告白と、さよならと⑤

「逢坂さん」


 縋るような彼女の声音に、きっとこの男は、全てを知っているんだろうと思った。それが、妙に腹立たしかった。

 勝手だと分かっているのに、そんな男にではなく、俺に頼ってほしかった。俺に向けて言葉を発してほしかった。


「リミットだよ。見付かって、良かったね」


 何も良くない。

「……どういう、ことですか?」


 説明してくれよ。こちとら何一つ理解できていないんだ。この状況も、二人の会話の意味も、彼女の正体も、あんたの正体も。

 どうしてか止まってしまったこの世界で、動いているのは俺たち三人だけだというのに、俺ばかりが蚊帳の外だなんて、とんだ不公平だ。


「見ての通りだよ」


 芝居がかったように両手を広げる目の前の男が、憎たらしくて仕方ない。

 たった今起こっているこの状況を、はいそうですかと、いったいどれほどの人間が素直に受け入れると思う? 俺はもう、中二じゃねぇぞ。


「……彼女は、誰なんですか?」

「その質問には、もう答えが出ているんじゃないの?」


 言葉を受けて、今度は彼女が、ぎくりとしたようだった。


「……きみは、誰?」 


 彼女を見つめる。

 しかし、俯いたまま鼻を一度啜ったたけで何も言ってはくれない。

 無音の世界で、それはとびきり哀しく響いた。


「名前を問うたのなら、恩田凛おんだりんさんだね」


 代わりに答えたこの男に、彼女はますます項垂れてしまった。


「恩田、凛」


 初めて知った、本当の名前。呟いて、心にぐっと焼き付けた。


 答えが出ていると言うのならば、彼女はあの日喫茶店で会った、可愛らしい猫のお財布を大事にしていたあの子で間違いないのだろう。でも、容姿は似ても似つかない。


 俺の疑問を読み取った男は、もしかしたら心の中が本当に読めるのかもしれなかった。

 肩を竦めると、どこから話したもんかなぁ、と場にそぐわないのんびりした声で話し始めた。


「彼女はさ、病気なんだ。先天性の心臓病でね」


 途端、嫌な胸騒ぎがした。聞かない方が身のためだと、警鐘が鳴り響く。

 多分俺のそんな葛藤なんてのもすっかりお見通しで、でも男は止めるつもりもないようだった。


「きみが、朝比奈さん? だっけ? 彼女と喧嘩したあの日、走り去った彼女を追って席を立ったその少し後、この子も心配になってきみの後を追っていたんだよ」


 俺を、追って来ていた? 

 目を向ければ、こそこそと出歯亀のような真似をして申し訳ないとでも思っているのか、小さくなる彼女。

 でも俺はそれで、このとんぼ玉がここに落ちていることを彼女がなぜ知っていたのか、その理由を理解した。彼女は、俺が朝比奈さんにピアスを投げつけられる瞬間を、目撃していたということだったのだ。


「だけど横断歩道の手前でね、運悪く心臓発作を起こして、倒れた」 

「もう、いいです」


 小さな声が弱弱しく遮る。

 嫌な胸騒ぎは大きくなるばかりで、本当は耳を塞いでしまいたかった。でも、それでいいわけなんてなかった。多くの疑問を残したままなんて、そんなのちっともいいわけなんてない。


「倒れたって、それじゃあ今ここにいる彼女は?」

「きみたちの言葉で言うなら、精神、てとこかな。いや、魂? それをね、きみが働く店の向かいの店。あそこのマネキンに、彼女たっての強い希望で、言っとくけど仕方なくだよ。僕が入れてあげたんだ」


 マネキンに、入れる? 魂を?


「……は? 本気で言ってるのか?」

「本気じゃなかったら、きみはここにいる、この不思議な状態の彼女を何だと言うんだい?」


 そんなの分からないけど、ほら、たとえば、とか何かもっともらしい理由を打ち立てようとして、でも、いくら考えても何も思い浮かんでくることはなかった。

 自分とこの男を納得させられるだけの理論を構築するには、情報が足りなさ過ぎた。


「……じゃあ、そんなことができるあんたは、いったい何者なんだよ?」


 だからって、一気にすべては受け入れられない。今はどう頑張っても半信半疑が精いっぱいだ。かつがれてるんじゃないかという思いは、どうしたって拭えない。

 けれども、そう胡散臭く思いながらも、何の冗談だよと笑い飛ばしてしまえないのは、数々の説明もつかないような現象を立て続けに見せられているせいだろう。


「僕は厳密にはね、反魂師はんこんしっていう」

 まあ不審がられるの、無理もないよね、と自分のことなのにあっけらかんと答えながら、

「本当はきちんとした憑代があってさ。ガンピと呼ばれる木から作るんだ。こちらの世界にもあるけれど、僕が使うのはとても香りの強いあちらの世界のもの。刈り取って、すり潰して、濾して。僕が一から作る特性の憑代で、本当はそれに入れてあげないと、不安定な魂はしっかり定着してくれない」


 少し言葉を切って意味ありげに彼女を見た男は、人型だったからまだ何とかなったけど、だからちょこちょこ不具合が出てしまったと、不本意そうにそう溢した。


 男が何でもないことのように告げた“あちらの世界”という言葉。けれどもそれが、どこまでも深い闇をたたえた瞳でもって、こちらをじっと見つめているように感じた。

 呑み込まれないように、拳を固く握りしめ、手のひらにぐっと爪を喰い込ませなくてはならなかった。


「はんこんし? って?」


 復唱してみても、漢字が全く思い浮かばなかった。でも項垂れた彼女の肩がピクリと跳ねて、何だか嫌な予感がした。


「きみたちの世界で言うなら、そういう名前の職業ってのが一番適当かな。未練がある人だけが訪ねることのできる、特殊な家に住んでいる」

「逢坂さんっ!」


 恩田さんの声が、遮るように張り上げられた。

 どう考えても、穏やかじゃなかった。男の言葉も、彼女の反応も。


 それじゃあまるで……


「未練?」


 声に出して、失敗したと思った。

 嫌な考えを振り払うように、強く頭を振る。心臓がやけに煩い。

 彼女はまた下を向いてしまって、どんな表情をしているのかは分からなかったが、肩は小さく震えているように見えた。

 唇を噛み締める。

 男に目を向けたが、少し微笑んだだけで何も言ってはもらえなかった。


「……彼女の、身体は?」

「今は、病院のベッドで眠ってる」

「この後は?」


 また少し、今度は困ったように微笑んだ。

 瞼をきつく閉じ、歯を目いっぱい喰いしばった。出そうになる涙を、必死の思いで堪えなくてはならなかった。零したら、何もかもが、今俺の頭を掠めた最悪の未来へと転がり落ちてしまう気がしたんだ。

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