第12話 宇宙人ではなかった頃
動物園でルフォンさんを見て泣いた女性に電話しようかと迷っていると、女性の方から電話がかかってきた。話をしたいので、どこかで会えないかということだった。
一度電話を切って、ルフォンさんに許可を取ってみた。
「右の涙は彼の元へと続く道、左の涙は彼の内部に入る道」
歌の歌詞を口ずさまれた。あの女性の涙と何か関係あるのか。さっぱりわからないが、許可を得たみたいなので、女性に電話をかけ直し、近くの喫茶店で落ち合うことになった。
指定された喫茶店に行ってみると、女性は既に席で待っていた。
僕が席に着く前に立ち上がり、丁寧に挨拶してきた。立ち振る舞いから上品な印象を受けた。名を、木村瞳と名乗った。旧姓は樫倉だったそうだ。
店員が注文をききに来たので、コーヒーを頼んだ。木村さんの前には、まだ温かそうな紅茶が置いてあった。
僕は自分の名前を名乗り、訳あって猛さん(ルフォンさん)の世話係をしていることを説明した。借金の為にやくざに監禁されている、というと色々ややこしくなりそうなので、そこらへんは適当にはぐらかした。
「猛君は死んだと思っていたのです」
木村瞳さんは、ぽつりと言った。
喫茶店で向かい合った木村さんは、子供がいるとは思えないほど若々しくきれいな人だ。
「ルフォ…、いや猛さんとはどういうご関係だったのですか?」
木村さんは、僕の目をまっすぐ見つめ、その後テーブルに目を落とした。その先には手の付けられていないコーヒーしかない。
「ちょっと照れくさいけど、率直に言えば恋人同士でしたね。この言い方古いかしら」
恋人か。確かにちょっと古いかな。でも、むしろ新鮮な感じがする。そんなことないと返しておいた。
「私達が音大の頃の話だから、結構昔になるわね」
木村瞳さんと猛さんは、音楽大学のときに出会い、お互いに惹かれあい付き合いが始まったそうだ。
「猛君、ミュージカルスターになると言っていたわね。まあ、冗談めかした感じではあったけど。猛君実力あったのよ。将来有望と言う人もいたわ」
「その頃は宇宙人の格好はしていなかったのですか?」
木村さんはちょっと吹き出した。
「当たり前でしょ」
笑った木村さんはさらに美人だった。学生時代はもてただろうな。
「卒業間近くらいだったかしら。私は留学が決まっていて、準備の為一時外国に行っていたの」
そこで言葉が途切れた。少しの沈黙の後、木村さんは語った。
「帰ってみたら、猛君は死んだって言われた」
何も返せなかった。コーヒーカップを握り締めたまま、口に運ぶことも、下に下ろすことも出来ず、ただ固まっていた。
「猛君、お家が、その…」
「やくざ」
「そうね、やくざだったのね。噂には聞いていたけど、抗争に巻き込まれるなんて、思いもよらなかった。撃たれて死んだって聞いても、信じられるわけなかった」
その後、木村さんは、留学するも途中で挫折。日本に帰ってきて、音楽関係の仕事を少しして、今の旦那さんと結婚するにあたり、退職したということだった。今は一児の母親だ。かわいい息子俊也君は上野動物園で見た。
「生きていたのね。ずいぶんと変わってしまったけど…。いや、むしろ全然変わっていなかったかな。昔のまま。若い頃の猛君のまま」
目を潤ませて、木村さんは微笑んだ。
本当に好きだったのだな。ルフォンさん、いや猛さんが生きていたと知っていたら。二人がすれ違わなかったら、どんな人生になっていたのだろうか。多分、木村さんも想像しているのだろう。うまくいかないものだ。
喫茶店を後にして、木村さんの後姿を見ながら、僕は大きくため息をついた。
ルフォンさんは、昔からあんな変な人ではなかったようだ。音楽大学に行って、あんな奇麗で常識的な女性と付き合えるくらいまともな人間だったのだ。銀色の全身スーツを着て、突然歌って踊りだす姿しか知らないので、その頃のことは想像がつかない。何がきっかけでああなってしまったのだろう。やくざの抗争に巻き込まれたとか木村さんが言っていた。その影響だろうか。鎖島さんに訊けばわかるかもしれないが、怖くて声をかけ辛い。
このまま逃げてしまおうかと一瞬思った。しかし、やくざから逃げ切れる気もしない。司祭の部屋から出るとき、鎖島さんの「そこには触れない方が良い」と言った顔を思い出した。下手なことをしたら、消されてしまうかもしれない。それに、悪魔教団についてもっと知りたいと思っている自分がいた。
もやもやしたものを抱えて、僕はルフォンさんのもとへと足を向けた。
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