第30話 神は沈黙したまま

 目的地に着いた。

 遠山風吾とおやまふうご私邸、通称ラッチーランド。通称は映画に出てきた人気キャラクターから名付けられたものだ。

 アニメ映画の大ヒットで巨万の富を得た遠山が、自費で作った巨大な屋敷だ。

 ジェットコースターや、観覧車のような乗り物があるわけではないが、自作の映画の場面を模した部屋などが作られ、抽選で選ばれた人しか訪れることが出来ない魅惑の国ということだった。

 僕は抽選に応募したわけではないので、当然当選したこともなく訪れたことはない。

 時たまテレビで紹介されたりもしているので、中を少しは見たことがあった。映画ファンや、子供が行ったら楽しそうな場所だった。

 その中で、悪魔の儀式が行われようとしているのか。

「本当に行くのですか? 遠山が俊也君をさらったという証拠なんてないですよ」

「証拠だなんだじゃねえ、そこでぶっこむのがやくざってもんだ」

「そんなときだけやくざ風ふかさないで下さいよ。いつもは宇宙人なのに」

「それでは言い直そう。そこでぶっこめるのが男ってもんだ」

 ルフォンさんはそう言ってどんどん歩いていった。

 そうだ。僕は証拠を見つけたいのではなく、行かない言い訳を見つけたいだけだった。怖くて仕方ないが、行かねばならない。

 東京二十三区からは外れているとはいえ、かなり広い敷地に遠山邸は建っていた。きれいに刈り込まれた木々に囲まれ、ところどころに映画の場面を思い出させるものが設置されていた。悪魔的な要素は微塵もない。しかし、今の僕にはとても恐ろしく見えた。

 遠山邸の全体的な外観は、「人力潜水艦シーモンキー」に出てきたガー男爵邸がモチーフになっていた。海底に造られた屋敷という設定なので、窓や扉が独特な作りになっていた。

 ここに潜入する。そう考えると恐怖で胸が締め付けられた。しかし、俊也君が捕まっている。行かねばならない。

 ガ―男爵邸の入り口に立った。大きな金属製の扉が待ち構えていた。大きなバルブのようなドアノブが付いていて、扉の表面には意味不明の文字がたくさん刻まれていた。

 ルフォンさんがドアノブを回し扉を引くと、音も立てずに開いた。来るなら来いということか。

 内部は薄暗い電灯がついていた。テレビで観たときは神秘的な印象を受けたが、今は不気味に感じる。内部は迷宮のような造りになっており、遠山風吾の様々な作品をイメージした部屋が配されていた。どこで悪魔の儀式が執り行われようとしているのだろう。

「圭介。二手に別れるぞ。見つけたら大声で呼べ」

 一人になるのは正直心細い。だが、この状況では泣き言は言えそうにない。

 ルフォンさんが、宇宙人スーツの懐に手を入れ、拳銃を取り出した。

「地球の武器だ。撃っても刑務所には行かなくて済むようにしてやる。だから、容赦なく撃て」

 そんなに切羽詰った状況なのか。「安全装置を外して引き金を引けば弾が出る」と言われ渡された。僕は無言で受け取った。銃の名前はわからないが、リボルバータイプの拳銃だ。

 拳銃を握ったら、隣人を誤って撃ち殺してしまったことを思い出した。胸が締め付けられた。僕の気持ちを汲んだのか、ルフォンさんが僕の肩を軽く叩いた。

 ルフォンさんは、不思議な形に捻じれた螺旋階段を上っていった。

 僕は一階から調べ始めた。

 アニメ映画「明後日から来たオクト」の部屋に入った。二日前にタイムスリップ出来る少年の話だった。子供同士のふれあいを描いた、心温まる映画だった。

 遠山風吾作品は基本的に少年少女が主人公の話が多かった。ハッピーエンドの万人受けする映画だ。僕も何作か観たが、楽しい映画だった。

 そんな映画を作った監督が、子供を悪魔の生贄に捧げようとしている。無茶苦茶な話だ。映画から少年愛の傾向なんて読み取れただろうか。言われてみればそんな気もするが、僕には良くわからなかった。

 映画で観た時は可愛く感じた映画のキャラクターの微笑みも、悪意がこもった微笑みに感じる。今にも襲い掛かってきそうだ。

 館の中をさらに探索した。どこにもいない。本当にこの中にいるのだろうか。

 昔風の場所に出くわした。「魔法忍者コル」の部屋のようだ。和と洋が無理やり混ざり合ったような感じの部屋だ。部屋の真ん中には井戸があった。

 僕は井戸を覗き込んでみた。開館時間のときは、井戸の底から天井に向かって光が立ち上る仕組みになっていた。白や赤や青、様々な光が放たれて、幻想的な光景を作り上げていた。

 井戸はとても浅く、手を伸ばせばすぐに底にある照明に触れた。こつこつと叩いてみる。結構頑丈な作りになっている。僕は井戸の手すりを乗り越え、照明の上に立ってみた。

 急に足元から光が放たれ、目がくらんだ。そしてゆっくりと足元が下がっていった。

 僕は驚いたが、そのまま下へと降りていった。この下に何かがある。

 降りてみると、そこは大きな空間が広がっていた。薄暗い照明に照らされたその空間は、上のほのぼのとした場所とは全く違っていた。禍々しい怪物の彫像。動物の剥製。ホルマリン漬けの蛇や蛙。悪魔崇拝の空間だ。

 そこら中から人の気配がするような気がする。僕は怯えていた。怖い。とても怖い。それでも進んだ。

 地下空間はかなり広い。天井も高い。それでも物凄い圧迫感を感じた。

 先の方に、火がいくつか灯っているのが見えた。進んでみると、金属製の棒の先に、人間の手の形をした燭台が付いていて、その上に蝋燭が灯っていた。それが四本、腰くらいの高さの祭壇を囲んでいた。祭壇には俊也君が寝かせられていた。周りには誰もいない。

 僕はあわてて駆け寄った。生贄を捧げる台の上の俊也君は、意識はないようだが呼吸はしていた。体を揺さぶってみると少し目を開けた。意識は混濁しているようだ。薬か何かの影響だろう。とにかく生きていて良かった。

後ろで気配がしたので振り返った。少し遠くに遠山風吾が立っていた。

「儀式の邪魔をしては困るな」

 遠山の手には、鋭い短剣が鈍く輝いていた。

 僕はズボンに差し込んでいた拳銃を抜いた。安全装置を解除し、遠山に銃口を向けた。

 そんな僕を見て、遠山はにやりと笑った。銃なんてろくに撃ったことないことを見抜いているのか。

「随分と格好良いじゃないか。びびっているのが見え見えだけどな。俺に当てられるかな」

 遠山が踏み出してきた。

 テレビで見るのとは、全然印象が違う。子供好きな温厚な中年のはずだが、明らかに邪悪な空気を発している。目は血走って赤く、黒目が収縮して怪物染みた形相になっていた。

 僕は遠山の腕を狙って引き金を引いた。乾いた音がして、遠山からかなり離れた怪物の彫像が砕けた。

「良い腕だ」

 遠山も銃弾に少しは驚いたようだが、さらに近付いて来る素振りを見せた。

「悪魔だ、呪いだ、全部嘘っぱちだろうが。作り話で信者集めて資金集めか。おまえら悪魔教の張りぼて具合は、もうわかってるんだ」

 遠山は、気味の悪い笑みを浮かべたまま近付いてきた。

「ああ、そうだ。「堕ちてきた者達」の歴史はわたしが考えたよ。深みと神秘性を持たせる為にな。こういうのに引っかかる馬鹿は多い。おかげで信者は増えた。「堕ちてきた者達」の歴史も教義も後付けのまがい物だ。少し調べればわかってしまう。だが、一度心を奪われてしまえば、人間はつまらない真実より魅力的な嘘を選んでしまう。我々は虚飾にまみれたくずの集まりだ。しかし、悪魔は存在する。本物の悪魔は存在する。そして、お前はこの剣で切り刻まれて死ぬ」

 接近されたらやられる。銃弾を当てねば。鎖島さんが言っていた、「人は人を殺すように出来ていない、戦場でも無意識のうちに銃弾を外している」という言葉を思い出した。僕も人殺しのリミッターがかかっているのだろうか。かかっている。殺したくないから腕を狙った。僕の技術で腕なんて細い場所に当てるのは困難だ。胴体を狙わねば。でも、人殺しにはなりたくない。それでもこの状況では仕方ない。僕は遠山の腹を狙って拳銃の引き金を引いた。

 銃声が響いて、ホルマリン漬けの瓶が割れ、蛙が中から滑り出た。銃声が耳にこだましてぼんやりした。

「ちゃんと狙って撃っているのか」

 遠山の笑い声が響いた。

 拳銃を当てるのはこんなに難しいのか。恐怖で胸が締め付けられる。間違えて当てて隣人を殺し、家族の人生を無茶苦茶にしたくせに、こんな肝心なときには全然当たらない。どういうことだ。

 冷静になれ圭介。なんとしてもここを乗り切る。遠山に弾を当てなくても良い。拳銃で牽制して時間を稼ぐ。そうすれば、ルフォンさんが来てくれるはずだ。銃声はルフォンさんにも聞こえているだろう。とにかく遠山を近付けないことだ。遠山も銃弾は恐れているはずだ。まぐれでも何でも銃弾が当たれば死ぬ。現に不用意には近付いて来ない。こちらが弾を撃ち尽くすのを待っているのだ。残りの銃弾を貴重に使え圭介。

「だんだんこつがつかめてきたよ。もう少し近付いてくれたら、当てれそうだけどな」

 余裕がある振りをしてみた。正直もう少し近付かれても当てる自信はない。

「嘘つくな。声も銃口も震えているぞ。当たりはしない。お前の横に立っている燭台は、ハンド・オブ・グローリー、栄光の手だ。屍蝋化しているが、本物の人間の手だ。人間の手を切り取り、よく血を絞り出す。土製の器に入れ、硝石、長唐辛子で十五日間漬け込む。そして、天日で干す。乾燥しなかったらクマツヅラとシダと一緒に竈に入れて乾燥させる。そうやって作り上げた魔法の手だ。お前を惑わせ、体を動けなくする。お前は俺を撃てない。そして、後ろの子供と一緒に切り刻まれるのだ」

 横目で手の燭台を見た。血が通っていないマネキンの手のように見える。屍蝋になるとこうなるのか。本当の人間の手なのだろうか。いや違う。魔法なんてあるか。僕の心を揺さぶるつもりだ。声も銃口も震えていない。心理戦に負けるな。

 もう一発撃ってみた。壁にかかっていた山羊の頭が落っこちた。手が痺れた。

「ほら。さっきよりお前の近くを通ったぞ」

 むしろさっきより遠山から大きく外れたような気もするが、適当にはったりを言ってみた。

「同性愛が市民権を得てきているのに、少年愛が咎められるなんておかしいと思わないのか。その子供を渡せば、お前の命は助けてやろう。こんなしみったれた矛盾だらけの日常から救ってやる。一緒に悪魔を崇めよう」

 仲間に引き入れようってのか。ふざけるな。お前はおかしい。

「お前の背後にある台座で、子供を生贄に捧げた。その様子はしっかりと映像に残しておいた。素晴らしき血の記録だ。穢れなき血で悪魔はとても喜んでいたぞ。そして私の作品はさらに輝く」

 スナッフフィルムというやつか。悪魔儀式の部屋に、まがい物のスナッフフィルムがあった。本物も作られていたというのか。いかれている。こいつは悪だ。怒り、恐怖、嫌悪感が僕の中で渦巻いた。

 背後から、俊也君の声が聞こえた。意識がはっきりしてきたようだ。遠山の姿を見て、恐怖を感じているようだ。震えるような声が聞こえてくる。俊也君が泣き始めた。

 泣かないでくれ。恐怖が僕にまで伝染する。僕の中の怒りが縮こまり、恐怖が強くなってきた。飲み込まれそうだ。頼むから泣き止んでくれ。

「ははは。純粋な恐怖だ。どうだ気持ち良いだろう。俺も気持ち良い。もっと気持ち良くさせてやるぞ」

 遠山はさらに笑った。顔がどんどん人間的ではなくなっていく。恐怖のせいでそう見えるだけだ。気持ちをしっかり持て。

 引き金を引いた。向こうの方で、壁をはじいた音がした。また外れた。どうして当たらない。栄光の手の力なのか。これが悪魔の力なのか。恐怖で心が埋め尽くされそうになる。俊也君の鳴き声がさらに大きくなった。僕の恐怖心がさらに膨らむ。

 遠山がにじり寄ってきた。不気味な微笑が口元に張り付いている。目が夜行性の動物のようにらんらんと赤く輝いている。怖い。とても怖い。

「これ以上抵抗するなら、生きたままこいつで内蔵引きずり出してやるからな」

 あの剣で何人もの子供の命を奪ったのだ。僕も餌食にされてしまうのか。

 もう一度弾丸を発射した。遠山の顔が歪んだ。どうやら銃弾が肩をかすめたようだ。ちゃんと当たる。僕の撃った弾も当たるのだ。

 遠山の目が憤怒の炎で燃え盛っていた。口元から笑みは消えている。右肩をかすめたのに、短剣は離さなかった。

「次は頭を撃ちぬくぜ」

 口ではそう言ったが、腹を狙った。頭に当てる自信なんて無い。

やらなければ本当にやられる。躊躇わずに撃つ。それしかない。

引き金を引いた。撃鉄が音を立てるだけで、弾は発射されなかった。もう一度引き金を引いても同じだった。

弾切れ。

「神は沈黙したままだな」

 勝ち誇った笑いを浮かべながら、遠山が進んできた。

 僕は拳銃を放り出して、手の燭台をつかんだ。蝋燭の炎を遠山に向ける。鉄製の棒の先に手が付いている。かなり重い。こんな物振り回せるだろうか。しかし、手に届く範囲で他に武器が無い。そのとき先端に付いている栄光の手に目が止まった。手に傷が付いている。見たことがある傷だ。この傷は中学のとき菊池に刺された傷だ。この手は、此原の手だ。

「あがくなあ。虫けらが」

 短剣を目の高さに構え、遠山がじりじりとにじり寄ってきた。

 僕は両手で燭台を遠山の方に突き出し、力強く言った。

「この栄光の手は、俺に味方する。お前を惑わせ、動けなくする」

 遠山が短剣を振り上げて襲い掛かってきた。僕は燭台を突き出した。金属音がして遠山の短剣が床に落ちた。銃弾がかすめたのが効いていたようだ。緊張状態と麻薬で痛みを感じていなかったが、力は入らなくなっていたのだろう。

 僕は燭台を横から振って遠山を叩こうとした。燭台は遠山の脇腹に当たったが、そのままつかまれてしまった。

 引っ張ったが遠山は離そうとしない。僕は燭台から手を離し、遠山につかみかかった。

 遠山を投げ飛ばそうとしたが、うまくいかない。殴ろうにも距離が詰まって殴れない。

 もつれ合っていると、遠山の力が抜けた。下を見ると、俊也君が遠山の足に噛み付いていた。

 僕は頭突きを遠山の鼻っ面に叩き込んだ。額に大きな衝撃を感じ、少し視界がぼんやりした。それでも何回も頭突きをした。遠山は床にへたり込んだ。僕は遠山の顔面を蹴り飛ばそうとしたが、足は空を切り、僕はそのまま豪快に転んだ。

 あわてて立ち上がってみると、遠山はまだ床に転がっていた。気を失っているようだ。

 助かった。

 俊也君と目が合った。涙でぐちゃぐちゃの顔はまだ恐怖で引きつっていた。

 俊也君を抱きしめた。俊也君は僕の胸で安堵の涙を流した。僕も生き残った喜びで泣きそうになった。

 床に転がった栄光の手を見た。やはり此原の手に見えた。間違いであって欲しい。だが此原の手に見えた。

 ルフォンさんが向こうから走ってくるのが見えた。遅いよ。

「一発も当たりませんでした」

 そう言って、足元に落ちていた拳銃を拾い、ルフォンさんに渡した。

 ルフォンさんは、「それで生き残れたら、それの方が良い」そう言って拳銃を受け取った。

気絶している遠山を縛り付けた。そして、縛り付けた遠山を地下に残し、僕達は外に出た。

 遠くから木村瞳さんが走ってくるのが見えた。俊也君も木村さんの姿を見つけて駆け出した。二人は駆け寄って、しっかり抱き合った。二人とも泣いていた。

 二人の姿を見ていると、命を懸けて良かったと思った。木村さんは俊也君のことが本当に好きなのだな。僕も俊也君のように、母親から愛されていたはずだ。母には何もしてあげれないどころか、本当にひどいことをしてしまった。少し目が潤んできた。

「う、宇宙人の人が助けてくれた」

 俊也君が泣きじゃくりながら、ルフォンさんの方を指差した。助けたのは僕なのだが、ルフォンさんの方がインパクトが強かったようだ。

 木村さんがルフォンさんの方を見た。

 ルフォンさんも木村さんを見つめていた。そして、ゆっくりと歌いだした。「Beauty and the Beast」。

 木村さんも合わせて歌い始めた。とてもきれいな声だった。二人の声が合わさった。

 二人の運命の歯車はどこかで狂ってしまった。猛さんが撃たれたときか、それとも飛行機が墜落したときか。とにかく愛し合っていた二人は離れ離れになってしまった。これからこの二人が結ばれることはないだろう。でも今、二人は今重なりあっている。

 最後に二人が見詰め合った。二人が手を伸ばせばぎりぎり届きそうな距離だったが、二人は手を伸ばさなかった。ルフォンさん、いや、猛さんが微笑んだ。木村さんも目に涙を浮かべたまま微笑んだ。

 後ろから木村さんの旦那さんと思しき男性が走ってきた。とても良さそうな人だった。

 木村さんは、旦那さんの方に振り返り、家族三人で抱き合った。

 ルフォンさんはその光景を少し見ていたが、微笑を浮かべたままその場を離れた。

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