第1話 日常
2017年8月3日。東京渋谷区。
日差しの強い日だった。季節は夏季まっただ中。
教室のエアコンは最大電力量を超えてしまったため、数日間は必要な設備以外には、電気が送られなくなったのだ。
そのため、上半身は汗で蒸していている。言葉にできない気持ち悪さを湯川 健一は感じさせられていた。
「…暑すぎる」
携帯を開くと、ホーム画面に表示される世界時計が六時を回っていることに気付いた。
朝のニュースでは、お気に入りのお天気アナウンサーが「今日は暑くなるので、熱中症にご注意してください。」と言っていたのを思い出す。飲み物を家から持ってこなかったのを今更ながらに後悔する。
窓の外を見ると、多くのサークルが各々の活動をしていた。
ユニフォームを汗と泥まみれにしながら、素振りを二百本する野球部。部員でふたチームに分かれ、一つのボールを奪い合い、額をぬぐいながら奮闘しあうフットボール部。様々な小道具を使用し、西校舎の屋上で下手くそな演技を一生懸命に撮る映画制作部。その下の階で、彫像をモデルにし、鉛筆だけで完璧に模写する者もいれば、見るにも耐えない作品に仕上げる者もいる美術部。
「どいつもこいつも暑苦しい」
今を充実している彼らを見て、健一は言葉に表せない感情を抱いていた。
それは、自分にないものを持っている彼らに対する嫉妬かもしれない。もしくは、自分だけが置いてかれているという視点からの焦りかもしれない。健一はサークルに入っていないため、そう感じてしまうのかもしれない。だがどちらにしろ、今の健一にとっては不快な感情である。
健一は今、先程まで授業が行われていた大学の教室で友人を待っている。一緒に帰る約束をしていたが、図書館に本を返してくるとかで少し遅れるらしい。そのため、健一は夕方になっても帰らず、ただただ暇を持て余していた。
だが、かれこれ三十分待たされている。
「あいつ……」
健一はこれ以上の暇には耐えられないのか、帰る準備をし始めた。すると、それを見越してか、教室のドアが勢いよく開かれた。
「健一わり!図書館の受付の人が美人だったから遅れたわ!」
「……おまえ、一回ひっぱたいたろうか?」
と、ふざけた理由で遅れてきたのは健一の友人である北村将也だった。彼は健一と同じ大学に通う、ごく普通の学生だ。強いて言うならば、将也はすごく頭がいい。成績は全教科トップクラス。しかし、性格は先程のように、お調子者で明るい。
成績上位者という者は、年がら年中勉強していて暗い性格。というのを想像していた健一にとっては、初めて会ったときは将也がとても破天荒に見えた。
「ごめんなって。待っていてくれてサンキューな」
「別に。特に予定もないし」
(さっきまで帰ろうとしていたけどな)
健一は将也が帰る準備を終えるのを待っていると、ふとあることに気付いた。
「将也。お前また本借りてきたのか?」
「ん?あぁ、もちろん」
将也はよく図書館で本を借りる。すべて専門書ではあるが、そのジャンルはいつも違う。
本当に性格に合わない。でも、こうして努力している姿を見ると、案外そうでもないのかと思わされる。
頭のいい奴のことを、周りは天才と言ったりするだろうが、天才なんてもとから存在しないのではと、将也を見ていると思う。
彼らはきっと、周りの人よりも人一倍努力しているだけなのだろう。その過程を見ずに、彼らを特別扱いするのは、とても身勝手と言える。
「何の本借りたんだ?」
「お、なんだなんだ?健一もついにインテリデビューですかい?」
「ないない。俺が勉強死ぬほど嫌いなの知ってるだろ?」
「お前なんで大学きたんだよ……」
といわれても、将来働くにはそれなりの経歴があった方が有利なのが一般だ。だから、この大学を受ける前は必死に勉強した。あの頃は辛かったなー…。
「で、何の本?」
「そんな大したものじゃないよ。医学部で出た宿題の参考書、てとこかな」
「あー、そういえば将也は医学部だったな。将来は医者志望だっけ?」
「まぁな。あんまり人に言うなよ?」
「わかってるよ」
将也の父親はかなり有名な病院の医院長だ。
そのため、将也の成績がいいのは遺伝だとか、環境がいいからとかで周囲から疎まれている。
将也は健一にしか話していないが、内心では嫌がっている。だから、将也は自分から医者志望とは言わないし、健一も誰かに聞かれても教えるつもりはない。
「うし。準備できたから帰ろうぜ」
「おう」
帰り道、二列で自転車をこぎながら、将也が好きなタレントの話を熱を入れながら話しているのを、健一は聞き流しながらふと思った。
ほんと真逆の存在なのによく友達になれたな。
思えば不思議な出会いだった。
『よ!はじめまして!俺は北村将也っていうんだ。いきなりで悪いんだが、他の席相手ねーんだ。隣座ってもいいか?』
『え…。別にいいですけど』
『サンキュ!』
最初こそ変な奴だと思った。席に座るのに許可を取る奴は見たことがなかったからだ。もちろん、健一もそんなことしたことはない。それに、初対面の相手にため口ときた。馴れ馴れしいにもほどがある。
でも、そんな性格の将也だから健一は友達になれたのだろう。
もともと友達付き合いが苦手な将也は、自分からは他人に話しかけない。人の目を一番に気にして、自分を守る道にいつも向かってしまう。
けして間違ってはいない。十人十色という言葉があるように、他人の色に自分の色を重ねるのは図々しい。
健一が黒なら、さしずめ将也は白。
そんな二人だが、健一は将也の明るさ、積極さに惹かれた。
それは、健一が自分のことが嫌いという感情を持っているからかもしれない。なりたいものはないわけではない。だが、失敗を恐れて挑戦せずに毎日を適当に過ごす。自分以下の存在を見つけると安堵してしまう。
健一はそんな自分が大嫌いだ。
それゆえ、真逆の存在にひかれる。近くで見ていれば、いつか自分もなれるんじゃないかと。そう信じているから――
「おい健一、聞いてるのか?」
「いーや全然」
「地味に刺さるから、直球で言うのやめろ……」
将也が少し悲しそうな顔をしたので、健一は内心苦笑しながら軽く謝罪した。
「わりわり。ちょっと考え事しててさ」
「へー。いつも何も考えてないような健一が、考え事なんて珍しいな!」
「あははー。お前の直球ぶりもたいがいだな」
やっぱさっき謝らなければよかった。
将也の仕返しに顔をしかめつつ、健一はこの時間が楽しいと感じていた。
そして数分後、途中で分かれた健一と将也は、それぞれの道で家に向かった。
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