第15話 人を殺した父を最後まで慕った母

 悪魔教団「堕ちてきた者達」は、此原の人生を変えた富士山麓旅客機墜落事故と関わっている。そして、僕の父が殺した隣人は「悪魔にとり憑かれた男」だった。これはどういうことなのだろう。僕が無理矢理こじつけているだけなのだろうか。いや、何か僕周辺の過去と現在がつながり始めているのを感じる。

「お父さんは、本当に良い人だったのよ」

 母が最期に言った言葉が甦った。

 父は、裁判にかけられ実刑が確定した。刑務所に収監されて程無く、病気になりそのまま死んだ。癌だった。事件を起こす前に、癌であることを父は知っていたという説もあるようだが、僕には知らされていなかった。

 葬儀は本当にひっそりと行われた。父の遺体は、げっそりと痩せていたが、昔の父とそう変わらなかった。人を殺した人間のはずなのに、優しげな昔の父のままだった。事件を起こす前の父を、尊敬していたとか大好きだったという記憶はない。いつもそばにいて、身近な存在だった父に、特別何かを思うということはなかった。今となってみれば、事件を起こす前の父は、尊敬すべき人間だったと思う。事件を起こした後の父に対しての感情は、怒りと憎しみだった。僕は父が憎くて仕方なかった。憎かったが、死んでしまった後では、もう何も出来なかった。

 葬儀が終わった後のことだった。家で母が泣いていた。父の遺影を見て泣いていた。

 僕は無性に腹が立った。遺影の男は、さしたる理由もなく人を殺し、僕達の生活を滅茶苦茶にした張本人だ。離婚はしたものの、母は刑務所の父に面会に行っていた。そして、金を出して葬儀まで行っている。何故そんな男の為に涙を流す。恨みこそすれ、悲しむことなんてないはずだ。

「そんな奴の為に何泣いているんだよ。そいつのおかげで、俺たちの生活はこんなになっちまったんだぞ。めそめそしてんじゃねえよ」

 僕は思わず怒鳴ってしまった。

 母は僕の言葉を聞いて、泣きながら襲い掛かってきた。拳を振り回して殴りつけてくる。涙も鼻水も大量に流し、言葉にならない言葉を大声で叫びながら。

 あっけにとられたが、僕は母の攻撃を腕で防いだ。母は細身な人だったし、その頃は僕の方がずっと大きくなっていた。いつもは温厚な母の錯乱とも言える攻撃に驚きつつも、難なく母の攻撃を防ぎ、後ろへ突き飛ばした。

 母は突き飛ばされて尻餅を付いたが、すぐに起き上がって、再び襲い掛かってきた。今度は組み付いてきて、首筋に爪を突き立てられた。何とか母を引き剥がそうとしたら、手に噛み付かれた。服の上からだったが、肉が削げるかと思うほどの激痛だった。僕は何とか振りほどき、玄関まで走り靴をつかんで外に逃げ出した。後ろからは、母の鳴き声が聞こえていた。

 その日は家に帰らず、夜の公園でぼんやり過ごした。

 次の日、家に帰り、母とはなるべく顔を合わさないように暮らした。

 母が仕事に出かけた後で、台所に用意された食事を食べ、夜は自分の部屋に引きこもった。気まずい空気はしばらく続いた。仲直りをするでもなく、あまり顔を合わせない生活が普通の生活になっていったような感じだった。

 母は父が殺した隣人の供養もしていた。隣人は家族が死に絶え身寄りが無かった。家の墓を探し出し、そこに納骨した。命日には人目を忍んでお参りに行った。

 僕も最初は申し訳ないと拝んでいたが、孤独な毎日を続けていくうちに、「殺されてんじゃねえ」と理不尽な怒りを覚えるようになり、墓参りも行かなくなった。

 僕が高校を卒業して何年か経ったとき、母も死んだ。

 病院のベッドで最後に母は言った。

「お父さんは、本当に良い人だったのよ」

 僕は、何も言葉を返せず、ただ母が死んでいくのが悲しくて涙を流した。こんなに良い人だった母を苦しめた父をさらに憎んだ。

 此原とは小学校中学高校と一緒だったが、卒業してからは別の道を歩んでいた。そんな此原が、母の葬儀を手伝ってくれた。親族からものけ者同然の扱いだったし、金もなかった。本当にひっそりとした葬儀だった。うちひしがれている僕に、此原はひっそりと寄り添ってくれていた。


 父が死んで、僕が悪態をついたとき、母が怒り狂ったわけも、「お父さんは、本当に良い人だったのよ」という母の最期の言葉の意味も、解き明かすことが出来るかもしれない。「堕ちてきた者達」との抗争に巻き込まれるのは怖いが、今逃げるわけにはいかない。

 僕が、小さな決意を胸に離れに戻ると、ルフォンさんが歌って踊っていた。この人にももっと優しくしてあげようと思った。

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