば10分と掛からんでしょう」


そんなわけで、ふたりは知恩院で僧侶になる修行に励むことになるが、好さんの記憶に拠れば、1867年の龍馬が暗殺される前の足取りは次のようになっていた。


9月23日 5年半ぶりに土佐の実家に帰る

10月9日 土佐から京都に入る

10月24日 越前に行って松平春獄らと会談、11月5日 京都に帰る

11月15日 河原町の近江屋で暗殺さる


ここら辺の記録は、龍馬が大好きな好さんの頭の中には整然と記憶されていた。

「どちらにしろ龍馬は、11月5日までは京都には居ないんだから、それまでは金のかからない方法でじっと京都で待ってるしかないよね」

「いや、10月の9日から24日までの半月間も何か出来そうやねえ、痛っ・・!」

と長身の好さんは、祇園にある床屋の入口の桁に頭をぶつけてしまい、痛そうに頭を擦りながら云う。ふたりは知恩院に小僧で入るのに、取り敢えず頭を丸めておくようにと寺から言われていたのである。


「好さん、それで一番肝心なことだけど、どうやって龍馬の暗殺を阻止する積もり?」

ふたりは知恩院の御影堂のずっと裏の方にある、主に小僧さんたちが寝泊まりする古い建物の縁側に座って話している。

「龍馬の暗殺者は、新撰組とか、或いは薩摩藩の黒幕説とか紀州藩の仕業、更には土佐の後藤象二郎まで、色んなことが言われちょって、でもやっぱり幕府の京都見廻組だろうってことになっちゅうけんど、この際それは誰でもえいんじゃないかと思うがよねえ。殺った方を阻止するのは、それが誰であろうが我々の手に追えることではないし、要するに慶応3年11月15日、それは勿論旧暦での話で、そこんとこがすごく大事なんやけど、河原町通りの近江屋で中岡慎太郎と一緒に龍馬が殺されたこと、この事だけは歴史上の事実として完璧に残っちょって間違いないことやから、その日のその時刻に龍馬が近江屋に居らん、つまり他のところにどうしても居らないかん用事をつくっちゃったらえいってことやから、それをどうするか、そこんところを大君も一緒に考えてくれるかえ?」

「正にその通り!よし、よーく考えてみよう!」

大さんはそう言いながら、一休さんがするように、坊主頭の上に右手の人差し指でくるくると丸い小さな円を何度も何度も繰り返しなぞっていた。

その様子をおいらたちヤマガラの集団が、ふたりの目の前のいかにも京都らしい枯山水の庭園の松の木に止まって見下ろしていた。集団ていうか、おいらの他には2号と東山方面からおいらを慕って集まってきた5羽くらいのヤマガラが寄り集まっていて、おいらと2号よりは凡そ150年近く昔のヤマガラたちということになる。見掛けは殆ど変わらないし、勿論ちょん髷なんぞを結ってるわけでもない。唯、何処と無く京都っぽくおしとやかに見えるから不思議だ。

和尚さんに云って麻の実をもらってくる?という大さんに、今はみんなが忙しそうやからそれどころじゃないでしょ、麻の実の在り処はまた機会があれば僕が訊いちょくわ、と好さんが云う。今日のところはいにしえの仲間たちに、手乗りの妙技を見せられない。

残念!

ビーッビーッビーッ!


                  


                  13

それから1ヶ月程した9月の末ごろ、太陽暦で言えば10月の末ごろとなるが、知恩院の小坊主となった好さんと大さんは、久し振りにひまをもらって清水寺にやって来た。そして境内の京都を一望出来る茶店で団子を食べながらお茶を飲んでいる。

坊主頭の若者ふたりがくつろぐその姿は、如何にも坊主の休日といった風情で、のんびりとして長閑なものだった。

「一度事前に坂本先生に会ってみないか」大さんが軟らかそうなみたらし団子を頬張りながら云う。

着実に近づく龍馬暗殺の時を控え、ふたりにも徐々に緊張感が高まってきたのか、龍馬のことを坂本先生と呼ぶようになった。

「そうやねえ。坂本先生は今高知の実家で乙女ねえやんたち家族と、結果的に最後の再会を楽しみゆところや。本人たちは最後やとは思ってないやろうけんど」

「僕たち次第では最後にならないかも知れないしね。それで?坂本先生は、京都にはいつ来るの?」

大さんはそう訊きながら、お茶を入れに来たうら若い茶屋の娘に今度は草団子を一皿頼んだ。その娘は中々の器量良しで、大さんには土佐に居る時に世話になった米問屋井筒屋の楠木祐助の妹摩耶さんを彷彿させ、思わず好さんの様子を窺い見た。

しかし当の好さんは別段変わった風も無く、注いでくれたお茶を旨そうに飲んでいる。

矢張彼にとって摩耶さんは一人であって、他の人は全て別ものなのだろう。

「今度坂本先生が京都に来るのは慶応3年10月9日となっちゅうねえ。それから10月24日までは京都に居ることになっちゅうわ」好さんはまるで、龍馬に関する歴史書を傍らに置いて、それを読みながら言っているかのようだ。

「何処に寝泊まりしてるの?」

「多分、河原町通りの近江屋の土蔵の中」

「その間、ずーとそこに籠ってた?」

「いや、結構出歩きよったみたい。周りのみんなが非常に危ないから止めろって云うても、本人は大政奉還がなされたんやから、もう幕府方が俺の命を狙うことはないやろう言うて、土佐藩邸とか薩摩藩邸に出入りしたり、近江屋の母屋の方に人を招いて食事をしたりしよったみたいよ」

「それなら、遠目で坂本先生を見るくらいのことは出来るってことだね」

「うん、でも別に怪しまれない程度で身近に絡んで、この際、折角だから坂本先生と顔見知りになるってのも面白いんじゃなあい?我々のことを信用してもらうためにもね」

好さんには何故か余裕があるように見える。一方の大さんは、

「いいねいいね!坂本龍馬と知り合いなんて、そりゃ、もう、絶対いいわ!」と興奮気味だ。

「ねえ、いいよねえ。まあ、その方法はまた後で考えるとして、一番肝心なこと、どうやって坂本先生が、その日その時間に近江屋に居ないようにするかなんやけど、その後、何か考えた?」

「一応考えたんだけど、そのー、お龍さんを利用することって出来ないものかねえ」

「僕もそれは考えたんやけど、お龍さんはこの2月くらいから、妹の起美さんとふたりで下関に滞在しゆってことになっちゅうがよ」

「じゃあ、お龍さんのところに偽の手紙を送って、京都の坂本先生のところに来てもらう?」

「お龍さんが来たからって、坂本先生を救える保証はないし、それこそ歴史的事実と異なるわけやから、実現の可能性が低いような気がするけんど、それじゃもういっそのこと坂本先生に、お龍さんが危篤だからすぐ下関に来て欲しいって、お龍さんが世話になっている伊藤助太夫の差し出しで偽の手紙を送るってのはどう?」

そんなマイナーな名前がいとも簡単に出てくるなんて、好さんの龍馬ファンぶりは半端じゃない。

「いいねそれ!その偽手紙が11月の13か14日くらいに坂本先生の元に届けば 先生は確実に15日には近江屋には居ないってことだよねえ。でもこれも歴史的事実とは異なる?」

「世界は色んな可能性のあるところで分岐していくみたいやから、ありそうなことをやっちょけば、そっちの世界もある確率で可能性が拓けるってことみたい」

好さんのいうことはいつも訳解らないけど、まあ要するに可能性の数だけ世界はあるってことのようだ。

「よくは解らないけど、今回の場合、ありそうなことは全部やっとけば、どれかは起こる可能性があるってことになるの?」

「そういうことよねえ。それからもうひとつ、いやあと3つくらい出来ることをやっちょくのがえいかも知れん」

「そうそう、3段構え4段構えというか、2の矢3の矢でね。だから、お龍さんが危篤でも100パーセント坂本先生が下関に向かうとも限らんし、そこでもし行かなかった場合にジタバタしないよう、そう、今思い付いたのは、坂本先生が暗殺されたのが暮5つ半、つまり午後9時頃と聞いているからそれより少し前の暮5つ、午後8時過ぎか8時半過ぎでもいいなあ、それくらいに近江屋のすぐ目の前にある土佐藩邸に、坂本龍馬先生が暗殺された!と叫びながら駆け込むってのはどう?」

ここで大さんは、少しどや顔をした。

「それえいかも知れん!名案や!」

好さんも大袈裟に囃し立てた。

「他に何かない?」

「そうだねえ、そのうちまた考えとくよ」

「うん、例えばこんなのはどう?時間が少し前後するけんど、もし坂本先生がお龍さんが危篤やと言うても下関に向かわなかった場合やけど、土佐藩の後藤象二郎か或いは山内容堂が知恩院本堂で待ってますから来て欲しいって誘い出すのはどうやろ?」

好さんは草団子の最後の一串を頬張りながらそんな提案をした。

そして赤い布を敷いた縁台からゆっくりと立ち上がり、古都を眼下に見下ろすようにして大きく背伸びをした。


それから半月くらいして好さんと大さんは、近世以降の日本で歴史上最も人気があると思われる人物、多分それは坂本龍馬かも知れないが、その龍馬本人に生で会って、しかも話す機会を得た。

ふたりは知恩院境内に隣接する広場にある垂れ桜の古木の周りを竹箒で掃除していた。すると例によっておいらが、ビーッビーッビーッ!と催促の声を上げながら周りを飛び回り、そして時々はホバーリングしながら餌の催促をする。何でもかんでも積極的に振る舞う大さんは和尚に云って麻の実をいっぱい準備してもらい、外に出るときはいつもそれを持ち歩いていた。早速手の平に麻の実を乗せて差し出する。おいらと2号は先を争うようにして実をくわえていった。

そんなことを繰り返しているうちに、ふたりの武家風の男性が近付いて来て、

「いやいや、珍しいことやりよるねえ。あっしらあにもちっくとやらせてくれんかえ」

好さん程ではないが当時としては結構背が高めで、くせ毛なのかちょんまげが綺麗には結えず、後ろで髪を束ねたような侍が話し掛けてくる。しかもそれは辺りはばからぬ露骨な土佐弁で、土佐出身の好さんはいち早くそれだと気付く。好さんはもう一度落ち着いてその男の顔を見直した。そして目が眩むくらいにビックリした。それは彼がこれ迄に何度も何度も幾つかの写真の上だけで見てきた、坂本龍馬その人だったのである。余りの驚きと感激で、好さんはその場にしゃがみ込みそうになった。

「どうぞ、やってみて下さい」

「すまんねえ。ほんなら、ちょっとその餌を貰えるかえ」

好さんは震える手を必死で我慢しながら、龍馬に麻の実を一掴み渡す。

すると龍馬は、好さんと大さんがやってたように手の平に麻の実を載せてみる。

「うわあ、来たぜよ。岡本、おまんもやってみいや。こりゃあたまげた。よう慣れちゅうぜよ、この鳥は」

龍馬に岡本と呼ばれたもう一人の侍は、龍馬暗殺の当日の夕方、龍馬と中岡慎太郎を近江屋に訪ね、龍馬に頼まれて軍鶏を買いに出る峯吉と共に近江屋を出たという記録が残っている、土佐藩士岡本健三郎のようである。

「坂本先生、ですよねえ」

大さんは、それまで全くそのことに気付かなかった様子で、いきなり独り言のように呟いた。

「そうぜよ。あっしは土佐の坂本龍馬じゃあ。若いお坊さんのようじゃけんど、以前どこぞでお会いしましたろうか」

岡本健三郎とおぼしき侍は、一瞬身構えるようにして左手を腰の刀に手を遣るような仕草をしたが、好さんと大さんの余りにたどたどしい態度に、直ぐに平静さを取り戻す。

この頃岡本健三郎は龍馬の護衛役として常に同行し、あと10日程先の10月24日には越前に出向き福井藩の松平春獄と会う際にも岡本が同行したとされる。

「いや、お会いするのは初めてですが、ただ、私は土佐の出身で坂本先生を大変尊敬しております」

「尊敬ちゅうて?あしゃあなんちゃあ、やっちゃあせんぞね」

「とんでもございません。大政奉還おめでとうございます。坂本先生の功績です」

言った途端に好さんはしまったと思った。正確には今日は慶応3年10月13日。史実によれば、10月14日に15代将軍慶喜が政権返上を明治天皇に上奏し、翌15日に天皇がこれを勅許したとある。つまりそれは明日、明後日という近い未来の出来事だった。だからかどうか、龍馬の表情が少し強ばったように見えた。

「おまんらあ、しょう詳しいねえ。けんど、大政奉還は土佐の家老、後藤象二郎が土佐の殿様に進言したがぜよ」

「いや、あれは坂本先生の船中八策が元になってると聞いてます」

好さんはずるずると自分の正体をさらけ出していく。

「おまんらあ一体何者なが?」

龍馬がそう言うと、岡本がまた緊張したように腰の刀に左手をやる。すると龍馬が、まあまあこの人らあ大丈夫じゃき、と言う。岡本が再び緊張を解く。

「いえ、土佐から出てきた、唯の修行中の坊主です」

好さんも段々と落ち着きを取り戻しつつあったが、ホバーリングしたりビーッビーッと啼いて餌を催促するおいらたちは、いつの間にか放ったらかしになっていた。

「それだけじゃなしに、これから先のことも見えるような修行をやりゆがかね?」

「これから先、未来のことで判ることもあります」

それを言っちゃお仕舞いだろと、大さんは横でハラハラドキドキしていた。

「日本はどうなる?あっし、坂本はどうなる?あっしは、北海道の開拓に行こうかと思いゆけんど、どうなるぜよ?日本は西洋の列強と肩を並べる近代国家になれるがかよ」

「日本は明治維新で、あの、来年江戸が終って新しい年号明治になるがですけんど、日本は大きく変わります。そして欧米列強に負けない近代国家になります」

「おお、それはよかった。ほんで、あっし、坂本は?」

「いや、それが・・・」

好さんは、さすがにここで口ごもった。これを見逃す龍馬ではない。

「どいた?あっし、死ぬがかよ。新撰組に殺される?まさかそれはないぞのう。岡本もこうやってついてくれちゅうことやし。それにのお、誰っちゃあに言われんぜよ、いっつもこうやって拳銃もちゃんと持っちゅうがやき」そう言いながら龍馬は、襟を空かして懐の拳銃をちらりと見せた。

11月15日暮5つ半頃起きる近江屋事件のことをここで坂本先生に云うという行為は、これからあと一体何を引き起こすのか、好さんの頭は大いに混乱した。

この前清水寺の茶屋で、その日その時間に坂本先生が近江屋に居なくするためにふたりで考えた幾つかの手立て、今坂本先生に近江屋事件のことを告げるというのもその手立てのひとつなのかも知れない。

しかし坂本龍馬はその日その時間に河原町通りの近江屋に居て、多分幕府の見廻り組に中岡慎太郎と共に暗殺されるということは歴史上の事実として存在するわけで、我々はその事実を変えるのではなく、そこから分岐する坂本龍馬が暗殺されなかったもうひとつの世界を創るためにやって来た、ということではないか。つまりここにいる坂本先生はその日その時間に近江屋で暗殺されなかった坂本龍馬なのかも知れない。分岐の回数とその時期によっては、あらゆる可能性が存在することになる。

好さんはこの一瞬間にそんなことをつらつらと考えていたのであった。

「分かりました。じゃあ言いましょう。多分信じて貰えないかも知れませんが、何かのお役に立つかも知れませんので・・、坂本先生は、今から1ヶ月くらい先の慶応3年11月15日暮5つ半、河原町通りの近江屋母屋の二階で中岡慎太郎先生と共に、京都見廻り組の今井信郎や隊長の佐々木唯三郎らに、この犯人についてははっきりとした証拠がなくあくまでも憶測の域を出ませんが、多分その連中だということですが、暗殺されます。これは歴史上の事実ですから変えることは出来ないかも知れませんが、或いは出来るのかも知れません。そこのところは我々にもよくは解りません」

「・・・・、あっしと中岡が、来月に殺されるつかよ。ほんでおまんらあは、なんでそんなこと知っちゅうがぜよ。どっから来たが?」

好さんは、はたと困った。こんなことを言っていいものだろうか、言っても信じてくれるのだろうか、また色んな思いが頭を過る。

「僕たちふたりは50年先の未来から来ました」

好さんがモゾモゾと言いごもってるのを見て、いきなり横から大さんがしゃしゃり出た。


                    14


大さんの、我々は50年先の未来から来ましたという寝言のような言葉に対し、龍馬は信じているのかいないのか、一応は驚いた表情をし、それは西洋の先進的な文明の利器に乗れば行けるのかと訊いたきり、自らの暗殺のことについても日本の50年先についても一切触れることはなく、つまり好さんと大さんのふたりは龍馬に放ったらかしにされたのだった。

そしてそれから数日後の慶応3年10月24日、龍馬は岡本健三郎と共に越前の福井藩主松平春嶽に会いに北陸路に旅立った。史実に拠れば今度彼らが上洛するのは暗殺より10日前の11月5日である。

そこで困ったのは好さんと大さんのふたりだ。すべてを告げて、これならさすがの龍馬も暗殺を回避するため自分でなんとかするだろうと思っていた矢先、龍馬と岡本は史実通り平然と越前に出掛けて行ったのである。今の感じだと、その日のその時刻に近江屋に居なくなることは余り期待できそうにない。矢張事前の打ち合わせ通り、こちらで何かの手立てを講じるべきなのか。或いは龍馬は、今後は北海道の開拓に生涯を捧げたいとも云ってたらしいから、ひょっとして北陸路に入った後、そのまま北海道に行ってしまう気かも知れない。

兎に角これから先どうなるのか、そして好さんたちは何を成せばいいのか、益々判らなくなってしまったのである。


好さんと大さんは僧侶になるための修行中である。修行は思ったより辛いこともあるし、楽なこともある。折から季節は晩秋から初冬に向かっていて、早朝のお勤めは未だ暗いうちから始まり徐々にきつさは増していた。しかし彼らの目的は他のところにもあって、如何にタイムスリップをインテンショナルにおこなうかという、これは何処に居ても何をやっていても、常に彼らが第一義的に考えなきゃいけない課題でもあった。

昼のお勤めで住職について読経しているとき、大さんはふと気になることがあった。和尚が節目節目で手元にある大きな鐘を撞く。その時に和尚が撞木で叩く鐘の場所によって音色が少しずつ違うことに気付く。つまり高い音と低い音があって、我々はこの波の何れかに乗って空間の歪みのなかに忍び込めば時空間を自由に移動出来る気がした。高い音の時は未来の時空間に、そしてある一定より低い音の時は過去の時空間に、それぞれ移動出来そうな気がした。これはあくまでも好さんと大さん勘である。また、ろうそくの灯りと線香の煙の微妙な重なり合いは、微かな時空の歪みを創り出しているようにも見えた。こうして大さんは、お寺には小さなワームホールが出来易い環境があるのではないかと考えるようになったのである。

こうして坊主の修行は、色んな苦しいこともある一方で、意外に充実した日々を送るふたりであったが、そんななかで好さんは大さんには内緒で、柄でもないことをこそこそとやっていた。

知恩院に住み込んで間もなくの頃、好さんは、勿論大さんには内緒で、土佐の帯屋町にある米問屋井筒屋の次女、そう、あのいとしの摩耶さんの元に、大胆にも恋文を送ったのである。


名にしおはば いざ言問はむ都鳥 

わが思う人は ありやなしやと


言わずと知れた、伊勢物語に出てくる在原業平の有名な句であるが、さすが風流人の好さん、

『名にしおはば』を『時を超へ』に換え、そして『いざ言問はむ都鳥』の部分を『いざ言問はむ山雀(やますずめ)』に換えて、これは高知からずっとふたりに付き回っている二羽の山雀(やまがら)つまりおいらたちに言問うこととし、


時を超え いざ言問はむ山雀(やますずめ)

わが思うひとは ありやなしやと


と詠んだ。

更に句の後には『知恩院、珍圭』と記し、そして最後に、『一緒に未来に行きましょう』と書き添えた。

これは摩耶さんにとって完璧な演出だった。すぐさま、是非にという内容の返信が知恩院珍圭宛に返ってくる。しかしそれが住職の元に手渡され、珍圭とは誰ぞやということとなり、好さんが名乗り出るとその手紙の内容について質される。ところが摩耶さんの手紙には50年未来がどうのこうのということばかりが書いてあって、住職には何の事だかさっぱり要領を得ないまま、まさかそれが恋文の返信だとも気付かず、無事好さんに手渡されたのだった。

 

そして時は平凡に11月10日迄過ぎていった。

「坂本先生は、矢張史実通りに近江屋の土蔵の二階に寝泊まりしているようだし、それに、なんだかんだと用事をつくっては土佐藩邸や薩摩藩邸に平気で出入りしてるというのも史実通りだ。どうしたらいいのかねえ、好君」

大さんはお手上げだー、といった風に両手を大きく挙げた。

「取り敢えず、ここまで来て何にもせんわけにもいかんから、出来るだけのことは全部やっちょこう」

「ちょっとおさらいしとこうか。先ずは、お龍さんが危篤だという偽の手紙を伊藤助太夫が差出人で送る。それでも京都を旅立たない場合は、後藤象二郎か山内容堂が暮5つ半に知恩院の三門で待ってると龍馬に投げ文をする。そして最後の手段、暮5つか5つ半に土佐藩邸に坂本先生が暗殺されたと云って駆け込む」

「どれかで何とかなるろうやいか」

「ならなかったら?」

大さんが悪戯っぽく云うと、

「ならんかったらしょうがない。史実には逆らえんということや」

と好さんが真顔で応じる。


ところでふたりが寺で修行する間、タイムスリップに関する奥義を極めつつあって、あと少しで自分の意図する時代の好きな場所に瞬間移動出来る方法を編み出すことが出来そうだった。


そして、運命の日慶応3年11月15日を迎える。


好さんと大さんが事前に考えていた、暗殺前に龍馬を逃がす手立ては全て失敗に終ってしまった。

お龍さん危篤の知らせは、一応14日には龍馬の手元には届けられたようだが、その日龍馬は風邪をひいていて熱があった。その上翌日15日には土佐藩の福岡孝弟と会う約束があり、16日に下関のお龍さんの元に向かうと近江屋新助に告げる。それから龍馬の言によると、お龍さんは体格は華奢だがとても健康な女だからそう簡単には死んだりする人ではないとのこと。

次に、後藤象二郎が知恩院三門で暮5つ半に待っているという投げ文だが、その当時常に身の危険に晒されていた龍馬である。ノコノコと夜遅くそんなところに出向いていく筈もなく、これは龍馬の代わりに岡本健三郎がひとり向かうが、これは龍馬のボディーガードである岡本が、龍馬の使いで軍鶏を買いに行く峯吉と共に近江屋を出たという史実と奇しくも一致するのである。但しその後岡本が何処に向かったのか、史実の記録としては何も残されていないが、この場合好さんと大さんは岡本が四条大橋を渡って知恩院方向に向かったところまでは見届け、その後ふたりは近江屋に舞い戻ったため、岡本の行方は確認されていない。

残されたのは最後の手段、直前に土佐藩邸に坂本龍馬が暗殺されたと云って駆け込むというもの。しかしいざやるとなると藩邸の夜の警備は思いの外厳しく、若い坊主ふたりがそんなこと云って駆け込んだとしても、果たして信じてもらえるかどうか、そればかりか逆に不審者として捕らわれるのが関の山のような気がした。

あれやこれやと心配し、ふたりが躊躇っている間にも容赦なく時間は過ぎていて、暗殺者達が近江屋を襲撃する時が刻一刻と近付いてくる。

やがて、これも史実通り刺客7名が近江屋周辺に集まって来て、表で見張りする役とか突入する役などそれぞれの分担どおりの配置につき始めた。

勿論彼等が何処の誰べえなのか、この場に至っても全く判然としない。

「好君、どうする?」

「どうするもこうするも・・・、ねえ大君、裏に回って火を放とうか!」

好さんの懐には50年先から持ってきたマッチが一箱入っている。

考えてる暇はなかった。咄嗟にふたりは近江屋の裏側に回り込み、手当たり次第燃えそうな物に火を着けた。たまたま近くに風呂の焚き口があったため着火のための小枝や藁もあり、火は瞬く間に燃え広がった。

「火事だー!火事だー!」

好さんと大さんがあらぬ限りの大声を出して叫んだ。それは十津川(とつかわ)郷士と名乗る刺客ふたりが、龍馬のボディーガードを勤める元力士の藤吉に名刺を渡した直後だった。

史実に拠れば、藤吉は名刺を受け取った後、彼らを龍馬の居る二階に案内しようとして、刺客の誰かに後ろから切り殺されている。

「火事だー!火事だー!」と龍馬と中岡慎太郎が居るであろう二階に向けて大声で叫ぶ好さんと大さん。漸くのこと二階の北側の障子が開けられ、龍馬と慎太郎が外の様子を窺う。そして一度は中に姿を消して、今度はふたり共刀を持って火の手が上がっている裏側とは反対側の屋根の上に下りて屋根伝いに隣家の家の屋根に逃れるのが見えた。おそらく近江屋の一階も階段の方も構造上既に煙が立ち込め、一階に下りることを断念したのだろう。龍馬は障子を開けて、火事だと叫ぶふたりを燃え盛る火の明かりで確認したとき、1ヶ月ほど前に知恩院の南の庭でおいらに手から餌をやっていた坊さんふたりの仕業であることを覚った。その目的迄は判らないが、おそらく新撰組あたりの暗殺計画を事前に阻止しようと、ふたりで様々な芝居をうってるのかも知れないくらいの想像はついていたに違いない。

何れにせよ、一連の出来事に何かの意味を感じたのか龍馬は慎太郎と別れて、後藤象二郎が待つという知恩院の三門に向かったのである。それを見た好さんと大さんのふたりもその後を追う。

だから、そのあとの近江屋での出来事は、どうなったのかわからない。


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知恩院の三門に後藤象二郎が待っている筈はない。結果的にはその場所で好さんと大さんそれに暗殺されずに済んだ坂本龍馬の三人が落ち合うこととなった。何処に行ってしまったのか、岡本健三郎の姿は見えなかった。

「やったー!」好さんと大さんは知恩院の三門の下で待つ龍馬の姿を確認すると同時に大声で叫び、そして龍馬の側に駆け寄って握手を求める。眼にはうっすらと感激の涙が滲んでいた。すると龍馬は「シェークハンドかよ。ようは解らんけんど、何かが上手いこといったみたいじゃのう。よかったよかった」と言いながら、ふたりに左右の手それぞれを差し出し、硬く握りしめてくれた。その途端好さんも大さんも同時に涙が止めどもなく流れ出し、泣きじゃくる。それを見た龍馬が顔をくしゃくしゃにして、優しい眼差しでふたりを見守る。おいらも、時を越えた何か素晴らしいものを見たような気がした。

「あっしは、さっき近江屋で幕府方に殺されるがやったがかよ」

「そうです。坂本先生と中岡先生、それに藤吉さんが、はっきりは判りませんが京都見廻り組であろう暗殺者に殺されたと、文献には残されます」

「なんちゅうぜよ。あっしは歴史にその名を残すがかよ。何かわくわくしてきたぜよ。ゆっくりとおまさんらあの話を聞きたいけんど、どこぞ宿屋にでも今から行くかよ」

龍馬は髪をボサボサにし、風邪をひいて鼻水が出るのか、懐から手ぬぐいを時々出して鼻の辺りを何度も拭っていた。

「我々は、知恩院で僧侶の修行中ですき、もう寺に帰らんといきません。坂本先生も一緒に寺の宿坊に来て下さい」

「おー、そうかよ。ちっくとなら、あしも銭を持っちゅうき、寺の宿坊ならそれほど高いことも言いやせんろう。あし、宿坊言うもんへ泊まったことないき、是非連れてっとうせや」

旅の浪人が夜遅く到着し泊まることについて、寺の者は格段不審がったり嫌がる様子もなく、軽い食事も出してくれた。

「あし、今日は軍鶏鍋食うちゃろう思うて峯吉いう子に買うてくるように頼んじょったがよ。峯吉もなかなか帰らんき、今頃近江屋の火を見てびっくりしちゅうろうのう。あの軍鶏の肉はどうなったがやろ。軍鶏鍋はしょう旨いちや。惜しいことよ。そりゃあそうと、あの近江屋の火事はどうなったろ。おまんらあが火を付けたがじゃろうがよ」

龍馬は、思ったよりも剽軽でよくしゃべる男だった。

「坂本先生、申し訳ありません。お龍さんが危篤だという手紙も後藤先生がここの三門で待ってるという投げ文も、全部我々の仕業で、根も葉もない嘘のことなんです。それも全て坂本先生が慶応3年11月15日暮5つ半に近江屋の2階に中岡先生と居ないように、あれやこれやと考えた挙げ句のことなんです」大さんは本物の坂本龍馬を前にしても全く臆したところがない。

「えいえい、気にしなや。人生嘘も方便よえ。あしもここ一のときは、ようハッタリをかましたもんじゃ」

好さんはふと、いろは丸事件のことを思い出した。あれはたしか坂本先生が紀州藩相手にハッタリをかまして7万両もの大金をせしめたものと思われる。しかしその金は今の時点で土佐藩には支払われているが坂本先生や海援隊には支払われていない筈だった。つまりその件はまだ決着してない。更には土佐藩の後藤象二郎と岩崎弥太郎がその金をせしめるために幕府方を利用して龍馬暗殺を企んだという説さえ存在する。

ここでその話題を出していいものかどうか、好さんは迷っていた。

「ところでおまんらあ、何で今晩後藤象二郎があしを知恩院の三門で待ちゆ言いよったがぜよ」

「いえ、深い意味はありません。後藤先生か、土佐藩山内容堂公が最もそれらしいかなあと思いまして」

「じゃろうねえ。後藤は今あしから逃げ回りゆがじゃき、あしの前へ姿を現す筈はないきのう」

「何で逃げ回りゆがですか」

「彼は大政奉還の建白書を自分が書いたみたいにして容堂公に提出したがよ。本当は全部あしが考えたことを夕顔丸で後藤に提示したがじゃき、けんどまあそれは、どーでもえいことやけんどねえ。それよりいろは丸の事故で紀州藩から海援隊に入る予定の賠償金7万両をよ、後藤がなかで握ったまま放さんなって、ちっともこっちへ回してくれんがよ。何を考えちゅうがやろ後藤のやつ。そんなこんなで、彼はあっしを避けゆうみたいながやき」

近世から近代にかけての稀代の英雄坂本龍馬にも、当然のことながら悩みや不満は常にあるようである。


ところで、近江屋の火事はぼやで済んだようだ。好さんと大さんがそこら辺にあった藁に火を着けて次々と釜屋に放り込み、一階部分はモウモウとした煙が立ち込めて近江屋の人々や暗殺者達の視界を完全に遮り、避難しようとした龍馬と慎太郎を一階ではなく隣家の屋根の方に追いやった。そのため近江屋の火災は煙のわりには大した延焼もなく、結果的にちょっとしたぼや程度で済んだのだった。中岡慎太郎のその後については、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺されずに生き延びた場合、そんな世界は好さんと大さんの知っている史実には存在しないわけだから、この世界にいる限り全く予想だに出来ないということになる。


「ところでおまさんらあ、50年先の未来から来た言いよったのう」

三人は宿坊のなかの小さな部屋に煎餅布団を川の字に並べ、灯りは消して、外部の目には寝た振りをしたままボソボソと呟くように話している。好さんも大さんも、時空を超えて龍馬と川の字で寝ているというとんでもない現実が、決して夢でないことを確認したくて、何度も何度も自分の頬っぺたをつねり続ける。

「そんなことが出来る機械が西洋で発明されたがかよ」

「私達は機械ではなく、全く偶然にこの時代にやって来ました。正確には58年先の未来からです」

好さんと大さんは代わる代わるに、これ迄ふたりの身の上に起こった全ての奇妙な出来事を龍馬に話していった。

龍馬は人一倍好奇心の強い男である。ふたりの言うことに、じっと息を凝らして聞き入っている様子だった。

「こりゃあたまげたねえ。ほいたら何かよ、ここの知恩院のお勤めのときに、今おまさんらあの言うた通りにしたら、あっしも何年か先の未来に行けるということかよ」

「正確に時間と場所を指定することは出来ませんが、ある程度の無作為さを我慢すれば未来でも過去でも行けると思います」

大さんが優等生張りの解答をする。

「ほいたらあっしも連れてってくれるかよ。どうせ歴史上ではいっぺん死んだ身じゃき、あとはもうどうなってもえいぞね。いや、そうじゃないか。あんたらあのお陰でもう一回命を貰ろうたがやき、その命を大切に使こうて日本のため、いや世界のためにもうひと頑張りしたいねえ。と、そんな感じでどうでっしゃろ」

あの坂本龍馬の口から上方漫才のような話し振りまで聞けて、好さんと大さんの感慨はひとしおであった。


江戸幕府最後の年となった慶応3年の11月16日、太陽暦で言えば12月中旬の京都は鮮やかな紅葉の時期も過ぎて、朝晩の冷え込みは日を追って厳しさを増していた。

知恩院の朝のお勤めは明け6つよりも更に半刻ほど早い明け7つ半、つまり今の時刻で言えば午前5時頃で年の暮れ近い京都の朝はまだ真っ暗である。

寺全体の朝のお勤めの後、好さんと大さんそれに龍馬の三人は、読経の練習と掃除をするからという口実でそのまま本堂に残り、かつてより二人が訓練を重ねてきた、仏前の鐘とろうそく、それに線香の煙を使ってのタイムスリップを試みる。

「先ず、自分の行きたい時代と場所を事細かに頭の中に思い浮かべ、強く念じます。でも今回の場合は、僕と大君がそれを同時にやりますので坂本先生は我々の手をしっかり握っちょってください。そうです。シェークハンドよりももっときつくです。次に僕がこの鐘を鳴らしますので、その音の波に合わせるようにして自分の体と心を波打たせ揺らし続けます。段々と音の波長に自分自身の波が合ってきたら、あそこの、あれ、ろうそくの光と線香の煙が重なり合っちゅうところをじっーと見てみて下さい。少し空間が歪んだように見えるところがありますよねえ、あそこの空間の隙間に自分の体が吸い込まれるような気持ちになってみて下さい」好さんの説明を龍馬は食い入るように聞いていて、一言も聞き逃すまいという意気込みがひしひしと伝わって来た。

「今回は、一応58年先の未来の土佐の高知を目指します。じゃあ行きますので、今僕が言った通りにやってください」

好さんは仏前にある鐘をゆっくりとしたテンポで強く叩く。

それと同時に三人はろうそくの光と線香の煙が交差する辺りを凝視しながら、音の波に合わせるようにフアフアと体を揺する。すると、やや間があって、好さんがぼんやりと霞むようになって消え、直ぐその後で大さんと龍馬もろうそくの焔と同時にぱっと消えてしまった。

そこに残されたものは、うぉんうぉんという消え入りそうに低い音の余韻と、行先を失ってさ迷うような線香の白い煙だけだった。

引き締まるような冷たい空気の中、京都知恩院は、幕末の静かな朝を迎えていた。


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好さんと大さんそれに龍馬の三人が天から降ってきたように投げ出されたのは、例の城山山頂付近にある双子岩周りの草むらで、強く打ち付けられはしたものの、この前の弁才船の甲板の時ほどの衝撃はなかった。

「どこぜよここは」龍馬は草むらにうつ伏せに寝転がったままで顔だけを持上げてキョロキョロしていたが、周りの景色には全く見覚えが無いようで、同じくすぐ隣に転がっていた大さんに訊いた。

「いや、大丈夫です。我々には馴染みの場所ですから」

好さんもすぐ側ででんぐり返ったままふたりの話を聞いていた。

「馴染みの場所ちゅうかよ」

「はい。我々はそこに見える大きな岩、通称双子岩って言うんですけど、その回りで野うさぎを追っかけていて、坂本先生の時代に行ったんですから。云わばここは我々の秘密基地といったところです」

「へー、そう言えばこの前、そんなこと言いよったにかあらん。そうか、ここがそうながや。過去へ行ったり未来へ行ったりするがは、何もお寺の鐘の音に乗るがだけじゃないがやねえ」

「はい。まだはっきりしたことは判りませんが、何かの波に乗るにしても色んな方法があるみたいです」

「それで?ここは、さっきの知恩院の朝のお勤めの時から言うたら、58年ばあ先の未来ながかよ」

三人は双子岩の影のところに座って休みながら話しているが、日差しのあるところは可なり暑いところをみると、季節はどうやら盛夏に限りなく近そうである。

「多分そんなとこじゃないかと思いますが、ちょっとそこいらをうろついてみて、今の年代を知る手掛かりを探ってきましょうか」

好さんも最近、タイムスリップが日常の延長になってきたようだ。

三人は目眩のような疲労感の収まるのを待って双子岩から少し下り、太平洋を望む南側斜面に出た。ここは松林が多く景観が素晴らしい。

「ねえ大君、ここがもし、我々の時代1925年くらいだとしたら、我々のこの格好はちょっとまずいんじゃない?」

「坊主はいつの時代も坊主頭にこんな格好なんだろうけど、坂本先生がねえ」

ふたりの後を目を輝かせながら付いてくる龍馬にもその会話は聞こえているようで、「あっしのこの格好が変ながかよ。褌一丁で歩くわけにもいかんしねや。けんど履き物はなんとかせんといかんちや、裸足じゃ痛とうて歩けんぜよ。それに、腹も減ったしねえ。知恩院の朝のお勤めからそのままここへ来たんやきねえ」

そう言いながら、龍馬は歩く度に体をすくめるようにした。

三人が松林の中、遥か彼方に水平線を眺めながら峰伝たいに歩いていると、真新しい小さな建物が見えてきた。そして入口には『狸狐庵窯』と書いた看板が掛けてあって、中を覗くと50前後とおぼしき年格好の小綺麗な女性がひとり、一生懸命作陶をしている。そしてその前に『狸狐庵山荘』と書かれた別荘らしき建物がある。

「すいません、ここら辺に食堂みたいな飯食わすところはないですか」

「ありますよ。そこの前の道を500メートルくらい東の方に行きますと、星が丘vl コンベンションハウスっていう大きな建物がありますから、その中に喫茶『乱舞』っていうとこがあって、そこでランチとかお蕎麦が出来ますよ」

後ろの方にいた龍馬には彼女の言ってることがさっぱり解らない様子で、徐々に前の方に寄って来て彼女を珍しげにしげしげと見始めた。それに彼女も気付いたのか。

「私、この狸狐庵窯の堀川りこと申します。あの今日は、コンベンションハウスでイベントか何かの催しがあるんですか?私もコンベンションさんには大変お世話になってますから、何でしたら今からハウスまでご一緒しましょうか?」

「ああ、ご挨拶が遅れました。僕が入間好澄で、こちらが・・」

「僕は、小池大助です、こちら坂・・」

「あっしは、土佐の坂本龍馬ですき」

りこさんは少々驚きはしたものの、やはりこれは何かのイベントだと理解した。

坂本龍馬と名乗る男は、龍馬の写真の顔によく似ていて、服装は写真とは少し異なるがやはりそれっぽく着付けてある。しかしそれはどうやら冬物のようで、今の季節にはいくらなんでも暑そうである。まるでがまん大会でもやってるようだ。それにしても三人とも裸足というのがとても違和感があってどうも気になる。

「道は、一本道ですか?・・なら大丈夫です。それよりも構わなければ草履を3足、あれば譲って貰えませんか」

草履はさすがに狸狐庵山荘にもなかった。「スニーカーとかサンダルなら主人のがありますけど、イベントには履けませんよねえ」


意味の解らない三人は裸足のままコンベンションハウスに向かう。

狸狐庵山荘は将来、つまり1925年当時から云えば更に、凡そ56年程先に大さんが星が丘に建てる別荘なのだが、凄いなあこの家と仰ぎ見るようにしながら、一行はその前を通り過ぎてしまう。

コンベンションハウスに行って三人はカレーライスを食べた。好さんと大さんは、以前神田須田町食堂で8銭のカレーを一度だけ食べたことがあったが、龍馬の時代に未だそんな食べ物はなかったらしく、見るのも食べるのも初めてだと言う。

「こりゃあなかなか旨いじゃいか、このピリッと辛いところがなんとも言えんねえ。それにこの金の杓子で食べたらしょう楽ながちがう。あしゃあこれ、今度北海道の開拓のとき持って行こうかと思いゆ。体も温もるやろうし」

「先生、北海道の開拓に行くがですか」

大さんが食後のコーヒーを飲みながら訊いた。「北海道はこれから先永遠の可能性を持っちゅうがぜよ。あしも落ち着いたらお龍と一緒に行こうか思うちゅう。けんどお龍は、北海道は冷やいきいやや言いゆうがよ」

家などいりません、船があれば十分です、外国まで廻って見たいです、と言うお龍さんに龍馬は、「突飛な女だ!」と答えたという薩摩藩船三国丸でのエピソードを思い出した好さんは、そのことを龍馬に話してみた。

「そうそう、そんなことがあったあった。おまさんらあお龍を知っちゅうがかよ」

「いやいや、坂本先生に関する本に出てきますよ。お龍さんの後日談としてあります。そのはなしには西郷さんも出てきます」

「そうかよ、西郷さん?あの薩摩の西郷吉之助か。西郷さんはえい男や。あっしの人生のなかで彼が一番信頼のおける親友かも知れんのう」

生の龍馬の口からこんな言葉が聞けるなんて、と好さんは涙を流して喜んだ。

「おねえさん、今日は西暦何年何月何日ですか?」

大さんはコーヒーを持ってきた、彫りが深くて背の高い外人さんみたいなウェイトレスに大胆に訊いた。

「え?あぁー、今日ですか?今日は、2014年ですよね。2014年の7月22日火曜日ですね。で、今日は何かの催しなんですか?」

好さんの脳裏には様々な場面が去来した。散々迷った挙げ句に

「僕は、入間好澄と申します。こちらは小池大助、二人は1925年から来ました。あ、そらから、こちらは坂本龍馬先生。先生は1867年から我々がお連れしました」

「ご挨拶が遅れました。私はここのウェイトレスで横畑桃子と申します。入間好澄さんて、ここの星が丘vilを創られた方と、それからその入間さんは桂浜の龍馬像建立にも尽力された方らしいですけど、ほら、あそこに入間さんの晩年の写真が飾ってありますよ。たまたま同じ名前なんですか、それともイベントでその役柄を演じてられるんですか?」

好さんは暫し絶句した。自分がいまからそんなことをやる、いや既にやった?、どっちなのかはよく解らないが、しかし結果は同じことで、しかも自分の晩年の写真があそこに飾ってある。自分はいくつまで生きるのか、その情報だけは耳にしたくはなかった。だからそこで方向転換した。

「実はそうなんですよ。龍馬像を建てた入間さんと実際の坂本龍馬先生が出会ったという設定なんですよ」

あとのふたりはニヤニヤしながらそれを傍観している。

「面白いですねえそれ、いいですいいです、その設定とってもいいですわ。私たちもここで写真を撮らせて下さい」

一同はコンベンションハウスのレストランで記念撮影と相なったが、自分の晩年の写真の前で20才過ぎの好さんがひとつの写真に収まるという合成写真でしかあり得ない奇妙な構図のものも幾つか出来上がってしまった。


「ところで好君、この三人のカレーライスとコーヒー代は持ってるの?」

「10円は持ってるからなんとかなるでしょう」

「あっしも50両はあるき、なんぼ言うても足りるろうじゃいか」


三人は、全部で2400円と聞いて正にお手上げ状態である。取り敢えず有り金全部を桃子さんの前に出してみると

「まー、こんな古いお金よくありましたねえ。小道具さんもやること徹底してるんですねえ」

三人が困っているとそこに狸狐庵窯のりこさんがやって来る。

「まあ、珍しいお金がいっぱい。あれ?これ小判じゃないですか。すごーい」

龍馬が小判を5枚と好さんは昭和初期の紙幣を数枚持っていた。

「これが使えんもんで、カレーライスの代金が払えんなって困っちゅうがです」

という好さんにりこさんは

「まあ勿体ない。わたしがその小判を全部買い取りましょうか」と言う。

おいらが知ってる限り、彼女はボランティア精神が旺盛で、人助けが趣味のような女性である。

「え?そりゃあ願ったり叶ったりじゃねえ。ほんまにえいがですか?」

どうやらこの小判は本物らしいと判断したりこさんは、昔はこの小判一枚で米がどれくらい買えたかを桃子さんにパソコンで調べてもらい、小判5枚を10万円で買い取った。そして、この暑いのにその格好もなんでしょうからと、旦那の新さんの要らなくなったTシャツとか古いジーパンそれにサンダルを三人分サービスだと言って只で準備した。

しかしこの小判、米価による比較は幕末期に於いては極めて曖昧であるが、この時代、つまり2014年に骨董品として処分すれば一枚3万円は下らないのかも知れない。どちらにしろこのレートは曖昧過ぎて、単に主観的なものでしかなかった。

更に好さんら三人は、今から高知市内に車で出掛ける用事があるというりこさんの旦那の新さんの車でお城近辺まで送ってもらうこととなった。

新さんの車は、その時代の最先端を行くハイブリッドカーのため音も静かで、自動車自体生まれて初めて目にする三人にとって、最早それは驚きでしかない。特に龍馬に至っては乗り物と云えば馬と駕籠しか知らないわけで、馬と駕籠を一緒にして更に上等にしたような車というものは、正に夢の乗り物であった。

星が丘vil とお城下を結ぶ道は、実は好さんと大さんが初めて幕末にタイムスリップした折歩いて通った田道であったところ、そこが今2014年には、舗装された立派なバイパスとして近代的に整備されていた。それに交通量も高知県下では最も多いところで、車は殆んど川のように流れていた。

「なんぜよこれは、これが日本の150年先かよ。まっことすごいちや。ところで、皆んなあが幸せに暮らしゆうがかよ」

実を云うと新さんは量子論という最先端の物理学に魅せられていて、それに関する色んな書籍やネットの情報を読み漁っていた。そのなかのある学説によれば、タイムマシーンは理論上可能であるというのをネットのサイトで見たことがあった。そんな新さんにとってタイムスリップによって龍馬が目の前に居るというのは、その生き証人とのコンタクトということになる。

「多少の貧富の差はありますけんど、大体皆んなあ平等で幸せに暮らせゆと思います。特に日本は」

新さんもどっぷり土佐弁であった。

「そうかよ、そりゃあよかった。それこそがあっしらあが夢に見た日本ながじゃ」


途中新さんは、高知龍馬空港に立ち寄った。

「龍馬空港ち、こりゃあ何?あしの名前を勝手に付けてもろうたら困るが。ところで、『くうこう』たなんぜよ」

「好さんと大さんは知っちゅうと思うけんど、坂本先生の時代から言うたら50年くらい経ってから、飛行機いうて空を飛ぶ機械ができるがです。それが戦争なんかで使われだして、どんどん発達して、一度に何百人もの人を外国でもどこでも運ぶことが出来るようになるがです。その飛行機が空に飛び立ったり、空から降りてくるために、広うて平坦な野原みたいなところが要るんですが、そんな施設が集まったところが空港というところなんです」

「飛ぶって?、鳥みたいにカタクリが空を飛ぶがかね」

その時一機のジェット機が、大きな爆音と共に高知龍馬空港を飛び立った。

「あれ!あれが飛行機!」

初めて見るジェット機に三人とも度肝を抜かれたこと間違いないが、特に龍馬は近眼なのか、何度も目を擦りながら遥か彼方の雲の中に消え入りそうになるジェット機に最後の最後まで、食い入るような視線を送っていた。

土佐は龍馬と好さんにとっては生まれ育った土地とは言え、周りの景色は珍しいものばかりで、それをいちいち記述していては先に進まなくなる程である。

一方の新さんは、その三人の驚く様子を見るのが実に楽しみで、当初の予定を変更して真夏の土佐を方々と三人に案内することにした。


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高知の城下の至るところに点在する龍馬ゆかりの場所や、NHK の大河ドラマ『龍馬伝』の龍馬の生家復元セットの前で、記念撮影のための龍馬の衣装を本物の龍馬が纏うという、痛快極まりない場面もあって、最初ははらはらどきどきでお互い興奮もしたが、場所を移すにつれ徐々にその興奮も薄らいできて、そのうち段々とかったるくさえなってくる。

また好さんは帯屋町の井筒屋を訪ね、そこの先祖となる楠木摩耶さんの生涯の様子を尋ねようとしたが、あの大店の米問屋は跡形もなく、その跡地らしき場所はパチンコと書かれた大人の遊技場になっていて、大勢の人々で賑わっていた。

最後に三人は、今や龍馬ファンのメッカとも言うべき場所桂浜に向かった。

桂浜には言わずと知れた龍馬像が太平洋を望むようにして立っているが、これは当時25才の入間好澄達青年を中心とする地元有志の手によって建てられたことを、今二十歳の好さんは知らない。

ややこしい話だが、新さんの云う量子論的宇宙観によれば、時間配列が少し変わっただけで、過去、現在、未来は常に同時に存在するという。

「こりゃあ立派な銅像ぞね。こっからはように見えんけんど、なかなか男前じゃねえ龍馬さんは」

そう言って龍馬は周りを笑わせる。

新さんが売店で買った絵ハガキのなかから龍馬像をアップで写したものを龍馬に見せると、「こりゃあ役者みたいじゃいか。これがあっしじゃいうたら、あしが本物の坂本龍馬じゃいうのが誰っちゃあに判らん筈じゃのう。恥ずかしいちや」

先程の貸衣裳と違って、今は新さんからのお下がりのTシャツとジーパン、それにサンダル姿である。いくら真夏とは言え少々みすぼらしい。これが本物の坂本龍馬とは誰も気付くまいが、ここで龍馬が龍馬として一際目立つちょっとした舞台が用意されていた。

「坂本先生、下の砂浜で剣術の大会やりゆがですけんど、出てみたらどうですか。坂本先生が剣術が強かったいうことで、県の観光協会が主催して、龍馬ファンのメッカであるこの桂浜の地で、夏休みの始まるこの時期に毎年催されているらしいです」

新さんが仕入れてきた情報を早速に龍馬に伝える。

「剣術は150年経っても行われゆかね」

「剣術とは言わず剣道と呼んでますけんど、全国大会なんかもあって結構人気のスポーツですよ。今年はですねえ去年の全国大会の優勝者が審査員で来るいうことでえらい盛り上がってますわ。優勝者には20万円の賞金が出てですねえ、尚且つ去年の全国大会の優勝者への挑戦権がもらえるらしいです。そして万一これで勝ったりすると更に20万円がもらえるんですよ。すごい話でしょう。もし坂本先生が出たら、ひょっとして全国ネットで放送されるかもしれませんよ」

新さんの云うことの半分くらいしか、多分龍馬には理解できていなかったようだが、それでも龍馬の興味を引くには十分だった。恐らく漠然と、20万円が20万両にイメージされて、しかも、もしかして、それの二倍の額がゲット出来るかも知れない。

龍馬は剣術に関し、人一倍自信を持っている人だった。それに去年の全国大会優勝者は今年33才で龍馬と同い年である。そのことも龍馬のライバル心を掻き立てられる要因のひとつになっていた。


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もし坂本龍馬が全日本剣道選手権大会に出場したらどんなことになるのか、こんなあり得ない夢みたいな舞台が龍馬ファンのメッカ桂浜で実現したのである。但しここは道場ではない炎天下の砂浜の上。竹刀を使って面の代わりにヘルメットを着け、胴は軽量のプラスチック製で、小手も簡易なもの、だから当然のこと突き技は禁じ手となる。

30人程がエントリーしているが、観光目的だから飛び入りもOKである。試合は先に一本とった方が勝ちとなり、制限時間はなく、トーナメント方式で勝ち上がり優勝者を決めていく。また砂が焼け付くように熱くなるため足の裏の皮と云えども瞬く間に火傷する。そこで履き物だけは何を履こうが自由となっていた。

北辰一刀流の坂本龍馬はやっぱり強かった。一回戦二回戦と瞬く間に勝ち進み、準決勝まで来たとき、ハンドマイクで対戦相手の名前が読み上げられたとき龍馬は一瞬ギクリとなる。

この大会に龍馬は、才谷梅太郎という彼の幼名で登録していたが、対戦相手として読み上げられた名前は、後藤保弥太(ごとうやすやた)であった。これは後藤象二郎の幼名であることを龍馬も知っていた。

ハンドマイクで紹介されて出てきた男はやはり後藤象二郎その人だった。服装はこの時代の夏の軽装で、頭もザンギリ頭である。

「後藤さん!何でこんなところにおるがですか?」

それに対し後藤は無表情な顔のまま全く反応しない。まるで龍馬の声が聞こえないかのようである。これにはさすがの龍馬も不気味で仕方がない。

「大石神影流!、後藤保弥太!」

無表情のまま、後藤が大声で叫ぶ。

つられて龍馬も「北辰一刀流!、才谷梅太郎!」と返す。

お互い正眼に構えると思いきや、後藤の方は少し違った。後藤は剣尖を龍馬の喉元に向け左肘を曲げ刀を水平にするというまるで槍術を思わせるような構えで、これは大石神影流独特のものらしく、ここからは唯ひたすら左片手突きを繰り返すという殺人剣である。そして大石神影流の創始者大石進種次は江戸の名だたる剣術家をこの突き技で次々と倒したが、龍馬の学んだ千葉道場の北辰一刀流千葉周作とはかろうじて引き分けたと伝えられている。しかもよく見れば、後藤は普通よりも可なり長い竹刀を持っていて、更に竹刀の先を尖ったように細工してあるようにも見える。これらを見る限り、後藤は本気で龍馬を殺すつもりでこの試合に参加してきたように思えた。

試合開始と同時に後藤は、予想通り突き技を連続して仕掛けてきた。先にも云った通りこの大会は防具の関係上突き技は禁じ手とされていた。しかし両者にとって幸いなことに、剣術の技の上に於いて龍馬と後藤の間には可なりの腕の開きをあったのである。龍馬は後藤の突き技を突き技とは見えないようにしながら身を翻し、鮮やかな面を確実に打ち込む。勝負はあっという間に決着してしまった。逆に言えば後藤は、龍馬の目に見えない配慮によって、殺人未遂の嫌疑を掛けられずに済んだのである。


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龍馬の決勝戦の相手は、剣道3段の高校教師28才である。28才と言えばあぶらの乗り切った年齢で沖田総司似のイケメン剣士であるが、そのイケメンの彼が目にした決勝戦の相手は、何処かの土方のおっさんが間違えて紛れ込んで来たかのような風貌の男で、嘘か真か「北辰一刀流!才谷梅太郎」と大声で名乗る、何というふざけた話ではないか、よくもこんな男が小手先の器用さだけで決勝戦にまで勝ち上がって来たものだ、ここはひとつ本当の剣道というものを見せつけて思い知らせてやろうではないか、イケメン剣士はそう思ったに違いない。そう思ったとき、このイケメン剣士の負けは既に決まったも同然であった。

両者が正眼に構えた、その瞬間イケメン剣士は金縛りになったように体が動かなくなる。風貌からして隙だらけの筈のこの相手に、全くといっていいくらいに隙が無いのである。龍馬は動かぬ案山子のような相手の面を楽々と打ち抜くことができた。

会場の人々は、このとても33才とは思えない老け顔のおっさんが優勝したことに、少なからず驚きの色は隠せなかったが、これにはきっと何かあるといった唯ならぬ雰囲気は感じていたのである。

取り敢えず才谷梅太郎こと龍馬は20万円の優勝賞金を手にして、更なる全日本剣道選手権の二年前のチャンピオン、川添要一5段との対戦を迎える。川添は龍馬の準々決勝辺りからの試合を興味深い視線で見守っていた。勿論唯のおっさんでないことも気付いていて、自分の実力で手に追える相手かどうかそれすらも自信がなかった。というのも北辰一刀流といえばそれほど特異な剣術ではなく、竹刀と防具を使った打ち込み稽古を中心に行っていて現代剣道に最も近い古流と云われる。大石神影流などと違ってどちらかといえば馴染み易い剣術である。にもかかわらず、このおっさんの剣道は一体何なんだ。何処かが違う。一挙一動全てが破天荒といった雰囲気である。


川添5段と才谷梅太郎、試合開始直後お互いが正眼で構えたまま長い時間が流れる。新さんや好さん、大さん達周りを取り囲む観客たちも固唾を飲んで見守っていた。

炎天下で川添が少し焦れたように、誘ったり仕掛け技を繰り出したりするが、龍馬は焼け付く砂の上で微妙な摺り足でこれをかわしながら上体はピクリともしない。龍馬の目線だけが鋭く川添の動きを追う。

龍馬の駆引きとタイミングの計り方には天才的なものがあった。彼なくしてあの時期の明治維新はなかったと云われているが、それも全てが彼のこの天才的な駆引きとタイミング、それに並外れた行動力によるところが大きかった。そしてそれは幼い頃から乙女ねえやんに手解きを受けた剣術によって培われたとも云われていて、龍馬が剣術に優れた才能を発揮したのにも頷ける。

川添は、このままだと体力的にこのおっさんに負けるかも知れないと判断した。年齢は全く同じらしいが、兎に角このおっさんはタフそうに見える。

それもそのはず、龍馬は脱藩の折常識では考えられない62キロという距離の山道をたった1日で踏破したという記録が今も残っている。砂の上と云えども、龍馬の足腰は馬並みであった。

川添は思い切って上段で構えてみた。上段に対する対処には幾通りもの方法があって、相手のレベルを知るには有効な誘い技となる。しかし龍馬は江戸の千葉道場で修行中、千葉周作の次男栄次郎が得意としていたのが上段構えで、彼の上段は何処から剣が降りてくるのか判らない、曲芸のように剣を遣うところからついた渾名が『千葉の小天狗』だった。そんな上段構えの達人を相手に修行を積んできた龍馬が動じる筈もなく、相手の眼の動きと息遣いから咄嗟に龍馬は逆胴を取りにいく、いやいこうとした。ところが次の瞬間、上段で構える川添の竹刀の先の方に、こともあろうにヤマガラが一羽止まっているのが目に入る。ここはおいらがでしゃばり過ぎた。

龍馬は思わず「あっ、いかん!」と叫んだ、と「めーん!」という甲高い声と共に川添の片手面が龍馬のヘルメットに綺麗に炸裂する。間一髪、ビックリしたおいらは竹刀から飛び立って、桂浜の松林の方に飛び去った。龍馬は試合のことよりそちらの方が気になって、ホッと胸を撫で下ろす。なんと優しい男だ。

こうして龍馬は、更なる20万円の上乗せには失敗したのだった。

試合が終ると同時に新さんたち一行が、坂本先生お疲れ様でしたと駆け寄る姿を見て観客たちはともかく、才谷梅太郎の剣道に於ける実力をある程度は知ってしまった川添5段の、夢とうつつをさ迷うようなきょとんとした眼差しが印象的だった。果たして川添がその深い部分にまで気付いていたのかどうか、唯暑さのため朦朧としていたのかも知れない。

それよりも龍馬が気掛かりで堪らないこと、やはりそれはこの世界への後藤保弥太こと後藤象二郎の出現だった。しかも彼はあからさまに龍馬を殺そうとしている。やはりあのとき近江屋で幕臣の組織を利用して龍馬を暗殺しようとした黒幕は後藤や岩崎弥太郎だった可能性はあながち否定ばかりも出来ない。紀州藩から支払われた筈のいろは丸の賠償金も後藤と岩崎が預かっている筈だが、その行方も気になるところだ。いろんな意味で後藤が龍馬を煙たがっていたとしても何の不思議もなかった。しかし彼は龍馬と意気投合して大政奉還を成し遂げた同志である。龍馬としてはそんなことは信じたくないというのもよく解る話だ。

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好さんと大さんそれに龍馬の三人は、取り敢えず暫くは狸狐庵山荘に居候させてもらうこととなる。そしてその間彼らは、明治維新以降の歴史や最新の科学など、出来る限りの情報を目一杯勉強し、自分達の置かれた状況を十分認識しておいてから、更にこれから自分達が取るべき指針をじっくりと考えていこうというのであった。


「一寸待ってよ。あし、狸狐庵山荘へ行く前にちっくと飛行機とやらに乗りたいがやけんど、どうしたらえいぜよ。銭が高いがかよ」

山荘入りする前、龍馬が突然そんなことを言い出した。

「ちった要りますけんど、坂本先生がさっき稼いだ20万円があればゆっくり行けますよ」 

早速新さんが、航空機の東京往復切符4人分を格安なプランで購入し、それから凡そ1週間程先に龍馬一行が飛行機で東京に向かうこととなる。

それまでの1週間、全員で狸狐庵山荘と星が丘vilのコンベンションハウスで過ごしたのだが、彼らの知識欲たるや凄まじいものがあって、それぞれ自分の居た時代以降の歴史書やその他ありとあらゆる分野に亘っての情報誌や解説書を片っ端から読み漁り、或いはインターネットからの情報もパソコンを争うようにして見入っていた。やっぱり彼ら三人はそれぞれの時代の寵児なのかも知れない。

特に龍馬のその集中力とそつの無さには目を見張るものがあって、ことあるごとにさすが幕末の英雄だと好さんと大さんをうならせる場面がしばしばであった。

1週間とはいえ目一杯の情報と知識を頭に詰め込み、四人は飛行機で高知龍馬空港を飛び立ち東京に向かう。

「こりゃあ凄いねえ。こんな重そうな金物が空飛ぶがかよ。しかもこれ程いっぱい人を積んでからに。こら墜ちたりすることはないがかよ」

「殆どそれは無いですけんど、極稀にですが、墜ちることはあります。その時は、ここにおる殆どの人は死にますけんど」

「そうじゃろうねえ。これで江戸、東京と云うがかねえ、東京までは何日かかるがぜよ」

いい忘れてたが、龍馬ももう少しはましな格好して東京に行かせたいということで、床屋に行かせてザンギリ頭とし、服装も33才の若者にふさわしいモダンな格好をしたらと、りこさんがユニフロに行ってコーディネートして三人にお洒落な服を買ってきた。

だから、機内でもそれほど目立たない筈だったが、なにしろ土佐弁がきついのと声がでかいのとでその一画は一際目立っていて、特に富士山の上空に来たときには、三人でワイワイ言いながら席を立ったり、覚えたてのカメラを持って窓にへばり着いたりしてキャビンアテンダント達をやきもきさせた。その上時たま、東京を江戸と呼ぶ。これにはさすがに声の主を振り返る人もいた。

「何日もかかりませんよ。1時間ちょっと」

「1時間て確か半刻?ヒエー!そんなこと。考えられんぜよ。あっしの時代やったら早馬飛ばしても1週間はかかるがやき」

龍馬も1週間の間に時間に関する勉強もしたらしい。

「けんど、飛行機が離着陸するのに結構時間がかかりますき、まあ前後合わせて2時間と云うところですかねえ。つまり、一刻です」

「どっちにしても凄いぜよ」

「坂本先生、我々のやりゆタイムスリップやったら0分0秒ですよ」

大さんが前の席の龍馬に話し掛けた。

「ありゃあけんど、また別じゃねえ。移動しゆう実感がないき。何かに吸い込まれゆみたいな感じがして、周りが真っ黒うなった思うたら、いきなりどっか他のところに放り出されちゅうがよ。やっぱりあれは夢とか狐つきとか、あんな類いのもんじゃねえ」

「しかし、こうやってちゃんと未来に来てるじゃないですか」

「そうよのう。それが不思議でたまらん」その時キャビンアテンダントが、お飲み物は如何ですか?と窮屈そうな通路に大きなワゴンを押して順番に回ってくる。

「お飲み物ち、何ぜよ」

龍馬は隣にいた新さんにヒソヒソ声で訊いた。「コーヒー、烏龍茶、オレンジジュース、リンゴジュースがございます」と綺麗なおねえさんが答える。「全部、さっぱり、よう分からんけんど、新さん、おまん何にするがぜよ」

「僕は、コーヒーいただきます」

「ほんならあっしもコーヒーいただきます」

おねえさんは凄く嬉しそうな笑顔で、紙コップにコーヒーを二つ入れてくれた。

そして新さんの真似をしてブラックで一口口にする。

「うえっーー!苦っいー!何ぜよこりゃあ。苦ごうて飲めんがよ。おまさん、こんな苦いもんをよう飲むのう、新さん」

「あー、ごめんなさい。坂本先生はそこにあるミルクと砂糖を入れてから、ように掻き混ぜて飲んで下さい。言うの忘れてました」龍馬は新さんが言う通り、おねえさんがくれた小さなビニール袋に入ったミルクと砂糖を入れてから、恐る恐る再度コーヒーを飲んでみる。「これなら、まだちっくと苦いけんど、飲めんことはないねえ」と言いながら、ちびりちびりと何とか最後まで飲むことが出来た。

東京に着いてからも、何を見ても何処に行っても龍馬達三人の度肝を抜くことばかりで、なかでも高層ビルと人の多さは高知の比ではなく、新宿では東京都庁の最上階に上り、富士山から東京湾までが見渡せるのに驚き、更に地下鉄に乗って東京タワーに移動して展望台に上る。

若い頃龍馬は、築地の中屋敷に寄宿し桶町千葉道場で修行した。その小千葉と呼ばれる道場は今の東京駅の八重洲口近くにあって、「あっしが千葉道場に通いよったのは、多分あそこら辺ぜよ」と展望台のガラス越しに指を指す。そこに当時の面影がある筈もないが、東京湾の海からの距離とか築地或いは江戸城、今の皇居との位置関係から想像しているようだ。

「千葉さなさんはどうなったろ?今も元気でやりゆろうか。実を言うたら、お龍にさなさんのこと言うたら、まっこと機嫌悪いがやき」

「坂本先生は今でもさなさんのこと好きながですか?」

こんな話は大さんの専売特許である。

「お龍には絶対言わんちょってよ。あっしは、一生で一番惚れたおなごは、実はさなさんながぜよ。いかんいかん、お龍さんには絶対言わんちょってよ、えいかよ」

龍馬は少年のように照れていた。

「それじゃあ、何でさなさんと結婚しなかったんですか?さなさんも坂本先生にぞっこんだったみたいじゃないですか」

「そんなこたあないろがよ。まあ嫌いじゃあなかったろうけんど」

「いや、いや、先生に可なりのこと惚れてたみたいですよ。その証拠に先生が亡くなられたあと、一生独身で通したと聞いてます」

「なんちゅうぜよ。そうか、あっしはあのとき近江屋で死んだいうことになっちっちょったがか。けんど、こうやって生き残ったということは、今からまたあの時代に帰ったら、さなさんと結婚出来るということか」

その時龍馬はとても嬉しそうな顔をした。

「結婚はできんでしょう。お龍さんもその後66才まで生きておられるんですから」

「あっそうか。いかんいかん、怖いことへちなこと考えよった。あっしにはお龍がおるがじゃった。いかんいかん、おまんらあが変なこと言うきいかなあよ。けんど、それにしても、さなさん、かわいそうやねえ。んー、あっしは近江屋で死んだいうことやったら、ここにおるあっしが慶応3年の11月15日のちっくと後に、さなさんのところへタイムスリップしたらどうなるがぜよ。くどいけんど、やっぱりそれが気になるねえ」「知りません、そんなことは。どちらにしろ、それをお龍さんが知ったら大変なことになるがやないがですー?」

大さんも、段々と土佐弁に染まりつつあった。

「そうじゃ、そうじゃ。またあっしは要らんこと考えゆ。いかんいかん!」

龍馬と大さんがそんな上方漫才みたいなやり取りをしている間、好さんと新さんは東京タワーの展望台を一周回って、2014年現在の東京をあらゆる角度から眺めていたのだが、その時好さんは後藤保弥太こと後藤象二郎が、勿論目立たない普通の格好をして、展望台の龍馬と大さんが居る反対側で外国人らしき風貌の背の高い男と話してるのを見掛けた。しかし好さんもそれが後藤だという確信もなくて、唯似てる人がいるというくらいの感覚で、別段気にも止めずに見過ごしていた。

その後新さんたちは展望台の喫茶室で、不味いコーヒーにたっぷりのミルクと砂糖を入れて飲みながら、これからの行動予定について話し合っていた。龍馬はさなさんとお龍さんの墓参りがしたいと言い出し、新さんが携帯スマホで調べたところに依ると、さなさんの墓は山梨市の清運寺というお寺に在って、一方のお龍さんは横須賀市の新楽寺にあるらしい。どちらも遠いからとさすがの龍馬も思い留まり、今から新幹線で京都に行こうということになった。どちらかと言えばそっちの方が、ずっともっと遠い筈だけど。

展望台からの下りのエレベーターが結構混んでいて少々の行列が出来た。定員数が来ると次の回に廻されるわけだが、新さんが乗って大さん、好さん、最後に龍馬が乗ったところでエレベーターガールがストップをかけ、その後ろに並んでいたさっき見掛けた外国人らしき男性が足止めを喰ったと思った瞬間、そのアラブ系と思われる男が満員のエレベーターに駆け寄り無理矢理乗ろうとする。エレベーターガールは大声でこれを阻止しようとするが男に突き飛ばされエレベーターの前に倒れ込んだ。すると近くにいたガードマンふたりが駆け寄ってきて男を取り押さえようとしたが、男はそれを振りほどいてエレベーターの中に押し入ろうとする。その間龍馬はエレベーターから一人で降り、降り際に側にいたおばあさんが持ってた杖を、ちっくと貸しとうせと言いながらそれを掴むと、あっという間に突きと面を決め、杖は真っ二つに折れてアラブ系外国人はその場に倒れた。その後男は駆け付けた警察官に引き渡され、龍馬達一行は参考人として一緒に警察署に来るように言われるが、それは生憎都合が悪い気がした四人は、こそこそといつの間にやらその場を立ち去っていた。四人のうち三人は身元不明者なんだから、そうするしか仕方がなかったのである。

その出来事はテレビや新聞などあらゆる機関と通じ世界中に瞬時報道された。

警察の調べによると、男は、アルサラーマという反米のテロネットワークの一員で、現在のところ黙秘を続けていて詳しいことは不明だが、彼の上着の下は全身爆弾が巻き付けられていて、所謂自爆テロが行われようとする寸前であったことに間違いはなさそうだという。


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アルサラーマとは、イスラーム復興主義を掲げ中東を主な活動拠点とするが、まとまった組織的なものが存在するわけではなく、地域の人々が自発的に集まってアルサラーマの名の元にテロを繰り返すというのが現状のようだ。

つまりその他のことは全く判っていないが、何はともあれそれらの分子が何らかの使命を帯びて日本のなかに紛れ込んだり或いは侵入しているという事実は、日本の政府のみならず日本国民にとっても治安維持の観点から、劇的にショッキングな出来事なのであった。

『現在に蘇る、龍馬よ!何処へ』

こんな見出で新聞の記事はこの時の龍馬の活躍を事細かに且つセンセーショナルに伝えた。勿論これが本物の龍馬だとは露知らず、目撃情報がただ単に坂本龍馬に似ていたよ、そいでもって近くにいたおばあさんが持ってた杖を借りたあとは正に電光石火、目にも留まらぬ速さでテロリストに突きと面を確実に決めて気絶寸前にまで追いやった、しかも名前も語らず何処かに消えていった。まさに現在に蘇る木枯し紋次郎と言ったところだが、たまたま顔が龍馬に似てたということで坂本龍馬になったのであろう。しかしその裏には、もっともっと深い事情が隠されているということは誰も知らなかった。

下らんスキャンダルばかり追っ掛けてる日本のメディアには、そんな事件の深層をスクープするいとまなど到底あろう筈もない。


一行は新幹線で京都に向かった。のぞみ号も新さん以外の三人にとっては夢の乗り物である。幕末であれば歩いて14,5日はかかる東海道を2時間20分で到達してしまう。つまり凡そ150分の1に時間を縮めるという行為は、単なる時間の短縮ということ以前の、いわゆる時空の歪みや隠された余剰時限といった未解明な部分に関わる事実なのかも知れない。現にアインシュタインは、速い乗り物に乗って移動するということは時間がゆっくり進むことになり、もし光速で進む乗り物があったとすれば、そのなかでの時間は完全に止まってしまう、ということを理論的に証明している。


京都での一行の行動は、正に坂本龍馬に関する名所旧跡巡りのようであった。

伏見の寺田屋では、

「こりゃあ建物がちょっと違うぜよ。場所は大体、ここら辺じゃったかも知れんけんど、お龍とかお登勢さんが出てきそうな気がするねえ」

実際幕末にあった寺田屋は鳥羽伏見の戦いで焼失し、現在の建物は明治40年頃元の位置の西隣に建てられたものである。

それも元の寺田屋を忠実に再現したわけでもないようで、それが事実なら龍馬の目には別物として映ったに違いない。

そして「部屋の間取も違うし、伏見奉行が襲うて来たときにお龍が入っちょったという風呂も、ちょっと違うねえ。もうちっくと大きかったように思うが」

と、どうやら龍馬が定宿としていた寺田屋とは大分様子が違うようだが、当の龍馬はそんなことに頓着している様子もなく、唯懐かしい懐かしいを連発していた。

それから、近江屋跡とか土佐藩邸跡などを巡ったが其処に当時の面影はなく、龍馬達はその変わりように驚嘆するのみであった。

そして最後に一行は龍馬の墓があるという東山の霊山護国神社に向かう。

其処には確かに坂本龍馬と中岡慎太郎と書かれた墓碑がふたつ並んであり、その隣には当時龍馬のボディーガードをやっていたという元力士の藤吉の墓もある。

歴史上この三人は、慶応3年11月15日5つ半頃、近江屋で何者かに襲われ亡くなったことになっている。ということは、この世界はその時から繋がった延長上の世界ということになり、龍馬の殺されなかった、或いは龍馬が存在しない多世界ではないということになる。

しかし、その日近江屋での襲撃から逃れて生き延びた龍馬が、歴としてここに存在するわけで、だとすると墓碑はあるが墓は空っぽなのか、或いはもしあるとするなら現にここにいる龍馬とほぼ同じ頃の龍馬の遺骨があることになり、量子論的に云えば生きた龍馬と死んだ龍馬が曖昧に、或いは靄がかかったように重なり合っているということになる。

これはタイムスリップしてこの時代に来た好さんが、狸狐庵山荘で新さんから借りて読んだ最先端の物理学、量子論に関する入門書から得た知識に基づいた、可なり素人的な解釈であった。

「あっしゃあ、ちゃんとこうやって生きちゅうに、この墓のなかにあっしの骨があるがかよ。今は絶対ないぞのう」

量子論をかじりかけたばかりの好さんには、それはよく判らない。しかし理屈抜きに、単純にそれは多分ないだろうと思った。

その後、もう少し京都らしい雰囲気を味わいたいという大さんの希望もあって、一行は茶の湯を体験することとなる。

「茶の湯言うたらやっぱり表千家じゃろ。あっしは表千家の茶の湯者に心安いのが一人おるき、案内すらあよ」

と龍馬も乗る気だったが、

「坂本先生、そりゃあ幕末の話じゃないですか?」

と好さんに言われ、

「あっそうか、まっことわけが解らんなるねえ、こりゃあ。まあけんどえいわ。行こ行こ」と龍馬が先頭に立って地下鉄に乗った。彼の順応力には目を見張るものがある。茶室には四人一緒に通された。いわゆる観光客相手の茶道体験ということで、それを一挙にこなそうというのだ。

茶室は、不審菴と言って表千家を代表するとても有名なところらしい。

表千家の作法に従い、龍馬、好さん、大さん、新さんと順次うす茶を頂く。

その日の茶の湯者は思いのほか気さくそうなおばちゃんいや年配の女性で、これも観光客相手の茶人の特徴のような気がした。「不審という菴の名前が、さっきから気になって仕方がないのですが、何かのいわれでもあるのですか?」

いつも好奇心旺盛な大さんが茶の湯者に訊ねる。

「これはですね、表千家の家祖千利休が菴を開いた折、そのネーミングを大徳寺の和尚に尋ねたらしいんですが、すると和尚から、不審花開今日春(いぶかし はなひらく こんにちのはる)という禅語がおくられたらしいんです。大体の意味はですねえ、何故春になったら花は咲くのか、自然ははかりごとなく超然として過ぎて行く、宇宙で人間の認識できる部分は微々たるもの、総ては傲るにあたいしない、と云うような意味らしいんですー。ですから、その禅語からネーミングされたと聞いてます。歴史は古うーおすえー。幕末には彼の坂本龍馬はんも、京都にお越しの折りにはちょくちょく来られはったと聞いとります」

それを聞いた龍馬は、

「そうかよ。あの龍馬がねえ、凄いじゃいか!」と云いながら皆の顔を愉快そうに見回した。龍馬もこんなときの対応には大分慣れてきたと見えて、横に居ても安心して見ていられるようになった。彼らにとっても愉快で堪らない様子だ。

そんなわけで、龍馬には茶道の心得があるらしく、矢張他の三人に比べふるまいがスムーズで余裕がある。

茶道には独特の間合いがあって、その間合いを保ちながら丁寧に同じ動作を繰り返す。茶器のひとつひとつをじっくりと何度も何度も見て、「これは?」と取って付けたようにして訊ねる。こんなことを繰り返しているうちに、最初はかったるいと思ってた好さんも徐々にその魅力に取りつかれていく。茶の湯は一見単調そうに見える所作を自然な心で無造作になぞり、そして白々しいくらいにありきたりな応対に終始する。

好さんは、経験があり既に茶人としての佇まいを備える龍馬のふるまいを興味深げに観ていた。彼は、彼を取り巻く空間にある一定の波長の波を創りだしているように感じた。つまり彼は、茶の湯の一連の所作をなぞりつつ自身の波長を整えているのだ。そして茶人は日常的にそれを繰り返すことによって、その波長を巧みに生活のなかに取り入れることが出来るようになる。つまり千利休が云うわび茶とは、空間のなかに心の目でのみ見える美を探求するのだという。それはまた、その空間と波長を合わせることに他ならないのだと好さんは量子論的に解釈するのだった。だからこそ茶の湯には、わびさびと呼ばれる奥床しさが生まれてくるのかも知れない。


その後彼らは大阪空港に向かったが、その途中京都駅で、

「大さん、あれ、あの背の高い外国人と話してる、あれ確か、後藤保弥太じゃないかねえ」と好さんが大さんを呼び止める。

「彼は東京タワーにいたよねえ確か。坂本先生を付け回してるの?」

「そんな感じ、坂本先生!ちょっと・・・、あれ?いなくなっちゃった」

龍馬に訊こうとしてそちらの方を見遣ると、後藤らしき人物とこれもやはりまたアラブ系と思われる背の高い外国人の姿は、いつの間にか雑踏の中に消えて、そのままになってしまった。


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一行は京都を後にして飛行機で高知龍馬空港に向かっていた。

「坂本先生、茶の湯も使えそうですね」

機内の席に着くなり、好さんは龍馬に話し掛けた。

「そう思うやろ。あれは、絶対出来るぞね。お寺の鐘と蝋燭で出来るがじゃき、茶の湯も出来そうに思うが。帰ったら早速やってみないかん」

ところが飛行機の離陸直後、客室乗務員達の動きが俄に慌ただしくなって、暫くすると機内アナウンスが始まった。

「機長の駒田です。当機は只今ハイジャックされました。予定通り高知龍馬空港に着陸しますが、女性と70歳以上の方だけ下りていただき、給油と食料を積み込んだ後沖縄の那覇空港に向かいます。シートベルトは常時しっかりとお締めください」

その直後前方の操縦席の方から男が客室乗務員ひとりを連れて出てきた。

やはりアラブ系の外国人のようだ。

「これは、ドライヤーに仕込まれたプラスチック爆弾です。わたしの指示に従わないときはこの爆弾が爆発します」

「アッサラームアレイコム」いきいなり龍馬が立ち上がり、そう言いながら犯人に近付いていく。後で知った話だが、これはアラビア語で『こんにちわ』という意味らしく、龍馬はこれからのアルサラーマとの絡みを予想して、挨拶くらいは知っておくべきと、早速勉強したらしい。そう言えば新幹線の中で、新さんのスマホを借りて一生懸命調べものをしていたのは、テロ組織アルサラーマに関する知識とかアラビア語を頭に叩き込んでいたようだ。やはり彼は並みの人間とはどこかが違う気がした。

戸惑うハイジャック犯に対して更に龍馬が話し掛ける。

「こりゃあえいドライヤーじゃねえ。あっしは髪が縮れちゅうき、こりゃあうんとえいわ。ちっくと貸しとうせ」

「これは、普通のドライヤーではありません。プラスチック爆弾ですね」

「おまん、名前は誰いうぜよ。色は黒いけんど、中々男前じゃねえ」

「わたしはアフマド、あなたは誰ですか。警察の人?」

「違うぜよ、警察じゃない。あっしは土佐の坂本龍馬じゃ。ああ、そうや。高知龍馬空港の龍馬ぞね。まあえいき、そのドライヤーを貸してくれんかよ」

「これはドライヤーのなかにプラスチック爆弾を仕込んだものです。余り近づくと爆発しますよ」

「ドライヤーが爆発するわけないろうがよ。そんなこと言うなら、試しに爆発さいてみいや」

「爆弾が爆発したら、飛行機が墜ちますよ。いいですか?」

「まあ、この外人さんは、聞き分けがないぜよ。ドライヤーが爆発したら、あっしがへそで茶沸かすぜよ」

「ドライヤーじゃありません、プラスチック爆弾だ!後に下がりなさい」

「おまんみたいな素人がいじりよったら、なんぼドライヤーでもひょっとしたら本当に爆発するかも知れん。怖いき、あしが見ちゃお。どら、貸してみいや」

龍馬がそう言いながら右手を出すとアフマドは素直にドライヤーを差し出した。

龍馬はそのドライヤーを受け取ると機内中程にある洗面所に行ってコンセントに差し込もうとする。すると先程人質にされてたキャビンアテンダントが駆け寄り「お客さま、差し込むと爆発するかも知れませんので、お止めください」

「かまんかまん、大丈夫じゃ。これは普通のドライヤーじゃきに、心配しなや」

龍馬がコンセントに差し込むとドライヤーは普通に熱風を吹き出した。

「ほらみい、まあ、おまんもここへ座りや」

龍馬は空いている席にアフマドを座らせ、自分が隣に座る。副操縦士と客室乗務員が心配そうに駆け寄るが、

「かまんかまん、そういうことじゃき、ドライヤーと爆弾を間違えただけよえ。それほどここでほたえたわけでもないし、もう許いちゃりや」

「もう高知龍馬空港にも、那覇空港にも連絡しましたが、両方に警官隊と爆弾処理犯が待機してると思います」

副操縦士はまだ興奮が収まらない様子だ。「間違いじゃった言うたらえいじゃいか。人間誰にも間違いはあるぜよ。兎に角この外人さんと今から話をするがじゃき、邪魔せんちょってよ」

アフマドは、図体はでかいし色は黒く、一見精悍にも見えるが、物腰が柔らかでとてもじゃない飛行機を爆破など出来る人間じゃないことは誰の目にも明らかである。

「いったいこったい、何処のどいつがおまさんにハイジャックなんぞしてくれ言うたがぜよ」

「仲間のムジャーヒドに言われました。そのムジャーヒドは誰に言われたのかは知りません」

「何言いゆかさっぱり解らんぜよ。ムジャー・・?た何?」

「ああ、それは、ジハード、いや我々イスラームのムスリム、えーと、信者の義務あるね。日本流に云うと聖戦?です。ジハードを行う仲間のこと、ムジャーヒドと云います」

「ムジャーヒド?、そいつらあは何で飛行機を爆破したりハイジャックらあして、人を殺すがぜよ?」

「アルサラーマは、無差別殺人集団ではありません。ちゃんとした政治的思想的視座に立って活動しています。そもそも悪いのはアメリカ合衆国とその同盟国です。我々は彼らを十字軍と呼んでいます。彼らは、我々イスラームの祖国に勝手に入ってきてビルを破壊し、ムジャーヒディーンだけでなく子供や女性まで無差別に殺してきた」

アフマドの注釈によれば、ムジャーヒディーンはムジャーヒドの複数形らしい。どちらにしても舌を噛みそうなややこしい言葉や名前がいっぱい出てきて、訛りのきつい土佐弁でいい加減言葉の通じにくい龍馬を一層煙に巻くのだった。

「その同盟国に日本も入っちゅうがかよ」

「そうです。日本はアメリカととても仲がいい」

「そうかよ。そりゃあえいことじゃろうがよ」

「駄目です。アメリカ合衆国と仲良くする国はイスラームの敵です。でも日本人はとてもやさしい人ばっかりで、私も戸惑っています」

「ほいたら、もう止めたらどうでよ」

「そうはいきません。我々はアメリカの不当な中東政策に対する報復をし、我々の受けた仕打ちをアメリカ本土に於いても実行する。つまり向こうでもビルを破壊しテロを行う。そして我々がどんな仕打ちを受けたか彼らにも味わってもらい、今後は我々の祖国イスラームに於いて殺戮を繰り返すことを思い止まってほしい」

「なるほどねえ。やられたらやり返す、倍返しだ!ってやつやねえ。今これがよう流行っちゅうみたいじゃいか。おまんも知っちゅうかよ」

「知ってます。面白いからテレビでよう観てました。・・・、兎に角、我々の目的は民主主義をこの世界から抹消したいのではない。ただアメリカの中東政策を変更し、このイスラームの地から撤退し、石油をはじめとする様々な資源を盗むことを止めて欲しい。またイスラム諸国に於ける腐敗した指導者の支持を取り下げるべきだ。あなたたちの救いは、こうした条件を満たすことで初めておとずれる」

「おまんも難しい言葉をいっぱい、よう勉強したねえ。それを全部丸暗記したがかよ」

「そうです。毎晩寝る前に読んで、みなさんに説明出来るように覚えます 」

「ねえさん!ちっくと来てみて。この兄さんもあっしも、のどが渇いたき、飲むもんをくれんかよ。どーぞ」

龍馬がキャビンアテンダントのひとりを呼んで飲み物を頼む。

「コーヒーかウーロン茶、リンゴジュースがございますが」

「そうじゃねえ、どれも飲んでみたいき、一杯ずつ全部おおせや。おまんも全部要るかよ、えーと、誰やろ、アフマドか。どうするぜよ?アフマド君」

「じゃあ、私も全部頂きます」キャビンアテンダントのおねえさんは、全部で6杯の飲物を運んで来た。

近くの席で、そのやり取りの一部始終を聞いていた好さんと大さん、それに新さんは愉快で堪らない。時空を超えてこんな劇的なことが実現するなんて、とても信じられないことである。

「そうか、おまんらあの言いたいことは大体は解ったぜよ。あしらあ同盟国も、特に張本人のアメリカ合衆国にとって一番大事なことは、相手の視点に立って物事を考えるということよねえ。おまんらあの言うことにもように耳を傾け、真摯に受け止めて反省もし、ことを進めないかんということや。今度合衆国大統領に会うたら、あれ?今アメリカの大統領は誰やったかねえ?」

「えっ?ノバマでしょう」

「ノバ・・、ノバ・・マ?」

「本当に知らないのですか?ノ・バ・マ」

「そうか、ノバマか、今度会うたらあしからも直接言うちょくわ」

「よろしくお願いします」

龍馬は本当にノバマ大統領に会って、そして中東政策のことを話す積もりなのだろうか。しかし彼のことどんな突飛なことでも何とかして実現させる、そこが彼の凄いところだ。それは確実に歴史が証明していた。


         

     23


東京と京都、共に盛り沢山な旅行から帰った一行は、再び狸狐庵山荘で厄介になることとなる。

狸狐庵山荘周辺はおいら達ヤマガラの縄張り、つまりブラッキーファミリーの支配地ということになる。おいら達は、確かに人間達からヒマワリの種は貰っているが、これはあくまで生活の糧ではない。我々にとってこれは単におやつ程度の比重であって、ある限られた空間を共有するもの同士のコミュニケーション保持が目的だった。元来我々はあくまでも蛾の幼虫や芋虫の類い或いはエゴノキの実が好物であって主食である。が、しかし、習慣というものは恐ろしいもので、おやつとして貰っていたヒマワリの種の存在が日毎に大きくなってきたのだ。最初は散歩くらいの軽い気持ちで狸狐庵山荘の方にふらりと出掛けると、新さんとりこさんが、「あー、ブラッキーとホワイティが来た」と言ってヒマワリの種を手の平に載せてデッキに出てくる。そのうち手の平に乗る仲間の数も増えてきて、それに伴い新さんたちが呉れるヒマワリの種の量も日増しに多くなる。最初のうちは新さんが買ってくるヒマワリの種の袋は小さかったが、今では結構大きなビニール袋にびっしりと種が詰まったものをホームセンターなんぞで買ってきて、その袋から両手でわしづかみにして種をデッキ迄持ってくる。そして決まって「ビーッビーッビーッ!」と濁った声で我々を呼ぶ。おいら達 が2, 3回彼の手の平に止まることを確認してから、あとは飽きてしまうのか、将又安心するのか、デッキの上に種を並べて置いて山荘の中にすっこんでしまう。そんなことを繰り返しているうちに段々とヒマワリの種の量がエスカレートしてきて、おいら達ヤマガラもそれを餌として当てにするようになる。仲間のなかには山荘のガラス窓の前でホバーリングを繰返し、中に居る新さんたちに餌を催促するという限りなく図々しい輩も出現した。こうなると最早飼われてるとか物乞いの類いと大差がない。我々ヤマガラも鳥類としてのプライドを持って生きていきたいものだ。決して人間達の私利私欲の方程式に組み込まれてはならない。

どちらにしても、この地球という惑星に住んでる輩は、みんな仲良くしなけりゃいかんのだよ。食物連鎖の都合上、多少の矛盾を感じることもあるけれど、それはそれで仕方がない。

閑話休題、要するにおいらにとって観察対象者たちが、漸く狸狐庵山荘に一堂会したわけだ。とても好都合な展開となってきた。

何れにせよ、新さんとりこさんがこの特異な共同生活を支えることとなる。

「新さん、おまさんの、いつまででもかまんきゆっくりしてってくれ云う言葉に甘えて、あっしらああと一年ばあここに居らしてもろうても構いませんろうか」

龍馬のこんな投げ掛けに、さすがの新さんも少なからずビックリはしたが、そんな突飛な一年を過ごすのも面白そうな気がして、即座にOKを出した。当初は生活費の心配をしたが、食に関しては、今でいうジビエ、つまり野性動物を狩猟しその肉を食べる、それに狸狐庵山荘の周辺には自然林が広がっていて、茸や山菜の宝庫であり、まだまだ文明の毒に浸りきっていない彼らにとってそんな食材を手に入れることは、正に朝飯前のお茶の子さいさいであった。

衣の方は、格別街中に出るわけでもないから全て新さんのお下がりで済ませる。最も金の掛かるのが書籍代だが、実は近くの星が丘コンベンションハウスには小さいながらも図書室がある。だからこちらの方である程度の 本の供給は出来るわけだが、実はこれ、後年の好さんが自分の趣味で集めたものが多く、特に坂本龍馬に関する書籍は他の図書館を凌駕する。ところが不思議なことに当の龍馬は、このような部類の本には殆ど興味を示さなかった。どちらかと云えば彼にとっては全く未知なるもの 、例えば西洋医学をはじめ最先端の物理学でありこのタイムスリップを理論的に支える量子論或いはアルサラーマのテロ活動を含む世界の国家間の現状、更には宇宙の神秘などが彼を虜にした。これらの本は、殆どが後年、新さんが寄贈したものだった。

また、当の好さんは、これが自分の作った図書室であることなど露知らず、コンベンションハウスの図書室には何故か自分の読んでみたい本がいっぱいあるなあ、などとやたらと不思議がっていた。訳を知れば言うまでもない当たり前の話である。コンベンションハウスに無いものはネット販売で中古のものを購入して、更に回し読みする。本は買わなくてもネットの情報でも十分事足りることも多い。兎に角連中は、食料確保の為の時間以外は貪るようにして本を読み、そして知識と情報を吸収した。勿論龍馬にとって剣術の鍛練というのも忘れてはならない日課のひとつで、りこさんにネット販売で木刀を買って貰い、山荘のデッキで黙々と素振りに励む姿もあった。


狸狐庵山荘での一年間、死ぬほど勉強と修行に明け暮れることを誓った三人は、様々な書籍やネットの情報を使ってあらゆる分野の勉強をこなしたが、なかでもタイムスリップを理論的に支える量子論とアフマドのテロ活動の背景となるイスラームの思想と西側民主主義との対立は常に彼らの関心の中心的存在だった。

「新さん、余剰次元とか多世界ってありますかねえ?」

今日みんなで取ってきた多量の山菜を鍋に入れて灰汁抜きをしている新さんに好さんが声を掛けた。と言うのもここ暫く新さんは量子論に凝っていて、何冊かの入門書とか専門書を買い込んで読み漁っている。好さんたち三人もその影響を大いに受けたのだった。

「勿論あると思いますよ。過去へのタイムスリップが出来るということは、多世界がないと例のパラドックスパラドックスが解決されませんものねえ」例のパラドックスとは、過去に行って自分の母親を殺したらどうなるのかという矛盾の解決法である。宇宙はひとつではない。あらゆる可能性の確率によって宇宙が分岐し、タイムトラベラーの母親が存在しない過去の宇宙にタイムスリップすればパラドックスは起きないという理論である。

「余剰次元は?」

「余剰次元は当然ないとおかしいと思いますよ。兎に角この宇宙は73%のダークエネルギー、23%のダークマターという未知なるもの、つまり全く解ってないものが96%あるんですよ。この宇宙で我々地球人類が認知出来てるものはたったの4%、しかもその極一部しか全容が解明されてないがですよ。凄いことですよねえ。だからある物理学者に言わせれば、ああだこうだと予測しても仕方がない、何故なら我々の知ってることは全体の1%にも満たないんだからってまで言うんです。まあ、そりゃあそうかも知れませんよねえ。わずか1パーセントの知識で残りの99パーセントのことを解き明かしたり予想したりしようたって、とても無理な話ですよねえ」

「余剰次元とか多世界って何処にあるんですか?」

「その答えは、判りません、なんですが、もしかしての話、特に余剰次元に関しては我々の直ぐ側に巧妙に隠されてる可能性もあるらしい。小さ過ぎて見えないとか、巻き込まれて見えないとか、そんな感じで。でも何かの細工をすれば、必ず見えると思うんですよね。だから物理学者達は必死になって、毎日それを探してるらしいんです」

そこら辺をうろうろしていた大さんも一緒になって、狸狐庵山荘のデッキの上に、ニトロの980円の簡易な椅子3つに腰掛けて話している。

90年近くのタイムラグがあるにせよ、ブラッキーにはこの景色に見覚えがあった。いや、この景色を見たのはほんの4年前のこと、但し好さんと大さんは107才というとんでもない時間のパラドックスのような問題を抱えている。そのときの会話で、その年は龍馬生誕175周年の式典が桂浜の龍馬像の前で催されると言っていた。しかしその龍馬は31才で暗殺されずにここにいる。ついでに云えば新さんもふたりと同じ大学の出身だから、本来は好さんと大さんが50年近くの大先輩ということになる筈だが、今の2014年の時点で云えば40年程も新さんがふたりの先輩ということになるわけで、話がややこし過ぎてとてもじゃない頭の整理が間に合わないのである。

「タイムスリップに関してはどう思ってる?現実に我々、体験してるわけなんだけど」

大さんは、いつの間にか話の輪に加わっている龍馬に話を振った。

「あっしに訊いても解らんぜよ。まだ勉強中やし、皆んなあの見よう見まねでやりゆうだけやき。新さん教えちゃって」

「僕もよう解らんけんど、これは想像の部分が殆んどということで聞いてもらいたいがですが、物質は全て粒であり波であると言いますよねえ。この波の部分に注目します。その前に皆さん、時間とは何なのか考えたことはあります?」

「時間かよ。先ずはこの時代の時計というものにはビックリしたねえ。そうやき江戸時代の時間の感覚とは全く違うぜよ。江戸時代は一刻(いっとき)より小さい時間は関係ないきねえ。10分とか1分、1秒とか言うたら、こりゃあまた違う世界のもんじゃねえ」

「時間とは何かということについてはまだ定説はないんですけんど、時間というものは実は存在しなくて、この宇宙は無数に近い数のスナップ写真のような場面を集めたもので出来ちょって、我々はそのなかを光速で移動しているというのです。ですからその場面の変遷が時間が経過してるような錯覚を引き起こすと言うのです。ですから、パラパラ漫画に近い感覚です」

「へー、本当ですか?ちょっとピンとは来ないですけど。時間というものは考えれば考えるほど解らないですよねえ」

そう言いながら大さんはデッキの側の樫の木に止まっている一羽のヤマガラを確認する。実はこれが暫くの間行方不明になっていたおいらの相方ホワイティーであった。彼女はヤマガラのなかでも運動神経とか器用さに劣るところがあって、あれからずっと無作為な時空をさ迷っていたのである。

そして偶然とは言えホワイティーがここの時空に辿り着いたということは、おいらと2号が龍馬たち一行に付いて回っていることを考えれば、近いうちに再会できるのかも知れない。

「ですから、過去と現在と未来はこの宇宙のなかに同時に存在するということになるんですね」

「そうか、それでタイムスリップも出来るということなのか」

好さんは長身の体を深いニトロの椅子に埋めたままで目を輝かせている。

「そこで注目されたのが重力だったんです。宇宙に存在する色んな力のうち重力だけは次元とか多世界間を自由に移動できる性質があって、ですから重力波を利用すれば人間も次元や多世界間を移動できるというわけなんです」

「しかもそれは時空間をも移動できるってことなんですね。そやから我々がタイムスリップするときは常に何らかの波が絡んでるわけや。茶碗の水、お寺の鐘、それから、未だ経験はないが茶の湯のあの独特の雰囲気。そうや、あの双子岩の周りを走るのもひとつの波を作ることになるんですね」

好さんが力説する間、大さんはいつの間にか席を立って、ホワイティーに手の平からひまわりの種を与えていた。

「さぁタイムスリップの修行するぜよ。みんなあ、今から双子岩の周りに集合じゃ」

兎に角龍馬はやる気満々である。


                   24


龍馬と好さん、大さんの狸狐庵山荘での一年間の修行もそろそろ半年が過ぎたが、極めて充実した日々を送っている三人にとって、この半年は信じられないほど速く過ぎたように感じられた。

「好くん、任意なタイムスリップ、もうすぐ完成かも」

「んー、時代の特定がもう一歩やなあ」

楽観的な大さんに対して、好さんはあくまでも慎重派だった。

三人は城山の双子岩の岩影にもたれて休息をとっていた。

目の前をピーターラビットに似た野うさぎが必死の形相で駆けていく。何かに追われているようだが、別段何かが追っ掛けている様子は見えない。野うさぎは三人を避けるようにして岩の向こう側に回り込もうとしたその瞬間、上空から何かの猛禽類が、多分鷲の部類だと思うが、うさぎの上に覆い被さる様にして急降下を掛けた。

「まあうさぎは可哀想だけど自然の摂理だから仕方がないよねえ。餌が無ければ今度は鷲の親子が餓死して可哀想ってことになるから」

と大さんが悟ったようなことを言い終わるか終らないうちに三人の目の前には獲物のうさぎを逃した或いは見失った鷲の戸惑う姿があった。鷲は不審気にキョロキョロと周りを見回し、そして自分の足元を確認するが先程の野うさぎの影も形もない。まるで掻き消したかのようであるが、確かにそれはその通りで追われていた野うさぎだけがタイムスリップして、追っ掛けていた鷲が今の時空に取り残された、ただそれだけのことだった。

しかしその現実は更に、この双子岩周辺の時空にワームホールが何故か、その理由は解らないが、多量に或いは頻繁に発生していることを示すものであった。


「坂本先生、星が丘のコンベンションハウスで大変なことが起こりました」

三人が狸狐庵山荘に帰ると直ぐに新さんが龍馬のところに駆け寄ってきた。

困ったときはやはり龍馬が頼りになるらしい。

「大変なことたあ、なんぜよ。新撰組かよ。いや、違うか。頭が混がらがっちゅうき、すまんすまん!」

「いえいえ、実はコンベンションハウスに手榴弾が投げ込まれまして」

「手榴弾?手榴弾たなんぜよ」

「ああ、そうでした。手榴弾というのは、小型の爆弾で、人の居るところに投げたり或いは建物に投げ込んだりして、それが爆発するとその近くにいた人々は死傷します」

「誰じゃおねえ、そんな物騒なことするのは。まあハウスに行ってくるわ」


龍馬たちがコンベンションハウスに行くとそこは既に警察によって封鎖されていて、怪我人は救急車で運ばれた後だった。たまたまその時レストランの入口付近に居たウエイトレスの吉田るみさんが爆発で飛び散った破片物が膝に当たって全治1ヶ月の怪我をし、そして客の男性ひとりが硝子の破片で手に軽症を負った。

その後の警察の調べで実行犯は暴力団関係者だということが判ったが、しかしこれが主犯が所属する暴力団絡みの犯行だとは断言出来ない、そうかといって実行犯単独の犯行だとは考えにくいし、更にその目的となると皆目見当もつかないという、警察としてもお手上げの状態だったのである。

「坂本先生、また先生の、いや我々の周辺で爆発が起こりました。やっぱり例の連中が絡んでるんじゃないでしょうか」

「まっことよのう。このまま放っちょったら周りの者に迷惑が掛かるぜよ。あっしがアフマド呼んでちょっと訊いてみるわ」

大阪から高知龍馬空港に向かう飛行機の中、即(すんで)の所でハイジャック犯として逮捕されるところだったアフマドは、龍馬の人並み外れた機転のお陰で大事を免れて、その後は陰ながら龍馬を慕うようになっていた。

「手榴弾事件には、まさかおまんらあの組織が関わっちゅうがじゃないろうのう」

アフマドの携帯電話のナンバーを聞いていた龍馬は、早速彼を狸狐庵山荘に呼び出し、新さんお得意のサイフォンコーヒーでもてなしながら、いきなり核心を突く。

「私は知りません。あのハイジャック事件以来私は暫くの間、謹慎を命じられています」

「誰がおまんに謹慎を命じたぜよ」

「私達のボスです」

「おまんのボスた誰ぜよ」

「んー、・・・・」

「かまんかまん、言いぬくかったら言わんでもえい。ほいたら、そのボスは日本人かどうかだけ言うてくれんかよ」

「日本人ではありません。アルサラーマのムジャーヒディーンのひとり」

「また始まったかよ、わけの判らん横文字並べてからに。ムジャー・・何とかは何やった?」

「ムジャーヒディーンはジハードに従事する人たち、ジハードは、日本で言う聖戦です」

「何回聞いてもよう覚えれんのう。つまりおまんのボスはイスラームの人ということじゃのう」

「そうです。サイードが日本人の誰と繋がっているかは、私は知りません。・・・・」

「そうかよ。おまんはこの仕事は向いてないねえ。言われんことも、全部言うてしまうし、まあ、今のは聞いてないことにしちゃうき、心配しなや」

「はい。すみません。よろしくお願いします。いや、そうじゃなくて、もういいんです。坂本先生に、お願いがあります。サイードに会って下さい。私には坂本先生を暗殺することは出来ません。でも、サイードは、私が殺らなければ自分が殺ると言ってます。私は、サイードと坂本先生の間で洗濯バサミです」

「違う違う、ハッハッハッ!、洗濯バサミじゃない。い・た・バ・サ・ミ、じゃあ。そんなときは板挟みと言うがぜよ。洗濯バサミ言うたら、洗濯物を干すときに使うちんまいハサミじゃき」

「すみません。板挟み、でした。僕はこの仕事、いや、これは仕事ではありません。ジハード、聖戦です。そして私はムジャーヒド」「何でもえいけんど、おまさんのボスの、そのサイードさんとやらに会うてみろうか。何事も膝を突き合わせて話してみるに限るきねえ。おまんさえ良けりゃ、さっそく会う段取りをしてくれんかよ。ところで、サイードさんは今、何処におるぜよ」

「サイードは、ここのすぐ近くに居ります。この我々の会話は全てサイードが聴いています。ほら、これが盗聴用マイクです」

「えーっ?そうかよ。おまんそんなこと、言うてしもうてもかまんがかよ。サイードに怒られるがじゃなあい?」

そうこうしてる間に、狸狐庵山荘のチャイムが鳴らされて誰かが訪ねて来る。応対に出た新さんがサイードと名乗るアラブ系の外国人が来たと龍馬に告げる。

彼は、アフマドに負けず劣らずのイケメンだった。新さんは以前、中近東の人々がみんな端正で完璧に近い顔をしているのは彼らが地球上で最も神に近い存在だからだと、誰かが言っているのを聞いたことがある。事実彼らは、西欧人のようなきらびやかさは無いがその端正で上品な顔立ちは、東洋人が整形したぐらいでは真似出来ないような気品があった。やはり彼らは神に近いのかも知れないと、新さんはサイードの顔に見とれていた。

「サイードさん、さっそくじゃけんど、なんであっしの命を狙いゆがぜよ。新撰組じゃあるまいし」

「我々アルサラーマは、無差別殺人集団ではありません。ちゃんとした政治的思想的視座に立って活動しています。そもそも悪いのはアメリカ合衆国とその同盟国です。我々は彼らを十字軍と呼んでいます。彼らは、我々イスラームの祖国に勝手に入ってきてビルを破壊し、ムジャーヒディーンだけでなく子供や女性まで無差別に殺してきた。我々はアメリカ合衆国の不当な中東政策に対する報復をし、我々の受けた仕打ちを合衆国本土に於いても実行する。つまり向こうでもビルを破壊しテロを行う。そして我々がどんな仕打ちを受けたかあなたたちにも味わってもらい、今後は我々の祖国イスラームに於いて殺戮を繰り返すことを思い止まってほしい」

「それはこの前、飛行機の中でアフマドからそっくりそのままのことを聞かされたぞね。おまさんらあ、そこのとこを丸暗記しちゅうと見えるねえ。ついでにそれから先も試しに言うてみて」

「はい、ではいきます。兎に角、我々の目的は民主主義をこの世界から抹消したいのではない。ただアメリカの中東政策を変更し、このイスラームの地から撤退し、石油をはじめとする様々な資源を盗むことを止めて欲しい。またイスラム諸国に於ける腐敗した指導者の支持を取り下げるべきだ。あなたたちの救いは、こうした条件を満たすことで初めておとずれる」

「ほう、そうじゃそうじゃ!そんなこと言いよった。どうやら一字一句間違うてないみたいや、大したもんじゃねえ。それで誰に手引きされたがぜよ」

「それは今は言えませんが、ことによるとあなたを標的から外すことも検討しています」

「そうかよ、そりゃあよかった。けんど、今度は暴力団があっしの命を狙いゆみたいやし。どっちにせよおまんらあの言うことはよう解る。おまんらあイスラームの国のことは、そこの地下(じげ)の者に任いちょってくれ、他所者(よそもん)がとやかく言う筋合いはないろうがよ、と言いたいみたいじゃけんど、そりゃあそれでおまんらあの云うとおりよね。けんどねえ、今の世界の情勢をよう見てみいや。日本も江戸時代鎖国言うて長い間他の国を排して幕府という日本人だけの考えで統治を続けてきたがよ。そこへ欧米の国々が黒船で乗り付けて、日本の閉ざしちょった扉をドンドンッいうて叩いて、民主主義やら新しい機械やらの西欧の進んだ文明を持ち込んできたのよね。その頃あっしとか薩摩の西郷さんそれに長州の桂さんらあが尽力して大政奉還というて政権を幕府から天皇に返還させて民主主義を成し遂げたがぜよ。結局こういう時期はあしらあみたいな正義感に溢れた若い衆が集まって時代を動かす。何かこう、日本のこんなめちゃめちゃな状態を放っちょくわけにいかんというか、あしがやらなやる者な居らんみたいな、それが今で言うモチベーションに繋がっちゅうがやと思うけんど、

その時のあっしのモチベーションはとてつもなく高かったみたいじゃねえ。いわば日本の洗濯よね。アフマド君、洗濯バサミの洗濯ぞね」

サイードとアフマドは、新さんの淹れたサイフォンコーヒーにたっぷりのミルクと砂糖を入れて、旨い旨いと二度もお代わりをしたが龍馬の言うことにはチンプンカンチンプンカンプンのようで、

「すみません。あなたの言ってることがよく解りません。最初の方は解るんですが、後半の、たいせ・・かん?とか、なんとか、あなたが日本の洗濯をしたんですか?・・・ごめんなさい、解りません」

「そうか、タイムスリップのこと言わんと、そりゃあ解らん筈よねえ」

それから数時間に亘って、タイムスリップから始まって幕末日本が明治維新を迎えるに至った経過やその苦労話、或いは龍馬自身の身辺の出来事や心情の揺れ動きなど、現代人にとってはこんなリアルな幕末の描写をその渦中のヒーロー的存在である坂本龍馬自身から聞いてみたいという、誰もが夢見るいわゆる垂涎の場面がここに展開されたのである。

明治以降の日本の歩みについては好さんと大さんが担当し、そして昭和から現在までを新さんが、自分自身の感想や意見も含めて解説した。勿論ムジャーヒディーンの二人にも十分な意見を述べる機会が与えられ、これは後に狸狐庵会議と呼ばれる歴史的に重要な場面となった。

「 あなたたちの言いたいことはよくわかりました。是非アミールに会ってもらいたい」

「アミールたあ何ぜよ」

龍馬は新さんの淹れるブラックコーヒーにすっかり馴染んでいて、新さんが三回目に立てたサイフォンコーヒーをまた飲んでいる。

「アミールは我々アルサラーマの司令官のことです。イスカンダルという名前の人です」

「イスカンダルさんは何処におる?」

「今は云えません。中東から西アジアにかけての何処かの国に潜伏中です。会うときに詳しく教えます」

「中東近辺から出たことのない人に欧米だの日本の良さを言うたって、そりゃあ中々ピンと来んやろ。いっぺん日本に来んか言うてみて」

「彼の場合、日本への入国は許可されません。我々も同じです。その日本人の手引きがなければ日本への入国は出来ませんでした」

「そうか。それなら仕方がない。先っき言うたように我々はタイムスリップが出来るがよ。ということは、瞬間的に彼の元に行くことも出来るし、彼をここに連れて来ることも出来る」

「本当ですか?私達にも教えて下さい」

サイードは龍馬の方に向いて両手を合わせ深くお辞儀をした。

「そのうちみんなーに教える積もりではおるんやけんど、こんなことはちゃんとしたルール作りをせんと、使い方間違ごうたら大変なことになるきねえ。はや現に後藤保弥太があっしを暗殺するために江戸時代から現在にタイムスリップして来ちゅうみたいやしねえ」

その時龍馬は、ムジャーヒディーンのふたりが後藤という一言を聞いた瞬間ギクリと表情を強張らせるのを見逃さなかった。

「まあ、何とかして、そのイスカンダルさんに会うてみろか。向こうに連絡取っちょってや。坂本龍馬いうもんが突然会いに行くかも知れんいうて言うちょって。びっくりして鉄砲で撃ち殺さんように気を付けてよ言うての。あんたら、恐い武器いっぱい持っちょりそうで、しょう怖いちや」

そう言いながら龍馬は、身震いするような仕草をした。

                  25


星が丘コンベンションハウスの手榴弾事件は実行犯こそ判ったが、その組員の所属する暴力団幹部の事件への関与は総て否定され、その動機や背景に関しては全く判らぬままとなった。実はこれも龍馬がターゲットであったことは狸狐庵山荘の住人だけしか知らないことだった。というのも事件の当日狸狐庵山荘の住人5人全員でコンベンションのレストランにランチの予約を入れていたのであるが、どうやらこの情報がいずれかのルートを伝って漏れたらしい。実際はこの日堀川夫婦を訪ねてくる来客があったため、ランチはまた日を変えようということでキャンセルになった。しかしテロ計画はそのまま実行されたというわけだ。

結局警察の捜査は地元住人にまでは及ぶことはなく、取り敢えずは実行犯が逮捕されたということで解決済みの仕分けがなされたのだった。


龍馬達の新しい学問とタイムスリップへの探究心は山荘を去る日が近づくにつれ益々高揚し、特にタイムスリップに関しては最早自由自在に時空を移動できるところまで到達しつつあった。

「大君、我々、とんでもない技を手に入れてるんだね。もうすぐ僕、麻耶さんを迎えに行くよ」

「そうか、君にはそんな目標があったんだ。いいね、具体的なものがあるとモチベーションが全然けた違いに高まるものね」

「君も僕と一緒にあの時代に行く?」

「勿論。実は僕、君に隠してることがあるんだ」大さんが怪しげな笑みを浮かべながら言った。

「何?何?」

三人はまた双子岩の下で修行に励んでいた。今日は野うさぎの姿は見えない。ナンキンハゼの真っ赤な紅葉が秋の澄んだ空に映えて綺麗だ。ハヤブサなどの大型の猛禽類が獲物を探して悠然と大空を旋回している。

「楠木麻耶さんに姉さんが居るのを知ってる?」

「え?そうなの?・・・ああ 、そういえば何か言ってたような気もする」

「麻耶さんよりふたつ上で、麻耶さんより少しだけ可愛い。楠木妙さんていう娘」

「へー、そうながや。でも、それがどうなの?その妙さんとやらが、まさか君と恋仲って言うんじゃないだろうねえ」

流石の好さんも呆気にとられたような顔をしている。

「んー、ひょっとしたら僕の片想いかも知れないけど、ひょっとしたらひょっとするって感じ」

「やったねー、大君!おめでとう」

「まだまだ、100年早いよ」

照れ捲る大さんの横から龍馬が口を挟む。

「あっしも連れてっとうせ」

「え?坂本先生も何かあるんですか?」

という好さんに、

「あっしはそんながじゃないけんど・・・」

「お龍さんに逢いたいのですか?」

「いや、うん・・・、お龍にも会いたいけんど、実を言うと千葉道場のさなさんに逢いたいがじゃ」

「お龍さんより千葉さなさんの方が好きやったがですか?」

好さんは空を見上げ、遠くを見るような目で言った。

「こういうもんは、どっちが好きと言うより、まあ両方の女子(おなご)が好きやったとしたら、その時の成り行きじゃきねえ」

「でしょうねえ、やっぱり」

今度は大さんが身を乗り出す。

「ここへタイムスリップしてきて、色んなあっしに関する書物を読んだがよ。そしたらねえ、あっしが京都の近江屋で暗殺されたのちのことをああやこうや書いちゅうけんど、それが殆どの本がお龍のことをえいようには書いてないがよね。一方のさなさんについてはえいことばっかりで、まあそこまでとも思わんけんど、あっしが死んだあともあっしのことを想い続けて、菊次郎という男と再婚したという話もあるけんど、まあそうやとしても数年で離婚してそのあとは独身を通したらしいき、まあいじらしいじゃないかよ」

「どっちが可愛かったですか?」

大さんがいたずらっぽく訊いた。

「ここだけの話、さなさんじゃねえ。誰っちゃあに言われんぜよ。お龍の耳に入ったいうたら、そらもう、大事になるき」

龍馬もおちゃらけて言った。


                   26


 龍馬達一行が狸狐庵山荘を去る日は刻一刻と近付いていた。正確にはあと1ヶ月を余すのみだった。

そんなある日、好さんと大さんは、新さんからある興味深いものを見せられる。

「この前この山荘の屋根裏の物置、そう、今坂本先生が寝起きしている部屋のうえの三角のところなんやけど、あそこをちょっと整理しようかと思って見てたら、小さな段ボール箱の中に我々の前の住人の物が残ってて、捨てるにしてもひょっとして大切なものがあったらいかんからって思うて、中身を確認してみると、こんな手紙がいっぱい入ってたのよ。いくら何でも手紙の内容まで読むのは気が引けるかなって思ってたんやけど、宛名と差出人の名前をちらっと見てビッキリ!入間好澄と小池大助の名前が目に入ってきて。なんと全部があんたらあ二人の間でやり取りされた何通もの手紙やったんや。たまたま、お二人さんが目の前にいるんやから、先ずはふたりに渡さなきゃと思って、はい、どうぞ」

そう言いながら新さんは、スーパーの袋にずっしりと入ったいくつもの手紙の束をふたりに手渡した。

好さんと大さんはそれぞれ、山のように積んだ手紙を片っ端から読み始める。

それはふたりが、いや好さんが中心になって高知の桂浜に龍馬像を建てたのち、星が丘コンベンションハウスやその回りに40戸ほどの別荘群を建設するのだが、この文通のような手紙のやり取りは主にその頃から始まっていて大さんが80才過ぎに胃癌でその生涯を閉じるまで数十通に及んでいた。大さんは横浜の大手商社の重役を勤め、定年退職後に狸狐庵山荘の(堀川夫婦が住む以前からそんな名前がついていたわけではないが)初代住人となった。だから手紙の殆どは横浜と高知の星が丘vilの間で交わされたものであった。

そして好さんは94才まで生存しコンベンションハウスや別荘群の運営に尽力したらしいが、彼が93才の時、将来この星が丘vil を訪れるであろう若き日の好さんと大さんに宛てた手紙も、その中に埋もれるようにして残されていた。

『この手紙を読んでる私の若き日の好澄君、そして若き日の大君。この手紙がどのようにして君たちの手元に届けられたかは私の知る由もないが、まさか郵便屋さんが届けたってことはないよね。』

そんな出だしで始まるこの手紙は、彼らの若き日々はタイムスリップに嵌まったことを中心に書かれてあって、あちこちの時代や場所を渡り歩き、歴史上の偉人達との出会いもあったが、なかでも坂本龍馬との出会いは衝撃的であった。彼の場合、時代を超えたヒーローとも云うべき人物で、彼と狸狐庵山荘で過ごした一年間、数々の感銘を受けることの連続だった。そして世界の平和のために、高知の桂浜に彼の銅像を建てることを決心したこと、また晩年にしか感じることのできない枯れた人生観を仕事や女性との出会いを通じて切々と語っていて、実に原稿用紙20枚近くにも達していた。そして最後にその手紙は、『結果は何も気にする必要はない、可能性の数だけ宇宙はあるんだから』という一文で結ばれていた。

この手紙の文面を見る限り、これらの情報はおいらから受けたものではなさそうだ。多世界は複雑に分岐しているようである。

「好君、君は94才まで生きて、僕は80過ぎに胃癌で死んじまうんだ」

大さんは可なり深刻そうな顔で言う。

「それは、そういう宇宙に分岐することもあるっていうだけの話でしょう?そうだ!この時代には色んな医療機器を使って、人間ドックっていう検診をやってるみたいだから、そんなに心配だったら、80、そうだね、78くらいになったら年に3回くらい検診受けてたらいいってことでしょ。しかも胃癌だってことまで判ってるんだから」

好さんもそれなりに必死でフォローしていた。

その時デッキの樫ノ木には、おいらとホワイティー、それに2号が仲良く並んで枝に止まっていて、「そうだ、そうだ、そのとおり。おいらたちも大さんと好さんが107才まで生きてて、デッキで話してるの見たもんね。それにしても107才なんてうらやましい。我々ヤマガラの10倍以上も生きられるんだね」

そんな会話を始めていた。遂にホワイティーとも再会出来たのである。但し我々の間には多少のタイムラグがあって未来と過去とが同居している筈だが、それも何度か繰り返しているうちに殆ど無視出来る程度にまで修正されるらしい。宇宙は何かと便利にできているようだ。

「ところでホワイティー、今日は私とパパが巣を共にする番だからね、判ってる?」

「そうね、判ってるわ。でも夕べダーリンはめっちゃハッスルハッスルだったから、今日は多分グロッキーかもね」

「彼なら大丈夫だビーッ!」

側に居るおいらは唯、「ビービービーッ!」と意味不明な鳴き声をあげながら、人間たちにヒマワリの種を要求してその場を誤魔化すしかなかった。持てる男はある意味つらい。

しかし二階で山のような手紙を読んでいるふたりはそれどころではない。

「好君、この手紙によれば、どうやら君の嫁さんになる人は麻耶さんではない、裕子さんという人みたいだね」

「そうか、麻耶さんとは結ばれる運命にないのか。大君、君だって楠木妙さんとは結ばれないみたいだね」

「そうか、・・・でも、僕は妙さんを迎えに行くよ。実は、彼女、胸の病気みたいで、あの時代に居たら余り永くは生きられないみたいだから。彼女、症状からみて結核みたい。だから僕ネット、で結核について色々調べたんだけど、今、この時代だったら簡単に治せるみたいだから、我々の時代、つまり昭和の始め頃でも結核は不治の病だからね。だから、この時代でなきゃいかんのよ」

「そうだね。未来がどうなろうと我々の知ったことじゃないか。この手紙の書かれた宇宙の他にも宇宙はいっぱいあるんだし」

「そのとおり。妙さんをこの時代に連れてきて、現在の医学で彼女が完全に治癒し、それから僕と結婚して、僕は78才になってしょっちゅう検診を受けて、胃癌の早期発見で、これも完全に治癒し、ふたりは百才を過ぎるまで幸せに暮らしたと、そんな宇宙もきっと何処かに存在するよねえ、好君」

「そうだ、そうだ。でも気を付けなきゃいけないのは、可能性のないところには絶対に分岐しないってことだから、自分が成功した姿を強く思い浮かべて、その姿に向かって日々努力することが大事なんだよ!」

好さんの言うことは、いつも少しだけ理屈っぽい。

「君も麻耶さんを迎えに幕末に行くよね」

「ああ、そのつもりだけど。ところで坂本先生は、やっぱり幕末に帰るのかなあ。この前確か、さなさんに会いに行きたいって言ってたよねえ」

「坂本先生は、幕末の、しかも旧暦で慶応3年11月15日、以降ってことになるのかなあ」

好さんは、一応キョロキョロして視界の中で龍馬の姿を探すような素振りをしながらゆっくりと言う。しかしそこら辺に龍馬は見当たらなかった。すると好さんは二階のベランダに出て山荘の周辺を探す。

龍馬は一階のデッキの上で、裸足で木刀を持って素振りをしていた。

「坂本先生、この時代を後にしてから、行くのはやはり幕末ですか?さなさんのところですか?」

好さんは、デッキで休む龍馬の額から玉のように弾ける汗を眺めながら訊いた。

「多分そうなると思うがねえ。それがどうかしたかよ」

龍馬は、好さんが差し出した真っ白なタオルで気持ち良さそうに額の汗を拭いながら言う。龍馬が最初にこの時代に来たときは、何かを拭くときにはいつも手拭いばかり要求していた。しかしそんなもの普通の家庭には滅多にあるものではないから無理矢理タオルを使わせていた。最近では龍馬も、その吸湿性と心地よさをいたく気に入った様子で、何かと言えば「タオルはないかよ。タオルをおおせや」とすっかりタオルの愛用者になっていた。

「それがですねえ、三人共に、行きたいところは幕末に集中してるんですよ。全く困ったもんです」

「なんちゃあ困るこたないじゃいか。やっぱ、おなごは江戸の女が一番ぜよ」

「坂本先生は千葉さなさんに逢いたかったがですねえ。僕は麻耶さんで、大君は妙さん。全員が自分の思うひとに逢いたいだけなのか」

「違う、違う。おまんらあと一緒にせんちょってや。あっしは、あっしらあが作った明治という時代を見届けちょきたいだけながやき。坂本龍馬が暗殺されずに生きちょったらこんなふうになっちょった、という多世界をつくってみたいがよ」

龍馬はこの一年間の狸狐庵山荘における勉強と修行で、すっかり量子論の多世界解釈などの最先端物理学の虜になっていて、余剰次元やパラレルワールドなどの、普通なら狂人扱いされるような突飛な理論も平気で受け入れていたのである。

さすがに龍馬の頭脳は並みでないと好さんも大さんも、そして新さんもそう思うのだった。

「ところでねえ、あっしは慶応3年に帰る前にちょっと行っちょきたいところがあるがよ」

「え?この時代でですか?」

「うん、時代は今じゃけんど、大分遠いところらしいき、タイムスリップを使うて瞬間移動した方がましじゃろうかねえ」

「何処まで行くつもりなんですか?東京より遠いところですか?北海道?」

「北海道どころか、外国ぜよ。パキスタンてところらしい。遠いがじゃろ?」

「そりゃあ遠いですねえ。ところでパキスタンへ何をしに行くがです?」

「イスラームのイスカンダルというアミール、これはつまり、アルサラーマの司令官。まあ、ようよう覚えたぜよ。まっことわけのわからん名前ばっかりじゃねえ。この人に会おうか思うちゅうがよ。どうして爆弾テロみたいなことばっかりやるのか、あっしにはどうしても解らん。まあそれなりの言い分があることはアフマド君やサイード君の話を聞きよったらわかるけんど」


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それから一ヶ月後、その夜は龍馬と好さんそれに大さんの三人にとって狸狐庵山荘での最後の晩餐ということになった。

メニューは、いかにもそれらしく猪肉の焼肉パーティーである。猪といってもここら辺にいるのは殆どがイノブタで、体色も茶色ではなくグレーである。これは龍馬が独り双子岩で剣術の鍛練をしているとき、どう猛な雄の猪に襲われ、龍馬は文字通り猪突猛進する猪を闘牛士のように身を翻しながら交わし、同時に猪の側面より上段から木刀を振り下ろす。木刀は見事に猪の後頭部をとらえたが、猪はよたよたと少し怯んだだけで倒れる気配はなく、すぐさま踵を返して再び龍馬の正面を突く。それを待ち構えていた龍馬は、相手が相手だけにしっかりと腰を入れた諸手突きを上からねじ込むようにして出す。木剣の先は見事に猪の鼻の部分にめり込んだ。

その剣捌きは見事なもので、桂浜での剣道家相手の試合ぶりや東京タワーのエレベーターでのテロリストを仕留めた電光石火の早技を目の当たりにして来たおいらも、流石にこれには度肝を抜かれた。

この猪、正確にはイノブタは70キロを超すような巨体で、好さん、大さん、新さんの三人を呼んできて、両足を縛って丸太を通し漸くのこと山荘まで運んできた。捌くのは新さんが得意ということで、見てても実に鮮やかな手さばきで、あっという間に五人ではとても食べきれない量のシシ肉の塊が出来上がった。


「イノブタの肉って、シシ肉と豚肉のいいとこ取りなんだってねえ」

都会っ子の大さんは、初めて食べるイノブタ肉に興味深々だった。土佐っぽの龍馬も好さんも勿論初めてである。

「そうそう、さっぱりしててしかもしっかりした歯ごたえ。更に脂身はとろけるような口触り。坂本先生、いただきます」

そう言う新さんに龍馬は

「いやー、あっしも剣術がこんなことに役立つとは思わざったぜよ。今までに剣で犬を追っ払ろうたことはあったけんど、イノシシは初めてや。それにしても星が丘の神様が我々に今晩のご馳走をプレゼントしてくれたがぜよ。ありがたいことやねえ」

そんなことを言いながら連中は狸狐庵山荘のデッキで、イノブタ肉と野の草を炭火で焼いていた。

「まあ、先っきから屁こき虫があっしの周りをウロウロして、うるそうてたまらんちや。叩き殺そうかねや」

「屁こき虫って、何?」

大さんにとっては未知の昆虫のようだ。

「屁こき虫言うたら、ほらまた来た、これこれ」

龍馬は、デッキに置いてある低いテーブルの端に止まって這い回るアオクサカメムシを指差す。

「ああ、それね。それはカメムシだね。叩き殺したら、絶対いかんですよ。ここら辺臭くって居られなくなりますから。彼らを怒らせてはいけません。彼らは優しく扱ってる限り、絶対にくさい臭いを出したりはしませんから」

山暮らしの長い新さんらしい解説である。

「そうじゃろうかねえ。そいたら屁こき虫は、アフマド君の言うムジャーヒドみたいじゃねえ。つまりイスラームの戦士よね。そっとしちょいちゃって、仲ようしちゃったら、まっこと大人しゅうて綺麗なえい虫じゃけんど、こっちが悪いことしてちょっかい出したが最後、それこそ手が付けれんばあ臭い屁をする、所謂最後っぺよね。イスラームの人らあも臭い屁が爆弾みたいなもんよ。爆発するがよ。人間も虫も一緒ながやねえ」

「そうそう、坂本先生が言う通り無視しといたらいいですから。もし構うとしても、やさしくフレンドリーにしてやったら彼らは善良そのものですよ」

そんな新さんのアドバイスもあって、その後もテーブルの周りをちらついていたアオクサカメムシのことは誰も気に止めることもなく、そのうち彼のことは忘れていた。

宴も半ばに差し掛かかり皆が発泡酒でホロ酔い気分になり始めた頃、突然大さんが、口の中のものを皿の上に吐き出しながら

「やったー、えらいこっちゃー!」と大騒ぎしだした。

「なになに?何事が起こった?」

何処と無く楽しそうに言うりこさんに

「カメムシを食べた。臭っさー!最初、成分の濃いキャベツだと思ってたけど、こりゃあ紛れもないカメムシだー!」

と食べた本人の大さんまでもが楽しげだ。大さんの口から出されたものをよく見ると、噛み砕かれた野菜たちの中に混ざって無惨な形となったカメムシの姿があった。

大さんの前歯で噛まれ、半分にちぎれかかった、多分それはさっきまで龍馬の周りをウロウロしていたアオクサカメムシ君にちがいなかった。

「わーっ、これだ、これー!」

大さんは、もしかすると野菜の切れっ端と間違えて見過ごしそうな鮮やかな緑色をしたカメムシの死骸を指差しながら、その異常な体験ぶりを皆に訴えた。

そして大さんは、洗面所に行って何度も何度も口を漱いでいた。

カメムシを噛み切ったのは、どうやら下の前歯の左の方らしく、大さんはそれから暫くの間口を半開きにして、ここが臭いここが臭いと言いながら口の左の方を指差していたが、「でもこれって結構いけるかも」などと突然言い出す。

「確かに臭かったけど、でもそれは我慢できない程のものでもないし、実際吐き気も催したけど、それもまた我慢できる範囲内のことだし。葉緑素の濃い野菜を食べてると思ったら、何事も慣れであることを考えれば、工夫して調理さえすればもしかしてカメムシもまた食べれないことはないとも思ったんだけど」

「いいね、いいね、昆虫食!ものの本によると昆虫は地球上に1000万種以上、地球上の動物種の8割以上が昆虫種らしいよ。いわば地球は昆虫惑星。だからこれからの食糧難、それをタンパク源にしない手はないよ。かを実際食べてる国もあるらしいからね」

新さんがちょっとした雑学を披露して見せた。

宴後半は、みんなが関心のある恋愛話に花が咲き、好さんと大さんは時空を超えた幕末の楠木姉妹への思いを語り、一方の龍馬は生まれて初めて飲む新さん自慢の赤ワインを呷りながらお龍さんと千葉さなさんをあれこれと比較して独りノスタルジックな気分に浸っていたところまではよかったのだが、飲み易いワインを調子に乗ってガブガブと飲み過ぎて、ぐでんぐでんに酔っ払い、「お龍!さなさーん!平尾ー!みんなあ好きじゃー!」そんなことを叫びながら倒れこんでしまった。そしていきなり起き上がったかと思ったら、「気持ち悪いー!」と言いながら山荘から飛び出して、山の繁みに向かってゲロゲロやりだす始末。幕末のヒーロー坂本龍馬のこんな姿は滅多に見れるものじゃないと、新さんなんかはタブのカメラでそのシーンを撮影しだすひとこまもあった。

一夜明けても龍馬は完全に二日酔い状態で、朝の10時頃漸く寝室からふらふらしながら起きてくる。

「坂本先生は残りますか?我々は今日中に幕末の土佐にタイムスリップしますけど」

好さんはそんなことを言いながら、優雅にモーニングコーヒーを飲んでいる。

「おう、好君!おはようぜよ。あっしはまだ気持ち悪い。あのねえ、アルサラーマのアミール、イスカンダルさんにぜひ会うちょきたいがよ」

「今度はイスラームの洗濯ですか?」

「イスラームだけやないろ。アメリカさんの方も一緒に洗濯せんことにゃ埒が明かんぞね」

「それじゃあノバマ大統領に会うんですか?!」

「事の次第によったら、そうなることもあるかも知れん。取り敢えずはイスカンダルさんに会うて様子を訊かんことには前へ進まんぞね。さなさんに逢うのはそのことの目処がついてからやねえ」

「解りました。ほいたら、我々はお先に幕末の土佐に行っちょきます。それで坂本先生が幕末に来られたら、土佐の帯屋町の井筒屋という米問屋に楠木摩耶という娘が居りますので、彼女宛に手紙を送って下さい。坂本先生が行くのはどうせ幕末の江戸か京都でしょう?」

「多分そうなるろうと思う。井筒屋の摩耶さんじゃねえ、よし分かった。お龍は、あっしの暗殺後暫くは土佐の乙女ねえやんのところに厄介になるらしいけんど。それにしてもワインというもな、まっこと、旨いは確かに旨いけんど、しょう悪酔いするぜよ。昨夜一晩中吐きそうなかった」

「ワイン飲むときは、気を付けて下さい。ワインのがぶ飲みは絶対いかんですよ。ところで坂本先生が幕末にタイムスリップした場合、どの時点にタイムスリップするかによって、つまりどんな多世界にタイムスリップするかによって、状況は随分違ってきますよねえ。どちらにしろ、坂本先生が既に居る多世界にはタイムスリップは出来ない筈ですよねえ」

「そうなるかのう。それを言われたらあっしは、近江屋で暗殺されずに生き延びた後、おまんらあに導かれて確か知恩院へ行ったぞのう。それから、鐘の音の波を利用してタイムスリップでここへ来た。そうじゃ、あっしが帰るとしたらあそこしかないがじゃ。あっしはあそこで死なんかったという世界よのう。ほいたら、乙女ねえやんにもお龍にもさなさんにも、また逢えるがじゃ。ワクカクするねえ」

「あるいは、坂本先生が全く存在しない幕末にタイムスリップ」

「そうか、それもあるわのう。けんどそれじゃあ一つも面白うないぜよ。さなさんに会うても、乙女ねえやんに会うてもお互い初対面ということじゃきねえ。そりゃあいかんわ。まあ、あの知恩院の後にタイムスリップしたとしたら、まだこれから明治維新もあるし、ひょっとしたらさなさんと本当に結婚するのかも知れんし」

「駄目駄目、坂本先生、重婚になりますよそれじゃあ」

いつのまにか山荘の居間には大さんも来ていた。

「楽しそうな話をしてますねえ。好君、何時頃出発予定?僕、未来の珍しい物をいっぱいリュックに詰め込んで、妙さんに見せてあげたいんだよ。だから、今からホームセンターに行ってくるわ。一応、今日、夕方の5時頃出発ということにしようか」

「そうやね。それくらいになるかなあ」


        

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 こうして好さんと大さんは、2015年8月23日日曜日午後5時4分、幕末にタイムスリップして土佐の狸狐庵山荘を後にした。彼らもタイムスリップのスキルが大分向上してきた様子だった。しかしその正確性において未々おいらたちには及ばない。野性的感性という点で、生まれつき持ってるものが違うようだ。

一方の龍馬は、イスラームの戦士ムジャーヒディーンであるサイードとアフマドを連日狸狐庵山荘に呼んで話し合いを繰り返していた。

「おまさんらあの言いたいことはよう解ったけんど、こっちが何と言おうと同んなじことを繰り返すばっかりでちっとも話の進展ちゅうもんがないのう。もうちっと頭を柔軟に持たんといかんぞね。やっぱりアミールのイスカンダルさんに会うてみろうかねえ」

「アミールはパキスタンアボッターバードからは出られません。彼の居場所は誰にも知らされていませんので」

こんなことを言うときサイードも幾分、いや可なり緊張気味である。

「おまん今んまさっきイスカンダルさんはパキスタン何とかバードにおる言うたぞのう。何バード言うた?」

「何でもありません。パキスタンと言っただけです」

サイードは少しパニクっていた。その横でアフマドも心配顔でオロオロする。誠に愛らしい二人である。

「ウソ言いな。何とかバード言うたでねえ、アフマド君。言われん言われん言うて、言うて終いゆじゃいか。まあ、けんど、どっちにしろ言わいでもえいがよ。あっしらあタイムスリップ使うて瞬間移動するがやき、彼の写真は持っちゅうかよ。それとも彼の使いよった物とかは?」

「ありますよ」と言ってサイードはイスカンダルという、彼らにとっては一種神のような存在の人物の写真とターバンを鞄のなかから取り出した。

「これでタイムスリップができるんですか?」

「そうよ、この時代の最先端の物理学である量子論のなかに、量子もつれとか量子テレポテーションとかいうのがあるがよ。イスカンダルさんが身に付けちょったものは、お互い量子もつれの関係になるもんらしいぜよ。写真もそうじゃ言うき不思議じゃろう」


龍馬の言うことには、正確に言えば多少の誤りがあった。量子もつれを使ってのテレポテーションにはそれなりのカプセル状のマシーンが必要で、龍馬が今やろうとしているのは、それとは別の、ワームホールを利用するものだった。それには先ず自らの持つ波長を調節しながら、そこら辺に散在する時空の歪みの中から極微少なワームホールを見付け出し、そしてそのワームホールの持つ波長を徐々に増幅させ巨大化しておいて、機を逃さずそれを潜り抜けるわけだが、その時にイスカンダルが身に着けていた物、この場合はターバンという物質の波動を感じることによって、ワープする先が決められることとなる。これは、無数に存在する宇宙の物質のなかでも全く同じ波長の物というのは絶対に存在しないという原理を利用するものである。この場合、イスカンダルの心をも含む全身が持つ波動方程式とターバンの持つ波動方程式とがどのように影響を及ぼし合ったのか、そこに量子もつれが関わっていることは間違い無さそうだが、正確なことは判らない。

しかも今回は空間のみの移動のため、時間の『今の断面』を横滑りするような極めて高度な技術も要求されるが、これも日頃の訓練で自らの波長を完璧にコントロールすることによって全て可能となるもので、それは生来器用に出来ている龍馬が一年近くも掛かけて星が丘の双子岩でみっちりと修行を積んだ結果、殆ど失敗しないまでになっていた。

多少の誤差はあるにしろ、龍馬は時間の『今の断面』を横滑りすることに成功し、瞬時に星が丘からパキスタンに移動する。


龍馬がワープしたところは何処かの洞窟の中だった。奥まった天井にはコウモリの集団がたむろしているようだが、人の気配は全く感じられない。 しかし未だ煙の立つ焚き火の跡もあったりして、先程までイスカンダルがここに居たことは明白だった。そしてそれは、龍馬のワープした先が確実に捉えられていたという証明ともなる。

洞窟はそれほど大きなものではなく、アジトとして使える規模のものではない。あちこちと移動するための、一時的な休憩場所として使われていたようだ。それでも空っぽの水瓶とか、調理の後の切れ端や残飯なんかがそこら辺りに散らばっているところを見ると、たまに隠れ家として使われているところなのかも知れない。

彼らは未だそれ程遠くには行ってない筈で、龍馬は洞窟の入り口に立って周りの様子を見回してみる。周りは見渡す限りの砂漠だった。勿論龍馬も今までに見たことのない、いや、何年か前に、とは言っても今現在から言えばおよそ150年程前のことになるが、お龍さんと鳥取砂丘に行ったことがあって、そこの景色に似ているといえば似ているが、 スケールの点で全く比較にはならない。しかし、洞窟のある近辺は小高い丘のようになっていて、多少の草木も見受けられ、更によく見ると、龍馬の立っている洞窟の入り口からくっきりとした数人の足跡が丘伝いに続いていた。人の姿は見えないが、その足跡はイスカンダルとその仲間たちのものに違いない、そう龍馬は確信した。そして龍馬はその足跡を追った。

およそ一刻、約2時間程単調な砂漠のなかを歩いたとき、遥か前方の、殆ど地平線の上近くに一団の人影が確認できた。しかしその途端龍馬は激しい喉の渇きを覚え、更に酷い倦怠感が襲う。

土佐から瀬戸内に出るのに笹ヶ峰という難所を越えるが、それは這い上がるほどの急勾配で、並みの人なら50メートル置きに休みをとるのが普通だが、それでも龍馬はこれを一気にかけ登るのを得意としていた。あらゆる方面での彼のポテンシャルの高さを示すエピソードであるが、それにしても、如何に過酷な北山越えとはいえ、それなりに水筒も準備し、山のそこここには谷川も流れる。 そんな彼が、たったの一刻で いとも簡単に伸びてしまうのだから、自然環境の過酷さは言うまでもなく、水分補給の大切さは古今東西を問わず、地球人類にとっては正に命水であった。

序でに言うが、我々ヤマガラも水は人類以上に重要で、餌よりも先に水場を探すにが重要な日課である。

龍馬は最後の力を振り絞ってイスカンダル一行との距離を出来るだけ詰めようとした。彼らを尾行してどうのこうのとか、そんな類いの話ではない。今の状況からして、取り敢えずは彼らに声の届くところまで距離を詰めておいて、大声で助けを求める。幕末のヒーロー坂本龍馬としては、なんとも情けない状況なのである。


「あなたは、どこから来た?誰ですか?」勿論アラビア語である。

サイードとアフマドとの度重なる接触から、或いは龍馬は今日の日を想定して半年間アフマドからアラビア語の会話をマンツーマンでみっちりと学びとっていた。それにしてもアラビア語は難解で、言語の質自体が日本人の感覚からは大きくかけ離れていて、覚えるのは並大抵のことではない。実際のはなし、イスカンダルとかその取り巻き連中の言ってることは、ほんの1,2割程度しか龍馬には理解できなかった。それでも同じ人間同士、意思疏通自体は身ぶり手振りも交えて凡そ半分くらいは、なんとかなるものである。

龍馬は、世界中をふるえあがらせる国際テロ組織アルサラーマの司令官によって絶体絶命の危機を救われ、命の水を与えられた後は嘘のように蘇り、今や命の恩人となったイスカンダルとも親しく話すようになっていた。正に、人間万事塞翁ケ馬である。


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龍馬たちはその後、イスカンダルの手下たちが用意した数台のジープに分乗してパキスタン北部のアボッターバードという町のはずれにある可なり大きな民家のような場所に移動したが、その折シオリ・オオミネという若い女性の日本人通訳が雇用され、その後彼女は常に龍馬の傍に伴うこととなる。

「おまん、なんでこんなところで居るがでよ。おまさんもイスラームの信者かよ」

とコテコテの土佐弁でいきなり話し掛ける龍馬に、東北は青森県出身のシオリさんが戸惑うのも無理はない。何故なら、彼女にとって龍馬の土佐弁は アラビア語より難解であった。

「私は、アボッターバードの町で仕事を探してました。日本人かと声を掛けてくるものがあり、そうだと答えると、アラビア語は出来るかと言う、イラク人と結婚して5年前に中東に来た、日常会話は大丈夫だと思うが難しいこととになると、ちょっと自信がないと言ったが、それでいいから手伝ってくれと言われ、通訳として来ました」

「あの連中、何者か、おまさん知っちゅうがかよ」

「いや、全く知りません。地元の資産家とかお金持ちの商人とかじゃないでしょうか。この家なんかも凄い建物ですよね。ここら辺じゃ飛びっきり目立ってますから」

「そうかよ。なんちゃあ知らんがか。通訳しゆうちに、彼らが何しゆがかはちったあ判るろうけんど、実はあっしもよう知らんがよ。おまさんも、おなごだてらに、しょう偉いよ。まあ、ちっくとの間じゃと思うけんど、よろしゅう頼むぜよ」


「イスカンダルさんが呼ばれてます」

取り次ぎに来た男がシオリさんに伝え、ふたりはイスカンダルのいる二階の広い南側の部屋に案内された。

イスカンダルはターバンもとって、くつろいだ表情で龍馬とシオリさんをソファーに座らせ、お茶を出してきた。お茶は甘めの紅茶でミントの香りが結構強い。これは私の好きなタイプだとイスカンダルが言ってるようだが、龍馬にはそれが紅茶のことなのかシオリさんを指して言ってることなのかがよく判らず、シオリさんはガタイは大きいが女性として結構魅力的だと龍馬も思っていて、イスカンダルのスケベ根性がほんの少し気になった。龍馬が狸狐庵山荘に居たときのネットの情報に拠ると、イスカンダルは若い頃から好色で、妻は離婚した人も入れて6人もいるという。シオリさんにとっては要注意人物だ。ただ、女好きということに関しては龍馬も大した相違はない。

「Mr.坂本、ようこそ。もう元気になりましたか?あなたのことは、サイードとアフマドから聞いてます。私はあなたを歓迎します」イスカンダルは、龍馬の想像以上に礼儀正しく穏やかだった。そしてそのままの口調で彼は自らの持論を展開する。

「彼らが十字軍と呼ふアメリカ合衆国やその同盟国は、今の中東政策を変え速やかにパレスチナの地から撤退しなさい。我々は単なる人殺しだけのテロ組織ではない。しっかりとした政治的な思想的視座に立って行動している。アメリカ合衆国やその同盟国がイスラームの地を血の海にしたから、我々はその報復として彼らの地のビルを破壊したりするのであって、それは我々がどんな気持ちであなた方に石油やその他の資源を略奪され傷つけられたか、あなた方にも味わって貰いたいだけの話である」

これは龍馬がアフマドとサイードと出会って以来一字一句違わぬ文言を、繰返し繰返し耳にタコが出来るくらいに聞かされた、いわばイスラームの戦士ムジャーヒディーンたちの現在の経典のようなものである。

イスカンダルもそんなことを繰返し訴え続けた。 ただ、サイード達と違うところは、彼にはカリスマ性があり、優れた組織力を発揮し、資金集めに長けているというところだった。唯これも、龍馬が狸狐庵山荘に居るときのネットの情報に基づくが、現実にイスカンダルと接してみて、なるほどと頷かされるものは十二分に持っていた。そして彼は、幕末に龍馬が接した勝海舟や西郷隆盛、或いは高杉晋作たち維新の英雄たちと肩を並べ、更にはそれ以上のオーラみたいなものを感じる人物のように思えたのであるが、実際それは彼のこれ迄の経歴が証明するところでもあった。また共に好色なことをはじめとして、その他多くの点に於いて龍馬と共通する部分があって、それぞれ貢献する分野が違うとは云え、ふたりが意気投合するのはむしろ当然の成り行きだったのかも知れない。

「ところであなたは、いったい何者なのですか?日本政府の高官?それとも何処かの国のスパイ?」

「あっしかよ、あしの名は坂本龍馬いうて、今から大体150年ばあ昔からタイムスリップして来たがよね」

それを聞いて一番驚いたのはシオリさんだった。彼女は子供の頃からの龍馬ファンで、いくら服装と髪型が違うとは言え、目の前にいるのが正真正銘の龍馬だということはとても信じられず、間近から龍馬の顔を何度何度も見直していた。

一方のイスカンダルは、坂本龍馬という名前を知らないのは勿論であるが、タイムスリップに関してはそれ程の違和感はないようで、それどころかタイムスリップには子供のように異常な関心を示してしまって、イスラームやアルサラーマのこと、或いは十字軍への恨みつらみなどイデオロギー的なものはいつの間にか影を潜めてしまい、話題は専らタイムスリップのノウハウに偏ってきた。

「私は基本的には、いわゆるSFではなくて量子論とか、アインシュタインの相対論とかいった実際の物理の理論に裏打ちされた予言、解釈、更には空想が好きですが、そういうのは中々難解だし、一般には出回ってないものですから、仕方なしに、理論的根拠には乏しい、例えばハリウッドのSF映画のDVDなんかも、ほら、彼処にあんなにあるでしょう。結構面白いですよ」

イスカンダルの指差す方を見れば、50インチ以上はありそうな大画面の液晶テレビが置いてあって、その横には沢山のDVDが積み上げてある。液晶テレビとDVDレコーダーにはsomyの文字が見える。

これはつまり、アルサラーマが最も敵対する十字軍の文化であり、その最先端技術もふんだんに取り入れられている。現にこの建物は、とんでもなく分厚い塀や壁で囲まれ、更に衛星アンテナがあるうえに至る所に監視用カメラも取り付けられていて、室内にある幾つかのモニターテレビにその映像が克明に映し出されている。つまりここは厳重に防御し監視された要塞なのである。

「特にわたしは、ターミネーターのシリーズが大好きだし、バットマンもいいねえ。でもスーパーマンとスパイダーマンは駄目だ!あいつらは、いい人ぶった偽善者だよ。まるで合衆国そのものじゃないか。それから、宇宙物もいいねえ。インディペンデンスデーなんかも面白い、それから・・・」

「そんなもんより、日本の大河ドラマ『龍馬伝』を是非見とうせや。福川雅治!男前ぞね。それに、あっしのワイフのお龍、千葉道場の千葉さなさん、そりゃあ別嬪ぞね。おまんも絶対に気に入るちや。こんど、DVDを送るようにするきねえ。そんなことよりおまさん、これからどうする気ぞね。そんなテロばっかりやりよっても、あしは絶対埒が明かん思うけんどねえ。逆におまん自身が命を狙われるだけよね。止めちょきなさい。相手はアメリカさんじゃ、幾つ命があっても足らんやいか。それよりあっしが仲持っちゃるき、ノバマさんと腹割って話し合うてみたらどう?向さんも困っちゅうがじゃき、そこそこの譲歩はしてくれると思うで。どうぞね、あっしに騙された思うて、是非会うてみて。絶対に悪いようにはせんちや」

イスカンダルは徐々に顔付きが締まってきた。喉が渇くのか彼は何回もお茶のおかわりをした。給仕の男性がその度に龍馬とシオリさんのカップにもお茶を注いでいく。龍馬は「もう要らんき、おおきに」とか言う。シオリさんは平気な顔をして、注がれたお茶をいつまでも飲んでいる。確かにカップが余り大きくないため、その気になれば飲めないこともないが龍馬は先程から小便につかえて、上からの注入はもういい加減に終わりにしたかった。そうかと言って注がれたものは飲まないと気が済まないのが龍馬の性格で、何度も断るが給仕はお茶を注ぐのを決して止めない。堪り兼ねたシオリさんが、こうやれば注ぐのは止めますよと言って、カップを指先で持ち前後にゆっくりと傾ける。すると不思議なことに給仕は、龍馬のカップには注いでもシオリさんのカップには注がない。龍馬も早速真似をしてみると、給仕は納得顔で漸くのこと持っていたポットを引っ込めた。なんでそれを早く言ってくれんのかと龍馬がシオリさんに愚痴ると、龍ちゃんが困った顔するのが楽しくて、と彼女は悪戯っぽく笑った。シオリさんは龍馬のことを、いつの間にか龍ちゃんと呼ぶようになっていた。

龍馬は小便に行きたいとシオリさんに告げると、シークレットサービスのような男が龍馬をトイレ迄案内し、尚且つ龍馬が用足すのを直ぐ側迄来て待っている。「まあまあ、そこまでして呉れいでもあっしはひとりで小便出来るぜよ」と言っても、シークレットサービスはポカンとしていて、「シュクラン!」と言うと漸くのこと「アフワン」と返事して、少しだけ顔が緩んだ。

その後もイスカンダルは、想像以上に無邪気な感じでタイムスリップの話を止めなかったが、

「アミール、タイムスリップの方法はあっしが後でジックリと教えちゃるき、あっしの仲立ちでアメリカのノバマさんと腹割って話し合うてみるという約束をここでしてくれんと、あっしは帰るに帰れんぞね」

「龍ちゃんは、今から何処に帰るんですか?」イスカンダルもシオリさんに釣られて、龍馬のことを龍ちゃんと呼びだした。

「あっしは当然150年前の日本ぜよ」

「えー?!そんな!私も連れてって欲しいよ」

「私も私も!」これはシオリさんだ。

「シオリちゃんはえいけんど、イスカンダルはいかんぜよ。おまさんは合衆国のプレジデント、Mr.ノバマと会うて、地球の洗濯をせないかんきねえ。まあけんど、会うだけじゃあいかんかも知れんねえ。少のうても1週間、ふたりで何かおんなじ目標に向こうてチャレンジしてみる。え?・・、例えば?ちょっとしたことでえいのよ。例えば、一緒に小屋を建てるとか、東日本大震災復興のボランティアに参加するとか、なんでもえいのよ」

「わかった。龍ちゃんがそれほど言うならやってみるか。多分、無駄やと思うけどね。唯、ノバマがどう言うか、あんたは自信あるのかね」

「そりゃあ言うてみんと判らんぞね。何事もやってみんと判らん。けんど、何とかならあね。心配しな、あっしが何とかすらあよ」

「但し、条件が一つだけある。その結果はどうであれ、それが終わったら私を過去に連れていってくれますか。わたしはアラーの神、若しくはムハンマドに会ってみたい。」

「アラーの神は無理じゃろ。アラーの神は、キリスト教のゴッドも、ユダヤ教の何とか言う神も、結局はひとつの同一神じゃ言うて聞いたけんど、いつの時代の何処行ったら会えるのか、そんなこと誰にも判らんろがね。ひょっとして間違ごうて恐竜の時代にでも行った言うたらどうするんで。今の時代に帰れるいう保障は何処にもないがぜよ。ムハンマドさんは、ひょっと彼の使いよった品物が残っちょったら、行けるかも知れんけんど、もしそれが違うちょったら、へちの時代に行ってしまうぞね。まあそれはそれで、えいのかも知れんけんど、恐竜の時代は困りますろう」

「わたしも今の時代がいいと思ってるわけでもないし、どうしてこんなことになったのか、ムハンマドに実際に会って、是非訊いてみたい」

「わかった、わかった。約束すらあよ。ほいたら、指切りやろうか。ほら、おまんも立ってみいや。いくぜよ。指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます!」

イスカンダルもふにゃふにゃと言いながら、龍馬のやることに従った。しかしその『指切りげんまん・・・』をシオリさんが何と通訳したのかは知らないが、それが終わるとイスカンダルは、喉に、針か何かとんでもないような物を飲み込んで苦しみ悶えるようなジェスチャーをした。彼も結構剽軽である。


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 龍馬は、イスカンダルがノバマ大統領との会談を終えるまではこのアボッターバードの要塞のような邸宅を拠点として活動することとなった。どちらにしろ大統領に会うとなればその準備としてそれなりのコネクションや手引きが必要なわけで、日本の幕末ならともかく2015年のパキスタンにあって、何の足掛かりも人脈もない龍馬が一からそれを始めるのは至難の技であった。ここでもやはり例の手を使って、大統領の意思や都合に関係なく、有無を言わさず強引にでも会ってしまい、そこでもって龍馬の最大の武器である、人たらしの才を存分に発揮するしかなかったのである。


その翌日、龍馬がイスカンダルに依頼して合衆国大統領ノバマの今現在の所在や近い将来の行動予定を事細かに調べてもらったデータをパソコン に向かって確認していると、一階の最も分厚い塀に囲まれた玄関付近で数発の銃声がした。何事かと龍馬が駆け付けたところ、現場は既に収拾していて跡形もなく片付けられていた。

「まあビックリしたぜよ。何事ぞね」

龍馬が、これもやはり現場の確認に駆け付けたイスカンダルに訊ねる。

「いや、何でもないよ。不審者が侵入しようとしたらしい。護衛がそれを阻止しようとしたら拳銃を発砲しようとしたため、射殺したらしい」

「おまんの命を狙うものかよ。十字軍?」「おそらく十字軍だろう。イスラームで私を狙う者はいない。どうやら東洋系らしい。今から遺体を確認するが、一緒に来るかね?」

「東洋系かー、行ってみろうか」

遺体は倉庫のようなところに置かれていて、茶色っぽい布が掛けてある。

胸から腹の辺りにかけて幾つかの銃弾を受けた跡があり周りに血痕が滲んでいる。

最後に龍馬は侵入者の顔を見た。やはりそれは後藤象二郎こと、幼馴染みの保弥太であった。保は穏やか顔をして静かに眠っていた。彼も独自でタイムスリップの技術を身に付け、龍馬を暗殺すべく時空を超えて付け回しその機会を狙っていた。龍馬の目には薄っすらと涙が浮かんでいた。本当は彼も悪い人間でないことは龍馬もよく知っていたし、もっと早く彼と腹を割って話し合うべきであったと、龍馬は今、自責の念に苛まれていたのだ。

「これは、あっしの友だちぜよ」

そこにシオリさんは居なかった。だから龍馬は片言のアラビア語でイスカンダルに話した。

「なんと、それは失礼した。何せ、何も言わずに拳銃で抵抗したらしいから・・・」

そのときシオリさんが漸くやって来た。そしてふたりの通訳を始めた。

「いや、いや、えいがよ。この保は、あっしを暗殺しに来たがやき、えいがよ。おまんらあのしたことは間違いじゃないがよ。彼も150年前から来たがやき、死体があがっても身元は絶対に割れることはないがよねえ。このあっしも同んなじじゃ。まあねんごろに葬っちゃってや」


後藤保弥太の遺体はイスラームのしきたりに従い、その日の内に近くの丘に土葬された。それには龍馬も同行して深い祈りを捧げた。後藤象二郎は幕末から龍馬を追って時空を何度も超え、そして2015年8月、パキスタン北部のアボッターバードで銃殺されてその生涯を閉じた。これはつまり、幕末に分岐したもうひとつの世界、後藤象二郎が突如として行方不明となった世界の出来事である。

それから一両日、龍馬はイスカンダルの要塞に留まってパソコンに向かい、合衆国大統領ノバマの動きを事細かに探りながら、ワープの機会を窺っていた。

イスカンダルとそれを取り巻く人びとは、龍馬に対しては概して好意的で、特にイスカンダルの4番目の妻と言われるレイラという女性は、アバヤという民俗衣装に身を包み顔は目の部分しか見えないが、優しい眼光で物腰も柔らかく、彼女がよく龍馬の身の回りの世話をしてくれた。

彼らの食事は、大抵がピタという平べったいパンと、スブラキといって日本の焼き鳥のようなもの、勿論肉の種類は羊肉とか豚肉が主だが、そんなものをピタに挟んで、サンドイッチのようにして食べる。それと、豆を潰して揚げたコロッケのようなものもよく食べていた。味としても悪くはない。しかしそれにしても茶をよく飲む。なんかと言えば茶を飲んでいる。龍馬も勧められれば小さいカップに1,2杯は飲むが、断り方を知ってから、それ以上は殆ど断ることが多かった。

それに女性たちは殆んどしゃべることがなく、こちらから話し掛けても必要最小限な返事しか帰って来ない。いかにも男に仕えてるといった感じがするが、その従順さの裏に存在するであろうイスラームの女性の秘められた感情が、日本の女性からは感じられない無気味さとなって龍馬を不安がらせた。

「あなた達は、何故妻をひとりしかめとらない?私のように何人もめとったなら、何時も新婚さんのような気分でいられて、若々しさを保っていられるのに」

イスカンダルはことあるごとにそんなことを言って龍馬たちの笑いを誘う。実際彼は6度の結婚をし、6度目の妻アイーシャは未だ20代と、彼からしてはとんでもなく若くて、今でも彼はバイアグラを常用しながら毎晩彼女とベッドを共にしているらしい。とんでもないエロジジイだと思いつつも、龍馬としてもその気持ちは解らぬこともなく、英雄ならずとも男なら誰でも憧れることなのかも知れなかった。

ヤマガラの世界でも一夫一妻が基本だが、おいらだけは2号までいるわけで、決してエロジジイではないが、鳥類の英雄になる日も近いのかも知れない。

ところで、今ここにいるイスカンダルの三人の妻たちのうち、ごく最近になってこの要塞に合流したという3番目の妻ジャミーラは、彼女もやはりアバヤに身を包んでいてその表情までは判らないが、彼女を取り巻く空気がどことなく緊張していて、龍馬は個人的に酷い殺気を感じるのであった。剣術を修める身として第六感が働いているのかも知れないが、これはやはり一夫多妻に浮かれるイスカンダルに向けてのものに相違なく、龍馬としては取り敢えずはこれを阻止する手立てを急ぐ必要があった。


時を置かず、龍馬の第六感はどうやら的中したようだった。

龍馬がアボッターバードの要塞に来て1週間も経たないある日の夜遅く、午前0時は少し回っていたから夜中と言ってもいい時刻に、複数のヘリコプターの爆音が徐々にこの要塞に近付いて来るのが判った。その時龍馬はいつものようにパソコンに向かってノバマ大統領の動きを逐一探っていた。合衆国のワシントンとパキスタンのイスラマバードとは10時間程の時差がある。ワシントンは今、午後の2時過ぎである。ノバマ大統領は今、どうやらホワイトハウスに居るようだ。龍馬は今夜ホワイトハウスにワープする積もりで計画を進めていた。それにはイスカンダルの三番目の妻ジャミーラの、日に日に追い詰められていくような堅い眼差しも、龍馬の気持ちを急き立てる原因のひとつになっていたのだった。

ヘリコプターのけたたましい飛行音が要塞の真上付近で止まったように聞こえた。

その瞬間至近距離での銃撃戦の激しい音が要塞中に響き渡り、窓から外をこっそりと覗くと、どうやら要塞の屋上付近と二機のヘリコプターとの間で銃撃戦が繰り広げられている。

咄嗟に龍馬はイスカンダルの部屋に駆け付けた。イスカンダルは既に起きていて、彼の部屋のソファーに座り、六番目の若い妻アイーシャと静かに向かい合っていた。龍馬には、彼らは既に覚悟が決まっているように見えた。

「何をゆっくりしゆがぜよ!こりゃあどうせ十字軍がおまんを殺しに来たがぜよ。早ように逃げないかん!あっしが今からおまんを連れてタイムスリップするき、こっちへ来て、早ように来て!」

ちょっと待ってよ、と龍馬は通訳のシオリさんの部屋に駆けつけドアを開けると、彼女は怯えきったようにベッドの隅に丸まっていて、龍馬だと気付くと彼の側に駆け寄って来た。さすがの彼女もガタガタと大きく震えている。

「さあ、あっしにしっかり掴まっちょきよー!」

そう叫びながら龍馬は、両手でそれぞれイスカンダルとシオリさんの手をしっかりと握り、三階への階段を駆け登った。

そのとき龍馬は、咄嗟の機転からヘリコプターから発せられる爆音の音波と巨大な回転翼から吹き下ろされる風圧をタイムスリップに利用することを思い付く。彼らは龍馬の指示で、三階の部屋の全ての窓を開け放ち、それぞれ自らの波長を懸命に調整しようとする。そして遂に、三人がワームホールに吸い込まれる瞬間、イスカンダル最愛の六番目の妻アイーシャが部屋に駆け付けて来るのが見えた。するとイスカンダルは彼女に向かって「ウヒッブキ(愛してる)、アイーシャ!」と叫ぶ。それにつられて龍馬も「お龍ー!」と叫んだ。ところが、事もあろうに龍馬のその一言が量子もつれを起こしてしまい、アメリカ合衆国ノバマ大統領のところにワープするつもりの一行が、時間の『今の断面』を横滑りすることなく幕末まで、しかもその時ちょうど京都の寺田屋にいたお龍さんのもとにタイムスリップしたのである。


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龍馬とイスラームのテロ組織アルサラーマの司令官イスカンダル、それに通訳のシオリさんの三人は、1867年暮れ、龍馬が京都近江屋での京都見廻り組による襲撃から好さんと大さんに助けられ、辛うじて知恩院の宿坊に逃れ、更に彼らの手引きによって2014年の星が丘の狸狐庵山荘にタイムスリップした、その直後の京都にタイムスリップしたのである。だからそこには好さんも大さんも居ないということになる。

「ありゃあー?こりゃあしもうた、ばっさりいた。どうやらこりゃあ幕末の京都ぜよ。しかもここは寺田屋じゃき、今ここにお龍がおるいうことぜよ。タイムスリップの直前にあっしが、お龍ー!言うておらんだががいからったがじゃ。けんどまあえいわ、ここはあっしの庭みたいなもんじゃきに、イスカンダルさんを方々に案内して、新しい文化との融合なり、新しい政治形態の、そのいわゆる西洋の民主主義をどうやって日本が取り入れたかを見てもらいたいねえ。そうそう、あっしが夕顔丸で考えた、新政府綱領八策も見てもらわんといかん」

正に独壇場となった龍馬が立て板に水の如く話すことを、出来るだけ正確に通訳しようとするシオリさんは、アボッターバードの要塞での恐怖、そのあとのタイムスリップの見知らぬ体験、そんな極限状態でも決して冷静さを失うことなく、そのプロ意識は誠に見事なものであった。更に京都の冬は底冷えがした。龍馬は我が家に入るようにして、つかつかと二人を連れ寺田屋に入って行く。船宿寺田屋の中も薄暗く閑散としていて、龍馬が去年の初め幕府の伏見奉行に襲われ、お龍の活躍で一命をとりとめた頃の寺田屋とは随分様子が異なっていた。と言うのも、それは龍馬がタイムスリップして2014年の狸狐庵山荘にいるときに歴史書で読んだことだが、大政奉還後も京都を中心に旧幕府と新政府との間で小競り合いが続き、その翌年の1868年1月初めにはこの寺田屋の近くで、いわゆる鳥羽伏見の戦いが勃発し、そしてその戦火のなか、寺田屋の建物が消失するというショッキングな出来事が起きるのである。勿論これは確率によって分岐する多世界のうち、いずれかのところで起きる出来事であって、今龍馬が居る世界で確実に起きると限った話ではなかった。

「おかあー!おるかよ。あっしじゃあ、龍馬が帰って来たぞね」

寺田屋の女将、お登勢がのそっとした感じで暖簾を潜って出てきて、そして龍馬を見た途端急に元気になって、「龍馬、何処行っとりましてん、お春ー、龍馬はんが戻って来やはったよー」

お春とはお龍のことで、この寺田屋ではそう呼んでいた。それもやはり、龍馬は常に、新撰組など幕府方から追われる身であって、その妻であるお龍は少しでも目立たないようにと、彼女を預かる寺田屋では変名を使っていたようである。

こうして龍馬は1867年暮れ、京都寺田屋に於いてお龍さんと再会を果たすのであるが、龍馬にとってはタイムスリップしていた関係上お龍さんとは随分久しぶりということになり、一方のお龍さんにとっては、数ヵ月前に下関に拠点を置く亀山社中で会ったばかりということでそれほど懐かしいというほどのものでもなかった。しかし真実というものは肌で感じるものらしく、お龍にしても随分と長い間龍馬に会ってなかったような気がするから不思議なものである。

龍馬が知恩院から未来にタイムスリップしてから今までわずか一ヶ月くらいしか経っていない。しかしその間龍馬は2014年の狸狐庵山荘で一年余りを過ごしており、だから龍馬はお龍やお登勢より一年位は年が余計にいっているということになる。

「友達連れて来たきねえ。こっちはイスカンダルさんいうて、インドのまだ向こうの、アラビアから来た偉い手じゃあ。こっちは通訳いうて、言葉が解らん時に外人さんが言いよることを説明してくれる人やけんど、シオリさんいう名前やき、よろしゅう頼むぜよ。これは・・・、ここの旅籠の女将で、お登勢さんや。あっしはおかあいうて呼びゆけんど。ここにおるのはお龍いうて、あっしの女房や。ああ、そうそう、お龍はここではお春と呼んじゃって」

「まあ、立派な体格の外人さんやんか、顔も男前やし、それにしても髭が凄うおますなあ」

イスカンダルの身長は、なんと194㎝というから凄い。龍馬の背丈が今で言う176㎝、江戸時代の男子の平均身長160㎝以下の中にあって押しも押されぬ大男であった、そんな龍馬と並んでもその差は実に20㎝近くもあったわけで、普通に立つと頭が天井につっかえるため、屈んだり頭を斜めに傾けたりしていて、江戸の女たちからすれば殆どそれは巨人か化け物のように見えたに違いない。

「まあ、詳しいことは後にして、兎に角冷ようて腹が減ったきに、おかあ、鍋でも食わしちゃっとうせ」

「あんたら、薄着どすなあ。それじゃあ寒うおすわ。鍋どすか、何の鍋にしまひょ?」

「そうやねえ、この前峯吉にシャモを買いにやってそのままになっちゅうき、シャモ鍋でもやってもらおうか」

「シャモ鍋どすか、よろしおす。取り敢えず上がっておくれやす。峯吉ー!ちょっくら使いに行っとくんなはれ」

龍馬にとって、どことなく懐かしい風景だった。

未来に出版される龍馬暗殺に関する歴史書によれば、1867年の11月15日、龍馬が暗殺されたとされる日の5つ半時、菊屋峯吉は龍馬に頼まれて四条小橋のたもとにある鳥新にシャモ肉を買いに行く。

その間に龍馬と中岡慎太郎が暗殺され、近江屋に戻った峯吉はそれを知らせに裸馬に乗り白河の陸援隊まで駆けつけることとなるのだが、この多世界では、好さんと大さんの活躍により近江屋の一階に火が放たれ、危うく龍馬と慎太郎は難を逃れる。そして町火消しが消火活動に当たっているところに峯吉が帰ることになる。

「峯がおるがかよ」

峯吉が奥から出てきて、「坂本先生、あれから何処に行かれてました。随分と心配しました」と峯吉は少し涙ぐんだように見える。「そうか、すまんすまん。ちっくとあし、勉強しに未来へ行っちょったぜよ。ところで峯、あのシャモの肉はどうなったがぞ」龍馬が笑いながら峯吉をからかうが、峯吉はにこりともせずに、それはーと言い、すぐさま横からお登勢が助け船を出す。

「あの小火のあと、近江屋はんから頼まれましてなあ、坂本はんが戻るまでや言うて、峯吉を預かることになりましてん。峯吉、ほならシャモ肉を7人前ほど買うて来ておくれ」


その夜寺田屋では、シャモ鍋を囲んで色んな話で盛り上がった。やはり主役は異彩を放つイスラームのイスカンダルで、通訳のシオリさんの魅力もさることながら、イスラームの女性の話や日常生活の様子などは、周りの江戸の庶民たちを退屈させなかった。ただ、タイムスリップの話になるとお登勢やお龍といった女性を中心に、いつもの龍馬の殆ど夢や空想に近いような突飛な話だと思ってる様子で、へーとは言って驚いた振りはするものの、龍馬のいつもの癖がまた始まったみたいな、半分呆れたような素振りも見せるのだった。

その脇で、龍馬の凄さを身をもって痛感している峯吉と、龍馬が寺田屋に現れたという知らせを聞き急きょ駆け付けた元力士の藤吉は、一段と目を輝かせて聞き入っていた。

「ここら辺で、薩摩と幕府軍は衝突しゆかよ」

「表立っては、やってまへんけど、大勢の兵が街中をうろついてますねえ」

峯吉は以前より龍馬たちの情報屋みたいなこともやっていて、そこら辺は鋭い観察力を持っていた。やはりこの寺田屋が、あと20日程したら焼失するのは間違いなさそうである。龍馬は取り合えず今年中にここを引き払い、全員で移住するよう助言した。


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その翌日から龍馬は、幕末から明治にかけて日本がどのように歩を進め変遷を遂げたのか、そのなかで自分はどのような行動をとったのか、そして、イスカンダルに最も伝えたかった、その変革の必要性、何故徳川幕府のままではいけなかったのか、そんなお堅い話をアルサラーマの司令官に訴え続けた。

龍馬自身、江戸幕藩体制が日本人の体質には最も合ってるものだと思っていたし、今でもそう思っている。それでも彼は変革の先頭に立ってその役割を果たしてきた。何故か?理由は簡単である。周りがそれを許してくれなかったから。国の違いはあれ、我々が地球人類であることに変わりはなく、ということは当然地球単位で物事を考えなければならないことになる。

タイムスリップやワームホール、延いては余剰次元のことにまで話が及ぶなら、出来れば宇宙単位で 物事を考えたい。龍馬が2014年に狸狐庵山荘で学んだ量子論に従えば、すなわちそういうことになる。

龍馬が夕顔丸で後藤象二郎に託した船中八策、そしてそれを元に作られたという五ケ条の御誓文をシオリさんに噛み砕いて説明しながらアラビア語に翻訳させた。イスカンダルは想像以上に勤勉で、様々なことを素晴らしい集中力で理解し、吸収していった。しかしそこにはシオリさんの並々ならぬ苦労と努力が常に存在していたことを忘れてはならない。

夜は夜で、ふたりで芸妓遊びに明け暮れる。初日はイスカンダルも不安だったのかシオリさんを通訳として伴ったが、二回目からはもう大丈夫とばかりに龍馬の案内で祇園界隈から先斗町辺りにかけて、これもまた常人の及ばぬような集中力で遊び呆ける。

なかでもイスカンダルは花見小路にある『仲松』というお茶屋の吉福という芸妓に夢中になってしまい、龍馬を毎晩のように誘って、もはや入り浸り状態であるが、龍馬としては文化が偏らないようにと、茶の湯に連れて行ったり寺院を巡ったりもしたが、良きにつけ悪しきにつけ世界を動かすこれ程の大業を成し遂げようとする人だけあって、物事に対する洞察力が優れていて、例えば茶道なんかの一つ一つの所作の持つ意味をいち早く肌で感じ取る辺りはさすがと言う他はなかった。

「イスカンダルさん、遊びはそこら辺にして、あっしの尊敬しちゅう勝麟太郎という人物に、いっぺん会うてみんかよ。勝先生は今、旧幕府軍の軍事総裁ちゅう役をやりよって、日本のあちこちで新政府軍と衝突して可なりのこと忙しいらしいけんど、まあ、おまさんもいっぺん会うちょく価値はあるぞね。あっしに言わせれば勝麟太郎は日本第一の人物ぞね」


鳥羽伏見の戦いが勃発して、予定通り寺田屋は焼失した。そして龍馬の助言もあってお龍やお登勢たちは事前に薩摩藩邸とか近江屋などそれぞれのところへ避難していたため幸い怪我などはなかったが、長年に亘って生活の場であった寺田屋が京都伏見から消えてしまうのは、お登勢たちにとっては遣る瀬ない気持ちだった。


「勝さんは、何処にいるんですか?江戸ですか?」

ふたり、それとシオリさんは、知恩院の近くの円山公園にあるしだれ桜の下に座って話している。以前に好さんと大さんが初めて龍馬と出会い、ヤマガラのブラッキーとホワイティーに手乗りで餌を与えたところである。

「今日は?慶応4年2月20日かえ?あっしが未来から持ってきた歴史年表に依ると、3月9日には駿府城近辺、3月13日には江戸城近辺ということになるねえ。絶対確実なのは3月13日と14日には江戸城で西郷さんと会談するということや。せやから、イスカンダルさん、8日迄に駿府にいこうじゃいか」

「駿府って何処?ここからどれくらいかかりますか?」

「駿府は江戸よりゃあ大分近いろう。大体半分位と思うが。そうじゃねえ、あっしの足なら1週間もありゃあ着けるけんど、シオリさんがおるき、12日ばあ見ちょかないかんろう」

その時、まだ花も葉もない枝だけのしだれ桜の古木にヤマガラらしき小鳥が二羽止まっているではないか。龍馬は、この二羽がブラッキーとホワイティーであることを確信した。

正にその通りで、その時おいらたちは龍馬一行と一緒に2014年のパキスタンから1867年の京都にタイムスリップしていたわけで、時空を越えて龍馬の追っかけをやっていたのである。何のために?そう、不覚にも、いつの間にやらおいらも龍馬の「人たらし」、いや「鳥たらし」にしてやられて、龍馬ファンになっていたようだ。彼の懐の深さ

その上彼は、この日のために狸狐庵山荘から持って来たビニール袋に入れたヒマワリの種を常に持ち歩いていた。

龍馬が手の平にヒマワリの種を載せて差し出すといち早くブラッキーらしき小鳥が乗って種を持っていく。次にホワイティーもそれに続く。

「えーっ!野生ですよねえこれ。どうして来るんですか?」

龍馬がその事情を事細かに説明し、

「彼らのお陰で我々はタイムスリップが出来るようになったがぜよ。彼らは我々の師匠よほら。シオリさんもやってみて」

そう言いながら龍馬がシオリさんの方にヒマワリの種を差し出す。あっしがシオリさんの手のひらに止まって種を啄んでいると、横からイスカンダルが

「私、花見小路の吉福を一緒に連れていっていいですか?駿府とかいうところに。私、京都が大好きになって、京都とも、吉福とも離れたくないです」

と駄々っ子のようなことを言い出し、それをシオリさんが丁寧に通訳する。おいらたちは放ったらかしとなった。

「なんちゅうぜよ。困ったこと言う人じゃねえ。そんなこたあいかんぞね。芸妓はん連れて駿府まで歩けるかね。そりゃあ倍ばあかかるやいか」

「タイムスリップして、時間を今の断面に横滑りします。そしたら空間だけの移動で、ワープ出来ます」

「・・・・、困ったちや、この人は。あのねえ、タイムスリップって結構エネルギー使うし、間違ごうて他のところへ行って、帰れんなったりすることもあるかも知れんがで。それに吉福さんにタイムスリップのこつを教えるのも大変なんやから。駄目駄目。諦めとうせ」

「それなら私は行きません。さようなら」

「・・・。なんちゅう人やろう、この人は。判った判った!ほなら、吉福さんに、なるべく速う歩け言うてよ」

とは言うものの、一行は京都から駿府までの道程を結構楽しんでいた。その時龍馬は、いろは丸からの賠償金の一部を京都の紀州藩邸から立て替えて貰い、可なりの大金を手にしていて、全員が馬で行くことも出来たのだが龍馬には意外とけちな部分もあって、駕籠とか馬は一切話題にものぼらなかった。それにしても如何にも華奢に見えて、みんなが心配していた吉福さんがことのほかたくましく、それもその筈、丹波の国の出で子供の頃から野山を駆けずり回って育ったというから、年齢的に体力が下り坂に入っているイスカンダルを昼夜を問わず労りながら旅する姿も頷ける気がした。

宿場々々でご当地の旨いものを食べ、夜は旅籠で祇園ナンバーワンの芸妓吉福の踊りと酌でどんちゃん騒ぎ、特にイスカンダルにとっては堪えられない旅となった。

しかしイスカンダルが最も感動したのが、ご多分に洩れずやはり富士山だった。イスカンダルは「ジャミール!ジャミール!(アラビア語で美しいとか素晴らしいの意)」を連発した。シオリさんも吉福さんも富士山を見るのは初めてらしく、雪を被った富士山の圧倒されるようなその美しさに一同は、駿府に着くまでずっと目を奪われ続けた。


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「坂本君、元気でしたか。今日本は、君たちの努力で大政奉還もなされ、明治政府が発足したということになってるけど、まだまだ、徳川幕府が終ったわけじゃない。これから先、どう決着を着けるのか、このおいらに、将軍様から全権委任てところなのさ。だからあんたの力が借りたいと思ってたところなんだ。いいところに来てくれた。ところで、そちらの馬鹿でっかい外人さんは誰?えげれす人かね、それともふらんす人かね?ふらんす人ならおいらたちの味方だけどさ」

「この人はイスカンダル言うて、サウジアラビアの人」

「何だって?何アラビア?」

「サウジアラビアは、えげれすや、ふらんすのちょっと手前、お釈迦様のインドの向こうよね。この人怒らせたら、怖いぞね。何もかも爆破して、吹っ飛ぶぜよ。今それでアメリカ合衆国の大統領も困っちゅうがよ」

「アメリカの大統領て言ったら、ジョンソン大統領?」

「えーっ?ジョンソン大統領?そうか、ノバマじゃないのか」

「ノバマ?誰だよそれ」

「いんげの、なんちゃあじゃないない。ところで勝先生、これからどうするんですか?江戸城に立て籠って、徹底抗戦ですか」

「それしかないかねえ。でもおいら、それもどうかと思うんだよね。今回のいくさ、戦術的勝利は収めても戦略的勝利を収めるのは困難。我々がふらんすの支援を受けても相手はえげれすの支援を受けるから、日本を二分しての戦いになる、そんな馬鹿なことはできないでしょ。降伏ではなく、対等の条件で和解するにはどうすればいいんだい?」

こんな入り組んだ話になるとイスカンダルにはちんぷんかんぷんで、逐一シオリさんに通訳してもらわないと理解できない。しかし勝海舟はちゃきちゃきの江戸っ子だから、シオリさんにとって、話し言葉としては龍馬よりはずっとずっとやり易かった。そんなわけで、シオリさんのお陰でイスカンダルは、尊皇攘夷から始まって今現在の旧幕府軍と新政府軍とのせめぎあいに至るまでの、およその経過とその思想的背景は理解出来ていた。さすがにこの人物、世界一の大国を相手に、国家という後ろ楯もないひとりの身で、互角に渡り合うだけのことはあった。やはりそれは明晰な頭脳と生まれ持ったカリスマ性があってこそ初めて可能なことなのかも知れなかった。

そんな現在社会の生んだイスラームの異端児が、片や日本の幕末の天才勝海舟に親愛なる提言をする。

「私の学んだ戦術の中に、焦土作戦があります。これは1812年ナポレオンのロシア戦役を先例とします」

「勝先生、この人は中々の策士じゃきに、聞いてみる価値はあるぞね」

「おいらもそんな話大好きなんだよねえ、是非教えて下さい」

龍馬たちは、駿府城近くのとあるお屋敷で話している。慶応4年春のことである。折しも桜が満開で、城も屋敷もどことなく華やいだ雰囲気で、それに加えて勝麟太郎のさっぱりとした気質が輝いて見えた。

「ジャミール!ジャミール!富士山の美しさにはびっくらこいたが、この桜がまた、美しいこと!うん、吉福も実に美しい」

彼には妻が6人もいる所為か、それぞれの女性におべっかを使うことを忘れていない。因みに麟太郎にも正妻民子の他に妾が5人いた。つまりその点に関しては、両者相譲らずということになるのか。

「みんな優しいし、日本は本当に素晴らしい国です」

これはどうやらおべっかではなさそうで、龍馬たち日本人にとって何よりも嬉しい誉め言葉だった。

「そうかい、そうかい。おいらも外人さんにそう言われるのが一番嬉しいんだよ。ところで、その作戦ってーのは一体何んなんだよ」

麟太郎もノリノリになってきた。

「詳しくは後で言うとして、簡単に説明すると、ナポレオンがロシアに進軍したとき、ロシア軍の将軍が、自らは撤退を繰返しながらもモスクワの全てのライフラインを遮断し、更にフランス軍がモスクワ入りしてからは街に火を放って、木造建築の多いモスクワの街に大火災を起こし、その結果街は焦土と化した。フランス軍はロシア軍と何度も交渉をし、ロシア軍に降伏するよう促すがロシア軍は絶対に降伏しようとせず1ヶ月以上も粘った。すると逆に、困ったのはフランス軍で、ライフラインは止まってるし雨風を凌ぐ建物もない。更に食糧が底を突いてくるとフランス軍は撤退を余儀なくされた。進攻時には予備軍も含め100万を超える兵力が、モスクワ退去時には僅か兵は10万にも満たなかったと云われる。これが焦土作戦の典型的な例と言われています。どうですか、使えそうですか?私は、なんとか日本の人たちのお役に立ちたいです」

イスカンダルは、アラビア語が少しは理解できる龍馬にもちんぷんかんぷんな程早口に、しかも難解なアラビア語を捲し立て、それをシオリさんは逐一正確に、しかしそれでもところどころは訳すのに困難な言葉もあるようで、度々思案をしながらも、出来るだけみんなに解りやすい日本語を選びつつ、誠に上手に通訳していくのだった。

「そうか、そんな手もあるんだねえ。おいらたち旧幕府がろしあ軍で新政府がふらんす軍てわけか、なるほどねえ。んー、ちょっと考えさせてくんねえか。おいらがその焦土作戦とかで、現状を当てはめてみるからさ」


慶応4年(明治元年)3月13日と14日の2日間に亘り、駿府城に於いて勝海舟と西郷隆盛による世紀の会談が行われ、江戸城は無事無血開城されるわけだが、これによって江戸市民150万人の命と家財産全てが失われずに済んだのであった。

この交渉で麟太郎は、もし新政府軍がこちらの条件を飲まず江戸城を攻撃するつもりなら、我々は江戸市民を千葉に避難させておいてからそのあとに新政府軍を誘い込み、武器や食糧もろとも江戸市中に火を放って江戸を焼け野原にし、敵軍を壊滅させるがどうする、と西郷に決断を迫った。実際麟太郎は交渉に先立ち、町火消し『を組』の長、新門辰五郎に大量の火薬を準備させ、また市民が千葉に移動するための数多くの船や食糧を用意していた。まさにこれはイスカンダルが伝授した焦土作戦そのものだったのである。


西郷隆盛との交渉に見事成功を収めた麟太郎に竜馬が、

「おまんらあふたりは、女たらしのくせして中々やるよ。結局なにか、女たらし言うても人たらしの内じゃきに、おんなじということか。シオリさん、気ー付けよ。二人とも中々のもんじゃきねえ」

と茶目っ気たっぷりに褒め称えると、麟太郎は高笑いするが、一方のイスカンダルにシオリさんがどのように通訳したのかは知らないが、彼はひとりで愉しそうに手をたたいて喜んでいた。


女たらしが縁なのか、どちらにしろイスカンダルと麟太郎はそれぞれ舞台も時代も違うが、共に傑出した人物であることに違いはなく、そんな共通点はお互いを引き寄せたり反発し合ったりさせるものらしい。

「イスカンダルさん、これからもご指導よろしくお願いしますよ。顔は柔和なんだけど、眼光の鋭さが違うねえ、あなたは」

「いやいや、私はロシア戦役の例えを言ったまでのこと。それを見事にやってのけたあなたは大したもんだ。しかも一人の犠牲者も出さず、それに一軒の家も焼き払うこともなくにです。私は今回、戦わずに話し合いで問題を解決することの大切さを学びました。いい勉強になりました」

そう言いながらイスカンダルは麟太郎の方に右手を差し出し、そしてふたりはかたい握手を交わす。「おーっ!シェークハンドぜよ。あっしも仲間に入れとうせや」

そう言いながら龍馬もふたりと握手を交わした。


「イスカンダルさん、あなたに上様に一度是非会って頂きたい」

「上様?」

「幕府の一番偉い人、徳川慶喜というお方です」

「いや、私は今から行くところがあります。ご免なさい。又の機会にしてください。ご免なさい」

「何処に行くんですか?」

「アメリカ合衆国の大統領に会う積もりです」

「へーっ!驚いたなこりゃ。ジョンソン大統領に会うのかよ。おいらだって会ったこともないのに。何で?どうやって会うの?」

「私だってアポがあるわけではありません。突然ホワイトハウスに行くつもりです。タイムスリップで龍馬さんに連れてって貰います」

「言ってることがさ、さっぱり解んねえんだけどさ、まあいいや、ところで坂本くん、大統領に会ったらさ、日本のことをよろしくって言っといてよ」

「解りました。大統領閣下に伝えておきます」

清々しい江戸の町、いや新しい東京の夜明けだった。

しかし、このような麟太郎たちの懸命の努力にも拘わらず、旧幕府軍と新政府軍との攻防はその後も舞台を北に移して繰り広げられ、多くの人々の命が失われていったのである。


                   33


2015年夏、ホワイトハウス、アメリカ合衆国大統領ノバマは、副大統領他政府高官たちとトップ会談を開いていた。

「スミス長官、Operation Zeus Tears( 『ゼウスの涙』作戦)の失敗の最大の原因は何なのか、分析結果は出ましたか?」

ノバマ大統領がスミス国防長官に訊く。

「はい、大統領。懸命にその原因究明と調査分析を進めましたが、全くわかりません」

「失敗の原因は?その原因すら判らないって、一体どういうことなんだ?イスカンダルは確かにあの要塞に居たんだろう?」

大統領の口調には、ほんの少しの苛立ちが窺われる。

「特殊部隊のメンバーのうち、5名以上はあの要塞でのイスカンダルを確認しています。そしてイスカンダルと東洋系と思われる側近一人、それとこれも東洋系の女性通訳、その三人が三階南側の居間に入ったところまでは確認されていますが、その後の三人の足取りが全く掴めていません」

「その部屋に、隠し扉みたいな逃げ道は?」

「この要塞はその後直ちに、綿密な調査の末取り壊されましたが、逃げれるような通路や部屋は確認されておりません」

「そんな馬鹿な話があるのだろうか、クーパー長官。まさか消えたわけでもないでしょう?」

今度はCIAの長官が指名された。

「はい、大統領。ところが、特殊部隊のメンバーのひとりの証言によると、三人が飛び込んだ居間のドアを開けた瞬間、三人が共に消えるのを見たと言うんです」

「そんな。それで、その隊員の精神鑑定はしたんだろうな。緊張の余り頭のヒューズが飛んじまったんじゃないか?ねえ副大統領、君はそんなことを信じるのかい?」

マウスフィールド副大統領は黙って話を聞いていたが、というのも会議に先立ちクーパー長官からその情報を受け取って、今のノバマ大統領と全く同じ質問を発していたのだった。「はい、大統領。私もその事を聞いて、精神鑑定を受けるように言ったんですけど、既に鑑定は受けてまして、担当医師からは全く異常は認められないとの報告を受けています」

ノバマ大統領はその時、自らの頭を抱え込む様な格好をし、判った、今日はこれまで、と言うと、さっさと席を立って大統領執務室に引き上げて行った。


「大統領閣下、私をお探しでしょうか。イスカンダルですよ」

ノバマ大統領が執務室に入り、疲れてるからとシークレットサービスを下がらせた途端、イスカンダルが大統領のところに忍び寄り、ゆっくりと声を掛けた。

大統領は驚きはしたが意外と冷静に見えた。一瞬、覚悟を決めたのかも知れない。

「イスカンダル、何でここに?」

イスカンダルも多少の英語は話せる。

「パキスタンから日本、そしてここにきました」

「どうやって?外部の者がここまで入って来ることは不可能な筈だよ」

「タイムスリップでここに来た」

「やっぱりそうか、だから要塞の居間で消えたんだね。それで?何処の国でタイムマシーンが開発されたんですか?日本?」

「あっしは、日本の坂本龍馬と申します。あっしから簡単に、説明させてもらいますと、我々のタイムスリップは、タイムマシーンではありません。我々は・・、えーっと、量子論という物理学は知っちょりますろうか、そう、その量子コンピューターの量子論を使うて、自らの波長を調節してですねえ、時空のほんの一寸したゆらぎとか歪みを見付けるがです。波長が合うて来たら波は増幅し、歪みはたちまちワームホールに成長して、あとはその中に飛び込むだけですけんど、そのときに量子もつれを利用しますとタイムスリップの行先が指定できるという寸法ながです」

シオリさんもアメリカ合衆国の大統領に通訳するとなると流石に緊張気味だった。

「よくは解らないけど、兎に角凄そうですね。世紀の大発見、もしくは大発明でしょうか。ノーベル賞どころじゃないですよ。で?、Mr .イスカンダル、あなたは私を殺しに来たのですか?」

「そうかも知れません。でも、その前にあなたとじっくり話し合いたい。私は、龍馬さんと麟太郎さんのお陰で、テロではなく、話し合いで問題を解決するということの素晴らしさを学びました。私も一度、トライするつもりです。いいですか?大統領閣下」

「勿論ですとも。それが本来我々が望んできたことなんですから。それがどう間違ってこんなことになってしまったんでしょう。こんなところではなんですから、場所を変えましょうか?」

「いや、龍馬さんの言うには、ふたりで一緒にチャレンジするとか、極簡単なことでいいから一緒に成し遂げるために、少なくとも1週間は一緒に暮らすのが一番いいらしいですよ」

「龍馬?ひょっとして、あなたは、坂本龍馬の龍馬ですか?」

「えーっ?あっしのこと知っちゅうがですか?アメリカ合衆国の大統領が」

「私は、日本の大河ドラマが大好きなんです。ですからそのDVDを借りてきて休日にはテレビの前に釘付けなんです。『龍馬伝』よかったですよ。福川雅治、カッコイイですし、いや、勿論あなたもカッコイイですよ。それ以来すっかり龍馬ファンといったところだけど、まさか本物の龍馬にこうやって会えるなんて、本当に夢みたいです。もう死んでもいい」

「大袈裟だなあ、大統領閣下も。それでは何やりますか?」

「何がいいだろう。Mr. イスカンダルの趣味は、なんですか?」

流石ノバマ大統領、切替が早く、もうすっかりその気になっている。

「私は鷹狩りが好きだねえ」

「鷹狩りか、正に勇猛果敢だねえ。ひょっとしてバスケットボールの経験はありませんか?」

「バスケットボール?それなら大学時代はNBAの選手に憧れて、それにこの身長だろう、クラブに入ってやってたよ」

因みにイスカンダルはアラビア語で、ノバマ大統領は英語で話しているが、シオリさんは日本語、アラビア語、英語の三ヵ国語を操るわけで、彼らに何の不自由もなかった。

「決まりだねえ!僕と一緒にバスケットボールをやろう。僕が休みの日に、健康維持のために参加してるバスケットのチームがあるんだ。そこで、今から一週間みっちり練習して、対外試合に挑んで勝利を目指すっていうのはどうだい?」

「いいかも知れないね。でも、私も50を過ぎたし、体が動くかなあ」

「チーム全員が45歳から55歳までの、いわゆるOBばかりだから、みんなが健康維持のためにやってるみたいなもんです。多分大丈夫だと思いますよ」

彼ら二人には5歳の年齢差があった。そして身長はイスカンダルの方が10センチ程高かった。イスカンダルの194センチという身長は、長身が揃うチームのメンバーの中でも一二を争う高さだ。「まあ、私がバスケットやってた頃からいえば、もう30年近くになるけど、その間ハードな逃亡生活だからなあ。バスケットの練習の比じゃないんだよね、Mr.ノバマ」

「いやいや、恐れ入ります。体力は筋金入りってところですね」


その翌日からノバマ大統領とイスカンダル、それに龍馬とシオリさんも一緒に、合衆国大統領の別荘であるキャンプデービットに移動した。

勿論ノバマ大統領は、その間、1週間全ての公務を休んだ。それはノバマ大統領が、中東のアルサラーマとの関係を如何に重視しているかを物語るものである。しかもこの合衆国大統領とアルサラーマ司令官との行動は、極少数の側近を除きトップシークレットとして扱われたことは言うまでもない。


キャンプデービットはワシントンDCから97㎞程離れたメリーランド州のサーモント,キャトクティン山岳公園内にある。標高は5,6百メートル位だが季節は夏、下界よりは3度くらいは気温が低いとは言え、体育館のなかは矢張暑い。

ふたりは連日バスケットボールの練習で滝のような汗を流した。その側で龍馬とシオリさんは卓球を始める。高校時代に卓球部だったシオリさんが、体育館の角に卓球台があるのを見付けて、生まれて初めての龍馬に手解きしたのである。イスカンダルとノバマのバスケットボールの練習を横目に見ながら、いわゆる温泉場のピンポンから始めた龍馬だったが、段々とラリーが続き出すと彼の本気度が増してくる。


「Mr.イスカンダル、あなたは少し、ダンクシュートにこだわりすぎてないかい?」

休憩時間にノバマ大統領がイスカンダルに声を掛ける。

「私の身長が凡そ195センチ、手を上に伸ばしての最高点が255センチ、私の垂直ジャンプ力が70センチだから、合計で?325センチ?。リング迄の高さが305センチで、それから20センチだけ手首が上に出たらダンクが出来る計算だから325センチ?どうだい!可能な数字だろう?事実、私の現役時代はタイミングさえ合えば、たまにはダンクが出来ていたんだよ。これ、本当の話なんだから」

「へー、凄いなあ。まるでNBAの世界!ダンク、私もやってみたい。兎に角カッコイイよねえ、ダンクは」

「ああ、でも、50過ぎると人間衰えるもんだね。背は未だ縮むわけでもないだろうけど、ジャンプ力はねえ、確実に減退してるね。若き日の夢はここまでだな。今からは勝利を目指して死ぬ程練習しよう。私は今、自分の限界に挑戦してみたくなった。Mr.ノバマは、プレーが少し堅実過ぎるね。きっと頭がいいんだなあ、君は。もう少し、夢を持ったプレーぶりも見たいもんだねえ。君の場合私よりは身長が10センチくらい低い。でもその代わり、それを補うだけのジャンプ力がありそうだ。頑張り次第では、ダンクも夢ではないだろうけど、でも私も今回の目的はよーく解ってる。短期間の練習で試合を勝利に導くことだよね。お互いダンクシュートは次回への課題ということにして、今は今度の日曜日の試合に勝つことにターゲットを絞って、そのための練習に専念しようじゃないか。兎に角時間がないからね」


ふたりの意見が食い違う場面も何度かあったが、そこは目標が同じということでなんとか妥協は見いだせるもので、結局はそのことがお互いの絆を強めることにも繋がり、言葉は悪いが、そこら辺は龍馬の目論み通りだったと言える。

ふたりは共に経験者ということもあって、ノバマ大統領は勿論イスカンダルもなんとかレギュラーの座を堅持して、チームは日曜日の大会に臨む。

8チームが参加して、トーナメント方式で争われ勝者を決める。つまり3回勝てば優勝ということになるが、ノバマとイスカンダルが所属するアリゲータという名のチームは、初戦ではドラゴンテイルという中国系アメリカ人を中心メンバーとするチームを簡単に退けるが、二回戦では三度の延長戦の末、地元メリーランド州のブルークラブ(青い蟹)という優勝候補筆頭のチームに辛勝した。

そして決勝戦。ギャラクシーというノーマークだったチームが運を味方に快進撃を見せ決勝まで勝ち進んでいて、前評判通り順当に勝ってきたアリゲータとの決戦となった。アリゲータは優勝候補の一角にはあったが、イスカンダルの加入もあって出場選手の平均年齢が8チーム中最も高く、スタミナ面が心配されていた。しかし、『私は今、自分の限界に挑戦してみたくなった』というイスカンダルの決意は、半端でなく固く、確かに色んな面での衰えというものは、彼にも着実に忍び寄っている筈だったが、彼の強靭な精神力はそれらのものを完全に埋没させているかに見えた。そして決勝戦序盤はアリゲータが圧倒的優位に試合を進めていた。ところがアクシデントは第3クォーターに入ってから起きた。大量のリードに気をよくして、アリゲータの選手たちの心に油断が生じたのかも知れない。目に見えて試合運びが雑になり、特にイスカンダルが無謀なダンクシュートに失敗して相手に不用意な得点を与えてからは、一気に流れが変わってしまった。これを遠回しにノバマが咎めたところ、イスカンダルが逆上してしまい、一触即発の危機となった。こうなってしまうとリズムは中々取り戻せず、試合はそのままギャラクシーのペースで進んで、アリゲータはゴール目前で逆転を許し、惜しくも優勝を逃してしまった。

惜敗したとは言え、ノバマとイスカンダルの表情は充実感に満ちていた。二人はコートの中央でどちらからともなく抱き合っていた。そして、こんな二人の満たされた敗北は、地球規模の大きな勝利に繋がる予感すらあった。そんな事情を知らないメンバーたちもノバマとイスカンダルの健闘を称えるかのように、全員がふたりに握手を求めてきた。そして誰が言い出すともなく、ふたりの胴上げが始まった。その姿を優勝チームギャラクシーの面々が呆然と見守る。惜敗が優勝を凌駕する。敗北は大きな何かを残し、勝利はそれで終止符が打たれる。そんなこともある。

「こりゃあ皆んなあ、中々やるぜよ。そこまでやらいでも、よさそうなもんじゃにねえ」

龍馬はシオリさんにそんなことを語り掛けながら、それでもいそいそとその輪の中に加わって行く。

その様子を見ていたシオリさんは持っていた卓球のラケットを握りしめたまま、やっぱ、坂本龍馬は凄いわ、と思わず涙ぐむのであった。


そのあとアメリカ合衆国大統領ノバマとアルサラーマのアミール、イスカンダルは、土佐の坂本龍馬立会の元、お互いの或いは世界全体の平和維持のために全身全霊を捧げることを誓った。そんな多世界がここに繰り広げられた。

                  

 34


またしても大業を成し遂げた龍馬は、キャンプデービットでもう少しゆっくりとしていってくれというノバマ大統領たち一行に、あっしにはまだやることが山程残っちゅうぜよ、と木枯し紋次郎のような粋ないとま乞いを残し、大統領専用の別荘を後にした。

勿論龍馬は、今から日本の幕末、江戸に住む千葉さなさんの元にタイムスリップするつもりであったが、その方法をあれやこれやと考えるなか、今日昼間バスケットボールの試合をやっていた体育館の片隅に置いてあったトランポリンに目をつけていたのである。バスケットボールの試合観戦をしているうち、オフタイムなどにシオリさんがトランポリンを気持ち良さそうに跳んでいた。龍馬は何気無しにその景色を見ていて、これだと思った。そのジャンプによって創り出されるリズムは完璧に波として応用できる様に見えた。

龍馬は、シオリさんが密かに彼のあとを付けているのに全く気付いてなかった。

彼は単独で幕末にタイムスリップするつもりだった。シオリさんは元々この時代の人である。しかし彼女は龍馬のあとに付いて行くと言って聞かなかった。龍馬はそれを固辞し、こっそりと大統領の別荘を脱け出したのだ。あとを付けられていることに気付かないのは武士にとっては致命的と言わざるを得ず、しかもそれが『くノ一』ともなれば武士の恥と言っても過言ではない。

龍馬は早朝の体育館で一人でトランポリンの跳躍を始め、一分程して彼なりに一定のリズムが創れ始めた頃、突如として空中に突き刺さるようにして彼の姿は消えてしまった。

これらは全て、トランポリンの間近の壁の陰に身を隠し、そっと覗き見していたシオリさんの眼前で起きた出来事であった。彼女もパキスタンのアボッターバードの要塞から幕末の京都に、更には幕末の駿府から2015年のワシントンDCのホワイトハウスにタイムスリップした経験を持っている。龍馬と同じようにしてトランポリンのジャンプを使って彼の後を追うことには多少の自信はあった。龍馬がトランポリンの上空で消えた直後、シオリさんもトランポリンに上がってジャンプを始めた。むしろこれは当然の成り行きだった。

元々は、シオリさんが跳んでいたトランポリンを龍馬が見様見真似でタイムスリップに採り入れたわけで、トランポリンのジャンプ自体はシオリさんの方がずっと上である。それにタイムスリップのやり方やその原理については、折あるごとに龍馬からシオリさんに伝授されていて、彼女もそのレシピをメモにとりながら熱心に聞いていた。しかも龍馬がタイムスリップした直後には、その余韻として数多くのワームホールの欠片がそこら辺に散在していて、シオリさんにとってもそれほど困難なことではなかった。そして彼女は、そのなかでも比較的綺麗な形をしているワームホールを選び、更に自らの波を調整することによってそのワームホールを大きく成長させておいてから、その中に飛び込む。横から見てるとそれは単に、トランポリンの上空で人間が突然消えてしまうように見える。

こうしてシオリさんはタイムスリップに成功し、龍馬の後を追ったかに見えたのだが、しかしここで彼女は一つだけ大きなミスを犯していたのである。つまり行先を全く指定することをしなかった。こんな場合多くは、彼女の身体は、ここでは思考という行動も全てを含めて、エネルギーの塊、或いはその燃焼として置き換えられ、それらが最も量子もつれを起こしやすいところにワープする傾向にあることが推測されている。その時シオリさんが身に付けていたものの殆どが、パキスタンのアボッターバードで購入したものであり、しかも彼女はワープの瞬間、アボッターバードにある彼女のアパートのことが気になっていた。つまり彼女の身体の殆どは、無限にある時空のうち、今の断面のアボッターバードと圧倒的な量子もつれを起こしやすい条件下にあったと言える。

そんなわけでシオリさんは、元彼女のあった時空に帰って行ったのであった。

残念だが仕方ない。しかしこんな失敗で挫けるような彼女でないことはおいらも知っているし、皆さんも先刻ご存じの筈。彼女の場合、この失敗を糧にしてタイムスリップを自由に操れる日もそう遠くはないだろう。


一方の龍馬は確実に、慶応4年4月20日の江戸赤坂本氷川坂下の勝海舟宅にタイムスリップした。しかもそれは敷地内の庭だった。

「勝先生!勝先生!」大声で叫ぶが誰も出て来ない。それでも呼び続けてると、若い娘がオドオドしながら出て来て、

「どなたですか」という。

「あっしは、土佐の坂本龍馬ぜよ。勝海舟先生は、ご在宅じゃあないかねえ」

「坂本先生ですか。その頭はどうされました」

「あっしは、ちっくとハゲかかっちゅうき、バッサリ切ってしもうたがよ。そんなこたあどうでもえいき、勝先生はどうした?」「勝先生は引っ越されましたよ、駿府の方に」

「駿府?駿府から未だ帰ってないがかよ」「いや、一度お帰りになりましたが、将軍様が水戸に隠居されると聞いて、自分も一旦身を引かなければならないと言われまして、駿府の方に」

娘もどうやら、主人の行動が腑に落ちない様子だった。

「ああ、そうか。そう言やあ、何かそんなことを歴史の本に書いちょったねえ」

「え?・・」

「いや、なんちゃあじゃないない」

龍馬はその足で桶町の小千葉道場に向かう。赤坂の氷川坂下からはそれほど遠い距離ではない。江戸城の南を掠めるように東に向かえば直ぐである。

小千葉道場の入口の門を潜って、正面には井戸があり、その右手に居間、左手には広い道場があって、さなさんたちはいつも右手の居間のところにいた。

「佐吉かよ、元気にしよったかよ。重太郎先生は、居られるかよ」

龍馬は、応対に出た佐吉という若者に親しげに話し掛ける。それもその筈、彼は小千葉道場では龍馬の筆頭弟子に当たる若者だった。

「重太郎先生は、いま、鳥取藩の山国隊を率いておられまして、ここには滅多に帰って来られません」

佐吉は小柄だがバネが強く、跳躍力に優れているために間合いのある面打ちを得意としていた。

「さなさんもかよ」

「さなさんも最近道場には姿を見せません」

「ほんなら佐吉、おまんが道場の番をしゆうがかよ」

「まあ、そんなところです」

「大したもんじゃのう。もうすぐ塾頭になれるぜよ」

「いやいや、他に居らんもんで、坂本先生のお陰です。ありがとうございます」

「なんか、口の利き方まで板についてきたぜよ」

佐吉は照れ臭そうに頭を掻いた。

龍馬の弟子だけあって土佐弁の応対には馴れているようだ。

龍馬はその時、好さんと大さんとの約束を思い出した。そうじゃ、あっしは土佐へ行かないかんがじゃと。

「そうかよ。忙しいのにあんまり手間取らしたら悪いき、重太郎先生かさなさんが帰ったら言うちょってくれるかよ。龍馬は今から土佐へ行く言いよりましたいうて」

「はい。判りました。必ず言っときます。それで、こちらには、次にはいつ来られますか?」

「そうじゃねえ、まだはっきりはわからんけんど、そう先のことじゃないと思うで」そう言うと龍馬は小千葉道場を後にして、早速東海道へと歩を進める。


35


桶町小千葉道場は、お江戸日本橋から程近い。 龍馬は、2015年の未来に、土佐の太平洋が見える山の上にある狸狐庵山荘で様々な未知の出来事に遭遇し、タイムスリップを初めとしたありとあらゆる先進的な技術や知識を学んで来た。そんななか龍馬は、ふと千葉さなさんのことが愛おしくなり、それからパキスタンの要塞、幕末の京都から駿府、更には2015年のアメリカ合衆国キャンプデービットへと、次々とタイムスリップを繰返したが、その間益々さなさんへの想いがつのるばかりであった。気が強くて、積極的に自己アピールするお龍さんに比べ、さなさんは剣術も気持ちも強いが全てに控え目で、江戸の女を彷彿させる。一方のお龍さんは、さなさんとはまた別の意味で気が強くて、西洋の女を思わせる。龍馬にとってどちらも女性として魅力的だが、今はさなさんの方だった。 その想いをさなさんに伝えたくて小千葉道場を訪れたがそれも叶わず、龍馬としては多少のストレスが溜まっていた。そこで彼は、土佐迄の道程、からだをいじめることで何かのバランスを取ろうとしていたのである。

彼の場合、通常の人よりは可なり歩く速度が速かった。普通、一日32から40キロくらい歩けば十分速い方だったが、龍馬は一日5,60キロは優に歩いた。因みにおいらたちヤマガラにしてみれば、お江戸日本橋から京都まではほんの10時間ちょいありゃあ、ひとっ飛びってとこなんだが。今回の龍馬の場合、日本橋の小千葉道場を出発したのが昼八つくらい、今でいう午後2時くらいだったから、日の長い4月の末とはいえ、今宵の宿は日本橋から4里半程の川崎宿となりそうだが、取り敢えずは2里先の品川宿を目指す。それにしても久しぶりの遠路は慣れるまでは中々捗らないものである。暮七つ半迄かけて、漸く品川宿に到着した。

ここに来たらやはり、長州藩士たちの常宿に行ってやろうかと龍馬は、なまこ壁に囲まれ土蔵相模と呼ばれる北品川宿の相模屋に宿をとる。品川宿は言わずと知れた東海道の第一宿だが、それだけでなく、北の吉原に対して品川は南と呼ばれ、飯盛旅籠や遊廓も建ち並び色町としての賑わいも見せていた。そんなわけで龍馬の泊まる相模屋でも、夕食時から飯盛女のお誘いが盛んで、弥次さん喜多さんじゃないが、いちいちそんな相手をしてたらいくら金があっても足りない。

「おまん、あっしの昔の許婚に何処とのう似いちゅうのう」

「あらお客さん、お上手だねえ。それでその許婚さんとはその後どうなりました?」

「そのひとは、江戸日本橋のひとでねえ、あっしが用事で京都に行っちゅう間に別にまた、あっしに好きなおなごが出来たがよ」

「まあ、悪い男。誰だっけ?土佐の坂本さんだっけ」

「そんなことを言うたちいかなあよ、京都には、えいおなごがいっぱいおるがじゃきに」

その飯盛女は、旅籠ではお京と呼ばれていて、年の頃なら23,4のチャキチャキの江戸っ子といった風情であるが、先程から龍馬の横に座って夕食の給仕をしながら、盛んに龍馬に色目を遣っているように見える。

「それで?」

「結局ねえ、あっしもその女の色気に負けて結婚したわけよ」

「もてる男は、つらいねえ、この色男!ハッハッハッ。そうかい、あたいはそのあんたの、昔の許婚とやらに似てるのかい?」

「顔がのう、顔がちっくと似いちゅうろうかのう。その代わり性格は全然違うぜよ。性格は、どっちか言うたら今の女房に似いちゅう、そっくりじゃあ」

「それで?今夜は、昔の許婚を思い出しながら、あたいを抱いてくれるのかい?色男が」

「そうじゃねえ。抱いちゃう抱いちゃう。その代わり、あんまりもの言わんちょってよ。おまん、もうちっくと大人しい物言いは出来んがかよ」

「あたいは、あん時も騒がしいって、よく言われる。でもさ、口ん中手拭い詰め込んでさ、おとなしくしとくからさあ、御飯終わったら、お風呂入って、おとなしく待っててね」

龍馬の方も久しぶりのことで、ワクワク、ドキドキして落ち着きがない。そこでいつもより多目に酒を飲もうとするとお京は、駄目よそのまま寝ちまったらどうするんだい、と言って酒器一式はさっさと引っ込めてしまった。

仕方なく龍馬はひとっ風呂浴びに行く。

「坂本先生じゃないですか!」と廊下で声を掛ける者がいた。見ると長州の伊藤春輔である。彼は丁度その頃博文と改名した。後に日本国の初代内閣総理大臣となる伊藤博文のことであるが、それは未だ、この時点からいえば18年程先の話である。しかし龍馬は2014年版の歴史書によってそのことを既に知っている。但し伊藤博文が総理大臣とならない世界も存在するわけで、この先この世界がどのように分岐していくかは単に確率の問題であった。そしてまた伊藤博文が、凡そ40数年程先には中国のハルビンで韓国人安重根によって暗殺されることも可能性の一つとして龍馬は知っている。それら全ては単に確率的な可能性に過ぎず、知っていることに大した意味があるわけではないこと、龍馬にもそんな自然界のからくりが最近漸く見え始めていたのである。

「春輔!春輔か?」

伊藤は若い遊女の肩にしだれ掛り、酔っ払っている様子だ。

「坂本先生、生きていたんですか?長州の皆んなは、坂本先生は鳥羽伏見で戦死したんだろうって思ってましたよ。お元気でおいででしたか。いやー、よかったよかった。こっちへおいでませ。井上さんもおりますけん、さあ、こっちへ。おい、酒だ、酒の準備をしてくれ。今宵は坂本先生のお祝いじゃ。井上さーん!大変じゃー!坂本さん、坂本先生がおられるぞー!坂本さーん!・・違った、井上さーん!」

伊藤春輔は根っから陽気な男だった。

そして龍馬は井上聞多(ぶんた)と伊藤春輔の部屋に招かれ、再び酒席が整えられて、三人による酒宴での再会ということになる。「坂本さん、今何をされてますか」

井上聞多もこれは夢ではないかと、どことなく怪訝そうである。

「あっしも色々あってねえ、あっちこっちへ行っちょったんじゃけんど、取り敢えず今は土佐へ向かいゆところじゃ」

「今時代の舞台は東へ移ってますよ」

「大政奉還も終ったし、江戸城も勝先生とイスカンダルのお陰で無血開城じゃ。もうあっしのやることは終わったぞね」

「何をおっしゃいます。旧幕府軍は今、福島の方で抵抗を続けていますし。明治政府でも、坂本先生には政府の重鎮になってもらって、日本を引っ張って行ってもらわんといかんですが」

「なんちゃあじゃない。けんど、高杉さんにしても久坂くんにしても、長州はりっぱな人材を失うたぞのう。高杉さんはまあ病気じゃき仕方がないとして、久坂くんは自害してたまあるかねえ、可哀想に。あれ?春輔は、久坂くんとは松下村塾の同期くらいかよ」

「久坂さんが一つ上ですけど、私は身分が低いですき、中に入れず塾外で立ち聞きしとったです。久坂さんなんかは、勿論塾内の机に向こうとりました」

「そうかよ。あっしも土佐の郷士じゃきに、身分は低かったぜよ。お互い、なんちゃあじゃないことで苦労するのう。けんど、高杉さんらあは別にして、上士よりも我々身分の低いもんの方が、今の世の中よう活躍しゆぞのう。まあ、たまたまかも知れんけんど。そりゃあそうと、春輔は高杉さんの秘蔵っ子だけあって、ちゃんとえい仕事しゆじゃいか。これからはおまんらあが日本を引っ張って行かないかなあよ。あっしはこれからは北海道で開拓をやろうか思いゆ。まあ、そっちが飽きたらまた帰って来るき、その時はよろしゅう頼むぜよ」

伊藤博文は4次に亘り内閣総理大臣を努め、井上聞多は後に井上馨と改名して、その伊藤内閣の外相や内務相などを歴任した。これが確率でしか存在しない事実であるとしても、龍馬としてはどうしてもそのことを彼らに伝えておきたかった。

これは預言者のような、単なる知ったかぶりだけではなくて、この世界での可能性に何らかの影響を及ぼす作用であるような気がした。

思い切って龍馬は、タイムスリップのことはどことなくぼかしつつ、二人の未来については出来るだけ鮮明に詳しく話してみた。

それを終始熱心に聞いていた春輔は、「そうなればえいですね。それが現実となるように頑張ります」と言った。それはそれでよかった。この世界で、そうなる可能性が高くなるように、つまりそちらに世界が分岐するように努力することは、何よりも大切なことなのである。


「まあ、坂本様!何処に逃げたかと思ったら、こんな、他所様のところであぶらを売ってる場合じゃないでしょう。さあ、あなたの浮世床はこちらですよ。さあ、さあ、ごめんなさいねえ。酔っ払ってますのよ、坂本様は」

いきなりお京が入ってきて、龍馬を引きずるようにして強引に春輔たちの部屋から連れ出す。

もうそろそろお堅い話にも疲れてきてた龍馬は、それほど酔ってるわけでもなかったが、ここはひとつ酔った振りでもしてお京の言いなりに浮世床へと引き揚げることにした。


翌日龍馬は、伊藤春輔と井上聞多に、近い将来の再会を約束し、シェークハンドをして別れた。

品川宿を出た龍馬は、取り敢えず今日はたっぷり歩くつもりで、藤沢か平塚の宿辺りを目指して東海道の旅を続けたが、これから先いくら一生懸命歩いたとしても土佐迄は2週間近くは掛かるわけで、しかも京都では、お龍を薩摩藩邸の西郷さんに預けてあって、その様子を見に寄ったり或いは彼女を土佐に同行したりすることも考えなければならない。そうなるとこの世界でもやはり、引き続きお龍と夫婦として連れ添い、一方の許婚のさなさんは裏切りっ放しということになる。それではわざわざこの幕末にタイムスリップして帰ってきた甲斐がない。つまり、どちらかを裏切らなければならないわけで、自分が近江屋で京都見廻組によって暗殺された世界ではさなさんを裏切ったのであるから、好さんと大さんの活躍で生き延びたこの世界ではさなさんとの許婚という立場を大切にして、それを貫き通す必要があるような気がした。

それにはこんなことしてる場合じゃない。龍馬は早速踵を返し、再び日本橋の小千葉道場を目指すことにした。


                  36


一方こちらは土佐藩の高知城下。おいらたちもあっちこっち時空を飛び回るのに忙しい。

折しも龍馬が品川宿から折り返し日本橋の小千葉道場にさなさんを捜し求めてUターンしようかという、慶応4年の4月末頃、そんな時である。

「摩耶さん、僕は元々1925年頃に生きちゅう人間なんよ。ものの本に由ると1903年に生まれて1996年に没する。また別の記録に由れば2012年迄生きて、星ヶ丘vilという別天地の建設に尽力した。勿論これは全て僕自身のことなんやけんどね」

好さんと摩耶さんは、鏡川の河岸に座り、川面を眺めながら話している。

「好澄さんは何処までの未来に行ったことがあるがです?」

「どうやら、未来の僕が生きているところには、今の僕は行けないらしい。つまり自分同士が時空を超えて鉢合わせになることはないみたいやねえ。そやから、未来の僕が109才で死んだ後、2014年くらいの未来に行ってきた。その時僕の造った理想郷、星が丘vil にある狸狐庵山荘で坂本龍馬という幕末の土佐の偉人と共に一年間生活してきたがよ。摩耶さんは、坂本龍馬って人を知らんでねえ」

「ごめんなさい、存じ上げません。歴史上有名な方なんですか?」

「時代を追ってどんどんその評価が上がって有名になっていった感じやねえ。僕の場合、坂本先生との一年間の狸狐庵山荘での生活で、先生の思想とか人となりに感銘を受けてねえ、自分の時代に帰ったら是非、坂本先生の銅像を建てたいと思いゆがよ」

「そうですか。それは素晴らしいことですねえ。でも、まさか、好澄さんが坂本様の銅像を建てる動機が、2014年の未来の一年間にあったなんて、誰も気付かないし、知らんことなんでしょうねえ」

「それはそうと、摩耶さんのお兄さん、祐助さんのお友達の谷謙次郎て言ったよねえ、お侍さんの、彼に坂本先生のことについて訊いてみたいと思うんやけど、話してみてくれん?」

「分かったわ。今日にでも帰って言うてみます。」

鏡川の川面がお日さまの光を受けてきらきらと輝いている。鏡川で、龍馬が幼い頃、乙女姉やんと川遊びをしたり泳いだりしたと、何かの本で読んだことがあるのを好さんはふと思い出す。しかしこの時代にあっては、それはほんの最近のことなのである。

「摩耶さん、僕と一緒に未来に行こうか」

事実上これは好さんから摩耶さんへのプロポーズとなった。

「是非、連れてってください 」

摩耶さんが嬉しそうに言った。

「お父さんとお母さんは?承諾してくれるが?」

「そうねえ。未来に行くなんて言うても、絶対に信じてくれんやろうき、好澄さんと結婚してから江戸にでも行くって言うたらどうでしょうか」

「うん、それがえいかも知れんねえ。それそれ、そういうことにしょうか」

好さんも浮々してるのが手に取るように判る。

「それで摩耶さん、どの時代に行きたいが?」

「好澄さんの生まれた時代もえいけんど、どうせなら、好澄さんが坂本先生と一年間暮らしたという、星が丘vil ?それもあなたが造った村なんでしょう?そこがえいですねえ。好澄さんは?」

「僕もそれがいいとは思うんやけど、今ふと思うたことは、元々僕が居った時代には、僕がタイムスリップして以降に僕は居らんわけやから、そうなると龍馬像を建てる僕も居らんということは、龍馬像は建たずに終わるということになるねえ。そりゃあいかん。やっぱり僕は、一旦は元の時代に戻って龍馬像を建てておいて、それが終わったら好きなところへタイムスリップしたらえいということなんや。ごめん、ごめん。タイムスリップするのは、取り敢えずは元の時代ということでえい?」

「勿論、えいですよ。好澄さんと一緒なら何処でも参る覚悟ですから」

「まあ、かわいいこ!」

そんな有頂天の好さんの方に、空の上から、「ビーッ、ビーッ、ビーッ!」と話し掛ける小鳥がいた。何を隠そう、おいらである。

「あー、ブラッキーや!」好さんは、ポケットの中を探って落花生を取り出し、それをクズクズにして手の平に載せた。おいらは迷わずそれを取りに行く。続いてホワイティーも来た。

「わーっ、すごーい!手に止まるがや」次においらが好さんの手の平に載った時、空かさず好さんはおいらを捕まえて、足のリングに結び付けてある紙縒(こより)のようなものを外し、直ぐにおいらは開放した。おいらとしても、好さんのやりたいことは判っているから大人しくそれに従った。

「あー、坂本先生からや!なんやて?・・・『わけあって土佐には行けない。江戸で、さなを捜す』って書いてある。ブラッキーが今の時間の断面をタイムスリップしてきたか、それとも江戸から飛んで来たか、多分タイムスリップやろ。いくら鳥でも江戸から飛んで来るとなると、3時間以上はかかるでねえ」実はおいら、12時間程かかった。面目ない。

「すごーい!タイムスリップって凄いんやねえ。瞬間的に江戸からここまで移動出来るが?」

「波にさえ乗れたら直ぐ、あっという間や。そうか、そう言えば、坂本先生と幕末、坂本先生が近江屋から生き延びて、知恩院の鐘の音に乗ってタイムスリップした後の世界、つまり1868年の春くらいにタイムスリップして、土佐の帯屋町の井筒屋、そう、摩耶さんちで落ち会いましょうってことになっちょったがやった。僕はそれをすっかり忘れちょった。まあ、どっちにしても坂本先生も来れんがやき、えいとするか」

「坂本先生って何した人ながですか?」

「そうじゃねえ、『日本を今一度せんたくいたし申候』これは坂本先生が乙女姉やんに書いた手紙の中にあった言葉やけど、つまり近代日本をつくった人なんよ。そうや、乙女姉やんて、坂本先生のお姉さんなんやけど、今そこら辺に行ったら、実際、本物が居るんやねえ。ほんま、信じられんことやけど」

「坂本先生とは、これっきりになるがですか?」

「坂本先生は、2015年の狸狐庵山荘で別れて、先ずはパキスタン、ああ、西アジアってとこで、インドとかアラビアなんかの近くね、そこでイスカンダルっていう偉い人に会って、そこでまた世界の洗濯をしちょいて、それから幕末の京都へ行って、ここの土佐に来て我々と会っておいて、更に江戸から北海道へさなさんていう許婚の人と一緒に行くように言うてたから、北海道へ行ったら会えるってことやろか」

「まあー、忙しいお方」

「彼は幕末の風雲児って言われるのよ。きっとあっちこっち走り回ったんやねえ」

「そうか。あなたは、昭和の風雲児?」

「そうなりたいもんやね。そのためにも、先ずは坂本先生の銅像を建てんといかんねえ」

「銅像ってもの自体、今の時代にはないものやから、全く想像もつかんけど、銅像を建てるのに費用はどれくらい掛かるもんながです?」

「ちょっと試算してみたところで、昭和の始めの物価で言ったら約2,3万円くらい、大体普通の家を建てるのに5千円くらいらしいから、家を4,5軒建てるくらいかな。どうせなら日本一でっかい銅像を建てたいと思いゆうき」

「そんなとんでもないお金、どうするがですか?好澄さんの家ってお金持ち?」

「ないない、お金は全くないけんど、募金集めに方々を回ろうか思いゆがよ」

「偉いですねえ。私もお手伝いさせて下さい」

日が徐々に西の空に傾いてきた。

燕が水面近くの虫を採っているのか、低空を速いスピードで飛んでいる。

ヤマガラのブラッキーとホワイティーの姿はいつの間にやら見えなくなっていて、あいつらまたどっか別の時空に旅してるんやろか、と好さんは独り言のように呟いていた。おいらとホワイティーは、鏡川の畔の天神さまの楠の大木の枝に止まって、その様子を見ていた。実を言うと少し前から、上空を猛禽類が、多分トビか鷲の輩だと思うんだけど、頻りに旋回していて、おいらたちを狙っている様子だった。こんなときはさっさと木の茂みに逃げ込んで大人しくいるのに限る。


そんなわけで好さんたちふたりは、時空を超えた結婚の方向で話はまとまった模様だったが、もう一つのカップル、大さんと妙さんはと言うと、

「ごめんなさい。未だ心が決まらなくて」と歯切れが悪い。妙さんにはどうやらもう一人、迷ってる相手がいるようだ。

好さんは摩耶さんに頼んで妙さんの本心を探ってもらった。摩耶さんは妙さんの妹である。ふたりは子供の頃から、お互い何でも話してきた。だから今回のことも、もし摩耶さんが好さんに付いて未来に行くのなら自分も行きたいと常日頃から言っていた。それには大さんと連れ添うのが好都合だし、しかも妙さんは大さんのことも大好きで、それも友達としてではなく男としてであった。それなら何も迷うこともあるまいと思うのだが、それが世の中一筋縄にはいかないところで、様々な事情やしがらみが縺れ付く。こともあろうに、妙さんのご両親が谷謙次郎と結婚させようとしていたのである。謙ちゃんと妙さんは近所同士の幼馴染みで、親同士が「妙は謙ちゃんのお嫁さんになる?」などと、幼いふたりをからかっているうちに、いつの間にやら本人同士もそんな雰囲気になっていて、お互い余っ程の異変がない限り、ふたりは結婚するものだと周囲も思っていた。そんなとき謙ちゃんにとっては運悪く、時空を超えて小池大助という得体の知れない男が現れたという次第である。

そんな横槍を謙次郎としては取り除こうとするのは、むしろ当然の所業であった。そして先ずは好さんと大さんが龍馬に会いに京都に行こうとしたとき、体面上善意を装って通行手形は工面してやったが、その裏で彼らは脱藩の志士だと奉行所に嘘の密告をし、ふたりが立川の関で捕えられ投獄されるよう謀ったのも実はこの謙次郎であった。見方に由ったら酷く邪悪そうにも見えるこの行為も、少しだけ角度を変えて見れば、それもまた同情に値する所業とも言えた。つまり好さんと大さんは、幕末の極普通の善良な市民である彼らにとって、実に奇妙で得体の知れない流れ者以外の何者でもなかったのであろう。


   37


「僕としても、いつまでも待つわけにもいかないし、それに君は労咳(ろうがい)という不治の病かも知れない。もしそれが労咳なら、2014年くらいにタイムスリップすれば、何て事なしに完治する病なんだ。でも、ここの時代にそのまま居たら、ほぼ確実に数年の内に死んでしまう。僕は、絶対に君を死なせたくはない。やり方次第では助かる方法があるというのに」

ふたりは、後に陽暉楼(得月楼)となる場所だが、今は未だ小さな船宿が幾つか並ぶ堀川と呼ばれる入江の前に佇んでいる。

川辺に被さる様に並んだ桜木は、花の季節はもう遠に過ぎて、新緑も徐々にその色濃さを増していた。我々野鳥にとっても、餌となる虫の数も格段に増えて、一年で一番暮らしやすい季節になる。序でに言うが、恋の季節でもある。もてるおいらとしては少々忙しくなるかも知れない。

「病?」妙さんは暫く間を置いてから、ゆっくりと首を傾げた。

「咳が止まらなくなって、以前に喀血しましたよねえ」

「え?あっ、あれですね。あれからお医者様に診てもらいました。咳は風邪をこじらせてたらしくて、それから血を吐いたのは、おなかからの吐血で、思い悩んだり落ち込んだりしたら、たまにそうゆうことが起きるらしいです。今はどちらもすっかりようなってますから、もう大丈夫です。ご心配お掛けしました」

「そうか!そりゃあよかった!僕はあれ以来ずーっとその事が気になってて、いやー、本当によかった。でも、それはそうと、僕と一緒に未来に行ってくれるよねえ」

「行きたい気持ちは凄く強いんやけど、結局は親を裏切ることにもなりますし、もう少し考える時間を下さいませ」

「実は僕は1923年の未来に帰って、好君と坂本龍馬先生の銅像を建てる約束をしているんだ。その後、2015年くらいにタイムスリップして、土佐の東の方にある、海の見える山のうえの狸狐庵山荘に行くことにしてあるから、よろしく。出来れば、君と行けたら幸せかなと思って。坂本龍馬って知ってるよねえ」

「存じてますが、あんまりえい印象はありません。謙次郎様の話に由りますと、彼は後藤象二郎様のご功績を横取りして、ご自分の手柄となされようとしているとか。お殿様も大変ご迷惑なされてると伺いました。それにいろは丸事件では、紀州藩を騙して多額の賠償金をまんまとせしめられたとかで。その後は紀州藩士からお命を狙われているらしいですね。そんな方の銅像なんぞ、好さんも一体何をお考えなんでしょうか」

その時ふたりが岸に佇む堀川の流れを、御座船と呼ばれる豪華な船が上って来た。ここは川が浦戸湾に注ぐ河口近くに位置し、込み潮の今の時間は流れが逆流している。御座船は二隻の小さな船を従え、ゆっくりとふたりの居るところよりは少し上流の船着き場に泊まり、中からは派手な着物を着た侍が出てきた。

「お殿様だわ。それに後藤様もいらっしゃる。ということは、どこかに謙次郎様も居られる筈よ」

この世界では後藤象二郎がまだ生きている。彼がアボッターバードの要塞でイスカンダルの手下に射殺された時空との前後関係はよく判らない。最初に後藤が未来にタイムスリップした時点が判らないのである。つまり、タイムスリップしたのがこれ以前の彼なのか以後の彼なのか、以前の彼ならば分岐した別の時空ということになるし、以後の彼であればこれから先タイムスリップする可能性もあるということだ。

「へー、あれが土佐の殿様、山内容堂公か」

山内容堂は思っていたよりも小さく、先入観かも知れないが、全てに対して横着そうな面構えに見えた。

容堂公は先頭に立ち、側近達を従えて近くにある妓楼らしき建物へと消えて行った。実はこのとき山内容堂は、土佐藩主の座は既に退き隠居の身であった。

21世紀の歴史書には、山内容堂こと豊信(とよしげ)は、後藤象二郎が坂本龍馬から聞いた船中八策を元に作成された大政奉還を徳川慶喜に建白するなど、幕末から明治維新にかけて活躍した土佐藩主であると記されている。しかし彼には、自らを『鯨海酔侯(げいかいすいこう)』と呼ぶ程の放蕩癖があり、公の会議の場に於いても泥酔して出席して失言を繰返し、堪り兼ねた岩倉具視に大勢の面前で叱責されるなどの失態は、人に依っては武勇伝として美化されることもあるが、大さんたち龍馬の支持者にとっては性悪な酔っ払いの単なる酔狂としか映らず、後藤象二郎と共に封建時代の遺物以外の何者でもなかった。

「ほら、いたわ、謙ちゃんが」

冷めた目で容堂公一行を見遣る大さんの横で、まるでおさなごのようにはしゃぐ妙さんの姿は、誰の目にもバランスの悪いカップルに映った違いない。

こんな遣る瀬ない気持ちは、否が応にも大さんを妙さんから遠ざけていく。

もう既に大さんはどうだってよくなりつつあった。これは、妙さんにふられる前に早々と見切りをつけておけば、いざそれが現実となった場合でも落ち込む度合いが少なくて済む、そんなたわいのない防御本能みたいなものだったのかも知れない。何故なら、もしも妙さんが謙ちゃんより大さんの方を選ぶと言えば、バランスもへったくれもない、すぐさま妙さんとタイムスリップして未来に行ってしまうに違いなかったからである。

だから、取り敢えずは妙さんの返事待ちということに変わりはなく、どちらにしろ大さんはやきもきとした気持ちを暫くは強いられるわけである。


「大君、僕はもうそろそろ1923年に帰るよ。君はどうする?」

慶応4年6月、ふたりが床に着く前に好さんが言う。ふたりは高知城下帯屋町の米問屋井筒屋の離れの二階に厄介になっていた。

「帰る、帰る。それで?摩耶さんも一緒に行くの?」

「どうやらそういうことになりそうだ。君の方は?妙さんと一緒?」

「いや、僕は、多分ひとり」

「なんで?妙さんも行きたがってたやろ?」好さんはこの時代にはない歯ブラシをくわえ丁寧に歯を磨きながら言う。歯ブラシとハミガキは、彼らが2014年に狸狐庵山荘に居る間に主人の新さんたちのやることを見様見真似で始め、いつの間にか寝る前の歯みがきが習慣になってしまって、タイムスリップするときも何時も持ち歩くようになっていた。

「彼女、結核ではなかったらしい。だからもういいんじゃないの。彼女はやっぱりこの時代の方が合ってるような気がする」

好さんは事情を察したのか、それ以上細かく追及することはなく、直ぐ様納得顔でこれに応えた。

「そうか、それじゃあ早速明日、三人で2015年、じゃなかった、一先ずは1923年にタイムスリップするよ。いいかねえ?」

「合点だ!」大さんは元気よく、いや、どことなく空元気を出してるだけの風情にも見えた。

「ところで、どこからタイムスリップするの?」

「それなんだけどねえ。色々周りの事象を観察してるんだけど、これと言った現象に行き当たらないんだよねえ。何かない?大君」

「この前、堀川のところに居たときにねえ、山内の殿様が御座船に乗って後藤象二郎とか、そこの謙ちゃんとかのろくでもない家来達連れて帰ってきて、あそこに大きな妓楼があるでしょう、そこに入って行ったのよ。まあ大変な時代だっていうのに、鯨海酔侯とか何とか、子供じゃあるまいし、馬鹿みたいなこと言って格好つけやがって、イイ気なもんだぜ、あのおめでたい連中は」

「おいおい、大君、随分乱暴な口利くけんど、どうかしたがかえ?」

好さんにも大体の想像はついていたが、一応突っついてみた。

「いや、別に。ただ、あの高慢ちきな連中が許せないだけ。で?何の話してたんだっけ?」

「タイムスリップのために、時空のゆらぎを見付ける」

「そうだ。容堂公はどうだっていいんだ。その時の御座船を見てて思い付いたんだけどね、少々波のある日に屋形船に乗って沖に出るっていうのはどうだろうかと思ったんだけど、どう思う?」

「屋形船で一杯やりながらタイムスリップっていうのも、風流でいいかもね」

「そういう意味じゃなくってさあ。でも、いいね。それやってみようか」

そんなわけで、好さんと大さん、それに摩耶さんの三人は、翌日屋形船に乗って一杯やることにした。勿論摩耶さんの場合、ちょっくら社会勉強で江戸まで行ってくるからと両親に云えば、この激動の時代そういうことも必要だろうと快諾してくれて、好さんと大さんに、拙い娘をよろしく頼みますと餞別までくれて送り出してくれた。

その日屋形船は、浦戸湾内だというのに結構揺れていて、雇った船頭さんも、余り沖の方には出ない方がいいですよと、湾内の島影辺りをうろうろとするばかりで、そのうち三人はすっかりホロ酔い機嫌となってしまって、「船頭さん、もう少し沖に出て船を揺らして下さい」などと無茶なことを言い出す。事情の解らない船頭は「へい」とは言いつつも、変わったお方達や、今の若い者は何考えちゅうがじゃろ、などと呟きながらも、知らず知らずのうちに桂浜の近くの外海にまで出てきていた。

さすがに外海近くになると波が高くなってきて、三人もタイムスリップのチャンスとばかりに自らの波長を整えることに専念していた。そして先ずは大さんがワームホールに吸い込まれた。好さんは摩耶さんの手をしっかり握って、一緒にワームホールに飛び込もうとするがなかなかタイミングが合わない。どうやら摩耶さんの方が波長を合わし切れないようだ。さすがの好さんも焦ってきて、摩耶さんの手をグイグイと引っ張るがどうしても摩耶さんという個体をワームホール内部が拒否してるように見える。ワームホールの奥の何物かと摩耶さんの体との間に、波長の違いから発生するいわゆる斥力のようなものが働いているようだ。

今回のタイムスリップは、好さんとしては摩耶さんの手前絶対に失敗など許されず、だからこのワームホールの頑なな迄の摩耶さんに対する拒絶反応は、好さん達ふたりを一時的なパニック状態に陥れた。大さんはもうここには居ない。そしてふたりがしつこく何度もトライを繰返しているうちに、外洋であることもあって船は大きく揺れだす。それでも好さんは、船頭の制止するのも聞かずに、やかたのなかで小さなジャンプのような動作を繰返し、そしてとうとう船頭は、独自の判断で即刻引き返すことを決意した。

しかし時既に遅し。引き返す途中高波に遭い、それが好さんの執拗なジャンプと相まって、船は大きく傾き、遂には転覆してしまった。危うく三人は遭難するところであったが、折からの満ち潮に因る潮流に乗って桂浜の対岸にあたる種崎海岸に漂着したのである。


強運によって、何とか一命を取り留めたふたりだったが、船頭にはこっぴどく叱られ、船の補償をしてくれと有り金全てを巻き上げられた。


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「まあ、ひどい目に遭わせたねえ。ごめんね」

ふたりは帯屋町の井筒屋に舞い戻り、着替えを済ませて、離れの二階で話していた。両親には国分川の渡しで舟がひっくり返って、ずぶ濡れになったと嘘っぱちを言っておいた。

「でも、残念やったですねえ。何か凄い力で押し返されてるみたいで、どうしてもあの渦巻きみたいな穴には入ることが出来ませんでした。大さんも好さんも、吸い込まれてるみたいに見えましたよねえ」

「そうやねえ。僕もこんなの初めての経験やから、何がどうなったのかがさっぱり解らんけんど、一体何なんだろうねえ」

「そうながですか。多分私にはその才覚がないがでしょう」

「いや、そんなんじゃないと思うで。これには何かある。君がこの時代を離れて、1923年にタイムスリップ出来ないというか、しちゃいけない理由が絶対ある筈ながや」


好さんは、タイムスリップを行ううえでタイムパラドックスというものが存在することを思い出した。つまりこれはタイムスリップすることで重大な矛盾が発生する場合、このタイムスリップは達成されないし、これを達成させないような物理現象が起こるというものである。

最も有名なタイムパラドックスは、ある人間が過去にタイムスリップして自分の母親を殺す、或いはお祖母ちゃんを殺す、そこまで言わなくても自分の両親が結ばれなくなるという結果をもたらすような行為を自分の手で行うことはできない、何故ならば自分自身が存在し得なくなるから。

好さんは、そんな学説を狸狐庵山荘で修業中にネットの情報で読んだことがあった。

今回の摩耶さんのケースもひょっとしてこのタイムパラドックスに抵触している可能性がある、摩耶さんのタイムスリップが達成されないような物理現象、ここではワームホール内部の何らかの物質が摩耶さんという個体を拒否する、いわゆる斥力を発生させたと、好さんはそう考えたのである。

さすれば好さんが幕末に来て摩耶さんを未来に連れ出すことに問題がある、ということであるから・・・。タイムパラドックスに抵触する可能性があるとすれば、摩耶さんは好さんのお母さん、いやおばあちゃんになるということなのか。つまりふたりは絶対に結ばれてはならない間柄、とんでもなくショッキングな話ということになる。


そして更に、好さんの頭の中に幼い頃の記憶が蘇る。

好さんは物心ついて以来、祖母のことを『おばあちゃん』としか呼んだことはなく、祖母の名前なんか気に留めたこともない。それに思い出そうと考えたこともなかったし、人に訊かれたことがないからその必要もなかった。今になって思えば、好さんの周りの年配の人たちは彼女のことを『まーや』と呼んでいたのだ。だからもし今、あなたの祖母の名前は何といいますかと訊ねられたとすれば、好さんは「まーや?かな?」と答えたに違いない。好さんのなかで、『まーや』と『摩耶』とは全くの別人というか、別物なのであって、それが重なるなんてことは宇宙が幾つ有っても有り得ない話であった。それに、好さんが元々居た1923年頃の時点に於いて、まーやは73才という年齢で実際に元気に生存していたわけで、好さんとしてはこのとんでもない情況を頭の中で整理するのでさえ、苦痛であるばかりでなく生理的な嫌悪感すら感じるのであった。

「摩耶さんが僕のおばあちゃん?何てこと、これは!」好さんは何度も何度も心のなかでそう叫び、これは摩耶さんには絶対に言えないことだと、心のなかでそう言い聞かせた。

好さんは、この余りに複雑な出来事を解りやすく整理するために、次のような年表を作ってみた。


嘉永3年(1850年) 楠木摩耶、高知城下の米問屋井筒屋の次女として誕生

慶応3年(1867年) 摩耶18才、

        1923年の未来からタイムスリップして来た入間好澄と出        会う

明治4年(1872年) 摩耶22才、

        吉村新兵衛と結婚

明治10年(1878年) 摩耶28才、

        次女桃子(好澄の母)を出産

明治31年(1899年) 摩耶49才、

        桃子21才で入間健太(好澄の父)と結婚 

明治35年(1903年) 摩耶53才、

        桃子が25才で次男好澄を出産。好さんの誕生!

大正12年(1923年) 摩耶73才、桃子45才、此処から好さんはタイムスリップして数ヵ所の時空を移動し、再びこの時点に帰る

昭和3年(1928年) 摩耶78才、

        好澄ら青年達の手で桂浜に龍馬像が建てられる   

これで少しは整理された。

実はこれ、ブラッキー便で未来の好さんから、つまり自分自身から好さんが取り寄せた情報なのである。

いろいろと様々な可能性に由って多世界に分岐するにしろ、このようにしっかりと繋がった過去と未来がある場合、他に分岐する可能性は多少は乏しくなるらしい。従って摩耶さんが18才の頃好さんと出逢って、恋に落ちた記憶は、いつかの時点で消される可能性が高い。特に今回のようにそのタイムパラドックスの事実が本人に知らされなかったような場合、その記憶は次第に本人の記憶の中に埋没してしまうことになるようだ。まあどっちにしても、本人にとっては大した違いがあるようには思われない。


「あの頑ななワームホールの斥力は、ただごとでないものを、僕は感じたねえ。どうやら君は未来には行けないみたいや、僕と一緒にはね。ただ君が単独で移動する分には、勿論出来ると思うんやけど、それは常に僕という人間が存在せん世界になりそうやねえ。僕という人間が存在するためには、君はこの時代のこの場所にどうしてもおらんといかんみたいや。それから、たとえ僕が君と一緒に、この時代のこの場所にずっと留まったとしても、僕と君が結ばれることは絶対にない。君は他の男と必ず結婚することになるらしい。こんな残酷な話があると思う?ひど過ぎやろ。時空をあちこち旅行し過ぎて、神を冒涜したき罰が当たったがで、多分」

摩耶さんは、そんなことを言い続ける好さんの顔を唖然としたような表情で見ていて、返す言葉すら見つからない様子だった。それもその筈、好さんの説明は、故意に核心を抜かした不十分なものに仕立て上げられていて、その結果そこら辺に漂うモヤモヤとした懐疑心は、一層のこと摩耶さんの遣る瀬無さを助長する結果となる。


「よく解らんけんど、要するにふたりは一緒になれん。それから、あなたはひとりで未来に行ってしまう。そういうことながでねえ」

全くその通りなんだけど、摩耶さんの投げやりな言い方が好さんとしては気になって仕方がない。この誤解のようなモヤモヤを解消するには、摩耶さんと自分との関係を言うしかないのだろう。しかし、それは出来ない。いや、出来ないで済ませていいのだろうか。自分だけは真実を知って諦めがつくとして、しかも未来に帰れば73才のまーやと逢うことができるわけで、一方の摩耶さんは訳わからないうちに、あたかも自分が土壇場に来て好さんに棄てられた様な感覚に陥って、果たしてそれでいいのだろうか。好さんはその夜、井筒屋の二階でひとり、悩みに悩んでいた。


「摩耶さん、僕は今から1923年の土佐、入間家に帰る。君とはこれでお別れです」

「はい」と言ったまま摩耶さんはうつむいた。「でも我々は、またきっと逢える。いや、間違いなしに逢える筈だ」

そう言った瞬間、摩耶さんは好さんの目を真っ直ぐに見上げた。

「それ、どういうことですか?」

「1923年の未来の土佐、いや高知に、君は73才のおばあさんになって元気に暮らしゆがや」

「ああ、そういうことか。私は73才で、あなたは?今と同なじの二十歳ですか?えーっ?そんなー、そりゃあへこいぞね」

「それからもうひとつ」

摩耶さんの明るい屈託のない対応に、好さんも何処となく、真実を打ち明ける勇気が湧いてきた。

「まだ何かあるがです?」

「そう、実は摩耶さんは、僕のおばあちゃんながや」

好さんは勢いで、遂に言ってしまった。

「 ・・・・」さすがにショックだったのか摩耶さんは黙っていた、と思いきや、突然笑いだして

「本当ですかそれ?好さんの言い訳じゃなくて?」

「言い訳やなんて、人聞きが悪い。僕のおばあちゃん、まーやって言うがよ。よう考えたら、まーやじゃなくて本当は、摩耶やった」

そして好さんはタイムスリップにまつわるタイムパラドックスや多世界解釈について摩耶さんに詳しく説明した。


「そんなもんどうでもえい、私。それよりも凄ーい!その繋がりって凄いですねえ。感激した、私。私達には夫婦以上の切っても切れん深ーい繋がりがあるがですねえ」

ふたりは帯屋町にある小さなうどん屋で昼飯を食べていた。

「こいさん、何かえいことあったがですか?たいて嬉しそうやないですか。男前の兄ちゃん連れてまんなあ。背も外人さんみたいに大きいでんがな」

ここのうどん屋のご主人は、大坂方面から流れてきてこの帯屋町でうどん屋を開業し、そのまま居着いたらしく、摩耶さんのことを『小いとはん』つまり『こいさん』と呼ぶ。

摩耶さんも好さんも、その言葉の響きと浪花風のうどんの汁の味が好きで、よくこのうどん屋に出入りする。

「この人、うちの孫の好澄言います。ごっつう男前やろ」

「さようでっか。えらい年の近い孫でんなあ。まるでみょうと(夫婦)みたいやわ」

「まあ、嬉しいこと言うてくれるねえ、おっちゃんは。うちらあ、孫やけど、結婚したいがよ。どうしたらえいんやろうねえ」

「そうか、どうしたらもこうしたらもあれへんやろ、結婚するだけやがな。まあ気張りなはれや、応援しまっせ、こいはん」

主人は釜から出したうどんを手早くザルで湯切りしながら、威勢良く言った。

「好さん、なんか勇気が湧いてきたねえ。頑張るで、うち」

「ちょっとっちょっと、なんぼ頑張っても駄目なんやて。これにはタイムパラドックスがあるんやから。解らん人やなあこの人は」

「あのねえ、何事も最初からいかんと決めつけたらいかんがよ!ひとつのこと遣るのにも、その方法は一つやない、何百何千と方法はあるがやき。解る?多世界解釈とやらに拠っても、可能性の数だけ世界はあるがやろ?確かそう言うたでねえ。せやからねえ、人間、諦めたらあきまへん、なあおっちゃん」

「せや!こいさんの言う通りや!お孫はん、このこいさんの言うこと聞いといたら間違いおまへんでー。こいさんはなあ、ここな辺じゃ有名な、頭のえい子やったんや。何も心配せんかてよろしいがな」

もう滅茶苦茶だった。誰がタイムスリップの先駆者で、タイムパラドックスや多世界解釈について説明しているのか、正に主客転倒である。しかし好さんも、摩耶さんの言ってることは、あながち無謀なことでもないように思えてきたのだった。


                  39


人間の持つ可能性について、摩耶さんの言うことにも一理あった。いや、もしかして、結構宇宙の真理の核心をついているのかも知れなかった。

摩耶さんの言い分はこうだった。

私は、好さんについて未来にタイムスリップするのか或いは幕末の土佐に生きて親孝行するのか随分迷った。そして私は前者を選んだが、多世界解釈を採用すれば後者の世界もある確率で多分存在するわけで、その世界での私は22才っていうから今から3年先には吉村新兵衛という男性と結婚するらしい、そして28才で好さんの母親である桃子とやらを出産、その桃子さんが入間好澄を1903年に出産し、あなた好さんがこの世に誕生する。それはそれでいいのよ。ならば、前者を選んだ私はどうなったか?その私をAとして、後者の私をBとしたら、Aの私は好さんと2015年にタイムスリップして、ふたりは結婚して幸せに暮らした。つまり2015年の世界には、年老いた好さんも私、摩耶も存在しないわけだから、若いふたりがタイムスリップして行ったとしても何の矛盾も不都合も生じない。だからタイムパラドックスも存在しないということになる。

「どうでしょうか。この理論の組み立て方は」

「完璧やね!多世界同士は全く無関係に同時進行するってことを考えたら、全く理論に矛盾は見受けられんねえ。ただ、一つだけ気を付けんといかんことは、僕と摩耶さんは同種のDNAを持っちゅう筈やから、子供に奇形の生まれる可能性があるってことよねえ」

「そんなこと、Aの私にとったら何の問題もないことよ。Bの私が好さんを生んでくれたら、それでもう十分です」


ここでもふたりの話は、まーるく収まったようだ。屋形船でのタイムスリップの試みの失敗は、単に摩耶さんの、自らの波長調整技術の未熟さが原因だったのか或いは単に行き先の設定を間違えただけだったのか、もしそうだとすれば摩耶さんのスキル向上に努めなければならない。しかし多分、それはタイムパラドックスに抵触したのだろう。

それにしても好さんは取り敢えずは 、大さんが待ってる1923年にタイムスリップして、桂浜に龍馬像を建立しなければならなかった。歴史書に拠れば資金集めなど結構大変な作業が待ってるようだ。矢張4,5年は掛かる。それからまた、幕末の土佐に摩耶さんを迎えに返って来る。或いは摩耶さんの言う通り、Aの摩耶さんとして、摩耶さんが先に2015年にタイムスリップしておいて好さんの来るのを待つという方法もある。しかし時空を越えるのだから待つという行為さえ発生するのかどうかが解らない。

要するに、そこら辺は深く考える必要はないということだ。


「まあ好さん、お久しぶり。よく来てくれたわねえ。可愛いお嫁さんじゃない。凄くお似合いですよ」

りこさんは狸狐庵山荘のデッキにテーブルを出し、久し振りに来た好さんと彼がお嫁さんだと言って連れて来た彼女にサイフォンコーヒーを出してもてなしていた。

「僕よりは一寸年上やけんどね」

「あら、そうなの?若く見えるのにね。幾つ上なの?」

「そうやね、50くらいかな。えーっと、正確には53ちがいやねえ」

「へー、そうなんだ。てことは、好さんが明治?35年だったっけ?生まれが。それから53引いたら、江戸末期か。すごーい?お名前は?」

「摩耶と申します。私は嘉永3年と言っても馴染みがないと思いますが、西暦にしますと1850年生れということになります」

ここではこんな突飛な話が、それほど特殊なこととして取り扱われない。だからりこさんもそれ程驚いた風でもなく

「じゃあ、坂本先生より?上?下?」

と何気無く訊いてしまう。

「坂本先生?坂本龍馬さんのことですか?」そう言えば摩耶さんは龍馬のことは殆んど知らない筈だ。

だから「坂本先生は、1836年生まれやから、摩耶より14才年上ということになりますねえ。摩耶は坂本先生のことは余りよう知らんがです」と好さんが代わりに答える。

「そうなんですか。江戸の女か。かっこいいなあ。幕末から明治、激動の時代を生きたんですね。あら、今日はブラッキー達来てるわね」

「本当や。僕、ブラッキーたちに伝言頼みたい」

「誰に?坂本先生?今、坂本先生は何処に居らっしゃるの?」

「取り敢えずは僕の知っちゅう坂本先生は、1868年の5月の時点では江戸に居って、千葉さなさんの行方を探しゆ筈です。だから当時土佐に居った私たちとは会えんかったがです。それから、手紙ブラッキー便に拠れば、さなさんとふたりで北海道に行く、とありました」

「へー、ちゃんと時空を超えて連絡取り合いゆんやねえ」

好さんは龍馬宛の手紙をこよりに小さく丁寧に書き込み、おいらの足環にしっかりと結び付ける。おいらは大人しくそれを待つ。

「ブラッキー、坂本龍馬先生にお願いします」

おいらは好さんの手のひらのヒマワリの種をくわえ、ギャギャギャッーという返事をしながらホワイティーと共に、取り敢えずは近くの松の木の枝に止まった。その木の上の方では、茶褐色の毛に覆われたリスが松ぼっくりをボリボリとかじっている。したの方を

見ると海老フライと呼ばれるかじった後の芯だけが幾つも転がっていた。なんという強靭な歯の持ち主なのか、おいらたち鳥類にはとても考えられんことだ。キツツキの嘴も凄いが、さすがにクルミなんかに穴開けるとなると、リスには敵わないと思うよ。

閑話休題、それではおいらたちはひとっ飛び、幕末の坂本龍馬に手紙を届けてくるとしょう。さらばじゃ。


おいらたちが消えた後、狸狐庵山荘は相変わらず長閑なものだった。

「ゆっくりしていってね。旦那も直ぐに帰ると思うから。ああそうや。それで、これから何処に住むの?何んならうちの二階でもえいけど。新婚さんの新居ってことになるでねえ」

りこさんが手作りのシフォンケーキをデッキのテーブルに運びながら言う。

「いえ、僕のって云うか、後年の僕が自分用にこの星が丘に別荘を建ててるんです。えーっと、コンベンションハウスの直ぐ近くに」

「ああ、そう云えば、あそこら辺に何か一つ別荘みたいな建物があるわよねえ。へー、あれが好さんの別荘なのか。それじゃあうちとはお隣さんみたいなもんじゃない。よろしくね、隣の奧さん」

りこさんは、そう言いながら摩耶さんの肩を軽くポンッと叩くと、陶芸の工房の方に行ってしまった。

「凄く感じのいい人やね。えいお友だちになれそうや。星が丘ってところも景色えいし、別天地みたい」

好さんは、摩耶さんが自分の祖母に当たることをりこさんには敢えて言わなかった。この世界は、そんな小さなことにこだわる必要がないことを身に染みて感じていた。結果を気にする必要はないんだ。方法も結果も一つじゃないんだし、可能性の数だけ宇宙が存在するんだから、自分はただ自分の信じる道を懸命に生きればいい。

但し、それが正しいこととも限らない。

早い話、そんなことを考えても仕方がないということ。好さんはそんなことを思いながら、ひとり頷いていた。


龍馬はその後、麟太郎をはじめとする周囲からの熱心な新政府への入閣の勧誘を拒否し、以前より彼が夢見ていた北海道に移住してから、諸外国を相手に手広く貿易商を営んだ。

岩崎弥太郎が基礎を築いた三菱財閥をも凌ぐ亀山グループを設立したと、多世界の歴史書には書き記されている。

勿論さなさんと一緒に。


ビーッビーッビーッ!

『おわり』














































 





         

         




      






































        

        

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龍馬が生き延びた多世界とは @hujito

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