第8話:女神と底なし沼

 縦長の四角い窓。その左右は、まとめられた水色のカーテンで少し隠されていた。

 しかし、隠れていない部分には、羽毛のような雪がチラチラと休むことなく舞い降りる様子が見えている。

 部屋の中との温度差のせいだろうか、窓ガラスは少し曇っていた。

 それでも外の風情ある雪明かりの景色が楽しめた。


 六畳間。


 飾り気のないクリーム色の部屋の真ん中に、正方形のコタツが鎮座していた。

 その木目が描かれたダークブラウンのテーブル板には、籐のカゴに入ったミカンの山が、鮮やかなオレンジで温かみをだしている。

 そしてそのミカンを挟んで、コタツの布団を胸元までかぶるようにして、テーブルに頬を乗せる俺と女神がいた。


「おーい、女神よ」


「なんですかー、ダーリン」


 だらけた口調で声をかければ、女神も脱力感満載の返事。


「座布団とか座椅子とかないのか? 畳にじかは冷たい……」


「ああー、ならいいのがありますよー」


 女神がパンと手を叩く。

 すると2人のそれぞれの背後に、胴体の大きさよりも少し大きい楕円形をした物が現れた。

 まるで風船のようにふっくらと膨らんだ布で、なにかが包まれている。

 俺の背後にあるのはコバルトブルー。

 女神の背後にあるのはショッキングピンク。

 かるく押せば、うにゅんと手が沈みこむ。


「これは、ビーズクッションってやつか」


「そうです。人間をダメにするクッションで有名なやつですよ」


「ほうほう。どれどれ」


 俺はコタツに入ったままながら、それを自分の方に引きよせて体を沈めてみる。

 十分な大きさがある柔らかいビーズクッションは形を変えて、俺の上半身を埋めるように包みこむ。

 試しに座りなおしてみると、座椅子のように体を沈めることもできた。

 しかも一度、体を沈みこませてしまうと、立ちあがろうと手をついても沈みこんでしまうため、なかなか立ちあがれない。

 そして最後には、「まあ立ちあがらなくていいかな」という気持ちになってしまう。

 これは確かにダメになる。


「なー、女神よー」


「なんですかー」


「これ、ヤバくねー?」


「ヤバテストですねー」


「それ、どんな最上級だよ」


「今までこの組合せはやったことなかったんですけど……この2つはスーパーヤバテストです」


「人間をダメにするクッションに入りながら、人間をダメにするコタツに入る……もうダメテストだな」


「ああ、悪魔の誘惑……ボク、堕天しちゃう♥」


「ああ、堕天でも昇天で好きにしろ」


「もう♥ ダーリンの昇天マニア♥」


「どんなマニアだよ! 意味がわからん!」


「ところで、言われたからミカンを用意したけど……」


 そう言いながら、女神が指でかるくミカンをひとつ、ツンと突っつく。


「ダーリンったらぜんぜん食べてないじゃん」


「まあ、ミカンはオブジェクトとして必需だからだしてもらっただけだ。もちろん食べたくないわけではないんだけど、食べると手が汚れたり、ゴミが出たりするだろう? そうするとどうなる?」


「手を洗ったり、ごみを捨てたり……はっ! コタツから出なくてはいけなくなる!?」


「だろう?」


「うん。なるほど! ボクも食べないで見ておくだけにする!」


 完全に、この女神は堕落している。

 というか、すっかり口調も素になっている。

 まあ、見た目もとっくに女神をやめているし。

 なにしろ、つい先ほどまで着飾っていた、鮮やかなエメラルドグリーンのフワッとしたドレス姿ではなく、今はなんと紺のジャージ姿である。

 しかも、その下は体操着、そして今時ありえないブルマを履いているという。

 いったいどんなこだわりなんだ。


「……ちょっ、ちょっとダーリン! あ、足伸ばしすぎだよ!」


 俺が寝転がり、腰辺りまで潜ったら反対側の女神に当たってしまったらしい。


「ちょっと、そこ……ボ、ボクの……こ、股間に、あ、足が……」


「ああ、すまん。ちんちん蹴った?」


「――セクハラ! それセクハラ!」


「同性でセクハラなんてあるかい!」


「ありますーぅ。あるんですーぅ。そういうこと言うから、男の人はきらわれるんですーぅ」


「はいはい。わかった、わかった。……俺、ちょっと気持ちいいのでこのまま寝るから」


「あー! ダーリン、人の話はちゃんと聞いてよね!」


「はいはい。おやすみ、おやすみ」


「ぶぅー! 怒った! もう許さない! 女神の怒り!」


 そう言うと、女神は唐突にコタツ布団を持ちあげた、そしてなにやらモゾモゾしはじめると、こちらから姿が見えなくなる。

 そして――


「ブファーッ!」


 ――コタツの中でなにかしているかと思ったら、コタツを潜って俺のお腹の辺りから現れた。

 そして丸顔を悪戯っぽくゆるませて、ルビーをも霞ませる美しい明眸をクリッとさせた。

 きれいな銀髪が乱れて、少し顔にかかっている。


「へへへ。来ちゃった♥」


 それはもう愛らしく笑う。

 とても女の子ではないとは思えない愛らしさだ。


「うんうん。かわいい、かわいい」


「――へっ!?」


 この女神は、男の娘モードの時に正面から褒められると非常に弱い。

 その赤面は、こたつよりも熱そうだ。


「ボ、ボク……男の娘……だよ?」


 そして女神だと言いはるわりに、自分を「男の娘」と言って確認する。

 たぶん、本来の自分を認めて欲しいのだろうなとは思う。


 だが、違う。

 そういう問題ではないのだ。


「いいか、よく聞け。女神は犬が好きか?」


「ん? なに突然? まあ、好きだけど……」


「ならば、ここにたとえば、犬がいるとする。その犬が、足にスリスリとしてきた。そしてクリクリとした目で愛らしく見つめてきて、『アン!』とか鳴いたとする」


「う、うん……それはかわいいね」


「だろ? 思わずかわいくて撫でてしまいたくなるよな?」


「うん」


「だがその時だ。あんたはその犬が、オスかメスか気にするか?」


「え?」


「メスだからかわいい、オスだからかわいくないっていうか?」


「そんなわけないじゃない。かわいいものはかわいいよ」


「そう、その通り。つまり、そういうことだ」


 女神は俺の胸元で一瞬だけ口をむっと難しい顔で結ぶ。

 だが、すぐに気がついたのか「ああ!」と声をあげる。


「そうか! ボクが男の娘でもかわいいものはかわいいってことだね!」


「まあ、それもある。それよりも俺が言いたいことは、あんたは犬みたいな存在ということだ」


「……え?」


「つまりは愛玩動物」


「ペット!? ペットレベルなの!?」


「うん」


「うんって……ボク、女神だよ! 女神をペットの犬と同レベルにしちゃだめでしょ!」


「いや、もうなんか、むしろ女神って感じ、まったく、欠片も、これっぽっちも、微塵もしないし」


「うわー! 細かく言い切った! ボクは……ゴホンッ……わたくしは、あなたのこれからの運命を握っているのですよ? わかっていらっしゃいますか?」


「ジャージ姿でコタツから頭だけ出したまま、口調だけ変えられても……」


「ぬっ……。め、女神をバカにすると大変なんですよ!」


「……どういう風に?」


「え、えーっと…………つまり……コ、コタツに引きこもります!」


「コタツニートかよ!」


「女神は凄いんですよ! かわいいからトイレも行かないし、ここなら体も汚れないのでお風呂に入る必要もないのです! 本当はご飯だって食べる必要ないんですから! つまり、もうコタツから自発的にでる理由なんてないんです!」


「『かわいい』と『トイレ行かない』の関係性はよくわからんが……それは確かに、最強のコタツニートかもしれないな。女神の才能、凄いな」


「凄いでしょ!」


「……あ。でも待てよ。そう言えば、俺もさっきからまったくトイレに行きたくならないな」


「そんなの当たり前じゃないですか。あなたは今、魂の存在。形は存在のためのイメージです」


「じゃあ、俺も風呂って必要なくない?」


「そ、そうですね……」


「飯は?」


「精神的に満たすだけなので食べなくても死にませんが……」


「……なら、あんたと変わらなくない?」


「――はっ! それでは、女神のアイデンティティーが!」


「それをコタツニートに求めんな!」


「なら、女神の威厳が……」


「最初からねーよ! 威厳をだしたいなら、まずはコタツから出ろよ」


「そ、それは……もう少しあとで……」


「あとって?」


「あ……明日から本気だす」


「完全に負け犬」


「また犬って言った! だいたいですね、そんなことを言うなら、ダーリンがまずコタツから出てくださいよ!」


「えー。だって、飯もトイレも風呂も行かなくていいなら、もう俺もコタツから出る理由がないしぃ」


「うわー。なんか他人が言っているのを聞くと、凄くダメそうなのがわかりますね」


「人の振り見て我が振り直せ」


「ダーリンもでしょう!? ……って、2人ともそんなだったら、なにか外的要因でもないと、そろってずっとこのままではないですか!?」


「あ。鋭い」


「それって2人そろって底なし沼にはまった状態ですよね!?」


「あ。鋭い」


「くっ……どうしてこんなことに……」


「あんたがコタツとビーズクッションをだしたせいだろうが!」


「……あれ? そういえば、なんでだしたんでしたっけ?」


「おい、こら! 『魔力量の問題と、詠唱がうまくできない問題を解決するための会議をするからテーブルを用意しましょう』と言いだして、あんたがこの六畳一間とコタツを用意したんだろうが!」


「……あっ」


「あっ、じゃねーよ! まあ、俺もさっきまで議題を忘れていたけどね!」


「ところで、アイス食べます?」


「相変わらず唐突だな! だいたい、なんでアイスなんだよ!」


「なんか、寒い中でコタツに入って食べる冷たいアイスって贅沢な感じしませんか?」


「…………」


「…………」


「……チョコミントで」


「は~い♥」


 俺も女神も、すっかりコタツとビーズクッションに堕落させられていた。

 そしてその後も結局、しばらく2人でコタツを楽しんでいたのである。


 異世界って遠いな……。

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