第34話 アムドゥスキアス
部屋を出ると階段があり、三階へと伸びていた。慎重に階段を上がっていった。上りきると、大きな分厚い扉が待ち構えていた。
重厚な扉を開けると、そこは劇場だった。
僕は客席の最上段に立っていた。舞台は幕が下りており、その前に二人の男が立っていた。一人はルフォンさん。もう一人は初めて見る人だ。上下白いスーツを着込んでおり、頭には白い帽子をかぶっていた。サングラスをかけていたが、顔がやけどの跡で崩れているのがわかった。松崎亨士郎だ。
「お、もう一人入ってきた。通せとは言ってないはずだがなあ。ということは元最強の自衛官は死んだということかな。君、やるじゃない」
薄笑いを浮かべ、甲高い声で松崎は言った。
「圭介。あれは見つかったか」
「はい。持って来ました」
松崎の顔が一瞬強張った。
「ああ、あれ見つけたんだ。いよいよやるねえ。そうじゃなくちゃ盛り上がらないものねえ」
ルフォンさんに剣と鏡を渡すために、客席の真ん中の通路を下っていった。途中で客席にレリが座っているのに気付いた。レリは縛られて、猿ぐつわをかまされていた。あわてて僕は駆け寄った。
「おおい。ちょっと待って。貴重なメンバーに触らないでくれよ。後二人で、僕のコーラス隊は完成するんだ。そこの女性と、こちらの宇宙人の男性だ。君はお呼びじゃないぞ。邪魔しないでくれ」
コーラス隊? 何を言っているのだこの男は。
「お。コーラス隊興味あるかい? 興味ありそうだな。会ってみたいだろう。歌を聴いてみたいだろう。仕方が無い。特別だぞ。開幕ぅ」
幕が上がった。
舞台には何人もの男女が並んでいた。横に二列に並んでおり、後列の者は壇に乗っていた。男性はタキシードを着ており、女性は白いブラウスを着ていた。全員手足が無かった。
「私の為に歌うように改造させてもらったよ。手と足は切り取って、脳みそをいじくってあるんだ。私の為に歌い、余計なことは言わない。電子回路でつなげてあるから、絶妙なハーモニーを奏でる。どうだい私の素晴らしいバックコーラス達は」
手も足もなくなり、うつろな目で虚空を見つめている二十人以上もの人間達。その中に此原がいた。変わり果てた姿で。
それらを背に甲高い声で笑う松崎。この男は本当に悪魔かもしれない。僕も縄を解かれたレリも何も言えなかった。
「どれだけ地球人を殺せば気が済むんだアムドゥスキアス」
「人殺しとは人聞き悪いなぁ。彼らは息をしている。栄養も摂取している。歌も歌う。生物学的には立派に生きているよ。先程の停電はいささか驚いたけど、電力は確保してあるから安心してくれ」
言葉が出なかった。怒りと憎しみと嫌悪感で心が満たされる。
「僕たちが歌う歌が流れるんだ。テレビ、ラジオ、ネット。様々なところから我々の歌が人の耳に触れるんだ。そうしたら、人間は人間を殺し始める。歌に共鳴して、世界中の人間が殺し合いを始めるんだ。最高だと思わないか」
松崎は甲高い声で、笑いを混ぜながら喋った。
「ふざけるな。殺し合いなんて始まるわけないだろ」
僕は鎖島さんに渡された拳銃を松崎に向けた。
「何だ君、コーラス隊に入れてもらえないからすねているのかな? ごめんね。君の声は好みじゃないんだ」
引き金を引いた。劇場に銃声が響いた。弾丸は松崎から外れ、全く検討外れな壁に当たった。
「そんな武器じゃ僕は殺せないよ」
松崎がサングラス越しに僕をにらんだ。身がすくんだ。
「圭介。駄目だ。空間を歪められている」
空間を歪められている? そんな馬鹿な。そんなこと出来るのか。
「君は殺し合いが始まらないと思っているのかな。殺し合い、始まるよぉ。知っているかい? 殺人事件の九割以上が顔見知り間での犯行、その内半分は「家族」といわれる中での犯行なんだ。遠くの他人を殺すより、近くの知人を殺す方が楽しいってことだよ。誰かを殺そうとして、誰かに殺される。知り合いがいない奴は、一番身近な人間の自分を殺す。私の歌によって心の悪魔を喚起された者は、隣人を殺し、家族を殺し、自分を殺す。法律とか規範という枠組みを取り払ってやれば、人は人を喜んで殺す。人は人殺しが大好きだからね」
いかれた人間の戯言、そう片付けられない謎の空気が充満していた。こいつの歌が伝わっていったら、本当に破滅が始まってしまう。魔女狩りが始まってしまう。僕がレリを疑ったように、人が人を疑い、殺し始める。
松崎は両手を広げ、目を大きく広げ、満面の笑みを作った。
松崎と死のコーラス隊が歌い始めた。伴奏もスピーカーから響いてくる。コーラス隊は手足を切り取られているが、腹の底から大きな声を出して歌っていた。物凄い音量だった。
音楽が凶器になって、脳や内臓に襲い掛かってきた。立っていられなくなって跪いた。
ルフォンさんも負けじと歌い始めた。いつもの歌っているときとは違った。ルフォンさんも歌を武器として松崎を攻撃している。松崎のサングラスが割れ床に落ち、やけどの痕が残る顔があらわになった。苦しそうに顔が歪んでいた。ルフォンさんの歌でダメージを受けているのだ。
松崎は苦しそうな表情を隠し、もとの下卑た微笑みを浮かべて、音楽による攻撃を加えてきた。ルフォンさんは後退り、僕はその場でうずくまった。
駄目だ。松崎とルフォンさん個人の力は互角のようだが、松崎には手足を切り取られたバックコーラスがついている。音の威力には雲泥の差がある。
剣と鏡を取り出した。これをどうやって使えば良いのだ。銃弾すら当たらないのに、こんな小さな剣では倒すことなんて出来ない。松崎の攻撃的な歌で近付くことさえ出来ない。鏡は何の意味があるのだ?
ルフォンさんが僕の方をちらりと見た。目でそれを渡せと言っていた。舞台に近付き、床に剣を滑らせた。ルフォンさんは滑ってきた剣を足で止め、歌いながら手で拾い上げた。
それを見た松崎の顔が変わった。怒りの表情を浮かべ、歌の攻撃はさらに威力を増した。
手足を切り取られた此原も、松崎や他のコーラス隊と共に歌っていた。その目は中空を漂い、感情らしきものは何も浮かんでいなかった。他のコーラス隊も同じ表情をしていた。
細くて長い手足を動かし、松崎は踊りながら歌った。重力を無視したような軽やかな動きだ。
松崎たちの歌が僕に衝撃を与える。頭が揺さぶられ、内臓が押し潰される。意識が遠のいた。
僕が撃ち殺した隣人が現れた。頭がぐちゃぐちゃになり、目玉が飛び出していた。「お隣の圭介君。頭痛が止まらないんだ」と言いながら向かってきた。僕は「すみません。ごめんなさい」とあらん限りの声で謝った。
次は父と母が現れた。「圭介。父さんが間違えていたよ。お前が苦しむべきだった」。「圭介。お母さんは、ずっとあなたが死ねば良いと思いながら暮らしていたのよ」。優しく冷静な口調で言われた。氷の刃で心臓が抉られたような気がした。
「堕ちてきた者達」の司祭が現れた。「ほら言っただろう。悪魔は本当にいるんだ。呪いは本当にあるんだ。お前は呪われているんだ」。司祭のまわりに何羽ものカラスが飛んできて「オマエハノロワレテイル」と口々に鳴いた。手で耳をふさいでも、何回も耳の奥で鳴り響いた。
遠山風吾が現れた。手には大きな瓶を提げていた。瓶の中にはホルマリン漬けの少年が入っていた。内臓がはみ出ている。「この少年は、小さい時の君だよ。どうだ美しいだろう。生身の君より、ホルマリン漬けの君はさらに美しい」。僕は内臓が飛びださないように必死にお腹を押さえた。
郷崎が現れた。僕が見た衰えた郷崎ではなく、まだ若く健康な郷崎だ。自衛隊の格好をしていた。「一人で何人殺せるか記録に挑戦してみようと思うんだ。日本記録は三十三人だったかな。俺だったら百人はいけると思うんだ。もちろんお前もターゲットだよ」。そう言いながら唐突に茶碗と箸を出してきた。茶碗の中はウジでいっぱいだった。「どうだ? ウジご飯食べるか?」。僕は胃の中の物を吐瀉した。
レリが現れた。レリは裸だった。腰に刺青が入っていた。僕を悲しそうな目で見ていた。「わたしのことを信じて。疑わないで。狩らないで。魔女じゃないの。魔女じゃないの。魔女じゃないの」
僕は叫んだ。
拳銃を握り締め、こめかみに銃口を当てた。そして引き金に指をかけ、引いた。
弾丸が発射された。だが、僕の脳天を吹き飛ばしはせず、天井に穴を開けた。
見ると現実のレリが僕の腕にしがみついていた。おかげで弾丸は天井めがけて飛んでいったのだ。レリは目に涙を浮かべていた。平手が飛んできて僕の頬を打った。
レリは身をひるがえすと舞台に向かって走り飛び乗った。そしてルフォンさんの横に並んで一緒に歌い始めた。ルフォンさんとレリの声が同調し、大きな力となって松崎を押し返した。松崎の歌の力が弱まった。おかげで僕にも正常な思考が戻ってきた。
レリがルフォンさんと一緒に歌い、かなり盛り返しているものの、だが、それでも松崎達の方が断然上だ。ルフォンさんもレリも苦しそうな顔を時より見せる。このままでは全員やられてしまう。
此原の姿が目に入った。此原、目を覚ましてくれ。お前が一緒に歌っている男は悪人だ。お前は悪に加担している。僕達の味方になってくれ。此原だけではない。手足を切られた他の人たちも僕達の味方をしてくれ。このままでは本当に魔女狩りが始まってしまう。松崎の歌は本当にそんな力を持っている。助けてくれ。
此原達は視点を空に漂わせたまま、松崎の後ろで歌い続けていた。脳をいじられているのだ、僕の願いなど届くわけも無い。音の攻撃が強力で近付くことも出来ない。どうすれば良い。
松崎の言葉を思い出した。「生物学的には生きている」。そうだ、この人達は、まだ生きている。栄養を取り、呼吸をし、血液を循環させている。栄養はどこから取っている? これだけの人数だ。経口摂取させているとは考え辛い。どこからか管を通して栄養を送っているはずだ。管を通しているとすれば、床の下に繋がっているはず。床下をどうにかすれば、どうにかなるかもしれない。どうせこのままうずくまっているままなら、やってみるしかない。
鎖島さんからもらった拳銃を舞台の床に向けた。ここまでは空間を歪ませていないだろう。材質はフローリングの床だ。撃ち抜けるはずだ。
音の攻撃が緩んだ。今だったら行ける。松崎から少し離れた床目掛けて引き金を引いた。腕に衝撃が走る。床に穴が開く。さらに撃った。弾を撃ちつくすまで、撃ち続けた。床は銃弾でぼろぼろになった。
松崎は、僕がしていることの意味に気付いたようだ。怒りの形相で音の攻撃を放とうとした。そこへルフォンさんの攻撃が入った。僕への攻撃は弱まり、次の行動へ移れた。
僕は、銃弾で穴だらけになった部分へ走り、全力で蹴り付けた。床板は一発で踏み抜け、大きな穴が開いた。中には配線が見えている。感電などは考えず、床の穴に手を突っ込み、配線を引きちぎった。
何も起きない…?
一瞬の間を置いて、コーラス隊に変化が訪れた。目が変わった。虚空をただ見つめるだけだった目に生気が宿っていた。
「小賢しい真似を」
もう松崎の指令に、コーラス隊は従わなかった。音の攻撃は桁違いに弱まった。
ルフォンさんとレリが歌う。コーラス隊もルフォンさんと共に歌い始めた。手足を切り取られ、脳をいじくられ、もう正常な思考は望めないはずなのに、こちらの味方をしてくれている。
歌の攻撃は松崎を包み込んだ。僕には心地よいきれいな歌声にしか聞こえない歌に、松崎は身をよじらせて苦しんでいる。
ルフォンさんが松崎に歌いながら近付いていった。ゆっくり一歩一歩。
二人が、手を伸ばせば触れられそうな距離まで近付いたとき、ルフォンさんが僕に手で合図した。
僕は鏡を構え松崎の方へ向けた。鏡が一瞬光を放ち、劇場を照らした。光が消えた後、何かが変わった。空間の歪みがなくなったのだ。
ルフォンさんは歌をやめた。手には小さな剣を握っていた。その剣を松崎の腹に突き刺した。
声にならない叫びを発し、松崎はもだえ苦しんだ。顔は苦悶の表情に歪み、一瞬壁画の悪魔そっくりに見えた。苦しみのたうち回った後、松崎は動かなくなった。
先程まで音が竜のようにうごめいていた劇場内に静寂が訪れた。
僕は駆け出して舞台に飛び乗り、消耗し切って崩れ落ちそうなレリと抱き合った。僕達は勝利したようだ。
ルフォンさんは一人で倒れた松崎を見下ろしていた。
僕はレリから離れ、此原の元へ近付いた。変わり果てた姿で此原はたたずんでいた。目は宙を漂い、急速に生命の火が消えつつある。僕が配線を断ち切ったからだろう。
「此原。恨んだりしてすまん。お前は大事なことをしようとしていたのだな。借金くらい気にしなくて良いよ」
涙が出そうになった。此原との思い出が浮かんできた。同じ苦しみを分かち合える唯一の友。此原がいなかったら、もっともっと酷い人生になっていただろう。
「配線切ったのは俺だ。俺がお前の命を終わらせようとしている。ごめん。でも、介錯するって約束だったもんな。お前は本当に頑張ってくれた。もう、休んでくれ」
後ろからルフォンさんの声が飛んできた。
「急いで逃げるぞ圭介。この屋敷は爆発するぞ」
最後に此原と、犠牲になった人々を眺めた。凄惨な光景だった。悲しくて仕方ない光景だった。でも、最後に僕達に協力してくれた仲間だった。
「ありがとう」
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