第3話「んほおおお!」

「んほおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


「お前を殺ーす」

 オレはトイレから部屋に戻った矢先、ユカの頭をしばいた。舌打ちをされたが、反撃はなかった。卓上には夕飯が揃っている。ふっくらと炊けた白米! 現代日本の魂の胃袋! 実家の仕送りに頼る事が出来ているユカがいなければ、オレたち兄妹の台所事情は凄惨な事になっていただろう。ユカの両親は今の時代、自主規制をかけないといけない表現でたとえるしかないような大人なのだが。それはどうでもいい。二足歩行であるという点では間違いなく人間なのだ。

「お前んとこ、よく騒音やら何やらで苦情やんよな」

「来てる来てる。毎日、二十人くらいから来てる。この前なんかあれやぞ、使った後のサラサーティべっとー玄関のドアに貼られてたわ。あれは多分、うるさいんじゃいって事なんやろな?」

「やろな? って知らんがな。ここ六部屋しかないし、他に入居してんの全員男やんけ。外人の溜まり場みたいな事言いなや」

「まあ、あれか、あいつの仕事の練習か。これは騒音っちゅうか、ルームサービスっちゅうか、そういうもんやろ」

 ユカが俯きがちに口の端を痙攣させた。

「それはちょっと面白いけどやな」

 割箸を二つに割る。野菜やらちくわやらお揚げさんやらの煮物と、ワカメと豆腐の味噌汁、シーチキンサラダ、今日の献立はそんな感じである。妹は暫く部屋から出てこないだろうし、取り敢えずオレとユカは二人で夕食を始める。

「現役JCが夜な夜な濡れ場の芝居の稽古してるってシチュエーションがたまらんがな」

他人事ひとごとみたいに言いなや。お前がちゃんと働いたらあの子もあないな仕事せんでええんとちゃうんか」

「もっと聞いてもらいたい。都民の皆様に。都民ファーストで」

「……それも面白いな」

 ブラジャーの締め付け具合がアレなのか、ユカが横乳を掻きながら小笑いする。

「乳を掻くな乳を。乳シラミや思われるぞ。都民に」

「人を謎の性病持ちみたいな言うな」


「あっ、あっ、シャッチョさん! シャッチョさん、らめぇ、らめらめ、らめなのぉ!」


「シャッチョさんがあ!」

 オレが睨みを利かせてユカに視線を突き刺した。

「らめなのお!」

 ゆっくりを首を曲げ、二人で襖を視界に収める。不穏な空気を感じ取ったが、それはきっと気の所為なのだろう。オレたちは食事の手を再開させる。

「……まだシャッチョさんの仕事続いてるんかいな。エロゲの収録って一日で終わるもんとちゃうんか?」

「そんなん知らんうてんねん。お前が本人に聞けや」

「お前が聞け。いきなり部屋の連帯保証人から電話が来た時みたいな態度で聞け」

「お前、ホンマ何もせんよな。煙草吸うのとシコって寝るくらいしかしてないやろ。働け」

「百獣の王の異名を持ってるからな」

「アホ言いなや」

「シャッチョさんがああ!」

「らめなのおお!」

「……はあ、お前なあ、死ね」

「うるっさいわ。お前が死ね」


「シャッチョさん! ずんずん! シャッチョさんのずんずんで、わたしのずんずんされてるとこ、ずんずん来ちゃうよお! シャッチョさんにずんずんされてっ、ずんずん来てるのお! ずんずんって、ずんずん!」


 ゴボウ巻きの煮物を食べていたユカが、吹き出しそうになったのか、突如として咳き込んだ。座卓から体を横に向け、背中を丸めて噎せている。

「所謂ハウスダストやな」

「うるさいねん」

「お前なあ、あかんぞ。自分の古いツレの妹うるさいとかうな」

「やかましいわボケ。ブサイクなツラしやがって。お前の為に作られたご飯が可哀想やわってツイッターで投票やるぞ」

「何やうてる事が全然わからん」


「シャッチョさん、そんなにっ、激しくずんずんしちゃうと、シャッチョさんの頭、ずれちゃうよぉ! シャッチョさん、ずれてるよぉ! ずれてるぅ! ……うん、擦れてる、けどずれてもいるからぁ! あんあん! らめぇ、激しくずんずんしちゃうと、シャッチョさん、カブってるのバレちゃううう!」


「……包茎が?」

「触ったらアカン。食べよ、食べよ」

「頭が包茎なんか?」

「はよ食べえや。ご飯冷めるから」

「……声、あいつもちょっとわろてるやん」

「さっさと食べろうてんねん。お母ちゃんまだ内職残ってんのやから」

「誰がお母ちゃんやねん」

 誰がお母ちゃんやねん。唐突な小芝居を挟むな。

「お前、何でうちのオカンが内職してたん知ってんねん」

「よく学校の帰り、内職の仕事納品しにチャリキこいてんの見かけたてたんや」

 そんな事はどうでもいい。オレは襖を一瞥した。

「シャッチョさんカツ「もうええから食べろや! ギネス級のブサイクこらぁ」

「ギネス載るレベルでブサイクならそれでええがな。誇らしいわ」


「シャッチョさん! シャッチョさん! あんあんあん! らめらめらめぇぇぇ! 飛んじゃう! 飛んじゃうよぉ! わたしにずんずん、じゅぼじゅぼ、してたらぁ、飛んでいっちゃうぅぅ!」


「頭が?」

 ユカが拳骨みたいな舌打ちをした。

めぇや」

「いや頭が?」

めぇうてるやろが」

「飛ぶの? 頭が? 頭の拘束具が?」

「ちょっとごめん、マジで止めてよね」

 ユカが東京弁のイントネーションで真顔で呟いた。

「これCG差分になんのか? 飛んだ版が。ああ! そうや!」

 オレは閃いた。実はユカが通っている予備校はオンライン講義もやっていて、在学生でなくても無料で視聴出来るのだ。日がな一日ヒマをしているオレは、たまに気が向いたら公開されている講義動画にアクセスしている。数Ⅱの講師の顔が脳裏を瞬時にぎて行った。

「お前んとこの予備校、ネットと教室、同じの人がやってんのか?」

「え? うん、そうやで」

「数Ⅱのオッサンおるやん、あれ」

 ユカがソ連の奴隷時代として東ヨーロッパ諸国が無宗教であったが如く無表情へと一変した。

「食べよ、食べよ。美味しい? 大根の味付け具合どうなん? 美味しい?」

「数Ⅱのオッサン、あれ絶対に」

「笑って? ねえ笑って? 美味しい? 顔で伝えて」

「数Ⅱのオッサンの頭って絶対にあれ」

「これシーチキンのシーチキンっぷりがホンマたまらへんよな」

「数Ⅱのオッサン、あれいつ収録したんか知らへんけど……」

「……ちょっと催した」

 ユカが食事の場を立った。トイレの方へと去って行った。

「ずれてたで。あれ、完全にずれてたで。おーい。ユカー。撮影してる途中に誰もわへんかったんかいな。ユカー。あれハッキリ伝えたらんとあかんで。どう見たってサイズ合ってないって。なあ、ユカ。おーい」


つづく

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