ティアの怒り

 リオネルも、サデラも、そしてティアも目の前の光景が理解できなかった。


 さっきまで血反吐を吐いていて、今にも息絶えそうなだったリュウが五体満足で立っている。背中の傷は何事もなかったように塞がっている。


「……思った通りか……」


「――な!?」


 さすがのリオネルも恐れの感情を覚えた。死人が歩いているなどと言うことがあっていいのだろうか、考えれば考えるほどリオネルの頭は混乱するだけだ。分からない、常識では考えられない事が目の前に広がっていた。馬鹿みたいに口を開けて時間を浪費するだけであった。


 だが、リオネルはすぐに正気に返った。今まで何度も修羅場をくぐってきたのは伊達ではない。脳を酷使して状況を理解しようと努め始めた。


(たまたま傷が浅かったに過ぎない)


 この結論付けるのに長く時間はかからなかった。


 次に、理性に代わって感情がリオネルを支配する。魔王軍であろうと、幾人となく敵を死地に葬り去ってきたリオネルが、格下の相手のはずのリュウに怯えている。そう考えた時にリオネルは猛烈な怒りを覚えた。剣を抜くとリュウに近づいた。


「運がいいようだなリュウよ。だが次は耐えられまい。今度こそ冥界へ送ってやる!」




 先ほどリュウと戦った時と同様に、音速の速さでリュウを斬らんとリオネルは横一文字に剣を振った。だが、この攻撃は布石。逃げるのを見越して、軽く斬りかかっているにすぎない。


 リオネルの予想道理にリュウは剣を盾代わりに用いた。するとリュウの左側は必然的に、がら空きになる。一瞬のスキを狙ってリオネルは口を使って呪文を唱える。


「――はぁ! 闇の天国ダークヘブン!」


 が、これはリュウも読んでいた。すでに相殺の準備をしていた。


「連和弾レンワダン! ……ずいぶん卑怯じゃねえか!」





 リオネルから放たれたのは黒色の弾で大きさは大砲ほどだ。リュウは魔法を放って空中で飛散させるが、距離が近すぎて両者はダメージを負う。モクモクと煙が出て辺りは黒に包まれる。


「ちっ、中々しぶとい。俺のの手を煩わせるとはな……」


 リオネルの苛立ちの声が風に揺られてリュウの耳に届いてくる。リュウは目を閉じて耳を使い敵の位置を探る。ティアは感情の整理がつかず、戦いには参加できなかった。白昼夢でも見ているように、リュウをただ見つめるだけ。



 リュウが耳を澄ますとざざ、コツン、ダンと様々が音が聞こえてきた。廃屋のゴミがこすれる音、どこからか入ってきた小粒の石が蹴る音、人が地面を蹴る音。ダンという音が、リオネルとは限らない。サデラの姿もまた、煙と共に消えているからだ。彼女が味方であるとはリュウも思わない。


「――はぁ!」


 リオネルは廃屋の瓦礫を蹴って空高く飛んだ。落下速度は速く、ティアを連れて逃げることは不可能に近い。リュウは上を見上げるとまるで天使のように飛んだ。


「ティアを悲しませるな!」


「貴様空まで飛べるのか!? 不思議な男め」


 リオネルは笑っていた。それは自分が負けるはずがないと思っているからだ。先ほどの剣さばきで自分が遅れをとるものか、と。



――だが、戦況は変わっていた。強者はすでにリオネルではない。



 自由落下で、速度を増して落ちていくリオネルは剣を下に向けた。重力に従い落下する空中戦では最も有効な戦い方だ。横の攻撃を縦でしのぐのはたやすいが、縦の攻撃を横で防ぐのは困難だ。通常ならまずくし刺しになるのは必然。


 だが、リュウはそれを軽々とやってのけた。剣の先端をはじかれ、地面にカランカランとリオネルの剣が落ちる。リュウは攻撃の手を緩めず魔法を放った。


「闇の天国ダークヘブン!」


 リュウから放たれたのは黒色の弾、大砲ほどの大きさで当たればひとたまりもない。リオネルは避けることもできずに、まともに攻撃をくらってしまう。


 重力が逆転したかのように、リオネルの体は天井にぶつかって体を強く打つ。ほどなくして力なく地面に横たわった。血こそ出していないものの、全身が痛くて立ち上がれない。回復アイテムを取り出すが、


「勝負あったな」


 リュウは剣を構える。回復アイテムは完治するまでに最低数分は時間がかかる。もちろんリュウがその隙を逃すはずがない。


「ま、待ってくれ! どうして俺の技を使っているんだ? それよりなんで生きている? 確かに俺は貴様を斬ったはずだ。間違いなくな!」


 リオネルのその声はあまりにも情けない声だった。小動物が肉食動物から必死に逃げるような、哀れなる末路を彷彿とさせる。リュウの瞳も冷たくなっていく。


「……俺が神から授かった力は、何なのか今までわからなかった。だがお前と戦ってようやくわかった」


「神? 力? 何を、意味不明なことを言っている……でたらめを言ってはぐらかすな!」





 リオネルの問いは明らかな時間稼ぎだったが、リュウは答えた。答えたというよりは、独り言のようではあった。会話になっていない返答に、リオネルは痛みを忘れて叫ぶ。五臓六腑が煮えくり返って、傷がなければ今すぐにでも斬りかかりたい気持ちだ。



「『吸収』だ。俺は他人の能力を得る事ができるらしい……死なないのは、神を吸収した恩恵だろうか」



 キュアがリュウに与えた魔法はコピー能力であった。といっても本来はそこまで強いチートではない。技を盗むのにだって数か月はかかり、コピーした能力の性能は半分以下で役には立たない。


 だが、キュアがリュウと同化したのが原因で、ただのコピー能力ではなくなってしまった。能力は一度見れば全て覚えられて、果ては剣の技術までも完璧に習得できる。つまり、リュウは誰の能力も習得できる。リオネルによって、リュウの剣の腕は三流から一流にまで急激に磨かれたのだ。


「――というわけだ。さて、止めを刺させてもらう」


 リュウは剣をリオネルの首元に据える。ひんやりとした硬質な刃がリオネルの身を震わせる。今まで狩る立場にいたリオネルには初めての経験だった。


「頼む! 殺さないでくれ!」


 生き恥を晒して生きるよりは、誇らしく死ぬことを選ぶ。リオネルは、そんな剣士としての矜持は持ち合わせていない。勝ち続けてきたからか、恐怖は子供のように弱い。リュウは何も言わずに、リオネルの首と胴体を切り離そうとする。




 ふと、リュウは誰かに腕を掴まれた。そのせいでリュウの集中力が乱れてしまう。


「……ティア。今はやめてくれ」


 腕の力は強くなるばかり。しょうがないので剣ではなく魔法でリオネルを倒そうと、詠唱を始めると口をふさがれる。まるで攻撃を邪魔しているかのようだ。よく見ればティアは数歩ほど離れてリュウを見ていた。


「……あっしの師匠様を殺させないっす」


 リュウが横目で見ると、必死な形相をしたサデラが涙を流していた。がたがたと歯の根があっていないのに、サデラは必死にリュウを抑えようとしている。親から離れると泣く子供のように、か細く小さな手でリュウを抑えていた。


 リュウがサデラを振り払う事はたわいのないことだが、どうしてかじっと立ったままであった。


 一身を投げだしてまでリオネルを守ろうとするサデラに、リュウは懐かしさを覚えたのだ。


 世奈と桜美の笑顔が脳裏によぎる。電池を抜かれた時計のように、リュウの行動が止まった。


 リュウが気が付くと、リオネルは回復し終わっていた。悪鬼の顔で剣を握りしめている。リュウの腕はいつのまにかサデラご羽交い絞めにされている。すぐにほどくこともできるが、リュウはしなかった。


 もう戦いの熱は冷めてしまっているのだ。それに、いくら斬られても死ぬことはないのもリュウが怯えない一つの要因であった。



「2対1で卑劣だと思うがいいさ。死人に口はないのだから好きなだけ罵っていいぞ」


 リオネルが、がむしゃらに剣を振り上げた。死なないとはいっても、斬られるのは怖い。リュウは目をぎゅっとつむって、来るべく激痛にこらえようと備えた。目を閉じると聴覚が増して、何かがリュウに耳に入り込んできた。



 この鈴を転がすような声は聞き覚えがある、ティアだ。しかし、ティアが何をしゃべっているかは理解できなかった。まだリュウは魔法言語までは習得していない。


 ところがリュウでも空覚えがある音色もあった。穴をふさいでいないリコーダーのような、ピーという高音。音は風に乗ってだんだんと高く大きくなった。


「ピー! ピーーー!」


「うん? なんだ、スライムではないか。うっとうしい」


 泣く泣くリュウが斬ろうとしたスーちゃんが、リオネルの不意を突いた。けれどもそれだけ。リオネルは蚊でも殺すように魔法を放った。ぐちゃと、スーちゃんは地面に落ちた。今度は動くこともなく、スーちゃんはただの液体と化してしまった。


 リオネルは足元で死んでいるスライムを見て嘲笑する。


「そういえばスライムの件で君たちを追いかけたんだっけか。まあ、それは口実なんだけどな。スライムなんてダンジョンの閉鎖に何の関係もないけど。ハハハハハ」


「……なんですって! それって、どういうことですか!?」


 それを聞いたティアが眉をひそめて、リオネルを睨んだ。ティアに話しかけられたのが嬉しいのか、リオネルは舌を回しだした。



「あれはね、俺が封鎖したんだ。後ろから細工を施して俺以外に誰も開けないようにしてから、一階層で問題が起きた事にして、君たちからスライムを晒せば終わり。後は勝手に皆が君たちを犯人にするって事だね」


 ケラケラ笑いながら、楽しそうに話すリオネル。聞いているティアは怒りの炎に燃えていることに気づく由もない。さらにこう続ける。


「ん? どうしてこんな悪質な悪戯をしたのかって。もちろん、ティアちゃんを仲間にいれるためだよ。いや、ゆくゆくは妻になってもらうのもいいかな。ティアちゃん! 俺はね、ずっと前から君の事を見ていたんだよ。一年くらい前からかな、その時は遠くから見ているだけで幸せだったんだけど、最近はリュウって男が近くにいるじゃないか。そしたら、いてもたってもいられなくなって、ティアちゃんがスライムを一匹大事そうに抱えるのを見て思いついたって訳さ!」


 長々と饒舌にしゃべるが、話す度にティアのリオネルに対する好感度は下がるだけであった。さらりとストーカーしていることを告げた時には、氷点下を下回っている。やがて、ティアが重い口を開いた。


「オ、――」


「そんな、お付き合いからだって、全くもうティアちゃんは照れ屋だなあ!」


「厳雷オラージュ! 貴方となんか絶対に嫌です! 早く視界から消えてください!」


「ぎゃぁああああ!」


「リオネル様ー!」


 ティアの怒りの攻撃をまともにくらい、気絶してしまうリオネル。慌てて駆け寄るサデラの涙は渇いていた。



 サデラはぼろ雑巾のようになったリオネルを担ぐと、


「では、さらばっすよ! ……あっ、ちゃんとダンジョンは元通りにして全てリオネル様のせいにしておくから安心するっす!」


 光のように廃屋から出て行ってしまった。残った二人は唖然と目を丸くして、唖然と入口を見るばかり。


 余談だがリュウの蘇生魔法により、スーちゃんは生き返りましたとさ。


「ピー! ピっ!」


こうしてリオネルとの対決は終わった。

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