回想


 夜は冷える、故に路上で眠る事は難しそうだ。リュウが上を見れば、三日月の月が顔をのぞかせている。無数に瞬く星々のどれかに地球があるかと、目を皿にするも不毛であった。渋々ではあったが、リュウは視線を元の位置へと戻す。眼下に見えるのは若い男女が何組かあった。


「見て、月が綺麗だわ」


「君の方がもっと美しいよ」


「まあお上手ね」



 小綺麗な衣装を着て、歯の浮くようなセリフを聞かされるのはたまったものではない。前のベンチから聞こえる声を無視してリュウは頬に手を当てた。


 残金銅貨数枚、それがリュウの全財産だ。


 ギルドを出てリュウが大通りを歩いていると噴水が目に入った。近くにはベンチのような長椅子が設置されており、フラフラと足をそちらへ進めた。ドスンと座って、リュウがうとうとしていると、イチャイチャカップルが胸が疼くような会話を始めたのだ。おかげで目が覚めてしまった。



「二人とも怒ってるだろうなぁ」


 焦りよりも申し訳なさが圧倒的に上回る。ここまで幾多もの困難がリュウに迫ったが、何とか解決してきた。


「……俺は馬鹿だなあ」


 リュウとて立派な少年的感情を有している。二人の女性がリュウの精神で踊り、誘惑してくる。地球で世奈に抱き着かれた時も。湖のほとりで月を眺めた時も。


一線は越えなかった。鋼の理性で押さえつけたのだ。


「どっちかなんて選べない」


 気づけば住んでいる二人の少女。リュウの脳内で手招きしている。片方を選べば、もう片方の悲し気な顔がありありと想像できる。無理だ耐えられない。しかし両方を選ぶ事はできない。


 では、どうすればいい。分からない、わからない、分からない。



 と、ここで思考は中断された。人間の原始的欲求が葛藤を打ち消したのだ。体が前のめりになり、くらくらと頭が痛い。


「眠い……ティアに頼みに行くか」


 すっと立ち上がって、ティアの家に向かう。通りを歩く人々はまばらで、夜が更けている事を伝えてきた。見知った家並みをすいーと進んでいって、すぐにティアの家の前に着いた。二階建ての立派な家が威圧感たっぷりにリュウを威嚇している。


 傷一つない戸を叩くが返事はなかった。ティアの部屋はまだ明るい。ティアは起きているようだが、やはり戸は開かない。冷や汗を垂らしながら、リュウがドアノブを内側に引くとあっさり開いた。ギギッと音を立てて、リュウは体を小さくさせて中に入った。



 謝ろうと決心して、リュウは階段を上っていく。ティアの部屋の前に着くとトントンとドアをノックした。だが、返事はない。


「ごめんなさい!」


 やはり返答は何もなかった。諦めて布団しかない自室へとトボトボと向かうリュウだが、予期せぬ方向から低い声がかかった。


「リュウ様……お待ちしてましたよ!」


 後ろを振り返ると、ティアがニコニコしながら何かを持っていた。


「お腹が空いていているかと思いまして」


 思わずリュウの目じりに涙がにじむ。ごしごしと服の袖で拭いながら、改めて袋を開いて中身を取り出した。米が海苔で巻かれている。豊穣な風味が懐かしさをリュウに感じさせた。口に一口入れるとやはり美味しい。冷めてこそいるが、それが逆に味を引き立てていく。勢いよく食べていると、突然にリュウはむせてしまった。



「ゴホッ!」


「もう、一気に食べるからです。はいお水です」


 水を喉へ流し込むと何とか事なきを得た。苦し気に腹をパンパンとたたくリュウから袋を奪うと、


「しょうがないですね。私が食べさせてあげます」


 親鳥が子供に餌をあげるように、リュウに口元へと持っていく。恥ずかし気に口を小さく開けると、ティアは困った顔をした。首を傾げてからおにぎりをぱくっと一口食べてしまう。ティアはリュウに近づいてきた。 はっとして、慌てて手を前にやるリュウ。


「自分で食べるって……うぅ」


「ぷはぁっ。どうです、美味しかったですか?」


 ティアの唾液とドロドロに咀嚼された食べ物がリュウに入ってくる。舌でその食べ物を探ると、ピクンと背が跳ねた。嗜虐的な笑みを浮かべてティアはリュウを見ている。


「もう一度してあげましょうか?」


「自分で食べれるから!」


「フフッ、そうですか……可愛いです」


 嫣然と笑うティアに神経を弄ばれながらも、次々と胃袋に収めていく。味付けは塩だけであったが、素朴な感じがして何個でも食べられた。自然な動作でティアに手を差し出すが、ティアは首を振った。


「これで全部です。ずいぶんとお腹が空いてたんですね」


「ティアの作ってくれた料理があまりにも美味しかったからだよ」


「フフフっ。嬉しいです、『愛情』込めて作った甲斐がありました」


 食欲も満たされて、後に残るのは睡眠欲だけとなった。トロンとした目をゴシゴシ擦りながら、


「ダメだ……眠すぎる……」


 意識が朦朧として視界がかすんできた。ティアはリュウを支えるように首に手を回した。脳が急速に入る寸前にティアの声が聞こえてきた。


「もう逃がしませんよ……貴方が私が嫌いになっても、私は大好きですからね! 愛してますよ。リュウ様」


 睡眠薬入りのおにぎりも手伝ってか、リュウはすぐに眠ってしまった。

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