空の彼方へ

「おい! あそこにいるのは!?」


 リュウが地に足を付けた時、戦いを見ていた群衆の一人が震えた声で叫んだ。声を出した本人の顔は青ざめていて、現実を認めたくないように首を何度も横に振った。リュウが視線を宙にあげると、全身を黒で染めた魔王が、一段と黒いコートを靡かせていた。傍にいた小鳥たちも我先にと言わんばかりに飛び去ってしまう。つられるように市民たちも、ばらばらと逃げ出してしまった。残ったのは閑散たる光景であった。


「くそっ、いい加減にしてくれよ!」


 リュウは叫んだ。魔王、デュオスがリュウの方を見ているのだ。コルとの戦いが終わったかと思ったら今度はデュオスと戦わねばならないとは、あまりにもきつい。そんな思いを心の内に抱えながら、リュウはコルを横目で見た。


 しかし、意外な事にはコルの顔は驚きの色があらわれていた。目を見開いて、まるで家主に見つかった泥棒のようである。デュオスがコルの傍に立った。すかさずコルは立とうとするが、傷は思ったより深いようで這いよるのがやっとのようだ。よたよたと手で足を押して立ち上がり、何度も言葉を詰まらせながらコルは言った。


「いやっ、そ、その。あっ! こ、これは魔王様のドラゴンでしたか!? いや、私全く知りませんで、これはとんだ失礼いたしました」


 嘘である。コルは嘘の天才なのだ。どうしても金を工面する必要があったので、デュオスが眠る深夜にこっそり忍び込んで、すやすやと気持ちよさそうに寝息を立てているドラゴンを捕らえたのだ。だがしかし。デュオスは特に怒った様子はない。


「コル……あいつは我が倒したリュウ? という男ではなかったか」


 デュオスは訝し気な調子で言った。眉をしかめて顔に渋みが増していく。


「そ、そうです! いや、私、実はですね! 奇怪なあの男を魔王様にお見せしようと、こうして戦っていたのですよ。決してお金が欲しいわけじゃなかったんですから!」


 ついボロを出してしまうコル。油断するとこうなるのは、コルの一芸に入れてもいいのではないだろうか。さて、デュオスはリュウに光線を射出した。赤い光が光をかけて、彗星のごとき一線を描く。よける動作もなく、リュウは攻撃をしのいだ。半透明の、薄い青に染まった膜を瞬間的に出して、光線の威力を失くしたのだ。


「ほう。中々と見える。我の攻撃を易々と避けるとは」


「なあ、また今度にしないか。今日は疲れてんだ」


 言葉に入れた意味を強めるためか、リュウは瓦礫の山を指さした。リングはボロボロで、もはやそれが何なのか、リュウとコルがいなければ分からなくなっていた。ふと、子供がリングの傍の露店にやってきた。どうやら帽子を忘れていたらしい。すぐに子供の母親らしき人が路地からすっと出てきたかと思うと、またすっと煙のように路地に消えていった。


「それにあんただって、ここじゃ戦いにくいだろ?」


 リュウは言った。これで引き下がるのならいいのだが。だが、デュオスは白い歯を見せると、宙に体を浮かせた。何をするのかと、リュウを含めた一行は空を仰いだ。太陽はまだまだ活動していて、日光のせいか自然と目が細くなってしまう。そこでデュオスはとんでもない事を始めた。体から無数の弾を生み出すと、街に放っていったのだ。


「あっ!?」


 と、リュウとコルを除いた他の皆ははっと目を伏せた。閉じた瞼に浮かぶ未来はなんとも悲惨なものか。市民の胴体からは臓器が露出して、家は焼け、市民たちは逃げまどう。それを笑う魔王が一人。


 しかし、リュウは読み切っていた。というよりかは、むしろ当然とすら思っていたのだ。これまで、コルと戦って分かった事がある。


 それは、魔族には人間ではないという事だ。つまり、人間が魔物を何の躊躇いもなく殺すように、魔族は人間を易々と葬っていくのだ。モンスターを狩って、楽しいと思うように、魔族も人間を殺して楽しんでいるのだ。


 そこにどんな違いがあるだろうか。いや、ない。あるのは人間としての怒りだけである。だからこそ、人間と魔族は殺しあわねばならないのだ。どちらかが世界を手に入れる為に。


「……ちっ」


 デュオスの舌打ちは、攻撃が失敗した事を意味していた。いつのまにか、青い膜が魔王の周囲を覆っていたのだ。魔王の攻撃は膜に吸収され、空気に溶けていった。


 リュウは、デュオスに近づくと、折れそうな剣を鞘から抜いた。よくここまで耐えてくれたものと、リュウは思っているくらいである。刃先から先は相当に痛んでいて、いつ折れてもおかしくない。


 リュウとデュオスとの戦いは常識を超越していた。コルでさえ、目で追うのがやっとである。コルよりレベルの低い、ティアには姿が殆ど見えなかった。


 例えるなら、星の瞬きであろうか。リュウの剣技を指で止めて、又は躍るようによけていく。それが点となって、両者は消えてしまう。太陽の左にいたと思えば、右にいったり、かと思えば地面に影だけが見えたりするのだ。


「……強い」


 デュオスの心は少しだけ満たされた。それほどには、リュウは強かったのだ。前に会った時、神殿でリュウを倒した時は、何とも思わなかったのだが。今回は神経を使う程には動きが素早い。だが、しかし。何かが足りない。


 そう、神殿の時は気迫があった。己の命を気にしない、いうなら人間らしさが。今のリュウはしょうがなく戦っているようである。まるで操り人形と戦わせているような気分に、デュオスはさせられていた。


「のう、リュウよ。お前、弱くなったな」


「……? いきなり何を言うかと思えば。俺の強さ、弱さはさておき、もう気はすんだか? それなら、戦いは終わりにしようぜ。レベルを上げたら、倒しにくるからな」


 少しイラっとしたので、デュオスはリュウの生命を止めた。心臓を鷲掴みにして、それを咀嚼した。やはり人間の心臓はうまい。どくどくと生きている感触がするのだ。魂が詰まっているからだろうか、味に深みがでるのであった。しかし、リュウの体は地面に落ちなかった。


 するとどうした事か、神々しい光が心臓を作り出した。それはリュウにすっぽりとはまったかと思うと、リュウの意識が戻ったではないか。


「はあっ、ああ、何回死んでも、死ぬのは気分がよくねえな。まあ、そういう事だ。何度でも俺は生き返る。つまり、あんたも終わりって事さ。分かったら、死を恐れて世界のどこかで震えてな」


 リュウは顔をしかめてデュオスから視線をずらしながら言った。己の心臓が食われているのは、何とも奇妙で気持ちが悪い。果物をかじるように、美味しく頂くとデュオスは途端にどうでもよくなってしまった。地面をぼんやりと見つめてコルを捜すと、デュオスは手招きをした。フラフラと近づいてくる、コルを見ると、帰り道を行こうとくるりと身を反転した。その時だ、こんな声を聞いたのは。


「リュウ様! 大丈夫ですかーー!」


 心底心配しているようなか細い女性の声。視線を下げると、なるほど3人の女の子がそこにはいた。銀髪に黒髪が二人か。銀髪の子はロングのスカートを穿いていた。黒髪の内、胸の大きな方はショートパンツで、胸がない方はミニスカートを身に着けていた。


 白く透き通るような手で、口元を覆ったリ、首筋をせわしなくなでたり、中々忙しそうな生物である。と、デュオスは興味なさげに分析していたが、やがて黒髪の女の子に見覚えがある事に気づいた。


 あれは、神殿でリュウが逃がした女子ではないか。なるほど、そういう事か、いやはやこれは面白い。デュオスは固く結んでいた口がじんわりと湿っていくのは感じた。


「あの少女達は生き返る事が出来るのか?」


「なっ!? てめえ! 女に手を出す気かっ!」


「冗談、冗談。ハハハハッ」


 デュオスは魔族らしく笑った。やはり、そういう事なのだ。今、リュウは相当に怒っている。怒気をはらんだ声がデュオスにも伝わってきた。リュウの怒りの一撃をさらりとかわしながら、デュオスは頭に手を置いて考える。つまり、誰がより効果的か、という事である。デュオスとしては誰でもいいのだが、もしかしたら、この者は一人しか興味がないかもしれない。


「リュウ様ーーー! 私も参戦しますっ!」


 大会が終わって、自分も戦えるとわかると、地面からピョンピョンと跳ねた。どうやらリュウの背中に乗って戦うつもりのようだ。リュウは照れたように、参ったなぁ、と呟きながらヒューンと降りていった。その一部始終を見て、デュオスは決心した。リュウより、速くティアを脇に抱えると、


「この少女は我が城に監禁しておく事にした! 返してほしくば、我を捜しにくるがいい!」


 風のように去ろうと速度を上げた。瞬間、リュウの羽が鬼のようなスピードで羽ばたいた。全力を出して、ティアとの距離を詰めようとする。泣き出しそうな表情のティアがリュウに手をさし伸ばしてきた。しかし、距離は離れるばかりだ。


「おいっ! その子を放せ!」


「おお、怖い怖い。そう興奮するなっ、時にリュウよ、レベル差というものを知っているかな? 我のレベルは999だ。貴様の動き、人間を超えてはいるが、所詮は人間。神を超えた我に勝つのは無理かなぁ」



 手が離れていく。風に乗った涙がリュウの頬にピタリとついた。それがティアとの別れになってしまった。デュオスは空の彼方に消え、もう見えなくなってしまった。



「リュウちゃん……」


「兄さま……」



 二人の女性が心配げに顔を覗いている中、リュウの気持ちは快方には向かわない。デュオスがいなくなって、街が活気ずくが、とっぷりと沈む茜色の空のように、リュウは落ち込んでいるのであった。


 翌日、リュウは決心する。聖金貨は忍者に30やって、残りは70枚。これを存分に使って、ティアを救い出す事を。

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