第4話 病院
「いったん入院しましょうか」
「は?」
予想外の展開に健一はつい変な声を出してしまった。
あのあと、健一と将也は病院に向かった。将也は門限があるとかで、早々に帰った。
夕暮れ時であったためか、受診までの待ち時間はそこまでなかった。
しかし、ここにきてのまさかの状況に健一は理解が追い付いていけなかった。
「あのー、そこまで悪いんでしょうか?確かにさっきは事故りかけましたけど……」
健一と将也は先ほどの出来事を医師に話し、そのうえで診断を受けている。
そして、先ほどの医師の提案はそれを踏まえたものだった。
「まだ決まったわけではありませんが、それに似た症状の病気はいくつかあります。それを確かめるためにも、詳しい検査が必要です。それに、このままだと今度は本当に事故にあうかもしれませんよ?」
「う……」
ぐうの音もでなかった。
確かにあの事故の原因が病気か何かにあるのだとした、入院して原因を突き止めた方がいいのだろう。だがそれは健一の両親に心配をかけることを意味しており、それを避けたい本人にとってはあまり良くない手段だった。
「すいませんが、やっぱりそこまでしなくていいです。明日は学校がありますし、それに入院費とかいろいろと――」
と、健一が医師の申し出を断ろうとした時、ドアが勢いよく開かれた。
「け、健一!あんた何があったの!帰りが遅いからGPSで確認したら病院にいるじゃない!」
突然の出来事に健一と医師は驚きで動けないでいた。全開に開かれた診断室の扉の前には健一の母、峰子が息を荒くして立っていた。
いや、そんなことよりも……
「あのー、母さん?俺の聞き間違えかなー?今GPSって言わなかった?」
「誰かに殴られでもしたの!?任せなさい!母さんが今すぐそいつを溶かしてくるから!」
「あはは!全然聞いてねぇ!しかも溶かすって何する気!?」
「あの、お二人とも。すいませんが病院ではお静かに……」
「「あ……す、すいませんでした」」
二人同時に謝るあたり、やはり親子なのだと感じてしまう健一であった。
「なるほど、そういうことでしたか。事情を知らずに先ほどは失礼しました……」
「いえいえ、息子さんを心配なさる気持ちはわかりますから」
先ほどの一件からひと段落した健一たちは、再度医師からの説明を聞いた。
健一の症状や事故にあったと聞いて少し動揺していた峰子だったが、最後の方では落ち着いていた。
なぜ今まで黙っていたのかと、峰子は思った。だがそれも一瞬のこと。理由を健一に問いただすことはしなかった。健一が親に隠し事するのは、いつも親を思ってのこと。峰子はそれをわかっていた。
「それで、息子さんを入院させるかどうかなんですが……」
「はい。もう無理やりにでもさせてください」
「ちょ、母さん!?」
峰子のまさかの裏切りに健一は立ち上がる。
「何よ健一?あ、わかった。学校とか私たちに迷惑だとか考えてるんでしょ?」
「そ、それは……」
図星の健一は何も言えなかった。
健一の沈黙を是ととった峰子は大きくため息をつく。
「あのね、まだガキのあんたがそんなの気にしてんじゃないわよ。学校ならお母さんの方から連絡しておくから。おとなしく先生に診てもらいなさい」
「で、でも!」
「それに、子供は親に迷惑かけてなんぼなのよ?あんたはそれをいつも避けてるけどね。まったく、私に気を使うなんて大人になってからしなさい」
「……もう二十歳だから大人だよ」
「私にとっては五十歳が大人よ」
(なんだよそれ)
健一は心の中で悪態をつくが、やはり峰子には敵わないと自分の父親と同じ感想を抱く。
「……いや、待った。それだと母さんはまだ子供なんじゃ」
「じゃあ先生、話はまとまりましたので。うちの子をよろしくお願いします」
「まったくいい耳してるぜマイマザー!」
「あはは。えぇ、お任せください」
こうして、健一は入院することになった。
「では湯川さん。ここが部屋になりますので、何か不自由な点があれば言ってくださいね」
「あ、ご丁寧にどうも」
あの後、健一は看護師に部屋に案内された。峰子は健一の着替えを取りに行くとかで家に帰っていった。
健一に割り振られた部屋は4人部屋だったがベットはすべて開いていた。言ってしまえばこれもある意味個室だろう。
健一が病衣に着替え始めようとするとドアが開かれた。
「やぁ健一。母さんに言われて着替えもってきたぞ」
「……今度は父さんか」
「あぁ、今度は俺だ」
そう言って剛は笑顔で部屋に入ってきた。
健一はてっきり峰子が来るものだと思っていた。しかし、峰子のあのマイペースぶりよりは剛の方が何倍もありがたいと感じた。
「夕食まだだったろ?ほら、母さんが作ったサンドイッチ。安心しろ、先生にはちゃんと許可取ってあるから」
「そういえばそうだった。ありがとう」
剛から受け取った峰子のサンドイッチは肉や野菜がバランスよく入っていた。こういうところまで気を使う母親に、健一は温かさを感じていた。
「調子はどうだ?どこか痛むとかないのか?」
「うん、大丈夫。検査するための入院なんだし、多分なんともないよ」
「そうか、ならいいんだが」
「?」
剛は少しばかり嫌な予感がしていた。それは自分の息子がこうして入院するという事態に不安を感じていたためか。本人にもわからなかった。
「じゃ、着替えここに置いておくから」
「もう行くの?」
「あぁ、明日も仕事だしな。悪い」
「いや、いいよ。ありがとう」
まだ来てから5分もたっていないが、こうして会いに来てくれただけで健一にとっては充分だった。
剛が部屋を出て行った後、健一は一人サンドイッチを食べる。
「うん、やっぱ母さんの料理はうまい」
健一は微笑みながら残りのサンドイッチもすべて平らげ、少し早めに就寝した。
深夜12時。
就寝時刻はとっくに過ぎ、廊下の明かりもついていない。
患者以外で今この病院に居るのはいざという時に備える看護師だけ。そう、そのはずなのだが……
「お客様お客様」
どこからだろ。声がする。知らない人の声だ。……いや、気のせいか。
「起きてください」
……気のせいじゃないらしい。誰かが自分を起こそうとしているのだろうか。それでも今はやめてほしい。とても眠いんだ。
「困りましたね……。よし、それなら」
……なんだろう。背中がむずむずする。
「んーしぶといですね。でもまだまだ」
さっきより背中に違和感を感じる。なんかこう、かゆいような。かゆいような。かゆいような……
「て、背中をくすぐるのやめてもらえます!?」
「ひゃ!」
「うわぁ!……て、どちら様?」
ついに我慢できなくなった健一はベットから勢いよく上半身を起こす。それと同時に、健一の隣で女性の驚いた声が上がった。
健一が声がした隣をみると、そこには高校生くらいの見知らぬ少女が尻もちをついてた。
「あ痛いたた……。まったく、もう少し優しく起きてくださいよ」
「え?あ、はい。すいません……いや、ちょっと待った。悪いのって本当に俺か?そもそも君誰?」
少女のペースについ乗せられてしまった健一は、先ほどの問いかけをもう一度する。
今度はちゃんと聞いていたのか、少女はあわてて立ち上がり健一の方を向いて笑顔で自己紹介をし始めた。
「申し遅れました。私、この病院のカフェ『ノット』で働いている雨宮 楓です」
少女は軽くお辞儀をする。
この病院にカフェなんてあったか?
健一は看護師にこの病院のことを一通り教えられているが、カフェがあるとは聞いていない。だが楓の服装は茶色い長ズボンと白のワイシャツといった、カフェの雰囲気を感じさせる制服そのものだった。
「なるほど、カフェの従業員の方でしたか……看護師さん呼びますね」
「ちょ、待ってください!なんでそうなるんですか!?」
少女が慌てて健一のナースコールを阻止する。
「いやだって、時計見てくださいよ」
「時計?今はまだ12時過ぎですけど、どうかなさいました?」
どうって、本気で言っているのだろういか。この時間に看護師でもなく、同じ部屋の患者でもなく、自分の知らない人が今目の前にいる。考えられる答えは――
「不審者」
「違います!違いますから!ナースコールはやめてください!」
またしても雨宮 楓は健一のナースコールを阻止にかかる。
深夜の病室で、小さな争いが行われるのであった。
「で、俺に何の用ですか?えーっと」
「雨宮です。雨宮 楓。好きに呼んでください」
「じゃあ楓ちゃんで」
「……何故でしょうか。カフェの皆さんも初めからそう呼ぶのですが……」
「皆さん?」
「あ、いえ。お気になさらず」
あのあとの健一と楓の闘争はいったん落ち着いて、楓の提案で話し合いをしようということになった。
健一はしぶしぶだったが、楓に悪意を感じないのもまた事実だったので承諾することにしたのだ。
楓は黒髪のショートヘアで、ついでに茶色い眼鏡をしている。自分を着飾るようなことは一切していなく、それはどこにでもいるまじめな女子高校生をイメージさせた。
楓がコホンと咳払いをし、ポケットから紙を取り出して話を始めた。
あれ、それカンペだよね?
「えぇとですね、おめでとうございます!お客様は当店のスペシャルゲストとして招待されました!」
「スペシャルゲスト?」
「はい!スペシャルゲストとは、当店のコーヒーを好きな時に好きなだけ飲めるというもうラッキーでラッキーなゲストのことです!」
「え、何その胡散臭い話。うち、そういうのはお断りしてるんで」
「さ、最後まで話を聞いてください!ごほん……えースペシャルゲストの資格はこの病院の全患者様に適応しています。言わば、病院からのサービスみたいなものなので全然胡散臭くはありません!」
「わざわざ言うところがねぇ」
「さ、さらに!料金の方は無料となっています!なので気軽に足を運びください!『ノット』マスターより!」
健一は瞬時に悟る。楓が人選ミスだということを。こういう紹介はもっとこう相手ツボをつくような話し方ができる人ではないといけない。
健一は心の中で顔も知らないマスターに悪態をついた。
だが、逆に言えば楓は素直な人とも言える。人をだませる性格ではないから、きっとこういうことが苦手なのだろう。
それに気づいた健一はこのまま追い返すのも気が引けた。なので、一応申し出は受けることにしたのだった。
「無料か……まぁ、病院のサービスならありがたく使わせてもらおうかな」
「ほ、ほんとですか!?お客様の呼び込み初めて成功しました!やった!」
うん、やっぱりこの子は人選ミスですよマスター。
健一は心の中でため息をついた。
さっきから飛び跳ねて喜んでいるあたり、きっと今まで何度も断られてきたのだろう。健一は、少しばかりいいことをした気分で心地よかった。
喜んでいる楓を見て健一は静かに微笑んだ。
だが次の瞬間、楓がとんでもないことを言い始めた。
「じゃあお客様?準備はいいですか?」
「え?準備?」
「なにを寝ぼけているのですか?今から『ノット』に行きますよ!」
「……」
俺の聞き間違えだろうか。今から?え、この深夜に?
そもそも、なぜこの時間に健一を勧誘しに来たのか。健一はその不自然さに今更ながら疑問を感じる。
だが、健一がそれを問いただそうとする前に楓が健一の手を掴んで半ば無理やりにベットから立たせた。
「ちょ、いきなり何!?」
「何って、早くいかないとお店しまっちゃいますよ?さぁ行きましょう!」
そう言うと楓は、健一の手を掴んだまま走り出した。
いきなりのことに健一は足がもつれて転びそうになる。
「ま、待った!俺一応患者なんだけど!?」
「そんなこと言っても、まだ検査段階ですよね?なら大丈夫!走れます!」
「なんで君がそれ知ってるの!?」
「さぁ、そこの角を左に曲がりますよ!」
「人の話を聞いて!?」
自分の周りの女性は人の話を聞かないようにできているのだろうか。
そんなことを考える暇もなく、健一は楓に連れられて廊下を走り、階段を上り、角を曲がりを繰り返す。
途中で気づいたが、楓は走るのがとにかく早い。陸上部にでも入っているのだろうか。
健一が楓のペースについていけず音を上げようとした時、楓が急に止まった。
「うわぁ!」
「あ……」
健一は慣性にしたがってそのまま楓の隣に滑り込んだ。
それを見た楓は慌てて健一を起こす。
「ご、ごめんなさい!私つい……」
「あ、うん。今度からゆっくり走ってね?」
「はい……」
できれば今度がないことを願う健一だった。
今、健一たちがいるのは病院の7階の北棟。もともと健一がいた病室が5階だったので、この距離を全力疾走した健一は正直くたびれていた。
そして健一はあることに気づく。どこからかほろ苦い香りが漂ってくる。その苦みは決して不快なものではなく、どこか心を落ち着かせるような香りだった。
健一はこの香りに覚えがあった。いつも朝になると食卓に並んでいるあるものの香り。それは――
「コーヒーか?」
「おぉ。良い鼻をお持ちで」
香りの方向は前の方からだった。そこには初めからあったかのように洋風のドアがった。
もちろん、この階にも病室がある。しかし、薄暗い廊下の奥から続く病室の内、一つだけこのようなドアがあるのは普通ならとても不自然に思えるのだろう。
だが健一にはその不自然さが全く感じられなかった。それを証拠に、先ほどまでこのドアに気付かなかったのだから。
健一がそのことに不思議に思っていると、楓がドアに手をかけて健一の方を振り向く。
「それではお客様。いえ、湯川 健一様。ようこそ!カフェ『ノット』へ!」
そう言って楓がドアを勢い良く開けた。
先ほどよりはっきりとしたコーヒーの臭いが健一を包み込み、ドアに付けられた鈴の音が静かな廊下に鳴り響いた。
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