裏と表と裏の裏

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狐の婿入り

今日も僕は門の前で立っていた。今日はめずらしく雨が降っていた。その"雨"は僕が記憶で見た雨という存在とはかけ離れたもので、黒く染まっていて触ろうとしても手をすり抜けてしまう。その"雨"は地面に触れると音もなく染み込んでゆく。僕はその音のない雨の中、緑の空を眺めていた。

気づくと目の前に一匹の狐がいた。金色の毛並み、細い手足のとても美しい狐だった。僕はいつも通り同じ台詞を言った。

「君はどこから来たんだい?」

「ある森から」


~~~~~~~


彼は今はもう都市開発でなくなった森から来たそうだ。彼はその森で育ったらしい。あまり昔のことは少し思い出せない。一人立ちするまでの記憶は途切れ途切れなのだ。彼は近くの村に住む人間に恋をした。

出会いは彼が親を離れ一人で生活を始めた秋の末の頃、餌を探して森を走り回っていたら、彼女に会ったという。その時彼は何日か餌が取れず何も食べていなく、弱りきっていた。彼は疲れ果てて休んでいる時にいきなり現れた人間に対し、警戒しながら逃げようとした。その時、彼女はお腹をすかしたのを感じ取ったのか鞄から取り出したおにぎりを1つよこしてくれた。彼はそれをすぐに平らげた。今まで食べたものの中で一番美味しかった。体の奥から力が湧いてくるようだった。

彼は感謝の気持ちを伝えようと飛びついたのだが、彼女は驚き逃げてしまった。彼は後を追ったが森の中、疲れている彼に追い付けるわけもなかった。

それから彼は彼女に謝ろうとした。毎日出会った場所へ行き、彼女を待った。しかし、彼女は来なかった。

そして、彼は彼女を探そうと決めた。彼は知っていた、人間はこの森の近くの村に集まって住んでいるという。季節は冬にはいったが彼は何回も村に入って、畑荒しと思われ農家に追われ、悪ガキどもに石を当てられたりしたが…彼は彼女がこの村にいるということを確信していた。この山の周りには集落らしき所はここしかないのであるから。

ある日の正午、彼は村に入って例の彼女を探していた。彼女と会ってから1週間ほどだろうか。道路を歩いていると前方の突き当たりの家に、彼女が見えた。彼は一目散に彼女に駆け寄った。しかし、彼女に届く前に彼は"黒いもの"に遮られた。そして意識は遠いところへ……


~~~~~~~~

「君はそのあとここに来たのかい?」

いや、僕にその後不思議なことが起こったんだ。

「不思議なこと?」

僕は神様が助けてくれたんだと思うんだ。

「神様?」


~~~~~~~~

目を開けると青々とした森の中だった。その前までの寒々しい枝ばかりの木々ではなかった。記憶は彼女を見つけた時から続いているが、そこにはぽっかり穴が空いているように暗く、深い暗黒だけが広がっているような感覚だった。

そこで彼は気づいた。自分の体がいつもと違うことに。まるで人間のような……というよりも人間の体をしていた。彼は戸惑ったが、彼はそれよりも彼女のことが気になり、とりあえずこれで彼女に謝れると思った。

彼は走って彼女を見つけた場所へ走った。まるで体が覚えているように二足歩行での走り方は馴染んでいた。彼は山の中は慣れていたのでどこら辺なのか大体わかった。走っている時少し違和感があったが、彼は視線が高くなり、季節も半年すすんでいるようなのだから当然だろう。

走っていると遠くにビル群が見えた。彼はビルなんてことは知らないはずだが、この体のせいだろう。人間の知識がこの体に蓄えられているのであろう。今まで、こんなもの見たことがなかったが、視線が高くなり視野が広がったことと、人間との知識ちで認識の幅が広がったのだろうと思った。

しかし、彼は"先ほどまでいた村"が見えるところへたどり着いた時に今までとは比べものにならない違和感、というか不可思議な現象に出会った。村の光景が所々大きく変わっていたのである。彼が眠っていた?のであろう半年の間で変わったのであろうか。瓦屋根ばかりだった木造住宅ばかりが建っていて、他には畑や田んぼだらけだった村だった光景が、洋風な家やコンクリート造りのアパートが乱立し、とても大きなスーパーマーケットというものが畑に変わってつくられていた。

彼自身はそれらのものは見たことがないはずだったが、"知っていた"のだった。所々に昔見た光景が残っているように感じた。彼は自身が歩いた記憶とこの体にあるこの村の知識を使い、村の全体を見渡し、先ほど見つけた家にあたりをつけてそこへ向かった。

その家は彼が先ほど見た外見がそれほど変わっていなかった。彼は、自然に手を伸ばし戸を開けた。そして、家に入って居間へ行くと1人の老婆が掃除をしていた。

「あら、今日は帰りが遅かったですね。」

「あ…あぁ、今日はそういう気分だったんだ。」

彼が言おうとしたわけではないが、口が勝手にそう言っているように感じた。というより、こう答えるというのが決まっているようにこう答えた。さらに、彼は続けた。

「すまんが小腹が空いた、いつものをくれるか」

「はいはい、今すぐ用意するので少し待っていてくださいね。」

そう言って彼女は台所へ向かった。居間でしっくりくる場所に座った。彼は台所で何かしているような音を聴きながら考え事をしていた。そして、彼は1つの結論に至った。どうやらこの家の老夫婦の夫の体に乗り移ったということ、どうやらこの家には彼女はいないようだということ。

あたりを見渡しても少女がいるような雰囲気はどこにもなかった。あるのは年期の入った物や定年後の時間を潰すようなものばかりで、とてもあの少女が楽しむような物などなく、外に干されている洗濯物の中に少女の着る服が一切もなかったのである。

そのようなことを考えて、彼女はどこに行ったのだろうと考えながら待っていると、老婆が戻って来る音を聞いた。彼は視線をそちらに向けながら聞いてみた。

「ここに住んでいた少女はどこへいいたのだっけか。」

「少女?娘ならもう40年も前に家を出たじゃないですか。ボケが始まりましたか?しっかりしてくださいな。」

彼はその言葉を聞いてはいたが、それを理解する前に1つの物に注意を引かれていた。彼はお腹が空いていたというのは事実だが、それよりも心の奥の渇望がそれに向けて集まっているのを感じた。それは、老婆が持ってきた皿にのせられた"おにぎり"であった。

彼は、老婆がそれを卓に置くと同時に手を伸ばし、それにかぶりついた。老婆が何かを言っているようだが、全く耳に入ってこなかった。

そのおにぎりはまさしく"あの時の味"だった。自然と目から涙が出るのを感じた。それを見て老婆が

「何泣いているんですか?もう40年も前の話じゃないですか。娘というのは普通、家から出ていくものですよ。そんなに、おにぎりをがっつかなくても…」

と的外れなことを言った。

「そういえば、前も話したかもしれませんが、昔子ども時に森の中で遊んでいた時に、とある狐にあったんです。その子は痩せこけていてとても弱っているようでした。私は可哀想だと思ってお昼に食べようと自分で作ったおにぎりをあげたんです。そしたらすぐにばくばく~って一気に食べたんです。それをみてたら私少し怖くなっちゃって飛びついて来たときに逃げちゃったんです。」

「…………」

「それから、森が怖くなって行かなくなったんですけど、ある日庭で遊んでいると、家の前でいきなり大きな音が聞こえて家に出たんです。そしたら狐が引かれて死んでいたんです口に花を加えて。多分偶然なんでしょうけど私なんだかあの時の狐のような気がして、もしかしたらお礼をしに来たんじゃないかって、あの時飛びついて来たのはあの子なりのお礼なんじゃないかって思って、そしたら本当に逃げてきちゃったのが申し訳なくて、お庭にお墓を作って、おにぎりをお供えしてたんです。家を出てからはその習慣は忘れちゃったんですけど、両親が亡くなってあなたと住むようになってからは時々手をあわしてるんです。」

「ちょっと一個もらいますよ。」

と言って老婆はおにぎりを持って庭に出た。後について行くと、庭の隅の方へ歩いていって何やら土が盛り上がっているところで止まって、そこにおにぎりを置いて合掌した。彼は何も言えなかった。老婆は手を合わせながら

「あの時は逃げてごめんなさいね。あんなに喜んでくれるなんて本当にうれしかったですよ。どうかこのおにぎりをお食べください。あの時よりはおいしくなっていると思いますよ。」

と言って腰をあげた。

「このおにぎりをおいしく食べてもらえたら嬉しいんですけどね。」

と昔を思うように言った。

息を吸ってはっきりと言った。

「おいしかったよ。本当に。僕のほうこそごめん。驚かせてしまって。」

「え…?」

「あの時は本当にお腹が空いていたんだ。今まで食べたものの中で一番おいしかった。僕はお礼をしにここに来たんだ。今までありがとう。」

と言葉にしたと同時に視界が真っ白になった。


~~~~~~~~


「君は中に入るかい?」

僕はもう満足だ。裏の世界へつれてってくれ、彼女を迎えなくては。

「そこに君の望む場所はないと思うけどな。」

いいんだそれでも。僕の方が長く愛されているからね。と彼は誇らしげに言った。

「じゃあ君をそこ送ろう。じゃあね」

と僕は手を振った。そうすると、目の前にいた狐はすぐに消えた。送る時に少し記憶が流れ込んできた。中に入ったわけではないが僕はメモを残しておいた。

「なんか同じような話を聞いた気がする…なるほど!狐は化けられるんだな。」

彼は、おにぎりの味を噛みしめながらメモを置いた。送った後の名残であるゆるやかな風が置いたメモのページをめくる。パラパラとめくれていくページの一枚には彼と同じ名前を持つ門を抜けた狐の名前が記載されていた。




エピローグ

あの時の狐さんが夫の体を借りて会いに来てくれた。周りの人や本人は信じてくれなかったが、私はあの時の狐さんだと思ってる。夫は先立ってしまった。今はあの墓で、もうすぐ会えますよと思いながら私は今日もおにぎりを握っている。






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