唯一の救世主

 「――ヒゥッ!」


 少女は年相応の元気な声で叫んでいたが、リュウを見て声を静めてしまう。リュウが何かを言う前に、



「……何者ですか」


 少女は不審者を見るような目でこっちを見ると、後ずさりしていく。


――明らかに警戒されている。


 拝観者を装って爽やかに挨拶をしようと、リュウは笑顔で近づいた。


 しかし、リュウは致命的なミスを犯していた。手元に鏡があれば気づいただろうに、何一つない神殿では気づくこともなかった。青い空間は光を反射しないのも要因の一つであろう。



――血の服を着た男が純粋な笑顔で、右手を挙げて挨拶をかましてきた。腰には剣を携えている。


 あまりの恐怖に少女はすぐにでも逃げたくなる。まるで熊から逃げるようにゆっくりと後ろに下がった。忍者のように忍び足で一歩ずつ。


――二人の初対面はこのように最悪であった。


                    ▽


「――なるほど。リュウさんはここで魔王軍と戦ったんですね」


 リュウは経緯を1から話していった。話が進むに従い少女も同情を向けていく。


「信じてくれて何より。それでここはどこなんだい。ええっと――」


「ティアと申します……ここはフセイン王国とメライ王国の中間にあたるキュア神殿です。私はキュア様をお呼びするようご主人様に命令されてここにきたのです。キュア様がどこにいらっしゃいますかご存知ですか?」



 今まで饒舌だったリュウも、この質問には閉口せざるをえなかった。答えるのは容易ではない。もし、返答を間違えればただ事では済まないだろう。


――この場を乗り切る方法をリュウは3つ思いつく。


 一つ目は素知らぬふりで神殿を出る。入口にいた男が何か言ってくるかもしれないが、無視すれば問題ない。その後に神殿の近くにいるはずの世奈と桜美と合流する。


 キュアを見つけられないティアを思うと、いい案とは言えない。



 二つ目はティアに何もかも話してしまう事だ。初対面のティアに秘密を暴露するなど自殺行為に等しいが、ティアが味方に転じる可能性もある。


 この世界について何も知らないリュウが身一つで生き残れるのは至難であろう。


 仮にティアが仲間になってくれるなら、これほど心強いことはないだろう。孤独は人を殺してしまう。最後に裏切られても孤独よりはましである。危険だが同時に益も大きい、ハイリスクハイリターンな作戦である。


そして、3つ目は――


 リュウはティアの両腕を気遣うように見つめる。入口で聞いたことが正しければ片腕か、両腕が使い物になっていないはずである。


「リュウさん? どうしたんですか」


 待ちくたびれたようにティアが催促した。はっとリュウは顔を上げた。


 ティアは髪の先端を手で少し弄りながら、こっちを見上げていた。ちょこんと首を傾げた様子が、子犬を連想させる。リュウはたまらずティアから目を逸らしてしまう。それを見てティアが悲しそうに視線を落とすと、


「そうですよね……奴隷の私なんかに教えてくれませんよね」


 と俯いてしまう。


「い、いやそんなことはないって」


 リュウは矢継ぎ早に言葉を吐き出す。今度はその言葉を聞きティアが、


「ほんとですか! では、どこに?」


 とニコニコしながら顔を近づける。絶世の美少女が微笑んでくる、思春期の高校生にこれはつらい。リュウの心臓は破裂寸前だ。目を逸らすとティアが悲しい顔をするので、目を逸らすことも許されない。


 ティアの甘い匂いがリュウの鼻目掛けて突っ込んでくる。リュウの理性はぐにゃぐにゃで、全てをティアに話したくなるがぐっとこらえる。そして、


「キュア様は旅に出ているんだ」


 とやや上ずった声で答える。


「そうですか。どうりでここにいらっしゃらないわけですね……困りました」


 神が旅にでるとは下手すぎる嘘もあったものだが、心臓バクバクで頭真っ白のリュウにしてはよく頑張った方である。ティアは疑いもせずに頭を抱えている。


「何か事情でもあるんですか?」


 とわかりきったことをリュウは尋ねる。


 せっかく信頼関係が少しづつ出来始めてるのに、後ろから盗み聞いていました。なんてばれたらすべてが水の泡になってしまう。


 ティアは最初言いよどんでいたが、やがてぽつぽつと語り始める。


「ご主人様の命令でキュア様をお呼びするように言われたのです。困りました。これではご主人様に合わす顔がございません」



 ティアの顔は話していくうちにだんだんと青ざめていき、最後は呻くように声を出した。よほど『ご主人様』が怖いようで、ブルブルと体まで震わしている。


「俺で良かったら治してあげるよ」


「貴方様が……?」


 リュウがからかっていると感じたのかティアは一転、表情を憤怒に変えた。


「この世界では欠損や死傷者の治療ができるのはキュア様だけです! 軽い怪我なら治せる人もいますが魔王軍の呪いによってできた傷はキュア様しか治せないのです。それを承知の上でよくそんなことを……」


 今度はしくしくと泣き始めてしまった。リュウもおろおろと狼狽している。


「本当だって。治療魔法使えるんだよ」


「ならこの傷を治してみてください」


 そう言うとティアは左手を差し出した。ティアが袖をまくると紋章のようなものが現れた。入れ墨に似ていて、『魔』の文字が痛々しく描かれてある。


「なんてひどい……」


 リュウが返事に窮して呟くように言うと、


「この紋章で私は奴隷に墜ちたのです……アンドロイドとして生まれたので恨みはそれほどしていないですが。それでどうです、貴方様にこれが治せますか?」


 ティアは嘲るようにリュウに言った。愚か者を見るような冷たい黒い瞳がこちらを見下している。ティアの冷たい目に射たれて、萎縮してしまいそうな気持ちになったが息を一つ吐いて心を静める。


 高まる心拍数を平常値に下げると右手に力を籠める。全身を奇妙な感覚と共に魔力が右手に集まっていく。白い気体が手の平から出てくるのを見て、ティアの紋章に手を重ねる。


 (紋章よ、消えろ)


 リュウは心の中で呟いて頭の中でイメージを浮かばせる。紋章が消えていく光景を頭の中で妄想して、それを具現化するように右手に意識を集中させる。


不思議と魔力の使い方が手に取るようにわかる。腕いっぱいにあった紋章はビー玉くらいに小さい円になっていき、やがて消えた。後に残ったのは褐色の肌だけだ



リュウはティアの傷を宣言通りに直したのであった。


――3つ目とは何も話さずキュアを治療してから考えよう作戦である。

 

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