第5話 _母_


 病室から冬貴と裕奈の楽しそうな話声が聞こえる。すると、外からバタバタと走る音が聞こえて、冬貴たちの居る病室の前で止まったと思ったら、扉が開き、看護師さんが、入ってきて冬貴の顔を見ながら、

「あなたが、桐陽君よね?」

「え…ハイ。そうですけど…。」

「来てほしいところがあるの、来てくれるかしら。あなたのお母さんに関してよ。」

「え………母に何か…?」

 看護師さんについて行った先は、機械がたくさんある病室だった。その病室の真ん中には、顔色の悪い母が眠っていた。どうやら、買い物の途中に血を吐いて倒れたらしい。それで、近所の人が救急車を呼んで運ばれて治療されたが、もう今夜ももたないかもしれないらしい。

 僕は、母の横たわるベッドに近付き、手を握った。

「母さん………ごめん……。」

 一緒に来ていた看護師さんは、すでに居なくなっていた。僕は、手を握ったまま、その場に座り込んだ。母は何も言わず、ただただ、そこに力なく横たわっていた。

・・・

 しばらく母の手を握っていると、裕奈が、部屋へと入ってきた。

「だ、大丈夫?看護師さんに聞いてここまで来たんだ…。」

「………母さんは、今日死ぬかもしれないんだ。」

「う、ん…。」

 冬貴はそう言うと、握っていた母の手に涙がぽろぽろと落ちていく。母は、きっともう目覚める事は無いだろう…。裕奈は、顔を歪ませ心配そうな視線を投げかけた。

「ごめんね。もう大丈夫だよ。」

 ぎこちない笑顔を浮かべ裕奈にそう言った冬貴だったが、大丈夫な筈がないのだ。今までずっと、自分のことを育ててくれていた母が、今日死ぬと言われるのは、どんな気持ちなのだろうか。裕奈にその気持ちはよくわからなかったが、本当につらく苦しく、とても寂しく悲しいことだということは分かった。それ故に、冬貴にどう声を掛けるべきかが、分からなかった。その上、冬貴が平気だと言い、無理をしているのがわかる。無機質な、母が生きている証拠の機械音だけが流れている。

「「………。」」

「…帰ろう。」

 唐突に冬貴が口を開いた。

「うん…そう、だね…。」

 そう言い、今日は、解散となり、冬貴は、まっすぐ家へと帰った。病院から帰る途中で母の担当医から話聞き本当に看取らなくていいのかと聞かれたが冬貴は力なく首を横に振り「大丈夫です、今までありがとうございました…。」と少し声を震わせながら言った。

・・・

 裕奈は、自分の病室に戻り、先程のことを思い出していた。あの時、冬貴の瞳に光は無く、今にも冬貴自身が消えてしまいそうなあの瞳は、忘れられないだろう。

 その日、裕奈は冬貴のことが気がかりで、夜なかなか寝付けなかった。

 翌朝、冬貴が目を覚ますといつもの朝が、そこにはあった。いつもの朝のはずなのに、これほどまでに悲しいのは、なぜなのか。布団から、上半身を起こした状態で、瞳から、大粒の涙を流す冬貴を慰めてくれる人は、ここにはもういない……。

「今日も学校か……昨日はさぼってしまったけど…今日は行こうかな…。」

 そうして、学校に行く支度をし始める。

・・・

 学校に行く支度が終わり、朝の日課も終わった。学校に行くために、玄関の戸を開け、誰もいない家に向かって、「行ってきます。」と言い、家を出る。もうすぐ夏が来る。少し蒸し暑くなってきている通学路を、ゆっくりと歩いていく____。

・・・

 学校につき、校門を通り校内へと入る。教室に向かい、自分の席に座る。何もない、この空間が懐かしく感じる。いつも冬貴の周りには裕奈が居た。

 もうすぐ裕奈も退院し、学校へ来るようになるだろう。そのときは、僕が裕奈を守ると、心に決めている。

 この日の授業もつまらないなぁと、考えながらも、ノートを取り、問題を解いていく。

 もうすぐ、3時間目の数学の授業が終わるというときに、教室の扉を、職員室に居たであろう先生がいきなり勢いよく開け、僕の方を見て、僕を呼び出した。僕は、少し嫌な予感がした。

・・・

「今から病院に行きなさい。」

「え……?」

 先生が、真剣な表情でそう言った。僕は、なんとなく、自分の予感が当たってしまっているような気がした。

「わかりました…。」

 僕には、そう言うしかなかった。そうして、荷物を教室から持ってきて、予感が当たっていないようにと祈りながら、病院へと向かった。

 病院につくと、母はすでに亡くなっていた。ベッドには、冷たくなった母が居た。母は、死ぬ数時間前に目を覚まし、メモを書いていたそうだ。そのメモ用紙には、

「ごめんなさい。ありがとう__」

 と汚い字で、書きなぶられていた。メモには、たくさんの涙の痕が付いていた。母が泣きながら、必死に伝えようとしたことは、冬貴へとしっかり伝わった。その証拠に、冬貴は、目から大量の涙を流している。これは、親子にしかわからない秘密のやり取りだ___。

 そして、冬貴は、母に近付き涙でぐしゃぐしゃになった顔で、精一杯の笑顔で、

「こちらこそっ、ごめんっ、なさい…!!ありがとうっ…!!!」

 そう言った後に、冬貴は母の手を掴み泣き崩れ、「まだ行かないでっ!僕を一人にしないでよ…!」と、嘆き悲しみ続けた。

 病室の中は、冬貴の悲しみの声が木霊していた____。

 母が亡くなって数日が経った。葬式や、火葬、何から何まで、親戚の人がしてくれたらしい。そして、冬貴の引き取りの話が出たが、親戚は誰も引き取ろうとはしなかった。しかし、そんなあるとき、ある一家が引き取りを申し出た。それは…裕奈の家族だった。それは好都合と、親戚は、いそいそと、書類を手配し、冬貴を受け渡した。

 その後、養子ということで引き取られ、長年住んでいた家を売り払い荷物をまとめて、河野家へと引っ越した。

「今日から家族だね!」

 余程うれしいのか、裕奈はニコニコしている。そんな裕奈に、冬貴は反応するのも面倒くさいという風に無視し続けている。そして冬貴は、新しい家で貰った新しい部屋へと入っていった。

・・・

数か月前に母が亡くなって以降冬貴は学校に行っていない。

 それを見かねた、裕奈の母が、

「いい加減にしなさい!いつまでこの部屋に引きこもるつもりなの!!?」

 すると、部屋の扉が開き、部屋の中から、冬貴が、ゆっくりと顔を出した。

「あんたいい加減にしなさいよ。裕奈だって学校に行っているのよ?あなたもそろそろ学校に行きなさい。ちゃんと物事をしっかり学んできなさい。」

 そう言った裕奈の母、河野裕子の言った言葉が、生前の母の言葉と重なり、冬貴はその場で涙をこぼし始めた。それを見た裕子は、少し驚いたが「大丈夫、大丈夫。」と、小さな子供をあやすように、冬貴を抱きしめ、ゆっくり背中を撫でた。冬貴は、裕子の服を掴み、裕子の肩に顔を押し付け、泣いた。

 冬貴は、知らぬ間に寝ており、裕子は仕方ないなと思い、中学二年生にしては軽すぎる体重に驚きながら冬貴を部屋の中のベッドへ寝かしつけた。

「まだまだ子供ね。ふふっ…。」

 そう言い残し、部屋から出ていった。

・・・

 そのころ、裕奈は、学校で、クラスとは違う教室で授業を受けていた。みんなと勉強している科目は同じだが、ここの教室は、新校舎の一階にあり、何らかの理由で、みんなと授業を受けられない子が居る、教室なのだ。

「はぁぁ…!疲れたぁ!」

「河野さん…プリントは解けましたか…?」

「解けましたよー。」

 裕奈はそう言うと、先生にプリントを見せつけた。___全問正解。

「さすがね…。はぁ、仕方ない、河野さん少し早いけど休んでていいわよ。」

「いえーーい!」

 何をしようかなーと、教室を見渡す。

 結局、何もすることがなく、拗ねてそのまま机に突っ伏して寝ていた_____。

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