第27話 真犯人はここにいた

 次の日から、僕の父が隣人を殺した事件を調べ直す為、今まで敢えて避けてきた父の事件の本を読み返してみた。

 日本猟奇殺人事件誌という本をネットで購入し、読んでみた。

 一九九九年の八月最初の日曜日だった。富士山麓旅客機墜落事故の一週間後にあたる。

 隣人は悪魔教団と関係があったのだろうか。一週間前に起きた、旅客機墜落事故と関係があるのだろうか。唯一の生き残り、松崎と関係があるのだろうか。

 本によれば、父は日曜の昼過ぎから夕方の間に犯行に及んだ。まず、庭先で隣人の頭を金槌で強打。この金槌は家の大工道具箱から持ち出したものだった。隣人はその場で死亡。その後死体を隣人の家の居間に運び、頭を数十回にわたり殴りつけた。被害者の頭は原型を留めない程に変形していた。居間には血や脳漿が飛び散り、凄惨な光景を作り出していた。

 本には、僕の家と隣人の家の配置を書いた図も載っていた。僕の家も、隣人の家も玄関は北向きで、南に小さい庭が付いている木造二階建ての平凡な家屋だった。隣人の家は大きかったイメージがあるが、実際は僕の家と大差ない大きさだったようだ。家と家の間には低い垣根があり、隣の庭を覗こうと思えば簡単に覗ける構造になっていた。

 本には被害者と加害者の人となりについても書かれていた。

 被害者の評判はすこぶる悪かった。家の敷地にはゴミが散乱し、時たま変な奇声を上げたり、大声で歌ったりして、近隣の住民は迷惑していた。変な宗教に凝っていたという噂も流れており、ゴミが散乱した家の中には、変な図形や絵が描かれていた。

 しかし、変な図形や絵、もしくは歌の内容の記述は本の中にはなかった。悪魔教団との関連性を裏付ける為には、そこが重要なところだ。一番知りたいところが欠けている。歯痒い気持ちでページをめくった。

 加害者である僕の父のことも書いてあった。幼少の頃から優しい性格で、職場での評判も良かった。家族との仲も悪くはなかった。被害者の隣人とも、他の近隣住人に比べてうまくやっていたかに見えた。動機があやふやなまま有罪判決を受け、そのまま刑務所内で病死した。

 僕の認識も大体同じだった。その後、他の本も読んでみたが、目ぼしい情報はなかった。

 次にインターネットでも事件の情報を調べてみた。本で読んだことと、大差はなかったが、事件の起こった家が、取り壊されずに残っていることがわかった。現在は殺人事件のあった場所として、結構有名な心霊スポットになっているらしい。

 あの家に行ってみよう。何かわかるかもしれない。ルフォンさんに言えば、行かせてもらえるだろう。いや、ルフォンさんの性格上、一緒についてくるだろう。父が殺人を犯したことはまだ告げていない。正直に言うべきか。それとも適当な理由をこじつけるか。相手は一応やくざだ。下手に自分の情報を与えるべきではないのではないだろうか。僕は適当に理由をこじつけて、ルフォンさんに許可を得ることにした。

 レリは歌の練習をしていた。防音設備が整ったこの家は、練習にはもってこいのようだ。

 ルフォンさんはパソコンの画面を見入っていた。

「何を見ているのですか?」

「井の頭公園でみつかった手足の持ち主が判明したと、さっきテレビでやっていた。もうネットでは持ち主の素性や動画が上がっている」

 みつかってからそんなに日にちが経ってないのに、現代の捜査技術は凄い。そしてネットの住人も凄い。

「何人かのうち二人の素性がわかった。これが動画だ」

 まずは男性がマイクを持って喋っている動画が映っていた。結婚式の映像のようだ。男性が行方不明になったので、捜索用に身内の人が公開していた動画のようだ。若い男前の男性が友人の為にスピーチしていた。

 もう一人の動画も見てみた。今度は女性だった。これも行方不明になったとき捜索用に公開したものだった。キャンプ場かどこかで遊んでいる映像だった。他にも人が映っているが、他の人にはモザイクがかかっていた。特別きれいとも言えないが、元気な笑顔が素敵な女性だった。

 動画で見る限り、元気で幸せそうな二人がこんな状態で見つかってしまうとは。やり切れない気持ちでパソコンを眺めていた。

「この二人の共通点がわかるか?」

「え、急に言われても。年齢が同じくらいかな…」

「目で見ていてはわからないぞ」

「心で見るということですか?」

 ルフォンさんは何も答えず、画面を見ていた。

「ところで何か用があったのではないのか」

「あ、そうでした」

 ルフォンさんと視線を合わせていたら、急に嘘をつかなくても良いような気がしてきた。

「僕の父親は殺人を犯しました。殺したのは昔住んでいた家の隣に住んでいた人です。その人は、町の人たちからは「悪魔にとり憑かれた男」と呼ばれていました。もしかしたら悪魔教団と関係しているかもしれません。昔住んでいた家を調べに行かせて下さい」

「そうか。俺も一緒に出撃する。レリも連れて行くのか?」

「いえ。連れて行かないつもりです」

「そうか」

「知っていましたか?」

「お前が恋する惑星だということか?」

「そ、そうじゃなくて…」

「出撃だ」

黒塗りのベンツを運転し、過去の殺人事件があった場所へと向かった。僕の人生が大きく変わり始めた場所だ。

 隣人が悪魔教団の一員だったら、隣人が悪人だったら、僕の父は、正義を成したことになる。父の名誉を回復することが出来る。例え世間の評価は変わらなくても、僕の中の父を変えることが出来る。

 僕は車を走らせた。ルフォンさんは後部座席で歌を歌っていた。「This is the Moment」いつもは陽気な歌が多いのに、今日はこの歌か。でもふさわしい。

 長かったのか短かったのか良くわからない時間が過ぎ、目的地へと到着した。

「もし悪魔教団と関連があったのなら、やつらが潜んでいる可能性もある。油断するなよ」

 車から降り、連なった二軒の家を眺めた。どんな事情があったのか知らないが、二軒とも家は残っていた。どちらの家も荒れ果て、不気味な雰囲気を放っていた。昔書かれた落書きが辛うじて読み取れた。僕の家には「人殺し」や「死ね」。隣人の家には「悪魔」と書かれていた。

 誰にも見咎められないように、こっそりと隣人の玄関に立った。玄関は板を打ち付けられており、ここから侵入するのは難しそうだった。

 僕達は、家の中に入れそうな場所を探した。生い茂った雑草に足を取られながら進むと、ガラスが割れてなくなった窓を発見した。僕達はここから潜入することにした。

 窓枠の中に体をねじ込み、家の中に足を踏み入れた。靴底にガラス片を踏んだ感触が伝わってきた。

 持ってきたライトのスイッチを入れる。埃が溜まった室内がぼんやりと浮かんだ。

 埃の上を歩いた足跡がたくさん付いていた。最近のものではない。肝試しに乗り込んだ若者の足跡か、それとも。

 ルフォンさんと顔を見合わせた。暗い中に浮かび上がるルフォンさんの顔は、特に変わりはなかった。

 僕達は死体が置かれていた居間に進んだ。板敷きの廊下は、僕の恐怖心を煽るかのように一歩進むたびに軋んだ。

 ドアを開け、居間に入った。胸が押し潰されそうな空気が充満していた。

 床に壁に天井に、血が飛び散った跡が茶色く残っていた。

 この部屋で、父は隣人の頭を潰したのだ。原型を留めないほどに。

 僕は、悪魔教団とつながりがないか、部屋を見渡した。特に何も見つからなかった。

 他の部屋も二階の部屋も調べてみた。隣人が残したゴミやガラクタが埃を被って散乱していた。不良の溜まり場にでもなっていたのだろうか。比較的新しいジュースの空き缶や、タバコの吸殻も落ちていた。事件のことを書いた本に記述があった、変な絵と思われる絵も発見した。誰かわからない人物画で、不気味な印象を受けたが、悪魔教団とのつながりはわからなかった。

色々探してみたが、悪魔教団の爪痕を見つけ出すことは出来なかった。

僕は、落胆した。隣人と悪魔教団を結び付けたかった。父の殺人に意味を持たせたかった。先程まで恐怖の目で見ていたものを、空虚な目で見るようになった。

「悪魔教団と関連していたという証拠はなさそうだな」

 僕の気持ちを感じ取ったのか、ルフォンさんはいつもの陽気さを抑えて言った。

 僕は曖昧に返事をして、カーテンを開け、居間から庭に通じるガラス戸を開けた。

 ガラス戸は引っかかりつつも開き、室内に久し振りの日光を招き入れた。

 父が隣人を最初に殴った場所だ。小さな庭には雑草が生い茂り、殺害の痕跡は見て取れなかった。

 僕は庭に出て、父が隣人を殴ったと思われる場所に立った。

 父は何を思い隣人を殴り、倒れた隣人を見下ろして何を思っていたのか。

 何もわからなかった。

 庭を横切り、昔家族で住んでいた家の方へ向かった。雑草が膝上まで来ていて歩き辛い。

 二つの家を隔てる垣根は、ぼろぼろになっており、容易に取り除くことが出来た。

 昔自分が住んでいた家の敷地に足を踏み入れた。こんなに小さかっただろうか。もっと大きかったような気がする。僕が大きくなったのだろうか。

 庭からのガラス戸は割れており、錠はかかっていなかった。こちらも肝試しに使われているようだ。

 中に入ってみると、比較的新しいゴミが落ちていたが、僕達が残していったものは、何も残っていなかった。

 この家に、父を狂気に走らせた何かがあったのだろうか。くまなく歩き回ってみたが、特に何もなかった。

 もう一度庭に出た。この庭に洗濯物を干していた。洗濯は母がやってくれていたし、ペットを飼ったり、植物を育てていたわけではないので、この庭に出ることはそんなになかった。今となっては、母がこの庭に洗濯物を干す後姿が、平和の象徴だったような気がする。

 周りを見渡してみる。どこかで見た景色だ。そりゃそうだ、昔住んでいたのだから。僕は庭で何をしていたのだろう。そうだ、改造したモデルガンを試し撃ちしていたのだ。一発で壊れてしまったけど。あれは暑い日だった。とても暑い日で、蝉がうるさいくらいに鳴いていた。

 ふと、何かがつながった気がした。

 あの時、改造され威力が増したモデルガンから発射された、金属入りプラスチック弾は、お菓子の空き缶をぶち抜くはずだった。しかし、お菓子の空き缶には当たらなかった。どこへ飛んでいったのだ?

 僕は昔の記憶を甦らせ、試し撃ちしようとしていた場所へ立って、今は無きお菓子の空き缶へ、空想の銃を構えてみた。銃口は隣人の庭の方向を向いていた。

 父が隣人を殺したのは、八月の最初の日曜日。暑い日だった。

 僕が隣人を殺した。

 全てがつながった気がした。僕が撃った弾は空き缶には当たらず、低く隙間だらけの垣根を越えて隣人の頭に命中した。モデルガンとはいえ、改造を施されていたので威力は十分だった。隣人は死んだ。

 父は隣人の死に気付いた。そして、息子が放り捨てた改造されたモデルガンと結び付けた。愕然としただろう。息子が誤って隣人を殺してしまったのだ。今となっては父の心境を知ることは出来ない。驚愕し、絶望しただろう。しかし、父の行動は迅速だった。息子の罪を隠す為に、被害者の頭から弾丸を取り出し隠蔽。そして、弾痕がわからないように頭を何度もハンマーで強打した。それから家に帰って母と語り合ったのだろう。父が自首して警察が来たときも、母はそんなに慌てていなかった。ただ、物凄く憔悴していた。父を待ち続けようとしていたのも、父の死をあんなに嘆き悲しんだのも、僕が父を悪く言ったとき怒り狂ったわけも、「お父さんは本当に良い人だったのよ」という最後の言葉もこれで説明がつく。二人で僕の罪を隠そうとしてくれた。僕に罪の意識を持たせない為に、真相を黙っていてくれた。

 父は刑務所に入ってそのまま病死した。僕の罪を被る前から、自分の死期を悟っていたのだろうか。未来なき自分を捨て、息子の未来をとったのか。今となってはわからない。

 父さん、母さん、あなたたちの選択は間違えていたと思う。僕が裁かれるべきだった。僕が罪を償うべきだった。ちゃんと息子である僕に罪を自覚させるべきだった。あなた達の選択はとても愚かだった。

 もっと愚かなのは僕だ。自分の失敗で人を殺し、家族を崩壊させたのにも気付かず、親を社会を憎んでいた。本当の馬鹿だ。

 父さん母さん、ごめんなさい。せっかく罪を被ってくれたのに、全く駄目な人生を送っている。これからも大した人生は送れない可能性が高い。他人の保証人になって借金背負っている時点で、人生終わっている。父さん、母さん、僕を救うべきではなかった。正直言って辛くて仕方ない人生だった。

 でも、僕は愛されていた。

 自分の愚かしさ、周りの人の不運。やり場のわからない怒り。悲しみ。取り返しのつかない大きな後悔。色々な感情が入り混じって涙が出た。とてもたくさんの涙が出た。

 突然泣き崩れた僕をルフォンさんが見つめていた。

「殺したのは父さんではなく、俺自身でした」

 しゃくりあげてしまって上手く喋れなかったが、なんとか言葉を搾り出した。

「そうか…」

 ルフォンさんはそれだけしか言わなかった。

 帰りの車はルフォンさんが運転してくれた。僕は運転出来る状態じゃなかった。

 ぼんやりと窓の外を見ていた。日が暮れた景色の中を、涙に滲んだ光が来ては流れていった。

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