第8話 それがQ.E.D.だね
「アカネちゃん、どうしちゃったのぉ?」
ローブはアカネを抱きかかえ揺さぶるも、彼女は目を覚ましたりせず、
ただ黒い長髪が揺れるのみ。
「おい、様子が変だぞ」
ローブに転倒させられた男達の集団の内、
仰向けで倒れた1人が上体を起こしてローブ達を視認しようとする。
が、そのすぐ側に居た別の男が彼の口元を手で覆ってチカラを込め、
上体を起こさせず、再度地面に寝かせてしまう。
「何しやがる!」
「下手に動くな!俺達じゃ絶対勝てねえ!」
「アカネちゃん、アカネちゃんっ」
何度もアカネの名を呼んでいる内に、
ローブは彼女の首筋に出来ている微細な刺し傷を発見する。
「これ……なんだろ?」
「きゃあ!」
ローブがアカネの傷に気を取られている時、店員の悲鳴が上がった。
ローブが反射的に悲鳴のした方向、バニー本店の小屋に注視すると、
ルキサスによって羽交い締めにされている店員の姿が有った。
「僕が気付かないなんて……」
ローブは聴力や視力に自信を持っていたのだが、
店員の悲鳴が聞こえるまでルキサスの動向を察知出来なかった。
自らが一切の状況判断を委ねているアカネへの脅威を退ける上で、
気配を感じる事はとても重要な能力であるだけに、
ローブの衝撃は大きい。
「我々ラッツは基本的に窃盗集団でな、隠密行動を得意としているのだ。
そこの尻尾娘、獣が混ざっているゆえに本能が鋭いようだが、
逆にそれらへの依存が強く、気配を消した私の行動を許してしまったな」
ローブはルキサスの発言を理解できず、頭をかしげた。
「まさか、このチビもお前が……?」
アカネから解放されたスキンヘッドが体を起こしつつ、ルキサスに投げかける。
「んん?なんの事だかサッパリ分からんなあ。
あの小僧の言う通り、吾輩はボケてしまったのかあ?」
ルキサスは左腕で店員を羽交い締めにし、
右手に持ったネズミの剥製を店員の首に押し当てている。
「小娘よ、お前が汚いと罵ってくれたこのネズミだが、
これは我々のシンボルなだけでなく、前歯が仕込み武器になっているのだ」
ルキサスの言う通り、ネズミの前歯は本物と違って非常に鋭く尖っている。
ルキサスは店員にだけ聞こえるよう、小さな声で彼女の耳元に囁いた。
「これは毒性を持つ希少な金属から作られた前歯でな、
希少ゆえモノによってまちまちだが、刺された者はあのように気絶してしまう。
尻尾娘は指示が無いとロクに動けんから、これで吾輩の独壇場だ」
ルキサスが何を指して『あのように』と言ったのかは、
ギャングの世界に縁の無い店員にも理解出来ていた。
「あなたがあの人を……?」
店員は、ローブに抱かれチカラ無く腕を垂らすアカネへと注目していた。
「尻尾娘よ!」
ルキサスは声高らかにローブを指名したが、ローブはアカネに意識を奪われており、
ルキサスを完全に無視してしまっている。
「我輩を無視するだと?」
今この場にいる人間の内、尻尾らしき物を有しているのはローブただ1人だけなので、
普通は自分が名指しで呼ばれたと付くはずである。
「アカネちゃん起きてよ、アカネちゃん。
僕、どうしたら良いか分からないよっ」
「尻尾娘め、余程頭が悪いと見える。
それとも、この小娘の命に関心が無くなったか……」
ルキサスは再度店員に悲鳴を上げさせてローブの注意を引く為に
店員の首筋にネズミの前歯を触れさせた。
鋭く形成された金属の先端が店員の皮膚をかすめる。
「ひぃっ!」
ローブがこちらを見た一瞬をルキサスは逃さず、発言を続ける。
「その小娘は何やら毒を受けてしまっているな。
私の持っている解毒剤なら治せるぞ」
事故を考慮すれば、毒薬とそれを打ち消せる解毒剤を同時に携帯するのはおかしな事ではないが、
自分で毒を持った癖に……と、その場の誰もが思った。
「本当!?」
ローブはルキサスに食い付いた。
大事なアカネを回復させられる可能性が有るのなら、それも当然だろう。
「我輩が出す条件を飲んでくれれば、
その薬を渡してやろう。
無論この小娘も解放する」
「おじさん、僕は何をすれば良いの?」
無抵抗の証として倒れたままでいる男達を、ルキサスは一瞥した。
「ここに居る男達の中から1人ずつ引きずり出し、我輩が許可を下した者だけを殺してくれ」
「はあ!?」
「おい!」
「何!?」
命惜しさから寝転がっているのに『殺してくれ』と言われては、
男達も黙っては居られない。
「ルキサスのジジイ、この騒ぎに乗じてブルホーンを潰すつもりか……」
うつ伏せのスキンヘッドが歯を強く噛み締め、ルキサスを見上げて呟いた。
「それだけで、アカネちゃんを助けてくれるの?」
「ああ、約束しよう」
ルキサスが頷くのを見たローブはアカネを抱いたまま、
手始めとして1番近くにうつ伏せで居る、スキンヘッドの後頭部を右足で踏み付けた。
「ぐっ」
「おじさん、この人は殺す?殺さない?」
左太ももに装備するナイフの柄に手をかけ、ローブが確認する。
ルキサスはニヤリとほくそ笑んだ。
通常、殺し屋に依頼してギャングを丸々潰させようものなら、
仮に交渉が成立したとしても、それこそ膨大な額の前金や成功報酬が求められるだろう。
だがルキサスは、自らが作り出したマッチポンプな状況のお陰で、
たかが解毒剤1個と引き換えにローブを操り、
ライバルのギャンググループを一網打尽に出来るのだ。
「酷い……」
人質状態の店員が漏らした。
「賢い、と言って貰おうか」
「ねえおじさん、僕はこの人をどうしたら良いの?」
ルキサスは自らの想像以上に従順なローブを目の当たりにし、
愉快な感情までもが込み上げてきた。
「ククク……フハハハハ……」
ルキサスはその愉快さを抑えきれず、体を何度も揺らし、遂には大きく口を開けて空を仰ぎ、声を
上げて笑い出した。
「ハーッハッハッハ!これは愉快だ!」
「おじさん?」
ローブはキョトンとした緩い顔で、笑うルキサスを見つめていた。
「なあ……猫娘さん」
「うん?」
スキンヘッドが喋ったので、ローブは反応を返した。
ルキサスが『尻尾娘』と呼んだ時は無反応だったローブだが、
猫娘は良く言われるのだろう、自分を指した言葉だと判断したようだ。
「俺の命はもう、猫娘さんの手のひらの上だ……」
「僕は猫娘じゃなくてローブだよ。
アカネちゃんが言ってた」
「そうか……じゃあローブさん。
俺はもう、ローブさんに殺されても構わねえ。
元々この世界に入った時に覚悟は決めてる。
だが、ひとつだけ心残りが有るんだ……」
「ふーん」
ローブはスキンヘッドの言葉に耳を傾けているが、それは殺す寸前の慈悲からではなく、
ルキサスが笑ってばかりいて指示を出さないからであって、
彼女からすれば単に暇潰しとして聞いているに過ぎない。
「こう見えても、俺には4、5歳の娘が居るんだ。
カタギの仕事が無くなって、仕方無くブルホーンに入った時、
別れた嫁さんと2人で消えちまったがな。
もしかしたら今頃、どっかの孤児院に入ってるかも知れねえ。
ベンダさんから聞いたが、あんた達マーダーマダーは孤児院を支援してるだろ?
もしどっかで俺の娘を見かけたら、これを渡してやってくれねえか?」
『孤児院』の単語にローブは強く反応し、
暇潰しに話を聞いていただけのスキンヘッドに関心を持った。
スキンヘッドは自分の懐から何かを取り、ローブに向かって差し出す。
キラリと光るそれをローブが右手で受け取って眺めると、金色の髪留めだと分かった。
髪を留めるピンに楕円形のブローチが付いていて、
ブローチ部分にはSotis(ソティス)の文字が刻まれている。
「そのソティスってのが、娘の名前さ。
へっ、どこに居るかも知らねえのに、
酔った勢いでこんなもん作っちまってよ、馬鹿だよな……」
「お兄さん、娘さんが居るんだ」
ローブは武力行使に入る直前の、アカネとの会話を思い出した。
『ローブ、あたし達の原則原理は分かってるわね』
『僕達マーダーマダーは、子供達の為に戦う!』
『大正解』
「アカネちゃん御免ね。
僕、もう少しで間違えちゃう所だったよ」
ローブは右手の指を折り曲げ、髪留めをキュッと握り締めた。
「そろそろ良いか?」
既に笑うのをやめていたルキサスの呼びかけを聞き、ローブはそちらを見る。
ただ、ルキサスに向けられたローブの目からは、何か強い意志が溢れていた。
「我輩は今気分が良いのでな。
その男が懺悔をしていたようだったから、待ってやったのだ。
さあ尻尾娘よ、その男をーーー」
「おじさん!」
ローブがルキサスの指示を直前で遮った。
「どうした?」
「おじさん、子供は居る?」
「おらん。
妻も娶っていない。
それがどうした」
「じゃあ、孤児院ってどう思う?
おじさんは孤児院に寄付したり、子供達にパンをあげたりする?」
「誰が好き好んでそんな無駄をするものか。
大の大人ならまだ使えるが、子供などタダ飯食らいでしかない。
ましてや孤児院の子供なんぞ、臭く汚く教養の欠片も有りはしない。
ネズミでも飼う方がまだ役に立つわ」
「でも、おじさんだって昔は子供だったよね」
「だからどうした?
これ以上無駄な話には付き合わん。
尻尾娘よ、その足の下の男を殺せ!」
ルキサスは遂に、スキンヘッドの殺害をローブにハッキリと命じた。
しかし、ローブはスキンヘッドの頭から軽く靴を浮かせる。
頭が軽くなった瞬間、目を強く閉じて死に備えていたスキンヘッドが、カッと目を見開いた。
「どうした?早く殺さないか!
解毒剤が無いと小娘が死んでしまうぞ?」
ローブはスキンヘッドから離した右足を、左足に揃えて地面に下ろす。
受け取った髪留めを、短パンの後ろポケットに入れた。
「僕の足の下には、誰も居ないよ」
「何!?」
ルキサスは従順だったローブの反逆に強く動揺し、声を荒げた。
「ねえおじさん、おじさんは何の為にギャングをやっているの?」
「御託は良い!そのハゲを殺せ!」
「答えてよ。
おじさん達ギャングの原則原理を」
「そんなもの金に決まっているだろう!
我輩が飲み食いし、身の安全を確保さえ出来れば、
孤児院のガキが何匹野垂れ死にしようと知った事ではないわぁー!」
ルキサスは怒り任せに絶叫した。
酒が抜けきっていないせいもあるだろうが、
機転を利かせた行動でローブの司令塔であるアカネを封じ込め、
愚直なローブを上手く手駒にし、労せずしてライバルギャングを潰せると高みに居た所を、
肝心のローブが指示に逆らうばかりでなく、口答えまでしてきたのだ。
ギャングのリーダーともなればプライドが高くて然るべきで、感情の落差は大きい。
「それがQ.E.D.だね」
「何をワケのーーー」
ローブが瞬時にルキサスと肉薄し、喉にナイフを突き刺した事で、
彼の言葉の続きはその命と共に、死後の世界へと永遠に封じ込められた。
これまで長らくアカネの指示だけを頼りに行動していたローブが、
アカネ無しに単独でルキサスを始末したのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます