名探偵の条件

@say37

名探偵の条件


     1

「……というわけで、犯人はあなたです。」

鮮やかな謎解きだった。

「ち、ちがう、俺は何もやってない」

犯人は、両脇を二人の警官に捕まれたまま、後ろ向きにずるずると、部屋から廊下へと引きずられていった。長い廊下の先の方から「俺じゃない!」という叫び声が、部屋の中まで響いてきた。

 名探偵は、犯行現場となった三十畳はあろうかという広い広い応接間で、屋敷の主人、つまり犯人の義理の父親、そして実の母親、犯人の義弟と義妹、それにこの家に代々仕える執事と、最近雇ったらしいメイド一人を前にして、後妻の連れ子である兄が、先妻の子供である弟を殺した犯行の模様を、これ以上はないというくらい具体的かつ詳細に再現してみせたのだった。

「ちょっと、お時間をいただいてよろしいですか?」S氏は名探偵にそう囁くと、

「ご主人、申し訳ありませんが、我々三人だけにしていただけないでしょうか?」と頼んだ。屋敷の主人は

「ええ、どうぞ」と快諾して、三人を残すと、他の者たちを連れて部屋を出て行った。三人とは、名探偵のP氏と、S氏そして私のことだ。S氏と、かく言う私も、かなり名の知れた本格推理小説の作家なのだ。我々二人はかねがね、鮮やかな謎解きで有名な名探偵に興味を持っており、今回の事件解決の場面に同席させてもらっていたのだった。そうして、最後に関係者一同を集めてやって見せた謎解きは、実に見事だった。ただ一点を除いて。それはつまり、犯人である兄が完全に否認しているということだ。もっと正確に言えば、犯人を追い詰める証拠を名探偵が示さないばっかりに、兄はガンとして、犯行を認めないということだった。

「証拠はあるのか!」と犯人は叫んだ。それに対する名探偵の回答は明快だった。

「そんなものは必要ありません。なぜなら私はあの時、犯行現場にいたのですから。」

名探偵は、実はタイムトラベラーなのである。


     2

「Pさん。見事な推理でした。ただ、幾つかお尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか。」とS氏は切り出した。

「何なりと。私にお答えできることでしたら。」

「まずお尋ねしたいのはですねえ、あなたは過去へ行くことができるんですよね。」

「もちろんです。それが私の探偵としての能力のすべてだと申し上げてもいいでしょう。ですから、私個人はそれほど優れた探偵ではありません。」

「いえ、ご謙遜にはおよびません。先ほどの堂々と推理を披瀝なさるお姿に、我々二人とも深い感銘を受けております。」と言いながらS氏は傍らにいる私の方を見やった。私はその通りというように、大きくうなずいた。

「ただ、ですね。もし、いえ、別に疑っているわけではないのですが、もし、ですね、過去へ戻れるのならば、なぜ、犯行が行われる前の時点へ行って、犯行そのものを阻止しないのかと、その点が、分からないんです。」

名探偵は、「ああ、またそれか」というように、悲しい顔をして、

「私は過去のどこへでも行けるわけではないのです。犯行が、まさに行われている時点、その瞬間に、私自身の意思とは無関係に、飛んでいってしまうのです。ですから、私に犯行は阻止できないのですよ。もっとも、正確に申し上げれば、花瓶で殴り殺すという、今回のような突発的かつ激情型の犯行の場合には、という意味ですが。」と答えた。

「といいますと?」

「犯行現場といっても、相手をナイフで突き刺す、花瓶で殴りつける、という場面だけが犯行現場ではありません。例えば、お二人は、ここの家族を、どうお思いになりましたか?」

しばらく考えてから、私が答えた。

「家族の関係が複雑だと思います。単純な血縁関係ではないというか……。」

「そう、その通り。お二人の専門領域で申し上げれば、犯行がいつ、誰によって行われてもおかしくはない好条件が整っているわけです。妻は後妻で、連れ子の息子があり、ここの主人には先妻との間に、老いてから生まれたたった一人の息子がいて、それが今回の加害者・被害者になったわけです。後妻からすれば、先妻の子が死んでしまえば、高齢の夫の財産は、いずれすべて自分とわが子のものになるのですから、こんな有り難いことはない。それで、あの女は、それほど取り乱してはいなかった。もっとも、実の息子が犯人だというのが誤算ではありましたが、それにしたって……」

と言うと、名探偵は悔しそうに顔をゆがめた。

「おそらく、あの女は、私の戦績をよく知っているのでしょうな。鮮やかに犯人を指摘しても、いざ裁判になると、ほとんどの場合、証拠不十分で無罪になってしまう、ということを。今回もそうなると高を括っているのでしょう。」

名探偵の言う「戦績」は、我々もよく知っていることだった。だからこそ、もし彼が噂通りの名探偵ならば、何とか犯人を有罪に持っていく手助けをしたいと思って、今回の同行取材となったのだ。

「愚痴を申し上げても始まりませんね。先ほどのご質問にお答えいたしましょう。私は、あらゆる種類の犯行現場に飛ぶのです。後妻とここの主人との間には子供ができませんでした。しかし、女たらしの主人は、外に愛人を二人も持っていて、それぞれの子供が、自分はここの主人の子供だと名乗って来たわけです。それが、さっきいた義弟と義妹です。ただ、この二人は、屋敷に滞在することは許されましたが、認知と入籍はまだです。そこに目を付けた後妻は、毒針を、ここの主人の枕に仕込んだのです。」

「えっ」と二人は同時に叫んだ。

「私は、ちょうどその犯行現場に飛んだのです。そうして、後妻が部屋を出た後で、そっと毒針を始末しておきました。お分かりになりますか?私はちゃんと犯行を未然に防いでいるのです。ただ、それは誰にも分からない。事件は起きないからです。他にも……」

と言いかけたところへ、「失礼します」といって、メイドが大ぶりのティーポットと三組のカップとソーサー、さらにミルクと砂糖を持って、部屋に入ってきた。彼女は三人のカップに、ポットから紅茶を注ぐと、「砂糖をお入れいたしますか?」と聞いた。名探偵が代表して、「いえ、結構です。必要があれば、自分たちで致しますので」と言って、メイドを下がらせると、美味しそうに紅茶を飲み始めた。

「他にも、例えば、あのメイドですが、主人の愛人です。」

我々は再び「えっ」と言って、カップを持った手を止めた。

「あの女にとって、主人以外の人間は全部邪魔者なのです。あの温厚な執事までも。ですから、紅茶に毒を盛りました。」

「えええーーっ」と、二人は同時に叫んで、カップを床に落としてしまった。名探偵は、二口目をゆっくり味わった後、たっぷりとミルクを入れて、再びカップを口元に持っていった。

「もちろん、私は、彼女がトイレに行っているすきに、すべて洗い流し、安全な紅茶に入れ替えておきました。そうしていなければ、この屋敷で今生きているのは、コーヒー党の主人とあのメイドだけになっていたでしょう。女性というのは何を考えているか、理解しがたいものです。ただ、私がそれをしたことが、今回の悲劇の間接的な原因になってしまったわけですが。どちらがよかったのでしょうか?六人が殺されるのと、一人が殺されるのとでは?」

我々は顔を見合わせるばかりで、答えようがなかった。

「いえ、別に答えが欲しいわけではありません。私が申し上げたいのは、防げるものは防いでいる、ということです。ただ、それは誰にも気付いていただけない。本人が告白すれば別ですが、まず、そんなことはしないでしょう。それが私としては残念ではあります。ただ、私は有名になりたくてこの仕事をしているわけではありませんので、悲劇が一つでも防げればよいと、そう思っているのです。犯行は、狂気によって引き起こされるものです。きょうき、というのは、武器のことではなく、狂う気と書く方ですよ。で、狂気に駆られた人は思わずとんでもないことをしでかしてしまう。でも、後で、間違いなく後悔するものです。なぜ、あんなことをしでかしてしまったのだろう。夢であって欲しい。できることならば、時間を戻して、なかったことにしてしまいたい、と。実際に被害が出なくても、いつ自分のしでかしたことが露見するか、そう考えるだけで、怖くて仕方がなくなる。ですから、後妻やメイドも、二度と愚かなことをしでかそうとは思わないでしょうし、もし私のしてあげたことを知れば、感謝してくれることでしょう、たぶん……。少なくとも私はそう願っていますがね。というわけで、私はこうして紅茶を美味しく頂いているわけです。」

二人は、ばつが悪そうにカップを床から拾い上げると、ポットから紅茶を入れて恐る恐る飲み始めた。

 しばらくそうしてから、S氏が再び口を開いた。

「お話はよく分かりましたが、その、激情型の犯行の瞬間でもですね、Pさんが叫び声を上げるとか、そうやって防ぐことがおできになるのではありませんか?」

 名探偵は、言葉を探してでもいるかのように目を瞑っていたが、しばらくして目を開くと、おもむろに答えた。

「Sさんは犯行の瞬間を目撃されたことがおありですか?いえ、お答えは結構です。私は突然、過去へ飛ばされるのです。私には、一瞬、あっ、来るな、という感覚があるだけです。次の瞬間には、過去にいます。いつ、どんな場面に遭遇するのか、あらかじめ知ることはできません。犯人が今まさに殺人を犯そうとしているところかもしれませんし、もしかしたら、先ほど申し上げたような、穏やかな現場かもしれませんし、」

「でも、ですね」

私は名探偵の話の腰を折って、しゃべり始めた。

「でも、ですね、危ない瞬間に出合う可能性があるんですから、普段から、ナイフとか、それが危なければ、竹刀とか、ブーメランとか、笛とかを持っていて、移動して、まずい、と思ったら、それを使って阻止すればいいじゃないですか!」

名探偵は、処置なし、というように頭を振って、

「お二人は、タイムトラベラーズワイフというSFをご存じですか?日本語の題名は、たしか、きみがぼくを見つけた日、と言ったかと思います。映画にもなりましたから、ご覧になられた……、ご存じない。まあ、専門外ですからな。この小説の主人公がタイムトラベラーなのです。極度に興奮するとタイムトラベルしてしまう。時代も場所も一切自分では決められない。その上、トラベルには自分の体以外の何も持って行けない、何も、です。服どころか、例えば治療した歯の詰め物でさえも、トラベルの瞬間に置き去りにしてしまう。実は、私も同じタイプなのです。」

作家としてのプライドをいささか傷つけられた我々は、苦い顔をしながら、話の続きを待った。

「ですから、何も持っては行けない。持って帰ることもできない。とするとどうなるとお思いですか?犯行の現場に素っ裸で突然現れる。犯人は血走った目で、まさに被害者を殺そうとしている。さて、私はどうすべきでしょうか?」といって、名探偵は返事を待った。我々は沈黙するしかなかった。

「私は、すぐさま、その場所で武器を探すべきでしょうか。よーーく考えてください。犯人が人を殺そうとして、ナイフを用意してやって来る。もちろん手には白い手袋をはめて。ふと見ると壁に槍が掛けてある。犯人はどう考えるでしょう。足が着くかも知れないナイフより、始めからここにある槍を使った方がいい、そう思うはずです。もし槍の側に機関銃があればそっちを手にとるでしょう。お分かりですか?私がそこに着いたとき、その場所で最強の武器を手にしているのは、私ではなく犯人なのです。私は限られた時間の中で、武器を、しかも間違いなく犯人よりは劣っている武器を、見つける以外に方法がないのです。その場合、あなた方ならばどうしますか?それでも犯人と戦う道を選びますか?答えはノーです。私は死にたくはありません。」

「でも、叫び声を上げるとか。いや、そもそも、突然素っ裸の男が目の前に現れたら、それだけで犯人はフリーズしてしまうんじゃないですか?」

「それが、幸か不幸か、そうではないのです。私は彼らの前には現れない。いつも何かの物陰なのです。だから、先ほどお話しした、後妻やメイドのケースでも陰で見ていて、彼らがいなくなってからそっと作業をすることで、犯行を未然に防いできたのです。まずは物陰に現れる。そこから、そっと覗いてみる。そうして、もしそれが切迫した場面だ、と判断したとして、大急ぎで犯行の場面に飛び出しても、その時すでに、ナイフは被害者の胸に、花瓶は被害者の頭蓋骨の真ん中に、達してしまっているのです。お分かりになりますか。その瞬間を目撃しなければならない私の悲しさを。いつも後手に回ってしまって、ああしまった、と叫ぶしかない金田一耕助探偵と同じなのです!」

そういうと、名探偵は目頭を押さえて蹲ってしまった。

我々は、しばらく待とうというように互いに目配せをしてソファーから立ち上がると、広い部屋の隅まで歩いていって、窓から庭を眺める振りをした。庭にはよく手入れされた数々のハーブが可憐な花を咲かせていた。窓を開けると、庭の中央に配置された、大きな白鳥の形を模した噴水の嘴から、勢いよく吹き上がる水音が部屋の中にまで入り込んで来た。

しばらくその水音に耳を傾けていると、我々の背後から、

「失礼いたしました。私らしくもなく、取り乱してしまったようです。」

という声が聞こえた。

振り返ると名探偵は、もう大丈夫というように、ソファーに腰を掛けていた。

窓を閉めた我々が名探偵の向かい側のソファに腰を掛けると、名探偵は大きな深呼吸を一つして、我々の顔をじっと見詰めながら、

「十分時間を頂きましたので、もう大丈夫。大丈夫です。えーーと、何の話をしていましたっけ。ああ、そうだ、ですから、私にできることは、その極悪人を告発することだけなのです。昨日、いや、今日のように。」と、言った。

「でも、ですね」私が、応じた。

「でも、ですね、犯行後に、例えばPさんが、被害者の代わりに、犯人の名は誰それ、といったダイイングメッセージを書いておくとか、そういった証拠を残しておけば、証拠不十分で無罪、などということはなくなるんじゃありませんか。」

これを聞いた名探偵は、私をキッと睨み付けて

「この私に、証拠を偽造せよ、と、そう仰るのですか?」

「いえ。確かに偽造かもしれません。でも、犯人であることは確かなんですから、その犯人を見つけやすくしておいてもいいんではないか、という意味です。」

「分かりませんねえ。いいですか。私は犯行の現場にいて、しかも一部始終を目撃しているのですよ。その私が言うのだから、絶対に犯人であることは間違いないのです。それで十分ではありませんか。」

「そうじゃないんです!それでは犯人が結局有罪にならないから、それじゃダメだと言ってるんです!」

「二人とも、止めてください!」

「私は冷静です。」と名探偵は答えた。

「犯人を指摘しても、有罪にならなければ、何の意味もないじゃないですか!偽造だろうが何だろうが、犯人に罰を与えるのが、最優先事項だ!それこそが正義じゃないですか!」私はまくし立てた。

名探偵は、「見解の相違ですね。」と言い、さらに続けて、

「私は、犯罪を告発する者ではあっても、犯罪を犯す者ではありません。たとえあなたの仰るような正義のためであっても。」と、断言した。

 なおも言い返そうとする私の肩を、落ち着けよというように叩きながら、S氏が言った。

「お話はよく分かりました。では、それ以外に方法はないのでしょうか?」

「むしろ、それを、お教え願いたいですね。」名探偵は、応えた。

「そうですね……。それでは、Pさんが犯人の後を付けて行って、凶器の隠し場所か捨てた場所を確認する。そうして、今日のような謎解きの場面で、証拠の凶器はどこそこにある、と指摘するのはどうですか。それこそ動かぬ証拠になります。」

「私が後を付けるのですか。誰にも見つからないように、素っ裸で?」

沈黙が三人を支配した。

しばらくして、再びS氏が言った。

「では、こういうのはどうでしょう。犯行を未然に防ぐことはできない、証拠も残せない、とすればですね、Pさんが証拠になるんです。」

「私が、証拠?」

「そうです、犯行直後に、Pさんが姿を現して、見たぞ!と叫ぶんです。その後、再び犯人がPさんと会えば、あの時の目撃者だと気付いて、すいません、私が犯人です、と素直に白状しますよ。」

自信満々のS氏に向かって、名探偵は力なく答えた。

「私が、そんな簡単なことを思いつかないとお思いですか?もちろん、それもやりました。犯人が密室殺人を計画していて、私の逃げ場がない、などということがない場合にですけれど。ご覧の通り、私はいささか貧弱な体つきをしておりますので、争い事には向かない質なのです。で、逃走経路を確認できたケースの一つで、私は、見たぞ、犯人はお前だ、と叫ぶと同時に、一目散に逃げ出したのです。裸足で草むらや石ころだらけの道を走るのは、非常に大変でした。すぐ後ろから、刃物を持った犯人の息遣いが聞こえていました。あんな恐ろしい経験は二度とごめんだと今でも思います。しかも、戻ってからしばらく足の治療のために通院しなければなりませんでした。何時またタイムトラベルしてしまうだろうかと怯えながら。何しろほとんど歩けませんでしたので。それだけの危険を冒したにもかかわらず、犯人は、私を覚えてはいなかったのです。」

「どうして?」

「お二人は、人を殺して、正気を失っている真っ最中に、突然、素っ裸の男が現れたら、どう反応しますか?そうして、見たぞ!と叫んで、あっという間に後ろを向いて、駈け出していく男の何を記憶できますか?ご覧の通り、私の顔は、人様とあまり変わりがありません。どちらかというと、平凡な方に属すると申し上げてもいいでしょう。一方、幸か不幸か、どちらかというと幸福の要素の方が大きいかとは思うのですが、私の、その……、下半身は、いささか特徴的で、ご婦人方だけでなく、大抵の皆さんが、こちらの方にはご注目なさるようです。その所為もあってか、犯人は私を思い出せないのです。といって、ズボンとパンツを脱いで見せてもですね、それは顔ほどの個性は持っておりませんので、何の説得力も持たないのですよ。」

 唖然として自分を見ている二人に気づいた名探偵は、小さく咳をして

「え、少し品のないお話をしてしまいましたが、素っ裸で移動するほかないという、私の宿命上話さざるを得ない話題でして……。ところでですね、仮に百歩譲って、犯人が私の顔をしっかりと覚えているとしてみましょう。それがどうなるでしょうか。それを知っているのは犯人と私だけなのです。犯人がこんなヤツ知らないと、白を切ればお仕舞いです。裁判所で、いくら私が、自分はそこにいて犯行を目撃したと証言しても信じてもらえないように、そこにいた私のことを犯人は覚えているはずだと申し立てたところで、取り合ってはもらえないでしょうね。」

 名探偵は、お手上げだというように両腕を広げた。

我々はもはや言うべきことが思い浮かばなかった。

やがて、S氏は私の方を見て、それではというように小さく頷いてから、名探偵に向かって最後の申し出を口にした。

「じゃあ、最後の質問、というか、誠に不躾なお願いなのですが、Pさんがタイムトラベルできるという、あの……、証拠を見せてはいただけないでしょうか。それが非常に難しいということは存じておりますし、もちろん、疑っている訳でもありません。が、我々ミステリー作家というのは、職業柄というのか、その……、自分の目で見ないと、何事も信用できないものですから。」

「ああ!」突然、名探偵は、絶望の声をあげた。

「やっぱり、見えていなかったのですね。滅多に起こらないことなのに。その上、人前ではほぼ100パーセント起こらないというのに!そのせいで、どれだけ、大嘘つき呼ばわりされてきたか。それが、ようやく、奇跡的に起こったというのに、お二人とも気づかなかった!何と言うことだ。」

名探偵は、二人を見据えると、怒ったように言った。

「すでにお見せしたのですよ、さっき。お二人の前で取り乱してしまったときに、ちょうどタイムトラベルが起こったのです。私は体以外のものをすべてここに残し、犯行現場に行ってきました。いつもと状況が違ったせいか、戻るのに1日ほど手間取りはしましたが、お二人の前から消えるほんの5分ほど前の時点に戻ることが出来ました。それから、お二人に失礼にならないように服を身に付け、今、お二人の前にいるのです。裸のままという訳にはいきませんからね。お気づきになりませんでしたか?消える前のネクタイの結び方はウインザーノットだったのですが、慌てて結んだので、今はセミウインザーノットになっています。」

 二人とも目を白黒させながら、気まずそうに紅茶をスプーンでかき混ぜるふりをしていたが、意を決したように、S氏が

「Pさん、今日は本当に有り難うございました。大変参考になりました。次回の謎解きの会には、残念ながら出席できそうもありませんが、今後のご活躍を期待いたします。」

と言って、頭を下げた。私も申し訳ないというように、頭を下げた。

 名探偵は、小さく溜息をつき「それでは」と言って、立ち上がった。


     3

冷たくなった紅茶を飲みながら、私は、S氏に言った。

「探偵が、証拠を積み上げて、まるでその場にいたかのように犯行を再現し、犯人を追い詰める、というのが、我々が書いている推理小説ですよね。それと、タイムトラベラーが実際に過去に行って犯行を目撃して、それを再現するのとでは、どこが違うんですかね?何だか分からなくなってきました。」

S氏はしばらく考えてから、答えた。

「推理小説に限らず、現実の探偵たちも、犯行という過去の出来事を可能な限り再現しようとしているんだろうな。そういう意味では、探偵はみんな一種のタイムトラベラーみたいなもんじゃないかな。」

「じゃあ、名探偵というのは、完璧なタイムトラベラーということになるんですかね。」

「そうだなあ、多分、そうなんだろうね。ただ、名探偵は完璧なタイムトラベラーだが、その逆は必ずしも真ならず、というところかな。もっとも、本物のタイムトラベラーがいるとしたらの話だけどね。さて、そろそろ我々もおいとましようか。おっと、その前にもう一杯ずつ紅茶をいただこう。砂糖を入れれば、冷えていてもけっこう飲めるもんですよ。」

 そう言うとS氏は二人のカップに紅茶と、砂糖をたっぷり入れた。

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