不屈の精神

 四方を囲むのは石造りの壁であった。リュウが触るとざらざらとした感触がする。天井を仰いでも日光は差し込んでこず、重宝していた時計も取り上げられて今が何時かも分からない。腹が鳴っていないのでそうそう時間は経っていないはずだが。覚醒した頭でリュウは辺りを見回した。


 ティアに捕まった、それは間違いない。正常に見えたティアは、リュウの勘違いだったようだ。いずれにせよ、こうなる事はわかってはいたが。ティアも世奈も片鱗はあったのだ。



 ティアが一般的な性格を有していないと感じたのは、馬車に揺られていた時からである。透き通るようなティアの瞳は綺麗すぎた。聖水のように汚れを知らぬ色だった。奴隷生活を強いられた少女がである。



 リュウが目を走らせると、扉を見つけた。魔力で飛礫を作って射出してみるが、びくともしない。瞬間的には小さな窪みが数か所出来たが、すぐに修復された。どうやら魔法で作られた特殊な扉のようだ。異世界に来て一か月のリュウには解除することは無理である。後は何もない、よどんだ空気の匂いが鼻を刺激するだけだ。


 尿意を感じたが、どうしようもない。まさか壁に放尿しろという訳ではあるまいし、ティアなら何かしら考えているのかも知れない。リュウは瞑目して時を待った。


 ギギッと音がする。リュウが目を開けると、ティアの笑顔が目に入った。横滑りにドアが動いて、新鮮な空気を注入していく。部屋が一新されたがリュウは顔を曇らせたままだ。


「どうです? お気持ちは?」


「トイレがついてないから、大分不便だな」


「忘れてました。魔法でチャチャっと作りますからね」


 狭い部屋に男女が二人きりとなるが、リュウはちっともドキリともしない。ティアが何やら唱えると、石造りの床に穴が開いた。窪みを埋めるように白い置物がドンと置かれる。その形状は和式便所に似ていたが、



 首を傾げると、ティアは両手を近づけてきた。リュウの首を固定して視線を外させない。


「……まだ、ですか」


「どうしたの?」


「いえ、こちらの話です」


 それでは、と言って部屋を出る直前。ティアが振り返ってリュウに何かを投げてきた。視線を落として、物体を調べると木製の人形だ。顔は裂けて、まるで怪談話にでも出てきそうだ。


「私たちの赤ちゃんです!」


 ギギギとドアが閉められる。壁に寄り掛かって入口をいじるが、何も起きない。どうやらティアしか開けれないようだ。暇に耐えかねて、リュウは人形を弄んでみる。剥げた頭をなでてやれば、うめき声をあげる。などということもなく、いたって普通の人形だ。これが私たちの赤ちゃんだと。やはりティアの脳はまともではないようだ。



 今のリュウはテレポートを使えない。リュウの周りの女性軍は知能が高い。そのせいか、リュウの能力は制限されてしまった。今のリュウが出来ることは氷の石粒を出すくらいだ。それでもリュウが焦る事はない。



 虫の鳴く声が遠くで聞こえる。ミーンミンミンミン……あ、途切れた。困ったすることがない。リュウは手元の人形を揺する、抱っこしてやる、撫でてやる。人形はそのすべてに笑っていた。ああ、つまらない。


 その時、破壊音がした。キンキンと耳を叩く音と粉々になった石壁たち。モクモクと上がる煙を切り裂くように、


「助けに来たよ~」


 延びた声にまじる優し気な感傷。間違いなく世奈であるが、リュウの顔は晴れない。果たして彼女は正常か狂人か。もし後者なら、助けとは言わないだろうに。


「館には行けないよ!」


「新しく家を作ったから問題なし!」


 (そんなポンポンと家が建つのか)


 本当に家があった。まさか魔法でここまでできるのか、リュウが驚いていると、


「ううん。手伝ってもらったの」


「リュウさん! 先日はどうも!」


 なるほど納得。ニラの戦闘時に助けた、アンドロイド達がやってくれたのだ。千人が力を合わせれば、一日でできない事もない。問題は木材をどこで仕入れたのだが。


「森から持ってきたよ!」



                  ▽


 食卓を囲んで料理を食べる。世奈が作る料理が喉を鳴らしてくる。桜美はおらず、世奈と二人きりだ。それでもリュウは高揚しない。それよりも気がかりなのは世奈の精神状態についてだ。


 何かを焼いた肉がジュウジュウと音を出している。リンゴに似た果物が口に運んでいく。飲み物だけは簡素な水だ。世奈と話すのは楽しい。異世界についての感想、学校への心配。水を斬るように話は終わりを知らない。


「ようやく笑ったね」


 リュウは言われて気づく。口元に手を滑らせると頬が熱い。どうやら意識せずに笑っていたようだ。


「世奈だって笑いっぱなしじゃないか」


「うん。だって楽しいから!」


 楽しい。そうだ、これでいい。こうしていればいいのに――



 ふと、眩暈がした。リュウの予想通り、世奈も普通ではなかったようだ。


「だってリュウちゃんは私の物になるからね!」


 反論しようとしたが、舌で止まった。リュウはテーブルを叩くようにうつ伏せになると、浮遊感を覚えた。やがてリュウはピクリとも動かなくなる。世奈は走り寄って、リュウに噛みついた。何度も、執拗に、逃がさないように。


「アハハハ! 前からずっとこうしたかったの!」


 見た目とは裏腹に世奈は狡猾である。リュウを病的にまで愛していた。それは地球にいた頃からだ。できるなら全てを管理したい。リュウに何もさせたくない。家事も、身の回りの事も全て。一度リュウが反抗した事があったが、ウソ泣きでごまかした。


 世奈にとってリュウは麻薬であった。リュウが自分を好きと言ってくれるなら、もう死んでも構わない。でも、そんな事はありえない。いずれは自分からも離れてしまうだろう。それなら、


「リュウちゃんを壊してしまえばいいの。一度壊して、その後で再構築すれば解決するからね」


「ええ、その通りです」


 示し合わせたようにティアが顔を出した。世奈はじゅるりと唇を湿らせながら、


「リュウちゃんが私を選ばなくてもいいけど。でも逃がさないから! でも、一人じゃリュウちゃんも退屈かもしれないから」


「私だけでなくても気にしません。ただ、私から逃げる事だけは許しませんが!」



 世奈とティアは冷静で、狂気じみている。いうなら、理性を持った怪物であった。




「……ハーレムは勘弁だね」


 リュウは彼女たちの話を聞いていた。意識は手放してはいなかったのだ。



 この瞬間から希望は消えて、後は無為な日々が一か月続いた。世奈かティアに神経をそぎ落とされていく。時には拷問、苛烈な叱咤をくらいながらも、リュウが狂うことはない。



 ああ、今日も朝が来てしまった。

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