収束 

 リュウは嘘をついた。ティアがリオネルと正午まで、というのはリュウが考えたデタラメだ。


 ティアの家に戻ると、リュウは荷物を整理した。非常食に、野宿用のテント、後はお金がほんの少しで充分だろう。思えば冒険は殆どしていなかったな、とリュウは一枚の金貨を見ながら感傷にふける。クエストは受けていないし、国の外にも出られなかった。それなりに楽しい日々ではあったのだが、それも今日で中断となる。


 冒険者カードをカバンに入れて、家を出ようとすると、


「ピーーー!」


 スーちゃんが寂しがりやの犬のように傍にやってきた。


「腹が減ってるの……?」


 軽食を用意したが、スーちゃんは食べようとはしない。台所に入ると静かになるが、リュウが玄関に向かうと高音を出しながらついてきた。まるでリュウが暫くの間帰ってこないのを知っているように、スーちゃんは悲し気に叫んでいる。


(……ティアに手紙を残しておこう)


 リュウは紙を取り出すと、短く文を書いた。テーブルの上に置いて風で動かないように重りを載せておいた。


「行く所が出来た……帰ってこれないかもしれない」


 これから聖金貨500枚を作るべく、リュウは国を出るのだ。それも兵士数百人が束になっても敵わない程の魔女二人を相手にして。勝てる保証なんてどこにもなく、生きて帰れるかどうかすら不確実だ。


 しかし、リュウはティアには何も言わないつもりでいた。なぜなら、ティアが負い目に感じるからだ。


 ティアに借金の事を話せば、表面上はにこやかに笑うだろう。が、時が経つにつれて亀裂がリュウとティアの関係を心から壊していくのは明白だ。ならば何も語らずに黙って去るのが正しい、とリュウは独自の理論を展開した。クエストを達成して、何食わぬ顔をして戻ってくれば全てが丸く収まる。


 本音を言えば、リュウはティアと一緒に行きたいのであったが。ティアの元を離れるのは辛いのだ。男のプライドでぐっと我慢した。




 今度こそリュウは家を出た。スーちゃんは玄関でけたたましく鳴いていたが、日が出ている外は出てこなかった。スライムにとって日の光を浴びるのは痛みを生じるのだ。街を歩いて門まで着くと、冒険者カードを見せて難なく通る。当然クエストは受注済みだ。


 少しでもレベルを上げてから行こうと、国近くの草原でモンスターを捜す。早速二本足で歩くコウモリに出会った。リュウを見るや歩きながら突っ込んでくる。リュウが剣を一振りすれば、あっけなくコウモリは体をバラバラにして絶命した。


 次に現れたのは、数メートルはある大きなカニだ。タカアシガニを想像させるくらいに巨大であった。カニは長い足を一本だけ空中に浮かせると、槍のように使ってリュウに突っ込んでいく。ひらりとリュウがかわして、長い足を斬ってやるとカニはバランスを崩してよろめいた。


「連和弾レンワダン」


 遠くから黒い物体がカニのあらゆる部分を貫通する。やがて、核にでも当たりカニはドスンと地面に倒れて動かなくなった。


 モンスターを倒すと、稀にアイテムが手に入る事もある。とはいえここはありふれた平原なので、薬草や小粒程の魔石などが大半だが。まあそれはリュウにとってはどうでもいいことで、レベルアップをする為に魔物を倒しているのだ。かれこれ一時間は狩っていると、レベルは10にまで上がった。


 きりのいいところでリュウはテレポートを唱えて、さらに強い敵を求めていった。



                     ▽


 さて、正午になった。ティアは鼻歌を歌いながら愉快に道を進んでいた。リュウが置いていった聖金貨を見て、リオネルのあの驚いた顔は。今思い出しても、ティアはクスクスと笑ってしまう。


「リュウ様はどこであんなお金をお作りに……? まあ、どうせ借金でしょうけど」


 リュウが一日で聖金貨を作れるほど、商才に長けた人だとは思えない。ましてや人様から盗むような悪人でもない。だとすれば借金くらいしか考えられないだろう、とティアは茨の道を歩きながら考えていた。


「私達がちょちょいとクエストをこなせば、すぐに返せますけどね~」


 鼻歌を心地よさそうに歌っていると、見慣れた街頭が視界に入ってきた。ティアは街の人たちと元気よく挨拶しつつ家へと帰った。



――おかしい、とすぐにティアは思った。人の気配が何もしない。それだけならティアも不信感を抱くことはない。何がおかしいかと言われるとティアは言葉に詰まってしまうが、空気が違う。冷たい海に捨てられたような、強い違和感がティアの脳に訴えてくる。


 そろりそろりと2階へと上がっていく。リュウの部屋に入ると誰もいない。


「……ふぅ……考えすぎですね」


 リュウは何処かへ買い物でもしに行ったのだろう。ティアはほっとして膝を崩した。昨日から色々あって疲れているのだ。だからリュウがいなくなったのでは、等とひどい妄想を考えているに違いない。そう思うと、ティアは急に馬鹿らしくなった。自然と笑みを浮かべて、何もかもが楽しく感じてきた。


「ピー! ピー!」


「あら? 今日は一層声が大きいです」


 スーちゃんが必死に音を響かせている。ティアがスライムの頭ををボールのようにころころと撫でると腹の虫がグーと存在感を主張した。


 階下へと降りて有り合わせの食材で何を作ろうかと、ティアが悩んでいると何やら一つの紙がテーブルの上に置いてあるのに気づいた。


 手に取ってみるときれいな文字で、



「行く所が出来た……帰ってこれないかもしれない」


 簡潔に書いてあった。ティアは動じずに料理を作り始めた。ティアはリュウがこの文字を書いたとは思わずに、風に乗って運ばれてきた他人の物と解釈したのだ。結界が使えるので一階の窓は開いたままになっていることが多いので可能性としてはなくはない。


 だが、リュウが書いたと考える方が筋のはずなのだがティアはそうは考えなかった。恐らく……彼女の無意識の部分で現実逃避が行われたのだろう。ティアにとってあまりにも恐ろしい事実を認識したくないから考えるのを放棄したのだ。



 夜になってもリュウは帰ってはこなかった。それでもティアは疑わない。


「……たまにはリュウ様だって遅くなる日もありますよね。ね、スーちゃん」


「ピーー」


 冷めた料理を何回も温めて待っているうちに朝が来た。まだリュウは帰ってこない。それでもティアは信じていた。


「もう、もう帰ってきてもおかしくないんですが」


「ピー」


 更に一日が経った。もう二日と眠っていない為意識が朦朧としてきたがティアは眠れない。


「……まさかかえって来ないなんて……そんな事あるはずが……」


「ピ」


 そして明くる日の朝。ついにティアは手紙を凝視した。



「行く所が出来た……帰ってこれないかもしれない」


 素直にとるなら、ギルドの高難易度クエストを達成するために暫く帰れないとなる。けれどそれでは矛盾が生じてしまう。なぜティアを連れて行かないのか。借金したことが恥ずかしくてティアを連れていけないのか。


 いやそんなバカげた理由でリュウが自分を置いていくわけがない、とティアは思った。仮にそうだとしても一言くらい言うはずだと。手紙だけ置いて去る訳がない。


 では……他に理由はあるのか。一瞬恐ろしい考えが頭によぎるが、ティアはすぐに振り落とす。だがその思考は今まで起こった事全て、リュウがティアにした全てに説明がついてしまう。


――リュウが、ティアの奴隷契約を失くさせる為に好きな振りをしていたならどうだろう。


 思えばいつからリュウがティアの事を好きなそぶりを出していたか……よく覚えていない。言葉だって祭りのあの一度きりで、それも偶然に起きた事ではないか。初めて会ったときはあれほど世奈という女の名を出していたのに最近は一言も口にしない。


 どうしてリオネルに捕まっている最中に奴隷契約の事を聞いてきたのか。そもそも、なぜリオネルが執拗に自分を狙うのか。何もかもがうまくいきすぎている。


(リュウ様がわざと皆にやらせていた?)


 ティアがそこまで考えた時、吐き気が襲ってきた。たまらずに床へと嘔吐物を吐き出していく。苦しい、頭が痛い、喉が焼けそうだ。辛い、つらい。


「違いますよ……リュウ様はそんな人じゃないですよね……」


 だが、ティアはこの推理を否定することが出来ない。過去のリュウを振り返ってみても、何ら不自然ではないからだ。


 その時、玄関から誰かが呼ぶ声がした。


「ティアちゃーん! 遊びに来たっすよー」


 サデラの明るい声が玄関から聞こえてくる。居留守を使おうかとともティアは考えたが、そこでまたも恐ろしい幻想が浮かんでくる。


(本当はリュウはサデラが好きなのではないか。もしかしたらリュウに遊ばれていたのでは……)


「ティアちゃん? どうしたんすか怖い顔して」


 ティアは回らない頭で考えて、サデラに聞いた。


「私が知らないところでリュウ様と二人っきりで会っていませんでしたか?」


 恋人同士が付き合って何日もしないうちに他の女と遊ぶはずがない。ティアはサデラにかまをかけた。サデラが違う、と返事をすればティアは安心してサデラを友人だと思える。が、サデラから出た言葉はティアには致命的な一言だった。


「3日前に一回だけっすよ……あっ、でも少しだけっていうか……」


 会っていた、リュウはサデラと。しかも3日前とは自分がリオネルに捕まっていた時ではないか。自分が苦しい思いをしているときに、リュウは女と喋っていたという事実。


「そうですか……体調がすぐれないので、今日は帰ってくれませんか?」


 すぐにサデラを追い返して、自室に駆け込むティア。もはや何を信じればいいのかティアには分からなかった。


「恨みますよ……リュウ様……なんてひどい……うううっ」


 もし呪い人形があったならすぐに使ったほどに、ティアはリュウを恨んだ。殺したいほどに、可能ならば自分でリュウを亡き者にしてしまいたい。


(ああ、恨めしい。許せない……)


 けれども、リュウを憎めば憎むほどに愛情が増加していくのをティアは感じてしまう。既にティアはリュウを愛しすぎていた。憎んでも愛は増していく。相反する二つの感情がティアの心を蝕んでいく。



 突然ティアは笑いだす。壊れた人形のように声高く叫んで顔をゆがめていく。


「そうですよ……フフフフフ! もう一度奴隷にすればいいんです。そうすれば私の思うがままではないですか!」


 ティアの瞳にはもはや灰色の世界しか映っていなかった。ふらふらとティアはリュウを捜しに足を進めた。玄関前で睡魔に捕まってしまい、すやすやと気持ちよく眠るのであった。




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