注目されるスライム

 白いベッドの上でリュウは目が覚める。脇に置かれた時計が午後12時を少し回った所をちくたくと打っていた。昨日の疲れが取れずもう少し眠りたいが、腹が減っているのでやむなくベッドから出る。


 台所に入ると香ばしい匂いがリュウの食欲を刺激する。トントンと包丁で何かを切る音もリズミカルに聞こえ、眠そうな目を擦りながら椅子に座る。程なくして、美味しそうな料理が運ばれてきた。ティアは食器をトンとテーブルに置いて、


「あら、起きてましたか」



 女神のように微笑んだ。ティアの肩にはもちろんスーちゃんが乗っている。


 野菜炒めによく似ているものが一人分、パリパリと瑞々しい音を奏でていた。


 リュウの腹が猛獣のように勢いよく食を貪っていく。ティアはリュウをうっとりと眺めていた。視線が気になったリュウは、


「もう食べたの?」


と問いかけた。ティアはリュウの反対側の椅子に腰かける。リュウのグラスに水を注いでやった。


「リュウ様があまりにも遅いものですから」


「そんなに遅いかなぁ」


「もう昼頃です……お寝坊さん」


 クスリとティアが笑う。心なしかリュウの食事の速度が増す。まるで棚に本を納めるかのように、次々と口に野菜を入れている。


「あらあら、そんな急いで食べたら喉に詰まりますよ」


 覆うようにリュウの箸を掴むと、取り上げてしまった。どうしたものかと、リュウはモグモグと口の中の者を消化するばかりだ。


 すると、ティアが一つの野菜を掴む。リュウの口元に運んでいき、


「しょうがないから、私が食べさせてあげます」


 温和な顔色を出しながら、リュウの唇に食物を触れさせる。茫然としてリュウの口は開かない。バツが悪そうに視線だけそっぽを向いた。少しの沈黙の後、


「……自分で食うからいいよ」


 リュウは言うがティアはつんつんと口に押し込もうとする。リュウはしばらく恥ずかしそうに俯いていたが、少し経ってティアに降参して白い歯を見せた。それから、


「あ~ん」


 ティアは食事が空になるまで続けた。互いの顔は紅潮していた。




 飯を済ませると、二人はギルドに行くことに決めた。昨日の魔石が残っているのもあるが、暇だったのが一番の理由だ。尤もティアとしてはリュウと二人きりでいたいのだが、リュウは違うようで……



――世奈の情報を少しでもいいから知りたい。幸いメライ王国は人口も多く、いろんな情報が行き来している国だ。裏の情報でも教えてくれる店もきっとあるはずだ、とリュウは考える。



 だがそのためには金が必要である。ティアに頼みたくはない。金は人をも変える、と昔から言われているように対人関係が最も崩れる物だ。


 共に過ごすうちにリュウは、ティアを悲しませたくないと思うようになっていた。初めて会った時は暗く、絶望に満ちた面構えをしていたティアが、今では希望にあふれた表情を浮かべている。



 まるでこの世に降り立った天使のように、ティアは無邪気なのだ。その笑顔を自分が壊せるだろうか、いやそんなことはできない。それが、一種の魅了されている状態だと、リュウが気づくのはもう少し後のことである。






――しかし、この後二人はとんでもないことに巻き込まれることになる。



 今日もティアの肩の上で、スーちゃんはくつろいでいた。湖に浸かって魔物として強くなったスーちゃんは、日差しにも耐えられるようになったのだ。最近では街の人も、


「なんだスライムか」


と気にもしない。


 ピー、ピーと独特の音を出して、心地よさそうに歌でも歌っているようだ。が、第六感でも働いたようにティアの服の中に入ってしまう。ぬるっとした感触にビクンとティアの背筋が伸びる。


「あれ? どうしたんでしょう」


 スーちゃんの奇妙な行動にティアがちょこんと首をかしげる。


「まだ暑いのに耐え切れないんじゃない?」


「さっきまで何ともなさそうでしたのに……」


 はてと二人は不思議に思うが、特に気にせず足を進めた。裏道を抜けると往来へと出る。後はギルドまで一直線に進めば難なく到着するのだが。意外なことに人が多く中々前に進めない。


「今日はイベント事もないのに妙です」


「昨日と比べて人が多すぎるよね――」


「ああっ! リュウ様~」



 激しい人波で二人は思うように進めない。無理に前に進もうとすると、後ろに戻されてしまう。ティアとリュウは少しづつ離れていってしまう。慌ててティアが叫ぶと、


「ほらっ! ……大丈夫だった?」


「はいっ……えへへ」



 リュウはティアの手を掴んで引き戻した。俗にいう恋人繋ぎになったのは故意か偶然か。黙って手をつないだまま二人はギルドへと向かった。



 ギルドにつくといつもより人がごった返していた。満員電車のようにどこを向いても人だらけだ。彼らはダンジョンに行くこともなく、イライラした目つきで何かを探していた。中に入ると職員もそわそわしていて落ち着きがない。




「何かあったのですか?」



 背中に掲げていたバッグから魔石を出しながら、事も無げにティアはルイに尋ねた。ルイはあたふたしながらもこう答えた。


「一階層のダンジョンが開かないんです!? なんでも、ボスが倒されたのに扉が開かないそうで」


リュウが目を見開いて叫んだ。ティアは目を伏せてそっぽを向いてしまった。



「ええっ!? そりゃ大変ですね!」




「もうどうしたらいいか……!」



 異世界事情に疎いリュウは同情を示すが、ティアは何も答えない。いつもの明るい調子はどこへ行ったのか急に無言になった。魔石と引き換えに銀貨2枚を受け取ると、リュウを連れてギルド内の端っこに隠れるようにしゃがんだ。


 ティアの額からは滝のように冷や汗が流れ落ちて、顔は真っ青になっている。何かぶつぶつと一人で言っていて、明らかに様子がおかしかった。


「……どうしたの?」


 リュウが話しかけても答えず、ティアは病気にかかったように震えているだけだ。しばらくすると意を決したように、リュウにこう告げる。


「……まずいですよ、私たちがスーちゃんを生き残らせたのが原因かもです。恐らくですが皆さん血眼になってスーちゃんを殺そうと探しています。このままでは――」


ようやく事情が呑み込めたリュウも、ドキリと心臓をならした。


「ど、どうしましょう」


 あわわわと取り乱しているティアをなだめて、リュウは何とか落ち着かせる。そして、ゆっくりと状況分析を始めた。


「……スーちゃんにはすでに金貨200枚使ってるしな……」


「……それに今更殺せません。でも、殺さないと大変なことになります……すでになってますが……」


「俺も殺すのは反対だが、さてどうするか……」


「……リュウ様もスーちゃんに愛着を持ってきたのですね!」


「……まあね……やはり白を突き通すしかないか……」


「……ですね。ほとぼりが冷めるまで待ちましょう……」


「……そうしよう……黙って入れば大丈夫でしょ……」



 忍者のようにソロっと立ち上がると、影を薄めながら二人は静かに歩く。幸いルイ以外は誰も二人を見ていなかったが、こんな声が耳に入ってきた。


「知ってるか? 今回の騒動による被害額は聖金貨10枚はくだらないらしいぜ。初心者冒険者への物資の提供だけでも相当な額になるだろうって」」


「ダンジョンにいくなら、一階層を通らなきゃいけないからな。凄腕冒険者も進めないのは致命的だぜ。彼らは国から大金貰って仕事してるからな、今頃はかなり怒ってるだろうさ」


「こりゃ犯人が出た日には、打ち首ものだな」


「違えねえ! ははははは!」


 とある男の言葉に噴き出す冒険者たち。無論二人が笑うはずもない。重い足取りでギルドを出ようと入口に近づいていくが、ふと立ち止まる。ギルドの入口に立つ禍々しいオーラを放つ男に圧倒されたのだ。二人だけでなくて、他の冒険者たちも共に入口の男を見やる。


 入口の男は逞しい体つきをしていて、筋骨隆隆と言っても差し支えない。顔には歴戦の傷があり、それだけでも腕の強さを表すのに充分である。それに加え男に充満している覇気が、何とも言えぬ存在感をだしていた。


「さすが兄貴っす! 歩くだけで皆の視線を集めるなんてすごいっす!」


 そんな男の隣では一人の娘が尊敬のまなざしで男を見る。赤髪のショートカットにスローブを着た少女がしきりに男を誉めていた。



「迷宮ダンジョンはまだ開かんのか。せっかく準備してきたというのに」


 男は軽くため息をつくと、つまらなそうにダンジョンの方を見た。


「全くどこのどいつがやったんっすかね。見つけたらとっちめてやりましょう!」


「腕の一本くらいは貰っておかんと気が済まないな……いくぞ」


「はい! リオネル様、どこまでもお供するっすよ!」



 リオネルと呼ばれた男は、国一番の実力の持ち主で凄腕冒険者である。そして、リオネルの周りを蝶のようにひらひらと回っているのが弟子のサデラだ。弟子とはいってもその実力は計り知れなく、一説によるとドラゴンを倒したとまで言われている。



 さて、リュウとティアは焦っていた。一刻も早くこの場を去りたいのだが、いきなり走り出すと怪しまれてしまうかもしれない。現在、問題のスライムを所持しているので身体検査などされたら全てがおしまいになってしまう。


 何でもない風にリオネルの後ろを通り過ぎていく二人は、内心びくびくしながらも表には出さない。リオネルはじろっとティアを見た。二人は固まってしまう。もはやこれまでか、と二人は覚悟を決めようと心の中で念仏を唱え始める。


「そこのお二人さん、ちょっとこっちを向いてくれねえか?」


「ええ、いいですけど」


 声の元はリュウだ。この状況で、平静を装い体を180度回転させた。ティアもリュウの腕をぎゅっと掴みながら、向き直った。ティアの腕はかすかに震えている。


「うむ……サデラ」


「わかってるっすよ!」


 リオネルが何か言う前に、サデラが何かを取り出そうとしバッグをあさる。いよいよ顔にも焦りの色が出てきた二人だが、身動きはできない。ごそごそしていた手を止めるとサデラは、



「あっしお手製のバッジっす! リオネル様が人にあげる事なんてめったにないんすから大事に持っているっす!」


 表面にリオネルと書いてある徽章を二人に渡した。


「お二人さんは強い方と見受けた……俺の名はリオネル。一応Sランク冒険者になってるが、気にせず仲良くしてくれ。こいつはサデラで、俺の弟子をやってる」


「弟子のサデラっす。弟子っといってもかなり強いっすからね! なめてると痛い目みるっすよ!」


「……俺はリュウ。この街には来たばかりで、ランクはGランクだ。こちらこそよろしく」


「私はティアと申します。リュウ様と一緒に冒険者やってます」


 リオネルは機嫌良さそうに、こう続けた。自然と鼻息も荒くなる。


「なあに、Gランクなんて今だけさ! リュウに、ティアちゃんね。機会があればよろしく頼むな!」


「ちょっと!? なんすか、このけしからんボディは!」


「――こらっ! サデラ!」


 挨拶がすむと、いきなりサデラはティアの胸元を揉みしだき始めた。プルンプルンと大きな果実が揺れていて、リュウは緊張も忘れて見入ってしまう。ティアは顔を真っ赤にして恥辱に耐えるばかりだ。見かねたリオネルがサデラを引っ張るまで数分間続いた。


 その時、プルンとスーちゃんがサデラの頭に乗った。青い体を弱弱しく揺らしている。



「ああっ! た、大変です!」


「逃げるぞ! スーちゃん、こっちだ!」



「ピー!」


 スーちゃんはサデラから離れて、リュウの肩に乗った。一瞬シンとなるギルド内だったが、


「あいつらだ! 追え!」


 リオネルの怒号で皆二人の後を追い始めた。だが、皆が外に出た時には、二人の姿は遥か彼方に消えてた。リオネルはにまりと笑いながらサデラの頭を撫でた。赤ら顔のサデラは嬉しそうだ。

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