第2話 僕尻尾は弱いんだから

アカネの言うムスカリ孤児院は、マダーと同じ貧民街の一角に建てられている。


繰り返すがここは貧民街であり、

親に捨てられたり死別したりして孤児となった子供達の一部が、

このムスカリ孤児院に保護されている。


カフェで寛ぐ余裕の有るアカネ達には縁の無さそうな場所だが、

アカネ達の関係者であろう二名はここに居る筈だ。


ローブがマダーを出た頃、

朝食にしては遅いのだが、ムスカリ孤児院では幼児達が食事をしていた。


孤児院の庭とでも言うべきか、青空の下に集められた幼児達は一人一個のパン、

潰れた円形で茶色く焼けたパンを持っていて、

「いただきまーす!」

の大合唱の後、それぞれがパンにかぶり付く。


パンの断面からは、濃い小豆色の餡が入っているのが見えるが、

その量はパン生地に対して多いとは言えない。


幼児達は皆アンパンに夢中なのだが、その中に一人だけ明らかに容姿が違う女児が混ざっている。


経済的に余裕の無いのが常な孤児院なだけに、幼児達の着ている服の多くは穴が空いていたり、

あるいは継ぎ接ぎが目立ったりする中で、

その女児だけは周囲と違い、清潔でしっかりとした服を着ている。


更に、その女児は自分のアンパンに口を付けず、他の幼児達の食事を満足げに眺めていた。

「よしよし、ジュリアンパンは今日も大人気っ!それじゃあジュリアも…」


自らをジュリアと呼ぶ女児が大きく口を開け、

自分のアンパン、もといジュリアンパンにありつこうとした時、

幼児達から離れた場所にいる修道服の女性が、ジュリアに声をかける。


「ジュリアさん、ちょっとこちらへ」


「あ?」


ジュリアはジュリアンパンを食べるのを止めて、修道女に近寄った。


「おばさんなに?」


「これをジュリアさんに預かって頂きたいのです」


修道女が持っているのは、子猫ほどの大きさで人間を模したぬいぐるみであった。


ぬいぐるみの顔にはボタンの両目と縫い糸の口が有り、

頭からはカラフルな毛糸の髪が数本生えている。


孤児院の物なだけにぬいぐるみは薄汚れていて、所々に破れたのを修繕した跡が目立つ。


「確か、ジュリアさんはぬいぐるみがお好きでしたよね?」


お世辞にも綺麗とは言えないぬいぐるみだが、

修道女の言葉に間違いは無く、ジュリアは目を輝かせている。

「良いの?」


修道女はニッコリと笑った。


「いつもパンを下さるジュリアさんに、子供達が何かお礼をしたいと言っていましてね。


ここは孤児院ですから、プレゼント出来るような物はこれくらいしかなかったのです」


修道女は幼児達の居る方を見て、更に続けた。


「それに、ここに有るとどうしても取り合いになってしまいますから。


ジュリアさんに大切にして貰えれば、ぬいぐるみも喜びますよ」


「そう言う事なら、ジュリアが貰ってあげる」


修道女は自分の口元で人差し指を立て、

「子供達には内緒にしておいて下さいね。さ、パンに夢中な内に」

と言って、ジュリアにぬいぐるみを差し出した。


「おっけー!」


ジュリアは小声で返事し、幼児達に気付かれなくする為、ぬいぐるみを服の内側に隠す。


「ノゾミには絶対見付からない様にしないと…」


「ジュリア、見付けたよ!」


そこにローブが現れた。


居場所は聞きそびれたが、ローブは自力でジュリアを見つけられた事になる。

「ローブッ?」


ジュリアは、突然現れたローブにぬいぐるみを隠す所を見られていたのではと疑い焦ったが、

ローブか特にそれを気にする様子は無かった。


「あっ、猫のお姉ちゃんだー」


「わわわっ」


食事を終えた幼児達に囲まれて、ローブは少しだけ驚いた。


幼児達の頭が、ローブのへその少し下位の高さである。


「お姉ちゃん何しに来たの?」

「お耳は見せないの?」


「えっ?耳なんて何処にも無いよ?」


ローブは質問責めの中から耳の話題にだけ反応し、咄嗟に頭の突起を両手で押さえて隠した。


だが、明らかに隠し切れていない。


「嘘だ!」


「無いよ!」


「じゃあ尻尾も嘘なの?」


ローブの背後にいた一人の幼児が、ローブの尻尾をギュッと握った。


「ぎにゃあ!」


尻尾を含めた全身を大きく震わせたかと思うと、ローブは膝を折り徐々に崩れ落ちていく。

「やめへ…」


「お耳も見せてー」


「ジュリアさん、あれはやめさせるべきででしょうか…」


ローブを心配した修道女が、ローブと知り合いであるジュリアに質問した。


「ジュリアもたまにやってるからへーき」


「はあ…」


ローブへの集中攻撃が暫く続いた後、

沈静化し散らばる幼児達の中からローブが四つんばいで抜け出し、ジュリアに近寄る。


「うううう…」


ローブの頭を覆う赤いバンダナがずれ、頭の片側が露出している。


動物のような大きい耳が、突起の正体であった。


耳と尻尾を持つ容姿と言い、アカネに風より速いと言わしめる程の俊敏さと言い、

ローブは明らかに常人離れしている。


「すみません、子供達がご迷惑を」


修道女が深々と頭を下げる。


「ジュリア、見てないで助けてよぉ。僕尻尾は弱いんだから」


ローブはヨロヨロと立ち上がり、バンダナのズレを直している。

「じゃあジュリアが鍛えてあげる!」


ジュリアはニヤリと笑い、パンを持っていない左手を構え指を開閉した。


「ぎにゃあ!」


ローブは涙目になりながら、尻尾を庇うように押さえた。


「ローブさんは何かの御用でこちらへ?」


「あ、そうだった。ジュリア、みんなでオープンカフェに行くから帰って来て」


「みんなって、アカネも?」


「勿論。僕達は5人組だからね」


ローブは左手を突き出して指を広げ、5を強調した。


「ねーねーおばさん、オープンカヘって何?」


ジュリアが修道女を見上げ、修道服を引っ張っている。


「屋根の無い所でお茶やお食事を楽しむ所ですね」


「へー。なんか良いっ!」


「ノゾミは何処かな?」


ローブは周囲を見渡したが、自分達の他に居るのは幼児ばかりで、それらしい姿は無かった。

「ノゾミさんなら、孤児院の裏で踊っているそうですよ」


「ノゾミはデカくて怖がられるからねっ!」


「それで一緒に居なかったんだ。僕呼んで来るね」


ローブは修道女の案内に従い、孤児院の裏へ駆けて行った。


その風圧で、修道女の服がフワッとめくれ上がる。


ローブにとっては本気の半分にも満たないであろう走りも、

彼女と関わりの浅い修道女には驚異的な速さに映る。


修道女は目を白黒させ、ジュリアに言う。


「ローブさん、凄い足の速さですね」


「そうだよ。ローブは風より速いよ!」


ジュリアはさも当然であるかのように、修道女に答えてみせた。


少なくともジュリアにとって、ローブの俊足は今に始まった事では無いのだろう。


ローブはすぐにノゾミを見付けたのだが、声を掛けるより前に建物の角に隠れてしまった。


角から顔だけを出して、ノゾミを観察している。

実際の所は二人が並んでみるまで分からないが、

ジュリアがデカいと言うだけあって、ノゾミの身長はローブ以上に高い。


白髪のベリーショート、日焼けしたローブよりも黒い肌、タンクトップにジーンズ。


体格もかなり筋肉が付いてガッチリとしており、

胸が大きく実っている点を除けば、男性と見間違われそうなたくましい容姿である。


ローブが隠れたのは、そんな彼女がダンスをしていたからだ。


ノゾミのダンスは時に力強く、時に繊細で、ローブは要件を忘れて見惚れてしまっていた。


邪魔をしては悪いと思ったのだろう。


「素敵だなぁ…」


「ん」


ローブの呟きが聞こえ、ノゾミはダンスを中止して声のした方を見る。


ローブは何故かシュッと隠れたが、

ノゾミはバンダナで覆われているローブの耳を見逃さなかった。


「ローブか。どうした?」


ローブは、「バレてた?」 と言いながら姿を現した。


「なんで隠れたんだよ。俺を暗殺しようってのかぁ?」


ノゾミは半笑いで、暗殺とは冗談で言ったつもりなのだが、

ローブは大袈裟に首も手も振って否定してみせた。


自身を俺と呼ぶ辺り、ノゾミがボーイッシュなのは見た目だけでは無さそうだ。

「そんな事アカネちゃんは言ってないよ!」


「怖い言い方すんなよな…」


アカネの指示さえ下れば俺でも殺すのかよと、ノゾミの半笑いが苦笑いに変わる。


「え?」


「いや、何でも無い」


ノゾミは近くの瓦礫の上に座ると、大きく息を吐き、ダンスで疲れた体に休息を与える。


「ノゾミのダンス良かったよ」


「ありがとよ」


「子供達にも見せてあげたら?」


直前と違い、ノゾミの返事は一瞬遅れた。


「いや、それは良いんだ」


「どうして?」


「俺、こんなんだから怖がる奴も居るしよ。それに子供を見てるとちょっとな…」


ノゾミが言葉を途中で切ったので、ローブにはその続きが分からず、ただ首を傾げている。


「えっと、ジュリアもあの子達と同じくらいだけど?」


「ジュリアホは別だ」


「そうなの?」


ノゾミは勢いよく瓦礫から立ち上がった。

「この話はやめ!ローブ、何か用事があって来たんだろ?」


「あ!そうだった」


ローブが思い出したのに合わせて、尻尾がピンと立つ。


「アカネちゃんがオープンカフェに行くから、ジュリアとノゾミを呼んで来て欲しいって言ってたよ」


「へえ、こりゃまた珍しいな。直接そこに行くのか?」


「アカネちゃん達はウチで待ってるよ」


「じゃあ一旦マダーに集合って訳だ」。行くか」


要件も伝わり、ノゾミとローブはマダー目指して歩き始めた。


「もっと早く行くのが決まってたら、アンパン食べないで済んだのにね。


ジュリアがいつも言ってるけど、あんまり美味しく無いんでしょ?」


「ん?俺は前から食ってねえぞ」


「そうなの?いつもパン配りに行ってるから、一緒に食べてるのかと思ってたよ」


ノゾミは足元の小石をわざと蹴り飛ばし、少しトーンを落とした声で、

「俺は子供じゃねえからな…」

と言った。


ローブはその時のノゾミに、大した反応を示さなかった。

「うーん、オープンカフェかあ。速く行きたくてうずうずしちゃうよ。


そうだ!僕がジュリアをおぶったら速く着くよね?」


「ジュリアだけか。俺もおぶってくれよ」


「えー!?ジュリアはうんと軽いから良いけど、ノゾミは重いし、二人共は無理だよ」


「それじゃ俺がローブに合わせて走らないと短縮にならねえぞ。無茶言うなって」


「どう言う事?」


ローブの頭の悪さに、ノゾミはくたびれた顔で溜息を吐いた。


程なくして2人はジュリアと合流し、3人でマダーへ向かった。

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