怪しい男

――ここはとある森の中。どうやら男二人がこそこそと話をしているようだ。


「――では、これで」


  背の高く風貌のいい男が何かを太った男に渡す。革袋に入った大量の聖金貨がジャラジャラと子気味良く鳴った。太った男は袋を冒険者カードの上に慎重においてカードに吸い込ませた。


「約束通り聖金貨400枚ですな。それでは約束通りこれを……!」


 太った男は全身を脂汗でべったりと濡らしながら、風貌のいい男に紙を差し出した。ひったくるように乱暴な手つきで紙を奪い取ると、風貌のいい男は宝物のように大事に両手で紙を持った。


「これが……! これがティアちゃんの奴隷契約書だな?」


 風貌の良い男が念を押すように問いかけると、


「わしの目に誓って間違いはございません。後は契約書に血を一滴垂らせば、あの娘は貴方の思うがままとなりますぞ」


 太った男が鋭利な針を一本取り出した。チクッとした軽い痛みと共に、風貌の良い男の血がジワリと契約書に染みる。契約書の『クーオ』の欄が風貌のいい男の名前に変わった。



「それではわしはこれで」


 人目を気にしながらも太った男は早歩きで夜の森を出た。 風貌のいい男はまるで雲にも昇ったようなようなの恍惚とした表情を浮かべていた。



「やった、やったぞ……! 全財産の殆どを使ってしまったが、あの娘が手に入るなら安いものだ。あの娘を卑劣な男から奪い取ったのだ……」


 その時、一つの足音が近づいてきた。雨上がりの湿った土を踏みながら、叫んだ。


「――様! ご飯もってきたっすよー!」


「そんなに大声を出すな……万一人に聞かれたらどうする」


 赤髪ショートカットの少女が、土鍋を両手で抱えるとリオネルの前に立った。蓋を取ると、湯気に混じって芳香を放つカレーの匂いが風貌のいい男の食欲を奮い立たせてしまう。


「いっぱい作ってきましたから遠慮なく食べていいっすよ~」


 その言葉で風貌のいい男は悩まし気に腹を撫でた。丸一日何も食べていなかったので、腹の虫が食べろと命令してくる。 二人は小屋に入って食卓を囲んだ。


「――様も、あっしの家にくればいいのに……」


「ダメだ。住む場所をなくしたからっといって、男子禁制の家に泊まるほど落ちぶれてはいないのだ」


「無駄にプライド高いっすね……」


 風貌のいい男にもハリボテくらいのプライドはあるようだ。こうして、『姫祭』の前日の夜が過ぎていくのであった。



                     ▽


 リュウは街の中心の噴水の前でティアを待っていた。今日は姫祭だ。往来は行き交う人でごった返している。


(まさかこの世界にも浴衣があるとはね……)


 ちらほらと浴衣を着ている人がいる。リュウもその一人で、ばっちりと浴衣を着こんでいた。黒地にモダンな縞の上下に、足には中綿がたっぷりの柔らかい鼻緒を下駄に挿げていた。


 先日ティアに連れられて買ったが、実際着てみると存外気分が良い。祭りの一員となったようで、強い連帯感を感じて何となく気が浮き立つのであった。



「リュウ様~!」


 そんな事をぼーっと考えていると、艶かしいティアの声がリュウの鼓膜を打った。リュウが振り向くと

はっと目を見開いた。ティアの浴衣があまりにも可愛かったからだ。


 白地にピンクと水色の花模様が調和していて、ティアにぴったりと当てはまっている。アクセントとして撫子色の作り帯。とどめに菊の花の髪飾りを銀色の綺麗な髪に挿していた。まるでティアの為だけに作られたのではないかというほど、似合いすぎていた。



「似合って……ますか?」


 何も言えずに黙然と見つめるだけのリュウに対して、ティアは不安げに尋ねた。


「……可愛い……すっごい似合っているよ……!」


 ティアは顔一面に満足そうな笑みを浮かべた。



「ホントですか! 嬉しいです! リュウ様もとってもよくお似合いですよ~!」


「……それじゃ行こっか?」


「はい!」


 まだ祭りまで時間があった。二人がふらりふらりとあてもなく歩き回っていると、思わぬ人物を見かける。リオネルの弟子を名乗っていて、とうに街を去っていると思っていた少女であるサデラだ。リオネルと一緒におらず暇そうに一人でてくてくと、その辺を歩いていた。



「サデラさん! こんなところで会うなんて奇遇ですね」


「ひうっ!」


 先ほどから上機嫌なティアがサデラに声をかけた。サデラはびっくりして小さく悲鳴を上げると、目を丸くしてティアを見つめた。勢いよくパチンと両手を合わせると、


「ティアさん、この間はごめんっす……」


 深々と頭を下げた。ティアは別段気にした風もなくこう答える。


「サデラさんは何も悪くないですよ。悪いのはぜ~んぶリオネルさんです!」


「ティアさん……ありがとうっす!」


 胸のつかえがとれたように、晴れ晴れとした気持ちになるサデラに。


「サデラさんはこの後、何かご用事がありますか?」


「特にはないっすけど……」



「それなら一緒に祭りを廻りませんか?」


「……でもっ、リュウさんに悪いっすよ」


 一瞬心が洗われるような表情を浮かべたが、すぐに暗い表情に戻ってしまう。ティアはともかくリオネルに斬られたリュウが良い返事をするとは、サデラには到底思えないからだ。だが、リュウは特に文句を言う気色もなく、


「俺は別に構わないけど。今日は一年に一度の姫祭なんだし、何もかも忘れて楽しもうよ」


 あっさりとサデラを歓迎した。


「ね。一緒に行きましょうよ! せっかく浴衣も着ていることですし」


 お天道さまのように優しすぎる二人に、サデラは喜びの衝動にかられるのを止められなかった。なんでこんなに優しい人たちを自分は狙ったのだろうと、激しく自分を苛めた。


「では、失礼するっすよ……」


 それでも気恥ずかしさから恐縮していると、ティアが左右のえくぼを作りながら、


「前みたいにティアちゃんって呼んでくださいよ。私もサデラちゃんと言いますので」


 サデラの不安を完全になくさせた。その直後、サデラがティアにわけもなく抱き着くほどに。



「リュウー! こっちに来るっす!」


 しばらく経つと最初あった時と同じように、いやそれ以上に仲良くなった3人は祭りを大いに楽しんでいた。サデラは自身の浴衣――藍色の下地に華やかな大輪のダリアの花が描かれている落ち着いた雰囲気の衣装――を照れくさそうにしていたが、時と共に自信をつけたようで今では気にしていない。


「……これは……」


 サデラに引っ張られて一つの屋台の前に来て、思わず息を呑んでしまった。距離の離れた台が二つ置かれていて、近い方にはちゃちな木製のピストルと弾が、遠い方には景品が均一に置かれている。


 夏祭りの名物の射的が目の前には広がっていた。一部の景品には酒や剣が含まれるので、落とすと危ない物は代わりにぬいぐるみが置かれていた。ぬいぐるみをもっていくと、酒などに交換してくれるという事だ。



「姫祭といえばやっぱし射的っすよね! あっし、一度やってみたかったんすよ」


「リオネルは何年もメライ王国にいるのに、射的やるの初めてなの?」


ティアの問いにサデラは頬を掻きながら、小声で答える。


「実は……あっしがメライ王国に来たのってつい最近なんす」


それを聞くやティアは急に自信満々になって、


「そうだったんですか……ならここは経験者の私が射的のコツを教えてあげましょう! ……おじさん、射的一回やります!」


「どうぞ~!」


 銃を手に取ると慣れた手つきで弾を込めて慎重に狙いを定め、引き金を引ぃ。ポンと間の抜けた音がすると、銃口からスポンジ風の弾がぬいぐるみに当たり見事に倒れた。


「ま、ざっとこんなもんです! おじさん、これ交換してください!」


「おめでとう!」


 どや顔のティアは蓋の開いたエールをグビグビと飲む。半分ほどで


「プハァ! 暑い夏に冷たいエールは喉にしみります! 飲みます?」


サデラに手渡した。


「飲むっすよ! ……っぁあ! いいっすね、最高にうまいっす! リュウも飲むっす~!」


 押し込むようにサデラは無理やり吞み口を当てる。


「自分で飲むって……ううっ! ……ああ、うまい!」


「ちょっとっ! わたしの分残しておいてくださいよ~。まあ、私にかかれば何回でも手に入るからいいんですけどね!」


 エールが入り気分が高揚しているのかハイテンションになるティアとリュウにサデラ。


「あっしだって、あれくらいなら撃てるっすよー」


「言いましたね! それなら勝負してみますか?」


「望むところっす! どうせなら罰ゲームありでどうっすか!」




 ティアが景品を見渡して、


「あのどでかいぬいぐるみを倒したら勝ちです! 罰ゲームは勝者の言う事を聞くってことでどうですか!」


「乗ったっす! リュウもそれでいいっすか!?」


「いいですよね! リュウ様!」


 比較的酔いに強かったリュウは二人が徐々に怪しい雰囲気に入っていっている事に気づいて、


「まあまあ、落ち着いて。楽しくやろう!」


とティアとサデラの平静を呼び戻そうと試みた。しかし、ティアとサデラはあっという間に泥酔状態になり聞く耳をもっていない。


 ふと、サデラが何か思い当たったようで、ティアにこそこそと耳打ちした。声が大きく丸聞こえなのにはまるで気づいてはいない。


「もしかしたらっすよ……! リュウはあっしたちに勝つ自信がないんじゃないすかね」


 いつになくティアも意地悪く笑って、


「女の子に負けるのが怖いんですよ、きっと。実は、銃を見た事もなかったりして」


「ぶふっ! いや、ありえるっす! もしくは下手くそかも」


「クスッ、それなら勝負しないのも仕方がありませんね。ここはリュウ様の面目をたててあげましょう」


 さすがにリュウもここまで言われたら、男のプライドが黙ってはいなかったようで。


「わかった。勝負受けて立とう!」



 まだ祭りが終わる気配はない。

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