第9話 剣印の法

 その頃、1階昇降口前の廊下では吉岡と3年男子数名が集まっていた。


「1階の部屋は全部見たけれど、どこにもいなかったぞ」

「トイレも見てきたけれどいなかった」

「個室も確認したか?」

「もちろん。女子に確認させたよ」


 オニ役の坂本佳乃の捜索は難航していた。

 裏口からの脱出が不可能となった現在、オニ役の佳乃を見つけ出さなければ彼らを待つのは死のみ。

 

「職員室のロッカーの中も見たのか?」

 吉岡は皆に確認する。

「いや、さすがにそこまでは……」

「馬鹿野郎! 隠れられるスペースはすべて開けて確かめろ! 先生たちの更衣室もくまなく調べてこい!」


 皆は蜘蛛の子を散らすように戻っていった。割り当て箇所に見落としがないかどうか不安になったのだろう。


 彼らは校舎周りと南北2カ所にある階段に人材を配置し、まずは1階をしらみつぶしに探していく。オニ役の坂本が校舎内外のどこに隠れているか分からない現状では、捜索範囲を少しずつ拡大していく作戦をとることが有効だと判断したからだ。


 スタート直後は行き当たりばったりに動いていた集団を、吉岡が統率した。

 これで時間は掛かるが、確実にオニ役の逃げ道はなくすことができる。


「吉岡先輩……私たちはどうすれば……」


 不安そうに2年生の女子がやってきた。

 ゲーム開始からすでに30分が経過している。3分ごとに追跡者を2名追加するルールに従い、3年生の男女と2年生男子は既に追跡者となり、こうして2年生女子が加わっていくことになる。

 

「お前らはここで待機だ。もしオニ役を見かけたら大声で叫べ!」

「は、はい……わかりました……」

 2年生女子2人は不安そうにうなずく。

「大丈夫だ。絶対にオレたちが勝つ! 勝って家に帰ろう」

「はい!」

 吉岡は二人の肩に手をかけ、笑顔を作って励ますと、彼女らは元気よく返事をした。

 そんな彼女らを見て吉岡は思う――


(これから『仲間』を殺そうとしているのに、目の前にいるこの2人の女子生徒には励ましの言葉を吐くなんて……オレはどうかしている。オレは本当に坂本佳乃を殺すのか? アイツがオレの目の前に現れたら……オレはアイツを殺せるのか?)


「職員室のロッカーも見てきたけれど、いなかったぞ!」

「更衣室も見てきたよ」

 先程の3年男子たちが戻って来た。

 吉岡は壁時計を見る。


「あと25分か……よし、2階に捜索範囲を広げるぞ! 皆に知らせてくれ」


 吉岡の指示で、1階を捜索中のメンバーは2階へ移動していく。



 *****



 3階音楽室では、豊田庸平とよだようへいが剣印の法を結んでいた。

 『臨兵闘者皆陣列在前』の九字を唱えつつ手の指を定められた形に結んでいく。

 九字護身法の一つであり、密教や道教を起源とする日本独自の作法である。


「何も起きないわね中二病の豊田くん……」

「おかしいな、本に書いてある通りにやっているのに……」


 古くは陰陽師だけでなく忍者も実践していたという剣印の法は、現代では不思議な力を発動するきっかけを探るために中二病患者なら幾度となく試すことで有名な呪術の一つでもある。


「あ、坂本さん。今だから言うけど俺は中二病ではなくて、本当に陰陽師の末裔なんだ。」

「へぇーそうなんだー、スゴいね!」


 先程から何度も呪文を唱えてみては失敗している庸平は何も言い返せない……


「ねえ、手印の形が違うとか?」

「合っているはず。だって本に書いてある通りの型だもの」

「でもさあ、本には雰囲気というか、気合いの入れ方とかは書いていないよね。何かちょっと違う感じがするのよ……一度私がやって見せようか?」

「坂本お前できるの!? 本当に?」

「じゃ、やってみるわよ!」


 佳乃は立ち上がり、深呼吸する。


「臨! 兵! 闘! 者! 皆! 陣! 列! 在! 前!」

「おーっ! 何かが飛び出してきたぁぁぁ――ように見えたぞ!」


 手印の型がピシッと決まり、庸平の目にもスピードと勢いを兼ね備えたすばらしい剣印の法に見えた。


「ふふふっ、呪文系の動画は繰り返し見て研究しているの!」

「そ、そうなのか……中二病って、すごいんだな……」

「じゃあ、やってごらんよ中二病の豊田君!」

「よーし、じゃあ坂本のそれを真似してもう一回やってみるぞ」


 庸平が机に置いた霊符に向けて手印を結び、気を込めると――


 メモ用紙に手書きされた霊符がふわりと空中に漂い――


 佳乃に向かってふわりふわりと羽虫のように舞っていき――


 彼女の焦げたブラウスの部分にぴたりと寄り添うように留まった。


「えっ、なに? 豊田君、あなたは本当に……」


 佳乃にとってそれは生まれて初めて見た不思議な光景。

 メモ用紙に油性ペンで書いただけの霊符がまるで生き物のように動き出し、自分の体に貼り付いている。

 はれぼったい二重まぶたの、ちょっと寝癖がついているうだつの上がらない最弱と呼ばれる男――それが今や長年探し求めていた運命の相手であるような気がしてきた。


 佳乃の瞳孔はゆるりと広がり、瞳が潤み始める。

 一方、庸平は先ほどから彼女のブラウスに留まった霊符を見つめている。

 

「ハーッ!」


 庸平が霊符に向けて気合いをかけると、ボワっと燃えてブラウスの焦げが広がり、肌が完全に露出した。


「こ……この……ヘンタイィィィ――!」


 本日三度目のビンタが炸裂した。

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