第18話 新宿無差別殺傷事件

 新宿に行くとルフォンさんに言われた。新宿で起きた無差別殺傷事件のことを調べに行くのだろう。司祭が「堕ちてきた者達」の仕業だと言っていた。

 出かけようとすると、レリから電話がかかってきた。

「圭介なんか進展あった? え、何、新宿? ああ、あの事件も悪魔教団の仕業だっけ。わたしもいくわ。じゃあ、南口でね」

 これから新宿に行くと漏らしたら、一方的に喋られ、一方的に会話を打ち切られた。

 新宿は道が混むので、車で行くのはどうかと思ったが、宇宙人姿のルフォンさんと電車に乗るよりは全然ましだと思い、車のキーを回した。

 駐車場に車を停め、新宿駅南口へ向かった。宇宙人姿のルフォンさんを振り返る人もいたが、新宿ではそこまで珍しい存在ではないようだ。大概の人がそのまま通り過ぎていった。

 新宿駅南口は、平日の昼間だというのにすごい人だった。大勢の中に、手を振っているレリがいた。

 新宿無差別殺傷事件は、三年ほど前に起きた凄惨な事件だった。

 犯人の堂垣悦郎どうがきえつろうは、中央線に乗って新宿までやってきた。堂垣は身長一八〇センチ以上、体重も九十キロはある巨漢だった。日曜日の昼間人々がごった返す中、鞄から両手用の大きなハンマーを取り出した。そして、大声で叫びながら、人々に向けてハンマーを振るい始めた。そこからは新宿駅は地獄絵図だった。警官や通行人が取り押さえたとき、既に死者三名、重軽傷十名を出していた。

 この事件は連日テレビで報道され、捕まった堂垣の人物像や供述、残された遺族の悲しみに大衆は目を集めた。僕は熱心に報道を見ていたわけではないが、悪魔崇拝なんてことを言っていただろうか。見た記憶、聞いた記憶はない。

 事件などなかったかのように、人々は改札から吐き出され、また吸い込まれていった。

 レリが指を差した。差した方向には、花が供えられていた。事件の犠牲者に献花されたものだ。僕たちは供えられた花の前に行き。無言で手を合わせた。

 暗闇に囲まれ、花は静かに光を待っている。歌の歌詞を思い出した。暗闇に囲まれてはいないが、花は静かに待っていた。関係あるのだろうか。

 目を開けてみると、花の横に悪魔の像があるのが見えた。まわりの喧騒が一瞬消え、自分の心臓の音が聞こえた。

 ルフォンさんが悪魔の像を持ち上げた。そこまで大きくはないが、陶器で出来ていて少し重量はありそうだった。レリもルフォンさんの横から、悪魔の像をつついていた。僕は気味が悪いので、ただ見ているだけにしておいた。

 この事件と「堕ちてきた者達」は、関係していた。本当に危険な集団なのだ。

 少しそこら辺を調べてみたが、他には何もわからなかった。

「そうだ。せっかく新宿来たのだし、天気も良いから、新宿御苑でお茶しようか」

 殺人事件を調べに来て、そういう気分じゃないのだけど、と言う間もなく、レリはドーナツを買いに行ってしまった。

 三人で新宿御苑に来た。僕は来るのが初めてだった。入園料がかかることさえ知らなかった。

 入園してみると、都会の真ん中にあるとは思えないきれいな庭園が広がっていた。空気もきれいな気がする。乗り気ではなかったが、無差別殺人の現場を見て落ち込んだ気持ちが、少し晴れやかになった気がした。

 ルフォンさんが歌い始めた。「Over the Rainbow」。レリも一緒に歌い出した。虹は出ていなかったが、空はどこまでも青かった。いつもだったら冷ややかな目で見てしまう僕も、少し歌いだしたいような気分になった。歌が下手なので、実際には歌わなかったが。

 歌いながら歩き、園の真ん中あたりに来た。敷物は持ってこなかったので、芝生に直接座り、ドーナツを食べ、コーヒーを飲むことにした。

 それほど甘いものが好きというわけでもないが、ドーナツはうまかった。

「ドーナツ屋は色々あるけど、ここのが一番好き」

 レリはそう言って、ドーナツの袋を見せてきた。「ドーナツ・プラネット」という店名だった。星の輪がドーナツになっている絵柄が描かれていた。

「ほら、ルフォンさんにぴったりだよ」

 レリの言葉に、うむ、とうなずきながら、ルフォンさんもドーナツを食べていた。

 コーヒーもやけにうまく感じた。環境がそう感じさせるのだろうか。

 食べ終わったルフォンさんが、その場に寝転がった。レリもその場に横になった。僕も芝生の上に横たわり、両手を頭の下に置き、枕代わりにした。

 空がきれいだった。風も心地よかった。ほんの少し歩けば、新宿の喧騒が待っているなんて嘘のようだった。無差別殺人が行われたなんて、別の世界の出来事のようだった。

 無差別殺人。堂垣悦郎は、何故そんなことをしたのだろうか。鬱屈した思いを溜めていたのだろうか。社会に絶望したのだろうか。ただの破壊衝動だろうか。「堕ちてきた者達」に洗脳されてしまったのだろうか。

 百八十センチの巨躯を持つ男が、大きなハンマーを持って襲ってくる。考えただけでも恐ろしい。その場に遭遇したら、僕は生き残れたのだろうか。

 いや、僕は加害者側の人間になっていたかもしれない。これからなるかもしれない。殺人者の遺伝子を受け継ぐ者なのだから。僕を迫害した人間を、頭の中で惨殺したことなんて、数え切れないほどある。何もかも嫌になって、一線を越えそうになったことだってあった。僕は昔のことを思い出した。

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