勇者の負担


 死者千四迷名、怪我人は零……このままではメライ王国は崩壊してしまう懸念がある。




 リュウは兵士の少なさに疑問を感じて宙に浮く。威容な外壁の更なる上へ、ぐんぐんと上昇していく。


 メライ王国を上から見下ろせば見事に四方向に住民層が分かれている。境界線の要となるのは国の中心の噴水だ。


 中心にドデンと構えている噴水には、今日は誰も祈っているものはいない。いつもは神々しいキュアの像を奉る人がいるのだが。


 今、リュウ達がいるのは王都とは反対側に位置する。王国で配布されている地図には、南エリアと書いてある。このエリアに住んでいるアンドロイドは今日は一人も見かけない。


 ここから通りを噴水へと向かっていって、中心の岐路で左に曲がればスラムエリアである。リュウに大金を貸してくれたワンディが住んでいる。右に曲がれば冒険者ご用達のギルドが待っている。


 岐路で曲がらずに直進すれば貴族や王族が住んでいる王都エリアだ。 豪奢な品々がガラス越しに展示されている。お値段は金貨五枚からと、庶民では手が出せない。庶民は金貨十枚で一年を過ごすのだ。



 問題の王都であるが、ここだけは人影があった。リュウがぱっと数えるだけで、数万の兵が隊列を組んでいる。彼らは組んでいるだけで一向に進もうとはしない。地面に下りてから、リュウは死体の中から一人を調べた。彼の腕には痛々しい紋章が刻んである。


「アンドロイドは奴隷ですからね。捨て駒にもされますよ……」



 ティアの苦虫を噛み潰したような声がリュウの脳でこだまする。世奈と桜見は見るに堪えないのか、そっぽを向いている。


 魔王軍によるストレス解消道具として使われるアンドロイド達に、感情などは勘定されていない。地球でも人権が提唱されたのは13世紀に入ってからだ。


「蘇生リーゼ!」


 浮かばれず苦悩に満ちていた魂が肉体へ戻っていく。死んでいた目は光るように開いて体も連動した。同時に生臭い血の匂いはなくなり、清々とした澄んだ空気がリュウの鼻孔を突く。これにて死者はなくなり全員生還したのであった。



 彼らは我先にとリュウに頭を深々と下げる。まるでリュウが神様にでも見えるかのようである。リュウは、


「当然の事をしたまでですよ」


 と避難を促すと、彼らはおずおずと城内へと入っていた。申し訳なさよりも、死の恐怖が勝ったのだ。最後の一人が中に入るまで手を振るとリュウは振り返った。視線の先はニラが落ちた大穴だ。


「リュウ! リオネル様が起きないっす」


 サデラが心配そうにリオネルの体をゆすっている。服の裾を掴んで力任せにリオネルの体を振動させているが起きる気配はない。サデラは半狂乱になってリオネルの頭を地面に何回かぶつけた。


「う……ン!?」


「リオネル様生き返ってくださいっす~!」


 目覚めると地面とごっつんこして目覚めは最悪であった。リオネルが苛立ちをぶつけんと、手を掴むがサデラを見て表情は一転する。柔和な表情をしてさりげなくサデラの手を振り払った。


 リオネルに意識が戻ったのでサデラは目じりを下げた。実に微笑ましい光景だが、それを歓迎しない者もいるようだ。


「……今更遅いです」


 ティアは眉間をひそめて端正な顔を歪めた。ティアからしてみれば、一度いい事してもリオネルの評価は変わらないのである。


「街の為に戦ってくれたの?」


 リュウが尋ねた。世奈と桜美にはリオネルの人柄を説明していない。蘇生の報酬を貰わない事からも、リュウは生得のお人よしなのだ。老若男女問わず助けて、悪人でも改心すれば許すのである。


「ゲゲッ! リュウがここにいるということは、あの小童はもう倒されたのか。……生き返らせてくれた事には感謝するが、貴様を倒すのを諦めたわけではないぞ。いつの日か俺が貴様を倒してみせる!」


「正直に街を救おうとしたって認めましょうよ~。あ、待ってっすー」


 張りぼてプライドリオネルは、顔を真っ赤にしながら去っていくのであった。ちらと振り返ってサデラが来ているのを確認する辺りはいかにも可愛らしい。



 残ったのはリュウを含む4人だけである。


「もう帰ろうよ~。疲れちゃった」


「そうですよ、早く帰って休息をとりましょう」


 世奈とティアの『帰る』はどっちにだろうか。それはともかくと、リュウは穴を見つめたままである。まるで何かを待っているかのように――


「……殺す」


 ニラが這い上がってきた。砂埃でボロボロの上着に擦り切れたズボンの姿で、リュウを睨んでいる。そう、あれくらいではニラは死なない。絶対防御がある限り、隙を突かなければ勝ち目はないのだ。


「そ、そんな!? どうしましょう」


 慌てるティアに対して、世奈と桜見は茫然としている。山に籠って魔物を狩り続けていた二人は、まだ地球の常識に頼って物を考えている。故に目の前で起こっているのが理解できないのだ。ふわふわとまるで夢の中をさまよっているがごとくの浮遊感の中だ。


 リュウは驚いたような顔をした。わざと魔法を放つ。


「連和弾レンワダン」


 魔力切れで強い魔法を放つことはできない。蘇生魔法なら魔力は消費しないが、他は魔力を定量要求される。ティアも詠唱するが出たのは豆電球くらいの電流だけ。それも数秒後に霧散した。


「君たちの三流手品はもう尽きたろ。僕をここまでコケにした罪を、その身にわからせてやる」


 ずんずんとニラは歩いてくる。走らないのは道中の落とし穴を警戒してだろう。余裕ある顔は消え失せ、今のニラは怒りに身を任せていた。その対象はもちろんリュウである。


「随分と怒ってるね……少し落ち着いたらどうだい?」


 リュウの言葉にさらに激高して、拳をギュッと握りしめた。リュウもまた世奈達から離れ始めた。二人は磁石のように近づいていく。そしてある地点でリュウは止まった。


「殺す! その余裕ぶった顔が許せないんだよー!」


 ニラは氷の槍をリュウの胸元へ放つが、リュウは剣ではじく。氷塊はいとも簡単に砕け散って大地に落ちていった。確実に仕留めるためかニラは剣を抜いた。剣を使って殺すのはリュウが初めてとなる。今までは敵の自滅でしか殺人をした事がないからだ。


 人を殺すのは覚悟がいる。躊躇と罪悪感を一身に背負いながら神に背くのだ。並大抵の精神ではできないが、今のニラは相当に怒っていた。感情が理性を溶かして、善悪を忘れさせてくれる。だが、思考は単調になってしまう……それを狙う者もいるというのに。


 ブスリとリュウの胸に剣が刺さった。確かにリュウの心臓を貫いていたのだ。


「やった! へへっ、ざまあみろ――」


 同時にニラにも剣が刺さった。一瞬のスキをリュウが逃すはずがなかった。リュウの剣は内臓を貫いている。不思議な事に血を吐くのはニラだけではあるが。


「な、なんで!? グっ! ゲハッ! どうして生きてるの。 どうして僕は刺されたの。どうして?」


「隙を狙っただけさ……憎い敵を殺した瞬間は何よりの至福だったろ。そこで、一旦思考が中断するだろうがね。悪いが、俺は死ねないんだ」


 それだけ言うとニラの剣を抜いてやった。ただし、ニラの能力を『吸収』してからである。いつものコピーではなく、ニラの能力をそのまま奪い取ったのだ。ニラを覆っていた透明の防御壁は消える。自身に刺さっていた剣を抜くと、リュウは地面に捨てた。



 リュウが首筋へと剣を添える。ニラは涙を流して懇願する。


「待って! 助けて……!」


リュウは冷たい目でニラを睨んだ。眉を深くしていら立ちを隠さない。


「今まで殺した奴が懇願してきた時、お前は許したのか?」


 ひっとニラは悲鳴を上げた。涙をぽろぽろと流して体を震わせている。その姿はリオネルと酷似していた。自分が優位の時には平気で悪行を犯して、状況が悪くなると醜く許しを請う。吐き気がするほどの豹変ぶりである。


「殺さないであげて!」


 この優しい声は世奈に相違ない。リュウは聞こえぬふりをして、剣を振り上げた。


「た、助けてー!」


 どの口が言うのか。その口か、ならばそれ口事そぎ落としてくれよう。ふと、白い手がリュウの腕をつかんだ。細い手なのに力強い。


「ダメだよ! 人殺しなんてしたら、ニラと同じになっちゃうよ!」


「それでもこいつを野放しにするよりは何倍もいいだろ……」


 世奈によって剣はカタンと地面に捨てられる。強引に顔を向けると怒気をはらんだ声で、


「無理しないでよ! あの頃の優しいリュウちゃんに戻ってよ……」


 リュウにもたれかかった。リュウはよろよろと剣を手に持つ。悲し気な目でこう呟きながら。


「世界を救うためには仕方がない。犠牲を払おうともそれが平和の為ならば」


 ニラは乞食のように、愛嬌よく笑顔を振りまいていた。自然とリュウの手にも力が入る。


「そう……わかった」


 世奈の声色が変わる。妙な事にはそれは艶やかな声に、リュウには聞こえてしまった。首を振って雑念を振り払い剣を持つ手に力を加えていく。


「なら……いいよね」


 軌道を妨害するように世奈は立ち塞がった。驚いて、リュウは剣を投げ捨ててしまう。剣はカランカランと砂を纏いながら地面を転がっていく。


 覚悟を決めたように近づいていく世奈。時が二人を歓迎したように、周りがスローモーションになった。リュウの首元に手を伸ばして世奈がリュウを寄せていく。水分を帯びたぷっくらした唇に、蕩けた世奈の表情にリュウは動揺してしまう。不思議と、体は動かせない。


「んっ、ふぁ……ぁん」


――長い、長いキスが終わると世奈は潤んだ瞳で、


「どう、まだわからない……?」


 ジッと上目遣いで睨んだ。リュウは返事が出来ないでいた。それを是と見たのか、


「これからも約束して。もう誰も殺さないって、ね?」


 脳を揺さぶるように耳元でささやいた。リュウは頷くだけであった。



 気づけばニラの姿はなかったが、誰も気にもかけなかった。


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