選択編 桜美

綱渡り失敗

 王様とはなんと威厳ある人物か、この時に初めてリュウは知る。屈強な兵士たちが横に立っている中で、玉座に座るお爺さんが放つ威圧感は凄まじい。


「国を救ってくれて感謝する」


 ぺこりと王様が頭を下げると、王冠がポロっと赤い絨毯に落ちた。あわわわと、狼狽するのは周りである。すぐさま側近が王冠を元の位置へと戻した。


「冒険者として当たり前の事をしたまでです」


 脱帽してから、リュウはドンと胸を叩く。流れでいえば褒美として、大金が与えられるはずだ。そう考えるとリュウはますます手に力が入るのだ。



「それと謝らせてほしい事があるのだ」


 もったいつけるように王様は口元を動かしていく――





                        ▽




 リュウは焼け酒ならぬ、焼けエールをがぶ飲みしていた。手元にある豪華な紙きれを見ては、ため息が止まらない。形式ばった文調から始まって、やれ貴公の功績は国を挙げて賞賛すべきだの、やれ救世主だの。内容をまとめると一文で事足りるのである。


『国を守ってくれて有難う』



 報酬はなし。借金の帳消しもないし、他の特別待遇もない。謝罪とは、山に住んでいる魔女についてであった。


 王様が言うには、以前から館には恐ろしい魔物が住んでいて人間を見ると襲い掛かっていた。魔物の力は並大抵ではなく、人間が住むなど無理な話であった。王国の兵士はレベル15程度で、館内の魔物は平均レベル40だから至極当然である。


 キュア神殿が見渡せる場所を探していた世奈と桜美にとっては、館は絶好の場所だった。最初は苦戦したがレベルが上がるにつれてラクチンになり、後は某RPGのようにサクサクと狩った。


 王様は館に住み始めた世奈達を、神殿を狙う魔王軍の手先と考え兵士を派遣する。兵士が館に着いた頃には、世奈達のレベルは50後半だった。世奈と桜美は帰り討ちにしたが、王様の猜疑心は高まる一方だ。


 そんな中起こったニラの襲来である。万全の状態でも敵わないのに、王様が冷静でない状況では話にもならない。


 リュウ達がニラを倒さなければ、王国の明日はこなかっただろう。魔王軍の一味と思われていた世奈達が勇者と分かり、二つの疑問が氷解して王様もご満悦だ……王様は。



 リュウの借金は聖金貨500枚となっている。リュウが今飲んでいるエールは、一杯銅貨三枚でお得。もう一枚銅貨を出したらもれなくおつまみまでついてくる。職人の手で薄くスライスされたジャガイモに、噛み応えのある軟体生物の炭火焼きは絶品だ。


 受付から足を数歩進めると、雰囲気ががらっと変わって屋台が並んでいる。ダンジョンで取れた新鮮な魔物の肉を格安で調理して振舞ってくれるのだ。お代は銅貨1枚と破格ではあるが、条件として肉を自前で用意しなければならない。


 ――リュウのいる屋台だけは妙に静かだった。それもそのはずで、中にいるのはリュウ唯一人である。頭に手を置いてため息を吐いて、エールをグイっと吸うように飲み込んでいく。ほんのりと赤みがさす頬と対照的に額には深い皺が寄っている。



 幾杯目のエールを飲み干すと、マスターが空になったグラスに液体を注ぎながら、


「飲みすぎじゃないかい? 気分がわるくなるぜ」


 心配そうに声をかけてきた。とくとくとエールの水位が上がるように金も増えればいいのに。なんてリュウが思いながら、


「そんなに飲んだかな?」


「まあ、こっちは構わないけどよ」


 それから心地よい沈黙を受け取って、気づけばもう5杯目になった。


「勘定頼みます!」


「銀貨1枚と銅貨8枚でーす!」


 ポケットをまさぐって出てきたのは銀貨2枚で、代金を払うと銅貨2枚がコンと置かれた。これ以上は経済的に飲めないのだ。金貨一枚はいざという時の為に残しておかなければならない。


 しかしリュウは屋台を出なかった。不審にこちらを見る店主を無視して苛烈に頭を振るリュウであった。軽々と出れない理由があるのだ。




 屋台が軒を連ねているので隣の声は良く聞こえる。いつもは楽し気な話が漏れてくるはずなのだが、リュウの耳を叩くのは甲高い声が二つだけ。


 屋台の仕切りからぼんやりと、二人の女性が言い争っている姿が見えてしまう。耳をふさいでも完全には防げない。リュウが出れば野次馬が騒いで二人にばれるのは必然だ。




 事の始まりは数十分前。


「リュウ様は私の事が好きなんですよ!」


「リュウちゃんは夢から目覚めたの!」


 上気した頬に手をかざして、ぽわぽわとした話が行われていた。暇を持て余した人々が弧を描いて、共感や同情の視線を向けている。中には涙を流して地面に崩れる人も。


 エールが入る前なら惚気話を互いにする程度だった。酒は胃につっかえた欲望を吐き出させてくれる。会話がだんだんと白熱してきて出るに出れなくなってしまった。世奈とティアも、よもやリュウが隣にいるとは思っていない。リュウは今すぐにでも逃げたいが動けない。



 そして今に至る。金も尽きたし、泊まる家もないし、剣は世奈に取り上げられてしまったし。国からはティアの結界で出られない。


「リュウ様は私の事が好きなんです!」



「違うからっ! リュウちゃんは私がだい好きなの!」


 おおお、と野次馬が騒いでいるのが良く聞こえる。ティアがカチリとガラスに歯を当てる。



「リュウ様と私はキスしましたから!」


「リュウちゃんとキスしたもんね!」


 シンと、空気が冷える音がリュウの耳に入り込む。店主の視線も冷たくなり、場は苦痛のだんまりと変わる。やがて活気を取り戻した人々が口をそろえて言うのは、


「え、修羅場……?」


 その声はゴリゴリとリュウの魂を削っていく。胸に手を抑えても痛みは強くなる一方だ。世奈とティアも言葉を失っていたが、時期に回復した。


「私のファーストキスだったんだから! リュウちゃんには責任とって貰わないとぉ」


 色をなして顔を真っ赤にするティアは反射的に答えた。


「ななな、いつしたんです! 早くも浮気するなんて」


「えっとねー、ほら、ニラさん倒した時?」




「私が魔力切れで呻いていたのに、なんてひどい方……」


「私だって辛いよ……」


 お通夜モードになってしまった。二人はしょんぼりとして、エールを飲む手も元気がない。今出れば刺されそうだ、リュウは座る。グビッと飲んでから世奈が大声で叫んだ。


「……ぷはぁっ! よく考えたら私達悪くないよ!」


世奈とティアは見合うと朗らかに笑った。


 世奈からキスしてきたではないか、と言っても後の祭り。もう言い訳はできないので、今はほとぼりが冷めるのを待つのみである。


「そうですよ! 悪いのはリュウ様です!」


「リュウちゃんが悪いの! さ、飲も飲も」


二人が頼んだのは高級エールだ。なんとそのお値段、一杯銀貨30枚。日本円なら三万円である。


「今夜は朝まで飲みますよ~!」



「おー!」


「ところで桜美さんはどこですか。今日は女子3人で飲む約束だったはずです」


「もうすぐ来るんじゃないかなー。夕方に聞いた時には結構乗り気だったから!」



 リュウが時計を確認すれば午後6時と少しだった。さすがに朝までここにいるのは拷問だ、何とかしてでらねばならない。



「どうすっか……出られん」


 すると、天使の声が隣で囁いた。振り返ると桜美であった。


「助けてあげましょう……こっちの裏口から抜け出せますよ」


「桜美! いい所に!」


 歓喜に震えるリュウを諫めるように、桜美は手を口元に置いた。


「でも一つ言ってほしい事があるのです」


「な、何?」


「私の事が大好きといってください」


どうしてそうなった。脈絡がなさ過ぎてリュウには理解できない。ポカンと口を開け桜美を見上げる。


「いや、それは」


「ならこの話はなかったことに」


 なぜ桜美が屋台のカギを持っているかなどは、どうでもいいことだ。問題はそこではなく、求愛の強要にある。


「兄に言われても桜美も嬉しくないだろ?」


「いえ、私は嬉しいですよ!」


「ちょっ、声が大きい!」


 酒が回っているのか、二人は気づかなかった。リュウがほっとするのもつかの間、桜美が肌が触れ合うほどに近づいてきた。



「早くおっしゃってください」



「コホン……桜美が一番大好きだよ……」


 ひどい辱めを受けながらも、リュウは鍵を得た。


「まあ嬉しい! 兄さまが私を大好きなんて! 相思相愛ですね私達!」


 わざとかと疑うがごとく、桜美は声を張り上げた。仕切りがバッとはぎ取られて、世奈がリュウを発見した。呆れた笑いを浮かべる。


「……ついには妹にまで」


「リュウ様の性欲は底なしですね……」


 間髪おかずティアの嘲弄が胸に突き刺さる。もはや言い逃れはできない。


「違う。話を聞いてくれ!」


「兄妹の愛を超えて、私たちは禁断の愛へと進むのです!」


 桜美は相変わらず訳も分からん事を熱弁しているが、リュウはスルーする。


「リュウちゃんにははっきりと決めてもらうから!」


 そういうと世奈は飛び出していった。


「ではさよなら」


 ティアも去って行ってしまった。


「どうすんだよ、これ……」


 頭を抱えて唸るリュウに、原因である桜美が発言する。


「お悩みですね! ご安心を、私が何とかしますので!」


「ちっがーう! ってどこに行くんだよ!?」


「もう兄さまったら。女の子にそんな事聞いたらダメですよ。今から準備しますから、また明日会いましょう!」


 桜美は嵐のように消えてしまった。残ったのは野次馬のゴミを見る目だけ。



「お客さん! 代金払ってよ!」



 リュウがポケットを探ると金貨が一枚コロンと落ちた。最後の命の綱も店主に取られてしまうリュウであった。

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