死闘 3 太陽と月

 リュウは空を見上げた。じりじりと焼けつける太陽は、まるで勝敗など関係がないから好きにしなさい、とでもいうように堂々と鎮座しているようだ。リュウと、コル。互いに前方に足を突っ込んだ。


「よくここまでできるものだな。誉めてやってもいいぞ!」


 とコルは息を切らしながら言った。ガキンと剣が交差して火花が散った。周囲の温度も際限なく高まっていく。ぎりぎりと剣を押し付けながら、リュウは威嚇するように叫んだ。


「負ける訳にはなぁ! いかねえんだよっっ!」


「ほざいてろ! 何をいっても私が勝つ!」


 しかし、コルは忘れていた。この勝負は一対一ではない事を、地面に溶け込むように足元にすり寄ってきているスライムの存在を。コルは力を全部出し切ろうと、足を強く地面に押し付けた。パンパンに張ってはいるが脂肪は殆どついていない、カモシカのような足を垂直に叩きつけた。少なくともコルはそうしたつもりであった。だが、誰も寄せ付けない堅固な金庫のような、無機質な地面はコルを受け付けなかった。


「ピーー! ピ、ピ」


 コルの目に映ったのはスライムのしたり顔。いたずらが成功した少女のように、いや主人に褒めてもらえるのを期待しているように意地悪く笑っていた。正面からはリュウの剣が正確に頭を狙っている。


 コルは正気を自ら肯定したいのか、荒々しく言う。コルの声を聞いたリュウは、剣の速度を速めるのだが。


「こ、こしゃくな! スライムの分際でこの私を転ばせる等とは。くうっ、これではきつい」


 腰、全身をフル活用してリュウは剣を縦にたたき込んだ。キーンと耳に当たる強い音。しかし、それでもリュウは気にしない。剣をすぐさま引くと、体制の悪いコルの腹に突き刺した。


 ずぶっ、ともざしゅっともいうのか、リュウは気味の悪い感覚を覚えるが、同時に悦ばしくも感じた。コルの腹からは大量の血液が、地面に赤い水たまりを作っている。



 リュウは剣を引き抜くと、スーちゃんを手の平で被せた。ピ、ピィと高らかな声を上げて、まるで自分のおかげだから誉めてほめてといわんばかりである。スライムを肩に乗せると、リュウは剣を引き抜いてコルから距離をとる。苦痛に満ちて、顔を神話に出てくる魔人そのもののように歪めて、身の毛がよだつようなうめき声を漏らしていた。腹からはどろりと腸が垂れ落ちてきた。


「グゥッオ、かはっ、アアアアアッ!」


「おっと、そうはいかない。悪いが回復はさせない」


 コルの体が薄く紫がかった光に包まれると、リュウは剣を再び突き刺した。コルの腹を何度も、何度もえぐっていく。光が中断されると、離れてコルの一挙手一投足に注目する。少しでも動けばリュウは攻撃を再開する。それは残虐なモンスター殺しでのようであった。


 観客は一斉に声を荒げていく。リュウを非難する者は、一部の魔物を除いて誰もいなかった。普段から魔王に虐げられている鬱憤がたまっているのかもしれない。尤も、リュウは純粋な気持ちからコルと戦っている。コルの強さを尊敬しているからこそ、容赦はしないし、またされたくもないのだ。


 結局コルは、回復しきってしまった。だが、魔力をかなり消耗したのか、凛々しかった顔つきは青ざめている。瞳は怒りに燃え、八つ当たりでもするかのように太陽を睨んだ。リュウは剣をちらっと見て、重くなっているのを気にしながら、確認するようにコルに尋ねた。


「次くらったら、もう回復もできないだろ? お前が散々馬鹿にしたスライムにコケにされるのは、どんな気分だ?」


「き、貴様ァっ! 私を侮辱するのか!? 魔王様に一番近い者といっても過言ではない、魔族隊長の私を!?」 


「隊長? それは知らなかった。さぞ悔しいでしょうねぇ」


 そうだ、怒れ怒れ。怒りは集中力をかき乱す。動きは単調になり、思考も回らなくなっていくのだ。リュウは相手を怒らせる事によって、局面を打開した事が幾度かあった。冷静こそ、戦いにおいては一番肝要なのだ。リュウのその考えは間違いではないのだが、コルを怒らせるのは良くなかった。この後、戦いをもってリュウは思い知る事になるだろう。



「……よし、もうどうにでもなれ……だが、リュウ。お前は殺しておく」


 深海に飛び込んだように、コルは冷たく呟いた。間もなく、コルの体が壊れていった。肩からは角が飛びだして、歯が両唇の端から突き出した。体を守っていた鎧はバキンと、悲し気に地面に捨てられた。どよっと市民から恐怖の声が漏れてしまった。


「あ、あの姿!? ああっ、た、助けて!? だ、誰か!」


 数年前の魔王による襲撃事件の実行者の一人。コルの手で死んだ者も数多くいた。王国では人間に見えた者だから、まさか魔族だと疑いもしなかった。コルは変装をしていたのだ。実力を抑制して、それでもリュウを倒せるだろうと思ってである。だが、コルはもうどうでもよかった。ここでばれても、その後など知ったことか。今はただ、暴れたい。


「後悔するなよ! 今から始まるのは戦いではない。虐殺だ」





 コルは叫んだ。感情をたっぷりと詰め込んで、脅すように。



 リュウは激しい恐怖を覚え、目が下を向きそうになってしまった。動悸が激しい。手が震えている。肉食動物に食われる、縛られた草食動物になったように、無意味に神に祈ってしまう。神はリュウの中にいるのだ。誰も助けになどこない。リュウは自分を鼓舞するように、剣を握りしめた。風がやけに冷たく、リュウには感じた。



 剣も鎧も放り捨て、コルは落ちるようにリュウに向かってくる。剣のため技をリュウはコルにくらわせた。だが、肉の切れる音はせず、コルの一振りで剣は彼方へと飛んでいってしまう。リングの上をくるくると回って、カランと力なくリングの端。コルの向こう側に落ちた。


「くそっっっ、化け物め!」


 リュウは正拳突きをコルの顔面にたたき込む。コルの鼻がへし折れる感触がリュウに伝わる。やった、と思わず喜んだのもつかの間、手を引いた時にはもう治っていた。めげずにリュウは裏拳を空気をならして、首と顔との隙間に打ち込む。いや、確かに命中している。


「無駄だ。レベルが違う……お前は80前後だろうが、私は200をゆうに超えている」


 コルが哀れな者を見るようにリュウの手を掴みながら言う。リュウは当然に、コルから手を離させそうとするが、ピクリとも動かない。苦痛に呻きながら、リュウは叫んだ。


「レベル200だと!? レベルの上限は99のはずだろっ!」


「それは人間の話だな。我々魔族は3桁までレベルが上限が可能だ。あぁ、これは内緒にしておいてくれると助かる……無駄に人間を絶望させても意味がない。希望を与えつつ、殺していかんとつまらないのでね」


 そういうとコルはリュウの手を折った。たやすく、紙細工を弄るようにあっさりと。右手の関節が明後日の方向に曲がり、ぷらーんと垂れさがる毛糸のように力なく宙を漂っている。リュウはコルから距離をおこうとしてはっと気づいた。後ろはリングの外だと。じりじりと太陽が人間を祝福している。それはリュウの妄想か、人間のエゴか、リュウには分からない。唯、状況は絶望的だという事だけはわかるのだ。



 下段蹴りの構えをとって、コルが呆れている顔をしている隙にリュウは逃げだした。リングの端へと無我夢中で走っていく。剣さえあれば何とかなる、もしなくても拳ではどうにもならない。そう思っての事であったが、それすらもコルは許さなかった。リュウの前に、煙のように現れるとリンゴ程の水色の飛礫を作り出すと、リュウに放った。


「うぐっ!?」


 気づいた時にはリュウの腹に突き刺さっていた。よけるなどできない。なぜなら見る事も敵わないのだから。ぼやける頭でリュウが目にしたのは無数に見える石の大群。まるで小惑星がリュウを取り囲んでいるかのようだ。


「ははは……ちょっとまずいな、勝てない……」



「くらえ……『魔界石ディナーダークマター』」


 あまりにも悲惨な攻撃。市民たちは目を覆って現実をみないようにした。ティアもまた同様、耳だけはしっかりと音を拾う。リュウの悲鳴、ごすっと鈍い音、煙が舞う音。全てが終わった時、ティアの目には涙が溢れなかった。もう枯れていたのだ、後は天に祈るのみ。手を合わせて二回、ティアは弱弱しくお辞儀をした。



「……まだ生きているか……しぶとい奴だ……」


 コルの言う通り、リュウはまだ生きていた。四肢はどれもろくに動かず、何とか左手でじゃんけんができるくらいか。満身創痍のリュウにコルは近づいていく。ざっ、ざっ。


(ああ、負ける。何とかしないと)


 リュウを労わるように、スーちゃんがリュウの手に乗った。ぬるぬると感触が気持ちいい、これが終わったら海に行くのもいいかもしれないな、リュウはそんな事を考えた。コルはゆっくりと歩いてきている。もうリュウは立つのが精いっぱいだ。スーちゃんは疑似的な手を二本生やすと、上の矢印を作った。


 リュウは空を仰ぐが、太陽が鎮座しているだけだ。鳥は鳴き、草はよろめく。朗らかないい天気、だがそれだけだ。この状況を打開してくれる訳でもない。


 その時、リュウの思考に電撃が落ちた。魔物水、太陽。戦いの最初コルはなんといっていたか。


『まあいい。太陽がある限り、スライムは弱いからな……』


 リュウは唯一動く左手に残った魔力を集める。コルはリュウの動きに気づいたが、気にした風もない。一歩、一歩勝利の階段を上がるように、噛みしめて足を進めるだけだ。全部、といっても微々たる魔力だが、リュウは集めたそれを弾にしてコルに投げた。



「……下らん……こんなもの」


 コルは首を曲げて簡単に交わす。それは空を駆けて、太陽を遮るような位置で止まった。訝し気にコルが見つめるなか、リュウは弾を飛散させた。


「 『太陽のない絶望ルインズデイ』


 コルは、唖然として弾を打ち消そうと魔力を込める。しかし、時は遅かった。スライムはピクンと跳ねると、大きくなっていった。


「はあっ! どうだ、くだらん技をかましよって。昼間こそ魔物の活動期。それを防ぐために、太陽が作られたのだが、太陽の影響を最も受けるのはスライムなんだ。元々スライムは最強といっても、過言ではない強さだった……ああっ!?」


 コルの攻撃は間に合わず。スライムはリングの半分を占めてしまった。ズズズとリュウを中で抱き寄せるように、包み込んでから、スーちゃんは更に大きくなっていく。太陽が現れてからは変化は止まり、少しづつ小さくなっていったが、完全に元通りになるまでは数分はかかりそうだ。それはつまり――




「ピーーーーーー!」


 低いスライムの音が会場を飲み込んでいった。

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