強者はどちらか

 二人は走った。息を切らしながら走っていると、ある廃屋が目に入った。


「とりあえずあちらへ!」


「急いで隠れよう!」


 二人が中に入ると、幸運なことに誰もいなかった。ほこりが空中を舞っている。真ん中に座って息の調子を整え始める。しばらくして体だけは落ち着いてきて、呼吸のリズムは整うが心はそうはいかず。



「ピー……」


 スーちゃんもいつものように高い声で鳴かない。スライムは、知能が高くなく人間を見て攻撃するくらいしか脳がないのであるが、スーちゃんは違うようだ。リュウはぼんやりとそんなことを考えていた。


 ギルドに着く前に隠れたのだってスライムの知能にしては不可能だ。というのはスライムが複雑な人間事情を理解できるとは到底思われないからである。


 しかしスーちゃんは別のようだ。今も騒ごうともしないでただリュウの肩の上でただ乗っている。野生のスライムなら呑気にモゾモゾと動き回りそうなものであるが――


 外からガサッと草がこすれるような音が聞こえた。二人は目を見合わせて一点を同時に見る。二人が体を動かして隠れた刹那。一人の男がずかずかと廃屋に入ってきた。


「誰か~! いませんかー!」


 年は20台後半あたりで、青年と中年の間を行き来しているような面をしている。二人はすぐに男が誰か理解する。リオネルの後ろで他の冒険者たちと楽しそうに談笑していた男だ


 男はうろうろと部屋の中を歩き回っている。ヒビが入った樽を蹴ると紫色のワインが床に染み出た。瓦礫を持ち上げても姿は確認できない。息を吸うと埃が体に入ってくるほどに環境は最悪だ。


 誰もいないと考えたか、早々と男が外を出た。



 足音が遠ざかるのを聞いて安堵の息を漏らす二人。足音が消えたのをしかと耳で聞いてから、天井から地面へ降りた。


「とりあえず急場はしのげましたが……」


 ティアが不安げな声で嘆いた。またもやってこないとも限らない。そんな思いを含んだような声色だった。


「このままではな……」


「……ですね」


 ティアは物憂げな視線をスライムに向ける。するとスライムは反応するように体を動かした。ティアは瓦礫の上に座ると、手を握りしめた。


 頬に手を当てて目を閉じて、ティアは黙りこくってしまった。皆が納得する方法はただ一つしかないが、それを自分にできるか否か。理屈と感情の狭間で圧死されそうになりつつ思考を続ける。


 ヒューと涼しい風がほこりを連れて二人を心から冷やらせた。夏だから、暑いはずなのに、なぜか寒気がする。寒いはずなのに、二人からは汗がだらだらと零れている。


 足音はしない事だけが、とりあえず二人を安心させていた。だが、結局は同じ事だ。いずれ捕まるのは自明の理。早い話、腹が減れば街にでるしかないのだ。


 先に口を開いたのはリュウだ。


「……国を出るのはどう?」


 しかし、ティアは小さく首を横に振る。


「……国を出ても行く先がありませんよ」


 聖金貨はメライ王国でしか使えないので国を出れば無一文になる。しかも国から指名手配されるのは確実で、魔王軍にでも入らない限り殺されるのは明白だ。


「やっぱりこうするしか……」


 ティアがスーちゃんを冷たい瞳で見下ろすと、魔法を唱え始めた。普段なら数秒もかからない詠唱なのに今回はやけに時間がかかっている。リュウは悲し気に息を吐いた。


「いいの?」


 リュウが問いかけてもティアは詠唱を止めない。端正な顔を歪ませながらも、魔法を発動しようと声を紡いでいく。スライムは動きを止めた。まるで目がついていると言わんばかりに、ピクリとも動かない。


 ようやくティアの詠唱が終わる。普段のティアの攻撃なら跡形もなく消えるが、それは当たればの話。さあ、果たしてどうか。


「雷光サンダー」


「ピーー?!」


 人工的に作られた雷がスライムを包み、一段と大きな鳴き声を上げさせる。しかし、スライムは死ぬにはいたらなかった。ティアには殺せなかったのだ。


「殺せませんよ! だって……」


 ティアはその場に泣きじゃくってしまった。周りに居場所がばれることなど気にする様子もなく、ただ哀しさに身を任せる。唯の年相応の少女のわがままだ。が、誰が責められようか。



リュウはスライムを掴むと、


「俺がするから、ティアがする必要はないよ」


 と言って剣を取り出した。スライムはプルプルと震えるばかり。リュウが慈悲もなく振り下ろそうとした時、


「おやおや、声がでかいようで……丸聞こえなんだよ」


 背後から二人の気配を感じた。スライムを殺すのを中断して、即座に戦闘態勢に入るリュウは、


「……見逃してくれないか?」


 と提案した。リオネルはふっと苦笑いして剣を取り出す。一流は持ち物も一味違う。リオネルの剣は質素な作りながら、宝石のように輝いて見せる。無駄な装飾一切なしの実用性に特化した剣だからである。


サデラはティアの横に座ると、


「ティアちゃん、元気だすっす!」


 まるでリュウが悪者のようにティアをなだめる。ティアは滝のように涙をはらはらと流すだけだ。


「リュウが私に勝ったならば、この件は水に流そう。その場合は俺が事を起こしたと皆に伝えておくから安心しろ。こう見えても金は持っているのでな」


 リオネルはリュウに剣を向けると勝負を申し込んだ。その目には怒りよりも、楽しみが混じっていた。余裕たっぷりな視線を受けて、リュウは目を細めた。


「俺が負けた場合はどうするつもりだ。見世物にでもするつもりかい」


 リュウが尋ねると、リオネルはズバリと答えた。


「負けた時のことなど考えるな……これは遊びではない」


 リュウはすぐに真意を理解する。リオネルが剣を取り出した時から薄々わかっていたが、要するに負けたら命はないということだ。だから、リオネルも水に流すなどと大盤振る舞いを提案しているのだ。負けるはずがないと確信いるから、相手に希望を持たせるという事だ。



 リュウは間合いをとると無言で構えをとった。リオネルはリュウを睨んだまま動かない。



「――では、始めっす!」


 サデラの声と同時にリュウはリオネルに飛んでいく。真っすぐというよりは斜めに、リオネルの首を狙って剣を振り下ろす。リオネルはリュウの剣筋を軽くいなすと、唐竹割りの構えをとり、リュウ目掛けて襲い掛かる。


 体制が崩れていながらもリュウは、剣を横に使い何とか攻撃をしのぐと後ろへ飛んだ。ざざっと地面を蹴る音が、透き通るようにリュウの聴覚を刺激する。


 リュウが前を向いた時にはすでにリオネルの姿は消えていた。はっと思うリュウだが、思うだけで体は石のように動かない。


「――遅い! 後ろだ」


 いつのまにか背後に回っていたリオネルが袈裟切りを華麗に決めた。うめき声をあげ、地面に伏してしまうリュウ。背中からは血がどくどくと流れて止まる気配はない。一刻も早く治療をしなければ、出血が致死量を上回って死に至つことは言うまでもないことだ。激痛に苛まれながらも、リュウは立ち上がろうと足に力を入れる。




「スピードはあるが、技術がない。……三流」



 リオネルは物足りなさげにな表情で、ティアとサデラのいる方へと向かう。回復アイテムでリュウを治療することも可能だがしない。あまりにも早く終わりすぎて、暇つぶしにもならなかったからだ。



 ティアはリュウが斬られるのを見ると、さらに泣き伏してしまった。しくしくと大粒の涙をこぼして悲しみを全身で表現する。サデラは同情心をくすぐられたかのように、



「しょうがないっすよ。弱い者は負けるんす。強者になれないものは身の程を知るか、討ち捨てられるしかないんっすよ……あんたの冒険仲間であるリュウさんは弱かったんす」


 と諭す。リオネルもティアとサデラの近くに座り、


「勝たないと何も得ない。弱い者は罪を犯さずに、凡庸に生涯を全うすればいい……リュウは弱く、罪を犯した者だ。それならこの結果は必然なんだ」


と言った。リオネルは顔をにまりと顔を歪めて、


「それよりティアちゃん。俺と一緒に組まないかい。そうすればダンジョン封鎖の件も水に流してやるよ。悪いのはリュウ一人だけにすればいい。ティアちゃんは可愛いし、見所あると思ってたんだよ」


 さりげなく勧誘する。ティアは声を張り上げて、


「リュウ様以外とは誰とも組みません! それにリュウ様は死んでいません。今に起き上って貴方を倒すんですから!」


 甲高く叫んだ。ティアの迫力にぎょっとしたリオネルはリュウを見るが、依然として地面に倒れているのを目視して胸をなでおろした。




 ――2、3会話ありて、リオネルはイライラが頂点に達した。


「ああそうかい! ならばこの場でスライムもろとも斬ってしまおう」


 リオネルは大きく剣を振り上げた。右薙ぎだとティアは瞬時に分かるが、避ける気力も術もなかった。じらすようにゆっくりと構えていく、剣の動きを見せながらリオネルは最後の説得を始める。


「俺と共にこい! さすれば助けるぞ!」


「嫌です! 貴方となんか行きません!」


「ならば朽ちるがいい――」


 剣は水平に進んでいく。万事休すとばかりにティアはきゅっと目を閉じた。


(助けて、リュウ様!)


一心にそう願う。それがどんなに儚い願いだとしても、ティアは最後まで信じ続ける。そして――


「おいおい、まだ勝負は終わっちゃいないぜ」 



 キンと金属音の衝突音と一緒に、リュウがティアを庇うように立っていた

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