第16話:女神と元勇者
「今、開けます」
神魂の間の空間に、ポツンとあるドア。それを開けると、そこには薄い水色のジーパンに、紺色のウインドウブレイカー姿の男が立っていた。
30代ぐらいの温和そうながら、端正な顔立ちをしている。目は細めだが、しっかりと太い眉と弓なりになった口許が印象的だ。オールバックの髪型のせいなのか、どこか紳士的な雰囲気を醸していた。
「まいどー……って、あれ? 君、まだいたのかい?」
「ええ、まだいました」
彼と会うのは、2度目である。
「まあいいや。ほい、また『かつ丼・特快便』ね。このポットが、プラチナ会員のおまけのみそ汁。熱いから気をつけてね」
俺は、銀色の出前箱から取りだされるかつ丼とみそ汁ポットを受けとった。
どんぶりや割り箸の袋には、もちろん「た○秀」の文字が書いてある。
ちなみに勘違いされていると困るので説明しておくが、これは「たまるひで」と読む。決して伏せ字ではないのだ。
俺はそれを餓えた拳士のいるテーブルに運ぶと、前に食べ終えた器を女神から受けとりドアまで運んだ。
「あ、どうもありがとうございます」
待っていた「た○秀」の従業員が受けとる。
もちろん、この神魂の間に普通の人間が来られるわけもない。
すなわち彼は、最低賃金を割った時給で働く元勇者である。
「まいどーでした。料金は先ほどと同じカードから引き落としされてますので」
そうビジネスライクに言った後、元勇者の口調が少し控えめになる。
「ところで……余計なことかもしれないけど、君も転生して勇者になるんじゃないのかい?」
その目が、どこか心配そうにこちらを見ていた。
それはそうだろう。
こんなに女神の場所で居座り、かつ丼を2回も食べる転生者などいるはずがない。
「なにかトラブルでもあったの? ……あ、ごめんよ。お節介は、元勇者の悪い癖だね」
そう言いながらはにかむ元勇者は、どう見てもまともにいい人。
今の周りがバカとかアホなので、久々に見たまともないい人が輝いて見える。
だから、つい俺の口だって軽くなる。
「……え? 女神の祝福たる異能力を決めるのに時間がかかって? ……ああ、それで次の転生者が来ちゃったの? そりゃまた……」
たぶん「気の毒に」という言葉を呑みこんだのだろう。
こちらを哀れむような表情をした後、彼は奥の方を覗きこむ。
その視線の先には、カラオケルームの席で至福の笑みを浮かべながら、ものすごい勢いでかつ丼をかっ込んでいる拳士の姿がある。
「……彼女かい? 後から来た転生者は」
「はい。そうですけど」
「……ふむ。あの子について女神はなにか言っていた?」
「え? いや、これといっては……」
そう答えると、元勇者はまた1人で「ふむ」とうなずいてみせる。
「もしかして、気がついていないのかな……。ごめんよ、ちょっとお邪魔していいかな」
「は、はあ……」
背中に金色の「た○秀」の文字を背負った元勇者は、カラオケルームに近づき、ノックをきちんとしてからドアを開けた。
「まいどーお世話になっております、女神様」
「はい、いつもご苦労様です。……何かありましたか?」
「いえ、これは『た○秀』の者としてではなく、元勇者としてなのですが、その子のことが少し気になりまして」
そう言うと、目線で拳士を指し示した。
気がついた拳士が、敏感に反応する。
「――
「おい。口の中に食べ物を入れたまま凄むな、拳士」
とりあえず突っこんだ後、俺は元勇者に「女子供扱いするとキレるアホなんで」と的確な情報を耳打ちする。
「なるほど。それは申し訳なかった拳士殿。ところで手間をかけるが、拳士殿の力を見せて欲しいんだ」
「――
「だから口に入ったまま喋るな!」
子供扱いされても仕方ない行儀の悪さである。
「まあ、ちょっと気になることがあってね。合格したら、このかつ丼も食べていいから」
「――ちょっ! それわたしくしの分です!」
慌てる女神をよそに、拳士の目の色が変わる。
「その勝負、受けよう! ちょうど自分の分を食べ終わったところだしな!」
「喰うの早!」
俺はツッコミながらも、拳士の丼を確認する。
確かにない。空っぽだ。舐めたようにご飯一粒さえ残っていない。
「ありがとう。じゃあ、女神様。申し訳ないけど、なんか適当にターゲットを用意してくれる?」
「……なんでわたくしがそんなことをしなければならないのです? 命の次に大切なかつ丼を賭けてまで」
「あんた、もっと他にも大事な物を持った方がいいぞ……」
俺のツッコミに、なぜか喜ぶ女神。
……ああ。そうか。
久々のボケ・ツッコミだからか!
「もう。まったくもう。本当にもう、仕方ないですねー!」
なんだかんだと言って、どこか嬉しそうに女神は例のネズミの魔獣人形を呼びだした。
かつ丼よりツッコミが嬉しかったらしい。
確かに拳士が現れてから、影が薄くなっていたからな。
人に崇められて存在している女神としては、目立てないのは存在意義にも関わるのかもしれない。
まあ、ただの性格上の問題ということもあり得るが。
「あれを倒せば良いのかな」
拳士がやる気満々でネズミの魔獣と相対する。
しかし、その位置は近接戦の距離感ではない。
ゆうに10メートルは離れている。
それでも黒い胴着の小さな体をその場で構えさせる。
左足を前に、左腕を曲げて地面に平行に。右腕を引いて肘を腰にあてている。
「では、いくぞ……」
残り3人は、その少し背後に並んで見ることにする。
「はあああぁぁ……――破っ!」
右拳を前に突き入れた……と思う。
いや、正直なところ見えなかった。
なにか拳が光ったかと思うと、突風が俺の顔を激しく叩いた。
視界など確保できない。
「…………」
そして、次に瞼を開いた時に見えたのは――
「……えっ?」
――なにもない空間だった。
あのネズミの魔獣が、跡形もなく消え去っていたのである。
「魔力反応……」
女神が横でボソッとつぶやいた。
「うん。やっぱり……」
元勇者もつぶやいた。
だが、俺には意味がわからない。
「ど、どうなったの?」
「魔力をともなった突きによる風圧で吹き飛ばしたんだよ」
「……はいっ?」
元勇者が当たり前のように説明してくれるが、俺の常識からはかけ離れている。
これはいわゆる超人レベル……勇者レベルの力だ。
「もうひとつ試させてもらえるかな?」
そう言うと元勇者が彼女の前に立った。
距離は先ほどのネズミの魔獣と同じぐらい。
「今度は僕に一発入れてみてくれないかな。全力でね」
「……それより、早くかつ丼のおかわりを食べたいのだが」
「なら、そのかつ丼を賭けて勝負しよう。君が僕を一撃でこの場から動かすことができたら、君の勝ちだ。その時にはもうひとつのかつ丼も君にあげよう。君が負けたら追加のかつ丼はなしだ」
「おい! それ、俺の分!」
「ほほう。その勝負を受けよう!」
「受けるなよ!」
俺のツッコミはスルーされる。
「だが、よいのかな? なかなかやるようだが、この『黒い弾丸』と言われた我の拳を正面から喰らったら立っているどころか吹き飛ぶぞ」
腰を手にして道着から溢れだしそうな胸を張り、拳士は自信満々にそう告げた。
確かにさっきの威力、元勇者と言えどただではすまないだろう。
「我は『空手アホ異世界』を見て修行に励んだからな」
なるほど、アホなりにがんばったんだなと俺は感心する。
「努力したんだな、空手……」
「いや。我のは少林寺拳法だけど?」
「空手じゃないのかよ!」
しかも、ずいぶんと微妙なラインを攻めてくる。
「まあ、漫才はそこらにして……」
元勇者が左前に構える。
「そろそろ始めてもらえるかな? あまり寄り道をしていると店長に怒られちゃうし」
「……では! 今度は本気で!」
どうやら、あのネズミの魔獣を吹き飛ばしたのは本気ではなかったらしい。
まあ、当たり前かもしれない。
なにしろ拳を当ててもいないのだから。
「はあああぁぁ……」
先ほどと同じように構える拳士。
「――破っ!」
それはまさに黒い弾丸。
彼女は一投足で間合いをつめる。
そして放たれる閃光。
だが。
だが、なんとその爆風をともなう拳は、いとも軽々と元勇者の前にした左手で受けとめられてしまったのだ。
元勇者はその場から動かないどころか、左腕をわずかにも曲げていない。
何事もなかったように、その場に立っていたのだ。
「……ま、まさか……そんな……」
拳を突きだしたままで愕然とする拳士に、元勇者は笑いかける。
「まだ力の使い方がなってないけど……まちがいないな」
元勇者は受けとめていた拳から手を離し、拳士の肩を叩く。
「君は、勇者因子を持っているね」
――勇者因子。
それは世界を救う勇者の
……あれ?
つまり、彼女が転生すれば、確実に勇者になれるわけで……。
それって俺……転生する必要ないんじゃね?
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