第9話 悪魔教団「堕ちてきた者達」

 儀式が行われていたマンションから、組の屋敷へ帰ってきた。僕はへとへとに疲れていたのだが、鎖島さんに 捕まえた司祭の見張りを言いつけられた。組員達は他の仕事で手が離せないらしい。

 司祭が監禁されている窓の無い部屋に入った。

 司祭は椅子にくくり付けられて座っていた。まぶたは腫れ上がり、唇は切れていた。かなり殴られたようだ。

「お前にも悪魔の呪いが降りかかるぞ」

 二人きりの室内にくぐもった声が響いた。悪魔崇拝乱交パーティの時の高揚した状態と違い、目がどんよりとしている。薬の効果が切れているのだろう。

 僕は横目でちらりと見て、司祭の言葉は無視した。

「信じていないようだな。無理もない。お前はキリスト教ではないだろう。それでは悪魔という概念が身近にないな。日本古来の妖怪や幽霊ですら身近には感じていないな。しかし、呪いは存在している。この現代日本にな」

 薬漬けの新興宗教幹部のたわ言だ。無視するのに限る。

「俺たちが生まれたのは、キリスト教伝来の少し後になる。戦国時代に渡来したキリスト教は、一時期は広まりを見せたが、禁教令が発布されて、隠れて信仰されるようになった。隠れキリシタンというやつだ。定住する土地を持たない漂白民集団の一つも、隠れてキリスト教を信仰していた。元々が憑き物落としや失せ物探しなど、予言、祈祷などを生業にして日本各地を転々としていた集団だった。キリスト教の悪魔の概念を持つことにより、呪いが仕事の中心になったのか、呪いの仕事が中心になってきたので、悪魔の概念を取り入れたのかはわからない。とにかく我々の仕事は、人を呪うことになった。そして、日本古来の八百万の神、妖怪達の影響を受け、独特の教義を持つようになった。それが悪魔教の始まりだ」

 司祭の方を見た。瞬きをせず、僕をじっと見ていた。形容するのならば、底なし沼のような目をしていた。司祭はそのまま話を続けた。

「我々は、恐れられ、忌み嫌われた。それでも、我々は必要とされた。人は人を呪い殺したいものだからな。日本各地を旅しながら、数々の者を呪ってきた。そして、嫌われつつも、共に乱れ歌い踊り、快楽を共にしてきた。人間は光だけでは生きていけない。闇もまた必要なのだ」

 それがどうした。二十一世紀、科学の時代に何を言っているのだ、この男は。

「歴史の影で、我々は近代まで生き延びてきた。だが、大きな変革を迎えることになる。1923年のことだ。この年何があったかわかるか?」

 今から約九十年前の話だ。第二次世界大戦も始まっていない。年号は、明治いや大正だ。

「歴史の授業は寝ていたみたいだな。この年は関東大震災があった。死者行方不明者は十万人以上の大惨事だ」

 当時東京に住んでいた祖母に、関東大震災の話は聞いたことがある。祖母はまだ小さかったが、鮮烈な記憶として残っていた。揺れが起ったとき、ものすごい大轟音が鳴り響き、床から五十センチは体が飛び上がったらしい。あちらこちらで火事が起き、地面は地割れで分断された。それは物凄い状況だったらしい。

「お前も聞いたことくらいはあるだろう。東京も神奈川もこの地震で壊滅的被害を受けた。その極限的状況で、一つの噂が流れた。朝鮮人が日本人を襲うという」

 その話も祖母から聞いた。朝鮮人が攻撃してくるという噂がまことしやかに広まり、大人達は武器を持って襲撃に備えたという話だ。

「朝鮮人が攻めてくる。朝鮮人が井戸に毒を入れる。そんなデマが流れ、狂乱状態の日本人は集団ヒステリーになり、朝鮮人を虐殺した」

 僕の気持ちに重い影が降りてきた。日本の負の歴史だ。

「あまり知られていないが、殺されたのは朝鮮人だけではない。社会主義者も殺された。そして、我々もな。中世ヨーロッパの魔女狩りが、近代日本で行われた。まあ、俺たちは本当の魔女だったのだがな」

 そこで司祭は自嘲気味ににやりと笑った。そして、また話を続けた。

「不安が恐怖を呼び、個人個人の恐怖は、集団に感染し暴走していった。我々は、当時上野近辺の貧民街に逗留していた。そこで地震が起こった。貧民街の粗末な家は、地震で崩れ去り、すぐに火に包まれた。我々は非難した。そこを狂った民衆に襲われた。我々も抵抗した。呪術を使って、多数の人間を返り討ちにした。しかし、多勢に無勢。結局は人数の多さには勝てなかった。虐殺はそれは惨いものだった。生きたまま燃やされる者。池に放り込まれて上から棍棒で叩かれる者。木にくくりつけられて目玉をえぐられる者。我々は虐殺から逃れる為、上野の山に逃げ込んだ」

 司祭はそこで一呼吸し、唇から垂れかけていた涎をすすった。

「あの当時すでに上野の山には動物園が出来ていた。狂乱状態の民衆に、また一つ噂が流れた。地震で壊れた檻から動物が脱走し人間を襲う、という噂が。暴徒と化した民衆は山狩りを行った。動物と我々を殺す為に。すでに人々を止めることは出来なかった。檻の中に入ったまま石を投げつけられ、銃で撃たれ、動物は無残に殺されていった。我々は動物と共に、恐怖に脅えながら人間を呪った。人々の闇を背負ってきてやったのに。地面は割れ、家は燃え、隣人から命を狙われる。真っ暗な山の中で息を潜め、理不尽な仕打ちの中で、我々は呪った」

 聞いていて気分が悪くなってきた。なんて残酷なことを。

「逃げ切れないとわかった我々は歌を歌い始めた。呪いの歌だ。理不尽に襲い掛かってくる人々を呪い。無慈悲に地震を起こし家を焼き払った神を呪い。最後は世界の全てを呪った。山に火をつけられ、体を焦がされながらも呪いの歌声は響いていた」

 司祭の目は血走り、口元にはうっすら微笑みを浮かべていた。自分が話に酔っているようだ。この話を話すことによって、僕に恐怖を与えることが嬉しいのだ。

「燃える山からたった一人生き延びた男がいた。その男が新しい悪魔教「堕ちてきた者達」の原型を作った」

 うそ臭い話だ。だが事実を含んでいる分恐怖を感じる。僕は司祭から目をそむけ、無視することにした。

「上野公園の西郷隆盛像は、上野の山の我々と動物の霊を鎮める為に作られた。表向きの理由は違う。あの像は西郷隆盛ですらない。あの像を見た西郷隆盛の親戚は、「これは誰だ?」って言ったそうだ。あれは江戸時代に活躍した、徳川幕府専属の呪術師だ。名前は忘れた。虐殺の歴史を塗り固めようとする奴らの適当な所業だ」

 上野の西郷隆盛像は、本人には似ていない、という話は聞いたことがあるような気がする。西郷隆盛像、直接見たこともあるが、よく覚えていない。浴衣を着たいかつい男性だったことは確かだ。犬も連れていた気がする。

「戦前も戦中も戦後も、我々は暗躍してきた。多くを殺し、多くを壊し、恐怖と絶望を与えてきた。最近だったら、新宿の無差別殺人も我々の仕業だ。俺たちに政治的思想なんてない。ただ悪の御心のままに生きるのみだ」

 無視しても司祭は話すのをやめなかった。

「そして、一九九九年、悪魔は完全なる姿で降臨した。お前らの見えないところで、我々は社会を侵食している」

 こいつは本当に狂っている。病院に入れた方が良いのではないのか。

「お前を呪ってやる。信じていないかもしれないが、絶対お前に不幸が起こる。小さい不幸から大きい不幸まで色々起こるぞ。その時お前は思う。呪いは本当にあったってな」

 本当に嫌で仕方が無くなってきた。見張り役を放り出してしまおうかと思ったときに、鎖島さんが入ってきた。もう出ていて良いというので部屋から出ることにした。

「あの人どうするのですか?」

 すれ違いざま小声で訊いてみた。

「そこには触れない方が良い」

 表情を変えずに、鎖島さんは言った。

 司祭は消されるのだろうか。廃工場で麻薬を作っていた人達も、その後姿を見ていない。あの人達も消されたのだろうか。心臓が握り潰されるような恐怖を感じた。

 僕は振り返らずに部屋から出た。

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