第23話 油断と恋心
ルフォンさんに言いつけられ、コンビニに買出しに出かけた。一人で出歩くのは危険なのだろうか。天気の良い昼間だと、悪魔教団と戦っているなんて、実感がまるで沸かなくなる。「堕ちてきた者達」の歴史もいんちきである可能性が高くなった。呪いなんて迷信だ。存在するわけが無い。
組の人達も僕の監視なんてしていない。逃げ出さないと思っているのだろう。逃げ出して、びくびく暮らすよりも、猛さんの世話をして借金免除の方がましな気がする。それに悪魔教団の件が一段落するまでは、ここから離れる気も無かった。
コンビニで食料や雑誌の買い物を済ませ、公園のベンチに腰掛けて、買ってきた缶コーヒーを飲んだ。
レリにもらった黒い勾玉を指でつかんで、じっと眺めた。レリが持っている白い勾玉と合わせると一つの丸になる。時たま見かける絵柄だ。レリとセットのものを持っている。嬉しくなってくる。「守って」レリの言葉と、僕を見つめた瞳を思い出す。体が熱くなってきた。僕はレリのことが好きになったようだ。こんな状況なのに、僕は人を好きになってしまった。人殺しの息子なのに、人を好きになってしまった。
高校を卒業して東京に出てきたとき、付き合った女の子を思い出した。バイト先で知り合った女の子だった。美人というわけではなかったが、僕が人並みに女性と付き合えるということに、夢でも見ているのではないかと思ったほど喜んだ記憶がある。だが、それも長続きしなかった。父の事件がばれたという訳ではなく、僕が彼女に心を開けなかったからだった。それまで疎外されてきた人生が、僕に猜疑心を植え付けていた。この人は、事件のことを知ったら去っていくのではないか。この人は、何かを知っているのではないか。この人が、僕の父の事件を言いふらすのではないか。そう思うと、心の壁をつくってしまっていた。「わたしには、心を開いてくれないのね」そう言い残して彼女は去っていった。その後も、人間関係は総じてそんな感じのまま過ぎていった気がする。此原だけが、心を開ける唯一の存在だった。
レリが心を開ける存在になってくれたら。白と黒が混ざりあって丸くなるような存在になれたら。そう思いながら、黒い勾玉を眺めていた。
勾玉から目を離し、公園の中を眺めた。小さい公園なのに、結構人がいる。ベビーカーを引いた家族連れ。奇声を上げて走り回る子供達。ヘッドホンを耳に当てて、音楽に聞き入っている青年。世界は平和だ。
こんな穏やかな昼下がりに浸っていると、自分が半監禁状態で、自称宇宙人やくざの世話をしているなんて、夢の中のことのように感じてくる。
ぼんやりと缶コーヒーをすする。コーヒーが「ぬるい」と「冷たい」の間くらいの温度になっていた。少しのんびりし過ぎたようだ。
元気に遊んでいた子供達が、公園から去るようだ。そのような会話をしている。友達と挨拶をかわし、帰っていった。
僕も帰らねば。腰を上げようとしたとき、ベビーカーを引いた夫婦が、僕を見ているのに気付いた。知り合いだろうか。夫婦共に見覚えのある顔ではない。ベビーカーの中の子供に目をやった。目を開けているから寝ているわけではない。しかし、ぴくりとも動かない。何かおかしいと思って、よく見てみた。人形だ。赤ん坊の人形だ。赤ん坊の人形をベビーカーに入れた夫婦が、僕を見つめている。この人達は、やばい人なのか?
この公園には、他にも人がいる。ヘッドホンを付けた青年だ。青年は、この少し変な夫婦に気付いているのだろうか。青年の方に目を向けた。青年も僕を見ていた。青年も僕と同じ事に気付き、同じ事を考えているのだろうか。この夫婦は何かおかしいと。
僕は、視線で訴えてみた。あの夫婦、何かおかしいぜ。
青年は僕を見つめ続けていた。ヘッドホンからコードが伸びていたが、それはどこにもつながっておらず、宙にぶら下がっていた。この青年は何を聞いていたのだ。この青年も変だ。
公園から子供たちが消え、夫婦と青年と僕だけになった。囲まれたのか? 背筋が一気に凍りついた。
僕の座るベンチは、公園の中央に位置していた。公園の外に逃げようとしても、夫婦か青年のどちらかには捕まりそうだ。
穏やかなはずだった公園が、危険な空間へと変貌を遂げた。軽はずみに外出してしまったことを後悔した。悪魔の儀式をつぶしたときか、錬金術師のときか、とにかく僕は悪魔崇拝組織に顔を知られたようだ。こいつらはその手先だ。
夫婦の男の方が、子供の人形を抱き上げた。そして、僕の方にゆっくりと歩いてきた。
一方、ヘッドホンの青年も腰を上げた。ヘッドホンから伸びるコードをぶらぶらと揺らしながら、僕の方にゆっくり向かってきた。
夫婦の男の方が、赤ん坊の人形を僕に向かって投げるのと、僕がベンチから離れるのは同時だった。人形はベンチに当たって破裂し、ベンチは煙を上げた。どうやら強力な酸が入っていたようだ。
ヘッドホンの青年がナイフを持ってかかってきた。先程までのぼんやりした目ではない。血走った凶悪な目だ。
僕は、コンビニの袋を振り回した。中には缶詰めも入っていて、それなりに重量はある。
コンビニの袋が運良くヘッドホン青年のナイフを叩き落した。
夫婦が二人とも走って襲い掛かってきた。僕はコンビニの袋を放り出して逃げた。後ろから変な声が聞こえてくる。とても普通の人間が発する声には聞こえなかった。僕は振り返らずに走った。まだ追いかけてくる。
走りながら組の入り口を思い出した。インターホンに付いたカメラで、来訪者を確認してからドアを開錠するようになっていた。中に入るまで少し時間がかかる。間に合うか。
入り口にたどり着いて、インターホンのボタンを連打した。早く出てくれ。恐怖に脅えながら後ろを振り返った。誰もいなかった。インターホン越しに組の人の声が聞こえてきた。僕だとわかると開錠された。荒れた呼吸のまま、しばらく立ち尽くしていた。恐怖はなかなか去らなかった。
呪いなんて存在しないかもしれない。「堕ちてきた者達」の歴史はでたらめかもしれない。しかし、悪魔教団「堕ちてきた者達」は存在し、僕に危険を与えようとしている。
家の中に入り、ルフォンさんに今起こったことを報告しようとした。
ルフォンさんはテレビを観ていた。僕が息を切らせながら話し出そうとすると、手でそれを止めた。
理由がわからなかったが話すのをやめ、僕もテレビを観た。テレビは井の頭公園のゴミ箱から、人間の足がみつかったことを報道していた。ルフォンさんが見つめていたゴミ箱だった。
「これも「堕ちてきた者達」の仕業ですか?」
「多分な」
ゆるみかけていた気持ちが、一気に凍り付いていくのを感じた。此原よ無事でいてくれ。被害者には悪いが、井の頭公園でみつかった足が、此原の足ではないことを願った。
テレビの報道では、その後井の頭公園内の他のゴミ箱からも人間の手足が見つかった。みつかっただけでも、三人以上の手足だということだった。どれも手や足の一部で、胴体も頭部も今のところみつかっていないようだった。
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