第9話 もしお兄さんに子供が居なかったら

魂を失ったルキサスの指が開かれ、ネズミの剥製が地面に落ちて行く。


脅威は去り、店員がルキサスの腕から逃れて離れると、

ルキサスの死体は仰向けに倒れた。

死体の首に開いた深い刺し傷から血が溢れ、鮮やかな赤の水溜りを広げていく。


ローブが直前まで立っていた場所には、支えを失い倒れ伏すアカネの姿。

そしてスキンヘッドがアカネに近寄り、彼女を気遣っている。


「おい、何が起こったんだ?」

「しーっ!」

「良いから寝てろ!」


男達もざわめいている。


「最初からこうすれば早かったなぁ。

解毒剤を貰わないと……」


ローブは死んだルキサスの服をまさぐり、いかにもそれらしい小瓶を取り出した、

手で握ればすっかり隠れてしまうほどの、小さく透明な小瓶の中には、

白い沈殿物の混じった半透明の液体が入っている。


「これかなぁ?」


解毒剤の知識を持たないローブは、とりあえず試してみようとルキサスの死体から離れ、

アカネが居る方へと駆け寄った。


「あれっ、お兄さん」


ローブがそうしていたように、スキンヘッドがアカネを優しく抱きかかえていた。


「命を救われたお礼だよ。

俺の事よりローブさん、それは?」


ローブは空いている右腕でルキサスの死体を指差す。


「あのおじさんが持ってたから、多分解毒剤……」


「多分?」


スキンヘッドは男達を睨み付けた。

「おい、ラッツの奴ら!」


「は、はい!」

「何だ……いや何でしょうか!?」


「あっ」


ローブが声を上げても構わず、スキンヘッドは小瓶を奪い取り男達に向けて突き出した。


「これはネズミの毒消しか?


もし嘘付いたらぶっ飛ばすぞ!」


「合ってます!」

「その通りでございますですはい!」


「うし。

ローブさん、飲ましてやってくれ」


ラッツのメンバーに確認を取ったスキンヘッドは、

ローブに解毒剤入りの小瓶を返した。


「ありがとう」


ローブはコルクで出来たフタを小瓶から取り、

スキンヘッドの支えで起き上がっているアカネの僅かに開いた唇へ、

小瓶の先端を差し込む。


「全部飲ませちゃって良いのかなぁ……」


「足りないよりはマシだと思うぜ……」


小瓶の体積は少ないものの口が細いので、

全ての内容物を飲ませるのには7、8秒ほどかかりそうだ。


「よう、ローブ」


小瓶がカラになるのを待っていると、ローブ達の元にノゾミが近寄って来た。

ノゾミは激しく肩を上下させ呼吸が荒く、全身の至る所に返り血を浴びていて、

特に両方の握り拳には彼女の物とも他者の物とも判断しかねるほどの、

ドス黒い血が付着している。


「ノゾミだぁ」


「姉ちゃん、その血は……?」


「姉ちゃんだとぉ!?」


ノゾミはスキンヘッドにツバを飛ばして怒鳴った。


「なんで怒るんだ!?」


「みんな何やってるのー?」


ノゾミに続き、ジュリアも駆けて来る。


「ジュリア。

ねえ、ノゾミに何があったのかな?」


ローブが血に濡れたノゾミについて尋ねると、

ジュリアは両手でそれぞれ何かを握るような動作を見せる。


「チビがノゾミのオッパイ触ったから、ノゾミがブチギレたんだよっ!

それでチビがノッポになっちゃつた!」


「うん?」


ローブはアカネと自分の方に夢中で、ノゾミ達の事など構っていられなかったので、

そちらでも何か起こったのだと初めて知る。

ノゾミ達が走って来た方向にローブが目をやると、

3人の人間が血まみれで寝転がっていた。


ローブは知る由も無いが、元チビはアッパーの連発で身長が伸び、

元デブはボディブローで腹がへこみ、

元ノッポは頭頂部の殴られ過ぎでタンコブの山が出来、身長が縮んでいる。

ノゾミの姿と普段の女性らしさを嫌う立ち振る舞い、ジュリアの言動、

そして3人組の凄惨な様子から、ローブは事態のおおよそを察した。


いずれも、生きているかさえ怪しい状態であった。


「なるほどね……マシャはどこ?」


「あいつなら、俺がケンカ始めた時に逃げちまったよ。

わたくしは非戦闘員ですので、お先にマダーで待機しておりますわぁ。

だとよ」


「あはは……」


「ゴホッ!ゴホ!」


アカネが息を吹き返した。

解毒剤が喉に引っかかったのか、大きく咳き込んでいる。


「アカネちゃん!」


ローブがアカネに飛び付いたので、スキンヘッドはアカネをローブに任せて身を引いた。


「アカネちゃん大丈夫!?」


「ハア、ハア……とりあえず、生きてるわ……」


薄眼を開いたアカネと目が合った途端、ローブはジワジワと顔全体ををゆがめ、

ヒック、ヒックと体を揺らし、遂には泣き出してしまう。


「うう」


そして、ローブはアカネに密着してガッチリと抱き締めた。


「うわああああああん!

アカネちゃんアカネちゃんアカネちゃんアカネちゃん!

アカネちゃああああああん!」


ローブが凄まじい声量で泣き叫ぶので、鼓膜に堪えたアカネは目を細める。


「アカネちゃん生きてたんだね!?

アカネちゃんが死んだら僕なんにも出来ないのに!

アカネちゃんごめんねアカネちゃん!

わあああああああん!」


ローブが大粒の涙をポロポロとこぼしながらすがり付くせいで、

アカネの黒髪が乱れ、ローブの涙で濡れていく。

ノゾミがアカネを気遣い、ローブを大人しくさせようと手を伸ばしたが、

アカネが逆にノゾミへ左手を突き付けた。


「良いの。

この子の好きにさせたげて」


「ケッ、ホンットローブには激甘だな」


「あっ、あの!」


店員がアカネ達に向かって走って来る。


「あの、そのですね、ありがとうございましたっ!」


店員は言葉に詰まり、結局実直に頭を大きく下げて感謝を述べた。


「何かお礼をしないと……」


「これだけローブに暴れさせたんじゃあ、相当高くつくよなぁ?」


「ジュリアンパン食べ放題!?」


ノゾミがニヤつき、それに乗っかったジュリアが目を輝かせている。

アカネはローブに揺さぶられながら、空を見て少し考えた。


「今回のあたし達の代金チャラにして」


ノゾミ達の発言で高額の報酬を覚悟していた店員だが、

あまりにも軽過ぎるアカネの要求に肩透かしを食らい、

「へっ?」とまるでカエルが鳴いたような奇声を漏らした。


「おいアカネぇ!」


「ジュリアンパン!」


「それだけで良いんですか?」


「ええ」


「ふえええええええん。

アカネちゃん優しいよおおおおおおお」


アカネにしがみ付き散々泣き喚いていたローブが、ようやくアカネから離れた。

会話も聞き取っていたらしく、そちらに少し触れた後、

未だ収まりきらない自身の涙を両手でゴシゴシと拭っている。


「ローブ、ホントに良く頑張ったわね」

アカネは無表情を微笑みに変え、優しくローブを撫でた。


「出たぞ、アカネの女神モード……」


「アカネ全然笑わないもんね……」


「もしマシャがここに居たら、鼻血噴いて倒れてるだろうな」


「そうだ、マシャが待ってるね。

アカネちゃんもう良いよ。

ウチに帰ろ?」


ローブはアカネの手を頭で押し退け、ゆっくりと立ち上がった。


「帰れる?」


「うん」


ローブは小さく頷いた。


「おーし、今度こそだな」


ノゾミが我先にと歩き出した。


「ジュリアンパン……」


ジュリアンパン食べ放題の夢が潰えたジュリアは、頭と両腕をガックリと垂らしながらノゾミに続く。

アカネも歩こうとしたが2歩目でよろけてしまい、とっさにローブが受け止めた。


「アカネちゃん、もしかしてまだ毒が……」


再び泣きそうになったローブを、アカネがまたも撫でる。


「毒は平気よ。

少し疲れただけだから、支えになってくれる?」


ローブは右膝を折ってしゃがみ、後方に腕を突き出した。


「おんぶしようか?」


「おんぶは要らない」


アカネが断ると次にローブは直立し、

上体をやや後方に反らして自分の腹に両手を当てた。


「じゃあ抱っこ?」


アカネはローブの左肩にしがみ付く。

ノゾミをもってして女神モードと言わしめた微笑みは既に真顔へ戻ったが、

今のアカネは真顔より細く冷たいジト目をローブに向けている。


「肩を貸して。

それで十分だから」


「うん」


アカネとローブが、ノゾミ達の後を追って歩き出す。

しかしそこに店員が駆け寄り、アカネと自分とで挟み込む形で、

ローブのすぐ右にくっ付いた。


「何よ」


「僕達忘れ物でもしたかなあ?」


店員は右手を自身の口に添え、左手で後方の男達を指した。


「あの人達とかは、どうしたら……?」


「ゴクリ……」

「あいつ余計な事を……」

「ジッとしてろ!」


あの人達とかとは、不動の意思を貫いている男達やルキサス、ベンダの事だろう。

『とか』を付けたのは、死人も含んでいるからか。


「後片付けでもさせときなさい」


「はあ……」


店員が振り向くより先に、アカネ達の会話に聞き耳を立てていた男達は掃除を始めた。


「後片付け最高!」

「後片付け最高!」

「後片付け最高!」


「もう行って良い?」


そうアカネが言った直後、今度はスキンヘッドがアカネ達に詰め寄り、

3人の中で左に位置するアカネの更に左側へ。

3人の列が4人となった。


「ちょっと待ってくれ!」


「クソハゲも掃除よ」


「それは勿論だが、俺がローブさんに託した髪留めを返して欲しいんだ」

自分の知らない情報だったので、アカネはローブと目を合わせた。


「ローブ知ってる?」


「あ、忘れてた。

これだよね」


ローブは短パンの後ろポケットから髪留めを取り出した。


「そうそれそれ。

命拾いさせてもらったから、これは自分で渡すよ。

ローブさん、本当にありがとな」


「お兄さんに子供が居たお陰で、僕も戦えたよ。

もしお兄さんに子供が居なかったら、今頃ーーー」

「ヒャー、おっかねぇ!」


スキンヘッドはローブを遮り、高低差を付けてふざけた声を上げ、

その後ガハハと笑った。


「はい」


ローブがアカネ越しに右手を伸ばし、スキンヘッドに髪留めを差し出す。

スキンヘッドがそれを受け取る。


はずだった。


『パァン』


破裂音が鳴り響き、スキンヘッドが前に倒れる。

倒れる際に伸ばしていたスキンヘッドの右手は、

ローブの手の上の髪留めを受け取るどころか薙ぎ払い、自身の正面に飛ばしてしまった。

同時に、4人中1番右の店員が音に驚き、

「きゃあ」と声を上げて左隣のローブの腰にがみ付く。

この際店員はローブの尻尾を強く握ってしまい、

ローブが「ぎにゃ!」と悲鳴を上げて硬直。

両耳が真上に立ち、握られた尻尾も真っ直ぐ伸びている。


特に何事も無かったアカネが、破裂音に反応してとっさに振り向くと、

遠くの建物のカド辺りから、細い煙が上がっているのを視認した。


ベンダだ。


今朝マダーを訪れ、

そして昼過ぎにはここバニーでルキサスと揉め、

店員を蹴ろうとしてローブに蹴り飛ばされ倒れていた、

あのベンダが左腕を支えにして上半身を起こし、右手に銃を構えている。


細い煙は、ベンダの銃口から発生していた。


「ローブ!あれをヤッて!」


アカネは遠くのベンダを指差し、極限まで簡潔にした指示をローブに飛ばす。

だが、ローブは身動きひとつしない。

何事かとアカネがローブに目をやると、ローブは直立姿勢のまま硬直していて、

店員がローブの腰にしがみ付き、更にローブの尻尾を握ってしまっている。


「尻尾を離して!」


尻尾はローブの弱点なの!


「え?」


店員がアカネに従い手を広げると、ローブはヘナヘナとその場に崩れ落ちた。

アカネがローブに駆け寄ろうと1歩踏み出し、それとほぼ同時にベンダが

「動くな!」と叫んだ。


アカネは前のめりのまま硬直する。

店員も軽い前屈姿勢で凍り付き、ローブはトンビ座りでうずくまったままで、時折全身をビクンと震わせる。

撃たれたスキンヘッドはうつぶせに倒れピクリとも動かず、右脇腹辺りから出血し、

頭上に伸びた右手指先のほんの少し先に、ローブから受け取るはずだった髪留めが落ちている。


先に進んでいたノゾミとジュリアは、銃声を聞いてすぐに近くの建物の影へと隠れていた。


「最初は外しちまったが、火薬王なベンダ様はもう1丁持ってんだわ。

弾込めの隙を突けるとでも思ったか?」


「外した……?当たってるじゃない。

あんたの子分に!」


「ああ?俺が狙ったマトど真ん中以外はよ、全部外れなんだよ。

つうかお前ら、やっぱマーダーマダーだったか。

よくも俺に下らねえ芝居しやがったな。

まあ良い。

まずはそこの猫からぶっ飛ばしてやるか」


ベンダはローブに狙いを定めた。


「ローブッ!」


裏返った声でアカネが叫び、身を呈してローブを庇おうと飛び付く瞬間、

動くなっつったろ、と心で唱えながら、ベンダの脳が右手の人差し指に信号を送る。

『引き金を引け』

脳からのこの信号に、ベンダの右手の人差し指はこう答えた。


『痺れて動けません』


右手だけではなかった。

ベンダの全身が、

『痺れて動けません』

と答えた。


「な……」


「はあ……粗暴な殿方のお陰で、折角のネイルが台無しですわぁ」


彼女が気にしている煌めく付け爪もそうだが、

頭の上で噴水のように纏められた黄緑の髪や、

アカネ達の軽装と大きく異なる白く清楚なドレスの姿は、

このカフェどころかこの貧民街そのものに対して場違いで浮いている、

そんな印象を醸していた。


マシャの奇襲によって、事態は収束を迎えた。

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