沈黙の夜
「今日は何のご用件で?」
男の案内でティアとリュウは椅子に腰を下ろした。度が厚そうな眼鏡をかけた男は歯を出して口角を上げているものの、目は笑っていない。全身を覆っている黄色いコートといい、不審な匂いのする男だ。
「ワンディさん、この子を見てください」
ティアは怪しい男――ワンディに見せた。ワンディは眼鏡をクイッとあげて、
「おや、これはスライムではありませんか……だいぶ弱っていますが」
と驚きもせずに感想を述べた。
ワンディのいう通り、スーちゃんはだいぶ弱っており今にも消えそうだ。影を作っても日の光を完全に遮れる訳ではないので少しづつ弱っていく。ティアは手でふたをして心配げな顔をする。
「今にも死にそうなんです、何かいい方法を教えてください!」
ワンディは手で口を隠してしばし思案した後、
「ないわけではありませんが……少しお高いですよ」
といじわるな笑みを浮かべた。ティアが奴隷だと知っていて金がないと思っているのだ。
だが、ティアは冒険者カードを見せつけるようにワンディの前にそっと置く。興味なさそうにちらっとだけ見たワンディは、しだいに顔が色に漏れていく。
「貴方、どうしたんですかこのお金は! 以前あったときは金貨3枚くらいしかもっていなかったのに、今は聖金貨5枚とは!」
聖金貨は金貨1000枚の価値があり、貴族ぐらいしか所持していないくらい貴重な品である。奴隷がもつなどありえない事であった。
それも、力を奪い取られたアンドロイドが持っているなどおとぎ話でも聞かない程だ。ワンディは目をぱちくりさせて動揺を隠せないでいた。
「色々ありましてね……それで情報量はいくらなんですか?」
ティアはワンディを静かに見た。急いでスーちゃんを助けたい一心で、早めに話を切り上げたいのがひしひしと伝わる。
震える手でワンディはカードを手に取った。偽物でないかじっくりと鑑定して、本物と分かり胸に手をおく。ティアが黙りこくって数分が経つと、重い口を発する。
「国を出て2キロ北へ行くと、とある湖があります。そこの湖は別名『魔物水』とも呼ばれていて、魔物がそれを浴びると強くなるって話があるんです」
「生命力を上げれば日差しにも耐えられると?」
ティアは疑いの眼差しでワンディを射抜くように見る。
「ティアちゃん、私を疑ってますね? 私が何を商いとしてるか知ってますよね……情報に嘘があっちゃ信用に関わります。金と情報が絡んできたら、誠実に対応するのが私です」
それでもティアは訝し気に睨んでいたが、しばらくして表情を和らげる。スーちゃんを愛情をこめて愛撫し始めた。リュウは二人の様子を傍観していたが、気が気ではなかった。
ティアがそんな大金を持っている事を知らないので、当惑の色を隠せない。そんなリュウをさておいて、二人は淡々と金の話を始めるのであった。
「……金貨200枚でいいです。冒険者カードを貸してください」
「どうぞ……変な風にいじらないでくださいね?」
「いじるわけないでしょう……レベルが上がってますね……はい」
冒険者カードでは金を預けることもできる。金貨や銀貨でも金をカードにかざせば、吸い込まれていって取り出すことも可能だ。財布代わりにはもってこいだ。
取引が終わり、リュウに声をかけて、そそくさと立ち去ろうとするティアであったが、ワンディの呼び止めにより立ち止まる。
「もし、金がなくなったらいってくださいね。いつでも貸してあげますから」
ティアはムッとして叫んだ。
「あいにく間に合っていますので!」
逃げるように、二人はみるみるうちに姿を消していく。シーンとなった部屋でワンディは一人、
「今までレベル1だったティアちゃんが、今日はレベル5ですか……そんなはずはないんですけどね」
と独り言ちる。今度はその声に返事するものはなく、寂しさが満ちるだけだった。
▽
一度家に帰って荷物を整理してから二人は湖へ向かった。国の外に出ると魔物が襲ってくる。が、特に苦にすることもなくすんなり進んでいった。樹木の幹に寄り掛かりながら、二人は休息することにした。
「情報によるとこの付近とのことですが……デマでなければですが」
完全に信用してはいないようで、キョロキョロと湖を捜しているティアであった。
「金貨200枚も払ってデマじゃ、冗談じゃねぇよな……時に、どこからそんな大金手に入ったの?」
金貨200枚とは、質素に暮らせば10年は暮らして行ける額だ。銀貨二枚しか持っていないリュウからしたら大金なのだ。
「アンドロイドの魔力はとっても貴重なんですって。なんでも高密度の魔力なので希少性があるとか」
現在、魔力が使えるアンドロイドはティアだけだ。故にその価値は計り知れない。人助けのつもりで何気なくティアを助けた事が大金を生んだわけである。
「そうなのか……」
しかし、事情を知らないリュウは首をかしげるだけだ。。その様子が誇っていないように見え、ティアはさらにリュウを好ましく思っていく。
ふと、スーちゃんがティアの手から抜け出てきた。まるで甲羅を外した亀のように素早いスピードで森に消えていく。
「あっ! どこ行くの!?」
慌てて立ち上がって二人はスーちゃんの後を追うが、なかなか追いつけない。本能の速さとでもいおうか、スーちゃんがリミッターを外して進んでいくのですばしっこい。
ダンジョンでの冒険疲れもあって息が切れ始めてきた二人とは反対に、スーちゃんはどんどん速度を上げる。差は開くばかりだが見失わない程度に二人が必死に走ると、やっとスーちゃんはピタと止まった。
「待ってください~! はぁ、はぁ」
「ピュイ! ピー」
先ほどいた場所とは景色が違っていた。ざわざわとざわめく木の音に、ぽちゃんと水の滴る音が聞こえてくる。どことなくいい匂いが体を包んで離さない。二人はいつまでもいたくなるような、安らかな気持ちにさせられていく。
――知らぬうちに湖に到着していたようだ。スーちゃんは湖に体をつけて、気持ちよさそうにぷかぷかと浮いていた。今まで聞いたこともなかった鳴き声を発して、水の流れに身を任せている。
「気持ちよさそうです……私も入ります!」
スーちゃんを見て触発され、ティアも湖に飛び込んだ。我を忘れて、バシャバシャと泳いでいる。
水着をすでに下に着ていたのか、服を脱いでからティアははしゃぐ。リュウも後先の事を忘れて水中に飛び込んだ。周囲にはそれを咎める人もいない。童心に帰ったように二人はじゃれあった。
「それっ! あはははどうだ」
「きゃっ! やりましたね! お返しです!」
「何のこれしき」
ティアが水をかけるのをゆったりとした動作でよけるリュウであったが、よけた拍子に何かが動きを止めた。リュウが横目で見るとスーちゃんであった。
「ピー! ピ、ピュゥイ!」
「わわ! 絡まって動けない!」
「スーちゃんナイスです。さあ、覚悟してください。2倍返しです」
時も忘れて彼らは遊んだ。二人が気が付いた時にはすでに日は暮れかけていた。岸辺に上がり、夕焼けがじんわりと落ちる様子を眺めた。スーちゃんもすっかり元気になり、おとなしくティアの肩に乗っていた。
日没は早いようで遅い。お日様は確実に地平線に近づいていく。蛍の光のようにはかなくて悲しい事だ。しばしの静寂を打ち破ったのは高いソプラノ声であった。
「綺麗です……」
ポツリとティアが感嘆の声を漏らす。
「こんな景色は今まで見たことがない……」
二人がしばらく夕日を見入っていると、スーちゃんがピーと何回か鳴いた。
「奴隷の私にこんな日が来るなんて、夢みたいです」
ティアの瞳から水滴が一筋頬を伝っていく。太陽は地平線を降りて、月が顔をだしてきた。チカチカと赤・青・オレンジ色に星の色が瞬いている。ティアは小さい手を月に向かって伸ばす。伸ばした手はリュウの手と重なった。
「ピー!」
スライムの咆哮が空しく響く。呼応して草花もさわさわと涙を落としていく。
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