言葉がくれた未来③

「まだつけられもしないピアスを買ってきて、大学生になったら真っ先に穴をあけて、これを付けてあなたに会いに行くんだって。志望大学もさっさと変更しちゃって……って何だか我が娘ながらストーカーのようね」


 うふふ、と笑うおばさんは、口ではそうと言いつつも、娘の想いを応援する素敵なお母さんだった。


 だから俺も笑って、


「そんなことはない、とは言い切れませんけど、俺に限っては嬉しいばかりです」


 なんて言ってしまった。


 でも、もし彼女が俺と同じ大学に入って、他の子たちと同じように普通に顔を合わせていたら、あの頃の俺では彼女の良さに気付く暇もなく、臆病風に吹かれて邪険にしてしまっていたかもしれない。

 彼女も、本人を目の前にするとそんなにぐいぐい来るようなタイプには見えなかったから、俺たちの関係はそれっきりになってしまっていた可能性が高い。

 そう考えると、あの特殊な出会いに感謝せずにはいられなかった。

 彼女にとっても家族にとっても、喜ばしい事態でなかったことは明確だけれども、それでも、ごめんなさいと心で謝りつつ、やっぱり感謝してしまった。


「あなたが偶然、あのカフェで働いてるって知ったときなんか、物凄いはしゃいで帰ってきたのよ。私も後日一緒に連れて行かれたりなんかして」

「え? 凛さんと一緒にいらっしゃったことがあるんですか?」

「ええ。あの子があまりにもしつこく誘うもんだから、何回かだけどね」


 そしてまた何かを思い出したのか、ふふっと楽しそうに笑って。


「でもね、正直に言うと、私あなたのことあまり凛には勧められないと思ったわ」


 危うく、口をつけた麦茶を吹き出しそうになってしまった。


「だってあなたってば、確かに凛の言う通り顔はとてもハンサムだったけど、いつ行ってもびっくりするくらい無愛想なんですもの。お茶を出すのにニコリともしないなんて。付き合ってもきっと何考えてるかよく分からないし、凛が苦労すると思ったの!」


 そんなストレートに力説しなくても……と苦笑いをしたけれども、確かに大事な娘と付き合うのがそんな男では不安しかなかったかもしれないと、納得してしまう自分もいた。


「――でも、今のあなたなら、あの子を安心して任せられそう」


 続く言葉が、切ないくらいに胸を突いた。

 俺もできることなら任されたかったと、泣いてしまいそうになる。


「凛さんに、変えてもらったんです。凛さんから、たくさんの大切な言葉と、温かい気持ちと、笑顔をもらいました」

「まあ……本当に?」

「はい。感謝してもしきれないくらい、です」

「煩くなかった?」

 あの子喋ると、ちょっと説教臭いでしょ? なんて、娘をたしなめるお母さんの顔で。

「いいえ、ちっとも」

 とても思慮深い素敵な女性でしたよ、と、だから俺は首を振る。

「まあ。ふふっ。ありがとう。それにしてもあなたたち、いつの間にそんなに仲良くなっていたの? 全然知らなかったわ」


 頬に手をあてて、眩しそうに俺を見た。


「あの」


 俺は持ってきたアールグレイの茶葉と焼き菓子を差し出す。

「これを彼女に」


 ――それと、できればお線香を。

 喉の奥で引っ掛かるその言葉を、どうにかこうにか紡ぎ出そうとした、そのときだった。


「まあ! これ、あなたのお店の紅茶? あの子喜ぶわ」


 おばさんがはしゃいだように声を上げる。


「ここのアールグレイが大好きだったのよ。だったら買ってくればいいのにって何度も言ったのに、お店に通う口実がなくなるからって、頑として聞かなかったんだから」

「あ、あの」

「早速届けてあげて?」


「…………は、え?」


 聞き、間違いか?


「あの子に会いに来てくれたのよね?」

「え? えっと、あ、はい」


 じゃない、よな。


 な、なんだ? ちょっと話が噛み合わないような気がしてきた。

 届けてあげてって、まさかの逝ってこい宣言とかじゃないよな? こんな穏やかそうなおばさんが、そんな冗談言うわけない。


「なら、私なんかに渡すんじゃなくて、直接持って行ってあげて?」


 ――直接? って……どうやって?


 心臓が高鳴りだす。

 いや、まだ変な期待はするな。今度こそ立ち直れなくなるぞ。そう必死に言い聞かせる。


「あ、あの」

「ちょっと待ってね」


 おばさんは、混乱する俺には気付かないまま、電話機の横に置いてあったスケジュール帳を手に取りペラペラと捲り始めた。


「ええっと、あったあった。北病棟の4階よ」


 ま、まさかの霊安室とか、じゃないよな?


「402号室。今日から四人部屋に移ったの」


 そして、それはそれは嬉しそうに。


 それって、つまり……?

 おばさんの笑顔に、じわりとした歓喜が僅かに胸に湧き上がる。

 握りしめていた手に、少しずつ血が通い始めた。


 そ、そういうことで良いんだよな? 糠喜びじゃないんだよな?


 蝉の大合唱がやけに遠い。

 代わりに最大ボリュームで早鐘を打つ心臓の音を全身に感じながら、俺は震える瞼で瞬きを繰り返すしかできない。

 唇もおかしいくらい震えていて、何かを言おうにも、明瞭な言葉になりはしてくれなかったのだ。


 にこにこ笑うおばさんの顔を、バカみたいにただただじっと、見つめるしかできなかった。

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