第3話 異変

「よーし見てろ?今から最強の一球を投げるから。くらえ!爆リア充ボール!」

「一投目からなんだよそのダサい名前は。いや、名前というより殺害予告か?しかもガーターだし」

 俺は今、将也とボーリング場に来ている。

 今日は祝日で、珍しく課題もない。そのため、健一と将也は盛大にストレスを発散しようと遊ぶ約束をした。そして今に至る。

「いくぜ!今度こそ最強で最強の一球を!」

「そういうのいいから、さっさと投げろ」

「へーい、よっと」

 今度は真面目に投げたのか、将也はしっかりとストライクを決めてみせた。

 というか、投げられるなら最初から投げろっての。

「はー。どうせ、今年の花火大会もリア充のたまり場になるんだろ?」

「まぁ、毎年のことだしな」

「は、くだらねぇ。そんなことより勉強しやがれ!畜生!」

「はいはい。わかったから、さっさと代われ」

 将也の嘆きを健一はさらっと流し、ボーリングの球を持つ。

 それを見た将也は素直にベンチについた。

(にしても、ボーリングなんて久々だな。うまく投げられるといいんだが)

 健一も、流石に一投目から将也みたいなミスはしたくなかった。

(ま、あいつはわざとだろうけどな)

 健一は心の中で悪態をつきながら一投目を投げた。

「っと、意外に行けるもんだなこれ」

 健一の成績は8ピンと、一投目にしてはなかなかいい成績だった。

「お、なかなかやるじゃん」

「……2投目でストライクを出したお前に言われると、なんか皮肉に感じるな」

「まぁまぁ、得点的にはスペアだったんだし。健一が次で2ピン倒せば同じ同じ!」

 確かに、残りの2つのピンもそこまで離れていない。スペアを狙うチャンスは健一にもあった。

 健一は戻ってきたボールを取りに行く。

 だがそこで、健一はあることに気づいた。

「これって……」

「どしたどした?怪我でもしたか?」

「いや、怪我ってわけじゃないんだが」

 そう、別に怪我したわけじゃない。

 健一が気になったのは自分の右手だった。その手は少し前に見た時と同じ、少し痩せ細っていた。

(あの夜は風呂に入りすぎたからって思ってたけど、違うのか?)

 健一が一人考えていると、気になった将也が様子を見に来た。

「なんだなんだ?手がどうかしたのか?ふむ、お前の手って少し痩せてるんだな」

「いや……前はここまでじゃなかった気がする」

「ん?どういうことだ?」

「前はよく見なきゃわからない程度だった。それにほら」

「うわ、なんだこれ」

 健一は左手を見せた。

 健一の左手は、今の右手とは違って若さを感じられる手だった。

 もちろん、両手とも同じだったらそれは本人の性質だと思った。だが、実際は右手だけ。この不自然な状況に、健一少し懸念を抱いていた。

 健一の手をまじまじと見た後、将也は少し考え始めた。

「あのー、そこまで真剣に考えられると怖いんですけど?」

「……」

「おーい……」

「ん、悪い。なぁ、それっていつぐらいから?」

「えーと、大体一週間ぐらい前かな。風呂の時に気づいたんだが」

「風呂?」

 健一は、あの夜に気づいた異変を将也に説明した。

 健一の話が終わった後も将也は真剣な表情を崩さずにいた。

 二人の間に数秒の沈黙が流れる。健一にとっては、それが少し不安に感じた。

 そして、先に沈黙を破ったのは将也の方だった。

「いくつか質問していいか?」

「お、おう」

「ここ最近で手足を攣ることはよくあるか?」

「手足を攣る?いや、ないけど」

「そうか……思うように動かなくなる時は?」

「それもないな。なんだ?何かの悪い病気なのか?」

 健一の不安が確かなものに変わっていく。

 健一の問いに答えようとした将也だったが、一瞬ためらう。

 それは、今の段階で不確かな情報を健一に教えて、不安を煽るような行為に戸惑いを感じたためである。

 そのため、将也は別の選択肢をとった。

「まだ未熟な俺の見解じゃ決められねーな。一回親父の病院に来てみたらどうだ?」

「将也の親父さんのか?でも、さすがにそこまでは……」

 ありがたい申し出ではあったが、健一にとってはそこまで大事にしなくてもいい気がしていた。

 そんな健一の考えを読んでか、将也が呆れた顔で説教を始めた。

 それと同時に健一は自分の失言を悟った。

「あのなぁ、何事も早期発見が重要なんだぞ?病気なめてんのか?どんな小さな異変でも見逃しちゃだめだ。そもそも、そういう事態は体からのSOSであってだな――」

(やっぱりこうなったか……)

 将也は医療のことになると、かなり話にのめりこんでしまう癖がある。一度こうなったら、話を聞き終わるか地震でも起きなきゃ終わらない。

 健一は早々に諦め、将也の説教を聞き続けた。


「はー、すっかり遅くなっちまったな」

「あぁ、まったくだ」

 将也がすっきりした面持ちで隣を歩く。

 空はまだ薄暗い程度だが、時刻は6時をとうに過ぎていた。

 結局あの後、説教は1時間に及んだ。途中から医療の歴史の話になっていたが、健一にそれを止めるすべはなく、長々と話し込んだ結果こんな時間になってしまったのだ。

「あ、そうそう。結局は病院に行くってことでいいんだな?」

「はー。わかった。行けばいいんだろ?」

「ならよし」

(行くと言わないとまた長話が始まるからなぁ)

 健一は表面上ではそう思ってはいるが、実際には将也の気づかいをありがたく感じている。

 きっと、将也は本気で心配してくれているのだ。

 それがわかる健一だからこそ、将也の申し出を受けることにした。

「で、いつぐらいに行けばいい?」

「なるべく早いほうがいいな。でも明日から授業が始まるしなー……よし!今日行こう!」

「はははー。お前の行動力にはほんと驚かされるわー」

「おいおい。さっきも言ったろ?何事も」

「早期発見だろ?わかったわかった」

 一応帰りが遅くなると峰子に連絡してはいたが、6時帰りで不良扱いされる健一にとっては少々厳しい話でもあった。

 ここで新たに連絡を入れるべきではあったのだろうが、健一はそれをしなかった。病院に行くと言って峰子に不安を抱かせることに、健一は抵抗があったのだ。

「じゃ、早速行きますか!」

「病院行くのになんでそんなにテンション高いんですか?しかも診断されるの俺なんですけど?」

 健一の問いには答えず、将也はどんどん先をいって横断歩道を渡り始める。

(まったく、少し急いだところでつく時間はそんな変わらないっての)

 そんな将也に呆れつつ、健一は自分のペースで後をついていった。だがその時、健一はあることに気が付いた。

「なぁ、将也。あれって……」

「おーい、どうした健一?早くしないと赤になるぞ?」

 健一が今いるのは横断歩道の中央。そしてその隣の車道に一匹の猫が動けないでいた。

 珍しく今はまだ車はいないが、ここは都会だ。交通はかなり多く、大きなトラックやバスが気づかないで猫を引いてしまうことなどよくある。

 健一がどうすべきか迷っていると、歩道の信号が点滅し始めた。

(今から行けば……何とかなるか)

 幸い、健一から猫がいる場所まで距離は短い。そうと決まれば、健一は真っ先に猫の方へ走っていった。

「ちょ、おいおい健一!何やってんだよ!」

 将也が慌てた表情で健一に声をかけるが、それを無視する。今はこっちの方が先決だ。

 健一が向かっている間、猫はそこから逃げ出すこともなかったためすぐに猫を捕まえることができた。

「たく、こんなところで縮こまってんじゃねーよ。ほら、行くぞ?」

 猫なんて飼ったことがなかった健一は、とりあえず猫の腹を抱えて走り出す。

 それを見て状況を理解した将也も、今は安堵の表情を浮かべている。

 車道の信号はすでに青になり、遠くから車が向かってきているのが見え始めた。

「ま、余裕だろ。ちょっと急ぐぞ?」

「ニャー」

 健一の言葉に同意したかのように、猫が鳴く。それを可愛いと思いながら健一は走る速度を上げた。だが、その時だった。

「うあっ!」

 健一の右足に激痛が走った。その衝動で、足がもつれて転んでしまう。

 それを見た将也が、焦った表情で叫んできた。

「おい!健一大丈夫か!?早く戻ってこい!」

 幸い猫に怪我はなかった。しかし、何が起こったのかわからない健一は、自分の足を確認する。

 外傷はない。骨が折れているわけでもない。でも、その痛みは確かに足から感じられた。なら、考えられることは一つ。

「まさか……攣ったのか!?いくら何でもタイミング悪すぎだろ!」

 この状況の悪さを理解した健一に焦燥が一気に走る。足に力をいれようとすると逆に力が抜けてしまい、健一はなかなか立ち上がれないでいた。

 後ろを見るとトラックが一台すぐそこまで来ていた。様子を見る限り、健一には気づいてはいない。むしろ、急いでいるのかスピードを上げてくるのがわかる。

(くそ!これだから都会人は!もうちょっと時間に余裕もって動け!俺が言えたことじゃないけど!)

「健一!どうした!?立てないのか!?」

 気が付くと、将也がガードレールを半分超えて健一の隣まで来ていた。

 それを見た健一は、すぐさま将也に助けを求めた。

「将也!まずい!マジでまずい!このままだと俺が猫みたいにひかれる!」 

 健一たちの姿を見た他の歩行者も段々と騒ぎ始める。

 ここでやっと後ろのトラックが健一に気づくが、少し遅い。残りの距離は30メートルもない。運転手がブレーキをかけるが、あの速度じゃ間に合いそうにはなかった。

「手だせ!早く!」

 将也がガードレール越しに体を乗り出して手を差し伸べてくる。

 その手は健一が手を伸ばせばすぐに届く位置にあった。

 健一は迷わずそれを掴み、一気に足に力を入れて何とか立ち上がった。

 そしてそれと同時、将也は思いっきり健一を自分の方へ引く。

「とうりゃぁぁぁぁぁぁああ!」

「うお!」

「ニャー!」

 将也の火事場の馬鹿力で、勢いあまってガードレールを超えた二人と一匹は盛大に歩道へ転び込む。

 そしてすぐにトラックが健一たちの後ろを通り過ぎて停止した。まさに間一髪といったところだった。

「はぁ、はぁ、みんな怪我はねーだろうな?」

 将也が息を切らして話しかけてくる。

「あぁ……いや今の転倒で足を少しくじいた」

「それくらいならよし。どのみち病院に行くんだ。ついでに見てもらえ」

「ニャー」

 見たところ猫も無事だった。

 健一は自分の足を再度確認する。先ほどまで攣っていた右足は、今はもうなんともない。

 先ほどまでのことは本当に偶然だったのだろうか。健一は心の中で疑念を抱く。

 それは、ここに来る前。ボーリング場で将也が言っていた質問に合致するからだ。

「いや……まさかな」

 健一は今回も考えることを放棄した。しかし、心の中には確かな不安が存在していた。

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